12.観察

 

 「なんだぁ。雨かよ……」

朝起きるとエリックがそう呟いた。

「せっかくの桜が台無しじゃないか……」

「……エリックって、本当中身は日本人だねぇ」

桜を愛する親友に真一も感心。

昨日二人で花見に行って次の日は雨…。

二人は窓辺に見える雨を眺めて朝食を食べるために食堂へ向かった。

その日真一は、夕方丘のマンションへ向かう。

まだ、誰も帰ってきていない。

雨もまだやんでいなかったが、レインコートを着て自転車で遊びに来た。

誰もいない葉月の部屋は静かでサンテラスのガラス窓には

細い銀の糸のように滴が静かに流れている。

雨の音が心地よくて真一は買ってきた漫画を片手に

いつもの定位置、テレビ前のソファーを陣取って

大人しく若叔母とお兄さんの帰りを待つ。

17時を過ぎても、二人とも帰ってこなかった。

(残業かな?)

ため息をついて真一は愛用のリュックから教科書とノートを取りだして

致し方なく宿題をすることに決める。

隼人がいれば…いろいろ教えてくれるのに…。

そう思いながら教科書に向かったが…気が乗らない。

乗らないついでに…最近のちょっと悪い癖がうずいた。

(少しだけ…見るだけ)

葉月と隼人がいない間を狙って真一は葉月の『秘密の箱』を触ることが多くなった。

葉月がそれに気づいているかどうかは解らない。

『目的』は…『写真』だけ。

母の日記はあれ以来目にもしたくないし触りたくもないが…。

真一が気になるのは『母と父』が並んでいる写真だけだった。

初めて両親がそろっている写真。

それも…真っ白い豪華な正装姿。

若々しい母と父の堂々とした輝かしい姿。

それを眺めるとホッとする。

自分が存在する『ルーツ』がそこにある。

(欲しいけどなぁ…言えないよ。葉月ちゃんには)

『秘密』は共用しなくなったから

お互いが『知っているの?』『うん。もう知っちゃった』と言うまでは

葉月とはこの事を話す気はなかった。

葉月の方から突っ込んできても真一は反応に困る。

真一が突っ込んでも葉月も反応に困るだろう。

だから未だに『共用』は避けていた。

葉月にこれ以上イヤな思いはさせたくない。

だから『欲しい』とは未だに言えないのだ。

(ふぅぅ)

真一は一頃…母と父のお揃いの写真を眺めて

『またね』と二人に言って元通りにビロードを敷いて

ちゃんと時計を並べて…引き出しも閉まるように…

細心の注意を払ってジュエリーボードから離れた。

 

 

 やっと、その気になってテレビ前のソファーに腰をかける。

時間は18時を過ぎていた。その途端に…。

『ピーピーピー』

インターホンが鳴って『ドキリ』とした。

「ただいま。あれ?今日は雨なのに…よく来たね♪いらっしゃい!」

買い物袋を下げた隼人だった。

(あぶない・あぶない)

真一は冷や汗をかいて苦笑いをさり気なく隼人に向けた。

「葉月ちゃんは?」

「ああ。中隊長幹部会議。終わる頃迎えに行く約束で車で買い物してきた。」

「今日は隼人兄ちゃんが?」

「当然。彼女が前衛張って、中隊の代表でおじさん連中と一緒に会議しているんだ。

そのあと・『飯作れ』はいえないだろ?」

「隼人兄ちゃんだから…出来るんだねぇ」

「そうかもしれないけど…。和食は葉月じゃないと…ちょっと俺は苦手だな」

「ふーん。今夜は何?」

「キャベツのコンソメ煮込みスープ。鶏肉団子入り。」

「うまそ!!」

「手伝わなくても良いから…宿題やれよ!」

隼人にひっついてすぐ手伝おうとしたら、すかさず止められて

真一は渋々、ノートに向かった。

葉月の迎えを気にしてか、隼人は制服の上着だけ脱いで

葉月のエプロンをしてキッチンにこもる。

雨の音。包丁の音。漂ってきた野菜を炊く匂い。

この雰囲気が真一の心を落ち着けて宿題への集中力が高まる。

「ねぇ?隼人兄ちゃん。ここ教えて。」

「いいよ。」

調理が一段落して隼人も真一の家庭教師のようにして

ダイニングテーブルで向き合って親身に教えてくれる。

時々隼人が時計を見る。

葉月の会議が終わる時間を気にしているのが解った。

「葉月ちゃん。そろそろ?」

「ああ。そうだね。一緒に行く?」

真一は首を振る。

「じゃぁ。お留守番宜しく。その間に解けるかな?」

隼人は制服上着を羽織って、キーだけ持って出ていった。

(もう、基地中の噂だろうな)

