プロローグ

2.島の日々

甥っ子が影で何をしているかなどなにも知らずに、葉月の日常がまた始まる。

忙しいときは、フランスの想い出も何処かにすっ飛んでいくから幸いだった。

葉月は朝一番の訓練に出掛けようと主がいない『大佐室』を出る。

小笠原総合基地は8年前に出来たばかりの最新基地。

棟舎は、何処か昔奥ゆかしかったフランス航空部隊基地とはまったく反対の

最新式のオフィスだった。

離島なのにこの基地の中だけは平たいビルが並ぶオフィス街のようなのだ。

葉月の『隊長室』=『大佐室』はこれもご立派な『自動ドア』だったりする。

その自動ドアをくぐると、目の前には『補佐』役の

ジョイ=フランク少佐がこの本部の入り口を守るように座っている。

その隣にはもう一人の補佐…。『陸部』を管理してもらっている

葉月より少し年上の『山中中佐』がデスクを持っている。

二人が今は葉月の両腕だった。

ジョイが『内勤』山中が『外勤』を受け持つという形だが

ジョイは『システム科』出身なのでたまには『講義』を受けたりして

『外勤』の訓練も怠りはしない頑張りやの葉月の弟分。

ロイを初々しくしたような金髪刈り上げの坊ちゃん風で

これまた憎めない無邪気な青い瞳の24歳の青年だ。

だから。若い女の子達はジョイに憧れる子が多い。

しかし、そんなさわやかな坊ちゃんは意外に『硬派』で見向きもしないのだ。

それでよけいに、女の子達が騒ぐ。

「ジョイ。訓練に行って来るわね」

葉月は管制塔にある更衣室に向かおうと『お着替えバッグ』片手に

第四中隊の本部室を出ていこうとした。

「うわ〜〜!!ちょっと待った!!」

ロイ並みに流暢な日本語が葉月を呼び止めた。

「なに!?」

「お嬢!!この書類…昼までが納期なんだ!はんこ頂戴!」

ジョイは葉月に両手を合わせて「お願い!!」と拝み倒した。

「冗談やめてよ!!チェックしている暇なんてないわよ!どうしてもっと早く出してくれないの!?」

葉月は何とか逃れようと身を翻した。

「待ってよ!!」

ジョイは葉月の制服の袖を引っ張った。

無邪気な青年のくせに力だけは一人前の男。

葉月はよろめいてジョイに引き戻されてしまった。

「この書類!直したの三回目なんだよ!今度こそ出さないと、五中隊の『管理科』に

こっぴどく言われるんだ!『隊長代理』としてお嬢だってそんなのいやだろう??」

そりゃ…チーム中隊で年上のおじ様方が集まっている『五中隊』に

『嬢ちゃんの管理がなっていない』と嫌味を言われるのは葉月だって嫌だ。

でも…

『嬢!!なにやっているんだ!中隊が管理できないならこのチームを抜けるこったな!』

兄様パイロット…『デイブ=コリンズ中佐』の叱り声が耳の奥こだました。

そして…もう一つ。

『馬鹿者!!やる気のないものは訓練に出てくるな!!小娘!!何をやっていた!』

父と同期のこっわ〜い…細川中将の雷まで…。

おじさま先輩の嫌味と細川の雷…

どっちを優先にするかというと…。

「ジョイ!!ゴメンね!!嫌味は私が聞くから!」

『あ!』

葉月はとうとうジョイを振りきって廊下に飛び出した。

『もう!俺・知らないからなぁ!!』

そんなジョイの声が遠退いた頃…。

葉月は走る足元を止めて歩き出す。

