14.優雅な朝

葉月の父親が行きつけという『小料理屋・玄海』の食事。

隼人は久々の和食を満足げに味わった。

「うまいなぁ。これじゃぁ…アメリカから来たお父さんも気に入るはずだね♪」

「うん!たくさん食べてね!!今日も私のおごり♪

隼人さんには散々おごってもらったし。今ウンと頑張って支えてもらっているから!」

葉月がそう言うものの…葉月が頼む量が半端じゃなかったので

隼人は『大丈夫かよ…』と心配になってきた。

「これでも『中佐』ですからね!気にしないの!!私が食べたいんだから気にしないで!!」

葉月が真顔で怒るので隼人は…とりあえず遠慮なくいただく事にした。

カワハギの刺身が美味いこと…。

勿論。伊勢エビの味噌汁も絶品。

(これは…小料理屋と言っても料亭に近いぞ!?)

ロイや葉月の父が気に入ってくるはずだと隼人は絶句しながらも

あまりの美味しさ。そして懐かしい味に舌を打つだけだった。

一通り…。食事が落ち着いて葉月がやっと『解らないことある?』と

仕事の打ち合わせらしく尋ねてきた。

「一応…。気になる訓練と解らない訓練に印、付けておいたけど」

「どれどれ??」

テーブルの中央に冊子を広げてやっと二人で真面目な話が展開される。

隼人が「解らない訓練」と言うものは「陸系」の訓練が殆ど。

後は基礎体力作りの訓練から専門である工学学科の講義にチェックを入れておいた。

「この…陸上訓練館でやっているこの訓練は何??」

「ああ。それは…『お魚訓練』よ」

「お魚訓練??」

「そう。アクアラング無しで潜る訓練。シールズではやる訓練よ。」

「シールズってあの!アメリカのシールズ!?」

「そうよ。船の下に爆弾付けるとか。外すとか…。

敵に気付かれないように泳いで近づくとか…。」

工学系の隼人にとっては『生々しい訓練』だったので身震いをしてしまった。

「お嬢さんはやったことは??」

「フロリダ特校で一度だけ。体験で…。

でも。空の人間には関係ないわね。でも。泳ぎは上手くなると思うわよ?

山中のお兄さんは『陸系』だからこの訓練は受けたみたいだけど。『苦手』って言っていたわ」

「うーん。お魚か…。俺には必要なさそうだな」

「泳ぎを鍛えるなら『水泳』もあるからそっちにすれば??」

葉月はこうして『お魚』とか『カメレオン』とか『チーター』とか

子供の様な例えで説明するので隼人は解りやすいような解りにくいような?と戸惑ってしまった。

葉月とそうして…来月から登録が始まる訓練カリキュラムを真剣にまとめていると…。

「あら。相変わらず…お仕事の話?」

女将がまたニッコリ。お盆を持って優雅に正座でふすまを開けて入ってきた。

「大尉がフランス帰りって事で帰国祝いよ」

女将が差し出してくれたのは『ところてん』だった。

「わぁ!私。大好き!」

「有り難うございます。僕も久しぶりです…。有り難く頂きます。」

子供のようにはしゃいだ葉月とはうって変わって…。

やっぱり…優雅な女将に『紳士』になる隼人を見て葉月はまたムッスリしつつも

ソソと…いつものお嬢さんらしく大人しくなった。

女将が『ごゆっくり…』とまた出ていく。

葉月が『もう!』と漏らして…ところてんをつつき始めた。

「なんだよ。俺のお陰で『ところてん』サービスしてもらったんだぜ?」

隼人は葉月の『ちょっとした嫉妬心』が面白くて思わずにやり…とからかっていた。

「そうですわね。大尉のお陰ですわよ」

「あ。可愛くないな」

「大尉兄様もね。いつもそうでしょう!」

(お!いいやがるな!)と隼人はやっぱり生意気口調な葉月らしさにおののきつつも…

可笑しくてクスクスと笑い続けていた。

勿論葉月は『何よ…』とふてくされるのだ。

2時間ほど二人でゆっくり食事をして、帰ることにした。

階段を下りて一階を見て隼人はビックリ。

狭いくせにお客が既に所狭しとひしめき合っていたからだ。

葉月が念のために予約したのは『正解』だったと言うことらしい。

(また気に入ったお店出来ちゃったな)

