9.鎌倉の窓辺

星が瞬く肌寒い鎌倉の…3月の夜…。

鯉が泳ぐ池庭…父親自慢の茶室。

庭の竹。笹の葉がさざめく日本邸。

二階の部屋は洋室。

一つの窓は開けられていているが部屋に灯りは灯っていない。

白いカーテンが春先の冷たい風にそよいでいる…。

その窓辺で、栗毛の端整な顔立ちの男は夜空にボウを向けて

そっと…一人お気に入りの曲をヴァイオリンで演奏していた。

『右京?起きているのか?』

部屋のドアの向こうから父親の声…。

「ああ。葉月と少し話した後だ。悪いな起こして…。」

ドアを開けずに父親に呟いた。

『良い音色だが…早く寝なさい…。

明日…葉月のために澤村社長をエスコートするのだろう?』

「ああ。心配するなよ。初めて会う訳じゃないし。

オヤジの校長室で何度か会っているから…

あした。俺の車で横浜の会社まで迎えに行く。」

『そうか?頼んだぞ。』

父の京介はそれほど諫めずに一階に下りていったようだった。

右京はため息をついて、もう一度ヴァイオリンを構えた。

先ほどまでは、『カノン』を演奏していた。

華やかなこの曲が右京のお気に入り。

でも…カノンは多重奏…。一人で弾くと味気ない。

従妹の葉月が帰ってくると、相手をいつもせがむ。

栗毛の従妹は、右京の実の妹より右京に似ていた。

実の妹二人は右京とも歳が近く…でも…彼女達は『ピアノ派』だし

年相応に結婚をして『鎌倉御園家』を出ていって今は母親だ。

右京のお供は、小さい頃から可愛がっていた葉月なのだ。

『カノン』は寂しいので…今度はふとその気になって…

もう一人の従妹…今は亡き『皐月』が好きだった曲を弾いてみた。

(どうも…気分が乗らないな)

