17.薬

『葉月の子供』と言われても…ピンとこない。

葉月は隼人より若いし…結婚だってしていない。

しかも…ロザリオは二本。つまり…子供は二人?いたということか??と

隼人は固まったまま…平静に新たな告白をする葉月を見つめていた。

しかし、葉月は隼人の反応は予想していたとばかりに淡々と続けた。

「二本あるから…。二人いたって事。二人とも流産よ。」

「流産??」

「一人目は…真兄様との子供。15才の時よ。」

(15才!?)

隼人はその事実にも驚いて…ただ言葉が出ずに葉月を見つめているだけしかできなかった。

「そうとは知らずに…飛行訓練をしたから…訓練中に流しちゃったの。

兄様が亡くなってスグのことだったの…。

兄様は…姉様を亡くなる寸前まで本当に愛していたわ。

だから…真一も本当に手塩に掛けて育てていたの。

25才という若さで…姉様の後を追っていったわ。

最後にね…。私があんまり男性を拒絶していたから…その…」

葉月が口ごもったが…聞かずとも隼人には解った。

『男はそんな物じゃないよ』

そんな…彼女の義理兄の優しい言葉が聞こえてきそうだった。

葉月に男と女が肌をさらす分かち合いは本当は素晴らしいことなのだと

教えたくて…。残していきたくて…。

彼は死ぬ間際に義理妹の行く末のために『抱いた』のだと。

皮肉なことにそれで『妊娠した』と言うことらしい。

隼人はそこまで見抜いてまた…。

御園の悲劇がもたらした二次悲劇に胸が詰まりそうになった。

では?もう一人の子供は?と聞きたいところだが…。

これ以上聞くと…隼人の方がこらえられなくなるような気がした。

目の前の…昨夜、愛した女がそんな悲しすぎる可哀相な女の子とは思いたくなかったのだ。

受け入れられない。とか、そんなことではない。

隼人にとって葉月はいつも生意気なじゃじゃ馬。そうであって欲しいからだ。

しかし…そんな隼人に構わず…。葉月は続けた。

「もう一人は…23才の時よ。『死産』だったの。

五ヶ月まで頑張ったけど。お腹の中で死んじゃったの。

わたし…。どうやら『流産癖』があるみたいで…。」

「死産…って。産んだって事?」

「うん。」

葉月がそっとやるせなさそうに微笑んでうつむいた。

この上…。まだ『出産経験あり』とかいう過去が出てきて隼人は戸惑った。

「それが…達也と別れた理由。」

葉月がただゆっくり微笑みながらまぶたを閉じて

何か紛らわすかのようにフォークでパスタをかき混ぜ始めた。

「彼との子供を?産めなかったから?彼が離れていったと??」

すると、隼人のツッコミにも葉月は怯まずに首を振った。

「違うの。達也の子供じゃなかったの。だから…産もうとしたから…彼が離れていったの」

『だったら??父親は誰だ!?』

と…聞きたいが…聞けないような葉月の雰囲気だったが…

葉月はその隼人の心内を見抜いたように言った。

「子供の父親は…もう。二人ともこの世にはいないの。

真兄様は…勿論…病気で死んじゃったし…

二人目の子の父親も…私が産もうと決める前に…

きっと、今頃天国でパパと一緒にいると思うことにしているの。」

隼人は、茫然としながらも精一杯頭の中で整理をしようと必死だった。

真は良しとしよう…。だが、二人目の子供…。

彼女とその…有名なパートナーだった達也を引き裂いた子供が出来た訳は曖昧に葉月が濁す。

『聞かない方が良い』 隼人の本能がそう言っていた。

葉月にとってもきっと苦い訳があって…それを聞くと隼人にもダメージがあるような気がした。

しかし…今後、葉月とより深く付き合っていくことに必要なことだったら??