隼人は趣ある和食店を見つけて上機嫌だった。

葉月が隼人から離れてそっと『会計』を女将と供にしているので

参考までにと耳を立てると…『あれだけ食べてその値段!?』と驚いた。

だからといって…やはり…若いカップルが来るような値段ではなかったが…。

(これじゃぁ。基地の若者は来ないはずだよな)と、納得した。

民間人の視線は気になるが、皆、自分の食事に夢中で帰りはさほど

二人は注目はされなかった。

二人きりで気兼ねない場所と言う葉月の選択は今夜は『正解』だったらしい。

『ご馳走様』と二人は大将に声を掛けて暖簾の外に出た。

外はすっかり暗くなっていた。

「たくさん人が来るだけあるよね。本当美味しかった。ご馳走さん。お嬢さん」

「美味しかったなら良いのよ。私もフランスでは本当ご馳走になったからこれ位させて…。」

隼人に喜んでもらえて葉月も満足そうだった。

隼人は葉月のピカピカの車に再び乗り込んで

二人だけの『食事』をすっかり満喫できたと久しぶりに心が和んでいた。

『うん…。朝か?』

隼人はいつもより明るい日射しを受けて目が覚める。

日曜日の朝…。そう気が付くと…『もう少し眠るか』とシーツにくるまった…。

が…そのシーツにくるまった途端に…

『カボティーヌ』の香りがして…『ううん…』という声と供に、柔らかい物体が背中に当たった。

『は!』

隼人はシーツを跳ねて起きあがる。

起きあがるとそこは自分の部屋ではなかった。

その上に隼人は裸だったし…。

もっと気を確かにすると…自分の隣りに裸の葉月が横たわってスヤスヤと寝入っている。

『しまった…寝てしまったのか…』

隼人はとうとう…『やってしまった…』とうなだれて額を押さえた。

そう…今。隼人は葉月の部屋にいた。

解っていながらちょっと混乱していた。『泊まる』つもりがなかったからだ。

昨夜。あの後ひょんな事で葉月のマンションにお邪魔するハメになった。

勿論。最初はなんだかんだ理由を付けて帰る姿勢を見せたが…。

昨夜は隼人も久しぶりの葉月との食事で心が解放されていたのか…つい…。

「ううん。朝?…もう10時じゃない…。」

隼人が茫然としている横で葉月が目覚めたのかベッドの頭にある『目覚まし時計』に

手を伸ばして…それを見て…。けだるそうに起きあがった。

彼女の方は隼人が横にいることは解っているのか慌てはしなかった。

隼人は何故だか急に馬鹿らしくなってもう一度彼女の寝床に横になった。

ふと見上げると…葉月の白い背中に朝日に輝く、栗毛が揺れていた。

「俺。いつ寝たんだろう??」

独り言のように呟いて葉月の揺れる栗毛に手を伸ばした。

「知らない…。私が最後に覚えているときは…まだ起きていたじゃない…」

そうだ。彼女が寝たのを先に見届けて帰るつもりだったのだ。

朝日の中…。栗毛の中にうつむいて目をこすっている葉月を見ているウチに…

隼人は…『ま。いっか』と言う気持ちになってきた。

彼女の背中をさすると。ニッコリ『おはよう』とやっと振り向いてくれた。

(こんな…朝は何年ぶりだろう??)