一度帰宅したにもかかわらず、令嬢中佐を迎えに行くところが…

最近の隼人の『余裕』だった。

『澤村少佐が御園中佐の車で迎えに来た』

それは、『恋人同士』という『行動』以外何ものでもない。

側近以上の『親密度』は基地中の隊員が感じているだろう。

隼人にとって、それは『決心』をした後からは『好都合』なのだ。

冷たい令嬢中佐が『頼る男』はそうはいない。

車で迎えに来てもらうなんて今までの葉月にはない『頼り方』だった。

隼人の一つ上の男の格はそれだけで皆に知れ渡っているだろう。

『それがいい』と真一は思う。

葉月には嫌な男はこれ以上近づいて欲しくなかった。

その為にも隼人にはしっかり若叔母をガードしてもらわないと困る。

少しだけ、雨が強く降ってきた。

小笠原は、日本の南にあるせいか、

雨が降り出すと半端じゃない激しい降り方をしたりする。

台風なんか来ようものならちょっとのことでも警戒しなくてはならない。

隼人に教えられたとおりに数学の問題を解いていたが…

ちょっとだけ。二人の帰りが遅いように感じた。

真一は心配になって、飛沫がガラスをバシバシと叩くサンテラスに向かう。

『あ。来た来た♪』

丁度良く、赤い車が丘の坂をあがってくるところだった。

ジッと観察していると…助手席を降りようとした葉月が

出ようとして中に入ってしまった。

『?』

眺めていると隼人が運転席から傘を差して降りてきて…

助手席のドアを開けて自分の肩を濡らしてでも、

葉月が濡れないよう彼女に傘をかぶせている。

(かっこいいなぁ…ああゆう男じゃないとね♪)

大好きな叔母の恋人としては一級もので真一は見ていても満足。

そして…

隼人に肩を抱かれている葉月がテラスを見上げて真一に手を振っていた。

ちゃんと、自分の存在を気にしてくれる『若叔母』

二人が一つの傘の中、真一にニッコリ微笑んでいる。

ちょっと若いが…今の真一の『小さなママとパパ兄さん』

真一もお返しに大きく手を振った。

「ごめんなさい。濡れちゃったわね」

葉月も、玄関に入るなり彼の濡れた肩をちゃんと大きなタオルで拭いている。

「いいよ。隊長の肩章を濡らす側近は失格だろ?」

「そんなこと…。二人きりの時は…」

「側近の格は、普段からも落としたくないからね」

それは隼人の『あまのじゃく』

側近と言いながら落としたくないのは『男の格』

真一にはそれが解る。

二人がいるから…幸せだから…真一もまだ大丈夫。

暖かい気持ちでいられるのだ。

 

 

 『わぁ。いい匂い♪ 何作ってくれたの?』

 『まったく、お嬢さんはいつも食い気で、調子がいい。』

調子よく喜ぶ葉月に隼人はいつもの憎まれ口。

葉月がふてくされる。いつものパターン。

葉月がいないところでは隼人も……

『彼女が頑張っているから飯ぐらいは作らないと』と言うくせに……。

(あまのじゃくぅ…隼人兄ちゃんって)

真一もいつもの二人を眺めて苦笑い。

「早く着替えて来いよ。晩飯・仕上げておくから」

「うん♪お腹空いちゃった!会議中お腹の音が聞こえるかと思った♪」

「中佐の威厳が落ちるぞ?」

「失礼ね!生きていれば誰だってお腹ぐらい鳴るわよ!」

「ハイハイ…。デザートにバニラアイス買ってきたよ。」

「本当?嬉しい♪」

いつものやりとり。でも、最後に葉月が素直に微笑むと隼人もニッコリ嬉しそう…。

葉月の輝く笑顔を見て真一は…。

(きっと…。事件がなかったら…何時もこんな女性だったに違いない)

