=マルセイユの休暇=

10.また逢う日

 マルセイユの真っ青な空……。

潮風の滑走路に深緑色の輸送機が一機……エンジン音をあげる。

黒髪の青年がそっとタラップで空を見上げた。

柔らかな黒髪がふんわりと潮風に仰がれる。

「ウンノ……? 何しているんだよ?」

黒人の同僚に声をかけられて、達也はそっと空から視線を外した。

「ああ……終わったなぁ……。フランスは初めてだったけど

雰囲気味わえたのは、この空と潮風だけだなぁ……」

すると黒人の同僚『サム』が、呆れたようにため息をついた。

「お前……本当に残らなくて良かったのかよ?」

サムの言いたいところは、達也もすぐに解って少しばかり口元を曲げた。

「サムには関係ないだろ?」

「ああ、そうかい? はいはい……何もいわねぇよ……」

『早く乗れよ!』

タラップのてっぺんで金髪の隊長、フォスターが部下達の搭乗をせかす。

達也はまた、そっと後ろに振り返った。

(どうせ……気が付いたところで、葉月は動けないしな。大丈夫だろう……)

そう思って……輸送機のタラップてっぺんを見上げる。

『達也!』

空耳だろうか? 達也はそっと振り返ったが……

広い滑走路には、航空整備員がうろうろしているだけ……。

『達也!』

また、聞こえたが? 今度は青い空を戦闘機が横切ってゆく……。

『海野中佐!』

(ああ……くそ! なんで? 兄さんの声まで!)

そんな自分を恨めしく思って、タラップの階段を一段ずつあがっていると……

「あ……! ウンノ? あれ!!」

前を昇っていたサムが、急に振り返って滑走路の彼方を指さしたのだ。

「……ウンノ! 見てみろよ!!」

タラップの登頂にいる金髪の隊長までもが指さすのだ。

「??」

達也は眉をひそめながら、隊長と同僚が指さす方に視線を向けると……

「達也! 待って!!」

「海野中佐!!」

滑走路のアスファルトの上……

紺の作業着姿の男と……抱きかかえられている白い服の栗毛の女。

「アイツら──!?」

達也はビックリ! 動けるはずない葉月を隼人が抱きかかえて近づいてくる!

「──くそ!」

二度と顔を合わせまいと、昨夜から隼人を避けていた。

その『努力』を無にされる!……そう思って達也はサムを押しのけてタラップをあがろうとした。

だが──!?

「サム! その『わからずや』をこっちによこすな!」

フォスターがタラップのてっぺんでそんな『命令』を──!

「オーライ! 隊長!」

サムが大きな身体を目一杯使って達也の前進を差し止めた。

「くそ! どけよ! アイツらクレイジーだ!!

病室を抜け出すじゃじゃ馬ならまだしも! 連れ出す側近っているかよ!?

冗談じゃないぜ!!」

達也も思いっきり『抵抗』──サムを押しのけようとした。

だが……

「サム! やれ!」

また、フォスターが……そしてサムも『ラジャー!』とかいって……

達也の襟首を掴んだではないか!?

サムの身体は達也より大きくがっしりしている。

だから……襟首を持ち上げられて、軽々……タラップの下に押し進められる!

「こら! やめろ! サム!! 覚えていろよ!!」

「まったく……お前さ。フロリダで何年意地張っていたんだよ?

皆、お見通しだぜ? 沢山の男が狙っていたマリア=ブラウンを何故、振ったかなんて!」

「──!!」

一番痛いところを、余り触れなかったフロリダの仲間がついに口にしたので

達也は思わず抵抗する力を緩めてしまった……。

だから……その隙にとうとう……サムにタラップを降ろされて、滑走路に立たされた。

「元に戻れなくても、今度はしっかり別れるべきじゃないのか? 逃げるなよ」

サムに『バシリ!』と背中を叩かれた。

サムはフォスター達がタラップで見守る所に退いて行く……。

潮風の中……達也は一人、取り残され……

「達也──!」

滑走路の地平線……青空が広がる中……

葉月がやっと隼人の腕から、裸足でアスファルトに降ろされてたたずんだ。

膝丈の白い患者服……まるで白いワンピースを着ているように見える。

だけど……薄着なので日に透けて……彼女の身体の線が丸見えだった。

(まったく──)

達也は顔をしかめて……目をそらした。

五歩……歩けば目の前に愛していた女がそこにいる。

だけど……達也は顔を逸らしたまま、それ以上身体が動かない……。

「どうして? どうしていつも何も言わないで消えちゃうの?」

葉月が、叫ぶ。

「あの時、フロリダに行くときだって! フロリダから小笠原に来た時も

遠野大佐が危ないことになって一緒に助けたときだって……

私が怪我して入院している間に何も言わないでフロリダに帰って!