右京は最後まで演奏せずにボウを降ろし…

肩からヴァイオリンもはずして、

窓辺側のソファーに座って暗がりの中…

いつもの如くウィスキーでも煽ろうかと思う。

すると…白い透けているカーテンが急に

そよ風とは違う揺れをしたような気がして窓辺を振り返った。

「よう。いい感じだったのに止めるなよ。」

カーテンの向こう…窓辺に細長い黒い男が

身体を折り畳むようにして…窓枠に足をかけて現れた。

「…。なんだ。お前が来たのか。

先月会ったばかりじゃねぇか…また日本に来たのかよ?」

右京は『武道派』ではないが、『勘』はやはり良いようなのだ。

そんな気がして…だからこんな夜遅くまで起きて…

その気になってヴァイオリンを構えてみたのだが

『勘』は的中したらしい。だから驚かなかった。

でも…予想外は…礼儀正しい金髪の男でなく

ふてぶてしい黒髪の『親友』自ら現れたことだった。

でも…その事もふと予感していた。

何せ彼は先月真一のことで会ったばかり。

『バカンスに行く』と言っていたからその道で来たのだろうと…。

だが…違ったようだった。

「バカンスに行く予定がずれた。散々だ。

先ずはフランスで…情報を集めて…そして

また日本に戻って情報収集をしていたところさ。

今さっきまで京介オジキが起きていたようだから…

外でお前の演奏堪能していたけどな。

今…オジキも寝付いたようだからな。」

黒い男は、泥が付いた長いコートをなびかせて

ストン…と軽く窓辺から音もなく舞い降りてきた。

紺のアランセーターに白いスラックスをはいている

優雅な栗毛の男の前に立ちはだかった。

右京も背が高いがこの男はもう少しばかり高いのだ。

正反対の雰囲気を持つ男が向き合った。

「ご苦労だな。世界中飛び回って…。」

「いつものことだ。」

黒い男…純一は慣れたようにして右京の部屋にて

黒い帽子を取り、窓辺側のソファーに遠慮なく足を組んで座り込んだ。

「丁度、葉月とお前のこと話した後だ。」

右京はソファーに座らずに、サイドボードに用意していた

氷とグラスそしてウィスキーボトル…ミネラルウォーターを手にして

テーブルに持ってくる。

純一は、右京が置いたヴァイオリンを黒革手袋で触っていた。

「ああ。聞いた。」

右京は親友の短い一言に一瞬驚いて…すぐに呆れたため息をこぼす。

「悪趣味なダチだな!盗聴かよ??」

「おしゃべりなダチだな…。オチビに俺の怪我を言ったな。」

たしなめたつもりが、『ニヤリ…』と切り替えされ…

右京はグッと…紅くなった。

「まぁ。いいさ…。」

純一も呆れたため息をこぼして、そっと微笑んだので…。

右京もホッとして、ウィスキーをテーブルに準備する。

「聞いていたなら。説明はもういらないな。」

「ああ。オチビの心はまだ決まっていないようだが。」

『そうだな』と、右京は呟いて純一の向かい側に座り込む。

「オヤジやフロリダの亮介伯父さんが望んでいるとおり…。

俺も指揮側で大人しくしてくれることを望んでいる。

でもなぁ。葉月はいつも突拍子もなく動くだろ?」

右京は『その気まぐれが一番恐ろしい』と言いながら

グラスに氷を入れ…ウィスキーを注ぎ始める。

「さぁな。逆に言えば…亮介オジキがいるからこそ…

オチビは、勝手に動くかも知れないぞ?」

純一は足を組んでいかにも確信しているように

ソファーの背もたれにふんぞり返る。

そのふてぶてしさと、余裕の笑顔に右京はふてくされる。

「だから…お前がサポートするために情報収集しているんだろ??」

「まさか。」

思わぬ返事に右京は水割りを作る手元を止めた。

だが…一つため息。

「なんだよ。電話で泣いた葉月の心を知ってワザとひねくれやがって…。

本当は『心配』なんだろう?相変わらずだな。」

右京は葉月の心も知っているが

この『親友』のひねくれた愛情も知っていた。

こうしてあからさまに彼に突きつけると…

彼はすぐにひねくれた返事を返してくるのだ…いつも。

ところが…その彼が、いつになく大きなため息をついた。

「どうした?」

「…………。」

暫く右京の問いに純一は黙り込んで窓辺の星を見上げていた。

そんな彼が言いたくないことなら『まぁ。いいか』と思い、

右京は純一の前に水割りのグラスを差し出した。

それでも…彼はそのグラスに手を伸ばさない。

「まったく。妙なことになってな。」

「妙?」

ソファーの背もたれに大きくふんぞり返っていた純一は

急に前屈みになって、膝の上で両手を組む。

そうしてもまだ…窓辺の景色をジッと見つめていた。

「じつはなぁ…。軍隊が動かなければ…俺の仕事だったんだがなぁ…。」

「!?なんだよ!フランス管制基地を占領している『犯人』

お前、調べ付けたのかよ!?」

『さすがだなぁ!』と、右京は感心…自分の水割り作りに専念。

ところが…

「調べというか…解りすぎている『男』だった。

軍隊に手を出すなんてところがアイツの思い上がったところだな。」

「!!…『アイツ』って??…まさか…!」

驚き…手元を止めた右京を、純一が鋭い眼差しで見据えた…。

「そうだ。『元・身内』だ。去年の北朝鮮潜入の任務中。

俺を裏切って、俺を殺そうとした『元・部員』だ…。」

右京は益々…驚いて…とうとう水割りのグラスから手を離した。

「そいつ…ボスのお前とどれだけ親しかったんだよ?

お前の素性をジュールとエドのように知っていたりするのか?

もしそうだとしたら…大事だろ!!

