6.神聖な…

「隼人!!あなたまだ側近の話、断っていないんですって!?」

ミツコが制服姿で勢いよく玄関をたち入ってきて、俺はビックリたじろいだ。

彼女の勢いに負けて、とうとう玄関に入れてしまったのだ。

「なんだよ!帰ってくれよ!!」

ただでさえ、頭の中が混乱しているときに、騒がれちゃたまったモンじゃなかった。

しかし、彼女を押し返そうとしたのに彼女はズカズカと上がり込んでしまった。

彼女と暮らしていたアパートはミシェールの家と基地の中間にあったが

ミツコと別れてからも彼女はたびたび訪ねてくるので引き払った。

それから、康夫の家と基地と目と鼻の先にある今のアパートに移り住んだのだ。

康夫やジャンが、しょっちゅう訪ねてくるので、ミツコは悔しそうにして訪ねてこなくなったのに…。

「どうゆう事よ!」

ミツコはかなりの剣幕で俺の部屋に入って大声を上げた。

「まったく地獄耳だな。誰に聞いたんだよ」

「誰だっていいじゃないの!あなた!彼女と寝たの!?

だからでしょう!?断ったのに、もう一度考え直すなんて!!」

やや図星なので俺はウッと押し黙ってしまった。

「ほぅらね。あの娘はね。そうゆう女なのよ!

お嬢様風情吹かせて側にいる男を裸で操るのよ!騙されないでよ。隼人!!」

『騙されるな』は、ついさっきの俺の姿と一緒かと思うと

益々、口答えが出来なくなった。

「お願いよ…隼人。私が愛したあなたが、他の男みたいに簡単にされるなんてたまらないのよ…」

しおらしい声になって彼女が俺の頬をシックに染めたブラウンレッドの爪先で包み込んでくる。

「あなたは…見極めが出来る男よ?ポリシーがあるでしょう?」

そう言って彼女はしんなりと俺に首に抱きついてくる。

「お願いよ。目を覚まして?今までのこと…私謝るから…。

素直になって私の所に戻ってきて?日本へ一人で行かないでよ…。」

他の女と付き合っても…ミツコがこんな風に『嘆願』に来た事なんてなかった。

彼女の猫なで声に…俺はヒヤリとしてしまった。

彼女とは一度は生活を共にしてきた仲…。

確かに…美しい黒髪を持つ大和撫子だ。

フッとあの…ミステリアスなミツコが好んで使っている『香水・ミツコ』の香りが俺を包んだ。

しかし…

「やめろよッ。俺に先見力があるって言うなら、お前と別れて『正解』ってことだろ!」

彼女のからみつく腕を思いっきりふりほどいた。

しかし彼女は、いつもなら頭が切れる分達者な口答えをして

俺に突っかかってくるのに…側にあるベッドにペタリと腰を落としてすすり泣き始めた。

「イヤよッ。他のどうでもいい女よりあのお嬢ちゃんだけは許せないわ!

あなたを簡単にさらってゆくなんて…不平等だわ!!」

今まで…そんな相手が俺の目の前に現れても俺は別れるばかり…。

ミツコには『私以上の女がいるはずない。私こそが隼人の合うのよ』という、自信があった。

しかし、『不平等』と言葉は適切ではないが、そう言うからには

『葉月には勝てない』と心の何処かでミツコが思っているのが解った。

すると、彼女は泣きながら急に制服の上着を脱いで…スカートを脱ぎ始めて

俺はビックリ固まってしまった!

『またかよッ!』と、女が激しくぶつかってくる今日この頃により固まってしまった。

その内にミツコはストッキングまで放り投げて俺に抱きついてきた。

「そんなに若い子がいいの?教えて?私の何処がいけないの?