いつもじゃない! いつも……私に『有り難う』とか『ゴメンね』とか

『また、逢うね』すら言わせてくれない!! どうしてなのよ!!」

葉月が叫んでも達也は顔を逸らしたまま……動かなかった。

その内に……葉月が左肩を重そうに引きずりながら一歩前に出た。

よろめきながら、痛さを堪えて顔を歪めて……

二歩目でよろめいて……三歩目……達也の目の前でつまずいて地面に膝をついてしまった。

「…………」

達也はそこでやっと顔を上げた。

顔を上げた先……葉月を連れてきた隼人が彼女の少し後ろで腕を組んで立っている。

葉月が転んでも……微動だにせず、ジッと達也を見据えているのだ。

(なんでだよ!?)

葉月に甘いのかと思えば……全然……。

隼人が葉月に手も貸さずに、ジッと事を眺めている落ち着きに達也は動揺した。

「っつ……! う……」

それでも葉月が右手だけで、何とか立ち上がろうと顔を歪めていた。

アスファルトは朝日を浴びて……徐々に熱気をあげている。

裸足の葉月はその熱いアスファルトの熱にも顔を歪めているのが解る。

「まったく!」

達也は……紺の上着を脱ぎながらやっと葉月の目の前へ動く!

「お前……何やっているんだよ! 大人しくしていろと言っただろ!!」

葉月の右腕を引っ張り上げて立ち上がらせる。

そして……薄着の上に紺の上着を被せる。

すると……葉月がジッと達也を見上げて……

「バカ……やっと、逢えたのに……。やっと終わったのに……バカ!」

そういって……白いティシャツ姿になった達也の胸に抱きついてきたのでビックリ硬直!!

「バカ……本当にバカ!」

シャツを握りしめて葉月はその達也の胸に顔を埋めて涙をこぼし始めたのだ……。

誰もいなければ……いや、隼人がいなければ思わず抱き返しているところだ。

でも……達也はそんな葉月を見下ろして……

そして後方でそれでも……ジッと狼狽えずに腕を組んで動かない隼人を見つめる。

隼人の横に……真一と登貴子が追いかけてきたのかそっと……

その隣りに並んだ所だった……。

彼の真っ直ぐに黒く輝く瞳が……何かを見守っているようだ。

『俺の出る幕じゃない』

そんな眼差し……でも、見守っている眼差し。

怪我をしている恋人を、病室から連れだしたその行動力にも驚くばかり……。

──『あなたと康夫と彼女の大切な同期生の『絆』

あとから来た、私に束縛する権利なんてどこにもないですよ?』──

初めて隼人と話した時、彼がそう言っていたのを達也は思いだした……。

だから……隼人は動かない。

これは達也と葉月だけの……『絆』の為に……。

(なんて……男だよ! 本当に……なんて事……)

達也はそんな隼人の心意気……。

葉月が惚れただけじゃない……。

きっと誰もがこの男のこんな所に惹かれてしまうのだ……。

そう素直に思えて……そして、そんな自分も……感動していた。

だから……

そっと、葉月を抱きしめた。

「葉月、ごめんな……俺の事なんてもう関係ないと思って」

「なんで? 達也がいなかったら私、どうなっていたと思うの??

