・・Ocean Bright・・ ◆うさぎのキモチ◆

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2.本当の私

 達也から、今夜の食事に誘われた。
 葉月は戸惑いのまま……隼人を待っている。

 達也の席には、今度はジョイが座り込んでソフトをインストールをしていた。
 和之は大佐室の外に出て、晃司と一緒に本部内の端末の様子を眺めに行っていなかった。

 

 

「ただいま──」

 大佐室の自動ドアが開いて、隼人が帰ってきた。

「ふぅ──。これで心おきなく休暇にはいれる」

 隼人は腕時計を眺めて、やっと自分のデスクに落ち着けたという溜息を落としていた。

「お疲れ様。カフェオレ……入れましょうか?」
「え? いいのかな、甘えちゃって……」

 二人きりの大佐室だった時は、結構二人でそんな融通もきかせていたが、達也が来てからは……本当に『大佐室』という重みが出てきていたから……隼人がちょっと遠慮した顔。

「わぁー♪ お嬢、俺も欲しいな!」
「俺も! カフェオレにする前のコーヒーをブラックで!」

 結局、二人の補佐もねだってきた。

「いいわよ。まとめて入れてあげる」

 葉月の笑顔に、皆がちょっと肩の力を抜いて和んだ。

 葉月がキッチンへ入ると、隼人が追いかけてきた。

「ロベルトに任せたから。メンテチームの事で解らないことがあったら、ロベルトへ頼むよ」
「うん、解っているわ」
「それから──ロベルトの事だけど」

 隼人がちょっと困ったように前髪をかき上げた。

「なに?」
「その……お前なら解るかと思うけど? 達也のこと気にしていたよ。『僕に素っ気ないから、御園大佐室へは行きにくそうだ』ってね」
「ああ……そういう事」

 先程、『数年ぶり』に言葉を交わした達也とロベルト。
 その時の達也の言い回しに、あの大人しいロベルトが傷ついたのだろうか? と、葉月は考える。

「達也に、どう解らせるんだよ? 確かに私情だけど、達也は顔に出るからな」
「その……私もなんだけど、達也の事……」

 葉月はコーヒーメーカーを手にしながら、ちょっと口ごもった。
 隼人も葉月の様子に気が付いたようで、『なに?』と一歩近づいてきた。

「今夜、一緒に食事をしたいって……だから、隼人さんの許可をもらえって」

 内心……葉月はドキドキしていた。
 こんな事は、初めてだった。
 今までどの男性と付き合っていても、感じた事がない『緊張』。
 なのに……。

「ああ、そうなんだ。行っておいでよ」

 隼人がなにも感じなかったのか、いつもの笑顔であっさり承諾した。

「え? 本当に……いいの?」
「お前達、二人じゃないと出来ない話もあるだろう? 達也だって転属してきて、もう随分、日も経っているし。一度も外に出ていないだろう? じっくり、話してきたらいいさ──」
「そ、そう?」

 隼人の事だから、そんな事ぐらいで、うるさい事は言わないだろうと葉月は解っていたのだが。
 なんだか引き止めてもらいたかった様な気持ちに初めて気が付いた。
 でも──。達也は仕事の話だと言っているのだし……。

「あれ? 葉月らしくないな。達也が怖いのか」
「え? べ、別に!」

 隼人が何かを見透かしたように、葉月にニヤリと微笑んだ。

「まぁ……俺はなんとも思わないと言ったら嘘になるけどな。達也だって、許可をもらえと言うぐらいだから……大丈夫だろう。そんなに考えなくても」
「そ、そうね……」
「……」

 葉月がなんとか笑顔でそういうと、隼人がちょっと真剣に葉月の顔をみつめていた。

「嫌なら、嫌とハッキリ言ってやれ。達也だってその方が気が楽だ」
「仕事の話だって言っているもの。そうじゃなくても嫌なんかじゃないわよ」
「ふーん」

 隼人まで!
 達也が何か……葉月自身が解っていない気持ちを解っているかのような眼差しをしたが、隼人も同じ眼差しで、目を細めて葉月を見下ろしている!
 葉月は……なんだかドキドキしてきた。

 自分が違う自分になったような……?
 そんな気分だった。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

 明日は土曜で、午後から端末メンテナンス。
 その手はずも整って、定時一時間後から本部員がちらほらと帰宅する。

 

