6.小さなママ

「ただいま。ジョイ」

葉月が空軍チームのミーティングから帰ってきたのは

出掛けてから一時間後の16時だった。

葉月が本部に入ってすぐのデスクに座っている

弟分に声をかけると、何故かそわそわとしている。

「どうしたの?」

そう尋ねると…。

「お嬢〜。真一が勝手に入っちゃったんだ。ゴメン!!

お嬢が帰ってきてから、大尉に会わせた方が良いと思ったんだけど。」

葉月はそれを聞いてびっくり。ジョイと供にそわそわしてしまって

大佐室にすぐには入れなかった。

「い…いつ真一は来たの??」

「30分ほど前かな??入ったきり出てこないし…。」

葉月とジョイが二人揃って、隼人と真一がどんな風に対面したのだろうと

大佐室の入り口で落ち着きをなくしていると…。

「出てこないって事は、仲良くなったんだろ。大丈夫だよ。」

書類を眺めながら、山中がシラッと呟いた。

「あ。お嬢。大尉は俺が今日、官舎まで連れて帰るよ。明日も俺が連れてくる」

葉月が落ち着きをなくしていても、山中はサラッと職務的な事を呟いて

淡々と業務をこなしていた。

「そう…。助かるわ。お兄さん」

隼人が来たばかりなので、葉月が面倒を見ようかと思っていたが…。

それもなんだか、隊長代理で女の葉月が自ら世話を焼くのもどうかと…諭された瞬間だった。

さすが…山中の兄様…。と、葉月は唸ってやっと落ち着きを取り戻した。

だから、思い切って大佐室に入ってみる。

自動ドアが開くと、葉月の肩越しにジョイが身を乗り出して

中の様子を知りたそうに、首を伸ばしていたが

葉月はそれを遮るようにサッと中に入ってすぐにドアが閉まるように身を翻した。

大佐室にはいると、応接ソファーで真一が大人しく座ってノートを広げて勉強を…。

隼人はデスクで既にマウスをカチカチ、ジョイの言いつけに徹している様子。

「あ。お帰り葉月ちゃん!!」

真一が葉月を見つけていつもの笑顔で出迎えてくれた。

隼人も気が付いたのかサッと席を立ち上がった。

「えっと…」

『もう、大尉とはお話しした?ちゃんと挨拶した??』

いつものママ言葉が隼人の前では出せなくて葉月はついつい口ごもってしまった。

「さっきまでね♪大尉とお話していたんだ!あ。ちょっとだけだよ!!邪魔していないよ!」

「そ・そう?」

「それでね!大尉と仲良くなったんだ♪兄ちゃんって呼ぶの。これからは♪」

(兄ちゃん!?)

