=マルセイユの休暇=

4.オチビ同盟

 HCU……重傷病棟である。

ここに、集中的な治療を要する患者が入るのである。

入り口は自動ドア。

透明な自動ドアの向こうではナースと医師が常に行ったり来たりしている。

入り口にはインターホン。

そこで入室の許可が得られないと自動ドアの向こうには入ることは出来ない。

「ミゾノです。母親です」

登貴子がインターホンを押して、ナースに許可を求める。

『お母様だけですか?』

「孫もいます。それから……娘の部下と同僚が……」

『お孫さんは幼児ですか?』

「いいえ──16歳の学生です。部下は……」

『部下というのはムッシュ・サワムラとムッシュ・ウンノでしたら構いません

先程、お父様と一緒におりましたし許可も頂いております』

ナースからやっと許可が出て登貴子が自動ドアの前に立った。

「あの──お母さん……」

登貴子が真一と共に青年達も引き連れようとしたところ……

隼人が登貴子に声をかけた。

「海野中佐と今、話していたんですけど……」

黒髪の青年が二人……目を見合わせて頷いたので登貴子は首を傾げた。

「ここは『家族水入らず』で……僕たちは、任務隊にひとまず戻ります」

隼人と達也、二人揃っての『遠慮』に驚いた。

「でも……あの子が目を覚めたとき……貴方達もいた方が……」

すると二人揃って首を振ったのだ。

「おふくろさん──俺達、葉月がオペ室に入るまで付き添ったし。

アイツがオペ室に入るときも『後で行くよ』と約束はしたよ。

だから──先ずはおふくろさんとオヤジさんとで葉月と色々話してくれよ」

達也がニッコリ微笑んでそう言った。

そして……隼人も……。

「それに僕たちも、そろそろ任務隊に戻って今後の解散の仕方について話し合わないと。

元より──実はもう……僕も海野中佐も体力限界なんですよ。

任務隊は今、宿舎で食事をとって入浴をして仮眠に入ったそうで……

休養が取れ次第、各基地に帰還するのだそうです。

僕と彼も……昨夜出動してから一睡もしていませんし……

彼女の目が覚めてから……動こうと思います。

どちらにしても、彼女が目を覚まさないとなんにも出来ませんから……」

登貴子はそれを聞いて『最もだ』とすぐに承知した。

「隼人兄ちゃん……先に小笠原帰らないでよ? 達也兄ちゃんもまた来てよ?」

真一が側から離れようとしている二人のお兄さんに心配げに釘をさす。

「ああ……もちろんだよ」

隼人と達也は、にっこり揃って真一に微笑んだ。

「おそらく……一眠りして夕飯が終わる頃、19時頃になると思います」

隼人が登貴子にきちんと明確な『約束』を残して、

似たような背丈の青年二人は厳重なHCUの入り口から去っていった。

「さぁ……真一? お姉ちゃんが目を覚ましたら元気付けてあげてね?」

「うん♪」

孫の手を引いて、登貴子はHCUの廊下を歩き出す。

 各部屋の入り口には液晶のディスプレイ……。

脈拍から血圧から……廊下からでもすぐに解るような厳重な『監視態勢』

大きなナースステーションには各部屋を監視するモニターが並んでいる。

「すごいね……葉月ちゃん、そんなにひどいの?」

その物々しさに、真一が不安げに呟いて、緊張し始めたようだった。

暫く……いくつかの部屋を通り越していると……

「登貴子!」

奥の部屋から見慣れた大きな男性が部屋から飛び出してきた。

「亮介さん……」

「お祖父ちゃん♪」

亮介も隼人や達也と同じように白い半袖のティシャツに迷彩のパンツ姿。

「登貴子──すまない……」

亮介は登貴子の目の前に来るなり……栗毛の頭を思いっきり下げたのだ。

ナースに医師達が……将軍が小柄な女性に低く頭を下げているのを

驚いた様にして眺めていて、登貴子はびっくり!

「もう……亮介さんったら……こんな所でやめて?

