41.泣けばいい

午前1時。隼人は葉月の部屋にそっと入ってみる。

先日初めて知ったのだが…

黒いガウンの下は葉月がフランスで隼人に見せてくれたような

豪華なレエスがついたブラウン色の…シルクのスリップドレス一枚なのだ。

葉月を抱くときに彼女のガウンを脱がせて…ビックリしたのだ。

おまけに…

葉月はいつもスリップドレス一枚で眠るのだ。

『寒くないのかよ?』と尋ねると…

『小笠原は暖かいから平気』だった…。

葉月の下着はそのブラウン系か白がほとんどだった。

今夜も青いシーツに身体を巻き込んで白い肩を出してスリップドレスで眠っている。

『葉月…』

呼びかけたが葉月はいつものように、壁に向かって猫のように眠っていた。

どうしてか彼女はいつも、壁の方に身体を向けて背中を丸めて眠る。

葉月が身体を寄せて眠っている分、やや大きめのベッドは半分スペースが空いていた。

隼人はそこに手をついてそっと…葉月の寝顔をのぞき込んだ。

いつもは無表情の女中佐。

寝顔は少女のように幼い。小さな頼りなげな寝息。

隼人はそれを確かめてニッコリ…微笑んでいた。

隼人は…シルクのパジャマを着たままそっと彼女の寝床に入った。

彼女の柔らかい身体。暖かい体温。

シルクのような栗毛は乾く寸前なのかしっとりしていて

いつも以上にシャンプーの香りが隼人の鼻をくすぐった。

その背中にそっと抱きつくと…ビールを飲んだせいもあって

隼人もすぐに眠気が差してきた。

それほど…ホッとするようになっていたらしい…。

(書斎で寝るつもりだったのに…)

『おやすみ』と心で唱えてもう一度葉月の身体を背中からキツク抱きしめる。

『!?』

葉月の身体が『びくっ!』とうごめいたので…隼人もビックリして力を緩めた。

「帰らなかったの!?」

葉月が隣に隼人がいるのにかなり驚いて起きあがってしまった。

「ゴメン…。よく寝ていたから起きないかと…」

「………」

一瞬葉月の顔が青ざめていたように感じて…隼人は『しまった。』と反省をした。

しかし、葉月はすぐに隼人の側に寝転がった。

「ビックリした。もう…いつもは帰るのに…誰がいるのかと。」

「わるかったよ。それにこの部屋じゃ誰も入ってこれないよ。」

隼人は償うように葉月をもう一度、そっと柔らかく…力を込めずに抱きしめた。

「今・何時?」

葉月も抵抗せずに力をそっと抜いて隼人の胸に額を当ててきた。

「一時。」

「パジャマ。ピッタリみたい…よかった♪」

「あんまり…着心地が良いから。脱いで帰るのがおっくうになった…」

「そう…。」

葉月はそっと微笑んでそのまま…また隼人の腕の囲いを解いた。

そしてまた。いつもの寝る体制に入ってしまう。

(どうして。背中を向けるかな?)

別に…寄りかかって眠られても朝にはお互い離れているとは思うが。

葉月はいつも肌を合わせた後も壁に向いて寝てしまう。

甘えてくると言う感覚はあまりないのだ。

隼人はもう一度・背中から葉月を抱きしめた。

「ねぇ?」

隼人が栗毛に頬を埋めると、背中の向こうから葉月が呟く。

「…ロニーは…奥様のこと…話してくれた?」

(ん?人並みに気になるのか??)

隼人はそれも意外だなぁと感じつつ…一応…黙っていた。

「話してくれたのね」

見抜かれてしまって…黙るわけには行かなくなったようだ。

「葉月は?彼に聞かなかったの?」

「聞けないじゃない。」

(だよなぁ…)

「しあわせそう?」

「………」

幸せと言えば…傷つくのか。そうじゃないと言えばどうなるのか?

隼人は本当に答えに困った。

葉月の中でやはり…ロベルトの結婚は気になるものなのだろうか?と…。

(ああ。もう)

こうなったら嘘をつくよりかは真実だった。

それで葉月が傷つくなら隼人が何とかすればいい。賭に出る。

「ああ。毎日が楽しいってさ。でも・葉月はそれを望んでいるんだろう?」

「そうよ…」

頼りない返事が返ってきて隼人はドキリとした。

フランスでもロベルトの結婚を知った葉月は平然としていたが…

やはり…多少の未練があるのじゃないかと?

それが普通だが。それは困る!