達也がいなくなっても、何度か軍人辞めて右京兄様の所に帰ろうと思ったけど……

達也がフロリダで頑張っているから、康夫がフランスで頑張っているから私だって!!」

白いシャツを引っ張りながら葉月が達也を濡れた瞳で真剣に見つめる。

そう……その言葉だけで充分だった。

だから……もう一度、葉月を抱きしめた。

彼女の栗毛の頭を胸に引き寄せた。

葉月の匂いを……確かめる。

懐かしい……達也のじゃじゃ馬。

指に絡む短くなった栗毛の感触は全然変わらない。

昔のまま……。

そんな彼女の小さな頭に達也は口付けるように頬を埋めて呟いた。

「葉月……俺も現場に戻る事にしたんだ。お前と康夫と同じ現場で頑張るんだ。

お前もさ……頑張って兄さん達と一緒に中隊を育てろよ。

それから……兄さんを大切にしないとダメだぞ……。二度と好きな男、手放したらダメだ……」

本当はもっと上手く格好良く言いたい事沢山ある。

だけど……これだけ言うのがやっとだ。

これ以上はもう……声が歪んで涙がこぼれそうだから……。

葉月もそれ以上はもう言葉が出てこないようだ。

彼女も言葉の表現が乏しいから。

達也は不器用でいつも強がりの言葉しか出ないから……。

「達也……葉月……」

暫く抱き合っている二人の前にやっと隼人がやってきた。

隼人は……そんな葉月をやっと達也から引き離すように

葉月の肩を抱いて自分の胸元へと引き寄せ達也から離した。

達也も……惜しい気持ちは湧かなくて素直に葉月を隼人に返した。

でも……隼人は葉月の肩を抱いたまま……

あの輝く黒い瞳でジッと達也をまだ見据えているのだ。

そんな隼人に達也は一言……。

「……元気でな」

達也はせめて最後は笑顔で別れようと……隼人にニッコリ微笑みかける。

だけど……隼人は笑ってくれなかった。

達也はやっぱり……葉月を抱きしめた事、それなりに怒っていると感じた。

だが……隼人がまったく思わぬ事を口にしたのだ!

 

「……小笠原で葉月と待っている。絶対、戻って来いよ」

 

「!!」

「!? 隼人さん??」

当然! 達也は驚いて、葉月も驚いて真剣な顔の隼人を見上げたのだ!

それでも隼人の真剣で真っ直ぐな眼差しは、達也だけを見据えている。

達也もその強い眼差しに捕らえられたように逸らせない!

「遠慮はいらない。葉月が欲しいなら奪いに来いよ。

俺は決めた。葉月には達也が必要だ……そっちにその気がないなら迎えに行く」

「な、な、何言い出すんだよ! そんな事いうと本気で葉月を奪ってしまうぜ??」

いつもの調子でおどけて笑い飛ばしてみたし……

「そ、そ、そうよ! 隼人さん、なに勝手なこと言い出すのよ!」

葉月も瞳をまんまる開いて慌てていた。

「フェアに行こうじゃないか? 葉月の前で『決着』つけようじゃないか?」

「──!!」

達也と葉月は揃って息を呑んだ。

隼人の真っ直ぐ輝く瞳が『本気』だったからだ!

「まぁ、俺の独りよがりだ。後は……達也も葉月も自分自身でそれぞれ決めてくれ」

隼人はそれだけ言うと……

また、葉月を達也と向き合わせてサッと登貴子がいるところに退いていったのだ。

 

 「隼人君……」

隼人が真顔で戻ると登貴子がそっと笑顔で迎えてくれた。

「あなたって子は本当に……」

そんな登貴子が隼人が言い出した事に笑顔で労ってくれたから……

隼人もそっと微笑み返した。

「その方が……いろいろと早く片づいて良いかも知れないかなぁ〜? なんて……」

おどけて笑うと……登貴子が本当に母親のような優しい笑顔を浮かべて

隼人の腕をまた……優しい手つきでそっと撫でてくれたのだ。

まるで『ご褒美』のように……。

隼人だって自然と口にした事。恐れていることなんて何もない。

『簡単にじゃじゃ馬はあげないぜ?』

その自信はたっぷりあるのだ。訳の解らない『謎の男以外』には……。

だから、隼人はまた向き合っている葉月と達也を微笑んで見守った。

「達也兄ちゃんとも遊びたかったな……」

真一が残念そうに呟いた……。

「また、達也兄さんは真一に会いに来てくれるよ。今度、皆で会いに行こうか?」

隼人はそっと真一の肩を抱いて微笑んだ。

真一も……若叔母と達也の別れの邪魔は出来ないことは心得ているようで

隼人のその言葉に安心したように微笑み返していた。

登貴子は……

その輝く美しい眼差しの青年をそっと潮風の中見上げた。

『本物の男だわ』

そう直感した……。

『この子と葉月を……絶対に結婚させるわ……』

母親として急にそんな意志が固まった瞬間だった。

 