達也君からいろいろ聞いたわ……」

登貴子が頬を染めて夫の肩を叩くと、やっと亮介が頭を上げてくれた。

でも──その夫の情けない顔。

よほど娘を怪我させた父親として責任を感じていると登貴子は思った。

しかし──そう感じてくれていればそれで良いのである。

これで平気な顔、もしくは、やせ我慢して未だに任務隊と行動していたのであれば

登貴子はいつも通りに『爆発』しているところだった。

だが……夫の立場も妻として気にはなる。

「あなた? 大丈夫なの? 任務隊を放っておいて……」

「ああ……心配無用だ。リチャードと良和、それにマイクとウィリアム君が

私の不在の穴を一生懸命埋めてくれている……

先程、マイクから連絡が入ったが、ロイも動き始めたって?

皆のフォローで何とか葉月の側にいられるよ……。

それに戻ってきたら、また良和に一発殴られるからな。怖くて帰れないよ」

夫が髭の横にあるアザを拳で撫でて……登貴子も初めてそのアザに気が付いた。

「良和さんに、殴られたの?」

「ああ……娘以外に何が大切だってね……

同じ繰り返しをするバカを同期生に持った覚えはないって……

それで……何もかも捨てて現場に行ってしまった」

「ええ!? 総監のあなたが!!」

それは登貴子も達也からは聞かされていなかったので驚いた!

(あの子達ったら!)

きっと、家族のことだと触れまいとして達也も隼人も言わなかったのだと登貴子は思った。

「それで? 葉月はどうなの?」

「ああ……全治2ヶ月程だそうだ……

弾丸は上手く貫通しているから傷がふさがれば元の生活が出来ると……

達也君が最低限の位置を選んで撃ってくれたみたいで

腕の付け根だから骨にも大きな影響は無かったそうだ

元の戦闘機乗りにも無理をしないで徐々にならしていけば

半年後にはいつもの飛行に戻れると……」

「そう……」

登貴子はひとまずホッとした……

娘の心には『パイロットの誇り』が強くあることを知っていた。

ヴァイオリンの誇りは捨ててしまった娘が新たに守っている誇りだから……

「登貴子──君は流石だね……

知らせようと思っていたんだ……『すぐに来て欲しい』と……」

亮介が無断で駆けつけたにも関わらず、安心した笑顔でそう言うので

登貴子は首を傾げた。

「余計な首を突っ込む母親だと……叱られるかと思ったわ」

「あはは……! うーん……

葉月が……意識が朦朧としていた時に『ママは?』と言ってね……」

「!?──あの子が? 『ママ』って言ったの??」

「ああ……私のことも『パパ』と……

それで、葉月のために……君を呼び寄せようとマイクと相談していたところ

なのに──君は本当に素晴らしいよ……本当に来ているんだから……

やっぱり……君は立派な母親だよ」

亮介が嬉しそうにそう微笑んでくれるのも登貴子は久振りに見た気がした。

それに──

「あの子が……あなたの事も……『パパ』と?」

亮介が栗毛をかきながら照れていた。

それになんだかとても……いつも以上に嬉しそうで幸せそうな夫。

娘は訓練校を卒業した途端に『父様』 『母様』と言うようになっていた。

それは、姉の皐月がそうだったように日本人らしく外ではそう言うようになったのを

妹の葉月が見習っていたのだと思っていたのだが……。

皐月は家庭内では『パパ・ママ』と使い続けてくれたが

葉月はどうしたことか? 家庭内でも『父様、母様』と言うようになっていた。

それに気が付いて一番ガッカリしていたのは父親の亮介だった。

『あんなに甘えん坊で可愛かったレイが……パパと言ってくれなくなるのは寂しいよ』

登貴子にそう漏らしていた。

『日本の基地でのお勤めだから……あの子なりに大人になろうとしているのでしょう?』

『そうかな? ワザとかもしれないよ』

本当は父親としてアメリカで手元に置いておきたかった娘が

生まれ故郷の日本に帰りたいと強く望んでフロリダの家を出ていってしまった。

日本には辛い思いがあるから出て行くはずないと亮介は思っていたようだが……

葉月は何かを求めるようにして……父親でなく叔父がいる日本へと旅だった。

『葉月? アメリカは嫌いか?』

滅多に言葉をかけなくなった……いや、かけられなかった亮介が

娘にそう……問うているのを登貴子も見たことがある。

『……好きよ。だけど、日本には右京兄様とシンちゃんがいる。私、約束したの……』

『何を? 誰と約束をしたんだい?』

『パパには関係ないことよ。とにかくシンちゃんと一緒に頑張る

シンちゃんとも約束した。私が側に行くまで独りでも頑張ってねって

シンちゃんには今、右京兄様しかいないから』

『そうか……お前がそう決めているならパパは止めないよ』

そう物わかり良く亮介は娘を弟の手元に託したが……

父親としてあれほど寂しい気持ちになった事はなかったようだった……。

勿論──登貴子も……。

日本の基地で勤めを始めてからフロリダに帰省した娘が使い始めた言葉……。

『父様、母様』

だから──亮介と登貴子は……

娘に見限られた気持ちになったのだ……。

その娘が……『パパ……ママは?』

そう言ったというのだから……!

