10.彼の部屋

赤い車が、朝日を浴びて海沿いを走る。

助手席で腕を組みながら、目をつむっている隼人を

葉月は見守りながらステアリングを回した。

ところが……一頃走ると無言だった隼人が呟いた。

「葉月……俺の官舎に行ってくれないか?」

(なぜ?) と、聞きたかったのだが……

出かける前に何か大切な物でも取りに行くのだろうかと思い……

「解ったわ……。」

官舎の手前に来て葉月はハンドルを切った。

林がある一番奥の日本人官舎に行き、邪魔にならないところに車を停める。

(もうすぐ……奥様達が動く時間なんだけど……)

葉月は自分の車とすぐに解るだろうと躊躇ったが……。

隼人の用事はすぐに済むと思って何も言わずにエンジンを落とした。

「お前も来てくれる?」

(え!?)

意外な一言に葉月は驚いた。

「どうして? ここで待っているから……。」

「来てくれないか……」

妙に隼人の瞳が輝いた様に感じた。

どうも……今朝の隼人は強く見えるのか、葉月はその言葉に従う。

赤いトヨタ車に、ロックをかけて隼人の後を葉月はついてゆく……。

(そう言えば……一度訪ねて以来ね……)

葉月はそう思いながら、

朝日を遮る鉄筋官舎の玄関が並ぶ階段側へと隼人と足を向ける。

隼人は時々、丘のマンションまで来る際に

必要な物を取りに帰ったり、留守電のチェックのために

週に一度は、足を運んでいるようだったが……。

隼人について、彼が借りている二階の部屋に辿り着く。

手慣れた手つきで、玄関の鍵を開ける隼人。

「生活感無いからさ……。散らかったままなんだけど。」

少し照れくさそうに微笑んだ隼人が『入って』と、エスコートするので

葉月も、『別に散らかってても……』と微笑みながら中に入る。

『ガチャン……』

官舎の鉄の扉が閉まった。

彼の部屋にあがるのは、これが初めてだった。

薄暗い狭い玄関。葉月の家の四分の一だ。

隼人が革靴を脱ぐ。 葉月もローファーを脱いだ。

薄暗く細くて短い廊下。

そこを抜けるとダイニングキッチン。

その向こうからやっと……明るい部屋が見えてきた。

朝日がさんさん……と入り込んでいて葉月はやっとホッとする。

明るい部屋にはいると、まず一番入り口には白いベッド。

綺麗にベッドメイクされたまま。シーツにはシワは一つもなかった。

窓辺には、サイズが全く合わないあの……フランスの彼のアパートで

葉月も指に引っかけた想い出がある『ブラインド』が

なんだか……フランスの部屋を否定するかのように

寂しそうにぶら下がっているだけ。

テレビもなかった。 隣の部屋にはまだ解かれていない荷物まで。

『島に来て……こんな生活していたの?』

解ってはいたが、葉月は改めて驚いた。

彼にこんな寂しい気持ちをさせるために『島』に呼んでしまったのかと……。

そして……今度は、引き抜いたために『危険な任務』と言う重任を……。

葉月が、そっと唇を噛みしめてうつむいていると、

隼人が壁際にある机の椅子に上着を脱いでかけていた。

「葉月のマンションに入り浸らなければ……

もうちょっと整理していたけどなぁ。散らかっているだろ?

カーテンも……いずれ買うつもりだったんだ。」

隼人はそれでも、何故? こんな部屋に葉月を初めて呼んでくれたのだろう?