ふと…疲れたため息をこぼしてしまった…。

とにかく…二ヶ月間、本部をほったらかしていたツケが今、回ってきていた。

帰国するなり『日誌』の整理。二ヶ月間中隊が何をやって、どんな日を過ごしてきたのか頭に叩き込む。

葉月が帰ってくるのを待っていた本部員が溜に溜めていたこれからの『訓練計画書』

その『許可判断』。そして…自分の『戦闘機訓練』。

葉月の今の上司は『チーム中隊』の五中隊長…『ウィリアム大佐』なのだが…。

その大佐と一緒に四中隊をどうしてゆくかなどの『話し合い』

近頃は自宅に帰っても書類にかじりついていた。

だから、隼人のことなど振り返っている暇もない…と言うことなのだ。

それと同時に…『隊長代理』は何とかやりこなしてきた仕事だが

『側近引き抜き』に失敗して改めて感じた事…。

それは、危なかしげな毎日がこれからいつまで続くのだろう?という不安をはじめて感じた。

ジョイが作ってくれた『中隊構成計画』は、隼人が来なくなったから

当然、企画倒れで流れてしまい、ジョイはそれを必死になって作ったのに

葉月が引き抜きに失敗し、葉月が頼んでも来なかった『頑固大尉』にかなり腹を立てていた。

『で?お嬢をか〜るく振った訳だ。将軍の令嬢を振っていい男のつもりかよ?』

ジョイは葉月にシラッとそう言うのだ。葉月は隼人のことをかばったが…

ジョイの中では『いけ好かない男』と言う印象になってしまったらしい。

ジョイは無邪気な坊ちゃんだが言うことはかなりハッキリしているので

葉月ですらおののいてしまうことが多い。

それで彼は、24歳という若さで従兄のロイに負けじと『フランク一家の一員』として

『少佐』もこなしているというわけだ。

しかし。帰国1ヶ月後に来ると言っていた側近候補がまだハッキリ返事をくれないとロイは言う。

『とりあえず。新しく構成作り直せ』

ロイがそう言うのでジョイは再び、その計画を作り直しているのだ。

それが先程の書類。

葉月の元に『空軍管理』の側近がきたら何をさせるか…。

そして、その『彼』が来た分、彼が仕事をやる分誰の手が空いて

なんの他の仕事をあてがうか?という『構成計画』。

ジョイはここ二週間その事で他の補佐と話し合いをして『基礎固め』にてんてこ舞い。

それを。世話を見てもらっている先輩中隊の『第五中隊』に許可をもらわねばならないのだ。

だから…、葉月もしっかり目を通さないと『認め印』は押せないのである。

だからといって、葉月は『コリンズチーム』のサブキャプテンを務め、

コリンズチームの中で第四中隊に属するパイロット達のためにも訓練は怠れない。

『やっぱり…。手が回らない』

葉月は康夫が言うとおりこの際、上司が来ないなら側近の一つでも付けねばやっていけない事を

ひしひしと『危機感』として感じていた。

この二ヶ月。『側近は澤村大尉』とこだわって、回り道をしたが

葉月は次の候補と何とかやっていけそうなら、

受け入れて、仕事で新しい展開を成し遂げねばならないことは

フランスから帰ってきて学んだことだった。

『いけない!早く着替えて車庫に行かなくちゃ!!』

葉月は腕時計を眺めて、再び走り出そうとしたときだった。

「お!葉月。訓練か?」

五中隊の本部がある廊下を走ろうとするとそんな声に呼び止められて振り返る。

