18.居場所

遅い昼食が終わった後…。

あんな話を聞いたのでやっぱり隼人は、書斎にこもっても集中が出来なくなった。

時計はそろそろ17時。林側の書斎も夕暮れていた。

(帰るか…。ずるずるといてもしょうがないもんな…)

いまはまだ…。居着く気にはなれなかった。

まずは…『少佐』になってからだった…。

隼人が書斎を出ると、葉月もダイニングテーブルで書類に向かっていた。

「お疲れ様。帰るの?」

葉月の方から…何気ない笑顔で言い出したので隼人はホッとしながら『ああ』と答えていた。

すると葉月が、制服の上着を手にした隼人にスッと何かをテーブルに差し出した。

「カードキー。いつでも来て…。暗証番号も書いて置いたから…。」

「でも…。」

「いいのよ。捨ててくれても。」

「いや。もらっておく」

隼人はその気がないと言いつつも…この一晩でやっと彼女との距離が縮まったように感じた。

葉月も…『来て欲しいから渡すだけ』と言う感じで。

『今度はいつ来る?』とも伺ってこない。

「送って行くわ」

「いや。いい。そこの書類片付けなよ。俺は歩いて帰るよ。今日はそんな気分」

テラスから見渡せる夕暮れの海が、あまりにも美しくて…

1キロぐらいは歩いてもいいだろう…。そんな気がしたのだ。

葉月も強制的に『送る』とは言わずにニッコリ『そぉ?』と微笑むだけだった。

「解っていると思うけど…。そのキーは隼人さんだから渡したんだからね?」

「解っているよ。誰にも見せないし、触らせないよ。」

隼人はそのカードが急に重いもののような気がしながら制服の胸ポケットにしまい込んだ。

葉月が玄関まで見送りに来てくれる。

隼人が靴を履いて、ドアを開けると…。

「来てくれて有り難う…。本当に気持ちが軽くなったわ。ごめんなさい。無理に連れてきて」

にっこり…瞳を輝かせて隼人を見送るので…帰るのが申し訳なくなるぐらいだった。

「俺もね。来て良かったよ。葉月のこと…色々判ったから。」

「判りすぎて…ガッカリ??」

力無く微笑んでうつむき、葉月はそっと栗毛の生え際をかき分ける。

「いいや。これで良かったよ。俺…どうすればいいか…チョットだけ解ったから」

「どうすればって??」

葉月が不可解そうに首をかしげたので…隼人はそっと葉月の栗毛を撫でてみる。

「それは…これから解るかもね」

「なに?それ??」

「また。来るよ。」

そう言うと葉月がやっぱり嬉しそうに微笑んだ。だから…

(コイツもやっぱり普通の女の子なんだな)と、隼人も微笑んで…。

そっと葉月を抱きしめていた。

『隼人さん…』

葉月が甘い声で囁いて…『裸』以外のふれ合いで…初めて隼人の背中に抱きついてきた。

こんな普通のことで切なくなったのは『初めてだ』と隼人は思った。

隼人の肩先でうっとり微笑み、今日は葉月が隼人の腕にすべてを任せてくる。

自然と唇が重なったのは言うまでもなく…暫く二人は玄関先で抱きしめ合っていた。

『恋人』 初めてその言葉がしっくりきたように隼人は感じた。

「本当に煙草辞められるのかな?」

「さぁ。初めての試みで判らないわ?」

「無理しなくていいよ。俺も辞めるときは少しずつだったから…」

「うん…」

葉月の栗毛を撫でながら、そんなささやきを交えてもう一度、口づけようとお互いが目を伏せた時…。

後ろの鉄扉が開いた音がして…。

「あ!!」

その声にビックリして二人が離れると…。

紺の詰め襟制服を着た真一が茫然として立ちつくしていた。

「シンちゃん…!?」

真一に見られて二人揃って顔を伏せると…。

「大尉!!遊びに来ていたの!?なんだよ!!だったら鎌倉帰らなきゃ良かった!!」

悔しそうに腕を振り下ろして、手にしていたリュックを床にたたきつけるのだ。

「葉月ちゃんのケチ!!俺だけ仲間はずれ!?」

「ち…違うわよ!大尉は試験勉強で!」

「そ…そうだよ。仕事でちょっとお邪魔しただけだよ!」

大人の二人が揃って言い訳ていたが…。

真一はシラッとした視線を二人に投げてくる。

「そんな風には。見えなかったんだけど…。」

子供といえども、16才。誤魔化しようが無くて大人の二人はただうつむくばかりだった。

「葉月ちゃん!ちゃんと大尉にウチのカードキー渡した!?