このまま聞き流して良いのだろうかと、今までにない不安と迷いが生じた。

葉月も覚悟をして隼人にこうして新たな告白をしている。

だから…葉月はかなり平静な顔つきで隼人より落ち着いていた。

「その…父親のことなんだけど。今は…話さなくてもいい?」

そう尋ねられて…隼人はハッと我に返った。

「も…勿論。言いたくないなら…聞く気もないよ」

今はその方がいいと思ったのだ…。もう少し…葉月を良く知ってからの方が聞けるだろうと。

彼女の過去を気にするわけではないが…。隼人自身も聞き入れられる自信がなかった。

「それからね?」

葉月はやっとフォークを持って食事を続け始める。

隼人も『うん…何?』と生返事のように呟いて葉月に合わせるように、食事を続ける。

「隼人さん。きっと…フランスの時から気にしているだろうと思って…」

フォークを持ったモノの葉月はまた、パスタを何気なくかき回しているだけだった。

「え?俺が何を気にしているって??」

「その…だから…『妊娠』のこと…」

葉月が恥ずかしそうにうつむいてパスタをさらにかき回し始める。

隼人も今朝方、『やってしまった!』と思っていたことなので『ドキリ』とした。

「気にしないで。わたし…訓練で流しちゃったときから『ピル』飲んでいるから…。

男の人と付き合って無くても毎日飲んでいるの。そうすると…何処か安心だから…。」

葉月が隼人が気にしないように明るい笑顔をめいっぱい浮かべて言ったので…

隼人は『カラン…』とフォークを落としていた。

「それで?だから?あんなに平気な振りして俺を受け入れたって事??」

そう言うと、葉月が困ったように急に表情を曇らせた。

ピルを飲んでいるから…男がお構いなしに思うままに突っ込んできても

女の自分が対策をしているから全然平気。

だから…男がなりふり構わず快楽を楽しんでも女の身体を心配しなくても

葉月はお構いなしに受け入れられる…。隼人にはそう聞こえた。

それと供に…やっぱり…隼人はいけないことをしたとひどく反省をして…

「わかった。これからは俺も男としてキチンとするから」

何故か納得いかない声でパスタを頬張っていた。

「なんで…怒っているの??」

「怒ってなんかいないよ。」

本当に怒ってはいない…。ただ…ガッカリしただけだった。

葉月が心から隼人を受け入れていくれた。昨夜はそう思ったのだ。

やってはいけないことを男として二回もしてしまったが…

ある意味…警戒心が強い彼女が全面的に受け入れてくれたという

男としての満足があったからだ。 でも、違った。

葉月がお構いなしのムードで隼人を受け入れてくれたのは…

『飲んでいるから、安心』という『薬』の存在のお陰だった。

『薬』を飲んでいなかったら…きっと…『俺を試してみる?』とほのめかした時点で

葉月は先日のように腕を突っぱねて隼人の胸から逃げていたはず…。

だから…隼人は納得がいかない。でも…

二回も子供を身ごもってしまい、二人とも流した葉月にしてみれば…。

『二度と思わぬ妊娠はしたくない』と言う気持ちで

昨夜飲んでいた『安定剤』のように飲んでいるのだろう…。

葉月がこんな風にして日常…薬を頼っているのはショックだった。

出来るなら…早いウチにやめて欲しいと隼人は思った。

でも?彼女にとっては『長い習慣』のようだった。強制すれば葉月が壊れるような気がしたのだ。

すぐにやめろと言う権利は、まだ隼人にはない。

「納得いかないなら…ハッキリ言って…」

憮然としている隼人に葉月が悲しそうに呟いた。

しかし…。こんな話を…思い切ってしてくれた彼女に強制的反論が言えようか?

「俺はね。葉月に自然に受け入れてもらいたいから…。納得がいかないだけ。

でも…。無理にやめろとは言わないけど…いつかはやめて欲しいな。」

「だから…安定剤は滅多に飲まないし…。

ピルだって…男の人にとっては『お得』なんでしょ??」

『お得』ときて隼人はムッとした。たしかに…隼人はそのお得をあやかってしまった。

しかし…葉月が…警戒心が強い葉月がそんなことを言うからには…

今まで付き合ってきた男達は皆、葉月の用意周到な対策に甘えていたに違いないと…。

そう思うと腹が立ってきた。『嫉妬』じゃない。男としてのだらしなさにだ!

ただでさえ…幼いときの事件で心を痛めて生きてきただろうに…。

大人になってからは身体まで…男達が傷つけているから

葉月が『ピル』を安定剤代わりに飲んでいる。

真兄さんは仕方がない。葉月を思って抱いて…亡くなってしまったのだから。

後の男はどうなんだ??どうしていた!?

隼人は葉月をここまで追いつめてきたのなら許せないと怒りが沸き上がるのを感じた。

だったら?

「葉月…。」

隼人は食事を進めながら毅然とした声を放つ。

その声色に葉月が緊張したようにうつむいた。

「ピルを飲むなら煙草は控えめに。出来たらやめた方がいい。知っているんだろ?」

「うん…。」

「女性がしっかり対策すると言うことは大切なことだけど…。

俺もそれなりにするからな。それから、安定剤はあまり頼らない方がいい。

戦闘機を操縦するのだから。薬のせいで事故ったと言われないようにな。」

「うん…。煙草はこれからやめるようにするから…」

(お?)

