13.再会

 

 「俺、帰る」

 「え? 帰るの!?」

 

 隼人の美味しい晩ご飯を食べて、葉月が楽しみにしているバニラアイスも食べた。

テラスでノートパソコンを広げていた隼人と、

ダイニングテーブルで書類を眺めていた葉月が一緒に叫んだ。

「うん! 雨やんだし♪ 今日は帰る!」

今日はそんな満たされた気持ちがあった。

一昨日も外泊したし…今夜は仲の良い二人を見てなんだか満たされていた。

「何言っているのよ。外は雨がやんだばかりよ?」

「そうだよ。近いと言ってもまた・大降りになるかも知れないぞ?」

『泊まって行きなさいよ』

『泊まって行けよ。』

二人がそろって引き留める。

でも…

「うん、いいの。俺、お友達と約束あるから。ちょっと遊びに来ただけ。

それに葉月ちゃんいつも言うじゃない。他の子は親元を離れて全寮制。

俺だけ、近くに保護者がいるからってそうしょっちゅう泊まっていたら

みんなとは違う子になっちゃうって…。そうだろ?」

約束もないし、本当なら泊まっていきたいが…

訓練生としての『わきまえ』はキチンとして葉月に迷惑はかけたくなかった。

同級生は皆、親元を離れているが、真一のことは『坊ちゃん』と言いながらも

『両親がいない子』ということで、葉月の元へ通う真一には

触らないようにしているところがある。

そこを『甘えて』いるかも知れないが、この数ヶ月は

隼人が本当に葉月とつつがなく暮らすかどうか心配だっただけ。

もう…充分。大丈夫だろうと今は思える。

後は…『ジュン義理兄』の存在が葉月から明確にされたとき

隼人がどう出るか?その時真一はまた葉月をサポートしなくてはならない。

『気を付けるのよ?』

『車で送ろうか?』

玄関で靴を履いていても、小さなママとパパ兄さんは心配そうにひっついてくる。

「俺。何時までも子供じゃないよ。いいってば…。」

『下まで送ろうか?』

二人そろって何時までもそう言う。

「いいの!今日は自転車で帰るの!」

言い切った真一の何時にない強さにやっと・二人が退いた。

「葉月ちゃん。明日制服頼むから。お金もらいにまた来ていい?」

「当然じゃない!それぐらいしないと、右京兄様に叱られるわよ。」

真一の養育費は、谷村の祖父母と右京と葉月が今は出し合っているそうだ。

学費は全面的にフロリダの祖父母が持っていると聞いている。

だから、妙に遠慮がちな甥っ子に葉月が怒ったように言い返してきた。

『おやすみ〜♪』

『お休み。シンちゃん。』

『また来いよ。真一』

玄関の扉が『バタン』と閉まる。

閉まるドアの隙間に、葉月と隼人の優しい笑顔。

真一もホッと微笑んで、一番目の大きな自動鉄扉を出た。

レインコートは、自転車の布籠に突っ込んで…

袖が短い紺の制服を気にしながら、リュックを背負う。

自転車を引いてエレベーターに乗る。

カメラに向かって手を振ってみる。

ロバートが見ていたら面白いなぁ…と言う、タダの悪戯。

雨がやんで、丘のマンションの上の夜空は星がチラチラと散らばり始めている。

やっぱり…最上階の大きなサンテラスで、葉月と隼人が並んで見守っているのだ。

(うーん。俺も大人として信用してもらうよう頑張らないとな)

今までは『子供扱い』も悪い気はしなかった。

でも…徐々にその気持ちは、何時までもはいけないと感じるようになってきた。

早く、御園を背負う男にならなくてはならない。

『男の子が産まれたら…立派な跡取りにする。』

母の望みは『それ』だからだ。

『葉月が早く…元の無邪気な女の子に戻るように…。

私が何時も側に置いて、女の子らしくなるよう言い続けてきたから…。絶対取り戻す。』

(母さん。母さんが守った葉月ちゃんは…母さんが守った俺がいつかきっと…)

母が願った『女性』にもどせるように…。

真一の新しい『使命感』

今まで写真で見てきた『小さい葉月』は本当に可愛らしい女の子だった。

すべてを奪われて、母と同じ様な『軍人』になったことを

母はきっとガッカリしているに違いない。

それでも…葉月は隼人を得て…今までにない女性らしさを備え始めている。

葉月には必要な人。

真一はテラスに向かって元気良く手を振って自転車にまたがった。

丘の坂を一気に下る。

振り返るとまだ、葉月と隼人はテラスで並んで立っていた。

 