「親父、助かったよ。お疲れ」
「ふん。これぐらい朝飯前だ。明日のメンテナンスも頑張るぞ」

 澤村父子が、いつもの様子だが……とても充実した顔で労いあっていた。

「俺もウレシー♪ 速度が速い、速い!」

 達也は新しくなった端末にご満悦中で、最後の事務処理をしていた。

「……」

 まだ、返事をしていない葉月は大佐席でそんな達也の様子を眺める。

「えっと……大佐。父と一緒に退出しても宜しいですか?」

 隼人が部下らしく尋ねてきた。

「え? ええ……お疲れ様。お父様とゆっくりして?」
「じゃぁ──。早めに帰るから」

 隼人は帰り支度を始めて、和之と晃司がそれを待っていた。
 葉月が席を立つと、達也も気が付いて一緒に席を立った。

『社長、お疲れ様でした』

二人揃って、お辞儀をすると和之がニコリと微笑み返してくれる。

「結城さん……明日も宜しくお願いいたします」
「勿論。今日見た限りでも、不具合は出ていないようだから明日も早く終わると思うよ」
「じゃぁ……お先に」

 隼人が荷物を手にして、澤村精機の二人と並んだ。
 葉月と達也は、もう一度お辞儀をして送り出す。
 澤村精機一行が、楽しそうに大佐室を出ていった。

「なかなかの親父さんだな。なるほど? 兄さんの父親ってカンジで、すごいしっくり……」

 達也が肩の力を抜いて席に座った。

「あら? 達也のお父様だって……ワインと来たらすごい信念じゃない? 立派よ?」
「……立派すぎてさ。女房を逃がした奴だから」


 達也がちょっとむくれてマウスを握り直した。
 葉月は昔の『大喧嘩のトラウマ』があるので、『ヒヤリ』と焦る。

「でも──俺も結局、自分の信念を通してマリアを置いてきてしまったから。今回は親父に似ているかもと初めて思ったな。でも──マリアと俺とは全然違うからな。親父と……」

 達也はそこで憎々しそうに言葉を止めて……そして、形相が変わった。
 葉月はドキドキ。
 これ以上、達也が『母親』の事を話さない事を祈る。
 そして……願い通りに達也はそれ以上は言わなくなった。
 その代わり──非常に無口になってしまったのだ。

「あのね? 隼人さんが行ってきても良いって言ってくれたの」
「あ、そうなんだ。だったら……終わったら行こうぜ」
「う、うん……」

 達也のあっさりとした受け止めに、『兄さんは許してくれて当たり前』と取っているようで、なんだか……そんな達也の気安さが嫌ではないが……やっぱり、隼人が指摘したようにちょっと怖かった。
 よく考えれば、それだけ……二人の中佐が『通じている、信じあっている』とも取れるのだが。
 こういう『怖い』は、葉月ならではで……。
 葉月は『こういう所も直さないと、平気にならないと』と……気を改める。

 今まででも『仕事』で、男性と外に出ることなどは時々あったが、きちんと気持ちは割り切れていたし、『仕事』と解っていても、尚、相手の様子を確かめて、確かめて絶対に『仕事の人』と見定められる人としか外には出なかった。
 むしろ、そういう誘いを受けたら『ジョイ』に一言相談をして、彼が付いてきてくれる事もあったから。

 だったら、今夜もジョイを誘えば良いじゃないかと思うのだが?
 達也はジョイ以上に葉月を良く知り得ている。
 そんな相手にジョイをくっつけたら、達也が機嫌を損ねるだろうから、出来なかった。
 こんな『不安』は初めてだった。

 それが意味するのは?
 葉月は……頭を振った。
 『仕事の話よ』と──

 不安に思うと言うことは……やっぱり達也のことを『男性』として意識しているからになる。
 そうじゃない、そうじゃないと葉月は思いたいのだ。

 そして──達也はどうなのだろう?
 彼は結構、信念を通すという意味では『やり手』になる所がある。
 葉月はそれを良く知っていた。
 女性を上手に自分の手元に『無意識』に引き寄せる術も持っている。
 それも知っている。
 だから──怖いのだ。

 葉月が拒もうが、避けようが、手元に『引き寄せる』と決めたら、たとえ信じている先輩でも、押しのける『勇気』がある事も知っていた。
 そうして、事を上手く流す事が出来るのが『海野中佐』なのだ。

(隼人さんは……そういう達也と解っているのかしら?)