彼女の裸ってどんなだったの??おしえて??」

いつにないミツコの自信のなさに俺はすっかりうろたえてしまっていた。

ミツコは葉月とは九つも十も年か違う。

36歳の女の瀬戸際というのか、そうゆう絞り出すような彼女の姿を俺は一瞬哀れに思ってしまった。

そうして大人しく黙っている俺を、ミツコは涙目で…パッチリとした瞳でいじらしく見つめるので

俺はまたまたうっかり…呑み込まれそうになってしまった。

この時…。ミツコが先程言ったように『今までのことあやまる』と素直になっていたり

昔のようにいじらしく夕食を作って待っていた、年下の俺に甘えてくれたしおらしい彼女だったら

どうなっていたか解らない…。だから…。

そんな彼女にそろり…とそのままベッドに座らされてしまった…。

しかし…彼女はそんな素直な俺を確かめて『ニヤリ』と微笑んだのだ。

「隼人。若い娘なんて大したことないわ。

私ならあなたの繊細な少年のような気持ち守ってあげられる…」

『見て…思い出して?』

彼女は俺の手を…昔俺の気を引こうとして身につけ始めた…俺がゲンナリしてしまった

濃紺の…フランスレエスがついた高級そうなガーターベルトのショーツに運ぼうとしていた。

俺はとっさに我に返ってしまった。

「俺…。」 と、そっぽを向けると…。

「あら?珍しいわね。包丁で切ったの?覚えている?

昔。機械をいじって手傷ばかりつけていたあなたの手…」

『こうして…』とミツコは顔を伏せて長い黒髪の中へと

先程切った俺の指をそろりとなめ始めたので俺はゾクリと鳥肌が立ってしまった。

それが。『嫌だ』と言う鳥肌ではなかった。

あろう事か…先週の彼女…葉月との肌の睦み合いを思い出してしまったのだ。

ミツコの黒髪が…栗毛に見えた。

ジッと見上げるパッチリとしたミツコの瞳が

凛々しい少年のような葉月の顔に変わる。

黒い瞳が茶色のガラス玉のような葉月の目に見えて…

不覚にも…男の性が働いてしまった…。

「嬉しい…。まだ私を忘れていないのね…。」

ミツコがだんだん女らしく…しおらしくなってくる…。

彼女がニッコリ、俺の首に抱きついてきた。

彼女の首筋からフッとあの大人の香りが立ちこめて…

彼女はそのまま俺の首を連れ込むようにベッドに倒れたとき…。

シーツから『カボティーヌ』の香りがした。 そして…。

「やめろ!そこをどいてくれ!!」

俺は我を忘れてミツコを男の力でふりほどいていた。その上…。

寝そべったばかりのミツコの腕をつかみあげて力任せにベッドから追い出していた。

「なによ…急に!」

ミツコの脱いだ服をかき集めて彼女の胸に押しつけた。

「帰ってくれ!俺は今から藤波と話さなくちゃいけないことがあるんだ!」

「なに?日本へ行くわけ??」

「いいから帰ってくれ!!」

「どうしてよ!私の事。たった今、思い出してくれたじゃない!!」

ミツコはそう言って俺の胸に飛び込んできた。

「違う…。俺が思いだしたのは…」

独り言のように呟くとミツコの目の色が変わった。

「何!?私のこの姿を見てあの小娘のこと思い出したって言うの!?」

「………」

俺がうつむいて黙っていると、ミツコが俺のシャツの襟首をつかんで突っかかってくる。

「何よ!私とあの娘がどう違うって言うのよ!!」

「彼女は…」

ミツコ…彼女は確かに汗まみれのパイロットだよ…。

でも、自分のことに一生懸命な女の子だ。

お前は俺がよそよそしくなるほど、化粧の線が濃くなって

マニキュアも取り憑かれるように塗っていた。

下着も…急に高級なものをつけて俺の気を引こうとした。

でも…俺は元のミツコのままで充分だったんだ。

本当の自分を好きにならずに俺に自分の存在を認めさせようとし始めてから

俺は重荷に思うようになったんだ。

葉月は…そのままでキレイなんだ。

化粧をしなくたって…マニキュアを塗りたくても

パイロットである自分に誇りを持っているから塗ろうとしないし…。

下着も派手じゃないけど…品のあるナチュラルなものをつけているだけで

充分俺をその気にさせた。

香水だって…俺の気持ちを受け取ってくれた表現の一つ。

彼女が唯一残していってくれたその香りを…

お前のそのキツイ香りで消さないでくれ…。

そのシーツは『神聖な…』大切な物なんだ今は…。

俺は…さすがにそこまではミツコに言えず心の中で呟いていた。

しかし…言わなくても充分ミツコには表情で読みとられてしまったようだ。

「隼人のバカ!!」

ミツコに…一発、頬を平手打ちされてまたハッとした。

「私の事!一つも願いを聞いてくれなかったのに!!

あのなんでも持っている資産家で親の七光りのあの娘の言うことは聞くって言うの!!