隼人自身が『独りでいい』とこんな生活を拒絶して…。

女性と付き合っても一時のことだけ…を繰り返してきた。

こんな風に『おはよう』を言ってくれる相手がいるのは本当に久しぶりで…。

昨夜まで構えていたことなんか…どうでもよくなってくる程…。

「ごめん。泊まるつもりは…」

隼人は起きあがってそっと葉月の背中を抱きしめた。

「私も…。お勉強の邪魔しちゃった…。」

今回はもう…葉月は『怖がらず』に隼人の腕に身を任せてくる。

「でも。今回だけ。後は…ちゃんとやるから」

『ウン』と微笑んだ葉月を見て隼人は葉月の栗毛に頬を埋めた。

やっぱり…こうなるとなかなか手放しにくかった。

本当は…隼人自身。『距離』に『拒否』に理屈並べて避けていたのは…

こんな風に葉月を手放せないほど『溺れて』行くのが怖かっただけかも知れない…

と、噛み締めながら葉月の栗毛を撫でていた。

葉月がベッドから降りて、絨毯の上に落ちている下着を拾い上げて身にまとう…。

『シャワー浴びてくるから…ゆっくりしていてね』

隼人の顔を見るのが気恥ずかしいのか、背中を向けたまま部屋を出ていった。

隼人は…慣れない他人の家をうろつくわけにも行かず、

もう一度葉月のベッドに寝ころんで高い天井を見上げた。

『ミコノスみたいな部屋だな』

アンティーク調のドレッサーと縦長の立派な…まるでタンスのように大きいアクセサリーボード。

家具はそれだけ…。後は何とも言えない大きなクローゼットが壁一面を陣取っている。

青と白を基調にした落ち着いたコーディネイトの部屋で『高級感』があるのは

『さすが御令嬢』と隼人は唸った。

なのに…外のリビングは驚くほど大きいくせに…

葉月の部屋はこぢんまりとした8畳部屋であったのは驚きだった。

隼人は白と青いストライプのベッドカバーを身体に巻き付けながら寝返りを打って

薄い水色のカーテンからこぼれる朝日を眺めながら頬杖を付いた。

彼女の部屋がやはり『女性らしい』事にホッとしていた。

もしや書類が散らかっていたり、パイロットならではの『スポ−ティな部屋』ではなかろうな??とは

多少考えていたからよけいだった。

よく考えれば、フランスで葉月が泊まっていた部屋も荷物は少なかったが

『女性らしさ』が伺える雰囲気は漂っていた。

隼人はぼんやりしながらも、昨夜、脱ぎ散らかした制服を眺めて

その中から、白いカッターシャツを手にとって羽織った。

ベッドを降りて窓辺に近づきカーテンを開けると…。見事な風景が目の前に広がった。

海が一望できる最上階、全フロアが葉月の自宅だった。

最上階と言っても葉月の自宅は3階にある。しかし…このマンションが小高い丘の上にあるから

窓辺からはそれはそれは素晴らしく海が見渡せるのだ。

『まったく…。まさに御令嬢だな。』

隼人は昨夜の『初めての訪問』の驚きがまだ冷めず…

とにかく落ち着こうと葉月の『ミコノス部屋』を腕組んでウロウロした。

タンスのようなジュエリーボードは隼人より背が高く、

葉月のお気に入りか?幾つかのピアスがガラス窓の中に転がっていた。

何段かあるそのジュエリー棚には…ロザリオが何本かおいてある。

大きなロザリオが二本。小さなロザリオが二本。

ピアスは粗雑に置かれていたが、ロザリオは大切そうに飾ってある。

『キリスト教って言っていたかな??』

そのロザリオを眺めていると葉月がシャワーを浴びて戻ってきた。

白いバスローブを羽織って、濡れた栗毛はヘアクリップで結い上げていたので

隼人はその姿にドッキリ…固まってしまう。

「隼人さんも…使ったら?バスルームの外に…バスローブ出しておいたから使って…」

『ああ。うん。そうする』

本当ならさっさと帰ればいいのだが…なんだか、ここは葉月のテリトリーなので

隼人はまるで昨夜お邪魔したときから『なすがまま』だった。

「キリスト教だったっけ?」

葉月もそうだが、隼人も何となくギクシャクしているので気を紛らわすために

目の前にあるチョットしたことを尋ねてみたり…。

しかし…そのロザリオを指さす隼人を見て葉月の動きが固まったような気がした。

そして…葉月はベッドの下に散らかる昨夜着ていたワンピースを拾って片づけるだけ。そして…

「シャワー浴びてきたら?朝ご飯、作っておくから。コーヒー?カフェオレ??」

話を逸らされた気がして隼人は首をかしげたが…

『コーヒー?カフェオレ?』と尋ねてくれる人間が朝からいるということに気が逸れてしまった。

「カフェオレでいいけど…。」

「そぉ?負けないわよ。私だって大佐に鍛えられたんだから。」

「ふぅん…。じゃ。お手並み拝見とするかな?」

葉月の口から『大佐』が出てくると…ちょっとムッとするが。

「負けないわよ」といういつもの『生意気嬢様』に隼人もニヤリと葉月を見下ろした。

勿論葉月もニッコリ微笑んで乱れたベッドを整え始める。

「この部屋の向かい側のドアがバスルームに入るところだから」

「ああ。じゃぁ。使わせてもらう」

バスローブ姿の葉月を見つめて隼人は葉月の部屋を出た。

リビングはフローリングだった。ここも家具が少ないが

こちらも、高級感がある部屋だった。

家具が少ない分…異様に広く感じることが出来る。

おそらく…葉月の八畳部屋の4倍はあるのではないか?と言うような広さなのである。

葉月の部屋のドアからすぐ横にテレビが壁に付けてあり…

小さなガラステーブルがあり…そこに真一の物か?

高校生の男の子が読むような漫画雑誌や、小物がおいてあった。

布製の背が低いソファーがあってそこにも真一のだろうか??

