21.本気の瞳

最後に会ったのは、遠野大佐存命中……

葉月が遠野と熱愛をかわしていた真っ最中の時。

勿論……達也は新婚の頃だった。

遠野が北欧遠征に出かけるかどうかの決定会議で

フロリダ将軍達が小笠原に集結したとき

達也はブラウン少将の付き人で来たことがあった。

別れてから初めてその時に『再会』

お互いの恋人時代のわだかまりを解いたのもあの時。

『奥様と幸せに……』

『お前もな。ま。今の大佐との関係はあまり応援したくないけどよ。

後悔しないよう、頑張れるだけ上手くやればいいさ。

奪っちゃえよ。あんな女房、目じゃないぜ……お前ならね。』

その最後の励まし合いをして以来だった。

(二年ぶり!?)

遠野が逝ってしまったのは、二年前の桜の季節。

その少し前に達也と会った。

遠野が亡くなって一年してやっと重い腰を上げて

このフランスへ隼人に会う気になったのは一年前だから……。

そこまで葉月はやっと逆算が出来たのだが……。

その逆算が出来たと同時に、入り口に黒髪の男が現れた。

(達也!!)

「かったりーなぁ! 朝っぱらから、お堅いミーティングなんて。」

伸びをしながら一人の男が呑気に入り口に登場。

その様子を見て、マイクが眉をひそめて現れた男に一言。

「中佐。日本語が解らない者が大勢いても、謹んで下さいよ。」

入り口に現れた、スラッとした黒髪の男はマイクの一言に

ハッと我に返ったようで、気だるそうだった態度を一変。

急に背筋を伸ばして『稟』とした清爽感を醸し出す。

そこに汗くさいばかりの男達の中に

なにか爽やかでクールな香りが立ちこめたように……。

その男が現れた事もあるが葉月はマイクにビックリ仰天!

「マイク! いつからそんなに日本語を!?」

会えば片言の日本語は話してくれた父の側近。

だが……暫く会わないうちにマイクはすっかり流ちょうな日本語を!

