・・Ocean Bright・・ ◆蜂親分の苦悩◆

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1.秘密面談

 『なにもなかった──!』

 その日の朝、隼人は少しばかり寝不足だった。
 そう……昨夜は恋人の姉の命日だった。

 その昨夜……彼女が夜も更けて、テラスでヴァイオリンを手にして、姉が好きだったという『G線上のアリア』をゆったりと演奏をした。
 隼人はテラスの扉をそっと閉めて、彼女を独りにして、自分の部屋に入ったのだが──。

『命日前後は葉月に単独行動はさせるな』

 彼女の従兄が忠告してくれたその一言がどうしても気になって、結局、部屋から出て、リビングで雑誌を見ながら彼女の演奏姿を見守った。
 葉月は長いこと、何曲か演奏し終えては、テラスの向こうに見える丘の雑木林を覗いているようにも見えた。

(やっぱり……兄貴が来ていると思っているのか?)

 それが手に取るように判るのも、なんだか腹立たしいのだが……。
 それでも葉月は、心静かに空に視線を向けて演奏していた。
 それは邪魔が出来やしなかった……。

 ともかく当日当夜は何もなかった。

(真一が言ったとおり……来ていないのか?)

 そんな気がするが、まだ、気は抜けない。
 だから、なんだか眠れなかったのだが……。

──『私設部隊:黒猫』──
 そんなうさんくさい組織の隊長とか言う彼女の義兄。
 真一の父親。
 その男がもしや? と構えているのだが……。

(それとも俺なんて眼中なしかよ!)

 それも腹が立ってきた。

(なんだと? 俺が義妹と結婚してもたかがしれているって言うのか!?)なんて……。

「……まるで、俺が会いたいみたいじゃないか」

 隼人はがっくりと自分自身でうなだれた。

 

「澤村中佐──」
「あ……」

 そう今は基地内の廊下──。
 しかも佐藤大佐の六中隊を訪ねたその帰りで、四中隊本部へと戻るところだった。
 そこで声をかけられたのは……

「先日は有り難うございました」

 黒髪の青年……ベージュ色の整備服を着ている青年。

「いや……こちらこそ、内密に『面談』して悪かったね」
「いいえ……思わぬお話でしたが、とても光栄でした」

 隼人より若いその青年がニコリと照れくさそうに微笑んだ。

「大佐嬢が残念がっていたよ……岸本君」

 そう……葉月がメンテ員引き抜きを始めた頃から、一押ししていた滑走路整備員の一人──『岸本吾郎』だった。

「いえ……驚きましたけど、大佐にはそのままにしておいてくださいましたか?」
「ああ、彼女に黙っているのは心苦しいけどね?」
「申し訳ありません……でも、佐藤大佐の指示に従って心を決めましたから」
「そう……」

 『彼』の爽やかな笑顔に、隼人もホッと心が和やかになる──。
 この青年と数日前に、隼人は会話を既に交わしていたのだ……。

 葉月には内密に──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 休暇が明けて、早速、佐藤の元へと訪ねると──。


『解らないね? 大佐嬢が何故? こんな滑走路整備員に目を付けたのか』

 彼が差し止めていたこの隊員。
 佐藤大佐は、葉月の目に不安をもちつつも捨てきれない様子だった。

『澤村君は何か聞いているのかい?』
『いいえ……彼女は自分で決めた事は自分一人でサッとしてしまうことが時々あります。特にこの岸本隊員は彼女自身が目を付けたのですが……。一端は、私のような補佐に手を回させるのですが、躓くと一人でサッと……』
『ふぅむ……お嬢は時々、“当たり”なんだよな』

 佐藤は岸本の経歴を何度も見て、唸っていた。

『──だけど。私の眼鏡には合わないんだよな』

 そういって彼自身は受けつけないようなのだが……やっぱり葉月の勘も信じているようだった。

『キャプテンになる君はどう思う?』
『さぁ……面談の手配を取ろうと思っていた所に、佐藤大佐とのお話がやって来たので……』
『ハリス君はなんと言っているのかな?』
『大佐嬢なら間違いないと……』
『皆、彼女を信じているんだね? そりゃ、私だって同じ中隊長。彼女の事は信じているし、認めているよ? だけど──おじさんのありきたりな一言かもしれないけど、脈絡ない勘に過ぎないのじゃないかとかね?』
『ごもっともですね──。私なんかその勘とやらにしょっちゅう振り回され、驚かされ──』