登貴子もそんな亮介を見て……そしてその娘の変化を聞いて

涙が溢れそうになったぐらいだ……。

「お祖父ちゃん? お祖母ちゃん?」

真一がなんだか心配そうにして二人の顔を交互に眺めていたのに気が付いて……

登貴子と亮介は孫に『悲劇』は悟られまいと笑顔に戻った。

二人は真一がこの時……それとなく二人の『感動のワケ』を悟られていたことは知らない。

「……ここでこうしていても……葉月の所に行きましょう……」

登貴子が涙を拭うと、亮介がにっこり登貴子の小さな肩を抱いてくれた。

真一もニッコリ……二人の後について静かな病室に入る。

 昼下がりの日差しがカーテンから優しく降り注ぐ病室……

白いベッドに沢山の治療薬の管と機材に囲まれて眠っている娘を見て登貴子は息を呑む!

「ど……どうしたの!? 髪が……!」

「…………」

真一も登貴子の横でかなり驚いたようにして……止まっていた。

そう……美しく女性らしく成長し始めていた娘が……

髪がざんばらに切って短くなっていたのだ。

登貴子の衝撃的な硬直に、また亮介が俯いた。

「……外に出るとき……自分で切ったらしいね」

「……」

登貴子はその時、孫が側にいるのを考慮して……

亮介とジッと見つめ合った。

亮介の眼差しが……

『きっと、純一がそう葉月にさせたんだよ。なるべく……女として見られないように』

そう言っているのが登貴子にはすぐに伝わってきた。

それももっともだ……。登貴子はすぐに納得して諦めた。

髪はまた時間が経てば伸びる。

命と身体が守られて無事に帰ってきたのだから、他に何を嘆くことがあるだろうか?

登貴子はそうすぐに割り切って……

娘の側に近寄る……。

「葉月ちゃん……葉月ちゃん……」

娘の額をそっと撫でる。

でも……娘はまだ眠っていて返事は返ってこない。

そして──真一も……

「葉月ちゃん。。」

今にも泣きそうな顔で登貴子の横で葉月の手を捜していた。

「でも、どうだい? 葉月の寝顔」

亮介が孫と妻の頭の上でニッコリ日差しの中で微笑んでいた。

そう言われて登貴子と真一は寝息を立てている葉月の顔を見つめる。

柔らかい日差しの中……茶色のまつげを輝かせて……

そう顔色も悪くなく、頬にはほんのりと赤味は差している。

「オペ室に入る前には笑っていたよ。そう──現場から離れるときもね」

亮介がまた穏やかに微笑んで孫と妻の肩を一緒に包んでくれたのだ。

「……満足したのね? パパが助けに来てくれて……

亮介さん……本当に有り難う……」

登貴子がそういって夫の白いティシャツに頬を埋めると亮介が照れくさそうに笑った。

「……良和とマイク……そう、隼人君、達也君に動かされたんだよ

彼等にも御礼を言わないといけないね」

「……それでも……あなたが動いてくれたから……」

登貴子は……

この任務で娘は色々と傷つきはしただろうが

何かを沢山得て帰ってきたに違いないと確信が出来た。

早く……そんな話も娘から聞きたい……!

亮介もいつになく穏やかで……幸せそうに娘を眺めている姿。

登貴子も涙がまた溢れてくる……。

そんな妻を見て亮介も……そっと登貴子を抱きしめてくれたのだ。

「早く……起きないかな? 早く……お話ししたいよ。葉月ちゃん……」

真一がシーツの下からやっと葉月の手を見つけて握りしめていた。

(葉月ちゃんは……きっと……きっとオヤジと会っている

何とかして……それとなく確かめなくちゃ)

真一の心はそう言っていた。

でも──

(その前に……葉月ちゃんが元気にならないといけないよね?)