 葉月は溜息をつく──。
 だったら──隼人のアドバイスは一つだ。
──『嫌なら、嫌と言え』──
 なんともキッパリしているアドバイス。
 これが『仕事』という名目でなければ、キッパリと私も断るわよと葉月はさらにため息をついた。

 達也の業務も切りよく終わって、葉月がその後暫くして片づいた。

「私の車を出すから」
「悪いなー! 勿論、『あそこ』だよな! 行きたかったんだよ〜!」

 達也がそこへ早く行きたいようでウズウズと帰り支度を始めた。

「そうね。Be My Lightでしょ?」
「あったり♪」

 達也の天真爛漫な笑顔を見て、葉月は思った。

(結局、私が変に警戒しすぎなのよ)

 考えすぎだと……悪い癖なのだと。

 明るい達也の笑顔に葉月は心も和んで、二人で肩を並べて大佐室を後にした。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

 葉月の赤い愛車に乗り込んで、海辺のテラスレストラン『Be My Light』を目指した。
 何故か、運転しているのは達也だった。

「なっつかしぃー! お前がまだこの車に乗っているなんてな!」
「そりゃ、軍人のお給与から、ローンを組んで払っていたんだから、大事に乗っているのよ」
「お嬢さんのくせになぁ? でも……お前、言っていたもんな。『自分の力で買いたいんだ』って……」
「うん……それにこの車が好きだから、まだ乗るの」

 そんな懐かしい昔の『思い』を覚えてくれている達也に、葉月はそっと微笑んだ。

「それにしちゃ。あの頃のお前はかなりの『無茶』していたぜ? この車で!」
「……」

 葉月はその昔を思い出して、ちょっと黙り込んだ。

「兄さんは知らないだろ? お前が『飛ばし屋遊び』をしていたことを」
「そりゃね。あの頃は結構若かったから、夜中まで遊んでいても朝も平気だったけど。ある時から……結構、疲れちゃったのよ。今はまったくしていないもの」
「ったく。俺が迎えに行くまでお前ったら、いつまでも帰ってこなかったしな」
「うるさいわね」

 葉月はバツが悪くて、顔をしかめる。
 確かにあの頃の自分は……『無茶一本、一直線』であったので、葉月だって自覚はしているのだ。

「峠は飛ばすわ、港でゼロヨンレースまがいの事をしているし。あげくの果てに海に向けてチキンレース。車が海に落ちなかっただけでもラッキーだな。あの頃の『仲間』はどうしたんだよ?」
「さぁね?」
「リーダーが、いただろう?」
「彼だって、もういい大人よ? 噂では、お父様のお仕事を継いだみたいだから忙しいのでしょう?」
「会ってはいないんだ」
「見かけることはあったけど? 声をかけることはないわね」
「ふーん。俺がいなくなった後、何もなかっただろうなぁ? アイツ、絶対にお前に気があったぞ」

 『またそこか』と、葉月はさらに渋い顔。

 達也は、こういう事には『心配性』で、ロベルトの存在もそうだが、葉月の周りにいる男性の事には『口うるさかった』。
 だから──葉月が『ただ楽しいから、外に出かける』事に関しても、結構、口うるさくつきまとって、さらに夜マンションにいないと、達也は血眼になって探していたりするのだ。

「……」

 葉月は黙り込む。
 すると──。

「あったな? その男と、絶対にあった!」
「ないわよ」
「一晩限りとか……絶対にあった!」
「ないって言っているでしょう!?」
「だったら、なんでそんなにムキになるんだよ! 俺はお前の事は良く知っているぞ! お前は浮気はしない、二股はかけない。だけど──男がいつも側にいるってな!」
「失礼ね! いない時期だってあったわよ!」

 まったくあの頃と変わらぬ『言い合い』が始まっていたのだが……。

「男は一晩でもお前と寝たいんだよ! お前は自覚が足りない!」
「──!?」

 葉月は『ビク』と固まった。
 別に達也が今夜……それを狙っていると感じたのではない。

──誰もが自分を狙っている、『私は獲物』──

 そんな気分に陥ったのだ。

 それを証明するかのような出来事はいっぱいあった。
 ロッカーで葉月を襲った山本少佐の事もそうだった。
 そして……その『走り屋』リーダーも。

 実は葉月──。
 随分と昔の話になるが、あの遠野祐介に迫られて『惹かれている、惹かれていない』の狭間で揺れた時。
 なにかの偶然で、その彼と久し振りに遭遇して……。
 祐介への訳の解らない気持ちを振り払うように『一晩だけ供にした』事があった。
 無論、リーダーの彼から誘いをほのめかして来たが、葉月がその気になったら、即実行。
 すぐにそういう事が出来る所に連れていってくれた。

 はっきりいって……それが『男性と寝た』という意識がないほどの……。
 あの時の自分の事は、思い出したくないが──。
 確かに、男は葉月が欲している、欲していないに関わらず、葉月のちょっとした警戒心の緩みの隙に、いつだって、何度も割って入ろうとしてきた。
 その時に葉月が『OKサイン』を出せば、皆が飛びつくように葉月を鷲掴みにする。

