プロローグ 

1.メール

例え、涼しくなる長月の候になったとは言え…。

南の離島である小笠原は九月になってもまだまだ太陽の照り返しは厳しい。

それでも心なしか空には鰯雲…。

抜けるような青空は遠くなったように感じる。

「〜〜♪〜〜〜♪♪」

葉月は海が見渡せる全面ガラスのサンルームになっているテラスで

久しぶりにゆっくり…新聞を読んでいた。

週末とあって毎度の如く泊まり込みにやってきた甥っ子の真一が

なにやらご機嫌な鼻歌を歌っていた。

「なに?ご機嫌じゃない??」

「♪♪…♪〜〜〜♪」

話しかけても真一の鼻歌は止まらなかった。

葉月はふと気になってテラステーブルの位置からリビングを見渡した。

細長い体つきの甥っ子は…見あたらない。

テラスチェアから立ち上がって、もう一度リビングを見渡すと…。

真一は林側のパソコン部屋で…いつも通りパソコンと向き合っていた。

「葉月ちゃん。今日の晩ご飯なに??」

甥っ子はマウスをカチカチ動かしながら振り向かずに叫んだ。

「さぁね。何にしようかしら」

葉月は真一が取り立てて変わったことはしていないので

再び椅子に腰をかけて新聞を広げた。

だがページはあまり進んでいなかった…。

こうしてちょっと忙しい日常から離れると…ふと、数週間前のことを思い返す。

青い海…。潮の匂い。石畳みの町。

葉月の『丘のマンション』から見渡せる海とは違った風景。

そして…眼鏡をかけた兄様大尉との『分かち合い』を。

耐えられないほど辛くないのはやっぱり思いのまま自分がぶつかったからだろうか?

それでも…隼人の黒髪。隼人の微笑み。隼人の…肌。

一つ一つ思い返すことが、葉月の中でホッとする習慣になりつつあるのと供に…。

やっぱりせつないため息が出た。

当分…この『もの思い』はやめられそうになかった。

あれから。隼人の方からも一切メールは送ってこなくなった。

『さようなら…』 彼もそう言っていたから…それもそうか…と、葉月はまたうつろに新聞を眺めた。

『空母艦実習…上手く行ったかな?』 葉月はそっと遠くなる秋空を見上げた。

それとはうって変わって…栗毛のエイティス少年…真一は…。

(えーーと。確かこの前ここら辺で見たんだけどなぁ??)

マウスをカチカチ、パソコンの中を捜索中。

何を捜しているかというと…

(!!!。めっけ!!)

真一はそっと開きっぱなしの部屋のドアを肩越しに振り返る。

開け放したドア…そのリビングの向こうのテラスで新聞を読んでいる若叔母を確かめる。

若叔母は胸元でリボンを結ぶ白いワンピースを着込み、テラスのガラス屋根から吹き込んで来る風に

自分と同じ色の長い栗毛をそよがせてしっとり…くつろいでいる。

(まったく…。こんなとこに隠していたのか。)

それで『僕を騙したつもり??』と真一は『クク…』と

若叔母をやり込めた気持ちになって肩をそっと揺らした。

(み〜〜つけた。『さわむら』さん♪)

葉月を泣かしたフランスの男。

これが…今一番、真一が知りたいこと。

『さわむらって誰?』

葉月が帰国してから初めは『率直』に尋ねた。

しかし葉月は…『向こうで一緒に仕事をした大尉』としか言わなかった。

(嘘つけ。泣いていたくせに…。本当は『好きになった』んだ)