そして──

戸惑うばかりの同期生が二人……驚きで言葉を失って向き合っていた。

「な、なに? あの兄さんは??」

「わ、私だって……驚いたわよ!」

隼人の『突然宣言』のせいで、これ以上感傷的にになんかお互いなれない。

「ったく……やってらんねぇよ! じゃぁな!!」

彼女の肩からサッとかけていた紺の上着を取り去る。

達也は何かから逃げるようにさっと葉月から背を向けたのだ。

「達也──」

これ以上向き合っていると……本当に隼人の言葉に甘えて本気になりそうだから……。

『葉月、小笠原に帰るからな! 待っていろよ!』

本当に……そう言いたくなったから……。

葉月も解っているのか引き留めない……。

でも──

「達也! 康夫が復帰して赤ちゃんが産まれたら一緒にお祝いしようね!」

彼女の明るい声が……達也の背に届いた。

「そうだな。お前も大人しく養生しろよ」

それだけ振り向かず言って……肩越しで面倒くさそうに手を振ってみる。

「うん!」

彼女の元気な声が届いた。

達也は立ち止まる……振り向きたい。

きっと、その声の葉月は……達也が大好きな元気な笑顔を明るく浮かべているはずだから。

でも……それを見ると辛いから、別れるのが辛いから……。

達也の心に残っている彼女の笑顔を思い浮かべるだけにとどめて……

「隊長……サンキュー」

タラップをあがって仲間達と輸送機に乗り込んだ……。

「もう一度、彼女に手を振ってやったらどうだ? 全然動かずお前を見ているぞ?」

フォスターが優しい眼差しで達也を搭乗口で差し止めた。

「……」

達也はそっと振り返る。

タラップの下……葉月一人が達也を見上げている。『笑顔』で……

達也が振り向いたのでさらに嬉しそうに輝く笑顔をこぼして……

「元気でね! 『また、逢おうね』!!」

達也の大好きな笑顔で……彼女が右手を大きく振ってくれた。

左肩を重そうに……ちょっと下に傾けながら……。

『笑顔のお別れ』は……初めてだった。

それだけで……達也は胸が張り裂けそうなぐらい、いっぱいになった。

もう涙がそこまで浮かんでいた。

「またな!」

ぶっきらぼうにサッと手を振ることしかできなかった……。

『……ったく。いつもの調子はどうした??』

フォスターがもどかしそうに苦虫を潰したような顔をしたが

達也としてはそれ以上は男としてみっともない事になりそうだから

手を振るなりサッと背を向けてしまったのだ。

「でも、彼女嬉そうじゃないか? やっぱりな。笑うと可愛いお嬢さんだ」

フォスターがそういって達也の肩を叩きながら一緒に輸送機内に入ってくれた。

仲間達が席のない輸送機内で陣取りを始めている。

達也はそっと一番後ろに一人座り込んだ。

「お〜い。ウンノ! そんな所にいないでこっちに来いよ!」

クリフやテリーがからかうようにして達也を呼んだのだが……

『そっとしておけ』

フォスターが呆れたように、からかう部下達の声を諫めていた。

輸送機のエンジン音が高くなる。

そっと……機体が空に向かって傾きだした……。

ゴーという音の中……達也は仲間に顔を背けてそっと涙をこぼしていた。

いつも最後のお別れの挨拶はなかった。

『また、逢おうね!!』

いつまでもその葉月の声と笑顔が達也の眼の奥で繰り返される。

今度は『また逢えるお別れ』

彼女が笑顔で見送ってくれた……。

そんな声を殺して涙を流す達也の横にそっと……フォスターが座り込んだ。

「ウンノ……お前さ……。本当に彼女のことが『一番』で『大切』で『必要』なんだな……」

「関係ないっしょ……『先輩』には」

涙を見せまいとフォスターから顔を背けたが……彼がそっと笑ったのが解った。

「……『先輩』じゃなくて、これからも、『隊長』と言ってもらおうおかな?」

「? 任務は終わったんだ……もう『先輩』だ」

達也がやっと涙を拭いていつもの生意気を叩くとフォスターがやっぱり可笑しそうに笑う。

「とりあえず……どうだ? 現場に戻るなら俺の所に来いよ。話、つけてやるからさ」

フォスターのその『誘い』に達也は驚いて……先輩をそっと見上げたのだ。

輸送機は高く、高く……真っ青な空に辿り着いて気流を滑り出す。

マルセイユの真っ青な海に負けない……

太陽の国……『フロリダ』に男達は帰るのである……。

 

 ──『また逢う日』──

その日はどんな時、どんな日なのだろうか?

達也の瞳の涙は乾いて、そっと笑顔を浮かべていた……。

『今度逢うとき、俺も負けない笑顔で逢うからな!』

空は青く、海も青い……。

潮風は爽やかに……そんな達也のフランスのひとときが終わろうとしていた。

 「まったく! 管制塔に他の戦闘機の離着陸を遅らせる指示にてんてこ舞いしたじゃないか!

アルマン大佐には『これっきりにしてください』とぼやかれるし!

HCUの医師には『ご両親がついていて何事か!』と叱られるし!!

フロリダ中将として恥ずかしい印象ばかりここに残してしまったじゃないか〜!!」

事が落ち着いて……葉月は再度、HCUの病室で点滴を施されて

医師にこってり絞られた後……

亮介が数々の手配を終えて……任務隊を送り出してやっと病室に戻ってきたのがお昼前。

葉月と隼人にクドクドと『文句お説教』をしているところだった。

「いいじゃん! お祖父ちゃん! そんな事忘れてさ、お腹空いた〜♪」

真一も解っているのか? 解っていないのか?