たしなめられた黒髪の男はちょっとバツが悪そうに

仲間が揃うのを入り口で待っていた。

「リッキーには負けられませんからね。

特に私の上官はハーフとはいえ国籍は日本人ですから?」

マイクはニッコリ……。

そう……マイクとリッキーは同期生で肩を並べて

将軍第1側近の道を精進しあっている36歳、側近職務の筆頭だった。

『ちぇ! マイクがいたのか。日本語も、うかうか使えねぇ』

そんな小言が葉月の耳に届いて……

葉月は思わず吹き出しそうになってしまった。

「バカね。ここには日本語が解る人間は結構いるわよ? 達也……。」

「うるさいな。じゃじゃ馬までいたのかよ。

ちぇ! 誰も解らないと思ってせいせいと独り言が言えたのになぁ!」

黒髪のスラッと細身の男は扉にもたれて

紺色の訓練着のポケットに手を突っ込んでふてくされていた。

久し振りだというのに、緊張感もまったくない昔ながらの自然体の彼。

そんな、ふてぶてしさも相変わらずなので、場がスッと和んでしまった。

「相変わらずだなぁ! ウンノ!!」

デイブが嬉しそうに駆け寄っていった。

それに合わせて、山中も……コリンズチームのメンバーも……

葉月の『元・側近』の登場に急に明るくなった。

「よう! 達也!」

「おっす! 兄さん。この前は世話になったな!」

山中と達也……。 小隊時代の戦友同士。

二人は拳と拳をガツンとぶつけ合って『再会』の挨拶を……。

デイブとリュウも……マイケルもスミスも……

皆懐かしそうに達也に群がり始めた。

そんな中……声はかけたものの、葉月は何故か一歩が踏み出せない。

群がる旧友達に囲まれている達也がそっと……

そんな葉月を、潤んだような瞳で見つめている視線が葉月に向けられたのだ。

葉月のガラス玉の瞳と漆黒の彼の瞳がピッと通じ合った瞬間……。

『元気そうだな』

『達也もね』

目で会話が出来る感覚は久振りで、葉月は懐かしさと共に

そんな感覚がまだ残っている……通じ合う自分に少し驚き。

彼の照れたようなおどけた微笑み。葉月もそっと口元を緩める。

彼も同じように昔ながらの『アイコンタクトコミュニケーション』が

葉月と通じたことに嬉しいのか戸惑っているのか……。

同じ気持ちが起きているのが葉月には解った。

皆のように彼の側に行かなくとも

充分にお互いの気持ちが解る……。

それが葉月と達也が『パートナー』だった『証』の様なものだった。

その『アイコンタクト』故……

『ちょっと、来いよ』

彼が瞳でそう訴えて、顎をそっと通路側に動かしたのが解った。

『でも……』

葉月は彼から視線を外してうつむき、すぐに視線を戻した。

『いいから……来いよ』

もう一度さり気ない仕草が皆に気づかれないよう送られてくる。

「マイク? 時間があるようだから私ちょっと……」

「あの……化粧室は……」

女性の『ちょっと』は『用足し』と取ったようだ。

「男専用の空母艦に『化粧室』は無いでしょ。その言葉は綺麗すぎ。

外の空気を吸うだけよ。すぐに戻ってくるわ。」

「お嬢さんも相変わらずですね〜。

でも、ここは男ばかりですから、その際は側近を付けて行ってください。」

マイクは葉月のお返しの言葉が『じゃじゃ馬』らしい事で

なんだか妙に嬉しそうだった。

「お気遣い有り難う。ミスター」

「いえいえ。リトルレイ。」

昔の愛称で呼ばれてビックリ……。

(もぅ。父様に似てきてない最近?)

そう思ってしまったのだが、そっと皆の視線を避けて

達也に群がる男達の横をスッと抜け出した。

通路に出て見ると……フロリダ隊とばったりであった。

一番前に金髪で短いスポーツ刈りの男と遭遇。

「お疲れ様」

葉月がいつもの無表情で一言挨拶すると……

「お早うございます! ミゾノ中佐!!」

金髪の男が大声で……しかも張り切って敬礼をしたので

葉月は驚き後ずさるほどだった。

栗毛の女性は御園中佐。

葉月の姿は、名乗らなくてもここでは解ってしまうようで

先頭の男が敬礼をしたので後ろにいた隊員達は

機敏に並んでさらに同じように敬礼をするので葉月は走って逃げたくなった。

「グッモーニング……An……フォスター中佐?」

「イエッサー!!」

「あの……同じ中佐なのだから、それはやめて。」

葉月が引きつり笑いをこぼすと、金髪で体格の良い彼は

スッと慌てるように敬礼を解いた。

「お父上にはいつも武道指導にてお世話になっております!」

ハキハキと胸を張って挨拶をする……中年の男に葉月は、益々苦笑い。

「父上って誰? ここに私の父はいないわ。」

葉月も、父と同じ様なセリフを……

なんだか胸が荒れるような気持ちでつい……切り口上に返してしまった。

そんな、冷たい令嬢のきつさに、年上の彼も

少しばかり怪訝そうな表情を刻んだのだ。

それを見て、葉月はそこを逃げるようにサッと

紺色のコートの裾をはためかせて、通路を歩き出す。

(可愛くないって思ったわね。ま、いつもの私だけど?)

葉月はツンとした横顔のまま、フォスター隊から離れて

静かな場所を探した。

(フロリダの優秀隊員って感じね。上に対しての態度は上出来すぎるわ)

父ぐらいの上官になら、あの接し方で『優秀』だが

葉月にまであの様にされると、その態度もちょっと行き過ぎだと感じた。

(どうせ、将軍の娘って思ったのでしょうね。邪魔な事!)

久振りによけいな肩書きに葉月は『む!』としていた。

フォスター中佐が悪いのではない。自分の感覚がいけないと解りつつ……。

達也がどう……群がる旧友をかわしてくるかは解らないが……

葉月はダイバーウォッチをチラリと眺めて時間を確かめる。

(そろそろ……ウィリアム大佐が着艦する時間だわ)

そう長くは達也とも話せないだろう。

でも……

彼の合図一つに従ってしまった自分にやっと我に返った。

(隼人さん……達也と初めて逢うのだわ!?)