今は隼人とて、葉月には過去のことはもう・忘れて欲しいからだ。

「ロニーにはね。本当に好きなようにさせてもらったから…。

彼が望んだ通りに楽しい家庭になってくれなくちゃ…救われない」

葉月が珍しく内心を垣間見せたので隼人はここで、何とかせねば…と言葉を探した。

「聞いた話だと…葉月の望み通りになりそうだよ?」

「………」

(なんだよ。その沈黙…)

望み通りになってくれたら嬉しいが…やはり、自分じゃなかった事への未練?

と、隼人はそんな女性心理だろうかと、戸惑ってしまう。

「わたし。どうしてかな?」

急に葉月の背中から聞こえた声が幼く感じた。

隼人は身体半分起こして葉月の顔を肩からのぞき込む。

…思った通り…あの小さな女の子の顔をしていた。

「どうして…男性の思う通りに表現できなかったのかしら?」

「あー。そう言えば…初めて見たって彼、言っていたね。あんな葉月。」

「笑えないの。泣けないの。」

窓をジッと遠い目で見つめてた『栗毛のお人形さん』

隼人はロベルトが教えてくれた葉月を思い出す。

「父様も…いうの。『お前は感情がばらけている。我慢することないんだ』って。

頭では解っているけど…反応できないんだもの…。」

葉月が顔を苦しそうにゆがめた。

(父親も…やっぱり心配しているんだ。葉月の無感情)

それは、安心が出来る報告だった。

将軍とか言って娘のことは厳しく軍人として扱っているだけではなさそうだったからだ。

葉月の口から家族のことがこうして普通に出てくることも…新しい変化だが。

隼人がいたわるように栗毛を撫でて…額にそっと口づけると…

急に葉月の肩が小刻みに揺れた。

「葉月?」

暫くすると…すすり泣く小さな声が葉月の喉から絞り出すように響きはじめる。

「泣けば…達也はここにいてくれた?笑えば遠野大佐は幸せだった?

素直になれば…ロベルトも…」

(うわー。まいったな)

そんなに簡単に過去の男が口から出てきては隼人も反応に困る。

おまけに…生意気小娘がこんな簡単に泣くなんて戸惑うではないか?

隼人の前ではこうして感情表現も結構豊かなのは、最初からだった。

しかし、こんな風に深刻に泣く葉月は初めてで…

遠野のことで急に涙にした初めての出会いの頃とはまた違う戸惑いが隼人を襲った。

「葉月。でも…それなりに…みんな。一緒にいたときの想い出は…

大切にしてくれてると思うよ?少なくともハリス少佐はそう言っていた。

だから。今の奥さんともわだかまりなく…楽しく暮らしているんだから。」

「………」

葉月の瞳から見たことない大量の涙が声を殺しながら流れるので…もっと戸惑った。

隼人は『ああ。もう…』と、口を曲げながら今度は

力任せに葉月の身体を自分の方に向かせた。

「何だよ。今頃泣いて。どうしてあのとき泣かなかったんだ。」

葉月を胸に抱きしめて肩をさすった。

「解らないの…」

隼人が抱きしめると葉月は初めて甘えるように新しいパジャマにしがみついてきた。

うすいシルクの生地の上からなま暖かい涙の感触が隼人に伝わってきた。

「俺には…思った通りに我慢することないよ。これからはそうすれば良いじゃないか。」

隼人は葉月の栗毛を撫でて何とかなだめようとした。

素直に感情表現をしてくれるのは嬉しいが、やはり…女に泣かれるのは苦手だった。

葉月が『ウン…ウン…』と頷く仕草が隼人の胸に伝わる。

「笑えなかった分は…これから笑ったらいいし…」

『ウン…』とまた伝わってくる。

『ロニーが…』

そう小さくしゃくり上げる声で聞こえたので隼人は胸元を覗き込んだ。

「ロニーが…結婚して赤ちゃんが出来て素敵なパパになる。

それを望んできたのを知っていたの。私には出来ない…。

赤ちゃんが出来るのは怖いし…。結婚なんて…できない。」

(なるほど…そういう事か)

今は…葉月の『流産』を知ったから理解できるが

知らない男性だったら…彼女を深く愛するほど…じれったくは感じただろう。

葉月の過去を知るのを避けていたロベルトなら…何も知らずに葉月を閉じこめようとして

葉月が恐れて避け始めるのもしょうがないことだったのだ…そう思えてきた。

しかし彼は…潔く、葉月の好きなように外に解き放して…

自分は新しい生活を決心した。

隼人のように…15年も引きずってはいなかった。それは立派だと感じる。

「葉月。俺はさ…その…『結婚』とか…お前が言ったように今は『ヴィジョン』にないし。

『子供』だってピンとこないし。そうゆう甲斐性持ってないし…

葉月とはさ。仕事で…やっていきたいというか…。その…

『結婚』しなくても一緒にいれればいいし、子供だって出来ないならそれで良いし…」

まるで葉月を慰めるように…いつにない事を隼人は取り繕うように口走っていた。

なんとも…恥ずかしい発言だった。

(ほとんど…プローポーズじゃないか!?)

