26.屋上捜索

その朝…。隼人は島に来て最悪に不機嫌な朝を迎えた。

起きてみると制服のまま寝てしまったことに気がついた。

だから、慌ててシャワーを浴びて出勤をしたほどだ。

昨夜、あれから…かなりの自己嫌悪に陥ってベッドで考えた。

それ以上に…葉月の自宅にいることがあんなに安らぐこととは思いもしなかった。

まだ、居候になる気が無いにせよ、帰りぐらいは優雅な気持ちで帰ってくるべきだった。と…。

葉月の笑顔に始まって彼女のいじらしい『おやすみ』で送ってもらう。

そんなこと…そんなことをこんな自分が『期待』していたことに

隼人自身初めて気がついたのだ。

(なんて事だ)

本気でそう思った。急に寂しさに包まれたりした。

そのことに拍車をかける出来事が昨夜、葉月の自宅を出て

官舎に戻ってきてからあったのだ。

隼人の部屋。机の上にある留守番電話のランプが珍しく点滅していた。

『横浜の親父だ』

すぐにそう直感が走った。

しかし隼人の父ももう…還暦をすぎていた。

何かあったのならいけないと、留守電のボタンはすぐに迷わず押した。

『隼人。父さんだ。元気でやっているか?

もう。お前の耳にも入っているかもしれないが、先日。神奈川訓練校にお邪魔したとき

御園准将から、将軍の姪御さんである御園中佐のところにお前が転属になったことを

初めて聞かされた。彼女の噂ぐらい父さんも知っているからな。

忙しいわけは解った。少佐になる試験頑張りなさい。応援しているからな。

御園嬢の力になれるようしっかりやりなさい…。じゃぁ…』

『じゃぁ…』の後に少し間があった。言い足り無そうな父のその沈黙の間の後

『プツリ』という音と共に電話が『ポーポーポー』と…

隼人の侘びしい部屋に響いた。

『やっぱり…。昨日、葉月宛にかかってきた御園准将の電話は親父のことだったのか…』

そうであろうと、あのとき予測していながら、葉月にまんまと流されていたことに初めて気がつく。

『葉月。もう知っているんだな…。俺が社長の息子だって事。』

それも。フランスにいた時康夫から聞いているだろうと予感もしていたことだ。

隼人も葉月の『トラウマ』は気にしながらも知らぬ振りをしているが

葉月も同じように隼人の家庭事情は気にしながらも知らぬ振り…。

隼人自身、葉月を気にすることは自分が選んだことだから『大したこと無い』と思えるが

さすがに…『妹上官』の葉月にそんな風に気を使わせていたことに再び落ち込んだ。

そのこととは別に…。

『親父の奴…。意外とすんなり受け止めてくれたな?帰って来いって言うかと思った。』

隼人は上着を脱ぎながら部屋の明かりも付けずに机の椅子にかけて、すぐにベッドに横になった。

頭の後ろに両腕を回して…夜灯りの中…遠い昔を急に思い出す。

『隼人ちゃん』

久しぶりに…『彼女』の優しくて柔らかい声を思い出した。

継母の彼女がにっこり輝くように微笑んでいる。

独りになることを選んだ。ずっと独りで遠い国で暮らしてきた。

その15年の間に染みついた『閉鎖習慣』

その悪い癖が今夜、葉月の前でさらけ出されてしまった。

『葉月は気が付いている…』

隼人自身の弱さに…。

葉月をうまくサポートしようとか言ってまだまだ…やっぱりおこがましいことだった。

彼女の方にサポートされていた。

『フランスにいたときと同じだ。先ゆく葉月に怖じ気づいて…理屈こねて反発か…』

フランスを出てきた意味ないな…と隼人はそこで考えることをやめたようだ…。

瞼がそっとそのまま落ちてしまったようだった。

慌てて出勤してみると、大佐室にはいつも先に来ている葉月がいなかった。

「フランク少佐?あの…中佐はまだ来ていないのですか?」

大佐室の前にいるジョイに尋ねてみる。

「あれ?来ていたような気がしたけど?中にいないの??」

ジョイは腕時計を眺めて『もうすぐ・朝礼だから戻ってくるよ』と、取り立てて慌てない。

(まさか…昨夜の事で…??)