それも、今やっと……切迫した現実として気が付いた。

(うーん。うーん……)

そう唸りながら、葉月は丸い窓がある突き当たりを発見。

会議室からはそう離れていなくて、

葉月は、入り込んだ通路からチラリ……と会議室入り口を覗き込んだ。

『あー! 小便!』

日本語でそう叫んだ達也の声がして、彼が通路に出てきた。

(もっと。品の良い事言ってよね!)

相変わらずの男っぽさに葉月は頬を膨らませて待ちかまえた。

彼がキョロキョロしながら葉月がいる通路の影に近づいてくる。

「ここよ。」

「おっと……。」

葉月の小さい囁きを聞き逃さずに、達也はヨロッと

さり気なく、丸い窓がある突き当たりにヒラリとやってきた。

「なに? もうすぐウィリアム大佐が来る時間だわ。」

葉月はいざとなって、達也とは視線が合わせられなくて

早朝の空が見える窓辺に視線を向けた。

葉月の背中……頭の上から、背の高い彼のため息が聞こえた。

その途端だった……!

スラリと細身で長身の彼が、紺のコートを抱えるように

葉月を背中から抱きすくめたのだ。

勿論……葉月は驚いて彼の腕を振りほどこうと腕に力を入れたのだが

そうする前に、葉月の『拒否反応』を察するかのように

サッと達也は聞き分けよく葉月から離れたのだ。

「何するのよ!!」

葉月は振り返って彼に突っかかると、達也は『ニヤリ……』

「気まずい雰囲気は苦手なんでね!

そうやって昔通りにすぐにムキになるお前が見たかったのさ!」

「ーーー!!」

こんな所は、昔なじみ……。葉月の固い囲いはお手の物。

『俺。お前の事、何でも解るぜーー♪』

そんな微笑みを達也は余裕たっぷり浮かべていた。

葉月は、隼人とは違う手慣れた扱いに適わないと踏んで

大人しく引き下がった。

「私に……黙っていたわね。この前電話くれた時。

着任の事も……。私達が出動することも解って電話してきたの?」

葉月は、意味深な電話で惑わされた事について

達也の黒い瞳をジッと睨み返した。

「別に。いずれ島でも周知される事。

周知される前に情報を漏らすのは、どうかと思うけどね。

それに……知らない事、知る前に教えて驚かれても責任取れないし?」

達也はシラっと、サラサラの黒前髪をかき上げて

『それがどうした』とばかりにふてぶてしい態度。

葉月は、呆れてため息をついた。

それに『最も』とも思えたから、言い返す言葉もない。

「私が『指揮側』に置かれる事が解っていて……

『大人しくしていろ』って? そう言う達也はどうなのよ?

なんで、将軍の第1側近なのにマイクみたいに上官のサポートじゃなくて

本部隊に混ざって突入隊の中にいるの!?」

葉月が思ったままの『疑問』を突きつけると、

やっと……ふてぶてしかった達也の顔が少し……歪んだように見えた。

すると……達也は葉月の肩をすり抜けて

軽い身のこなしでサッと、丸い窓の前に立ちはだかった。

そして……紺の訓練着、アーマーパンツのポケットに

手を突っ込んで、良く喋る男なのに黙り込んでしまったのだ。

葉月はそんな彼の横顔をジッと見つめて彼の答えを待ってみる。

切れ長の麗しい黒い瞳が真っ直ぐに青空へと向かっている。

なんだか、彼らしくない……哀しそうな眼差しに葉月には感じた。

スッとした鼻筋と、柔らかそうでサラサラの前髪。

艶やかに光っていて葉月は昔良く触れていた彼の髪の感触を

そっと……心の中で思い返して、急に胸が熱くなったように感じた。

整った横顔……色気を携えている妙にセクシーな眼差し。

達也のこの眼差しとクールな横顔に

どれだけの女性が騒いで、葉月は恨まれたことか……。

性格も、明るくて大胆で、愛嬌良く憎めなくて……。

そんな彼が哀しそうな眼差し。

(なにか……あったの?)