何か大切な荷物を取りに来たのかと思ったが

そうでもないようで、隼人は窓辺のブラインドの光を調節。

せっかく日差しが、気持ちよく入って来ているのに

彼は何を思ったのか、光を遮るようにブラインドの羽を閉じるのだ。

「……。カーテン……その内に一緒に選んであげる。」

葉月の小さな囁きに、隼人が窓辺からそっと振り向いた。

『カーテン選ぶから。必ず帰ってきて?』

葉月としてはそうゆうつもり……。

いつも一緒にいてくれる彼が本来いるべき場所が

このまま置かれていくのは少し寂しい気がしたのだ。

本当なら、この部屋はあのフランスで

肌を合わせたあのアパートのように、隼人のスタイルが整っているべきなのだ。

だから……葉月は、結構神妙な顔つきで告げていたのだ。

隼人も……もう半年以上、一緒にいるせいか

その葉月が伝えたいところの奥深い意味はもう解っているようだった。

だから……彼はいつになく嬉しそうに窓辺で微笑んでいた。

『葉月。有り難う……』

そう言いながら、白いカッターシャツ姿で葉月を抱きしめたのだ。

葉月が瞳を閉じても。朝日はうっすらとまぶたに感じる。

隼人の無精ヒゲが、制服の詰め襟のほんの少し上……

葉月の首筋と顎の線に、ザラリ……とこすってゆくが

何にも違和感がない。

抱きしめてくれる彼……。葉月もそっと隼人の背中を包んだ。

当然……この様な触れ合いになれば

いつもの挨拶のように『口付ける』のだが……。

本当なら先にある不安を払いのけたいが為に

お互いに気が高ぶるはずなのに。

隼人はサラッと葉月の唇を少しだけ吸って離してしまった。

だけれども……少し脂を吸って重くなり、洗っていない葉月の髪を

指に通しながら……ジッと葉月を彼は見下ろしているのだ。

「俺……。一度は来てもらおうと思ってはいたんだ。

近い内にね……。でも、こんな部屋葉月には合わないし……」

隼人が、葉月の栗毛を触りながら、やるせなさそうにうつむく。

「どうして? 私は気にしないのに……。

隼人さんがここに一緒に住んでくれって言えばそうする。」

彼の瞳を真っ直ぐに見上げると、隼人もそっと微笑んでくれた。

「解っているよ……。この半年、お前と一緒に暮らしてね。

財力は持って生まれただけ。本当は関係ない葉月だって事。

それで……。ここに来て欲しかった『訳』なんだけど……。」

神妙な隼人の顔を覗き込むように、葉月は『訳?』と首を傾げた。

やはり……隼人は、何かを取りに来たわけではなさそうだった。

葉月もやっと気が付いた。

彼がここに来たのは……『葉月の為』と……。

彼の真剣な瞳に、葉月は少し怯えた。

その先の……隼人が『願う事』が見えてきたからだ。うっすらでも……。

案の定。

隼人が、言いにくそうに口を開く。

「別に……。葉月のマンションに居着くようになったこと……。

俺は男として『だらしない』とは……今は。思っていない。

最初は、男として抵抗あったけどね?