「フランク中将…。おはようございます。」

人目の多い職場では、「兄様」とは呼べずに葉月は丁寧に挨拶をした。

そんな葉月の態度にロイはちょっと残念そうに微笑んだ。

「なんだ。そんなにかしこまるなよ。誰も聞いちゃいねーよ。」

ロイはあたりをキョロキョロ見渡しておどけたので、葉月も思わずいつもの笑顔をこぼしてしまった。

「どうされたの?兄様がわざわざ本部にお出ましなんて?」

「まぁな。俺も坊ちゃん将軍だからさ。威張ってばかりいないで若い分、身体は動かさないとな。

見ろよ。細川のおじさんなんかがいつまで経っても頑張って『最近の若者はなっていない!』て

すぐ言うだろう??だからこうして、中隊廻りもしないとなぁ。」

いつも威厳に満ちている若将軍のロイが36歳の男性に急に戻る。

葉月もそんなときは幼いときのままホッとする。

「私も。おじ様に叱られる前にいかなくっちゃ。それでなくてもフランスから帰ってきてから

すっごく怖いのよ?『小娘がちょっと研修をしたからって、腕を落としてくるな!』って!!」

「おじさんらしいよなぁ。いつまでも元気で参るよ。」

ロイも『同意だ』とばかりに元気な壮年将軍にため息をつく。

二人はお互いに笑いあった。

ロイは36歳で日本人の妻を持ち、今は一女のパパになっている。

葉月の亡くなった姉と同い年で同期生。

葉月は今は姉の代わりにロイを目標にしているが、彼の出世は異例過ぎて

ちっとも追いつけそうにない存在になっていた。

しかし、ロイは葉月が10歳だった頃、可愛がってくれたままに今も接してくれる。

こんな瞬間が葉月にはとっても安心する自分らしくなれる瞬間。

ロイと少々そんな風に話していると…

フランク家の御曹司将軍と御園家の一人娘のペアが目立つのか

通り掛かりの隊員達が『ほら・みろよ』と言う声を遠巻きに立てているのが解って

ロイと供に葉月は『仕事場』用の冷たい顔に戻した。

「そうそう。なんで五中隊本部にきたかと言うとな?」

「はい。中将…。」

「実はとうとう。候補のヤツがお前とやってみるとやる気になってさ。

お前はどう思う?向こうはお前が嫌だと言っても、やる気満々だと言ったところらしいが?」

葉月はドッキリ・背筋が伸びた。

(そんなに意気込んでいるの??)

葉月はまた「出世狙い」の若僧じゃなかろうな??と、いつもの警戒心が働いてしまった。

「向こうの部隊ではもうそいつの『転勤異動』の手続きをはじめたらしいぞ?

お前のOK次第だがどうする?その話をウィリアム大佐に相談しに来たんだ。」

「私の了解具合…とおっしゃられても…

どんな方だか教えても下さらないのに返事の仕様がありません!」

葉月は言葉は『仕事用』だったが『表情』は妹分としてすねてしまった。

「まぁ。そんなんだが?じゃぁ。どうだ?

そいつはお前のために何もかも捨てて小笠原のこの離島に来る覚悟だ。」

(そこまでしなくても…)

葉月は相手の心構えにさすがにおののいてしまった。

それと同時に…隼人とは正反対の勢いだなぁと…未だに彼と比べてしまう。

「そいつと『1ヶ月』仕事をして、感触がよかったら『完全転勤』

お前とはウマが合わなかったら…『研修』として元の基地に帰ってもらう。

それならお前も候補の隊員もお互いプレッシャーが軽いだろ?