そう言いたいが、男らしい達也の事。

葉月に聞いて欲しいときはストレートに頼ってくるし、

そうじゃないときは、どんなに親身になろうとしても

男らしく葉月には黙っている所がある男だから……

言いたくないなら、問いかけても言わないだろう……。

そう、思ったから……その言葉が唇から滑り出さなかった。

「せっかくさぁ……葉月が俺の為に用意してくれた地位だったけど。

俺の性分じゃないんだよなぁ……。」

「え? どう言うこと?」

達也は、クシャクシャと前髪をかいて、やっと葉月に振り向いた。

「だから……『お堅い秘書側近』って奴。勿論……この3年。

お前がせっかく与えてくれた『チャンス』だからさ。身にはなったさ。

最高レベルの職務経験だったぜ。それは……感謝している。」

「それで?」

今度は達也が葉月の問い詰める瞳から逃げるように視線を逸らす。

丸い窓の下、ポケットにまた手を突っ込んで鉄壁にもたれかかった。

「3年やれば、充分だろ? 俺は俺のやりたいように『現場』に戻りたい。

その手始めが今回の『着任』って訳さ。」

「それって……!? ブラウン少将はなんて言っているわけ!?」

せっかく最高のポジションに彼を送り出したのに……!

『俺、あわねぇ!』を三年経った今頃、彼は言い出したから葉月はビックリ!

だけれども……達也はそんな葉月の驚きに動揺もせず

相も変わらず、拗ねたようなふてぶてしい表情。

「別に? オヤジさん何にもいわねぇよ。

俺がやりたいようにやればいいってね。

だから……今回は少将指揮下の任務にまんまと着任って事さ♪」

ニンマリ……微笑む達也。 だけど葉月は納得しない。

「あのねぇ!! 『……って事さ♪』 じゃないでしょう!??

奥様はなんて言っているのよ! ブラウン少将のお嬢様なんでしょ??」

葉月が遠慮なく突っ込むと……また、彼が表情を歪める。

(え……? 何かあったの?? 本当に??)

聞いてはいけない何かがあったのだろうか??

特に『夫婦の間』にあることは、葉月が首を突っ込むことではない。

だから……また……言葉を引っ込めてしまったのだが……

またまた……達也は『ニンマリ』

「気になるか?? 俺と嫁さんのこと♪」

「べ……べっつにぃ……。」

葉月がプイッとそっぽを向くと、達也が何故かクスクス笑うのだ。

「まぁ。 嫁さんは俺の言うこと良く聞く嫁さんなんでね。

『内助の功』はばっちり。 俺の言いなりって訳♪

『私はサムライの妻よ。どこでもついていきますわ〜』ってね!」

ニヤニヤと葉月にそんな『のろけ』を言うモノだから

葉月は『あっそ』と鼻白むだけ……。

(もう。心配して損した!)

いつもの調子の『同期生』に心配するだけ馬鹿らしくなって

何も聞く気も起こらなくなった。

「いいんじゃないの? 達也がそれで上手くいくなら。

義理お父様の少将も、奥様もそんなに寛大なら。思うようにすれば?」

ツン……と横顔を向けて冷たい素振り。

こんな態度は、隼人にはあまりしなかった。

コレが『同期生』……遠慮ない関係のまま。

(なんだ……奥様と上手くいっているようじゃない……)

そこは……なんだかちょっと安心した。

なんと言っても女性が放っておかない……妙に色気ある男だから

結婚して問題でも起こしやしないか……

そんな危なかしさを葉月は心配したのだ。

とにかく、康夫とは『正反対』

堅実で妻を大切にほのぼのと暮らしている康夫とはまったく違う男なのだ。

「お前は、どうなんだよ?」

鉄壁にもたれている達也がジッとブーツの先に視線を落とした。

彼の切れ長の瞳がすっと……柔らかい黒髪に隠れてしまった。

「あら? 気になるぅ〜??」

今度はお返しに……達也に向かって嫌みっぽい微笑みを浮かべてみる。

「ああ。」

うつむいていた達也が急に顔を上げて……

突き刺すような黒い瞳を葉月にストレートに返してきた。

葉月はその真剣な顔に驚いて……ふざけた表情を引っ込めた。

「お前の着任は知っていた。でも……

お前の側近が前線に行くなんて、俺は聞かなかったぜ?

おかしいじゃないか!? お前の側近だろ??

山中の兄さんが側近代理で来るなんておかしいじゃないか!!」

彼のその……真剣に怒る声……。

何故? そんなに怒るのか葉月には解らなかった。

「それも……聞いた話じゃ、フランスで内勤補佐、教官。

お前の所に来て、久々に外勤復帰したばかりの

インテリ男だって聞いているぜ!?