でも、逆に考えると、この部屋は葉月には合わないし。

葉月ほどのお嬢様を、こんな部屋にしか住ませてあげられないのも

男として情けないし……。」

隼人の『願い』がまだハッキリ見えてこないので

葉月はそんな言葉だけを並べてなかなか、

核心を白状しない隼人にじれったさを感じたが……。

そっと、丹念に耳を傾けて、彼の言葉に小さく頷く。

「だから……。関係ないのに。財力は父の物で……

ゆくゆくはシンちゃんの物になるのだから。

私は……。」

『いつかは嫁に出てゆく』

その言葉は、今までの葉月の感覚には無かった物だったので

『御園の家を出てお嫁に行く身』

そんな言葉が出そうになったので驚いて葉月は言葉を止めてしまった。

そんな葉月の言葉の先は

いつも側にいる隼人には解ったようで

彼も、一瞬驚いたようにして表情を固めていた。

葉月は益々、ビックリして……思わずうつむいてしまった。

自分の顔が、火照るように赤くなっているのが解った。

『あはは……』

隼人が、そう笑って葉月を再び抱きしめる。

「葉月。嬉しいよ……。そんな風に感じてくれるようになってくれて。

勿論、その気持ちだけで充分さ。」

そっといたわるように包み込んでくれる彼。

彼の温もりが、葉月も急に愛おしくなって彼の背中に抱きついて

彼のシャツの胸に頬を埋めた。

「だから……この前も言ったでしょ?側にいてって?」

『うん。そうだね。』

隼人がこの上なく『ニッコリ』微笑んで、

今度こそ……ゆっくりと熱い口づけが葉月の唇を包み込んだ。

朝日の中、隼人の仕草に葉月はうっとりとしながら

急な出来事での気疲れも忘れていくほどだった。

その先の行動は、言わずとも葉月も解っている。

彼の大きな手が、制服の詰め襟ホックをはずす。

葉月の口元をずっと愛し続けながら、彼の手が器用に金ボタンをはずす。

葉月も抵抗しない。

彼の手がそっと……カッターシャツの第1ボタンにさしかかって……。

もっと、手荒く肌を探られると思ったのに。

隼人は、また、葉月の口元から離れて、手元も止めてしまった。

葉月が首を傾げて彼を見上げると。

何を考えているのか、隼人は葉月を見つめようとせずに

何か躊躇っている視線を、ベッドのシーツに漂わせているのだ。

「どうしたの? 疲れてるんじゃないの?」

気持ちは葉月を求めても、身体は言うことをきかないのかと

葉月は思って、気を遣ったのだが……。

「俺……。葉月を手に入れて……毎日が充実していた。

これからも、ずっとそのつもり。

だから……気に病むなよ。俺が任務に出ること。それから……」

隼人がまた、躊躇っている。

(もう? なに?? 全部言ってよ!)

葉月はせっかく……いつもの二人のムードに戻れたと

ホッとしたのに隼人の思うところが前面に出ないことに膨れ面になった。

そんな葉月を見て、隼人がため息をつく。

「気を悪くしないでくれよ?」

「何を? 気を悪くするの??」

「だから……俺が今日、お前をここに連れてきた訳なんだけど。」

(もう……そんなのどうだって良いわよ)

とにかく、葉月は隼人に抵抗する気はなかった。

葉月も、一応女性として、彼が……恋人が

最初はなかなか入れてくれなかった『自宅』に

連れてきてくれたことだけで満足だからだ。

しかし……

葉月はまだ知らない。 隼人の思うところを……。

その『思うところ』をやっと隼人が呟き始めた。

「やっぱり。男としての『プライド』って奴……まだ残っているって言うのか。

葉月は笑うかも知れないけど……。

俺達は、一緒に暮らせればそれで良い。今の俺もそう思っている。

だけど……一つだけ。葉月を手に入れていない。」

その言葉に、葉月は『ドキリ』として隼人を見上げた。

今度こそ、隼人は葉月のガラス玉の瞳をジッと捕らえているのだ。

「言い過ぎた表現を使うと……。俺は今は葉月に遠慮している。」

「遠慮? そうなの?」

実は……葉月はそう言いながらここで『とぼけた』

知っているのだ。隼人が『遠慮』していること。

それは『暮らしぶり』の事ではない。

葉月が一番ナーバスになる『身体』の事だと知っているからだ。

とぼけた葉月に構わず、隼人は続けた。

「丘のマンションは。葉月の『テリトリー』だ。俺はそれに従っている。

それを承知で、あのマンションで暮らすことを決めた。

だから……俺の『心構え』にお前が気に病むことはない。

だけど……今日は『別』

この部屋は『俺のテリトリー』だから……それに従ってもらおうかと……。」

隼人の思いきった『申し込み』に葉月は身体が硬直した。

解っている……。

そろそろ葉月の中でも、『自分と戦う』と言うこと……。

恐れていた自分と向き合うこと。

それを……何時……彼のためにすればいいか解らなかった。

彼がそっとしてくれているから『その内』で済ませていた。

そして……彼がいよいよ切り出してきた。

「葉月。解っているよ。『怖い』って事はね……。」

隼人は今度は微笑んではくれなかった。

『葉月』に挑む瞳。

彼は今……開けられない『鍵』を手にしている。

『さぁ。錠に差し込むよ。こっちを向いて』

彼の瞳がそう言っていた。

途端に。葉月は隼人の瞳をまっすぐに見つめられなくなる。

今度は、葉月が視線を逸らした。

「言葉にはしない。まだ……俺も葉月にも『ヴィジョン』はないから。

でも……」

その『ヴィジョン』は『結婚』の事を言っていることは葉月にも解った。

先ほど、葉月が思わず口にしそうになったこと。

『嫁になる』

隼人も、『嫁にもらう』それは口には出来ないのだ。

「でも……。俺の部屋で『テリトリー』で……。

俺の女になってくれないか?」

隼人が言いたいことは……こう……。

『俺の部屋で、制約なしの嫁さんになってくれ。』

心も身体も、『預けてくれ』って事なのだ。

「どうして!!」

視線を逸らしていた葉月は、急にカッとなったように

隼人を見上げて、大声を上げていたのだ。

しかし……隼人は動じなかったようだ。

「どうしてよ!! 身体のどこがそんなに大事なのよ!!