ジーンズにTシャツがソファーの背に乗っていた。

リビングの半分はこのテレビのスペースが隅にこぢんまりあるだけ…。

向こう半分はダイニングとして使っているらしく、茶色でどっしりとした

6人掛けのアンティークテーブルがおいてあるだけ。

高級感はあるのに家具が少ないから本当に広く感じる。

隼人は朝日の中照らされる素晴らしく広い部屋にため息をついて、リビングを横切った。

横切る最中も…ガラス窓の向こうにあるテラスに今度は目がいく。

そこもまるで、一つの部屋のようだった。

テラスと言うよりサンルームだった。白い丸テーブルが置いてあって

三面ガラス、天井もガラス…。

昨夜来たとき、そこから見えた漁り火が浮かぶ夜の海の風景に『絶句』したぐらいだ。

隼人はまたため息をついてやっとバスルームにこもった。

やはり女性らしい洗面所にバスルームで…躊躇したが

何故か心が和んで入浴をすることが出来た。

バスルームも広いのでビックリだが、時間がたつに連れ慣れはしないが戸惑いはなくなってきた。

バスルームの小さな窓からチラリと見える秋晴れの青空を眺めて…

『この俺が…こんな朝をね…』

迎えているんだと、その優雅さにいつの間にかにやけていたから隼人もビックリだった。

シャワーを浴びてドアを開ける。葉月が言っていた『バスローブがあるかご』を探す。

ドアのすぐ横に藤作りの二段かごがあった。

一番上に真っ白なバスローブとバスタオルが置いてあって、それを羽織ると…。

『ん?なんだか俺のガタイでもピッタリじゃないか??』

もしや…ここに通っていた遠野先輩の物ではなかろうな??と隼人は眉をひそめてしまった。

真一はまだ成長中で身長だって葉月より低いぐらいだから真一の物とは思えなかった。

腑に落ちない気持ちで、バスタオルで頭を拭きながらリビングに出ると

途端にコーヒーを入れている香りがした。

バスルームのドアと同じ壁際の端にキッチンの入り口がある。

どうしたことかキッチンは小さいのだ。

葉月の体型に合わせたのか、はたまた独り暮らしだからか?キッチンは

二人はいるとすれ違うこともできない長細いキッチンだった。

そのキッチンをそっと覗くと…

七分袖の白いミニ丈のワンピースを着た葉月がコーヒーを入れながら

スクランブルエッグを作っているところだった。

「へぇ。お嬢さんが料理するとこ初めて見た」

「なぁに?私だって多少はするわよ」

朝からからかいの隼人に葉月はまたムッとして返してきた。

すると隼人のバスローブ姿を葉月がジッと眺めるので隼人はドキリとした。

「父様のだけど、ピッタリね。父様も隼人さんぐらい身長があるから…」

「!!。これ…オヤジさんの!?」

隼人は畏れ多くなってその一枚しか羽織っていないバスローブを脱ぎたくなったほどだ。

確かに大きい。隼人は身長は178pあるのだが胸元や脇はブカブカだった。

「こっちにね。出張に来たときには良く泊まっていたから。」

「そうなんだ…。いいのかな?俺みたいなのが上がり込んで…」

「出張に来てももう泊まっては行かなくなったわよ。顔は出しには来るけど。

いちおう…。私の事はもう『大人の暮らし』をしているとは認めてくれているみたいだから…」

葉月がポツリと呟いてスクランブルエッグをレタスを敷いた皿の上にザッと盛りつける。

『大人の暮らし』が『男との生活をしていた』と言うことだと解って

隼人は…葉月がそんな生活は一通り体験してきた事は年頃並みなんだなと。

このマンションに自分以前に何人男が上がり込んだかは知らないが

嫉妬心が芽生える前に…隼人もミツコとは二年も同棲していたから人のことは言える立場ではなかった。

ただでさえ…。フランスに葉月が来ていたとき。

ミツコのしつこさで葉月に迷惑をかけそうになっていたぐらいだから何も言えなかった。

隼人はそこで…今まで気が付かなかったことにハタと気が付いた。

葉月が春に別れたばかり…とか言う。

ほんの一時しか付き合うことしか出来ないまま別れたメンテナンサーの恋人だ。

(そうだ。この島の何処かに、そいつがいるわけだ。しかも彼女の前で『新婚さん』で)

その内にその男にも遭遇するような気がした。

目印は『メンテナンスをしているアメリカ人の新婚男』

その男が素晴らしくいい男だったら…『どうしようか』と隼人は自信がなくなってくる。

「さて。隼人さん座って食べていて。カフェオレ入れるから待っていてね♪」

葉月の明るい朝の笑顔には何にも言えないが。

隼人は立派なダイニングテーブルに腰をかけるのをためらった。

こんな部屋にいる自分だけが違う存在のように不似合いだった。

葉月という女性を射止めたかも知れないが…。

『俺と釣り合わないのじゃないか?』とすら思えるほど。

優雅な日曜の朝を隼人は葉月の自宅で迎えて堪能してしまったのだ。