 隼人が溜息をつくと……佐藤が可笑しそうに笑った。

『では、一度──大佐嬢に内緒で面談してみるかい? 君が面談したと知ると彼女の事、ここぞとばかりに張り切って首を突っ込んでくるから』
『ええっと……』

 葉月に内緒で、葉月以外の大佐の指示に従うことに、隼人はちょっと躊躇った。

『大丈夫。事が漏れても私が責任をとるよ……』
『そ、そうですか?』

 こちらも上官、しかも葉月よりずっとずっとベテランの大佐だ。
 それで隼人は心苦しいが……『これも葉月の目を確かめる一つの手』と思って、佐藤に従ったのだ。


 秘密裏に岸本吾郎と面談を行った。

『もし……空母甲板でメンテ員をして欲しいと言われたら、君はどうする?』

 隼人と一対一の面談に彼は不思議そうな顔をしていたのだが、隼人が最初に発した言葉で『全て』を察したようだった。
 それもそうで……今、隼人がメンテナンスチームを作っている事は、もう、小笠原基地内では有名な話で、しかも始動間近と注目も集めているから……。

 すると、彼の反応は──。

『と、とんでもない──! 何故? 私なのですか!?』
『いや……その……』

 彼の方が、拒否反応を見せたのだが……。

『私が甲板に──? 出たことだってないし、戦闘機を触る機会もそうはありませんよ? いつだって滑走路を飛び立つ輸送機ばかりで……』
『そうなんだけど……ええっと、その……』

 隼人の方がしどろもどろだった。

『いったい何処から私が候補にあがったのですか? 信じられません』

 彼は『からかっているのか』とばかりに、やや興奮気味で逆に怒っているようにも隼人には聞こえた。

(ええい……もう!)

 隼人は破れかぶれになって、本当の事を言うことにした!

『実は……うちの大佐嬢がこの話が上がったときに、一に君をと……』
『え!?』

 彼はさらに驚き──椅子に座ったまま後ずさるようだった。
 それほど驚いたらしい──。

『ど、ど、どうして、御園大佐が!?』

 何故か岸本は頬を染めていた。

『なに? 彼女と話したことでもあるのかな?』

 そんなに、はにかむとは? どういう事かと、隼人は不謹慎ながら『男』としてちょっと気になってしまったのだ。

『いえ……一度だけ』
『一度だけ? どういう時?』

 彼がそっと俯いた。

 たとえ、一度でも葉月が微笑むと男はコロッといってしまい、その上、心密かに思いを寄せている者だってどれだけいるか解ったもんじゃない。
 それがせっぱ詰まった恋でもない場合もあるが、葉月との距離が近づくと、その男性の密かな気持ちもワッと燃え上がるような……。
 ロベルトも然り……それに恋心ではないがあのフロリダメンテ本部のドナルドも。それに……彼女のパイロット同期生のアンドリューもそうじゃないか?
 もっと言うと、あの康夫だって、彼女が『初恋だった』と判明したぐらいだ!
 とにかく葉月は、心の中に印象を残しやすい事この上ない女の子なのだから──。

 その『たった一度』の出来事で、葉月がこの青年に何を感じたのか?
 そして……その出来事で葉月と彼が何で繋がっているのか?
 隼人はそう思って、変にしつこく確かめようとしてしまう。

『その……澤村中佐のお父様がこられた時です』
『うちの親父!?』

 何故……そこで『父・和之』がこの子の口から出てくるのだ!? と、隼人がおののいた。

『ええ……その日は雨でした』
『雨……?』
『確か──三月で、御園中隊が岬基地への任務と出かける前で。それで……中佐のお父様が出発前に会いに来たのでは? と、皆で話していた記憶があります』
『あー。あの時ね……』