そんなことなくったて! 私は満足しているし、あなたを愛している!!」

『どうして! 男の人は皆そうなのよ!!』

隼人のカッターシャツの襟を葉月は責めるように掴みあげて

彼の身体を、細腕で揺らしていた。

自分でも解っている。

彼の為に、彼の言うことを聞きたい。 望みを受け入れたい。

気持ちはそうなのに……

潜在意識が許さない!

今まで。隼人は葉月のこの潜在意識に絶対に触れようとしなかった。

だから……。 やっていけた。

今だって……自分自身で戦わなくてはいけないことは頭で解っている!

でも……どうして!?

(何故!? 私……彼を責めているの!?)

『解っている自分』は心で叫んで、

『解らない自分』が勝手に彼に手を出している……。

葉月は混乱したまま……。自分自身を持て余していた。

そんな自分の身体を揺する葉月を

隼人は揺すられるまま、悲しそうに見つめて瞳を伏せている。

だが……

『どうして!』を、繰り返す葉月の揺らす手首を

隼人が『ガシッ!』と力強く掴み、葉月の動きは止められる。

「解るんだよ。」

「何が!?」

一瞬隼人が、口を開きかけて、葉月は緊張し……

しかし、彼は何かを躊躇って口を閉ざしてしまった。

「だから! 何が解っているのよ!!」

手首を捕まれたまま、もう一度彼の襟首を揺すった。

彼の手から力が抜けて、葉月の手首は自由になった。

しかし……その自由にされたと共に、隼人は

葉月の瞳を真っ直ぐに見つめながら呟いた。

「葉月は、知っている……。俺じゃない男に教えてもらっている。

解るさ。それぐらい。解るほど……毎日一緒にいるんだから。

一緒に暮らし始めたから、解った……。

お前は……知っている。 本当の歓びを。

なのに、俺には『解放』してくれない……。俺は……やっぱり。

ロベルトや、海野中佐のようにその内に

お前の相手じゃなくなるのか? お前は俺から逃げてゆくのかよ??」

その葉月に挑む瞳で、隼人は低い声でそれも強く訴えてきた。

その強い瞳の奥に、哀しみを携えていることも葉月には解った。

葉月は……隼人の『解っている』の『意味』に驚愕……。

いや。 彼が最近『気が付いた』事を知っていたのに

彼が問い詰めないで、タダ葉月を側に置いて『安定』を保っていたから……。

言葉とは、不思議な物で

『意志疎通』の様な曖昧さは一片もない。

言葉は『ハッキリ』と、葉月の心を逃さず貫いたのだ。

葉月の額に、汗が滲んだ。

隼人の襟首を押さえる腕からも力が抜けて『呆然』とした。

(私が……『知っている』って解っていたの!?)

さすがに……隼人がそこまで『感じ抜いている』とは予想しなかった。

処女じゃなくとも『身体は未熟』

そう隼人が思っている……葉月のことをそう……位置づけていると

葉月は『思いこんでいた』

だから……余計に、隼人の今言った『告白』は

葉月にとっては『驚愕』だったのだ。

そう……葉月は知っている。

隼人が求めているところの、葉月の歓びは……

あの純一が最初に葉月に教えてくれた。

だから、最初に教え込んだ義理兄に身体は執着している。

だって……

彼は、小さい頃から知っている信頼している男の一人。

『家族』で『義理』で血の繋がりがないから

上手い具合に、葉月は『受け入れてしまった』のだ。

『葉月。 男も悪くないぞ?』

あれは、13歳の冬……。

両親がいない夜。 純一が葉月のフロリダの部屋に忍び込んだ夜。

訓練校に入学して数カ月経った頃。

学校では、女と言うだけでからかう男子生徒とは毎日『喧嘩』

両親の前では『煙草』

授業をサボって裏庭で『煙草とヴァイオリン』

軍人になりたいわけじゃなかった。

男を踏みにじりたいから、『男狩り』が出来る訓練校に入校した。

『男より強くなりたい』

その願い一つで、入校した。

父や、姉のように誇りある軍人になることなど眼中になかった。

ただ、憂さ晴らしがしたくて入校しただけ。

葉月が選んだ道の意味が分かった『大人達』の驚きはものすごい物だった。

『あなたがいけないのよ! だから私は娘らしくさせようとしたのに!』

『葉月には、自分の身を守る女になって欲しい。だからあいつの思うままに!』

仲が良かった、父と母の喧嘩は毎日絶えなかった。

『皐月は武芸達者だったけど! その結果がこれ!?