そのお陰で達也と葉月が心残りなく『お別れできた事』を──。

その事でクドクドと文句をたれている祖父に飽きたのか

お祖父ちゃんに抱きついて甘えたのだ。

「ん〜……。そうだな! 私も私服が欲しいから外に買い物に行こうかな??」

「わーい♪ わーい♪」

真一がはしゃいだだけで……本当に亮介はサラッとお小言を止めた。

隼人と葉月は顔を見合わせてホッとしながら

『真一……サンキュー』

『シンちゃん、助かったわ』

二人一緒に真一に手を合わせて拝むと真一もニッコリ……

舌を出してちゃっかりお祖父ちゃんに甘えるのだ。

隼人と葉月は顔を見合わせてそっと微笑み合った。

「隼人君にも好きな私服を私がプレゼントするよ! 一緒に行こうじゃないか?」

「いえいえ……僕は──」

「何言っているんだい! こんな汗臭い仕事着なんか、いつまでも着ていられるか!」

亮介が『ふんぬ!』と迷彩柄の上着を引っ張って胸張ったので

隼人は可笑しくなって……

「そうですね……お父さんに甘えさせて頂きますよ」

そう言うと亮介も本当に嬉そうに笑ったのだ。

『パパとママも……男の子が生まれなかったから息子みたいにすると喜ぶわよ』

葉月が昨夜、宿泊の事で遠慮した隼人のことを考慮して、そう教えてくれたのだ。

だから……達也が思いっきり遠慮がないのもそう言うことなのだろうと隼人も納得。

『甘える』という事は慣れていないのだが……

少しずつでも差し支えないなら……そうして行くことに決めたのだ。

「ママはどうしちゃったの? パパが帰ってくるなり、何処かに行っちゃって?」

父親のお説教が終わって葉月も落ち着いたのか

姿のない母親にやっと気が付いたようだった。

隼人も、葉月がそう言いだしてふと気が付いた……。

(あ! もしかして……)

検査結果を聞きに行ったのではないか? と隼人の頭に過ぎった。

そう思いついて、落ち着かなくなった途端に……

「ただいま。そろそろランチの時間ね?」

登貴子が笑顔で戻ってきたのだ。

「いいわね〜皆は一階のレストラン?」

葉月が一人ふてくされた。

「あら? 二、三日我慢なさい。先生はそれぐらいで退院できると言っているわよ?」

「二、三日もぉ……一週間の休暇が半分それで終わりなの?」

葉月はもう、元気有り余っているのかその報告に益々ふてくされたのだ。

「そうそう……隼人君」

そう呼ばれて隼人はドッキリ! 登貴子の笑顔を見つめた。

「は、はい……」

「……私のジャケット何処に行ってしまったのかしら??」

「あ……えっと……」

「……一緒に取りに行きましょう?」

登貴子がジャケットのかこつけて、隼人を外に連れ出そうとしているのが解った。

そんなさりげなさ……は、本当に流石で驚くばかり。

「はい……」

察しの良い隼人にも登貴子は満足そうで笑顔にて隼人を外に連れだしたのだ。

『ジャケットがどうかしたの?』

出た途端に葉月も不審そうに真一に尋ねている。

『ああ。うん──お祖母ちゃん昨日、コーヒーこぼして……

隼人兄ちゃんが知り合いに頼んでクリーニングに出したみたい』

登貴子が倒れたことはまだ誰も言っていない事を真一もしっかり心得ている。

本当に頭の良い子だと隼人は感心しつつも……

緊張しながら病室を離れる登貴子について行くだけ。

HCUの外にまで連れて行かれて自動ドアの側にある待合室に連れられた。

そこはお昼時のせいか……誰もいない。

登貴子はそこにあるソファーには座ろうとせずに……隼人に振り返った。

「あの……ジャケットは……夕方じゃないと取りにいけなくて」

「……有り難う。お友達に頼んでくれたの?」

「はい……同じメンテ員の同期生に」

「…………」

登貴子が急に真顔になって隼人を見上げた。

「検査の結果……聞いてきたわよ」

「それで──!?」

緊張の一瞬!!

登貴子はすぐに言おうとはしなかった。

その顔が……複雑な表情を刻んでいたから……。

でも──そっと隼人が不安がらないような優しい笑顔を浮かべてくれている。

隼人は、息を呑んで登貴子の一言をひたすら待つ。