 隼人はちょっと前の事を思い出して苦笑いをこぼした。
 あの時、葉月が和之を隼人に内緒で勝手に小笠原に呼び寄せた時の事だと判ったから。

『雨で……最後にタラップに現れたのが中佐のお父様でした。社長さんだそうですね? とても立派なスーツを着ていらっしゃって……。傘をお持ちでなく、他の隊員や営業さん同様に雨の中飛び出す様子もなく、お困りのようだったので、つい……警備から傘を持ってきましょうと私が声をかけたんです』
『え? そうだったんだ──』
『失礼ですが、結構高齢でいらっしゃいますよね?』
『え? まぁ──還暦は確かに過ぎているよ?』
『他の男性のように走るという事も出来るようには見えない紳士だったので……。それに身なりが立派でしたのできっと大事なお客様だと思ったんです。それで……傘を借りてこようとしたんですけど、そう声をかけた途端に、大佐嬢が後ろにいました』
『へぇ……』

 それだけ?──と、隼人は眉をひそめる。

『大佐は私に……“素晴らしい気遣いだった。有り難う”と声をかけてくれたのですが』
『それだけ──?』

 隼人は益々眉をひそめた。
 そして対面している吾郎も……。

『はい。後にも先にも大佐と言葉を交わしたのはそれだけですよ?』

 彼も不思議そうだった。

『……』
──素晴らしい気遣いだった。有り難う──

 隼人は『それだけかよ』と直ぐさまに思ったのだが、その一言がなんだか心に引っかかった。

『なるほどー。君はうちのお嬢さん好みなのかもなぁ?』
『え……!』

 彼がまた頬を染めた──。

『その一言……どう思った?』

 隼人は急に冷静になって、フロリダでも使っていた候補員バインダーに、ペンを走らせ始める。

『どうとは……? そのー』

 彼は頬を染めつつも、隼人の冷静な眼鏡の顔をうかがうようだった。

『ああ、俺と彼女。確かに付き合っているけど、そこ気にしなくていいよ。君のその時の感想を聞きたいだけ──。そうじゃないと彼女の真意も判らないから』

 既に基地全体で『公認』の事実。
 ただ、職場では二人揃ってちらつかせないのが暗黙の了解で、共通のスタンス。
 だけど、これから……予定ではあるが『夫妻』となれば濁すことも出来ないだろう。
 そう思っての、隼人の今まで以上の発言だったのではあるが……。
 吾郎としては、そんなあっさりと『恋人だ』と宣言したことに面食らっていた。

『勿論、仕事は仕事。プライベートはプライベート。むしろ、彼女の方が仕事について何を考えているかは話してくれない方かな? だから──俺、君の面談をこっそりしているんだけど──』

 隼人が彼女の身勝手さに呆れたようにボールペンでこめかみをかくと、吾郎がやっと可笑しそうに笑ったが、一生懸命堪えているようだった。
 そして──。

『感想ですか? 勿論、嬉しかったですよ』
『どういう嬉しい?』

 隼人は吾郎の目を見ずに、膝の上に開いたバインダーにメモを書き込みながら、短く呟くだけ。

『そりゃ……基地でも有名な女性ですからね。彼女と会話が交わせるのは滅多にないし。僕と同じ歳なのにすごいなーという様な女性であるし、お嬢様だし……綺麗だし』
『それだけ──?』

 隼人は、吾郎の体格や様子を眺めながらバインダーに思うところをチェックする。
 徐々に面談らしくなってきた為か、吾郎も言葉を丁寧に選ぶように、暫く黙り込む。

『いいえ……大佐の様な隊員、いえ、あの時は中佐でしたが……。優秀であるあの人に、誉められた事は嬉しかったですよ──』
『何故? 俺の親父に気遣ってくれたんだろう?』
『え? ええ……その滑走路に着陸する機体からは外部から来る方も多いです。とくにチャーターで来る定期便。軍人以外の民間の方が来ますから……。僕は……整備員であっても“基地での最初の顔”と思っていましたから。時には先輩に“甘い”とも言われますが……誉めてくれる上官も時にはいました。でも──御園大佐に誉められて何故? 嬉しかったかと言うと……。彼女のお父さんや横須賀の准将叔父さんとか細川中将とかフランク連隊長とか……。そういう厳しいと有名な上官に育てられてきた人とに認められたというか……』

