53.ふたり

隼人が急いで制服に着替えてロッカーを出ると

肩にナイロンのバックを掛けて、うつむく葉月が

壁に背中をもたれて大人しく待っている。

『行こうか。タクシー拾おう。』

隼人は葉月の肩を抱いて、二人一緒に管制塔から

日差しが降り注ぐ晴れた空の下に出る。

芝生の土手道が続く、棟舎が並ぶ前の道を

警備口まで一緒に並んで歩いた。

基地の出口である警備口。そこへ葉月と隼人は向かう。

警備口から外。50メートル先にバス停。

そこは真一の学校も中にある医療センターの入り口。

民間人も診察に来られるようになっているので、

そこにはタクシーがいつも数台停まっているのだ。

葉月はまだ、ため息をついて隼人の横を歩いていた。

数ヶ月・大切に持っていた『お守りの葉っぱ』を

解ってはいるが隼人が握りつぶしてしまったのを気にしているのが

隼人にも伝わってくる。

(意外と…こだわるのだなぁ…)

隼人は葉月の誕生日を知っていた。

名前の如く『八月生まれ』 八月六日生まれだった。

葉月の誕生日を知ったときには、フランスで既に日にちが過ぎていたのだ。

島に来てから、何かプレゼントしようかとも思ったが

忙しすぎてそれどころではなかった。

『葉月。俺とフランスにいるとき誕生日のこと言わなかったな』

他愛もない話をしたあの週末の夜。

テラスで酒を飲みながらそう隼人は尋ねたことを思い出した。

『別に。あんまりこだわらない。

それより…そんな記念日に関係なく心を込めて贈ってくれた物が好き。

もう隼人さんくれたじゃない。いろいろ…』

『いろいろ?俺。香水しか覚えないけど…』

『フフ…。いろいろ…。気持ちとか…いろいろよ。』

『たとえば?』

そう詰め寄ると…葉月は一瞬言葉を止めて…

『えっと…ホットケーキとか。えっと…『ラ・シャンタル』のハーブティーとか』

まるで取り繕うようにそういったのだ。

『食べ物ばっかりだな。お嬢さんらしいよ』

そう笑い飛ばすと…葉月が拗ねたのを思い出す。

確かにホテルアパートのママンのホットケーキを食べに行った時も。

ハーブティを飲みに行ったのも…

葉月の元気が見たくてそう誘った物ばかりだ。

だが、葉月の慌て様は…いつにない取り繕いだったのを思い出す。

(葉っぱ…のことが言いたかったのかなぁ)

実際。その『乙女心』には、どちらかというと隼人は疎い方だった。

しかし。あの葉は本当に…もう意味がない物だ。

葉月はロベルトの元には帰らず、今は隼人の物だからだ。

でも…葉月にとっては大切な何かだったようで…。

生乾きになった重たそうな栗毛が風に少しずつなびき始める葉月のため息付く姿を

見下ろして隼人もため息をついた。

(うーーん)

隼人は歩きながら…どうしたものかと黒髪をかいた。

『女は面倒くさい』

いつもならそう思って…冷たく放っておくのが隼人の主義だった。

でも…葉月に限っては…

そんな何気ない物を大切にしてくれるぐらいなので何故か邪険に出来ないのだ。

誕生日に何もくれなかったとか、クリスマスに何もしてくれなかったとか…。

そうゆう戯言は『無視』出来るのに…。

こんなシンプルな大事なことを心に持つ葉月にはそれは出来ない。

『真実を探すアイツの心意気ってヤツが俺は好き』

『真実が見えなくなると葉月ちゃんはそっぽを向くわよ。気を付けないとね。』

藤波夫妻が言っていたことが…隼人も初めて痛感したように思えた。

口もきかない葉月と歩く空気が…

あんな情熱的な交わりをした後なのに…いや後だからか??

