15.バビルの塔

「はいどうぞ。カフェオレ♪」

隼人がなんだか浮かぬ顔で葉月が作った朝食を食べていると

葉月は最後にカフェオレを入れて持ってきて、やっと彼女も席に着いた。

「どれどれ…」

隼人は遠野仕込みのカフェオレを遠野から唯一『合格』をもらっているのだ。

遠野の側近であった葉月は『合格』までは言ってもらっていなかったらしい。

葉月は簡単に作った朝食の評価より、カフェオレを飲む隼人に緊張している様子。

ジッと隼人をむつめていた。

「ん?美味しいけど…」

「美味しいけど??何!?」

隼人が首をかしげながら、カップの中を覗くので葉月は身を乗り出して心配そうだった。

「これだったら…俺なら『合格』出すけどなぁ。先輩は出してくれなかったんだ…」

隼人が感じた限り…自分が作るカフェオレとはそう大差はなかった。

「じゃぁ…。遠野大佐が亡くなってから腕を上げたのかも知れないわ…」

葉月がそこは寂しそうに呟いて椅子の腰を落とした。

隼人には…遠野が亡くなってからも必死になってカフェオレを入れる練習をする

思い詰めた葉月の姿が目に浮かんだ…。

死んだ男に嫉妬をしてもしょうもないし…。自分も尊敬していた先輩。

葉月という女がいい加減に男と付き合う女の子だとも思いたくなく

遠野と死別しても、必死になっていた彼女の気持ちは隼人だって痛いほど解る…。

「きっと。先輩だって…お嬢さんが腕を上げたと知ったら…喜んでいるよ。」

隼人がカフェオレをすすりながら微笑むと葉月も『そうかしら?』と微笑んで…

隼人から『合格』をもらえたことに気持ちを明るくしたようだった。

(これなら…俺の方は『ロイヤルミルクティー』マスターしないとなぁ)

葉月には何でも一歩先を行かれているような気になった。

食事を進めていると…。

「今日はどうするの?」

と、葉月が気まずそうに伺ってきた。

『どうする?』と言う質問が…昨夜ここに来てしまったわけでもあるのだが…。

隼人も『どうしようか?』と考え込んでしまった。

昨夜。葉月と久々に二人きりで『小料理屋・玄海』で食事をした後…。

葉月が車を走らせながらも…急に『養殖所』が並ぶ海岸沿いの路肩に車を停めたのだ。

『なに?どうしたの??』と隼人は戸惑いながら尋ねると…。

「実は…私のマンションなんだけど…。」

『遊びに来い』には答えないつもりだったので隼人は次に出てくる葉月の言葉に構えた。

「前にも言ったでしょ?お祖父様が建てたマンションだって」

「ああ。お祖母さんの名前が付いているんだろう?」

「一度。私と一緒に入って欲しいの」

「入って欲しい??って??」

『来て欲しい』と言う言葉でなかったので隼人はいぶかしんだ。

「言葉で説明できないの。とにかく…一度入って欲しいの。話が進むのはそれから…。

来て欲しいわけは…私の勝手なんだけど。隼人さんの試験の為って所かしら?」

(なんだよ。『仕事』を装って男を誘うなんてお嬢さんらしくない)