自分で言って内心かなり…動揺していた。顔も熱かったりする。

すると…葉月がやっとすすり声を止めた。

そして…隼人が本心をさらけ出したせいか…急に葉月は神妙に隼人を見つめるのだ。

隼人は『みるなよーこんな俺を!』と…心で叫んでいたが

葉月のガラス玉の瞳から逃れることは出来なかった。

「だから…私。彼と奥様にそうなってもらいたいの。

幸せな生活。赤ちゃんが出来て…ロニーが素敵なパパになって…

だから彼に…お返ししないと。彼にもっと仕事で前に行ってもらいたいの。

他のキャプテンみたいに『中佐』になってほしいの。だから…そのチャンス…」

「それで?俺と!?」

葉月がそっとうつむいた。

隼人も…葉月の『個人的狙い』の真意が解って言葉を失った。

暫く…静かな遠い波の音がミコノス部屋に聞こえてくる。

『葉月』

隼人は急に愛おしくなって葉月をきつく抱きしめた。

「わかったよ。彼が『指導先輩』の経歴を付ければ…箔がつくモンな。」

「隼人さんだって…ロニーが協力してくれたら…メリットが…」

「『メリット』?そんな業務的なこというなよ。お前は…偉いよ…本当に。」

個人的狙いは『私情』として挟まってはいるが…

その『感覚』は業務としても確かに立派だった。

『俺の中佐』 誇りとしてそう感じられた。

「じゃぁ。俺もがんばろう♪まずは…ハリス少佐に一緒にお返しするか。

俺も…『葉月をかすめ取った』って…ちょっと思っていたしさぁ。」

隼人が天井に向かって笑うと、葉月が隼人の胸から離れて…起きあがり

今にも泣きそうな神妙な顔で隼人を見下ろすのだ。

「そんな顔するなよ。」

隼人も起きあがって…葉月の頬の栗毛を撫でると彼女はそっとうつむく。

「ひどい事する…女って思ったでしょ?」

「最初はね」

「デイブ中佐も…ジョイも…。あなたに酷だって…」

「でも。解ったからいいよ。ハリス少佐も…大人だし解っているよ。話も合うしやっていけるよ。」

隼人が微笑むと…今度は神妙だった葉月の顔が愛らしい泣き顔に崩れた。

「ほら。そうゆう顔すればいいんだよ。」

隼人が頬を包むと…葉月は少し驚いたように…瞳を大きくあけて表情を止めた。

そのすぐ…後の瞬間だった。

隼人に葉月が強く抱きついてきた。

隼人もその力に負けて、片手を後ろ手についてしまったぐらいに…

葉月は隼人の首に巻き付いてきたのだ。

おまけに初めて彼女から唇を奪われた。

激しい口づけを求められて隼人の方が躊躇したぐらいに…。

しかし…隼人もすぐに瞳を閉じて…葉月の背中を撫でていた。

「は・葉月…。お前…」

手は赴くままに手触りいいスリップを撫で回しているのに…

葉月の見たことない激しさが…西日のあの部屋ではち切れた葉月のように

隼人はおされっぱなしになりそうになった。

隼人を誘うように葉月の瞳が今度は艶めかしく隼人をそっと見つめている。

それに負けて隼人は葉月をしたに押し倒していた。

『あ』

小さな声が葉月の口から漏れたが…隼人が覆い被さっても

葉月は恐れることなくまた・隼人の首にきつく抱きついて…

また強く唇を求めてくる。

「明日…訓練だろう??いいのかよ?」

口ではそういいながら…シルクの生地の下に手はくぐりはじめていた。

葉月の暖かい肌の感触。自分の手がとろけるようだった。

「そんなの…関係ない。」

「知らないぞ。俺…」

初めて着たパジャマは…葉月のひんやりとした白い手で解かれていく。

いつもは…隼人の行く手のまま大人しい葉月が『自分らしく』さらけ出そうとしている気がした。

そんな隼人もいつもの気遣いも…どこかへ飛ばされそうなほど。

初めて恋人と『同調』出来た気持ちが高揚してゆく。

彼女の吐息の向こうで…微かなさざ波の音が耳をくすぐっていた。