 だから……今夜も警戒した。
 達也は、葉月の事を良く知っているから『鷲掴み』にはしない男だが、『こうと決めた』のなら『やり通す男』だから……怖かったのだ

 だから、達也には断固として『一晩だけでもあり』なんて事は、否定したのだ。
 無論、今はそんな『無茶』は卒業しているから『一晩だけもあり』なんてあり得ない。

 それ以前に、今は……。
 『隼人さんじゃなくちゃ、嫌!』と、いう身体になっている。

 そして──勿論、隼人はそんな葉月の『子供っぽい無茶』は、知るはずもない。
 それに走り屋の彼との事は、大人の祐介には『一発』でばれてしまい、かなり叱られた記憶がある。
 彼と恋仲になるならないの時期だったのだが、祐介がひどく怒ったのは……『そういう自分を粗末にする嘘の付き方はするな!』という事だった。

『お前は……日頃は警戒心が強いが、それが外れたらとんでもないな!?』

 そんな事も言っていた。
 葉月がそんな変な方向へ向かった為、祐介は変に責任を感じたのか、その後、『男として迫る』と言う事は、きっぱりやめて、ただの上司に戻った。

『男はな、特にお前。自覚はしていないだろうが、お前が寝ると言ったら誰でも寝てくれるぞ。そこの所……肝に銘じて、気のない男には絶対に隙は見せるな』

 正直──祐介が言っている事が良く解らなかった。
 24歳の葉月は、そういう『子供』だった。

 さらに『男性と寝る』という事に関しては『恐怖』というより、『嫌悪』。
 だが、『嫌悪』こそあれ、受け入れられる『範囲』があった為、『範囲内』にある場合は寝られる。
 きっと、その『範囲』の幅を作ったのは、最初に葉月を抱いた義兄だった。
 小さな『範囲』の突破口を開いてくれたのは『義兄』。
 あの時、『最悪』と思ったら、葉月はきっと今だって、男とはセックスは絶対にしなかっただろうから。

 だけど、男女間に置いての『重要性』という事には葉月は無関心であって、『重要性』なんて『ほざく方がおかしい』と冷めていた。
 寝たい時に寝れば良いのであって、それが『快楽』とか『愛』とか、そんな感情を置いて行うなんてものだとは思っていなかった。

 ある種、一種のスキンシップであって、気が乗るときもあれば、乗らないときはまったく乗らない。
 会話をするように『身体』が楽しく喋るか、無口になりたいかそれぐらいの感覚だった。
 男と女だけにしか出来ない、最後に辿り着く『特殊な会話』ぐらいの事。
 好感を持った男性と最後に『やり残している会話』を、葉月が望む、望まないだけの事。
 その会話が『想い出』となるとしたのなら──。
 最後に、隼人とフランスで別れるときの様に……『最後に男と女でお話しよう』という『特殊会話の記録』を、葉月が欲しがった。
 そんな感覚で、隼人に『特殊会話の想い出』を葉月は欲したのだ。

 そんな葉月の『冷めた身体』に熱を持たすのは……ただ一人。
 義兄だけだった。

 義兄は最初に、葉月が男と寝られるという『範囲』だけ広げて、役目は終わったとばかりに去っていった。
 そしてその『範囲』に、もう一度、義兄が踏み込んできたのは、16歳になる時。

 誕生日の前夜──。

 それ以降、義兄は葉月の小さな『範囲内』で、上手に『会話』する。
 義兄との『会話』は、ある意味『最高』、『話し上手』でとても『楽しい』。
 上手い具合に葉月が『楽しく喋る』ツボを義兄は良く知っていた。

 だが、その義兄すら……葉月が『会話をしているだけ』と位置づけている事を知っていた。
 知っていたからこそ、義兄は『会話に合わせてくれる』。

 葉月が表で付き合ってきた男性、すべてが『会話にムラがある』葉月に躍起になる。

『どうして、感じない?』
『俺が解放してあげよう』
『俺だけを見てくれよ』
『どうやったら、葉月は気持ちよくなる?』

 皆、無理に『喋らそう』とする。
 それが嫌なのだ。
 だって──『奴ら』……なにを言っているのだろう?
 なんで、そんな事に『男は重要性』を置くのだろう?
 あんた達、そんなに焦らなくても、充分、女をカンジさせる『本能』もっているじゃないか?
 それを弄ぶことも、それを楽しむことも、それを利用することも、それを愛と呼ぶことも。
 全部、男が勝手に決めることであって、女が感じるとか感じないとかは二の次なのだから。
 私の身体が今夜は『楽しく喋っても』、『黙り込んでしまっても』、ただそれだけの事であって、あんた達が勝手に焦っているだけじゃないか?