はっきり、女として『来て』と言えばいいのにと隼人は一瞬気に入らなかった。

だからといって『女』として申し込まれても断るつもりだったのだが…。

「試験勉強なら…充分官舎でやっているつもりだよ。お嬢さんの協力も、もうもらっている」

『だから。帰る』という態度を見せると。

「隼人さん。遅かれ早かれ一緒だと思うの。いつかはウチには来ると思うから…。

どうせなら…今のウチに見せておこうと思って…。」

「遅かれ早かれ一緒なら…落ち着いてから『遊び』にいくよ」

「誘っているのは『遊び』のつもりはないわよ。」

葉月が久しぶりに瞳を『凛』と輝かせたのだ。

そこには…何かを『企んでいる』女中佐の眼だった。

「いいわ。今夜そのつもりがないなら。でも。私と入るつもりが無いなら。『真一』と入ってもらうから…。」

甥っ子を引き合いに出してまで、隼人を自宅に引き入れようとするやり方には

隼人は納得できなかったが、葉月の目が『色恋』では無かったので返事に困り果てた。

すると…葉月が制服の胸ポケットから一枚の『カード』を取り出した。

「これ。何に見える??」

プラスチックの磁気カード。まるでクレジットカードのようだがそうではなかった。

「なに?それ??」

「父が一枚。私が一枚。真一が一枚。これ無しではウチの玄関には立つことすら出来ないって事。」

「マンションの…キー?カードキーって事!?」

こんな田舎の離島でそのセキュリティは何なのだ!?と、隼人は絶句したが…。

ハッと気が付いた。

御園の大人達は独り日本で働く『末娘』を完全にガードしようと

田舎だろうが都会だろうが二度とあのような『悲劇』を見せまいと

葉月を完全なる防御地帯に住まわせるために彼女専用のマンションを造ったのだと…。

案の定…。茫然としている隼人に葉月が続ける。

「普通のオートロックのマンションなら、インターホンの所で住人を訪ねて、

住人が信頼しているならロックをあけるでしょ?私以外のマンションの住人はそうしているわ。

私だってそうしているわ。でも、私だけ違うことが一つ。」

「一つ違う事って??」

「『お目付』がいるって事。隼人さんが例え私から合い鍵をもらっても最初に訪ねてきたときは

その『お目付』に追い返されるって事よ。つまり、私か真一とまず一緒に来ないと

『お目付』が信用しないって事よ。私が一緒に入ったら…たとえ『男』でも、後は知らぬ振りをしてくれるって事。」

「『お目付』って??誰だよ。」

「『管理人ご夫妻』 祖父が雇ったの。その二人が私の代わりにマンションの管理をしているの。

住居希望者も多いらしいけど、厳選調査をしてからでないと入居させないのよ。

つまり……」

そこで…葉月が苦しそうにハンドルを握ってうつむいた。

『末娘には二度とあのような目に遭わさない。姉と同じ悲劇は絶対あってはいけない!!』

それが『御園一族』の家訓のように隼人には聞こえてきた。

葉月が信用して連れてこない限りただでは彼女の部屋に入れさせないと言うことらしかった。

『そんな…ややこしい!!』

隼人はそうでもしないと『恋人』も入れさせてくれないなんてめんどくさいではないか??と驚いたが…。

葉月がなんだか苦しそうにうつむいているので…。

「解ったよ。それなら…遅かれ早かれ…一緒なら早いウチにその『難関』突破しておこうか?」

と…葉月の肩をさすっていた。

すると…葉月が額に汗を滲ませながらもニコリと微笑んだので…。

もう…行くしかない。断れない…と…。

自分の意志とはちょっとそれてしまうが仕様がないと…覚悟をした。

「いつもそうなの…。男の人…。いつ招いたらいいのか私解らなくて…。

隼人さんは…なんだかいつまで経ってもウチには来てくれそうにもないから…。

こんなウチ…きっと来てくれないって…思って…。」

(そんなこと悩んでいたのかよ!?)と、隼人は絶句してしまった。

確かに…。なるべく『少佐』になるまでは恋人らしい『馴れ合い』は避けようとしていたから…。

葉月もそうだが、隼人も彼女を警戒しすぎていた。

お互いが『恋人』と言うことはヴィジョンに描きつつも

お互いがそれを呑み込もうか呑み込むまいかと行ったり来たり…。

何故?もっとすんなり…軽い気持ちで『一緒にいよう』と言えないのだろうか??

隼人は今の自分の姿を葉月と重ねた。

二人がお互いに自信が無くて遠慮しているのだ。

だから…

「じゃ。チョットだけ…その『バビルの塔』に行ってみる。」

そう言うと…

『バビルの塔??』と葉月が笑ったので隼人もホッとした。

『バビルの塔。知っているんだ』

『昔…、兄様や姉様が見ていたから…バビル二世のことでしょ??』

葉月の口から『幼い想い出』が明るい声でスルリと出てきたので隼人も安心して微笑んでいた。

その『バビルの塔』は、見たことがあるマンションだった。

隼人が住んでいる官舎から海沿い、林伝いに一キロほどの丘の上にある。

隼人が街まで買い物に行くコースにあったのだ。

「あれが?あれお嬢さんのマンションだったのかよ!!」

自転車でいつもそのマンションを丘の下から見上げて…

『見晴らし良さそうだなぁ』とキラキラと反射するサンテラスに感心していたのだ。

小高い丘の上にポツンと立っている戸数は少ないマンション。

こんな離島に似つかない『リゾート風』の建物だったから

『最新式老人ホーム?』とすら思ってしまったほどだ。

葉月は『そうなの…』と気まずそうに微笑みながら…。

海沿いの道からその丘を上がる坂へとハンドルを切って曲がり丘を上がって行く。

丘を上がると、そこには駐車場…。何台かの車が止まっていた。

早速、葉月の真っ赤な車を降りて…。

隼人は胸のはやる音を押さえながら葉月の後を付いていった。

『お目付』の存在が気になるのである…。

葉月が連れていった入口を見てまたビックリ!!