葉月は真一の積極性におののいてしまった。

なんだか…元・恋人の『達也』がいたときのように、甥っ子が活き活きしていて

来たばかりの大人の男にすっかり甘えきろうとしていることに…。

甥っ子がいかに、父性に恋いこがれているかを目の当たりにして…。

若叔母とその側にいる男が早く仲良くなればいいと期待していることに戸惑った。

「真一君。大人しくしていたよ。な♪」

「うん!」

なんだか…雰囲気が似た二人が目と目を合わせてすっかり意気投合の

微笑みを交わすので、葉月は逆にその二人の間に入りそこねた気分になった。

「ちゃんと…」

「挨拶したモン。ね!大尉!!」

「ああ。しっかりした甥御さんだね。中佐」

やっと出そうになった、ママ言葉を真一に遮られ、隼人に『良い甥っ子』と言われて

なんだかどう反応して良いのか葉月は益々戸惑ってしまった。

「……。そう。だったら。もう紹介はいらないわね。」

「いらないよ♪」

いつもは、葉月の背中に隠れてジッと側にいる大人を観察してから

なつく甥っ子の勢いが今回に限ってはすんなり隼人になついていて

葉月は『どうゆう事??』と首をかしげた。

隼人もそうだった。『早く紹介して』などと言って…。

甥っ子と新しい側近をどのようなタイミングで引き合わそうかと

構えていたのに何だか葉月は『拍子抜け』したと言うところだった。

自分が心配することもなく無事に対面がすんだようなので

葉月はやっと心を落ち着けて大佐席に腰を落とした。

隼人は、葉月が落ち着いたのを見て、再びパソコンに向き合った。

真一も大人しくノートに向かったので葉月も夕方最後の作業に向かい合う。

暫くすると…。

「はい。これ♪さっき作ったんだ。」

真一が葉月専用のカップにロイヤルティーを作って持ってきた。

「…。なに?何かおねだり?」

「あ。わかる??」

「もう…何?これを一口飲んだら大変そうね〜。」

葉月がそう言いながらも、飲んでしまえば甥っ子の言いなりとばかりに

ニッコリとロイヤルティーを口に付けるのを隼人はジッと眺めていた。

「じつはさぁ…」

真一がサッとノートを木造の立派な大佐席の上、葉月が広げていた書類の上に広げた。

「この数学の宿題。明日までなんだ。昨夜も寮でやったけど解らないんだよ。」

「どれどれ??」

葉月が叱ることなく、長い髪を耳にかけてノートをのぞき込んだ。

どうやら真一が今日来た用事と、若叔母の好物を作っていたのは

これが目的だったらしい。

「そうねぇ。じゃ。これとこれがヒント。さて、何処に使うでしょうか?」

葉月がノートの端に何か「X」とか「Y」とか書き込んでそのノートを突き返した。

「うーーーん。解った。やってみる」

真一もそれを見てノートを手に取った。

隼人は…栗毛の彼女と同じ栗毛の少年がちょっと歳が離れた『姉弟』に見えたり…

葉月がしっかりママに見えたりして、目をこすりながら

初めて見る若叔母と甥っ子のふれ合いにすっかり見入ってしまっていた。

十数年前の自分と若い継母を思いだしてしまったのだ。

『あ。なるほど♪』

ソファーの方からそんな声が帰ってくると、葉月はニコリと微笑んで

自分の書類に向かった。

暫くすると…また。

「ここも。教えて」

先程の問題が解けたのか、また真一が次なる疑問を葉月の所に持ってくる。

すると。

「シンちゃん?ここが何処だか解っているの?」

葉月がそう言うと…真一が困ったようにシュンとうつむいてしまった。

「だって、葉月ちゃん…マンションにいつ帰ってくるか解らないジャン…。」

どうやら、仕事中の叔母の所にヒョイヒョイと来ることに釘を差しているようだった。

「持ってきてごらん。見てあげる。中佐よりかは手が空いているからね。」

隼人は真一の困った顔が見ていられなくてつい…そう口走ると

「大尉。駄目よ。解ったわ。どれ??解らないところは全部言いなさい」

葉月が甥っ子の面倒は自分が見るとばかりに再びノートを覗いた。

それでも…真一は叔母が相手をしてくれなかったことに、すっかりしょげてしまったようだ。

隼人には真一の痛みがわかる。

家に帰れば父と母がいる子なら、こうして、ただ一人の叔母を頼って職場に来ることはないのだ。

「ここと、ここと、これ」

真一は少しふてくされながらノートを指さした。

「もう無い??」

「うん…」

真一が拗ねている目の前で女の葉月がすらすらと数学の問題を解くのも

隼人には違和感がある。

パイロットだから高校生如きの数学はお手の物というのも頷けるが…。

「はい。ヒントを書いたから自分でやりなさい。いい?

全寮制で皆、親元離れて自分のことは自分でやっているんだから。解るわね??」

「うん…」

厳しいことを言う葉月に隼人はビックリ面食らってしまったり…。

(まるで…本当に母親じゃないか???)