 強制的に、女を獲物にして快楽を貪って、強制的に女の本能をものに出来るんだろう?
 姉にした事は、そういう事じゃないか?
 今更……何を言っているんだよ?
 兄様は、焦ったりしないのに──。
 他の男と来たら……皆、焦ってばかり。
 きっと……そういう『蔑み』で男性を見ていたのだ。

 それは……今、隣にいる達也にもそうだった。
 彼は……そこは理解に苦しみはしたが、丁寧に扱ってくれた事は、今だって感謝しているし、『楽しい身体の会話』は想い出に綺麗に残っている。
 だけどやっぱり『楽しい会話』という感覚でなのだ。

 そして──『隼人』。
 これも最初は例外でなく、いままでと一緒だった。
 『会話程度』だったのだ。
 そこに隼人も他の男性と同じように『ジレンマ』を起こしていた。
 だけど……ある時から葉月もちょっと疑問に思うようになった。
 『会話』が『分かち合い』と変化してゆく事を感じていた。
 たぶん……任務の前、隼人の部屋で『起きたこと』以降だと思う。

 あの時は『会話』では済まされないほど、『ぶつかっている』という気持ちにさせられた。
 ここでも『会話』という表現をしつこく使うのならば……『喧嘩口調』での『会話』だったと思う。
 そう『喧嘩』だった。
 『真剣勝負の喧嘩』だ。
 あの時に、なににも被さらない言葉を葉月の身体が『喋っていた』。
 最後に、葉月の心の奥底の扉が開いた時に初めて『本音』を語って、身体が『泣いた』と感じたのだ。

 それから、彼との睦み合いは、いつだって『真剣に喋るよ。私……』という気持ちだった。
 『嘘はつかないよ。正直に話すから……聞いて? 返事をするから、聞いて?』
 葉月の身体がそう言っていたのだ。
 そんな事……葉月の『会話する身体』に合わせてくれた『義兄』以外は、初めてだったから……。

 だから──。
 今、どれだけ成長したかは解らないが……『寝たい時に……』とか『夜、どこまでも飛ばして、なにがあっても明日の事は知らない』なんて──。
 そんな無茶はもうしないと決めていた。
 祐介に教えられてから『明日』を考えるようになったし、隼人に出逢って『扉を開けてみる』という事も知ったから。

──『誰でもお前がその気になれば、一晩だけでも……』──

 その意味を……達也が、あの頃の祐介と同じように言ったように聞こえて驚いたのだ。

 

 

「わ、解っているわよ」
「そうかな? 今夜はな。ちょっとそこの所をとことん教えてやろうと思ってさ」
「はぁ?」

 葉月は眉をひそめた。

「どういう事よ? 仕事の話じゃないの? だったら、帰るわ!」

──と、いつもの調子ですぐに達也に突っかかったのだが。
 『しまった』と思った。

 達也がハンドルを握っているのだ。
 ここでジタバタしても、達也も『こっちのもの』。
 最初から解っていて運転席を望んだのかと思うと、葉月は絶句し、達也はやっぱり『ニンマリ』とほくそ笑んでいるのだ。

「仕事だよ、マジで──。それから、言っておきたいことが沢山ある」
「なによ? ここでだっていいじゃないの? 食事するほどの事?」

 帰してもらえない事には諦め、葉月はシートに背を沈めたが、そういう口悪で反抗をした。

「お前、ちっとも変わっていないよな」

 そんな葉月なんて、よくご存じの達也は呆れた溜息。

 「解ったわよ。どうせ、達也流のお説教なんでしょう? 『長いでしょうね』」

 葉月はツンとそっぽを向く。
 口うるさい達也は、隼人と違って、しつこいほどの『説教屋』なのだ。
 こうして思い返すと、『祐介』もそうだった。
 葉月が『どんな女であるか』という事を、必死になって解らそうとした男性は、祐介が初めてだった。

 だから……彼の言葉を頼りにして、葉月は前に行こうとした。
 彼の言葉が一番、自分を驚かせた『転機の人』でもあった。
 葉月は祐介と出会って、自分の事、『無茶をする事』に初めて振り返るようになった。

 達也と何が違うかというと、達也はやっぱり『同級生』という感覚で、あの二十代前半の若さでいうと、同等の立場に置いていたから、葉月にとっては『うるさいわね、何を言っているのよ?』という感覚で聞く耳持たずだったのだ。