聞いてよ!!大尉!葉月ちゃんったら全然そうゆう事しようとしないんだよ!」

真一の勢いに隼人も押されっ放しだった。

叔母と抱き合っているところを見てしまったからには

『もう大尉は、葉月ちゃんと正真正銘・恋人!!』とばかりに臆することなく突っ込んで来るのだ。

『もらった』とは隼人もすぐには言えなかった。

「大尉。帰っちゃうの!?晩ご飯食べていってよ!!」

「駄目よ。大尉は今からお家に帰って勉強があるの!」

葉月がすぐにたしなめると、真一はブスッとふくれて隼人を睨むのだ…。

「えっと…。ほら。もらったよ。また来るから…。」

真一の威力におののいて隼人はとうとう…胸ポケットから

カードーキーを出してしまった。

それを見て…真一もニッコリ…。

「本当にまた来てくれる?」

まるで葉月の代わりに真一が小さな女の子の我が儘のように

期待心たっぷりに隼人の瞳をのぞき込むのだ。

「も…勿論」

隼人は苦笑いをしていたが…葉月も苦笑いをしていた。

納得を得た真一にやっと解放されて隼人はソソと…『バビルの塔』を後にした。

丘の坂を下りていると…

『大尉〜〜!!バイバイーー♪』

テラスの窓から真一が身を乗り出して手を振っていた。

夕暮れに染まるサンテラスのガラスの向こう…。眼鏡は掛けていないから判らないが…。

無邪気な真一の横で葉月がそっと微笑んでいるように隼人には見える。

フランスを出て…初めて…隼人は『場所』を得た気持ちになって二人にニッコリ手を振っていた。

「おはよう…」

「おはよう♪大尉!」

いつも通り…いや。いつもよりかなり元気な葉月に迎えられて、

隼人もニッコリ微笑んで挨拶を交わしてしまった。

週末の一晩でこんなに葉月が変わるのも…『やっぱり…女の子だな』と

隼人は、葉月がこうして日に日に『俺だけの笑顔』を見せてくれるのを感じていた。

「さて…。隼人さん、まとめてきた??」

週末話し合った…来月から始まる訓練カリキュラムの登録候補、

それをまとめてウィリアム大佐にとりあえず『第一希望』を提出する手はずになっていた。

勿論隼人は、昨日…葉月の自宅を後にしてから自宅でまとめてきていた。

空手とレスキュー訓練、それから『システム工学講義』

これが第一希望だった。

空手は武道家の葉月を意識して、もう一磨きしたいと思ったから。

レスキュー訓練は前々から考えていた。

しかし…今度はお転婆なじゃじゃ馬娘のサポートとなると

なんだか、『命に関わることがあったら…すぐに助けなくては…』という

側近としての予備知識としているような気がしたのだ。

システム工学は、勿論フランスで学んできて『教官』をしてきたのだが…。

ジョイが作ったというソフトを見て『島とはこうゆうレベル??』と言う驚きに火がつき…、

さらに、せっかく大きな基地に来たからもっとレベルをあげたいという

隼人の『工学肌』がそうさせていたのだ。

葉月に希望する物の書類を差し出すと、彼女も『なるほどね』と承知して

午後になったら、四五中隊の幹部会議の時に大佐に提出するといって大切にしまい込んだ。

午前最初の事務作業をいつもの如く、二人揃って静かに行う。

葉月は一時間ほどまとめると、だいたいが午前組の訓練だったので

事務を片づけて訓練へと出掛ける。

その訓練前の事務作業中のことだった。

「お嬢?京介おじさんから電話だよ〜。」

ジョイが大佐室の自動ドアからひょっこり頭を覗かせて叫んだ。

「わかったわ。内線回して」

「オーライ♪」

ジョイが姿を消すと、大佐席の内線電話が『プルッ!』と鳴った。

隼人は『京介おじさん』が神奈川訓練校校長の准将と解って嫌な予感を走らせたが、

葉月に悟られまいと、平静な振りをして事務作業を続けた。

「もしもし?葉月です。叔父様??お久しぶり♪お元気?」

葉月が、これまた警戒心のない親しい声を出したので…

『やっぱ。身内は違うんだなぁ』と隼人は聞き耳を立ててしまった。

「え?ああ。うん。そうなの…」

葉月の声が急に歯切れ悪くなり隼人は確信した。

(横浜のオヤジにとうとうばれたか!?)