そんな、ひ弱そうな男がどうして?? 余計に危ないじゃないか!」

鉄壁にもたれかかっていた達也がスッと背筋を伸ばして葉月に詰め寄ってきた。

『お前が何とかしろ!』とばかりに……葉月にそんな言葉を浴びせる。

「私だって! 納得いかないって反対したわよ!

でもね! 彼がフランス基地の出身で、通信系が強いって……

それだけで、選ばれたんだから仕方が無いじゃない!

最後に空軍システムを奪取した後、管制通信に長けているのは

空軍管理長をしている彼が適任だって!

老先生……マクティアン大佐がそう選んだんだもの!!」

攻める言葉にたいして、葉月もかなりの勢いでお返しをしたのだが……

葉月のその説明に……達也の顔が、今までになく……

気弱そうに歪んだので……葉月はまた驚いて言葉を止めた。

「なに?? なんなのさっきから?」

「ちぇ……。 そうゆう男なワケ?」

「は?」

「結構、いけてる男だって事さ」

「いけてる???」

「そんな掘り出しモンが康夫の所にいたって事。

余計なことすんな。康夫の奴……お前に引き合わせるなんて。」

「…………。」

着任の理由を説明しただけなのに、達也はそれだけでもう……。

『そんなに頼られて選ばれたのか!!』と……

隼人の未知なる『実力』におののいて、

もう対抗心を燃やしているのが葉月には解った。

「どうだって良いでしょ? 掘り出しモンとか、そうじゃないとか。

達也は『フロリダ』 私は『小笠原』 関係ないじゃないうちの中隊の事。

彼がこようがこまいが、達也は違う部隊にいるんだから。」

「お前が俺を追い出したんだろうが!」

「……。達也が出ていったんじゃない!!」

いつもの遠慮ない言い合い、自然に出る憎まれ口。

いつもの会話なのにそこに来て二人揃ってハッとして……

二人揃って……うつむいてしまったのだ。

そんな波長まで達也とはピッタリだったりするのだ。

「ご……ごめんなさい……。」

「いや。この事はもう言わない約束だったよな。悪い……つい。」

お互いが気まずくブーツのつま先を動かす波長まで一緒なのだ。

こんなに気があっていた……。

なのに……。そこが二人が一番口惜しく思うところ。

「とにかくさ……お前……今、どうなんだよ?」

「どうって?」

尖っていた心がなめらかになった所で葉月も気持ちがやっと素直になる。

「その……幸せっていうか……その……私。。」

伝えたい形は頭で解っているのに……言葉で表現が出来ない。

これも、相変わらずの事。

そんな葉月をみて……

達也がやっと葉月に憎めない無邪気な微笑みを浮かべてくれた。

「そっか。上手くやっているんだ。安心したかなぁ。って悔しいかなぁって。」

「なにそれ……」

葉月も、達也のしゃべり方が変わらないので思わずほころんでしまう。

「またさ……男を手こずらせる固い女でいてさ……。

上手く表現が出来ないってあっち行ったり……こっち行ったり……。

彼を振り回して疲れさせて……お前も疲れていないかとね……。」

「…………」

『見抜かれている』と葉月は思ってうつむいてしまった。

隼人を受け入れるまで確かに時間はかかったし。

隼人が待ってくれた『忍耐力』

葉月が乗り越えようとした『エネルギー』

それは本当に最近無い事だった。

達也とは……『若さ』が手伝ったせいもあるし

この奔放で大胆に押し切って、波長が合っていたせいか、

あれよあれよ……と言う間に彼を受け入れてしまった。

そんな不思議な感覚を持つ間柄。

それでも葉月はこの達也が言うように

『達也を手こずらせる固い女』で『達也を疲れさせ、自分も疲れて』

そんな時間も確かにあってそれを二年一緒だった間に

お互いに一生懸命埋め合ってきたのだ。

それを一瞬で崩したあの『事件』 いかにひどい結末だった事か。

そこはもう……『言わない約束』にはなっているのだが。

ただし……二年付き合ってもこの達也ですら『扉』は開けることはなかった。

「彼……優しいの。なんだか……お兄様って感じで……」

やっと……そう言っていた。

すると……葉月のそんなしおらしい声に達也がそっとため息をこぼした。

(言わない方が良かったかしら?)