 だが、似たことを、もっと明確に葉月に突きつけた祐介の言う事に耳を傾けたのは、やっぱり葉月からすると『大先輩』であり『大人の人』だったからなのだろう。

 しかし──葉月は先程の達也の言葉に、感じた事。

──『達也は、大人』──

 あの頃より、大人。
 葉月があんなにビクッと反応したのも、達也が自分より『大人になった』と、無意識に感じたためだろうと思ったのだ。

(なによー。やりにくいわね)

 葉月は憮然として、食事に連れ出された事も……。
 『男性』として警戒していた事も、もう忘れていた。
 おそらく、転属してきてから見てきた葉月に対して──『言いたいこと、ごまんとあるぞ!』──なんて、そういう達也流の説教の為だと解ったから。

 でも──昔ほど、拒否する気持ちがなくなった。
 なんだか、隼人じゃない側にいる男性が、どう自分を語るのか──。
 怖いもの見たさのような感覚で、『降参』したのだ。

「お。変わっていないなー!」

 そうこうしているうちに、渚側に白いテラスが見えるレストランにたどり着いた。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

「お久しぶり〜♪ 帰ってきたよ、マスター!」
「た、達也君!?」

 オールディズが流れている店内に入ると、ガラスケースのカウンタにいるマスターが、とっても驚いた顔。

「いつ? 全然、知らなかったよ!」

 マスターも良く知っている。
 葉月と達也はここに二人で良く通っていたから──。

「ま、色々あってさ。また、じゃじゃ馬嬢のおもりを言い渡されたわけ」

 達也はしんみりの一欠片もなく、まるで数年間いなかった事など忘れさせるほど、以前通りの調子でマスターに駆け寄った。

「いやー。随分、立派になったじゃないか!」

 マスターの目から見ると、達也は立派な将校に映り、そして『大人の男』になったと見えるらしい。
 確かに──その通りだろう。
 達也は三十路前の、男の色気に包まれていて、あの頃の、やんちゃで向こう見ずな『青少年』のような『あどけなさ』は、もうすっかりなくなっているから。

「マスター、覚えているかな?」

 達也は嬉しそうにガラスケースを眺める。

「嬉しいー! 俺が好きな具材が、まだ残っている!」
「ああ、なんたって。一番人気だから、うちの不動メニューだよ。コーヒーはブラックだったよね」
「嬉しいー! さっすが、マスター!」

 達也は嬉しいを連発。
 その横に葉月は静かに肩を並べて、自分もケースを眺める。

「達也はビールをどうぞ? 帰りは私が運転するわ」
「ええ? だってお前が呑めないのは不平等だ。マスター、コーヒーで良いから!」
「OK。それにしても、立派になってもやっぱり達也君だねぇ? 全然、感覚、変わってない!」
「あはは! 俺がそんな簡単に変われるはずないよ!」
「そうかな? 雰囲気は、随分──男らしくなったね」
「そお?」

 二人の会話も昔同然だった。
 葉月はその感覚を、嬉しく思いつつも……なんだか今からの会話に気が重い。

「私もいつもの……」
「おや? 元気ないね? どうしたの? 葉月ちゃん??」

 マスターがしんなりと大人しい葉月の顔を覗き込む。

「彼氏が、今夜はオヤジさんと水入らずの食事に出かけているから、寂しいんだよ」

 達也がそんな風にからかった。

「ああ、あのお洒落な横浜のお父さんが、また来ているんだ」
「あれ? マスター。知っているんだ? 澤村のお父さん」
「うん、一度、父子でここに食事に来たし、その後も葉月ちゃんと真一君と仲良く来たよ」
「へぇ! そうなんだ!」
「……」

 マスターはニコニコしつつも、ちょっと達也を不思議そうに暫く見つめていた。

「あ、私。あの席が空いたから……陣取ってくるわね!」

 葉月はマスターの『達也君は元・恋人。隼人君が恋人という事、平気なのかな?』という、疑問の眼差しから避けるため、『特等席』が空いたのが見えたので、サッとその場を去った。

 テラスの角席。
 そこへ座って、達也を待った。
 二人が微笑み合いつつも、ちょっと神妙な会話をしているのが見える。
 達也なりに小笠原に帰ってきた理由を、告げていると葉月は思った。
 でも──マスターは最後に達也の肩を激励するように笑顔で叩いて送り出してきた。

