40.パジャマ

『ああ…疲れた。』

隼人は林側のベッドに身を投げ出した。

カフェテリアから帰ると、葉月はハリス少佐と別れた後で大人しく業務を続けていた。

隼人も席について…ハリスとの対話で遅れた夕方の業務を続ける。

『何を話したんだ?』

『そっちこそ…何を話したの?』

ぺンを走らす音。マウスを打つ音。

夕暮れの隊長代理室も秋に短い日でもうすぐ暗くなろうとしている中…。

そんな声が聞こえてきそうで…お互いに会話にならない。

そのまま…隼人の方がいつも通り先に仕事を終わらせて帰り支度を始める。

「先に帰っているよ。最近…真一君来ないね。」

平日は、結構最初は来ていたのに…このごろ真一は顔を見せなくなっていた。

来るとすれば、日曜日の夕方がほとんど。

すると、葉月がちょっと・動きを止めた。

その時間が少し長かったので隼人は首を傾げた。

「中間試験があるって言っていたから…」

葉月はそれだけ言うと長い栗毛の中顔を隠して、またペンを走らせた。

「お先に。お疲れさま。中佐。」

後で会うことは解っているが…仕事場のケジメとして隼人は必ずこうして挨拶はしていた。

「お疲れさま…。」

隼人がいつものリュックを肩に掛けて、パソコンの電源をおとして席を離れると…

「隼人さん…今日はありがとう…。ロニーとあんな風に…解り合ってくれて。」

隼人の背中にそっと…小さく葉月のいつにないしとやかな声が届いた。

「別に。彼とは最初から気が合うと思っていはいたんだ…。」

「私も…。だから…」

「その話はまた今度ゆっくりね…。」

『ウン…』

夕暮れる隊長代理室の窓の紫色の景色を後ろに

葉月が夕闇に負けないくらいしっとりと…柔らかい笑顔をこぼして見送ってくれた。

隼人は自転車を走らせて、『丘のマンション』に辿り着く。

主が帰ってこない夕暮れの大きなリビングにいつも通り上着を脱いで

すぐに林側の書斎にこもったが…。

『僕の自宅でくつろいでいるときは…しっとりと大人しい可愛いお嬢さんで…』

やっぱり…今日聞いた、隼人が知らない今までの葉月の話を

ずっと・ずっと心の中で繰り返していた。

『少年お嬢さん』

(まだまだ…知らない葉月がいっぱいいるんだな…)

隼人はその内にベッドに身を投げていた。

『はぁ…』

ため息をついて腕を頭の裏で組んで目をつむっていた。

『今のままで。充分…葉月は…』

隼人が知っている葉月のままで充分…楽しくやっている。

知らない葉月のことなんか…関係ない。

ちょっとばかり…葉月の存在を遠く感じたハリスとの対話だった。

ハリスは葉月の秘密を知るのが怖いようだったが…

隼人は違う。出来事ならすべてを知りたいし…出来れば受け入れたかった。

だから…知らない葉月も本当はたくさん知りたいのだ。

出来れば…葉月から…知りたいのだ人から聞くより…。

隼人はその内に疲れも手伝って眠ってしまったようだった。

『葉月ちゃん…隼人兄ちゃん起きないね?起こさないの?ゴハンさめちゃったよ?…』

『そっとしておきなさい。大尉は疲れているのよ。』

『せっかく…葉月ちゃんが頼んだヤツ…届いたのに。

俺とお揃いって…ちゃんと言ってよ…』

『ハイハイ…。』

『ああ。もう帰る時間だ。残念…久しぶりに来たのになぁ』

『試験の結果楽しみにしているわね♪』

『ちぇ!葉月ちゃんはそればっかり…!!』

そんな会話が遠く聞こえてきて隼人は唸りながら寝返りを打った。

ふと…気が付くと真っ暗の部屋の中…いつもの林の木々の音がザワザワと聞こえてきた。

むっくりと起きあがると、部屋のドアからうすく一筋の光がリビングから射していた。

(眠ってしまったのか…)

隼人はうなり声をあげながら、目をこすって…光の方に腕時計を照らしてみる。

22時…。

(マジかよ!?そんなに寝ていた??)