隼人はまだ、実家の父に小笠原基地の何処の部署に配属されたか報告していなかった。

勿論…官舎の電話に留守電が何本かはいっていたが「無視」していたし、

パソコンに届くメールにも返事は書いていなかった。

商談で神奈川基地を出入りしていることは、少年の頃から隼人は知っている。

ミシェールの自宅にホームステイをするよう薦めてくれたのは他でもない…。

父が良く通う神奈川校の校長…葉月の叔父だったのだ。

その叔父から…葉月の元に来たことがそろそろばれると思っていたが…。

その事に関しての『連絡』かもしれないと隼人は構えていた。

「そうなの?ふぅん…。そんなこと知らないし…」

葉月がボールペンを持て余すようにメモ紙にグルグル回して気を紛らわしていた。

「叔父様がそう言うなら…そうするけど?心配しないで…何とかするから…」

『何とかするって??俺をどうするつもりだ?』

『葉月。サワムラ君のお父さんが訪ねてきてな。

姪御が側近として付けてお世話になっていると言うと澤村社長が随分驚かれてなぁ』

隼人はそんな会話だろうと…葉月の反応を見て胸をドキドキさせていた。

「え?そうなの!?それは…意外ね。私も思うところあって…考えてはいたんだけど…。

いよいよになったら叔父様に相談しようとも思っていたのだけど…。

叔父様が上手く言い分けてくれたの??え?違うの??

じゃぁ…それは余程のご理解ね…。安心したわ…。叔父様?これからもそうして下さる?