お前の素性を知っているって事は…

葉月と真一との繋がりも知っていて…狙われるって事だぞ!?」

右京は、半ば本気で怒鳴り声を上げようとしたが

何とか押さえ込んで、純一に言葉だけ激しく突きつけた。

純一もまた…大きなため息…。

「それは…『ファミリー』であるジュールとエド以外には知られないようにしている。

俺の顔は末端の部下は知らないはずだ。俺が日本人だって事もな。

ほとんどはジュールとエドが、幹部を動かしている。

その…『幹部』は功績がでかい奴は俺と接することもあるからな。

その…『犯人』は。俺の顔を知っている奴で…だから…

去年、殺されかけた。金で北朝鮮側に寝返ったんだよ。

今回もそうだ。どこかの国に雇われたに違いない。

金に目がくらんだのさ…。」

「なんで!そんな奴がお前の組織にいるんだよ?

誇り高い私設諜報部のくせして…そんな奴が?

お前の顔を見る地位にいたなんて。お前の人選ミスじゃないか?」

右京が感じるままに興奮すると、

その感情を沈めさせるが如く、純一が鋭く瞳を輝かせた。

純一の凄みは…本物だったので右京は一瞬ゾッとする…。

しかし純一はすぐにその瞳を和らげた。

「どんな奴だって…欲に目がくらむこともあるさ。

皐月と葉月を襲った『エリート学生』の様にな…。

誇り高いプライド程、もろい物で…

どんな人間だって保ち続けるのは容易じゃない。

『奴』は、それを飼い慣らすのに疲れたのさ。

そして…それに気が付かなかった俺も馬鹿だな。

だから…去年しくじった。お陰で死ぬところだった。」

最もな『彼の理念』に、右京の興奮した感情が一気に冷めてしまった。

「それで?軍隊が動く事になって…

闇の私設諜報部員は手が出せなくなったって事かよ?」

「まったく。情報通のジュールが事の動きに気づいたのは先週だ。

『国際連邦軍が動くことになると、

葉月様が出動するかも知れない。調べますか?』とね

ミャンマーの件で、ジュールもだいぶ警戒心が強くなってな。

葉月が何かやりはしないかと気にしているのは

俺じゃなく…ジュールだな。」

純一は、弟分であるジュールが持つ気持ちに

何か思うところがあるのか、深くため息をついて

やっと…右京が作った水割りを一口、口に付けた。

右京もため息…。

「まぁ。お前もジュールがいるから…ひねくれていても安心なんだろ?

ジュールがいなければお前はもっと、葉月に敏感なはずなんだけどなぁ」

今度は、右京がグラスを揺らしながら純一に『ニヤリ…』と微笑む。

彼は『ふん…』とか言って、そっぽを向いたので

右京はそっと笑いをこらえた。

「そんなことはどうでも良いだろう?