 

 波が荒くなっていて、ガードレールに飛沫が飛んでいた。

危ないから、海側を走らずに反対車線の雑木林側を寮に向かって漕ぎ始める。

潮の香りが今夜はいっそうキツイ。

雨が降って、湿気を含んだ空気が真一の癖毛を一気に丸めた。

(うー。何で俺の髪は…葉月ちゃんと同じ色なのに…

葉月ちゃんみたいに細くて真っ直ぐじゃないんだろう??)

真・父そっくりな…癖毛だった。いや…黒猫のジュンもそうなのだろう…。

前髪の先はすぐにくるりん…と丸まってしまう。

オマケに葉月の細くてしんなりとした毛とは違って

真一の栗毛はちょっと張りがあって、一度癖がつくとなかなか直らない。

今その状態に陥った。

『解るよー。俺もそうだもん。』

隼人が共感をしてくれる。それでも隼人の髪は艶やかな黒髪。

一度、真っ直ぐになれば、ちょっとのことでは癖がつかない。

硬い髪だが、ピンと真っ直ぐになるのが羨ましいのだ。

ただ…朝、それを直すのにかなり苦労するとのことだった。

真一はそんなことを考えながら荒い波の音にせかされるように寮へ急いだ。

葉月のマンションからは暫くは手が着けられていない雑木林が続く。

隼人が本当は住んでいるはずの官舎の手前からは、コンクリートの斜面が続く。

そのコンクリートの上が雑木林。

そのコンクリートの斜面がとぎれると山中やジョイが住んでいる日本官舎につく。

日本官舎を過ぎると金網フェンスが一キロも続く『アメリカキャンプ』だった。

そこまで行くと、道は明るく照らされる。

その日本人官舎の手前まで走りついたところ…。

コンクリートの斜面と反対は荒波がしぶくガードレールの狭い道。

時間は…門限前22時前。とても静かだった。

島の中を走る車は少なくて…今日は大雨が降ったせいか車は一行に通らなかった。

そう感じていた矢先…。真一が向かう基地方面から

ライトをつけた車がサーとやっと一台向かってきた。

真一は気にとめずに自転車を漕ぎ続ける。

その車とすれ違う。

黒い大きな車だった。

『あれ?』

何か妙な勘が働いて、真一は自転車を停めてしまった。

振り返るとその車も『キッ!』と停まったのだ。

心臓がドキリと動いた。嫌な勘が働いて真一は自転車のペダルを素早く踏んだ。

なんだか漕ぎ始めた自転車の後ろから…

自転車で走っているのに、一人じゃない人間が走る音が

ものすごい早さで近づいてくる!

『軍人もいろいろいてね?シンちゃんが知っているいい人ばかりじゃないのよ?

学生と見て、悪さをするバカもいるんだから。気を付けなさい。』

葉月が何時もそう言い含めている。

外人が島の中で悪さをする。それは時々耳にして、

そんなことが大事が起こらないようロイと細川は何時も厳しく管理している。

だから、島の基地はほとんど大事件は起こらない。

それでも、寮の中でも酔っぱらった隊員に絡まれて

お小遣いを取られてしまった学生達も時にはいて

その時は、隊員が処分されたという事件だってごくまれにある。

真一は…こんな人が出かけようとしない天気の日に

一人で帰る気になったことを『しまった!』と思った。

『御園の御曹司』それを知られたら…何をされるだろう!?

真一はそう怯えて自転車を漕ぎ続けた。一生懸命漕いだ!

でも!!

どうしてか!?人間の足なのに足音はどんどん近づいてきていた!

そして…

「やめろーー!!」

自転車が『ガシャン!』と真一の視界の中、歩道に倒れる。

それで…今自分がどうなっているのかというと…身体が宙に浮いていた!

どうやら、男二人ぐらいに持ち上げられているようだった。

『誰だ!』

そう思った瞬間には、雑木林の崖を固定するコンクリートの斜面に

両腕を後ろ手に組まれて頭を押さえつけられていた。

『………』

『……』

小さな囁く外国語で男二人が真一のリュックを開けてなにか探っている。

(くそー!学生が一人でいるからってひったくりかよ!)