あまりにも素直すぎて隼人はビックリした。

「そんな風に…言ってくれたのは…隼人さんが初めて…。」

「本当に?」

今までたくさんの男が葉月に求愛をしてきたのにこんな事が

『初めて』なんて意外と思った。

「それからね?フランスにいたときから思っていたの…。

私ね。隼人さんの一言一言で…いろいろと安心できるの。安心する事が出来たの。

だから…とりあえず…『煙草』から辞めてみるから…」

「えっと…」

強情パリのお嬢さんがあんまり素直に微笑むので隼人も戸惑ってしまった。

『安心できるから信用して辞めてみる』そう言ってくれたのは嬉しいが…。

隼人は自分はそんなに出来た男でもないし、特別な事を言った覚えもなかった。

「今までは…。私も悪かったと思うの。きっと…どの人も…。

私を腫れ物みたいに扱って…戸惑ってそっとしておいてくれたの。

それも…『優しい』と思うんだけど。隼人さんみたいな『心配してる』は初めて。」

葉月はまたフォークをおいてうつむいた。そして…

「今日…。話して良かった…」

うつむいた葉月の栗毛の中から『ポツン…』という音が一つだけテーブルに響いた。

そして隼人が茫然としている間に、葉月は顔を覆って急にすすり泣き始めたのだ。

その声が少しずつ大きくなって声をしゃくり上げるから隼人もビックリ…躊躇してしまった。

隼人も…そんな風に…感情を露わにして素直に泣く葉月を見て…どこかホッとしていた。

初めて葉月が、隼人に涙を見せたのは…。

まだであったばかりの…『研修の打ち合わせの時』

遠野仕込みのカフェオレを隼人が葉月に飲ませたとき…。

葉月は自分でも気が付かない涙を流していたからだ。

春に別れた恋人が『結婚』を決めたときも葉月は平然としていた。

泣きたいときに泣けない娘…。『無感情令嬢』

こうして泣いているのが普通に見えるから…隼人は安心していたのだ。

「俺も…。今回。ここに来て良かったよ。葉月のこと色々判ったから…。

知らないままではすまされないことだったね…。話してくれて有り難う…。」

本当にそう思った。ひょんな事で昨夜お邪魔したし…、最初は拒否もしていた。

『遊びで誘っているつもりはない』

葉月のあの『真剣勝負』の瞳はこうゆう事だったのかも知れない。

自分の家の厳重さ。そして…招待すればロザリオだっていつかは目に付く。

今回、隼人が気が付かなくても葉月は『いつ話そう?』とずっと引きずっていたかも知れない。

隼人を自宅に誘ったのは早いウチにすべてを…いや、まだすべてではないだろうが…

本当の自分を垣間見せるために…隼人を招き入れた。

そこで…受け入れてもらえるかどうかの葉月の『賭』が昨夜の誘いだったのかも知れない。

本当のことを言うと…隼人は『葉月は妊娠経験者』というのはどうもピンとこない。

目の前にいる女の子はただ普通に泣いているだけ。

いつも隼人が知っている『お嬢さん』

なんにも変わらない…。そうとしか思えない…。

「有り難うを言うのは私の方…」

葉月がやっと声をすぼめて囁いた。

栗毛からやっと顔を上げて、涙ながらにもニッコリ微笑んでくれる。

「あのさぁ。」

隼人は…葉月のそんな感謝の笑顔に照れてしまって…

『何?』と首をかしげて微笑んでくれる葉月に…。

「ニンニクは…良く油を熱してから炒めないと…香ばしくないよ」

パスタを頬張りながら…また『照れ隠しの天の邪鬼』が出てしまった。

すると葉月が…唖然とした呆けた顔で隼人をジッと見つめる。

「なんでそんなこと知っているの??」

葉月は隼人の趣味が『料理』とはまだ知らないからよけいに唖然としていた。

「え?秘密…」

「それから…なんで。煙草を吸う女性にはピルは適応しないかも知れないって知っているの??」

「本の受け売りだよ」

「なんの本??」

妙な知識を備えている隼人を今度は不思議そうに葉月が眺めている。

「隼人さんって…時々『ずれている』って言われない??」

フランスでも知り合いにそう言われていたから隼人はまた…葉月のツッコミに

『ゴホ!』とむせてしまった。

「なんだよ。俺の何処が『ずれている』んだよ!?」

「だって…。そんな男性初めてなんだもの…」

「だから…本の受け売りだってば!」

「いろいろ知っているのね〜。見習わなくちゃ」

隼人が『読書好き』なのは葉月も知っているので、『雑学知識』として納得してくれたようだった。

葉月がやっと落ち着いて食事を始めた。

先程より、ずっと明るい笑顔で隼人に話しかけてくる。

いつものお嬢さんに戻って隼人もホッとした。

先程の…告白なんか…どうでも良くなった。

葉月の過去は、葉月のモノ…。不安なら…一つ一つ、安心させてやればいい。

葉月がそう…隼人のことを『安心するの』と言ってくれるなら。

そうしていけばいい…。

隼人は葉月の笑顔を見て…昼下がりの食事をいつもの雰囲気で楽しんでいた。