傷つけてしまったのだろうか?機嫌を損ねたのだろうか?と隼人は不安になる。

だからといって、あの『じゃじゃ馬嬢』が男に怒鳴られたくらいで落ち込むとも思えない。

ところが。いざ・朝礼の時間がやってきても葉月は姿を見せなかった。

「全く。どこにいったんだ??」

朝礼の時間になって、山中とジョイがため息をつきながら大佐室に入ってくる。

山中が『どれが今日のスケジュールだ?』とふてくされながら葉月の机の上を探っていた。

その山中の手元にある内線がなった。

「はい。第四中隊…お嬢!何処にいるんだよ!?」

その山中の声に、隼人もジョイも大佐席に近寄る。

「なに?あ。そうなんだ…。解った。俺が朝礼しておく。早く戻って来いよ。」

山中はまた、ため息をついて受話器を置いた。

「なに?お嬢何処にいるって?」

ジョイの質問に隼人も山中の返事を待つ。

「班室にどうしても廻って置かなくちゃいけない用事があるからだってさ?」

「なんだよ。それ。隊長のお嬢がこんな朝から廻る用事なんてあるのかよ?」

葉月がきちんと遅れる断りを入れてきても補佐の二人は納得いかないようだ。

すると。ジョイがちらりと隼人を見つめた。

「な・なんでしょう?」

「もしかして…。お嬢と喧嘩した?」

鋭いお察しに隼人はドッキリ…動きが止まってしまった。

「やっぱりね…」

ジョイの確信したような一言に、隼人も反論ができなくなる。

「なんだ。そんなことか。」などと、山中は益々呆れたようだが葉月を批判しようとはしなかった。

「でも。彼女が…そんなことぐらいで私情を挟む中佐だとは俺は思っていないんだけど…」

隼人も、納得がいかないように呟くとジョイが首を振った。

「それは…そうなんだけど。いつもは、冷たい顔して『平静』を装っているだけ。

そんなの大尉だって知っているでしょう??お嬢はこんな事は滅多にしないけどねぇ。

結構・ムラっ気あるからね。ある日突然、こんな風にそっぽ向くこともあるんだよ。」

ジョイのため息に、山中も『そうそう』と腕組みうなずく…。

隼人も葉月がフランスで急に裏庭までさぼりに出かけて午後の業務に

帰ってこなかった事を思い出した。

その時は、裏庭で葉月は色々と『自分のこれから』について深く考えをまとめていたのだ。

しかし。今度は違うだろう…。班室廻りなんて、体裁の良い言い訳。

隼人とすれ違った事で何処かで何かを考えているに違いない。

今度は完璧に『私情』だった。

「とにかく。俺が朝礼しよう…すぐに戻ってくるさ。

大尉と顔が合わせづらいだけで、訓練だってあるから戻ってこないって事はないだろうさ。」

『アメの兄貴』はそれで納得したようで葉月の机からプリント一枚を手にして出ていった。

ジョイはまだ、隼人を見つめてたたずんでいる。

「よけいなお世話かもしれないけど…」

彼はそういって…なんだか言いにくそうに大佐室の大窓を見つめた。

朝日に彼の金髪がキラリと輝いて、青い瞳がアクアマリンのように透き通る。

「確かにお嬢はさ。そこら辺にいないじゃじゃ馬嬢なんだけど。

それを取れば、やっぱり『ふつうの女の子』だよ。

おまけに…感情表現下手だからさ。喧嘩しちゃったらどう反応して良いか解らないんだよね?