若叔母の手を真一はギュッと握りしめる。

いつもと一緒……どことなくひんやりしているのだ。

家族はホッとして、病室内にあるパイプ椅子にそれぞれ腰をかけて

当たり障り無い話を小声で囁き合っていると……

「ん……」

目の前の娘がそっと頭を動かして声を漏らした。

3人一緒に椅子から立ち上がる。

「葉月? 目が覚めたか? ママが来ているゾ! 真一も!」

「葉月?」

「葉月ちゃん! 大丈夫??」

葉月の傍らに3人が寄り添って見下ろした。

「……」

葉月がそっと茶色のまつげを、はためかせて……

柔らかい日差しの中、茶色の瞳を輝かせながらそっと目を開けた。

「……あ。シンちゃん……」

葉月の目に一番に飛び込んだのは真一だったらしい。

何故、側にいるかなんて今の彼女にはどうでも良いことのようで

日本から駆けつけたことなど頭にすぐには浮かばないようだった。

葉月がいつもの目覚めのように真一にニッコリ微笑みかけた。

「葉月ちゃん! 大丈夫??」

それだけで……真一は目に涙がドッと浮かんでしまって……葉月の顔を覗き込む。

そして……

「ママ……パパも……皆……いる」

そう言って葉月が無邪気に微笑んだ。

「いるぞ……皆……お前の側にいるぞ」

「葉月……どう? 痛くない?」

登貴子と亮介も二人揃って娘の顔を覗き込んだ……。

その途端に……葉月が顔を歪めた。

「痛いの!?」

登貴子が誰よりも娘に寄り添って額を撫でると……葉月が僅かに首を振った。

そして──茶色の瞳から涙ばかり流し始めた。

「ママ……ママ」

そう言うばかりでただ……ひたすら涙を流していた。

亮介はそれをみて……真一の肩を抱いてそっと後ろに引いた。

「お祖父ちゃん?」

真一が大きな身体の祖父を見上げると……

亮介はウィンクをしてそっと口元に指を一本立てる。

「お姉ちゃん……いや、叔母さんも甘えたいときがあるんだよ」

「…………うん……」

そう……真一はいつも冷たい顔の若叔母ばかり見てきていた。

自分にはとても優しい若叔母だけれども……

あんなに弱々しい叔母さんは初めて見た気がしたから……。

だからお祖父ちゃんの言う事も良く解って、二人一緒に窓際に引いた。

「葉月ちゃん──よく頑張ったわね……偉いわ……」

小さな身体の登貴子が、ベッドに身を乗り出して娘の額を撫でていた。

葉月はそうして登貴子をジッと見つめたまま涙を流すだけ流して……

「隼人さんは? 達也は? 康夫は?」

そう涙声でやっと言葉を発した娘を登貴子は笑顔で見つめ返す。

ハンカチを取りだして娘の目元を拭いながら……

隼人と達也が今まで色々と動き回ってつい先程休養に入ったこと……

そして……夜には葉月の元に来てくれる事。

そして……康夫がすぐ側のICU病室で戦っている事を登貴子は優しく伝える。

「そう……」

娘は残念そうにまたいつもの大人顔に徐々に戻り始めて

涙も止まったようだ。

「康夫……」

「大丈夫よ……意識が戻らないだけ……」

「…………」

葉月はまた、そっと涙をこぼし始めた。

「……痛くない?」

もう一度、登貴子が尋ねると……娘が首を振った。

泣くだけ泣いて落ち着いたのか……いつもの硬い表情に徐々に戻ってきてしまった。

それが……『落ち着いた証拠』として安心もするが

なんだかそうして戻ってしまうのも登貴子は寂しく感じた。

娘だって一中隊をまとめる長……落ち着きが戻らなくては務まらない大人であるのだから

それが本来の娘であろう……戻らねばならぬのだろうと諦める。

「起こして」

とうとう……いつもの調子の固い言葉が娘の口から出た。

「何言っているの? 起きたら痛むわよ?」

「起こして」

登貴子が困り果てて後ろに控えている亮介に振り返る。

「……ナースを呼んでこようか? 痛み止めも切れたらいけないし……」

亮介は葉月にそっと微笑んで病室を出ていった。

「ママ……お願い。お腹空いたの……何か食べて良いか聞いてきてくれる?」

無表情に葉月が登貴子を見つめた。

「まぁ……なぁに? 目が覚めた途端に??」

「動き回って……何も食べていないから」

「……解ったわ」

亮介に続いて、登貴子も娘の言うがまま慌ただしく外に出ていった。

そして──

真一と葉月の二人になると……

「シンちゃん? 来てくれたの……有り難う」

葉月がそっと日差しの中……真一がいる窓辺に視線を向けて微笑んだ。

母親にも無表情だったのに……急に葉月が笑ったので真一はちょっと戸惑った。

「大丈夫?」

やっと……葉月の側に寄って……大好きな若叔母を見下ろした。

「夢……見ていたの」

「ふーん……どんな夢? 隼人兄ちゃんだった?」

真一がニヤリとからかっても、若叔母は穏やかな笑顔でそっと首を振った。

「昔の夢……それで、目が覚めてシンちゃんがいて……

『教えてあげなくちゃ』……真っ先にそう思った」

真一は葉月が日差しの中、茶色の瞳をそっと透き通らせて遠い目をしたのに

『ドキリ……』と胸騒ぎがした。

そして──葉月がまた、表情をそっと固くして呟いた。

「パパが助けてくれたの」

「うん……聞いたよ。お祖父ちゃん……現場まで駆けつけちゃったんだってね!」

真一が微笑むと……急に葉月の顔がさらに固くなった。

すごく真剣な表情に変わったのだ。

真一は少しばかり首を傾げて若叔母を見下ろす。

そして……葉月は一時黙り込んで真一から視線を外し、天井を見つめていた。

暫くして……葉月が思わぬ事を口にした!

「違う……あなたの……パパよ」

「──!!」

(オヤジのこと!?)

葉月とは……『秘密は共有』しなくなって何年か経っていた。

お互いに解りながら、触れないようにしながらも

お互いに黒猫父の事についてはそれとなく情報交換をしてきていた。

なのに!

初めて……葉月が明確に言葉にしたのだから!

