5.甥っ子

『澤村隼人』という名を聞いて…真一が硬直している。

それもそうだ…。隼人は昨夜…フランスを出る前にこの少年が送ってくれたメールに

応えられない内容の返信を送ったのだ。

『あなたの叔母さんにはもう何もしてあげられない。』

少年はそれを読んで『叔母を元気づけて欲しい』と言う願いが叶わなかったと

ガッカリしたに違いない。

隼人としてはそれは『ひっかけ』で『フランスからはもう何もしてやれないこれからは日本で…』

と言う風にも取れるように書いたのだが…。

島入りはこちらの日本側の者にはトップ以外は誰にも告げずに来るために

どうしてもそう返事を書かざるを得なかったのだ…。

「ほ…本当に…『澤村さん』?」

「初めまして。真一君」

隼人を指さして呆然としている真一に、もう一度…ニッコリ微笑みかけると…。

「ジョイ!あっち行って。俺。新しい側近さんとお話があるの」

「え?何でだよ??」

「いいから。バイバイ」

栗毛の少年には弱いのか…ジョイは真一に背中を無理に押されて

渋々自動ドアの外に出ていった。

自動ドアが閉まると…真一がダッと隼人のデスクに走ってきて、隼人はおののいてしまった。

「本当に??あの『澤村さん』??メールの澤村さん??」

「その…。」

「じゃぁ??昨夜のメールは何だったの??

うちの中佐にはもう何もしてあげられないって??」

「だから…」

「あ!!!もしかして!『フランスからは』って言うのが『ひっかけ』だったの!?