お金を取られることはどうでも良い。

真一が急に腹が立ったのは、立場が弱い学生に大人が二人がかりで押さえ込んだこと。

(母さんは…こんな風に!?)

急にそう感じた。

怒りがこみ上げてきた。

「このーー!!はなせー!ばっかやろう!!」

真一が大声を上げて力一杯腕の戒めを解こうとすると、

一人の男に頭を押さえつけられた。

それでも真一は屈しなかった。

押さえる力に逆らって、コンクリートに押さえられた頬を

どんな奴が襲ったか顔だけでも見てやろうと首をひねると

頬をコンクリートですりむいてしまった。

それでも…男の強い力…。適わなかった…。

頬から流れ込んできたものが口に入ってきた。

『血の味』

(負けるモンか!!)

真一がそれでも暴れると…。

『ボス…』

やっとヒヤリングできた一言…。

その男の声が妙に心配げな声だったので真一は…

何か違和感を感じて力を緩めた。

『もういい。お前は先に行っていろ』

『イエッサー…』

聞き取れない外国語。英語じゃなかった。フランス語でもない…。

やっと真一を押さえつけていた手が退いて頭が自由に動く。

すかさず振り返ると誰もいない。

しかし…真一の頭の上に何かが飛び越えた『気配』が解ったので

再びコンクリートの方へ振り向いて斜面を見上げて驚いた!

長い黒いコート。戦闘パンツ。

細長い男がアーマーブーツで音も立てずに

一歩・二歩…。ヒョイヒョイと急な斜面を駆け上がっているところだった。

『親父!』

12歳の…母の命日以来の再会!

何時もスーツやお洒落な身なりをしていた姿じゃない。

今度こそ『黒猫』の名にふさわしい泥まみれの格好。

軽い身のこなし。

真一が見とれていると、もう一人の男はサッと黒い車で去っていってしまって

顔を見ることもできなかった。

が…。

「この!くそ親父!もっとましな登場はないのかよ!!」

いつの間にか…『おじさん』を…『親父!』とそんなつもりなかったのに口にしていた。

「アハハ!」

斜面を駆け上がった彼は、てっぺんの雑木林の前で仁王立ちになって

真一を見下ろして大笑い。

残念な事に…夜のせいか彼はサングラスではなく

目元は『スターライトスコープ』を付けてまた顔が見えやしない。

そんな異様な戦闘スタイルだというのに…真一は怯えることはなかった。

それどころか…

真一は益々腹立たしくなって、拳で頬の血を拭ってもう一声。

「いい加減にしろよ!何のつもりだよ!」

(今頃きやがって!!)

待ちこがれていたのに…時計だけおいていけばいいのに

こんな人を襲うような派手な事して何のつもりだと…

それと共に、今まで現れもしなかったのに、来たと思ったら

こんな手荒なことをして人を脅かすことにも腹立ちに拍車をかけた。

「ふん!だいぶ生意気になったな。ボウズ」

崖の上で彼が片膝をついて面白そうに真一を見下ろす。

「なーにが生意気だよ!」

お互いが『父子』と解ってしまったから…妙に素直になれない。

真一は今までどの大人にもこんな口のきき方はしたことがなかった。

『無邪気な良い子』みんなそう言う…。

そうじゃないのに。これがもしかしたら本当の自分かも知れない。

真一が妙な動揺を必死に隠そうと彼を睨み付けていると…

『ふ…』と彼の口元が静かにゆるんだ。

「上出来だ。泣きわめいて、『フロリダのお祖父ちゃんに言い付ける』と

情けなく騒いだら、もっと・手荒にしているところだ。

さすが…皐月の息子だな。負けん気は一品だ。忘れないことだ。」

父親の彼がそう言ったので…真一は思わず涙ぐみそうになったがこらえた。

『さすが・俺の息子』

そう言ってもらいたかった自分がいることに気が付いてしまった。

唇を噛みしめて涙をこらえている真一の事は…大人の彼には解るのか。

今度はニッコリ…初めて優しそうに口元を緩めた。

「母親の死んだ理由を知ってしまったなら…次なる使命は解っているな。」

「………」

(やっぱり…俺が知ってしまったこと…解っているんだ)

何時も色ない彼の声のはず。

だけれどもその声は、何かを解らそうとしているしんなりとした声に聞こえた。

だが…真一はその質問には返事が出来なかった。

『解っている』と言いたいのに…

言葉を一言出せば涙が出そうだからだ。

うつむいている真一の耳にまた『フフ…』と言う笑い声が届いた。

「お前は皐月の息子だ。御園を背負う男だ。真が教えた厳しい教えは忘れるな。いいな。」

(アンタが父親のくせに…他にもっと言えることないのかよ!)