隼人はビックリして起きあがり…慌ててシャツのしわを伸ばしてリビングに出てみた。

誰もいなかった…。

さっきまで遠い葉月の声と真一の声がしていたと思い出して

テラスに走ってみると…丁度葉月の赤い車がライトをつけながら丘の坂道を出かけるところだった。

(真一君…来ていたんだ…。しまった…帰ってしまったか…)

隼人は諦めてリビングに戻った。

ダイニングテーブルには…ラップをかけた夕飯が置かれていた。

そしてもう一つ。大きな紙の箱が置かれていた。

(何だろう??)

葉月に黙ってあける気にはなれずに…夕飯だけそっといただくことにした。

(ああ。葉月の家でこんなうたた寝したなんて…初めてだ)

だいぶ慣れてきた葉月の自宅で勝手にテレビを付けて…

勝手にキッチンでレンジを使ったりして…

今夜は勝手に冷蔵庫から缶ビールまで出してみたり…。

ビールを飲みながら葉月が簡単に作った魚のフライをつつきながら

夜のニュースをぼんやり見ているとインターホンが鳴った。

葉月が帰ってきたと解っても隼人は臆することなく

そのままテレビを見て夕食を続けた。

「ただいま。起きたの?」

葉月がいつもの黒いワンピースにカーディガンを羽織って…

車のキーを手に帰ってきた。

「うん。ビックリした。いつの間にか寝ていたよ。

真一君が来ていたなら無理してでも起こしてくれたなら良かったのに…」

隼人はテレビを見ながら箸も動かして呟いた。

葉月がそっと…いつもの席に座り込んで笑った。

「いつだって逢えるじゃない。シンちゃんに毎回気を使うことないわよ。」

テレビのニュースを見ながら遅い夕食をビールでつつく隼人を

葉月は頬杖…満足そうに眺めていた。

「なんだよ。そんなにジロジロ見るなよ。落ち着かない…」

「だって…。隼人さんって本当に…」

葉月がニッコリ嬉しそうに隼人をそうして見るのだ。

「なに?ハリス少佐のこと?」

隼人が無表情にフライを口に運びながらそれでもテレビを眺めていると

葉月がやっぱり…少しばかり気まずそうにうつむいたのが解った。

「何も言わなくて良いよ。その事でどうしても聞きたいことがあれば

今頃葉月の首根っこひっつかまえて突っ込んでいるって…」

『首根っこをつかむ!?怖い!』

隼人の例えに葉月はビックリしておののいていた。

「それより…その大きな箱は何?」

ニュースが終わってスポーツニュ-スに切り替わって隼人の集中力が切れた。

隼人は箸の先で、紺色の大きな箱をさして尋ねた。

『そうそう…シンちゃんに叱られる所だった♪』

葉月は、見つめていた隼人からやっと違うことに気が向いて動き出した。

「これね?また私の勝手な押しつけなんだけど…」

葉月は紺色の箱を開けてその中から…白い布をそっと出して隼人の方に広げた。

白いシルクパジャマだった。

「これね?すごく肌触りが良いの。シンちゃんとお揃い。

前からシンちゃんが『隼人兄ちゃんにも買ってやって』ってうるさくて。

アメリカから取り寄せたの。それからこれも…」

箱のそこからまた、葉月が白い布を手にてして広げた。

今度はバスローブだった。

「いつまでも…父様のもの使ってもらっていちゃ悪くて…サイズは私が勝手に…」