『そう……』

 隼人はニッコリと微笑んだ。

『うん……だいたい解ったよ』
『え? 今の僕の感想だけでですか?』

 穏やかに微笑む眼鏡の中佐に、吾郎が目を丸くして身を乗り出してきた。

『うん……解るよ。彼女の事──』

 またボールペンで隼人はこめかみをつついたが、今度は彼女を思い浮かべるように、空中へと視線を泳がせながら微笑んだ。
 その余裕に、吾郎は絶句したようだが……

『どうしてなのでしょう? 何故? 僕が甲板へ? 澤村中佐のチームへと望まれたのでしょう?』

……今度は吾郎の方が知りたくて、堪らないようだった。

『きっと……それがキッカケだったんだろうな……』
『キッカケ? ですか?』
『ああ……キッカケ。それから彼女は君を時々見ていたんじゃないかな?』
『え──!?』

 吾郎がそれが意外だったのか、また頬を染める。
 隼人もそっと微笑みを浮かべながら続けた。

『君の整備以上の気遣いが気に入った。そして、彼女は君のその後の動きも見ていたとね』
『え、ええ!? そうなのでしょうか?』
『きっとね……。それでその後の観察後、“良し”と思ったんじゃないかな? たぶん……君も一緒に頑張りたい仲間として一目置いたんだと思う。彼女、俺に君を推薦したときにも言っていたよ──。人間性という素質に目を付けた。チャンスがあれば、伸びる──とね』
『一緒に頑張りたい仲間? 僕の人間性? チャンス?』
『ああ、その雨の日から彼女は君のさらなる観察をしていたんだろうね? だから……彼女の好みと言ったんだ。つまり……好みとは隊員としてね』
『……』

 吾郎があっけにとたれたように口を開けて茫然としている。
 隼人はちょっと可笑しくなって笑ったのだ。
 すると──急に吾郎がモジモジとしはじめた。

『どうした?』
『実は……』

 俯いて言いにくそうな彼の様子に、隼人は首を傾げつつジッと待ってみる。

『実は……』
『うん、遠慮なく言ってみたら?』

 隼人の物腰の柔らかい姿勢は既に伝わっているのか、やっと吾郎が顔を上げた。

『空母艦で整備するのが夢だったんです!』
『え!?』

 恥ずかしそうに言い切った吾郎の本心に、隼人は驚きつつも……

(この野郎──! やったな葉月のヤツ!)

……と、彼女の勘にやっぱりおののいた!!

 そして吾郎が驚いている隼人をよそに続ける。

『訓練校で、母艦整備も勿論、学んだ訳ですけど──』
『うん、そうだね? だけど、配属の際に君は滑走路の方を希望したのかい?』
『はい。教官にもこちらが向いていると言われましたから。こちらに配属されるのにも、本島の滑走路に三年ほどいてやっとでしたし……。それに、母艦を管理している基地への入隊は競争率、高いんです』

(だろうなぁ──)

 隼人もそれをくぐって、マルセイユでは母艦整備専門でメンテ員をしてきた。
 勿論、滑走路からの離陸着陸誘導もした事はあるし、出来るように教育はされてきたのだが──。

 そして……葉月も。
 この小笠原行きの『切符』を手に入れた時は、フロリダ校卒業後、横須賀で数ヶ月の『研修』を経た上で、この小笠原配属になったのだと……。
 それなりに『見込み有って』、皆、小笠原へ配属されるのだ。
 そして『吾郎』は……それに漏れたのであろう。

『小笠原のような国際提携の基地への配属を望むなら……こちらを選択するしかなかったんです』

 吾郎が昔の苦渋の選択を思い出したのか、そっと元気なく俯いた。

『そう……。母艦の夢より、ワンランク上の部署への近道を選択したんだ』
『はい──。そう決めた時には割り切っていましたし。今日までも──』
『……ごめん。じゃぁ、俺は今日、君を揺さぶってしまったんだね』