『御園の男』とたたき込むだけたたき込んで

俺とは関係ないみたいに囁く『父親』に真一が腹を立てて彼を見上げると…。

彼は立ち上がって無表情に…厳しく真一の反応を見守っている。

『くそ!』

真一は…濡れたコンクリートを這い上がろうと手を斜面に伸ばした。

別に彼の側に行こうとか…そんな事じゃない。

とにかく悔しくて登ろうとしているだけ。

つかむところがない整えられたコンクリートに真一の爪がこすれる。

運動靴の足を踏ん張って爪と指がすり切れて…

這い登ろうとしているのにやっぱり…ズルズルと紺の制服がすれて地面に落ちる。

そうする真一を彼はジッと無表情に見つめていた。

何分経ったか解らないが。

真一が一歩も上に上がれずに悔しそうにしていると…

「やめておけ。手は大切にしろ。医者の命だろ?」

彼がヒョイっと、一歩だけ軽々おりてきた。

でも…真一の目の前には舞い降りては来ない。

真一が一歩もあがれなかった斜面を彼は飄々と斜めに立っている。

長いコートの裾をなびかせて…。

黒い帽子のつばの下は、重たそうなスコープ。

表情などわかりはしなかった。

「その負けん気は…大切にしろ。葉月を頼んだぞ。」

『え!?』

初めて『男』として扱ってくれたようでビックリ硬直していると…

フッと黒い姿の彼は雑木林の中に姿を消してしまった。

「あ!待てよ!!」

叫んでもう一度…コンクリートをよじ登ろうとしたが…

(無駄か…)

身のこなしが軽い『黒猫』を初めて目にして諦めた。

暫くずっと雑木林を見上げていた…。

また…雨がポツポツ…真一の汚れた制服に音を立てて降り始めてきた。

『はぁ。派手な親父』

ガックリ脱力感が起きて…うなだれる。

でも…心の何処かで彼と久しぶりに言葉を交わせたこと…。

これから…を語ったこと。短い会話でもすごく満たされている自分に

徐々に頬がゆるんでしまった。

この手荒な扱いは真一がいかに『男』になっているかの品定め。

いちおう…『合格』を貰ったと言うことらしい…。

(は!騙されないぞ!!)

飄々としている父親にすべてを手に取られているのが悔しくて

思わずそんなことを心で叫んでいた。

自転車を起こして寮に帰ろうとすると…

背中を曲げたのと同時にリュックからバラバラと…ノートや教科書が落ちた。

『くっそー!人の荷物荒しやがって!ちゃんと閉めろよ!』

手荒い父親のやり方にまた腹が立って真一はリュックをおろして

濡れた地面に落ちたノートと教科書を慌てて集めて…しまおうとすると。

『あれ?』

リュックが妙に膨れていた。

覗くと…

『!!』

紺の上着が一枚…入っている!

それをビックリして広げると…そのたたまれた上着の中から

ゴトッ!と膝の上に白い箱が落ちてきた!

『これ…』

時計だ!すぐに解って真一はその包みをバリバリ開けた。

中から…銀色の時計…!

黒盤のロレックス…。今度は煙草を吹かしたの猫デジがついていた。

「まったく…おちょくっているなぁ…もう。」

やっぱり…笑っていた。

おそらく…紺の上着は羽織るとピッタリに違いなかった。

『あ!そうだ!』

真一はフッと大切なことを思い出してその時計を早速腕に付ける。

何故か何時も時計はピッタリなのだ。

リュックに荷物をまとめて慌てて自転車を起こす。

寮とは反対方向…つまり丘のマンションを目指した。

『親父に…葉月ちゃんのアリア聴かせてあげなくちゃ!』

それには真一が言葉にしなくても時計を見せて

この帰る間に父親にあったことをさり気なく葉月に教えなくてはならない。

『母が愛した妹のアリア』

あの男は今は母の代わりに葉月のアリアを愛しているに違いないから…。