葉月は、はにかみながら、隼人のために揃えた『ナイトウェア』をテーブルに広げた。

隼人も…目が点になっていた。

「葉月でも、そうゆう気遣いをするわけ? 意外だなぁ」

嬉しいくせに天の邪鬼だから…葉月にはこんなことしか言えなかった。

でも本心半分…マジで『意外』は確かだった。

葉月が今までこんな事をしたかどうかはともかく。

隼人も待っていずに寝てしまう『マイペースお嬢さん』の葉月が

アメリカからわざわざ取り寄せたという『女心』はイメージになかったからだ。

本当ならこんな隼人の『天の邪鬼』には昼間のようにムキになってむくれる葉月も

今度は恥ずかしそうにうつむいていた。

『シンちゃんが…強く言うから…』

そんな言い訳まで小さく聞こえてきたのだ。

そんな風に出られたら…隼人まで照れくさくなって対応に困ってしまう…。

「じゃぁ。使わないと真一君に恨まれるって事か…。

メルシー…。使わせてもらうよ…。」

「あ。隼人さんの『メルシー』久しぶりに聞いた♪」

「そりゃなぁ…。小笠原は『米軍寄り』でアメリカ人が多いからなぁ

四中隊の本部員も半分はアメリカ人じゃないか??

若い奴らとやりとりするのも『英語』ばっかりだ。フランス語を話していた日が懐かしいよ。」

隼人はビールを傾けながらため息をついた。

「…疲れる??」

フランスから連れ出したという気負いがある葉月。

隼人はハッとして言葉を改めた。

「疲れはしないけどさ。俺、やっぱフランス長かっただろう?

『英語強化訓練中』ってかんじかな?フランスでも使っていなかったわけじゃないし…」

隼人が微笑みながら軽く言うと葉月がやっと安心したように微笑んだ。

「私。お風呂はいるけどいい?バスローブとパジャマ。籠に入れておくから♪」

『いつでも使ってね♪』

葉月は嬉しそうにナイトウェアを抱えてバスルームに消えていった。

(うーーん。こんなになってきたが…いいのだろうか??)

どこかでまだ…。『半同棲・準居候』に、ひとかけらの『抵抗』が残っていた。

一人暮らしの女の家にヒモの様に…ズルズルと『丁度いい』とばかりに

入り込む男にだけはなりたくない。

隼人にはそんな信念が今まであって、それでミツコの方を自分の自宅に入れていたぐらいだから…。

(でもなぁ…葉月が官舎の俺の部屋に通う方が…まずいもんなぁ)

『通う女』でまた隼人は『僕の自宅でくつろいでいた』というハリスの言葉を思い出していた。

(何処かでやっぱ…ショックだったかもなぁ??)

『通う女』も隼人の中では葉月のイメージではなかった。

やはり…見てきたとおりイメージ通りでいて欲しいのが隼人の願いでもある。

しかし…リビングのテラス窓には…

何処か嬉しそうな自分の顔が映っているのに気が付いたり…。

葉月の入りにくい自宅に『入居許可』を真っ先にもらってしまったのは

…勝負するわけではないが隼人の方が『勝ち』ではあるのでは??と。

(それに…俺の侘びしい部屋に葉月は似合わないモンな)

葉月には優雅に暮らすお嬢さんでもあって欲しい気持ちは隼人にはある。

そうでもしないと…フロリダにいるまだ見ぬ葉月の『将軍パパ』に恨まれるような気がした。

(本当は可愛くてしょうがないんだろうなぁ…)