もしかして!?葉月ちゃんを驚かそうと思って??」

隼人が口ごもっている間に鋭く見抜かれたので隼人はビックリ口を開けてしまった。

「正解」

隼人が参ったな…と言うようにおどけると、真一がパッとこの上ない笑顔をこぼした。

そのうえ…

「すっご〜い!!あの葉月ちゃんを騙すなんて!さっすがぁ!!」

隼人に抱きついてきて…隼人はウッと声を詰まらせておののいた。

葉月の明るさはこの子が全部吸い取っているんじゃないか??と言う勢いだった。

葉月にこの屈託のなさが少しでもあったらもっと可愛らしいのに…。

そう思わせるほど…本当に屈託のない少年だった。

だからといって…あの若い葉月にこんな大きな甥っ子がいるのも驚きだった。

想像していた様な…子供ではない風貌だが…やっぱり子供だった。

自分の歳の離れた弟の方がまだ…17歳の高校生らしい生意気さはあるのに…。

真一が着ている紺の詰め襟制服がかろうじて…。彼の凛々しさをかたどっているだけだった。

「は!そうだ!」

真一は急にハッとしたようにして、隼人の身体から離れた。

「俺言っていないからね!メールのこと黙っていたよ!」

急に胸張って『男の約束』を果たしたことを言うので隼人はその可愛らしさに

思わず笑ってしまった。

「俺も言っていないよ。真一君に会うまでは…彼女には内緒…」

隼人がそう言うと、真一はもっと嬉しそうに微笑んだ。『男同士の秘密』がどうやら嬉しいらしい。

康夫が言ったとおりだと…隼人はまた笑っていた。

茶色の瞳は葉月にそっくり…きらきらに光り輝いて思わず隼人はドキリとしてしまった。

「じゃぁ。ずっと内緒♪葉月ちゃんに叱られるモン。勝手に隠していたアドレス捜したんだ。」

「彼女…。取っていたんだね…。俺のアドレス」

「うん!『空母艦実習がどうなったか気になる』ってメールを書いていたのに送らないんだよ!」

「そう…。でも、さっき報告したよ。研修生の実習も…卒業も…無事に終わったと。」

「そんなことより♪葉月ちゃんすっごく喜んだでしょ??だってさ…」

そこまで言って真一はクスクス笑いだした。

「何?」

「ううん。内緒♪」

少年が『内緒♪』と言う意味が隼人には解っていた。

『叔母を泣かせた男。叔母がこの一ヶ月引きずっていた男』

その男に叔母が思いを寄せていることを肌で感じていたのだろうと。

真一が突っ込まないので隼人も…そのままにしておいた。

「謝ろうと思って。返事もすぐに出せなかったし…。昨日も。ガッカリしただろう??」

「うん。でも!いいよ!こうゆう訳だったなら♪こんな事が出きる人ってスッゴイなぁ」

『すごくないよ』と隼人は真一のきらきらの大きな瞳に思わず照れてしまった。

「これからはずっと一緒だね!よろしくね!!大尉♪」

彼の屈託のない笑顔と歓迎に…隼人もニッコリ…思わず満面の笑みを浮かべてしまった。

「それにしても…大尉って…」

眼鏡を掛けている隼人を真一はまじまじと見てなんだか満足そうだった。

「なに??」

「ううん。内緒♪」

『俺の父さんに似ているっぽい♪』

真一は心の中でそう思って…これなら葉月が好きになるはずだと…一人でクスリとこぼしていた。

真一は、いつも座っている椅子に隼人が座るようになってしまったので…

葉月が今座っている革張りの椅子を見たが…。

座れなかった。それも葉月が未だに…『失礼します』と言って

亡き大佐の席として扱って…頭を下げてから座るからだった。

諦めて…応接ソファーに移動して葉月が帰ってくるのを待つことにした。

「あ。大尉、俺のこと気にしないでね。お仕事の邪魔すると葉月ちゃんに追い出されちゃうから」

「そうかい?じゃぁ…遠慮なく。」

物分かりのいい少年で隼人はホッとしながらインストールの続きを始めた。

時々…集中しているところを真一がついたてから覗きにきて

ニッコリ微笑むので…隼人は『???』と首をかしげつつ…何とか

ジョイが渡してくれたソフトのインストールは終わらせた。

次はどんなソフトか開いてみる。

今度はキッチンでカチカチ音がした。

『???』と再びついたての向こうを今度は隼人が覗いた。

真一がお茶を入れているのだ。

「あ!気が付かなくて!」

相手は将軍の孫だ。側近としてもてなすべきだったか?と隼人は焦ってしまったが。

「いいの。葉月ちゃんの紅茶はいつも俺が入れているの。手を出さないでよ♪」

ニッコリ…また可愛らしい笑顔が返ってきて…

隼人は…本当にこの男の子は葉月が好きで…

葉月の側で生きているんだ。慕っているんだと痛感してしまった。

隼人がマリーにベッタリしているのに似ていた。

「何を…作っているんだい?」

隼人は妙に手慣れている真一の手元に惹かれるようにキッチンに向かった。

「ロイヤルミルクティー。ウチのね。御園博士ばあちゃんが得意で

葉月ちゃんは、これが大好きなんだ♪俺も大好き♪ばあちゃんが作ったのが一番サイコ〜♪」

『それで彼女ミルクティー派なんだ』

隼人は…そう思いながらも…目の前の男の子もすごい『坊ちゃん』だと痛感した。

よく考えてみれば…御園中将と御園博士女史の可愛い孫…。

葉月よりすごいかも知れないと…。

「そうやって…いつも叔母さんに?」

「うん♪大尉も作れるようにならないとお祖母ちゃんに叱られるかもよ♪」

「え!?本当!?」

葉月の母親がそんなに厳しい女性かと隼人は焦ってしまった。

いつかは…これからはきっと逢うだろう…葉月の母親に嫌われるとか

そんな今まで意識しないことが急に気になったりして自分でもビックリだった。

「嘘。お祖母ちゃんは怖い人じゃないよ。お祖父ちゃんも。