俺と喧嘩するのとは訳違うモン。『好きな人』にはやっぱり嫌われたくないからとか…

幼なじみの俺は何処か家族っぽいからね。どんなに言っても『お姉ちゃんと弟』だから。

なんだか目に浮かぶよ。二人が喧嘩した姿。

大尉がはっきりキツク意見を言ったとしても、お嬢は言葉少な目にシラっとしていたとかね。」

ジョイの予測は『大当たり』で隼人は益々おののいて…声が出ない。

「『平気な振り』して…本当はかなりめげているかもね。

今頃、一人で『どうしよう?どう顔を合わせよう?どうやって軽く流そう?』とか。

そんな感じで、ふつうの女の子みたいにあたふたしているんだよ。結構・笑えるでしょ?」

ジョイはそれだけ言うとにっこり微笑んで山中の後を追っていく。

そして、隼人も『そうかもしれない…』と…ジョイを追って朝礼に向かう。

そこでジョイが自動ドアの前で一言。

「ここの『裏庭』は目立つからね。屋上に行ってみたら?煙草すっているよ。きっと」

『ちょっとしたアドバイス』とばかりに彼がニンマリ教えてくれた。

隼人が島に来て…葉月が木箱の上に乗らない朝礼を初めて迎えた。

山中の威風堂々とした朝礼指揮官姿もなかなかだったが…。

やっぱり…葉月が前に立つ方が本部員達の空気も張りつめているように感じた。

朝礼が終わって隼人はジョイのアドバイス通りに葉月を捜しに屋上に向かった。

この四中隊の屋上にはいなかった。

『何処の屋上だよ!?』

そこまではジョイには聞けなかった。探しに行く姿は『恋人』としてだからだ。

だが山中が、『班室廻り』でないことを解っていて『わかった』と流した『アメの兄貴』ように…

隼人は『バカやってないで戻ってこい!』と『ムチの兄貴』でなくてはならない。

とにかく。訓練までに戻ってくると言っても『朝礼』を投げ出した隊長としては認めてはいけない。

葉月が最初のすれ違いでこんな行動をとるくらいなら『恋人』と続けていくわけにいかない。

隼人は、そう考えている内にまた、腹が立ってきた。

『くそぅ。やっぱり女は面倒くさい!』

あの『無感情令嬢』の葉月が本物の喧嘩をして、逆に『普通の女性』のように

『すねる』という感情を露わにしてくれたのはある意味良い傾向かもしれないが。

そんな感情表現を持っているのならそれは『恋人』としての時間だけでなくては隼人もやりにくい。

隼人は基地内全部の屋上を探していたららちがあかないと踏んで

『カフェテリア』の屋上を目指した。

朝早いからカフェには夜勤明けの男達がちらほらと食事をとっているだけだった。

それを目の端にかすめて階段で屋上を目指す。

暗い階段から秋晴れの柔らかい日差しが隼人の眼鏡に反射した。

その反射から視界がはっきりしてくると…

屋上の手すりに沿って並んでいるベンチに…栗毛の女性が海を見つめて煙草を吹かしている。

(フランク少佐が言ったとおりだ)

まったく…弟分のジョイに、手に取られるようにそのまんまの姿でいたから益々呆れた。

そして。まだまだ…隼人は弟分の彼にはかなわない…葉月のそばにいる男だと噛みしめた。

 

『俺にも一本くれない?』

 

隼人はわざと英語で、海を眺めて顔が見えない葉月に声をかけた。

葉月はその男の声に無反応。

しかし、葉月は気が付いているのか?いないのか?

胸ポケットから煙草の箱をスッと振り向かずに差し出してきた。

隼人はそれを受けてっと…久しぶりに一本くわえてみた。

今度は葉月がライターを差し出してくる。

あの…サファイアがついている高級そうな青いライターだ。

「人を確かめてから…貸さないと…。盗まれるよ?」

今度はいつも通り日本語で話しかけたが…やはり気が付いているようで

葉月は煙草を指に挟んでただジッと…水平線を眺めている。

隼人は煙草に火を付けて…長いこと忘れていた煙を吸い込んだ。

それからそっと…葉月の隣に腰掛けた。

「ダメじゃないか。隊長代理がこんなところでサボりなんて。」

『俺と喧嘩したことは関係ないだろう?』

そう言いたいが…隼人も喧嘩両成敗…と言うところか?

自分も『原因』の一端だからそこまでは言えない。

『ごめんな』

そう言えばいいのだろうが…それが言い出せない。

隼人の中では『ごめんな』をいえば…『頑張ってキャプテンになるから』と

承諾したことになるような気がした。

例え。いずれそうなるのだとしても…今はまだ、それは遠いぼんやりとした曖昧な話だからだ。

かける言葉に途方に暮れて、隼人は軽い煙草をもうひと吸い…。

そんな隼人の仕草をやっと葉月がチラリと…栗毛の中から瞳を覗かせた。

「似合わない」

「そうか?前は吸っていたんだけどな。先輩がいた頃ね。」

「そうなの?」

「ああ。この煙草、結構・軽いな。もっとキツイ奴吸っているかと思った。」

隼人が煙草の先を眺めていると、葉月がいつも通りそっと微笑んでくれた。その上…

「昨夜はごめんなさい。」

葉月の方に先に言われてしまって、隼人はゴホッと煙を飲み込んでしまう。

「先走りしていたわ。でもね?そうなったらいいなぁ…って思っていたの。それだけ。」

二人だけだからか…昨夜の自宅でも刻んでいた女中佐の顔はそこにもない。

隼人が日頃、目にしている『お嬢さん』に戻っていた。

そんな彼女に先手を奪われて…隼人は益々素直になれない。

でもここではもう・天の邪鬼な言葉は言えない。

ここで…また変な照れ隠しで人を切り捨てるような『天の邪鬼』をすると…

そう…フランスに行こう…と決めた15年前のように…

継母を傷つけた言葉を吐き捨てたときのように…なんにも変わらない事になる。

「お…俺も。いきなりでびっくりしただけ…。

その…葉月に期待してもらえる事は嬉しいし、頑張ろうと思っている。でも…」

素直になろうとしどろもどろな隼人に対し

「解ってる!まずは目の前にあることから一つずつ…やっていけばそれで良いものね♪」

葉月の明るい声が輝く笑顔と一緒に帰ってきて…隼人は拍子抜けしてしまった。

「なんだ。すごくすねているかと思ったのに…」

「すねる?誰がそんなこと言ったの??」

葉月はきょとんとしていたが…

(すねていたんだろうな…。本当は…。ワザとはぐらかしているに違いない…)