そう思ってしまった…。26歳の若い女性の言葉ではなかった。

葉月の言うことはもっともだが…。ションボリとノートを持ってソファーに戻った

真一も痛々しくて…隼人は間に挟まれて戸惑ってしまった。

すると…葉月もそうは言ったものの…

甥っ子がちゃんとやるか心配そうに大佐席からソファーの方をジッと見つめているのだ。

その顔は…『本当はうんと甘えて欲しいのよ』というお姉さんの顔なのだ。

隼人はそれを見て何処かホッとして…。

葉月がそれなりに甥っ子を育てよう。しつけようとしていることだから

口は出せないな…と、そっと見守るように知らない振り…。

自分のやることに集中することにした。

葉月の言いつけをキチンと守って、真一はその後は絶対に葉月の所には来ないで

一人で大人しく勉強していた。

葉月もそんな甥っ子を見届けて自分のことに集中したようだった。

そんな風にして、やっと大佐室が静かになった。

初めて葉月が大きな机で『隊長』らしく構えているが、隼人はその方が違和感がなかった。

不思議なことに…。

彼女が立派な机でペンを走らせている姿は、板に付いているし…。

隼人が今まで見てきた姿だった。

そして隼人はやっと、ジョイからもらったソフトとを開いてみて…。

『わ…凄い。これが使えたら…確かに能率は上がるなぁ』

と、感心しつつも…やっぱり解らないところがあった。

そこはメモにとって後で聞くことにして次々と処理用別に作られたシステムを覗いてみる。

時計が定時の17時を指そうとしている頃…。

「中佐。お邪魔しました。お陰様で全部解けました。」

真一が荷物をまとめて、葉月の方にまるで、部下の如く丁寧にお辞儀したので

隼人は…また痛々しくなってしまい…。

「ご苦労様。」

などと、葉月もシラッとして甥っ子をそんな風に手厳しく扱うのにムッとしたりして…。

「お陰様で…これでルームメイトにも教えることが出来ます。助かりました。では、失礼します。」

真一が拗ねた表情でそう言うと…

葉月がガタッと席を立ち上がり、肩掛け鞄を提げて去ろうとした真一の背中に声をかけた。

「ちょっと待って!それを早く言いなさいよ!!」

「いいえ。中佐のお仕事の邪魔はこれ以上したくありませんので…

『ヒント』の使い方が間違っていても、『中佐に教わった』と自分のことは自分でしている

同級生にもそう解いた通りに教えておきます。では…」

「ちょっと!それ間違っていたら、私が間違えて教えたって事になるじゃないの!?」

『待ちなさい!』

葉月がそう言っても、拗ねた真一はスタスタと大佐室を出ようとしていた。

少年の叔母へのやり返し。若叔母の慌て振り…。

「あはははは!!!」

隼人はおかしくなってつい笑い転げてしまった。

そんな隼人の反応に真一が立ち止まり…葉月が真っ赤な顔をして栗毛の中うつむいているのだ。

「もう!何よ!!隼人さんったら!!」

「だってさぁ。アハハ!!お嬢さんがすました顔しても真一君の方が上手なんだもんなぁ!」

『隼人さん』『お嬢さん』のやりとりを耳にして…真一がニンマリ事務席の間に駆け寄ってきた。

「大尉。見て♪」

葉月でなく…隼人の方にノートを差し出してきた。

葉月はそれを見て…自分が教えたことがあっているのかいないかの緊張を走らせたようだった。

隼人の前で、ちいママの姿をすっかり見せてしまったせいか

葉月はもう、真一には厳しいことは言わずに観念して…

『もう…』と、小さく呟いて席に戻って…隼人がノートを開くのをジッと伺っていた。

「どれどれ??」

隼人が覗くと…真一がワクワクしたような顔をするので…

葉月は本当に何にも言えなくなってしまった。

本当は…葉月に一回聞いて…次に聞きに来たときは

隼人に教えて欲しいから…あのようにして二回も尋ねに来たことは葉月には解っていた。

しかし、ここでは隼人は葉月の部下。

その線はキッチリ引いて…真一にも解らせておきたかっただけなのだ。

隼人に甘えたくて何度もここに来られては示しが付かない。

隼人もどうしたことか…真一に甘い風なのでそこもわきまえて欲しかったのだが…。

真一があんな風に…大人の男に甘えることにあんな顔をされては…。

葉月も何も言えなくなってしまったのだ。

眼鏡をかけている黒髪の男が…亡くなった義理兄と重なった。

真一は気が付いているだろう…。

隼人が亡くなった父親と雰囲気が似ていることを…。

だからいつも以上に隼人と言う大人の男に甘えようとしている。

「うん。中佐もなかなかだね。でも。真一君も合っているよ♪」

「ほんとう♪良かった!」

義理兄が生きていれば…こんな風に父と子で…勉強を見てもらったり…見てあげたり…。

そんな姿もあって同然なのに…。

葉月はそう思いながら、隼人と真一のやりとりに切ない気持ちでため息をついたしまった。

しかし…それもつかの間。

「中佐には悪いけど…。もう一言。ここはこの公式を使ったらもっと早いかな?」

隼人がそう言うので葉月は『何ですって!?』と、おののきながら

つい、隼人のデスクへとノートをのぞき込んでしまった。

「あ!本当だ!俺も気が付かなかった!確かに!すっごい♪大尉♪」

葉月も隼人の手ほどきを見て『あ。』と納得してしまった。

「じゃぁ!俺帰るね♪早速教えるよ。皆に!じゃぁね。有り難う!!大尉!また来るね♪」

真一は上機嫌でマッハの如く帰っていった。

「やれやれ。」

甥っ子が今から、友達に葉月の元に来た側近を自慢するのだろうと思いながら

葉月はため息一つ付いて大佐席に戻った。

「有り難う。大尉。さすが一つ上手はかなわないわね…。」

「いいえ。アレぐらい」

葉月のなんだか疲れたようなお礼の笑顔に、隼人もとりあえず微笑んでおく。

「ごめんなさいね。あの子…。父親がいないから…」

「いい子だね。俺は構わないよ?何となく解るからさ…」

隼人の何となく『解る』に、葉月は何も言えなくなった。

隼人も言ってみれば、親元を心ならずとも離れてきて

一人でフランスで過ごしていたのは彼から聞かずとも葉月は知っていたから…。

「これからも…。よろしくね」

「もちろん。」

葉月がそっと微笑むと、隼人は眼鏡の縁を輝かせて同じようにそっと微笑んでくれた。

「あんな風に…『健気』なまま…守っていきたいんだろう?俺もそう思うよ」

隼人がパソコンの画面を見ながら…マウスを動かしながら、何気なく呟いてくる。

『母の死を知られたくない』

その事を…一緒に守っていこうね…と、葉月には聞こえて…。

言葉に詰まってしまうほどなんだか胸にジワリと来た。

「隼人さんも…隼人さんのままね」

葉月がニッコリ微笑むと…『さぁね』と隼人は照れたように

また素っ気なく返事を返して手元に集中。

そんなところも。隼人のまま…と葉月はもう一度ニッコリ一人で微笑んでいた。