一人暮らす娘にこんな大きな自宅を構えて、『お目付管理人』まで側に置くぐらいだ。

その管理人にはまだあったことないが、何も言われないから

一応…入室は認めてもらえていると隼人は信じていた。

葉月の側にいる男として父親の将軍への対応はまだ考えていなかったが。

『資産家軍人』の頭領でもある葉月の父親。

隼人の『社長』である父も吹き飛ばされるぐらいの『地位。財力』

そのパパにどう認めてもらえるかは不安になるが、

とにかく葉月の言うところの『隼人さんのライフスタイルは崩したくない』は

隼人の方も…『葉月の生活水準はこのまま壊したくない』と思っていた。

葉月の事だから『隼人さんといれるなら実家の財力は捨てる』とも言いそうだが

それは一人だけになってしまった被害を被った娘を心配する親が例え許してくれたとしても

隼人の方に『気負い』が生まれる。

だから、葉月が生まれながらにして持っているこの生活は

一緒に守っていきたいとは思い始めていた。

それには『葉月が御園家頭領』になる日も来るかも知れない。

その為にも隼人は葉月を影ながら支えていく方が、側にいる男の役目ではないか?と思い始めていた。

それが『御園の人間と付き合う』と言うことかも知れないと…。

だから…隼人は葉月には『自立』したまま頑張ってもらいたいし。

それを守ってゆかねばならない…。

それには、身の軽い隼人が合わせる方がいまは『簡単』な事なのだ。

と…そんな理屈を並べてしまった裏側で…

ハリスが言うように…制服を脱いだ葉月は優雅な26歳のお嬢様であるのは事実。

そんな葉月を毎日見たいから来てしまっているのも事実と隼人は…

そんな特権は『俺のもの』とにこやかに缶ビールを傾ける。

シャワーの音が聞こえ始めたバスルーム。

葉月が女らしく『パジャマを用意する』

その女らしさを与えてゆくのも…悪くはないと隼人はニッコリ…

秋の夜長…テラスから見える漁り火に頬杖、微笑んでいた。

『じゃぁ。お先に。お休みなさい。気を付けて帰ってね♪』

またシャム猫のようなガウン姿で入浴を終えた葉月は、

まだ、ダイニングでくつろいでいる隼人に微笑んで部屋に入ってしまった。

隼人もいつものことだから『おやすみ』と微笑んで葉月を見送った。

(もう…帰る時間だなぁ)

時計は24時を指そうとしていた。

うたた寝をしてしまったので、今から書斎にて試験勉強という気分でもなし。

時間が隼人をせかしていた。

寝てしまったから今日は葉月とはゆっくりと話もできなかったのだ。

まぁ…どうせ今日の『話題』といえば…『ロベルト=ハリス』になっただろう。

そうなると『どんな話をした』というさぐり合いになるのは確かだろうから

これで良かったのかも知れない。

隼人はそう納得して…キッチンで自分の分は片づけて帰ろうと上着を手にした。

しかし…身体が動かなかった。

バスルームに足が向かって…かごの中に置かれた『パジャマ』を眺めに行ってしまった。

葉月のバスローブが一番上の籐のかごに。

その下に、真一の綿のパジャマとシルクのパジャマ。

一番下に隼人の分…。

腰をかがめて、隼人が触らない間に葉月が持っていってしまったパジャマを手に取った。

(あ。本当にいい手触りだ)

葉月の黒いガウンと同じぐらいの手触りだった。

真一のかごを覗くと…シンプルな白いシルクのパジャマは『お揃い』だった。

隼人はそっと微笑んでいた。

『おふくろ。俺って…もしかして見つけたかもよ。』

葉月と二人だけでないことが…隼人に居場所と言う感覚を身につけようとしていた。

真一の存在。

いつか…『家族』みたいになる日も来るかも知れない。

隼人が15年前に捨てたもの。

母が亡くなったときに失ったもの。

隼人は…そっと、制服を脱ぎ始めて構うことなくバスルームに入っていった。

そして…微笑みながら使い慣れてきたバスルームで1日の疲れを流した。

そっと…シルクのパジャマに袖を通すと最高の着心地だった。

(ああ。なるほど。疲れが飛んでいくなぁ)

もう少し…休んでから帰ろうと思う。

隼人はまた勝手にキッチンに戻って冷蔵庫を開けて…ビールを拝借。

プルタブを指にかけながらサンテラスに向かった。

午前1時…。

漁り火が夜間漁でゆっくりうごめくのを眺めてテラステーブルでくつろぐ。

(たまには…泊まってもいいかな…)

もう。帰れそうになかった。

それほど…癒されるような静かな時間と空間だった。

あとで葉月の寝顔でも眺めてから書斎に戻ろうと隼人は心に決めた。