いつも隼人のそんなところに上手に知らぬ振りしてあわせてくれる。

ジャンの言葉が聞こえてくる…『お嬢さんがお前にあわせてくれているだけ…』

(確かになぁ)と、隼人は男としてガックリ情けなくなってくる。

その代わり…自分の腿の側にある…ベンチに手をついている葉月の指を握っていた。

葉月は煙草を灰皿に消してからにっこり隼人に微笑んでくれる。

(もう。いいじゃない。終わりにしましょう?)

そんな声が聞こえてくるようで…隼人は『ごめんな』を言いそびれてしまったが

それでもう充分…いつもの二人に戻れた気になったのだ。

「隼人さん。」

「なに?」

隼人は葉月の指をさらに力を込めて包んだ。

「今日からやめるわね?」

「なにを??」

葉月は風になびく栗毛をかき上げながら…照れくさそうにしばらくうつむいた。

隼人も黙って…葉月の言葉を待つ。

しばらくして葉月が潤んだような瞳を隼人の眼鏡を通して見つめてくる。

「『大佐。失礼いたします』って挨拶してからあの椅子に座ること。

だって。もう。大佐室は一人じゃないし…『ふたり』いるから…。

今日からあそこも『大佐室』とは言わないようにするわ。『隊長代理室』そう言うことにする。

『中佐室』と呼ぶようにするならまず私が『正式隊長』にならないとね?」

「……どうしたんだよ?急に…」

隼人が驚いて彼女を見下ろすと、葉月はまた照れくさそうにうつむいた。

「私も一緒だから…。春から『大佐の跡を継げ』には、漠然としていて怖じ気づいて…

『私にできるはずがない』と思っていて…今だってそう…。でも、隼人さんが来て自信がでたわ。

隼人さんに『キャプテンになれ』と言う前に…私も前に行かなくちゃいけないんだって…。

昨夜…。隼人さんが帰ってから考えたの。だから…『ごめんなさい』なの。」

遠野の椅子に挨拶をしてから座ることは、隼人はもう気にはしていなかったが…

隼人が来て、尊敬する上司より、その存在をはっきりと捕らえ始めてくれたと言うことだった。

当然…隼人はこんな喧嘩をした後だけに、よけいに感極まってしまった。

本当だったら…こんな風に前向きになる彼女の健気さに『抱きしめたい』ところなのだが…。

「職場じゃなきゃ…抱きしめてあげたいよ」

こんな事は言葉で言えるから、自分でも呆れたが葉月はやはりニコリと笑うだけ。

「別に。そんなことされたら、もう、仕事する気無くなるから遠慮しておく♪」

葉月は嬉しいながらにも、生意気に返してきてそのうえ、隼人と背中合わせに座り直した。

本当なら、胸と胸をあわせて抱きしめたいのに…。

背中と背中をあわせて意志疎通…。

「こうしていると、ラ・シャンタルに行く時。自転車で二人のりしたこと思い出すな。」

隼人がこぐ自転車の後ろで、お転婆にはしゃいで背中合わせに乗っていた葉月。

「そうね。私の最高の想い出。今年の夏は…」

葉月が水平線を遠い目で眺めている。その言葉に隼人もそっと微笑む。

「俺もね。想い出かもしれないけど…やっぱりついていくよ。葉月に」

「なんか。『ついていく』って女性が普通言わない??」

葉月がいつもの生意気な顔で大笑い。

「いいんじゃないの?俺達は俺達で…」

煙草をまだ吸っている隼人を一瞬、葉月が面食らったように背中からのぞき込んだが

また…隼人の背中に寄りかかってなんだか急に明るくクスクスと笑い始めた。

『帰ろう。みんなが待っているよ』

『うん…』

隼人は葉月の軽い煙草をとうとう…フィルターの近くまで吸って灰皿に投げた。

誰もいないのをいいことに、隼人は葉月の手を握ってそっと立ち上がる。

潮風に吹かれる栗毛の中…葉月は隼人が気に入っている微笑みを返してくれた。