「お前の特等席もお馴染みか」

 ドリンクだけもらって、達也が葉月の前に差し出した。
 ここに来た時の葉月は『ジンジャーエール』と決まっている。
 それを差し出してくれた。

「ジンジャーエール、ドライも変わっていないか」
「うん、ここに来るときは滅多にビールは飲めないわね」
「兄さんと来るときも? 兄さんが運転してくれるだろ?」
「ううん? 隼人さんとはここにも滅多に来ないわよ。時々、週末に来るぐらい。その時も、一緒。どっちもビールは呑まないわよ」
「ああ、そうか。兄さん、自ら自炊するんだもんな」
「うん。もう、プロ並み」
「俺も食べたいなぁ?」

 達也は、渚側に足を組んで紙コップにストローを差しているコーヒーに口を付け始める。
 柔らかい彼の黒髪が、風にフッと揺れた。

「その内に隼人さんから言い出すわよ。最近、達也も誘いたいと言っていたから」
「あっそう。お邪魔じゃなければ、喜んで行くけどな?」

 達也が横座りの姿勢で、チラリと葉月を見下ろした。

「私はいいわよ? 知らぬ仲じゃないし……でも……」

 葉月から誘えるはずがない。
 だから、言葉を濁した。

「……」

 達也がまだジッと葉月を見下ろしていたが、葉月は視線を合わせなかった。

「お前さ──。俺に意識しすぎだぜ?」
「え?」
「言っておくけど、俺は、兄さんから『奪おう』だなんて無茶はするつもりないし」
「解っているわよ。そんな疑い……」
「言葉だけ格好良くするなよ。お前、滲み出ているもんな、警戒心」

 葉月はドッキリとした。
 いつから? 夕方、誘ったときから達也は気が付いていたのだろうか?

「俺に警戒する前に、もっと違う所に警戒を持って欲しくてね」
「違う所?」

 葉月は思わぬ言葉に、驚いて……やっと達也の顔を見た。

「こうしてさ……『恋仲』という位置から離れてお前を見るようになるとね……」

 葉月は『来た!』と、思った。
 あの頃の達也じゃなくて、今『大人になった彼』が葉月をどのように見極めたのか?
 それを彼が言おうとしている。

「なんだかあの頃から、お前の『兄貴達』が躍起になってコントロールしようとしていた気持ち? それが、ちょっと俺にも解ってきたというか……」
「なに? それ……。兄様達と同じ気持ちって!?」

 これにも葉月は驚いた。
 春にロイともちょっとした『ぶつかり合い』をしたばかり。
 その時も、ロイが言っている意味が理解できなくて……そんな自分を疎ましく思って『あの日のせい』にした。

 そして隼人が『あの日の意味』を教えてくれて、なんとか気持ちは収まった。
 それを達也はどう感じているのだろうか!?
 葉月の胸が高鳴った。

「ちぐはぐすぎるんだよな。葉月は──」
「ちぐはぐ?」
「そう……ちぐはぐ。なんていうか『男女』の間で起こりうる事、まったく無関心なのは解っているけど、掴み所を間違っているというか……」
「……」

 葉月は眉間にシワを寄せた。
 また──『理解不能』の大人のお話が始まった気持ちだった。

「ここで『気を惹かなくてはいけない』所は無関心で、ここで『警戒しなくては』という所は無防備で、女を殺さず、ナチュラルになるから……だから……普段の警戒心を解いてくれたのかと男がクラッと、スッと入り込んでくる」
「……それ、なんの事?」

 いったい誰との事に対して、そんな事を思いついたのだろうか?と、葉月は眉をひそめた。

「なんていうか、この歳になって俺が気が付いたこと?」
「うん……」

 葉月は手に汗を握って、大人になった達也の言葉を待つ。

「悪く言うと、葉月は『お子様』なんだよな。男女の『駆け引き』に無知すぎる」
「!」

 ショックではなかった。
 実は……そういう事で自分が『おかしくなる』事を、隼人と付き合ってから知り始めていた。

 横浜の彼の実家から飛び出して、右京がいる鎌倉の懐に駆け込んだ時から……。
 なんとなく、そんな『コントロール出来ない子どものような自分』に気が付いていた。
 そして──『ピル』をやめたと隼人が知った時も……。
 どうやって彼に、その気持ちを解ってもらえるかという事に泣くしかなかった自分の事も。

「逆に言うと、以前の『無関心』なお前の方が、男を翻弄していただろうな。今、その無関心が解けてしまって、今まで騙してきて、隠していた止めてしまった自分に……お前、悩んだりしていない?」

『……している!』

 葉月の心は『即答』で『悩んでいる』だった。
 やっぱり達也は長年の同期生だと葉月は改めて驚いた。
 だけど──ここでまた素直にさらけ出せないところが、またもや自分のやっかいな所。
 だけど、葉月の顔をみて、達也が悟ってくれるのもやっぱり同期生だった。