 隼人も、そこまでは知らないことだったのでちょっと申し訳なく、声を弱めた。

『いいえ……嬉しいお申し出でしたが、そのような選択をした自分です。今更……というのもありますし、結局は、自分が捨てた道、そして諦めた道。そして、選考に漏れたのだから……』
『……』

 確かに、そうして皆、道を決めて……駄目だった事への未練も断ち切って行くのだろう。
 隼人はそんな吾郎を、自分と重ねるように見つめた。

(果たしてそうだろうか?)
──チャンスが有れば──

 葉月の言葉がこだまする。

──澤村教官ならどう育てる?──

 彼女のあのカマかけの様な一言も思い出す。

(あいつ、ここまで見込んでいたのか?)

 そんな風にも思えるほど、岸本吾郎のその残している想いも、隼人を引き止めている。
 そして──。

『いつからでもやる気が出たときが、また……新しいスタートなんじゃないかな?』

 隼人はそう言いだしていた。

『ですけど──。もう、母艦に搭乗したとしても、足を引っ張るだけだと思いますが』
『そうだね? 今はきっと無理だ』

 隼人も溜息をついて……バインダーにある事を書き込み始める。
 スラスラと頭に浮かんだ事を──。

『──ですから、無理です。お話が来たことだけ、嬉しくお受けさせていただきます』
『諦めるのか? チャンスが転がってきたのに?』
『──ですから……』

 ハッパをかけ始めた隼人に、吾郎もなんとか断ろうと食い下がる。

『俺も、そうなんだよね。去年からスタートだったんだよね。30歳になってから──』

 隼人はまだバインダーに書き込みをしながら呟いた。

『去年からのスタート?』
『ああ。まぁ、俺には夢と言うほどのえらい物はなかったんだけど──。とりたてて階級をあげたいとかそういう意欲もなかったけどね。彼女と出会って、もの凄い引っ張られて……今は、良い仕事に巡り会えて自分自身で充実してるし、始めて良かったと満足している……もっと、やっていきたいね』
『……』

 吾郎が、隼人の肩章をスッと見ながら黙り込む。

 このたった一年で中佐まで登り詰めた男。
 今となっては、その大出世は小笠原でも有名な伝説になりつつある。
 その一人に隼人はなってしまったのだ。

 だが、隼人としてはいたって普通のつもりのままなのだ。
 何処にもいる一人であると思っているから、言っているだけ……。

『岸本君はまだ、全然、若いよ。俺に比べたら……まだまだ間に合う』

 隼人は真顔でそう言いながら……吾郎の眼差しをグッと捕らえる。
 そして──彼の前に、一枚の紙を差し出した。
 先程から書き込んでいた物だった。

『これは──!?』

 吾郎がそれを手にして、食い入るようにそれを顔に近づける。

『空母艦整備の研修だよ。若い新入隊員が多いだろうけど? 時には、入隊から何年かたった整備員も研修を受けに来ていた事もある。俺の……教官としての経験上ね。一番上は、小笠原内での研修時期。二番目はフロリダ。最後はフランス部隊。受ける気があるなら、どこでも手配してやる。それぞれツテはあるから──』
『──!!』

『君は整備員としてのキャリアがあるから、後は母艦と戦闘機のスキルアップだ。新入隊員よりかはなんとかスムーズに吸収できると思う。早くて半年、じっくりかけて一年。それでちゃんと自信がついて、俺のチームに入る気があったら……声かけてくれる? 他に入りたいチームが見つかったら、それでも構わないし……』
『……あ、あの!?』

 吾郎が当惑し、隼人の計画書と顔を交互に見る。

『──お嬢さんもそれで喜ぶし、待っているだろう。そして……俺も、楽しみかな……』
『……』

 そっと窓辺に視線を流してふと微笑んだ隼人を、吾郎は眼を開いたままジッと見つめていた。

『あの──』

 吾郎が俯く──。

『なに?』
『本当に出来るのでしょうか? 自分に──』
『それは君次第だね。なんでもそうじゃないかな?』
『そうですね……』

 隼人から見ると、突然の事で戸惑っているのもあるようだが、吾郎としては『自信がない』。
 そんな風にも見えた。

(それなら、そこまでだ)