その葉月を引き出しつつある『隼人』にいつも真一は感心してしまう。

あの…『達也』ですら…

葉月とズケズケと言いあってはいたが、

葉月をこんな風に愛らしく笑わせることは少なかったように思える。

日常に本来あるべきだった葉月の笑顔。

真一はそれを最近特に感じていた。

「真一もテーブル片づけろよ。鍋ごと、そこにもってゆくから。」

「うん!俺もお腹空いた♪」

「そっくりなウサギ」

「へ?」

隼人は時々真一のことを『ウサギ』と言う。

その根拠は解らない。

問いただしても『さぁね』と、シラっとした目つきで、かわされてしまうのだ。

『いただきまーす♪』

三人でのいつもの食事。

葉月が美味しそうに食べているのを作った隼人も嬉しそうに眺めている。

(逆だろ?普通…)

女性が恋人に手料理を出して相手男性の反応を見守る『現象』は

葉月と隼人の場合は全く関係なく、二人の間では『平等な現象』であった。

葉月が作ったときは、味にうるさい隼人の反応を見守っている。

仕事もそう。

年上の隼人は、上官である葉月から一歩下がってサポート。

葉月は上官でも年上である隼人を『先輩』と見ている節がある。

『仕事』が中心で回っている二人の関係は

物の見事にバランスがとれていて、真一は…

(もしかしたら…擦った揉んだして兄ちゃんが離れてゆく…と心配したけど…)

『今回は違うって感じだぞ?』と思い始めていた。

葉月が…フランスから帰ってきて…隼人のメールを見て泣いた。

そんな葉月が素直に泣いた男だから…側にいて欲しかった。

遠野大佐が亡くなって…一年間、何をしても

落ち込んで無表情になりつつあった叔母をフランスで立ち上げた男。

だから。それを予感していたから『メール』を送りつけた。

真一がマメにマンションに遊びに来るようになったのも

二人の破局を恐れたからだ。

でも…

(これなら大丈夫そうだね♪)

「真一。おかわりは?たくさん食えよ。成長期なんだから。」

隼人がかいがいしく真一の世話をして、スープ皿にすぐにおかわりを盛ってくれる。

「隼人さんから聞いたわよ?制服小さくなったんですって?

注文しておきなさいよ。またこれから伸びるわよ?」

葉月は確信したように…ちょっと真顔で言った。

『ジュン兄様ぐらいに身長が伸びる』

そう言っているようだった。

弟の真より、ずっと背が高い『黒猫のジュン』

真一の父親。

だから…真一は、クォーターの母と長身の父譲りで

身長は絶対伸びると葉月は確信しているのだ。

今はそれも『隔世遺伝』とかいって『谷村のおじいちゃま譲り』でごまかす葉月。

(真父さんの子供と思っていたかったなぁ)

そう思って哀しい反面。

もう存在しないと思っていた『親』が実在した喜び。

その複雑さの狭間を秋には漂っていた。

『もずく』を食べたあの秋の晩…。

『どうして父さんは側にいてくれないの?』

葉月に抱きついて駄々をこねたのは…

『実の父親が側にいない』事に関しての『駄々コネ』

葉月も解っていながら…『天国で真兄様は見ている』と言う。

あれから『半年』…

今度の真一の心配は…

『何時・隼人がすべてを知ってしまうか』だった。

葉月に妙な義理兄がいて…その闇の男が『真一の実の父親』

それを知って彼は今のまま側にいてくれるだろうか?

葉月ならきっと…真一自身のためなら彼と別れるような気がした。

そんな『重荷』は嫌だ。

だから…絶対二人には別れて欲しくない。

隼人は『いい男』だが

真一は何処まで『いい男』かまだ油断していなかった。

葉月が受け入れる本当の男になるには

『普通』じゃダメなのだ。

それが出来る男かどうか??

今の真一の『隼人への着眼』は、半年経って新たに展開していた。

でも…今までにない『展開』だった。

期待は大。

(隼人兄ちゃんなら…シラっとして受け入れてくれそうだけどな)

でも…『どうだろう?』と真一はまだ不安に思うのだ。