真一はそう直感していた。

真一は誰よりも長く葉月と共に生きてきた。

そして…誰よりも葉月の側にいた。

もう…小さい男の子ではない。

葉月はまだ自分のことを『子供』と思っているらしいが

それなりに『大人の事情』ぐらい解り始めたつもりだった。

葉月が誰と付き合っていたかも把握している。

葉月がどんなことで悲しんできたかも、知り抜いている。

葉月が…二度子供を流したことも…。

その内の一人は真一の父との子供だった。

葉月は十五歳。真一が五歳。

『真』が亡くなってスグのこと…だったらしい。つまり父は死ぬ寸前に葉月を抱いたと言うことだ。

真一はその時子供だったから知らなかったが、後になって父方の祖父母が

葉月のことを話しているときに知ってしまった。

ガッカリした…。

葉月は戸籍上は真一の保護者として若いながらも『養母』に位置していた。

そんな書類上の『事実』がなくても真一にとって葉月は『養母』で『姉』で『叔母』である。

大好きだった父が亡くなっても…父と養母の子供…。

それは真一の紛れもない兄弟になるはずだったのだ。

父と母が揃って他界してその望みはついえた。

残るは…葉月がいつか生むだろう…子供が一番近しい『従弟』として生まれるだけ。

だから…知ったとき…ガッカリしたのだ。真一にもう兄弟は出来ない。

既に終わった話だったが…。

もう一人の子供のことは…真一は考えたくなかった。

大好きだった『海野達也』と若叔母を引き裂いた子供…。

その子に恨みは持ちたくないから…よけいに考えたくなかった。

「………」 真一はマウスを動かす手を止めた。

その葉月が遠野大佐と付き合っていたときばかりは真一は大佐にはなつきながらも

側に近寄れなかった…。

達也は葉月と結婚すれば「養父」になったかも知れないが

遠野は既婚者だったからおおっぴらに二人の間に入れなかったのだ。

その大佐が突然亡くなって叔母が非常に落ち込んでいたのも知っている。

その叔母が…フランスから帰ってきて泣いていたかと思えば…

急に昔通りの『凛』として堂々とした『中佐嬢』に戻った。

(何があったんだよ!フランスで!!)

真一がどんなに明るく振る舞っても葉月は元気がないときはとことん元気がなかった。

その『元気がない』に『嫉妬』したぐらいだ。

なのに…葉月を泣かした男は葉月を泣かしながら葉月を元に戻した。

(よっぽどの人だな???どんな人なんだろう?)

葉月が好きになったのだから、それはイイ男…なのだろう?と真一は思う。

それは外見でなくて…『中身の男』と言う意味で。

そんな人が葉月を笑わせてくれたら…。

真一はまた『達也』と葉月と三人で楽しく過ごしていた日を取り戻せるのじゃないかと

思っているのだ。

それにはまず…『どんな人か?』から調べなくてはならない。

真一はよく葉月の中隊に遊びに行く。

その時…葉月の弟分である、ロイの従弟のジョイに探りを入れた。

『ああ…。澤村大尉ね…。知らないよ』

ジョイは何故か怒っていて珍しくなんにも教えてくれなかった。

今度は父親代わりのロイの中将室に思い切って聞きに行ってみた。

『さぁな。葉月に聞け。大人の話だろうがな。』

従兄弟同士で揃ってはぐらかしたのだ。

真一は『子供扱い』をされて益々ふてくされた。

それで…葉月が泣きながら読んでいたメールしか手がかりがないのだが

ものの見事に削除されていた。 しっかりした叔母である。

しかし…葉月が夜間訓練で留守にしていたある晩…。

また、コッソリ内緒で訪ねてパソコンを開けてみると…。

なんとまぁ…。

メールボックスから消えていたはずの『アドレス』が復活していたのだ。

それも…葉月がなにやら書き込んでいた。

でも…

『研修生の空母訓練は上手く行きましたか。もうすぐ彼等が卒業するので気にしています。』

それだけしか書かれていなく…しかも…『送信』すらしていなかった。

メールの内容自体はいかにも『仕事』らしい内容だが…。

一度『削除』したにも関わらず、葉月が何処かでメモしていて

また。メールを送る気になったのが解った。

しかし…暫くして真一が再びパソコンを覗くと…メ−ルごと…アドレスも姿を消していた。

それで確信した。

送りたいのに送れない…。『アドレス』は消したいのに消せないのだと。

例え…恋仲にならなくても何処か深い繋がりが『さわむら』と葉月の間で出来上がったのだと解った。

そして…叔母の方は完全に『恋』をしていると。

そのアドレスの『メモ』が何処かにあるはず…と真一はこの週末に張りきって捜し…。

そして…。見つけた。

『よぉし!!』

真一はテラスで…ウトウトとまどろみ始めた叔母を見て

シャツの袖をまくってそのアドレスをボックスにコピーする。

『はじめまして。SAWAMURAさん。叔母がフランスでお世話になりました。

僕は甥の『御園真一』と申します。…………』

返事が来れば…叱られるのを覚悟で叔母に見せよう…。

来なかったら…そこまでの男だ。

それで真一もあきらめがつく。

テラスから差し込んでくる青空の光。そよぐ風…。

真一がいる林側のパソコン部屋にまたそよそよ…葉がさざめく音が囁いていた。