でも。将軍お祖父ちゃん二人はお茶入れにはうるさいよ。」

隼人はホッとしたりしたが…側近としてお茶入れはこれから必要不可欠だと心得ることにした。

そして…ふともう一つの言葉に反応していた。

「将軍お祖父ちゃん二人??」

「うん。鎌倉の…准将のお祖父ちゃん。フロリダのお祖父ちゃんの弟。

葉月ちゃんの叔父ちゃんだよ。勿論。俺のお父さん側のお祖父ちゃんも鎌倉にいるけど。

そっちのお祖父ちゃんは開業医なんだ。ご近所なの」

「へぇ。そうだったんだ。それで?真一君はお医者の勉強を?」

「っていうか。死んだ父さんが…『軍医』だったんだ。だから。父さんみたいな医者になるんだ」

それが、康夫が言っていた『葉月の初恋の…兄さん』と言うことが隼人の頭に巡った。

この男の子が葉月にそっくりではないと言うことは…

どうやら父似らしい…。

その真一の顔を隼人は眺めて…『こんな風に可愛らしい人だったのかな??』と

なかなか葉月の初恋の男の雰囲気がつかめずに悶々としてしまった。

「父さんはね?いつも眼鏡を掛けていて白衣を着て、本を読んだりしていたんだ。」

「そう…」

親のいない子がそんな風に懐かしそうに言うのが隼人には痛々しく見える。

「五歳の時に死んじゃったんだ。元々身体が丈夫じゃなかったんだって。

俺はこんなに元気なのになぁ。母さんだって…海陸の教官だったらしいけど…。

俺を産んで死んじゃった人らしいから…。俺ってきっと二人の『健康』をもらって生きているんだね」

ミルクパンで丁寧に牛乳を温めている真一の手が止まり…

葉月とは違うちょっとくせ毛の前髪の中に彼の瞳が哀しそうに隠れてしまって…

隼人も…胸が詰まりそうになった…。この子の母親は、この子を産んだせいで死んだのではないが…

それはもっと彼を苦しめる事実…。隼人は早速、御園のタブーに接触して戸惑ったが…。

「俺も…そうだよ。おふくろは。二歳の時に死んだんだ。あんまり覚えていない。

体が弱いくせに…俺を産んだんだってさ。俺もこんなに元気なのにね。

きっと俺もおふくろの元気もらっちゃたんだね。一緒だね」

隼人がニッコリ微笑みと…

「本当に!?………。じゃぁ。俺と一緒だね。

母さんのことはぜんぜん知らない。父さんのことは覚えているけど…」

真一は…側にいる父の雰囲気に似た大人の男が

『一緒だね』と言う共感に心を明るくしたようだった。

「それ…どうやって作るのかな?やっぱり側近なら…隊長のお気に入りは作れないといけないかな?」

隼人は真一が丁寧に暖めているミルクを覗いた。

「ミルクを煮立てないようにすれば簡単だよ。

でも…葉月ちゃんは葉の分量とミルクの兼ね合いにうるさいかな。

ちょっとミルク多めで葉っぱの味がしっかりしないとうるさいんだ。

俺のは褒めてくれるけど。ジョイと山中のお兄ちゃんはまだ『合格』もらっていないんだって♪」

『ほう?』

隼人は遠野のカフェオレの合格はもらっている。

そして…葉月のミルクティーはまだ、誰ももらっていないと言う言葉に反応。

誰よりも早くもらってやる!と言う闘志が湧いてしまった。

「御園のママの味だからね。ばあちゃんには誰もまだ及ばないんだって」

真一はミルクを指で点検して、茶こしに葉を乗せた。

そしてそれをお湯の代わりにミルクで葉を濾すと言うことだった。

「今度コッソリ教えてくれる?」

隼人は葉月から教わるのもなんだか…『彼として?』と思われるのが嫌な天の邪鬼。

真一にコッソリ教わって彼女を驚かそうと思いついた。

「それも、『内緒』?」

真一がニヤリと微笑みかけたので隼人は急に生意気に微笑む男の子にドキリとした。

「勿論。男は影で努力するんだよ」

「わ♪かっこいい♪葉月ちゃんが『惚れる』訳だね♪」

『うッ!』

可愛い顔して結構鋭く突っ込む少年に隼人はビックリおののいてしまった。

『勘が良くて、頭の良い子だ』

隼人は康夫が言っていたことをここで思い返して唸ってしまった。

その上…。

「俺に遠慮しないで、葉月ちゃんの所遊びに来てね!

そうしてくれたら、俺安心して寮にいられるから!!」

と、まで言われて隼人は益々戸惑ってしまった。

「いや。その…。中佐とは別に…そうゆう関係じゃなくて…」

子供の手前だと、体裁を取り繕うとすると…

「え?大尉はそうゆう感じなの??

でも、葉月ちゃんは『べた惚れ』って感じだけど??」

『こらこら…』

隼人は思わず苦笑い…。

やっぱり…16歳らしい『生意気さ』はあるようだと考え直した。

でも…『葉月ちゃんはベタ惚れ』の一言に内心喜んでいる自分にも気が付いたりして…。

真一としては…。

早く隼人が『丘のマンション』に馴染めばいいと思っているのだ。

そうすれば…。

また、若叔母とその横にいる頼もしい男の側に『甘える』日々が帰ってくるのだから。

見たところ…。

『澤村隼人』は、なかなか…若叔母が見初めただけある男だと肌で感じられた。

真一の直感がそう言っているのだ。

「出来上がり!大尉飲んでみて♪」

真一が早速作ったロイヤルミルクティーをカップに注いで隼人の差し出してくる。

「じゃぁ。頂きます」

隼人は程良い温度のカップを手にして一口、口に付けてみる。

(え?美味い)

隼人はビックリ…。

やはりこの子は葉月の側にいつもいる子なのだと痛感した。

「これより美味いの作ったら、葉月ちゃんもっと惚れ込んでくれると思うよ♪」

ニヤリ…と微笑んだ生意気な瞳まで葉月にそっくりで…

隼人は思わず笑ってしまった。

「もう…そっくりだな。『お嬢さん』に…」

「はは。これでも俺って葉月ちゃんの『養子』だからねぇ♪」

(え!?)