真一は息が止まるほど驚いて、身体が硬直……表情も固まった。

だけれども! 知りたくて、知りたくて仕方がない話……。

葉月が目を覚ましても、すぐに聞いちゃいけないと思っていた話。

「…………」

急に『確かな言葉』として突きつけられては……真一もどう反応して良いか解らない。

だって……もう、子供じゃない。

葉月も解っているのだ……『子供だましはもう真一には通用しない』

だから……初めて……子供じゃない子供扱いじゃない……。

真一の反応を葉月は様子を伺いながらも、何か覚悟をしているような感じ。

そして真一と数年前、途絶えてしまった『共有』を呼び戻そうとしているのだ。

それに葉月には『真実を知ってしまった事』はばれている。

葉月は義理兄と姉が夫婦の様にして写っている大切な写真を真一にくれたのだから。

すると……戸惑っている真一を見て葉月がまたいつも通りに微笑んでくれた。

「私が教えた事……お祖父ちゃんとお祖母ちゃんには内緒よ

解っているのでしょう? だって、シンちゃんは……ちょっと大人だものね?」

「ちょっと……ってなんだよ!」

真一がむくれると葉月がやっとそれらしくクスクスと笑い始めた。

それを見て……真一も、やっと嬉しくなって力が抜けてしまった。

「……そうだと思った……オヤジがね」

「オヤジ!? シンちゃん……『兄様』の事……そんな風に呼んでいるの?」

可愛い無邪気なばかりの甥っ子が、男らしく『オヤジ』と言ったことに葉月がかなり驚いた。

「葉月ちゃんこそ……

あんな、ふてぶてしくて、厳ついオヤジを『兄様』なんて『様付け』で呼ばなくて良いよ!」

真一が腕組み、そっぽを向けると……『ぷ……』と葉月が吹き出したのだ。

「ふてぶてしくて、厳ついって……あははー!」

「笑うと傷にひびくよ?」

真一は顔をしかめて、唇も曲げた。

でも……葉月が笑っている。

いつかは一緒に話題にしたかった男の話をして笑ってくれている。

真一も可笑しくなって……嬉しくなって一緒に笑い声を立てていた。

「本当……確かにシンちゃんの言う通りよね」

「もう……ここまで話してくれるなら、俺、自白しちゃうけど。

この前だって、俺の腕のロレックス気が付いていたんでしょ?」

真一は葉月を試すように真剣な眼差しで、若叔母の反応を伺ってみる。

すると──若叔母は、そっと静かに微笑んで頷いただけ。

「……」

言葉は返ってこなかった。

おそらく……裸足で飛び出してしまった事。

その心情はまだ真一には言いたくない様子だから真一は避けようとする。

「その時……ううん! もっと俺がガキの時から……

オヤジ、俺のこと何て呼ぶか知っている!?」

すると葉月が興味を示したのか、驚いた瞳で真一を見据えた。

「……『ボウズ』だってさ! ふん! あんなの『クソオヤジ』で充分だよ」

真一が憎々しそうにそう伝えると葉月がまた『ぷ……』と笑い声を漏らした。

「やだぁ……シンちゃんが『クソオヤジ』なんて言葉……

それに……兄様らしいわね? 『ボウズ』だって!」

葉月がまたケラケラ笑いだした。

徐々に葉月の頬に赤味が増して、笑顔が輝いて

いつも真一が知っている大好きな若叔母、お姉ちゃんに戻っていく。

だけれども……そんな葉月が一頃してまた、そっと笑顔を静かに鎮める。

「私の事はなんて呼ぶか知っている?」