「あっそ。」

急に葉月の目の前に、180pある彼が凛と立ちはだかり……

葉月を冷たい、しらけた瞳で見下ろしたのだ。

「な……なによ……。達也だって奥様と、幸せなんでしょ!」

そこまで言わせておいて『のろけかよ?』と言わせないために

葉月は照れ隠しも含めて、また憎まれ口を叩いたのだ。

すると、彼の長い人差し指が急に『グッ』と

顎をあげるように葉月の下唇を上に向けたのだ。

『まったく、達者な口』

『!!』

彼の言葉がそう聞こえたときには『うっかり!』

唇を奪われていたのだ!

大きく見開いた瞳には背をかがめている彼の黒い髪が

艶やかに映り出されて……懐かしいようなシャンプーの香りが鼻をかすめた。

でも……すぐにその黒髪は葉月の視界から遠のいて唇も離れる。

達也はまた、背筋を伸ばして葉月を『ニンマリ』見下ろしていた。

「挨拶さ。挨拶♪ アメリカ育ちのお前ならあったりまえだろぅ♪」

『も……ぅ』 葉月はうつむいて肩をワナワナと震わせていた。

拳を握って、エンジン着火……!

「何するのよ!! バカ!!」

『うげ……!』

葉月の拳が達也のミゾオチに直撃!

大きく一歩を踏み出した葉月のコートの裾が翻り……

達也の身体は前屈みに……

だけれども。

「ふん! 嬢ちゃんの一撃で落ちるほどヤワには鍛えてないぜ!」

鍛えられた腹筋で葉月の拳も身体も難なく……

背筋を伸ばして起きあがった彼に跳ね飛ばされてしまった。

跳ね飛ばされた葉月も思わず、その反動で後ろによろけてしまった。

そのよろけた肩を、勇ましい彼が余裕で『ガシ!』と掴んで支えてくれたのだ。

「しかたねぇな。その男、俺が命を懸けて守ってやるぜ。」

ふざけて、茶化してばかりの彼が急に瞳を輝かせて

葉月をジッと見据えた。

『本気の瞳!』

天真爛漫、憎めなくて愛嬌ある彼が、『戦士』になる時の輝く瞳。

葉月と『戦友』だった時の瞳。

それを見て……そしてその言葉に葉月は支えられたまま固まった。

そして達也はその視線を降り注ぐと

葉月を乱暴に……払いのけるように肩を払った。

せっかく、よろけて受け止めてくれたのに、葉月は結局……

床に手をついて転んでしまったのだ。

「ちょっと!!」

乱暴な扱いをして、サッサと背を向けて去って行く達也の背中を呼び止める。

すると、達也が背を向けたまま立ち止まった。

「お前がさ。 幸せにならないと……

放り出した俺としては救われないんでね。

その男の事なんてどうだっていいんだよ。

いいか……俺が守って連れて帰ってくるから……」

達也がそこで言葉を止めて、振り返った。

また……本気の瞳が床にひざまずいている葉月を突き刺した。

(連れて帰ってくるから??)

葉月もガラス玉の瞳を真剣に彼に投げ返した。

「お前が今大事にしているもの。持って帰ってきてやるから。

俺を信じて……今度こそ『大人しくしていろ!』

お前の『幸せ』……あの時出来なかった分『守る』って言っているんだよ!」

達也はそれだけ……怒るように叫ぶと、

サッサと葉月をおいて去っていってしまった。

(達也……)

なんだか、葉月は泣きたい気持ちになっていた。

数年経って……彼がまだ……自分を小笠原に置いていった事。

まだ……心の中で昇華していなくて……

昇華していないのに……その償いの如く。

葉月が今愛している男を『守る』と言う『男気』

(何にも変わっていない……)

葉月は一人……ひざまずいた通路でうつむいた。

床について手のひらに、一滴だけ涙が落ちた。

『お願い……隼人さんも……達也も無事に帰して!』

神などいないと解っているが……

葉月はどこともぶつけ場のない気持ちを

そのまま心の中で叫んでいた。

『私の大事な同期生』