とにかく…オチビに振り回されるのはゴメンだ。

登貴子おばさんにはあれ以上気苦労はかけさせたくないしな。

おばさんが…精神的に病みかけたのは…俺に責任があるしな。」

純一はグラスを煽りながらまた…窓辺の星を見上げる。

あの事件の夜…皐月との約束を破った『後悔をしている男』がそこに…。

そして…

「それを言うなら…俺もそうだ…。

女だけ残して…皐月の売り言葉に買い言葉…。

いつもの喧嘩をして…小さい葉月を置き去りにしたんだからな。」

右京は、いつもの余裕もどこへやら…。

唇を噛みしめるようにして、グラスを握りしめうつむいた。

「お前は…何も悪くないさ。俺さえ…」

そこで、純一も言葉を止める。

お互いがあの事件の晩に『選んだ行動』

しかし、いくら悔やんでも消えることない『過去』

この様な話はいくら言葉にしても、終わることないのだ。

だから…二人は一緒に黙り込んだ。

その内に、どう言っても『堂々巡り』と見切りを付けたのか

純一から、グラス片手に右京の方に身を乗り出した。

「とにかく…。オチビが前にゆく行かないはともかく。

ミャンマーのように勝手に動かれたらたまらん…。

オチビも身に染みて解っているはずだ。

『ひとり行動』は周りに迷惑をかけ…

自分ひとり傷つくことだけでは事は済まない。

だが…アイツのことだ『万が一』があるからな。

仕様がないが、ジュールの言うまま調べさせた。」

「それで?調べたら…お前の『カタキ』だったって事か…。」

「ああ。さして驚かなかったがな。いつか鉢会うと思っていた。

そんときに…倍返ししてやろうと思っていたが、

意外と表に出てくるのが早かったな。

よっぽど…羽振りが良くて図に乗っているんだろうな。

エドとジュールに基地内に潜入させて内情を調べさせたが…

奴ら二人も血相変えて俺のところに戻ってきた。

二人とも『即・暗殺』を願い出たが…既にロイが軍隊を

動かそうとしていたようだから止めた。

『闇依頼』なら、こっちのモンだが…

表世界の軍隊が動くとなっちゃ、俺達には手が出せん。

そこも…裏切ったアイツの『狙い』かもしれない。

まだ、どこに雇われたかも…奴の狙いも解らない。

ジュールの予想では、リビア側から雇われているとは思えないと。

フランスの管制基地を占領して、空はリビア側が有利になったとしても

所詮、管制小基地があるのは陸続きの『フランス国領』

そんな対岸国のちっぽけな岬をリビアが占領したとて、

いずれは、フランスに取り返される…。維持が大変だろう?