本当に離島??と思うような最新テクノロジー??と感じるほどの入り口だったのだ。

ガラスの自動ドアが二枚…。

最初の一枚は難無く入れるようだった。二枚目のドアの間にインターホンが付いていた。

葉月がそこのインターホンで四桁の数字を押した。

ここまでは本島でも良くあるオートロックマンションと同じである。

しかしインターホンには隅に小型のカメラが付いていて

『工学肌』の隼人はそこに目がいってしまった。

「そのカメラで…各自宅内のインターホンから誰が来たかって液晶テレビで解るのよ。」

まぁ…それも本島並みだから隼人は離島には似つかないと思いつつ納得はした。

エントランスには深紅の絨毯が敷き詰めてあって、エントランスと言うより

ホテルのロビーのようだった。ちゃんとテーブルがあってソファーがあって観葉植物も置いてある。

何か意味があるのだろうかと隼人がまた見とれていると…。

「お年寄りを多く預かっているから…。お祖父様がお年寄りのひなたぼっこ会議所にするって…

テーブル備えたの。そこでいつもお年寄り達が昼間は集まってお話ししているのよ。」

「へぇ…」

それには隼人も『感心』…。良い考えだと納得した。

「お祖父様の夢だったんじゃないかしら?ウチってまるで老人ホームみたいなの…。

この島で一人きりになった方を優先して入居させているんですって。そこは管理人に任せているの。」

「確かにね。俺も初めてそこ通ったときは『老人ホーム』かと思ったモンな」

隼人がそう言うと葉月が『やっぱり?』とクスリと笑った。

そのロビーの突き当たりにエレベーターがあって葉月の後を付いて乗り込んだ。

そこに乗り込むと…急に『キュル…』と言う音がして隼人がその方に視線を向けると…。

エレベーターに『感知型防犯カメラ』が付いていた。

それは本島でもあるとは思うが、この離島での徹底振りに隼人は冷や汗を流した。

「これで…隼人さんの紹介終わり。」

葉月が『ごめんね…』と申し訳なさそうに微笑んだ。

つまり…管理人室でこの映像が撮られて『葉月が誰を連れてきたかチェックしている』と言うことだと解った。

「なるほど。本当に…『バビルの塔』だなぁ」

しかたないと思いつつ隼人はため息をついた。

管理人に信用されないよりかはいいだろうと諦めることにした。

そこで葉月がエレベーターのボタンを押したのだが…。

何故か3階までしかないはずなのにエレベーターにはキチンと10階までのボタンがあるのだ。

それを…葉月が三階を押さずに二桁押したのでもっとビックリした。

「例え住人でも…私の三階までは上がって来れないって事よ…。」

もう…葉月は笑ってはいなかった。

家族揃っての警戒の強さ。『これが御園の考え方だ』というように…。

隼人に受け入れてもらえるかどうかの『真剣勝負』の視線だった。

隼人も呆然としていると…三階についてエレベーターが開いたのだ。

『ふぅ』と額の緊張の汗を拭ったのもつかの間…。

見たことない風景が飛び込んだ。

エレベーターを降りると…人が住まうべき扉が何一つ無く…。

またインターホンらしき機械が壁に埋め込んであり…深紅の絨毯敷きの向こうに

基地にある大佐室の自動ドアのような鉄扉が立ちはだかっていたのだ。

「………」

もう…言葉も出なかった。この警戒はただ者ではないと隼人は…

御園家の姉妹を襲った出来事がここまでさせていることを悲しく感じたぐらいだ。

後は容易に想像できた。

壁にある機械に思った通りに葉月が先程見せてくれたカードキーをスラッシュさせると

その鉄ドアがガァーと静かに開いたのだ。

「本当に…ごめんなさい…。でも。こうゆう家で…何処かは安心なの…。」

葉月が悲しそうにまつげを伏せたので…それも最もだろうと隼人は何も言う気にはなれなかった。

『どうぞ』と促されて入ってまたビックリ…。

そこには既に家の何処かの廊下のようにやっぱり深紅の絨毯が敷かれてあり

その通路の左手にやっと…普通のマンションらしいドアがあったのだ。

これでは…隼人が『葉月に逢いたい』と、思いつきで来ても中には入れないし。

『恋人』になって『じゃぁ。お前の家で待っているよ』なんて連れてきてもらわねば出来ないことだった。

『遅かれ早かれ…なら、早いウチに来て欲しい』

葉月がこうして隼人を招かないウチは『いつ…受け入れてもらおうか』と思いを募らせて迷って当然。

早いウチに連れてきて肩の荷を降ろしたかったのだろうと、隼人には葉月の想いがやっと解った。

玄関も同じカードキーで開くらしかった。

玄関にはいると『バリアフリー』と聞いていたが段差が無くて玄関だけフローリングで

廊下はベージュのじゅうたん敷きだった。