うん。解ったわ。父様にはちゃんと報告しておいたから…。うん!頑張るわ♪」

『じゃぁね♪』

葉月はニッコリ可愛らしい笑顔を浮かべて受話器を置いた。

やはりそこには気を許せる身内にしか見せない…『小さな女の子の笑顔』

叔父さんとの久々の会話だったのか葉月は上機嫌でまた事務作業を始めた。

「鎌倉の…叔父さん?」

「ええ。」

『なんの電話?』 そう聞きたいが…聞けなかった。

「私の従兄がね…。うるさい兄様なの…その事…。」

『本当かよ?』

隼人の心の隙間については葉月はフランスにいた頃から素知らぬ振りを通している。

隼人もそれに気が付いていたから、葉月が上手くはぐらかしたのではと、疑ってしまった。

「兄様はね?12才年上なんだけど…。横須賀基地で音楽隊の隊長を務めているの。

叔父様と親子揃って『のんびり風流人』って人なの。」

隼人は末娘の葉月が軍人として体を張っているから家族揃って体力的軍人と思っていたが…

真一の父代わりを辞退した38才の葉月の従兄は『音楽家』と真一から聞かされたとき意外と思った。

「私のヴァイオリンの先生。」

「そうなんだ…。御園って…音楽の血筋もあるんだな!」

『なるほど!』と隼人は妙に納得してしまった。

葉月があんなに素晴らしい演奏をするのだから、その先生が『音楽隊の頭』と来れば

妙にしっくりするので隼人は益々納得してしまった。

「その兄様は…真一の事となると…すごく口うるさいの。

ほら…最近は真一も隼人さんが来て気が逸れているけど…。

亡くなった姉様のこと探り回していたからすっごく気にしていて…。

私に『何をほっといているんだ!しっかりしろ!』てそれはもう…。」

葉月が養母として預かっている手前なのか疲れたため息をこぼした。

「どうして…そのお兄さんは…真一君を引き取らなかったの?」

隼人がそう聞くと…葉月の表情が急に硬くなった。

「……。知らない。大人達がそう決めたから…私は従っただけ…。

兄様もそれでイイっていってくれたんだけど…やっぱり…心配なのね。

なんせ。真兄様が、鎌倉で真一を育てていたとき…従兄様も近所だから

一緒になって世話焼いていたから…。息子同然なのよね…。

兄様はここの所真一のことでかなりピリピリしていたから…。

叔父様が心配して『その後はどうだ?』って今聞いてきたってわけ…。

兄様もだいぶ安心してきて…落ち着いたから叔父様からも上手くなだめておくって言う連絡」

「そうだったんだ…」

それを聞いて隼人はホッと胸をなで下ろした…。

しかし…。

父にはいつかばれるだろうとガックリうなだれた。

「そう言えばさ…。葉月残業が多いよな。」

すっかり…『葉月』と言うようになったので、葉月は改めてドキリとしながら…

「それがどうかしたの?」と首をかしげた。

「その…夕方は…なるべくお邪魔するようにするよ。

そうすれば…真一君が遊びに来ても俺がいたら…色々探ることもできないだろう??」

「え!?いいわよ。そこまで気を使わなくったって…。そんなつもりで渡したんじゃないんだから…」

カードキーを渡したものの…躊躇いながら受け取った隼人はそう毎日は来ないだろうと…葉月は思っていた。

だから…隼人がそんな気を使って毎日来るようなことをほのめかしてビックリした。

「やっぱり…心配だよ。その…真実を知ったときが。

ただ…あのマンションにお邪魔するだけじゃ気が引けるよ。

そうゆう使命…与えてくれてもいいんじゃないの??側近だよ俺?」

「そ…そうだけど…。それは…ウチの事情だから…側近は関係ないわよ。」

隼人が急に柔らかくなったような気がして葉月は戸惑った。

週末の一時がこんな風に頑なだった隼人を変えるのだろうか??と。

「あっそ。だったらいいよ。行かないから。」

隼人がせっかく行く気になったのに今度は葉月が、合い鍵を渡したのに躊躇するので

隼人が拗ねてフン!と書類に顔を伏せてしまった。

「………。その…入るのは自由のつもりで渡したから…いつでも来て…。

それでイイの…。私。ウチのことに隼人さんは巻き込みたくないけど…」

『有り難う…』葉月が恥ずかしそうにうつむいてそっとこぼしたので…。

隼人も『じゃぁ。行くからな』と書類から顔を上げて微笑んでくれた。

葉月は…それは本当に有り難いと隼人に感謝しながらもちょっと心苦しくなってきた。

『従兄様が…ピリピリしていて…』

これはとっさに出た『誤魔化し』だったのだ。

本当は…。

『葉月。お前の側近になった澤村君が、『澤村精機の息子』だと知っているのか?

先日彼のお父さんが私の所にやってきて、『姪御がご子息にお世話になって』と

挨拶をしたらビックリしていたぞ?』

隼人の父が叔父と通じていることは知っていたが

隼人とその父親の『わだかまり』については知っていながら本人が言い出すまで

知らない振りをすることを葉月は心に決めていた。

隼人も葉月の触れたくない部分はサラッと流してくれるから

葉月も隼人が『聞いて欲しい』と心から言い出すまで待つつもりだった。

叔父がいつかはこんな驚きの電話を掛けてくると覚悟はしていたが…。

『私…そんなこと知らない』でしらばっくれる作戦で構えていたのだ。

すると叔父の報告では…。

『知らないと言い張るのか?本当は気が付いているのだろう??

澤村社長はビックリはしていたがお前の側への栄転だとかなり喜んでいたよ。

息子は意固地なところがあって大変だろうけれどもよろしく頼みますと

姪御さんにお伝え下さいと、頼まれてなぁ…。

それから…澤村君が『佐官試験』を年末に控えてると教えると

それにも大喜びで…『やっと先に行く気になりましたか』とね。

実家になかなか帰ってこないと渋っていたが、そうゆう事なら息子が少佐になるまで

そっとしておくとね…。それは、大喜びだったぞ…。それを一応お前に伝えておこうと思ってな。』

それを聞いて葉月はホッとしたのだ…。

本当なら…上司として一度は十五年ぶりの帰国として『帰省休暇』を与えてやるべきなのだろう。

しかし、隼人が実家を避けているのは康夫から聞かされていたから

隼人が『実家に帰りたいから休暇をくれ』と言い出すのを待っていたのだ。

しかし…十五年ぶりの帰国をしても隼人は小笠原から出ようともしない。

葉月はきっと…。澤村社長に『けしからん上司だ!』と思われているに違いないと覚悟はしていたのだ。

しかも…こんな小娘の側近になるために日本に帰ってきたと知ったら…

澤村社長は父親として憤慨するのではないかと思っていたのだが…。

『意固地な息子なのでよろしく…』と言われてホッとしたのだ。

それと同時に…大切な息子の上司として認めてもらえたので『意外!』と驚いたのだ。

でも…

『少佐に無事昇格したら、葉月から正月は帰るように勧めなさい。解るね?』

叔父のその念押しには『叔父様がそう言うなら…』と渋々受け止めたものの…

『俺。帰らないからな』

隼人がそう言うような気がした…。

康夫が言うには『継母との隔たり』が原因らしいが…。

十五年分の根の深さは葉月には口の出しようがないし…

『さすが澤村のお父様…息子が意固地ってよく解っていらっしゃる…』

隼人が頑として動かないだろうと思うと…『お正月ぐらい帰ったら』の言葉は

葉月如きでは呑み込んでくれないような気がした。

まだ先の話なので葉月はまぁ…その時はその時…と気を持ち直したが…。

『それぐらいの使命与えてくれてもいいんじゃないの?』と

気を使ってくれた隼人にそんな誤魔化し嘘を付いたことにちょっと申し訳なくなってきた。

『一体どんな家族なんだろう??』

人のことは言えないが、葉月は初めて隼人の本当の心を知りたいと欲してため息をついてしまった。