「俺は……それって良い傾向だと思うぜ? いけない事だとは思わない。それは葉月の『進歩』であって、そこまでリードした兄さんに尊敬するね」
「そう……」

 言いたいことはそれだけなのだろうか? と、葉月は落ちつくためにジンジャーエールを一口。

「で──仕事の事だけど」
「?」

 何故、そこから『仕事』に結びつくのか葉月は解らない。
 首を傾げていると、達也も頬杖を付いて、渚を見つめ……躊躇っていた。
 そして──。

「お前さ。今まで下の男の子達、避けていただろ?」
「え、ええ……ジョイやお兄さんに任せていたわ」
「それも警戒しすぎだな」
「でも──彼等と接する様になったのは達也が大佐室に入れたからよ?」
「いつまでも大佐室を『見えない管理室』にしておくと不信感の元になる。以上に、ただでさえ、お前と兄さんは公認の恋仲なんだ。今まで良く、あの大佐室が二人だけの空間であって、下の者が見ぬ振りしてきたかという事だな」
「失礼ね! そんなやましいことに利用していないわよ!」

「──だろうな。そこはきっちり信じさせている事もスゲーなと感心したよ。そこに兄さんのスタンスが浸透しているんだろうな。普通なら変な噂がたって、不信がられるけどな」

「……」

「だけど、これからはオープンにした方が良い。だから、お茶くみもその一環。そこで、俺がお前と彼等を接するようにしたのも『向こうの警戒心』を取り払う為。そうでなければ、お前は補佐中佐を通さない限り、彼等との疎通は出来ないからな。勿論、お前がなんでも動かし過ぎるのも考え物で、大佐の範囲じゃない指導は、俺達、補佐中佐が動かすものとも、思っているぜ」
「結局、何が言いたいの」

 葉月だって、達也の『狙い』は仕事として既に解っていた。
 だから、テッドを始めとする男の子達に警戒しつつも、今まで以上の会話を務めてきた。

「遠野大佐がいた頃、お前、あの先輩の指導を覚えているか?」
「……ええ、下の者にも慕われなくちゃいけないと、言葉を忘れるなと」
「それ、怠っているな」
「……」

 葉月は無言になる。
 まったくその通りで、彼が亡くなった後……急に元の冷たい女中佐に戻った。と──皆が囁いていることぐらい解っていた。

 なんだか『加減』を見守ってくれていた男性がいなくなったので、怖くなったのだ。 
 後はジョイと山中と隼人にお任せ。
 そして──戻ってきた達也にも。
 だけど──達也が接点を提示してきた。
 今は葉月も無言でそれに従っているが?

「警戒しすぎは問題だが、ここでもう一つ反対の問題。警戒を解いた時が怖いんだな」
「なに? 何が言いたいの!」

 葉月は、イライラとして達也に詰め寄った。
 すると──達也が溜息を一つ。

「夕方、テッドと話していただろう?」
「え? ええ──それが?」

 達也が遠くから観察していたのを、葉月も解っていた。

「ああいう男女の匂わす話には、以前通りの素っ気ないお前でいて欲しかったな。職場では」
「──!?」

 あの会話の何処に? そんな無警戒があったのだろうか?
 葉月は首を傾げるしかなかった。

「気が付いていないんだな。そういう所が『男女の駆け引きゼロ』と言っているんだよ」
「何処が悪かったの?」
「あの真面目なテッドがお前に、香水の話をしていたな」

 『この人も耳ざとい』と、葉月は顔をしかめた。

「ああいう時こそ、お前に突っぱねて欲しかったんだよ」
「ただの会話じゃない?」
「まだ気が付いていないな。テッドはあんな話は仕事中にはしない男だぜ? それを、今までなら無視するなり、突き返してきたお前が、答えてしまうからなぁ?」
「それで?」
「俺が見る限り……アイツ、お前に気があるな」

 達也がシラッと冷めた目つきで、葉月を見下ろした。
 葉月は……硬直した。

「また! 達也はすぐにそう勘ぐるのね!」

 だが──内心、思ってもいないことを言われて、葉月は混乱した!

「お前ときたら……最近、ちょっと女として変わったは良いけど……。なんだか、やっぱり見ていて危なっかしい……心配なんだよ、俺。ホント……兄さんは、そんなお前に大人の位置で寛大だから、余計に心配なんだよな?」

 達也は頬杖のまま唇を曲げて、大きな溜息を夕焼けの空に飛ばしたのだ。

──『危なっかしい子供』──

 つまり──今の達也は葉月をそう見定めたようだ。と……葉月は気が付いた。

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