女の子らしいサンダルにハイヒールが並べてあったので隼人はそこで靴を脱いだ。

葉月もいつもはいているショートブーツを脱いで絨毯の上を歩き始めた。

壁の曲がり角を曲がると白木枠のガラス扉があってそこを葉月が開けた。

『おじゃましまーす』と隼人は恐る恐る灯りがついていないリビングに入った。

灯りがついていなかったのだが…

目の前に広がった漁り火が浮かぶ夜海の風景がテラスに広がっていたので

ビックリ仰天しつつも…『素晴らしい!』と立ち止まってしまった。

そこで葉月がやっとリビングの灯りをつけた。

「そこで休んで。何か飲み物入れるから…」

こんな素晴らしい住まいに住んでいるというのに…葉月の様子が暗いこと…。

隼人に受け入れてもらえたかどうだか…気にしているのだろう。

「すごいな。いい眺め…。これは来て正解だったかな。」

隼人はそれらしく平静を装って制服の上着を脱ぎながら椅子の背に掛けて

テラスの絶景をニッコリ褒める。

するとやっと葉月が嬉しそうに微笑んでくれて一安心。

葉月も上着を脱いでキッチンに籠もり始めた。

隼人はため息をつきながらダイニングチェアにとりあえず腰を掛けたがやっぱり落ち着かなかった。

カッターシャツのボタンも一つ外して、首元をゆるめてもう一呼吸。

テーブルには…葉月が中隊から持って帰ってきたらしい書類が束ねてあり…

小さなチェコガラスに煙草の吸い殻が二本入っていた。

テーブルの端にはなんだか高級そうなモザイク作りのエレガントな小物入れが一つ。

それを眺めていると葉月が紅茶を入れて戻ってきた。

『頂きます』と隼人は砂糖も入れずにとにかく落ち着こうと紅茶を一すすり…。

「さっき。『試験のため』っていったでしょ??来てくれる?」

葉月は椅子に落ち着くなり立ち上がり、テラスとは向かい側のドアに向かって隼人を手招きするのだ。

葉月なりにやはり目的があるようなので隼人は何も言わずに言われるまま…向かっていた。

葉月が『見て…』といって開けたドアを隼人は覗いた。

「書斎??」

葉月の部屋にしては『男らしいコーディネイト』だった。

ドアのすぐ前にパソコンデスクがあった。

そこで真一が隼人のメールを受けて…葉月がメールを受けて泣いてくれていたのかな?と思った。

パソコンデスクの向こう側には、大きなベッドが一つ。窓際に着けられていて

ベッドの足の方には格調高い机が置いてあり…。窓には隼人の部屋のようにブラインドが掛かっていた。

その向こう側はマンションの裏だからか、林が見える。

そして…隼人の官舎のようにこの部屋からは木々の葉の音がさざめいていた。

海側のリビングよりずっと落ち着いた部屋だった。

葉月が部屋に入って灯りをつけると隼人はもっとビックリした。

暗くて解らなかったが…本棚だらけだったのだ。

『書斎』が『図書館』の様だった。

「殆どが…父様と母様が鎌倉に置いていった本なの。それを叔父の家からこっちに移して保管しているの。

真一が良く面白がって物色しているわ。隼人さん本好きでしょ?

もとより…父の本なんか役に立つと思うわ。それから…私の本もあるから好きなの見て頂戴…。」

「これ…を見せたくて??」

「ええ。試験に役立つ本。探していいわよ。私も時間ないから本人に選んでもらおうと思って…。

そこの机も使っていいわ。ベッドも眠くなったら使って…。私は部屋で休んでいるから御勝手に…」

つまり…隼人のために落ち着く部屋を準備したかった…と言うことらしい…。

隼人は本の数に圧倒されつつも…既に足が動いていた。

見たことない書籍についつい手が伸びていた。

そして手にとって開いていた。

何冊か取り出して…座り込んで読み始めていた。

葉月はそんな隼人を見て微笑みながら…『ごゆっくり…』と

ドアを閉めていつの間にかいなくなっていたのだ。

隼人の集中力が始まったから…と葉月はそっとして自分はミコノス部屋に入って行く…。

話は長くなったが…それが隼人が葉月の自宅に来た『ひょんな事』で

葉月が誘った理由だった。

それで葉月は一晩明けて…『今日も書斎使う?』と聞いているのだ。

隼人はこのまま葉月の自宅にお世話になるのは気が引けた。

しかし…今度は葉月を昨夜抱いたことの『キッカケ』が気になっていた。

今日一日だけでも…『勉強が出来る』なら彼女の側にいてやりたい心境なのだ。

『じゃぁ。有り難く使わせてもらうよ』と答えると…。

葉月が嬉しそうに微笑んでくれた…。

そう…葉月も一人きりでこの広い部屋で毎日を過ごしてきたのだと思うと…。

やっぱり…側にいてやりたい気持ちが隼人の中に芽生えてきたから困ったモノだった。

天の邪鬼な逃げ道とは裏腹に…隼人はとりあえず…と、自分に念を押して

葉月が作ってくれたアメリカンな朝食を平らげた。