あなたも大したことないわね!!」

今度は、反対の頬をもう一発殴られて、俺はやっとミツコを突き飛ばした。

「今、わかったのかよ!そうだよッ!俺はたいした男じゃないんだよ!!」

『なんですって〜ッ!』と、一つもたじろがない俺に

ミツコは胸元に抱えていた服を床にたたきつけてじたんだを踏んだ。

すると…。またブッブーと呼び鈴が鳴って…二人揃ってハッとした。

俺がすかさず玄関へ逃げた方が早くて、

ミツコは『隼人!許して…謝るわ!』と最後のチャンスが壊れたことに我に返って

俺を追いかけてきたが…俺は『康夫だ!』と思い、ミツコを追い返すためにサッとドアを開けた。

すると…。

「よぅ…。隼人兄。その…今日は悪かったな。雪江から聞いたよ。考え直す…って」

康夫がやっぱりモジモジとうつむいてドアの外にたっていた。

「それでよぅ…!?」と、顔をあげた彼はビックリしていた。

ミツコがさっとキッチンの方へ隠れた。

「ど…どうゆう事だよ!」

康夫は追いかけてきたミツコがセミヌード姿で俺の部屋にいたので半ば怒り加減に俺に追求した。

「ああ…アレ?もうお帰りだよ。良かった来てくれて…」

やっといつもの冷たい俺になって俺自身もホッとしたし、康夫も『またかよ』と

ミツコが押し掛けてきたと解ったらしく呆れていた。

「あがれよ。丁度いい…話したいことがあってさ」

「アイツ…どうするんだよ」

「中佐にあの姿見られちゃ退散するしかないだろう?気にするなよ。上がれば帰るだろうさ」

『なぁ!ミツコ!』と、キッチンに叫ぶとミツコの恨めしい覗き目が俺を睨んでいた。

康夫が上がってきてキッチンの手前で呟いた。

「まったく…。姉さんも相変わらず、凄まじいな。あんまりいかがわしく、しつこいと

ダンヒル氏にフランス基地追い出されるぞ!」

『うるさいわね!言っておくけど、隼人だってその気になって良いところだったんだから!!』

冷蔵庫の陰に隠れているミツコの声だけが返ってくる。

「どうだか…」と康夫が呟いて目もくれずに俺の部屋に入ってきたものの…。

ミツコの服が散らばっていて再びビックリ俺に確認を求める眼差しを向けてくる。

「ああ…これね。つい…アイツがこうする隙を与えちゃって…。

でも…俺…。『彼女』の事思い出しちゃって…そうゆう隙だったわけ…」

そう言うと康夫はもっとビックリした顔を俺に向けた。

「それって…やっぱり葉月と!?」

「ウン…。まぁね。だからよけいに迷っていた。康夫だから…言うんだぞ。

彼女のためにも悪い噂になって流れたくないからなぁ。」

俺が照れくさそうに頭をかいてミツコの服を拾い集めると…

「解っているよ!!そうだと思っていたんだ♪葉月のヤツも様子が変だったし♪

俺は昔からアイツのことうんと知っている仲だ♪黙っておくさ!!」

康夫は何故かものすごく嬉しそうにして『安心しろよな』と背中を叩いてくれた。

そして…俺はキッチンでウロウロしているミツコにもう一度服を押し返した。

「仕事の話だ。他中隊の者は出ていってくれ!」

「やっぱり…日本へ行くの!?」

「早くしてくれッ!!」

俺が珍しく怒鳴ると…ミツコはビクリ…として渋々服を身につけ始めた。

その間…俺の部屋の方から…

「姉さんよぉ。そんなにジタバタしたって無理だぜ?

俺のダチの葉月は本物のエリートだ。

アイツの中隊にはゾロゾロと若いエリートが集まっている。

アンタがいつも色香を使っている男のようなエリートがな…。

でもな、葉月はアンタがいつも媚びているエリート達の頭なんだ。かないやしないよ。

『愛する隼人』の幸せと成長を願うなら快く日本に送ってやれよ。

それが『いじらしい大和撫子の愛』ってヤツだろう?」

姿ない康夫の…いつもの意地悪い見透かした声が…

シッシッシ…と言う笑いを含ませて、キッチンまで響いてきた。

それを聞いて…ミツコは俺をもう一にらみして…

『ふん!』と黒髪をしゃくり上げてやっと外に出ていってくれた。