妙に重たくて隼人も憂鬱になってくる。

警備口が二人の視界に入る頃。

隼人は…土手に植えられている緑の低い樹木に気が付く。

「葉月」

またひんやりと冷めている白い手を握って歩く足元を止めた。

「なに??」

隼人は樹木の前に来て、一枚の葉っぱを『プツリ』とちぎった。

「見てろよ?」

「???」

キョトンとしている葉月を正面に立たせて隼人は手にした葉っぱを空に投げた。

隼人はその葉を投げて、葉月と一緒に青い空を見上げた。

葉はまた不規則な軌道を描いてヒラヒラと…

隼人の頭上に降りて、隼人の目の前を落ちて…

そして隼人の胸元を過ぎて…膝を過ぎて…地面に落ちようとしていた。

「おっと!」

隼人は腰をかがめて地面を落ちる寸前の葉を手のひらでキャッチ!

起きあがって…葉月の目の前に、茎の部分を指でつまんで差し出した。

「これでいい?『新しいお守り』。今度はこの前みたいに地面に落ちなかったヤツ。」

にっこり…微笑むと葉月は呆然としていた。

しかし…次には…葉月は白い手で口元を押さえて…

今度は一気に瞳から涙をこぼしていた。

「なんだよ。そんなに大切なんて…知らなかったから…。悪かったよ…。」

「ううん…」

葉月は涙を流しながら首を振って…隼人の前に歩み寄ってくる。

そして、隼人がつまんでいる葉をそっと白い指で取った。

それを見つめて…葉月は涙を止めて微笑む。

また…あの夏の夕暮れのように

口元に葉を寄せて、指でくるくると回して…

小さな女の子のような愛らしい微笑みを浮かべたのだ。

隼人も感激している自分に気が付いた。

こんな…こんな小さな事で喜んでくれる『彼女』に…初めて中佐以外の『誇り』を感じた。

「言わなくちゃ。今度こそ…。」

葉を回しながら葉月が恥じらいながら横を向いた。

でも…すぐに隼人を真っ直ぐ見つめて微笑んだ。

「隼人さんがフランスを出て…島に来てくれたら絶対言おうと思っていたのに…。

私やっぱり…言えなくて…。素直に言おうと決めていたのに…」

「何を??」

またうつむいてしまった葉月を隼人は首を傾げて見下ろした。

そして…葉月はまた、隼人を真っ直ぐに見つめる。

「『好き・大好き』って…。」

葉月がこぼす笑顔。素直な言葉…。

隼人は初めて聞いた言葉に一瞬・放心状態になった。

確かにお互いに…伝えたことない言葉。

「でも…訂正。」

「訂正!?」

(何を!?)と隼人は…葉月の言葉の先が気になる。

「愛している。こっちの方が今はしっくりくるから…」

隼人を見上げる葉月の瞳が…

真一の瞳のように無邪気にキラキラと輝く。

日の光を吸い込んで薄い茶色のガラス玉…。

葉月にまた先手を取られた。

(俺も…今度こそ…本気にならなくちゃな…)

隼人はフッとうつむいて微笑む。

そして…葉月の栗毛を指に通して自分もしっかり葉月の瞳に負けないよう見つめる。

「俺もね。『愛している』よ。大切にするから…。」

まだ水分を含んでサラサラになびかない葉月の栗毛。

しっとりと隼人の指にスルスルと通ってゆく。

葉月は隼人の言葉を聞いて…今までにない…いや…

初めて…真一と同じ様な無邪気で愛らしい…女の子の微笑みを隼人に返してくれる。

「これからは何でも『ふたり』。頑張って行こうな。相棒…。」

「隼人さん…」

真昼の青空を昼イチの訓練チームの編成隊が大空を横切っていった。

 

滑走路の向こうから吹き込んでくる潮風。

見つめ合う『ふたり』を取り囲む。

青空の中…葉月と隼人は肩を寄り添わせながら、同じ歩幅で道を歩き始める…。

 

『小笠原ふたり編』 完