「……知るわけないジャン。でも……なんて呼ばれているの?」

真一も気になって耳を傾ける。

「……『オチビ』って言うの。末っ子だったから……いつも『オチビ』って今でも」

真一の若叔母が、そっと枕から首を傾けて外の光に視線を馳せる。

遠い目……すこし哀しそうな瞳。

真一には解る。

葉月が裸足で飛び出した、あの『勢い』

『兄様──何処にいるの!? 逢いたい!!』

きっと黒猫のジュンの前では、葉月は昔通りの『オチビ』に戻れるのじゃないかと……

そう思えたのだ。

葉月の戻らない時間。

葉月の宝物の時間。

でも──真一は羨ましく思う。

葉月は……葉月は……

真一には数えるほどしか見た事ない『父親・純一』の姿に言葉に仕草……。

たくさん知っているはずなのだ。

そう思って……真一がふと俯くと……

「シンちゃん? こっちに来て?」

ベッドで寝たままの葉月が……少し顔を歪めながら動く右腕を伸ばしたから……

「駄目だよ……動かしちゃ!」

慌てて、葉月が言うままベッドの手すりに身を乗り出した。

「ごめんね? これからは……姉様のこと聞かれたとき答えていたように……

兄様の事も何でも教えてあげる……私が知っていることならね?

知らないの……何故? 兄様が突然、あなたを置いていったか……

『オチビ』だった私には解らないの……

誰にも聞けなかったし、大人達も兄様達も教えてくれなかったから……

だから──私とシンちゃんは……『オチビとボウズ』

御園の中では……まだまだ……同じ子供なのよ……」

「葉月ちゃん──」

葉月が白い手を……手すりに身を乗り出している真一の手にそっと乗せた。

ひんやりとして……でも、気持ちが良くて。

昔から知っている安心できる手触り、葉月だけの温度。

「教えてあげるね? 今回逢ったこともいろいろ話してあげる」

そっと潤み輝きだした若叔母の瞳は真剣だった。

子供として蚊帳の外に置かれている『オチビとボウズ』の……

『大人達に内緒』の同盟が成立だ。

真一も……これからは少しは葉月に……

胸の中に貯めていた『オヤジ』への思慕も疑問も好奇心も……

一緒に分け合うことが出来ると解って、素直に微笑んでいた。

「時計──腕に巻いてきたの? この前の時計ね……

兄様に逢えると思ったの??」

葉月が真一の手の上から、腕へと滑って時計にそっと触れた。

そう……真一はこの前貰ったロレックスを腕に巻いてきたのだ。

「逢えるかもよ? 兄様は……まだここら辺うろうろしているような気がする……」

葉月が何か通じ合っているように……自信たっぷり微笑んだのだ。

そんな葉月に……真一はちょっと戸惑う。

「ま……まさか……もう、帰っているよ。何処に住んでいるか知らないけど」

「私も知らない……そんな気がするの」

そういって葉月はまた……生成のカーテンが掛かっている窓辺に視線を馳せた。

真一は……初めて。

『義兄妹』とかいう繋がりを見たような気がした。

『俺とだって親子だよね? まだ……ちょっと実感ない』

やっぱり……葉月が少し羨ましい。

真実を知ったばかり……実の父親の存在を知ったばかり……。

今、真一が感じることが出来るのは

腕にかかるロレックスの重みと……この前、頬に傷付けられたあの時の『痛み』だけ。

真一もそっと……葉月と一緒に遠く日差しに視線を馳せたのだ。