女は女なのよ! 葉月は皐月のようにはさせない!!』

狂乱する優しい母。

意志が強い賢い母が崩れてゆく姿にも

幼い葉月は絶望していた。

荒れた日々。 純一が急に現れて……。

『姉貴に頼まれている』の一言で、葉月を無理に抱いた夜。

でも……葉月が初めて男を知って、初めて自分が女だと知った夜。

その『処女喪失』の痛みと共に得た、

女の身体の『歓び』を得たのも、これが一番最初。

知ってしまった『歓び』

『男もそんなに悪くはない。 お兄ちゃまみたいな人だったら……。』

それから煙草は『影』で『喧嘩』は正統に……。

葉月の中で何かが変わった夜だったのだ。

 

葉月は、随分昔の幼い少女だった頃の体験を

久しぶりに思い出して、余計に額に汗を滲ませていた。

 

隼人が知っている。

そして……葉月の心に住む男を的確に言葉で指摘したのだ。

『葉月は他の男に教えてもらっている』と……。

「葉月?」

額の汗を知って、隼人の大きな手が葉月の額の栗毛をかき上げた。

葉月は、やはり……視線を逸らして彼の手から逃れた。

すると、葉月のその動揺も『予想済み』かのように

隼人は、慌てることなくむしろ……呆れたようなため息をこぼしたのだ。

「やっぱりね。ま、予想はしていたし覚悟もしていた。

もし……葉月が『解放されていない身体』だったのなら……

俺は、今日、ここでこんなに『焦りもしない』

それよりかは、必ず『帰還』してから葉月の心が開くまで『じっくり』

そう言うつもりだったんだ。

でも……どうも違うと、最近解ったからね……。

その男には許せて、俺に許せないってお前が、俺は許せない。

だから、敢えて、手強い葉月に向かっているつもりだけど?」

いつも穏やかな彼が、時折見せる理論を曲げない……冷ややかで……

落ち着いたあの瞳をまるで何かを諭すように厳しい親のようにして

葉月を見下ろしていた。

葉月は、この様な瞳に一番弱い。

この瞳は、隼人に限らず……

父が……そして……細川が……そして……

純一が、右京が……亡くなってしまった真が……ロイが……。

小さい葉月をここまで引っ張ってきた大人の男達が

葉月に何か教え込むために見せてきた瞳と同じと

葉月の『感触』が駆けめぐる。

だから、余計に身体は硬直した。

今まで『葉月のすべて』に合わせてきてくれた隼人が持つ、

初めて口にした『許せない不満』

彼はこの自分のテリトリーで『葉月』を支配しようとしているのだ。

そんな、葉月を見て隼人はまた、ため息。

そして……

「でも。無理強いは俺にも意味はないから。

葉月からも挑んでくれないとね……。」

隼人はそう言うと、向き合っている葉月の肩を掴んで

回れ右……をさせて玄関の方に葉月の身体を反転させた。

「選ぶのは。葉月自身だ。 嫌ならここから出ていってくれ」

葉月の背中を『ポン……』と、隼人が押した。

力が抜けている葉月は、半歩よろめきそこから動けなくなった。

葉月の背中で、葉月を見守っている男もジッと動きを止めている。

外から……戦闘機が飛ぶ音が聞こえ始める。

官舎のドアを開けて、外に出てゆく子供の声。

見送る母親の声。

朝の動きが、暫く二人の間に漂う沈黙の間を通り過ぎてゆく。

葉月の心は決まっている。

『隼人の気持ちに応えたい。』

しかし、身体が強ばっている。

『お兄ちゃまのように……この男が私を自由にするの?』

男は怖い。 急に獣の様に変貌するから。

ありとあらゆる、性欲を女性に重ねて楽しむ男は大嫌いだ。

純一のような『魔法』を、隼人が持っているとは思えなかった。

そんなことは、半年暮らして葉月は知っている。

隼人は、義理兄ほど精通していないと。

まるで信頼してきた男が、急に敵のように感じてくる。

葉月の『恐怖心』はそうゆう物なのだ……。

しかし……ここで逃げると、隼人が言うように……

『何時かは俺からも逃げてゆくのか??』

そうゆうことになり……それが隼人との付き合いの答えになる。