 隼人はそっと溜息を落とした。

『今日の話はそれだけだよ』

 隼人はバインダーを閉じて、面談を終わろうと立ち上がろうとした。

『あの! 少し考えても構いませんか?』

 吾郎の顔に、少しばかりの輝きが宿ったように見えた瞬間だった。

『ああ、勿論──。君の場合は、まず……研修だから急がないよ』
『そうですか──それから……』

 吾郎がまた、躊躇う……。

『なんだい?』
『大佐嬢にはこの事は報告されるのですか?』

 佐藤と供に独断でした事ではあるが、いずれは結果を報告しなくてはならないだろう。

『勿論。君は彼女の推薦だから……』
『中佐、お願いです。大佐嬢には黙っていて下さい!』

 吾郎がそこは真剣に詰め寄ってきたので、隼人は首を傾げつつもたじろぐ。

『何故?』
『とにかく、決断するまでは彼女には期待をさせないでください』

 そこにも彼の自信なさが現れている様ではあるが……。
 確かに、やると見せかけてやっぱりやらなかったでは葉月の中での評価も下がるだろうし、彼が決断するまでは、彼がどう自分を運んでいくかも解らないから……。

『いいよ。どうせ、彼女に内緒で面談したんだから──』

 隼人がそういうと、吾郎がホッとしたように胸をなで下ろしたのだ。

 

──面談はそれで終了した。
その後──。

 

「澤村君──! いったいどういう面談をしたのかな?」

 昨日の事である。
 佐藤がそういう報告を隼人の元にしてきてくれた。つまり……。

「滑走路整備科から、岸本君が君と面談した件でOKしたと言ってきたよ!? なんだって? 君は彼に研修を勧めたんだって!?」

 吾郎が『澤村中佐のチームに入りたい』との返事をしてきたと言うことだった。
 佐藤は葉月はおろか、そんな彼女の『思うところ』を計るために秘密面談をした隼人までもが、独断で若い隊員にハッパをかけていたことに、非常に驚いた様子だった。
 しかし──。

「でも、君の事だ。フロリダの隊員を引き抜いた様に、きっと彼を立派なメンテ員にするだろうね? それに……なんだい? 私にも、もう一度、若手教育の現場に引きずり込もうって言うのかい?」

 佐藤大佐は急に楽しそうに笑い出したのだ。

「いいね……。解ったよ。君がある程度の研修経由を見立てたら協力しよう」
「有り難うございます。大佐……」
「まったく……お嬢ならともかく、やられるね」

 彼は最後に高らかに笑ってくれたのだ。

 

 そして……。
 今、この時──廊下にて吾郎に声をかけられた。

「まだ、彼女には報告していないけど、そう決心した事は佐藤大佐から聞いたよ」
「はい! それで……」

 そこで吾郎がニッコリと微笑みながら、ある事を隼人に申し立ててきた。
 それを聞いた隼人は……吾郎の『決断の一部』に驚きつつも……。

「へぇ。良いんじゃない? 面白そうだな!」
「でしょう? 驚かされたから、僕からも驚かせたいんです。なんせ、これから一緒にお仕事をする女性ですからね」

 吾郎は急に活き活きしてきたように隼人には見えた。

「ふぅん……。先ずはお嬢さんに宣戦布告?」
「はい。今に見ていろよ!……なんて!」
「いいな、それ! 乗った!!」

 吾郎の『提案』に隼人は乗った。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「へぇ? 兄さん、ついに動かしちゃったんだ──」