隼人は『養子』と言う言葉にビックリしてしまった。

「あれ?今初めて知ったの??まぁ、『書類上』の事なんだけどね。

御園の大人達がそう決めちゃったんだ…。

本当なら…鎌倉にいる葉月ちゃんの従兄である、音楽隊少佐のおじちゃんが

適任なんだってみんなは言うけど…。おじちゃんは、駄目なんだって…。

それはどうしてか判らないけど…」

「その…中佐の従兄は何歳の人??」

「俺の母さんと父さんは同い年だったんだって。その二つ上。

葉月ちゃんとは12歳離れているから…今年…38歳かな??」

(どうして??その人の方が養父に適しているじゃないか!?)

隼人は…そんな年上の親戚がいるのに

葉月の方がこの少年の『養母・保護者』と聞いて腑に落ちなかった。

「でも?俺としては葉月ちゃんの側にいたいから…『島』の訓練校進学を決めたし。

だから、これで丁度良かったんだ♪大人達の考えていることなんて関係なし!」

本当に…この子は…葉月が大好きなんだな…。と隼人は痛感した…。

そう…。隼人にとってもそうだった。

継母は…母でなくて…ただの『姉さんママ』でいてくれたら良かったのだ。

隼人にとって大人達の『枠組み』なんて関係なかった。

だが…継母が隼人が大人に成長するほど『母』になろうとした。

それが重荷だったりした…。

この真一にしても…そう。

誰が適任とか関係ない。

母により近い存在…。母の妹である葉月の側にいられることが一番望んでいることらしい。

(それを大人達が尊重して、若い彼女を『養母』としたなら…)

逆に凄い一族だと御園家の大胆さに隼人は身震いをしてしまった…。

葉月がそう思って、何よりもこの少年のために頑張っているのも頷ける。

彼女は若いながらにして既に小さなママ…。

あの細っこい身体で、奮闘しているのだ…。

「彼女が頑張っているから…俺もここに来たんだ。俺が何処まで協力出来るかは解らないけど…

叔母さんのためにも…『側近』として頑張るよ。」

子供の前だと構えていたが…この目の前の少年の健気さ…そして

頭の回転の良さに隼人は『大人特有の建前的取り繕い』は通用しないと感じて…

素直に今度は心の中を垣間見せていた。

すると…

「有り難う!大尉!!」

きらきらの茶色の瞳がまた隼人にめいっぱい輝きだした。

葉月が時々しか見せてくれない小さな女の子の瞳にそっくりで、

隼人はその甥っ子をすっかり気に入ってしまった。

「真一君は偉いね。明るいし素直で…」

「そうでもないよ」

隼人がそう褒めた途端に、真一が急に大人びた冷たい瞳に変わって

隼人も急にヒンヤリとした…。

『母に死に疑問を抱き始めている』

康夫の言葉がまたこだました…。

大人びた瞳が時々歳を喰っているように哀しそうにまつげを伏せる葉月とまた重なった。

タブーを背負っている悲劇の少年。

隼人は初めて…真一のことをそう感じた。

「そうそう。大尉。『真一君』はやめてよね!俺子供じゃないんだから!」

一瞬垣間見せた真一の『大人の瞳』はすぐに何処かに消えて…

また元の、無邪気なのに言葉は背伸びの子供に戻ってしまった。

「そう?じゃぁ。少しずつ。呼び方変えて見るよ」

「うん!俺も、『兄ちゃん』って呼んでいい??」

隼人が『いいよ』とニッコリ微笑むとまたキラキラのガラス玉の瞳が輝いた。

『まいったな。俺…その瞳には…彼女共々弱いみたいだな』

隼人は自分に甘えてくる男の子が…実家の弟とも重なるし…

葉月があまり見せてくれない代わりにこの子が存分に輝いているしで…

すっかり真一のペースにはめられて、『気に入って』しまったようだと自覚した。

『兄ちゃん』

そう呼ばれたのも…久しぶりだった。

この子にとっても『いい兄貴』になろうと思った。

葉月が良い姉さんで…良い若叔母になろうとしているなら…なおさらに…と。