だったら…何が狙いかというと…ジュールの読みは…

『戦争勃発』ってことらしいなぁ」

「頭がいいジュールの予想らしいが…そんなの大袈裟じゃないか?」

「って…ことこもないぞ?戦争が始まると儲かる奴らがいることだし…。」

純一は、第1部下の考えに同意らしい。

右京も…何となく見えてくる。

「闇武器商とか…?」

「だなぁ…。そこら辺に『奴』は吹っかけられて、

先ずは…フランスとリビアを向き合わせる。

フランス航空基地と関われば…『連合軍』もひっついてくる。

ドンパチが始まれば、戦闘機も大量に動くし、特殊部隊もでる。

空域の緊張感高い、航空基地に狙いを定めたって事だ。

ジュールとエドの『偵察』では、管制基地の隊員

すべてが『人質』だそうだ。総管制室に固められているそうだ。

システム情報も、引き出して、連合軍のデーターも盗めば

闇市でいい商売になるってことだしな…。

『人質』を取り囲んで、連合軍の動きを止める。

その間にリビアとフランスの仲違いが深まる。

ドンパチが始まったところで『トンズラ』

商売商品は手に入り、闇武器商から報酬がもらえるって寸法だな。

人質は、ドンパチが始まるまでのフランス側への牽制って事だ。」

『なるほど?』と…右京は内心そんな世界を

ごく当たり前に語る『親友』に違和感を感じながら

ウィスキーをなめた。

「じゃぁ。人質の命も、大事にはされないな。

一人、二人は簡単に見せ締められるかもな。

要は戦争が勃発するまでに数人いればいいって事だよな?」

「って、事になるな。ロイや亮介オジキが

どこまで早急に事を運ぶかが展開の鍵ってことだな。」

純一も一通りの報告が済んだせいか

やっと、グラスの中の酒を味わうように傾け始めた。

「そこまで、解っているなら…。

丁度いい。今回は運良く亮介伯父が総指揮官だ。

婿として知らせたらどうだよ?」

すると…純一がニヤリ…と微笑んだ。

「なんだよ。」

「婿云々は関係なしだが。

お前もまだ甘いなぁ。俺が知らせたから亮介オジキが

総指揮官を買って出たってことさ。

『犯人』が解った時点ですぐにエドをオジキのところに送ったのさ。」

「!!。お前なぁ!本当やること派手だな!」

手回しの良い仕事ぶりに驚いて

右京はやっぱり自分は『悠長な芸術家』であるだけと

ガックリ…肩を落とした。だが…すぐにハッとした。

「じゃぁ!弟である俺のオヤジも知っているって事じゃないか!?」

「そうゆうことになるかもな?亮介オジキが喋っていればだが?」

「って…事は!ロイもある程度知っているって事じゃないか??」

「そうゆうことにもなるなぁ。

ただし…ロイの場合、俺からの情報だとなると

闘争心燃やしてひがむかも知れないからな。

御園オジキ兄弟は伏せているかも知れないな?」

ロイと純一は皐月を挟んだ『ライバル』だから

純一が一歩前に出るとロイが闘争心を燃やすことは

右京も良く知っていた。

闇世界で活躍する『ライバル』に対し、

ロイは表世界で『絶対権力』を手に入れる精進をしてきたのだから…。

「そこでだ。フロリダのオジキは『娘』を箱に入れようとして

『指揮側』に収めたつもりらしいが…。

ふと、エドが面白いことを言い出してな。

ジュールは渋々だが、『葉月様の栄光のためなら』と賛成したのだが。」

「は?『葉月の為』とは??」

「俺達は、オチビの『闘志』を揺さぶるつもりはない。

だが…もし?アイツが一人行動の『じゃじゃ馬』になった場合だ。

これで…『成功』してみろ?アイツは正式中隊長になった。

島基地内の『中隊長連中』は皆…『大佐』だ。」

純一が片手のグラスを揺らしながら…

急に黒い瞳をいつになく輝かせた。

右京も驚き…息を止める…。

「なんだよ!?アイツを『大佐』にのし上げる気かよ!?」

純一は『フフ…』と不敵に…静かに微笑む。

「オチビ次第だな。アイツの男が前線にかり出された。

元・恋人の小僧もかり出された。

フランス航空部隊には…旧友のパイロットもいる。

これだけ、自分の仲間が前線に出て…危険にさらされ…。

あの…『鬼』を心に宿しているオチビがジッとしていると思うか?

おまけに、旧友のパイロットの嫁さんは初妊娠らしいからな。

アイツの『闘志』を揺さぶる要因はごまんとある…。

お人好しのオチビが、その人情に揺さぶられて

心に飼い慣らしている『姉譲り』の『鬼』を目覚めさせる。

そうなれば…ミャンマーと一緒だ。アイツは動く。

動くなら…同じ失敗はしない。それが俺達の考えだ。

エドが言うには

『こんなチャンスはない。父親の将軍の元、動こうと思えば動ける。

成功を収めれば、若き大佐の道も開ける』ってな。

俺は…それに乗ることにした。

ロイも葉月ぐらいの歳で『大佐』だ。女とはいえ、

家柄に見合った地位が確立する。

……皐月自身が叶えたかった事を…妹が叶えるってな…。」

純一の哀しみを携えた瞳とやるせなさそうな微笑み。

だが…右京は鼻で笑った。

「皐月自身が願った事は…妹には女の幸せ…だろ?

葉月が軍人として上に行くことなど望んじゃいない。」

「しかし、オチビ自身はどうかな?

『正式中隊長』に任命されることすら怖じ気づいていたが。

今のアイツが『真の女の幸せ』を望んでいると思うか?

望んでいないなら…オチビに残された道はタダ一つ。

アイツは皐月が死んだと同時に皐月という女を背負い始めた。

ならば…『大佐』だ。」

「しかし、アイツ…今度は本気かも知れないぞ?

澤村って男…最初はどうかと思ったが…

どうも…葉月自身も今までと違うようだな。

澤村に本気なら…『大佐』より『女』だろ??」

右京は純一の心根を解っていながらも事実なので

遠慮なく呟いてみた。

すると…思った通り…。

純一はそっぽを向いて複雑そうに黙り込んでしまった。

恋人という存在が出来ても

従妹の葉月は、いつもこの親友のところに逆戻り。

親友がそれを拒んだことがないことも知っている。

むしろ…

右京もそうだが…

『葉月を飼い慣らす男はいない』と今までは思っていたのだ。

奈落の底に落とされた、小さな葉月。

その可愛い妹のために…

飼い慣らす男がいないなら…

『家族』である、従兄と義理兄で見守っていゆくつもりだったのだ。

その『壁』を破ろうとしている男…『隼人』

右京も、嬉しい反面、守ってきた妹の変化に複雑だった。

「俺の許可なしに手を出したんだ。最後まで責任とれよ。」

右京は複雑な心境の腹立たしさを

元々…葉月を飼い慣らしてしまった親友に突きつけた。

「だから…いつも言うだろ?好きで出したんじゃない。

葉月が一番なついていた弟が皐月一筋だったから

真は、葉月に手を出すのは拒んだ。だったら俺かお前だろ?