 ランチ前の大佐室。
 葉月はいつもの空母艦訓練に出かけていて留守だった。
 そこでは達也と隼人が二人きり。

「ああ。葉月の思っていることは……こういう事だったのかどうかは解らないけど?」

 達也には──

『葉月のお目付隊員と内密に面談することになったから、不在理由を上手く誤魔化してくれ』

──と、頼んでいたので、面談の事は打ち明けていたのだ。

 こういう事で側近同士が大佐の様子を見てコントロール出来るようになったのは、達也が来てからの『利点』であって助かっているのだ。

「うーん。アイツって結構考えているようで、考えていないぜ?」

 達也はいつも振り回される事を思うかのように、溜息をひとつ。

「勘なのかな?」
「ちょっと憎たらしい勘だよな。これだけ動いちゃうと」

 同じ『インスピレーション派』の達也も、葉月の妙な勘には適わないと降参しているようだ。

「そろそろかな……コリンズチームがカフェに向かうのは」

 隼人は時計を見て、席を立ち上がった。

「見届けに行くんだ、兄さん──」
「まぁね──。アイツがどんな顔をするかなーって」

 隼人が『クスクス』と笑いながら、浮き足だって出かける支度をする様を見て、達也が立ち上がった。

「──? なんだ? 達也も行くのか?」
「うん、野次馬」

 とぼけた顔で達也までカフェについて行こうとする。
 隼人は呆れながらも笑って達也と供にカフェに向かうことに──。

 

 

 午前中の訓練に業務を終えた隊員達が、ランチを迎える時間帯。
 コリンズチームが空母艦訓練から帰ってきて、着替えてカフェテリアにやってくる頃。

「お、コリンズ中佐達はもう来ているぜ? 兄さん」

 エレベーターを降りて直ぐに広がるカフェテリア。
 真ん中の大きな8人がけテーブルで、いつもの如く賑やかな団体が騒々しく昼食を取っているのが目に入った。

「うん、岸本君も来ている」
「どれどれ! どの子だよ!?」

 壁際の2人がけのテーブルでひっそりと彼は一人で食事をしていた。

「あ、本当に──。葉月と同じ歳ぐらいの男の子だなぁ」

 そういう達也がちょっと隼人には不思議に見える。
 二つしか歳は違わないのに、なんだかやっぱり達也の方が威風堂々、威厳が備わっているように隼人には見えて『さすが』と思えてしまった。

 

『大佐嬢に一言声をかけたいのですけど』

 それが吾郎の申し出だった。

『カフェが一番、話しかけやすいと思うのですが、何時頃が大佐の食事時間帯ですか?』

 吾郎がそういうので、隼人は訓練終了後、葉月が来る頃の時間を教えてあげたのだ。

 

「葉月はまだみたいだな」

 着替えに時間がかかる女性の彼女の姿はまだ確認できなかった。

 達也と隼人は、女性隊員御用達の『喫茶・軽食カウンター』の横で、『事が起こる』のを待っている。

「ちょっと、そこのお二人さん? オーダーもしてくれないのになんで突っ立っているんだい?」

 軽食コーナーのチーフシェフ『ロブおじさん』が、カウンターから顔を出して、隼人と達也を訝しそうに眺めて一言。

「野次馬」

 二人揃って呟くと、ロブは益々怪訝そうに首を傾げるだけ。

 

「来たっ!」

 扉が開いたエレベーターを達也が指さした!
 『お着替えバッグ』を肩にかけている葉月が、一人で颯爽とエレベーターを降りる。
 人混みに紛れながら、葉月が足を向けたのはやっぱりこの軽食のカウンターだ。

「!?」

 『野次馬二人』……いや、『側近二人』が揃ってカウンターにいるのに気が付いたようで、葉月は目を見開いて、立ち止まった。

「なにしているの? 二人揃って??」
「えーっと……俺は食事」

 達也が先に都合良い理由を使ったので、隼人は『先越された!』と焦った。

「えーっと……俺は佐藤大佐とミーティング後のお茶一杯」

 隼人もなんとか誤魔化し笑い。

「ちょっと、大佐室に誰もいないって事?」

 葉月は呑気そうにしている側近二人をじろっと一瞬睨み付ける。

「ジョイに任せてきたし、直ぐ帰るよ」

 隼人がさらに誤魔化すと、横で達也も同調するように首を縦にぶんぶん振っている。

「……まったく、変ね二人揃っていると」

 葉月はなんだか疑わしさは拭えない様子で、カウンターでオーダーをしはじめた。

「おじ様? いつもの……今日はポテトと海老、それとハムとサラダのサンド、セットで」
「あいよ!」

 ロブがニッコリと葉月のオーダーを受け取って、葉月がチケットをちぎって渡した。

(来た来た!)