こんな時にこんな選択を迫られて、葉月は益々混乱してしまった。

だから、余計に身体が動かせない。 言うことを聞かなかった。

その内に……隼人が動いた。

彼は葉月の肩をすかすようにして、葉月から離れて

白いシーツのベッド、葉月の目の前に腰を下ろして

今度は正面から、葉月が答えを出すのを待っている。

いや……眺めているのだ。

冷たく観察する、鋭い隼人の挑む瞳の闘志はまだゆるんでいない。

葉月の額にまた……汗が滲む。

「葉月は……男が怖い。 男は勝手。 性欲の怪物。

そう思っているんだろ?? そうかもね。 俺もそうかもよ。

そう感じて今俺に、初めて恐れを抱いている。それも解る。」

冷静に言葉を連ねる隼人を、葉月は警戒するように眺めた。

「じゃぁ。逆にどうなんだよ。 女が男に支配されるのがいけないことなら。

お前は何故? 俺でもない、ロベルトでもない。海野中佐でもない……。

誰も知らないその男に教えてもらった『快楽』を忘れられずに

その男に執着しているんだよ??

それは……お前も『支配』されることは嫌いじゃないって事じゃないのか?」

益々、厳しい追及をする隼人に、葉月は目がくらみそうになった。

こんな追及をして、こんな要求をする男は初めてだった。

今日は、乱暴に心の錠に鍵を差し込まれた気分だった。

(もう。。。だめ。)

これ以上は……今は応えられない。

葉月にその応対力は今はない……。

隼人がいよいよ……離れてゆく覚悟をした。

その通り……。隼人もついに呆れたようだった。

「もういい。 丘のマンションにもどりな。 俺はここで休んでから出勤する。」

隼人はため息をつくと

今までにない冷ややかな視線を葉月に投げかけて……

疲れたようにベッドに横になってしまった。

少し惚けたような彼の瞳が朝日が揺らぐ天井を泳ぐと

時折見せる寂しい背中を葉月に向けて腕枕で眠ろうとしていた。

葉月も、唇を噛みしめてうつむいた。

その時だった……。

(それで良いのか? お前は俺に何を後悔した?)

そんな声が……ふと聞こえたような気がして葉月は

朝日が遮られたブラインドに振り返った。

(大佐??)

吸い寄せられるようにその窓辺に寄ってみた。

ブラインドの羽から朝日が狭そうに潜り込んでいる。

(そう……こんな朝だった。 あの人を見送ったのは……)

『おまえは、月みたいな女だな。

手に届きそうなところにいるのに、本当は遠くにあって輝いて見えるだけ。

蒼く輝く月。名前通りだな』

愛した上司を逝かせてしまった、あの朝に似ていた。

彼の最期の言葉。

少し悲しそうに微笑んだ、あの人の顔。

フランスまで泣きながら出かけて、後ろにいる男に救われて。

葉月は、彼に救われてばかり……。

葉月は、ブラインドの羽をガシャ! と握りつぶした。

その音に、隼人が振り返ったのが、気配で解った。

『葉月?』

彼のそんな声がしたのだが……。

葉月は、自分の手で乱暴にカッターシャツのボタンをはずしていた。

「!?……葉月……。」

葉月の乱暴な脱ぎ方を隼人が驚いて、彼も起きあがった。

しかし、葉月が最後に残ったスリップドレスを

床に叩き付ける。隼人が驚いたまま硬直してみている。

ブラインドの前に、朝日を背に白い肌を露わにした女が立ちつくす。

「私と真剣勝負。 そうでしょ?」

葉月がそう言うと、隼人がやっと窓辺に立ちつくす葉月の前にやってきた。

隼人は日に透ける葉月の栗毛をそっと指に通して微笑んだ。が……

隼人を捕らえた葉月の輝く瞳に射抜かれて

隼人はどうしたことか余裕一杯『ニヤリ』と微笑んだのだ。

「勿論。 そんな瞳になるだろうと……思った通り。

俺に食らいつくほどの戦う瞳を期待していたからな。」

隼人の瞳も急に燃えているのが葉月には解った。

今から起こることは『甘い』事でない。

異性を敵と見なした二人の『真剣勝負』

勝ち負けはない。

勝ち得る物は二人一緒だからだ。

葉月の白い裸体は、隼人の腕の中強く押し込まれた。

真剣勝負の合図は……朝の中での激しい口づけだった。