それでもイイってウィリアム大佐は言ってくれたが?」

「よろしいのですか??」

葉月はそれなら、ダメになっても気があっても心苦しくないと『乗り気』が芽生えてきた。

「でも。一つ。念を押しておくぞ。」

ロイが急にいつもの冷淡な若連隊長の顔になって葉月も表情を引き締めた。

「その隊員はそんな中途半端な心構えは持っていない。

今も言ったが、今持っている仕事は全て捨ててくる覚悟だ。

それだけよく考えてお前のために働く決心を付けたと言うことだ。

いつまでも、わがままが通ると思うなよ。

向こうさんの気持ちを踏みにじったら俺が許さないからな。」

葉月はタラリ…と冷や汗を滲ませた。

確かに…もう…「こんな事嫌だ、こんな人は嫌だ」と言っている余裕もなければ…立場ももう無い。

「解りました。とにかく…その方と仕事をする準備、受け入れ態勢整えておきます」

葉月が今回は素直に聞き入れたのでロイはやっとニッコリ兄様笑顔を浮かべてくれた。

「まぁ。イイ奴だって事は…保証するよ。

絶対お前が気に入ってくれるヤツを押さえたからな。

二週間後には日本に来るように手配しておくからそのつもりで…」

『おじさんに怒鳴られるぞ』

ロイが急に腕時計を葉月に突き出した。

葉月は時間を見てビックリ!思わぬ長話になったとロイに礼儀もなしに走り出した。

ロイも相変わらずな妹中佐にホッと笑顔を浮かべて見送った。

「馬鹿者!!小娘今何時だと思っている!!」

「申し訳ありません!」

葉月が飛行服に着替えて車庫に出たときは既にメンバー達は整列していた。

『フランク中将と話をしていて…』と、言いたいところだが…。

仕事ではそんな理由は通用しない。

これがもし…本番の『任務』であったらのなら…一分・二分の遅れは命取り。

それが葉月には判っているから言い訳は無用なのである。

「小娘。中隊が管理が出来ぬぐらい忙しいのなら、空を飛ぶのは諦めることだな。」

細川は…相変わらず、髭面の強面で紺色のキャップのつばから葉月を厳しく見下ろした。

「…………。」

葉月は、このおじ様の冷たい視線が苦手だった。

おまけに怒鳴る声は雷が轟くが如く大きい。

父が『穏やか』なら、細川は『厳格』そのものだった。

こちらの方が、『父親』らしいと錯覚してしまうときもある。

いわゆる、『日本のお父さん』タイプなのだ。

その点、葉月の父は『ハーフ』ゆえ、何処か陽気で明るい『アメリカパパ』なのだ。

父は海兵員らしくガッシリ背が高いが、細川はパイロットなので背が父より高くとも線が細いのだ。

どこか…『黒猫の兄』と雰囲気が似ていたりする。

だから、彼ににらまれると葉月は…『蛙』と言ったところなのだ。

葉月が幼かった頃はそれは良く可愛がってくれた『カッコイイおじ様』でよく甘えたものだった。

しかし、葉月が入隊してから細川は『鬼おじ様』に変貌した。

「まぁ。よい。」

いつもならここで、くどくどと大きな声の説教が付いてくるのだが…。

どうゆう訳か?そこで終わったので葉月は首をかしげた。

「本日は伊豆諸島沖まで流すぞ。いつもの小島を分岐点にしてまずは馴らしだ。」

『ラジャー!!』

細川の指揮で皆がザッと敬礼をしていつもの『訓練』に散らばりはじめる。

葉月が自分の機体に乗り込もうと走っていると…。

「Hey!嬢ちゃん」

デイブ=コリンズ中佐に肩を叩かれた。

「お前ってヤツは本当に得なヤツだな。お前が来るほんの少し前に

フランク中将から管制に連絡があってさ。

『御園に話したいことがあって引き留めたから許してやってくれ』だってよ!

もう少しで、おっさんの機嫌が最初から悪くてやりにくくなるところだったんだからな!」

『気を付けろよ!!』

デイブにそんな嫌味を言われて…

葉月はブスッとふくれた。でも、ロイがそんな気を遣ってくれて助かったと言うところだ。

(あ〜あ。何処にいても…『兄様の嫌味とおじ様の雷』には会うモノね)

再び…疲れたため息がでた。

『やっぱり…側近は必要かな?』

葉月は心からそう思えるようになった。

それと同時に…今度逢う候補で何とかしたい…と言う焦りまででた。

なんでフランスに行くとき、こんな気持ちにならなかったのか…と反省。

『嬢!しっかり付いて来いよ!!』

キャプテンのデイブがコックピットから叫んだ。

デイブは必ず、空に行く前はこう言う。

彼の飛び方に合わせられるのが、実は葉月だけだからだ。

(ハイハイ)

葉月は苦笑いをこぼして自分もコックピットに乗り込んだ。

厳格な上司と、小うるさい兄様だが…。葉月は彼等が自分を育てようと厳しくしているのは解っていた。

だから…『パイロット』を辞める訳にもいかないし、自分にとっても『一番の充実』だから…。

中隊をサポートしてくれる『側近』が付かないと…

葉月自身が困るのも確かな話。

葉月はやっとそんなことを冷静に考えられる余裕が出来たのも…。

遠野の影が薄れて…そうさせてくれた『隼人』のお陰だと…、

また…黒髪の大尉のことを思い出したりしていた。