皐月は俺達三人に、妹を託して逝ってしまったんだ。

『男ばかり憎むような子になったら…男として教えてあげて』とな…。

オチビが、手の着けようがないガキになってしまったから…

さぁ…どうするって時に、真はあの頑固さで拒んで…

お前は『まだ早すぎる』とか言って拒んだし…その上血の繋がりがある。

だったら…『兄貴しかいない』と真も言うから俺がかって出た。それだけだ。」

右京は相も変わらず…理屈こねて本心を拒否する親友にため息。

「よく言うぜ。13歳の葉月に手を出しておいて…。

真が死んだ後は、すっかり葉月はお前の手の中じゃないか!」

『まったく!』

右京は破れかぶれにグラスをグイッと煽った。

時々…従妹の『恋心』が哀れになってくる時がある。

何でも受け入れてくれて、何でも上手くリードする…

大人の『義理兄』に飼い慣らされてしまい…

余計に男を受け入れにくくなったような気がしてならない。

だから…『責任とれ』なのである。

でも…それは可愛い従妹を手なずけてしまった親友への当てつけ。

本当は…そんな『雛のすり込み』のような『恋心』は

女の本当の喜びを知る『真実の愛』とはほど遠い事を…

従妹に悟って欲しいところがある。

でも…外部の男が葉月を飼い慣らしてしまうのも…

やはり…複雑な心境なのだ。

しかし…死んでしまった従妹の最後の願い。

『息子は立派な跡取りに。妹には輝く女性の幸せを』

それを右京は『弔う』様にして今まで守ってきた。

右京は、隼人という男の様子をジッと静かに観察しているところ。

もしかすると…『本物なのでは?』という

初めての『予感』にここ数ヶ月戸惑っているぐらいだ。

だから…

明日はその妹のために『恋人の父親』を

『恋人』の為に呼び寄せるという従妹の願いに協力することにした。

「さて…。俺も忙しいからな。オチビの出発に合わせて

『現場準備』をしなくてはならないしな…。」

一杯だけの水割りを純一は綺麗に飲み干して立ち上がった。

「まぁ。もう少しゆっくりしろよ。」

右京も少しばかり酔いが回ってくる。

親友ほど酒は強い方じゃないのだ。

そのほろ酔いに任せてテーブルの隅にある

ヴァイオリンをもう一度構えた。

「真一に昔、葉月と同じようにしようと…ヴァイオリン持たせたけど

すぐに投げ出したっけなぁ…。

それよりも真と一緒に『本』を見ているのが好きな子供だったようだ。

そう言えば…純一…お前も部屋にこもって本ばかり読んでいたっけなぁ。」

『やっぱり親子だな』と…右京はそっと微笑みながら…

窓辺に立ち…弦の先で夜空に円を描いた。

「俺の横で…お前はいつもそうして演奏してくれたな。

小さいオチビも…その窓辺で良く演奏していたな…。」

二人は遠い昔を思わず、お互い口にしてしまって…

やるせない苦笑いを浮かべたが…

右京が奏で始めた『G線上のアリア』が

すべての物思いを解いてゆくように…二人はそっと微笑み合う。

「オチビのアリアは…軽やかで甘いが…

お前のはドッシリ…切ない感じがしてまた格別だ。」

純一はそう呟きながら今度は胸ポケットから

クシャクシャの紙箱煙草をくわえたが…

栗毛の親友は、穏やかな表情で演奏を続けるだけだった。

鎌倉御園家の窓辺…

遠くにはうっすら…海が見えた。

昔、キラキラ瞳を輝かせて…

瓜二つのような栗毛の少年と幼女が

優雅にヴァイオリンを弾く姿が純一の前で幻となって浮かんだ。

その…少女が大人の女になりつつある…

その前に『鬼』が目覚める寸前かも知れない…。

純一は、星空を見上げながら…そう思った。