 吾郎が葉月に気が付いて、軽食カウンターに向かってきた。
 それを見た達也が、隼人の制服の袖を引っ張ったのだ。

「じゃぁ……俺達はあっちで一緒に休もうか?」
「そだな、そだな!」

 『二人』だけにしてあげようと、隼人と達也は葉月から離れる事に。
 そっと席に着く振りをして、吾郎とすれ違った。
 吾郎は隼人にニコリと会釈をして、葉月の背に近づいて行く──。
 それを隼人と達也は固唾を飲みつつ見守る。

 

「お疲れ様。大佐──」

 整備服姿の吾郎が何喰わぬ顔で、葉月に声をかけた。

「?」

 オーダー待ちの葉月が振り返る。

「あなた……。ええっと、お疲れ様?」

 『雨の日』以来、こっそりと観察していた隊員に声をかけられて、葉月は戸惑った様だった。

「ウシシ……葉月のヤツ、戸惑っている、戸惑っている!」

 達也はそんな葉月のちょっとした動揺を垣間見たことで、可笑しさが堪えられない様子。
 隼人の袖を引っ張りまくっては、ウズウズしているのだ。
 勿論、隼人は苦笑い……そして、緊張──。

「『俺』、大佐に知らせしたいことがありまして」
「私に?」

 吾郎は、葉月をスッと見下ろして真剣な顔つきに──。

「来月から……フランス航空部隊のメンテ研修に行くことになりました」
「──!! フランス航空部隊にメンテ研修!?」

 葉月がちょっと高い声をあげたかと思うと、離れていった隼人にサッと視線を向けてくる!
 その視線とかち合って、隼人と達也は揃って顔を背けて、知らぬ振り──。

「うん。どうせ行くなら『キャプテン』と同じフランスで叩き込んでこようかなと──。キャプテンの立派なアシスタントにもなれるように、頑張って来るよ。楽しみに待っていてくれるかな? あなたの期待は裏切らないようにするつもりだけど……」
「ええ? ちょっと? あの……私、何もしていないんだけど?」

 葉月は益々困惑している様子だった。
 葉月としては、まだ彼に『四中隊メンテチームに来い』というアクションは何一つしていないのだから。
 しかも吾郎が『大佐』といいつつも、まるで同級生の女の子に軽く話しかけるような雰囲気で接しているので、それは隼人と達也もなんだか驚きだ。

 しかも『こっそり観察』をしていた彼が、何もしていない内に『あなたの期待通りに甲板メンテ員になります』と言い出している事、
『見ていたこと』が既にばれている事で、なんだか急に恥ずかしくなったのか頬を染めて困っている。

「見ろよ、見ろよ! いっつも一人で事を運んじゃうお嬢ちゃんが既に事を運ばれて、慌てているぜ! やったな、兄さん!」
「アハハ! 本当だ!」

 達也はそんな葉月の戸惑いに、大興奮!
 隼人も、落ちついている吾郎にあたふたしている葉月の差を見て笑いがこぼれるばかり。

「おかしいな? ずっと俺を見ていた様だけど? 何にもしていないなんて言われちゃ、俺もがっかりだな?」
「ええと……その。なぁに? 澤村から何か聞いたの?」
「うん、ちょっとだけ……」
「澤村にも私はあなたを選んだ理由は言っていないのに?」
「中佐は、俺のちょっとした話に貴女が『何を思ったか』を直ぐに見抜いていた様だよ?」
「え!」

 葉月がまたサッと、隼人と達也が座った席に振り返る。

(やってくれたわね〜!!)

 葉月もやっと『内密面談』をしたのだと解ったようで、隼人を睨み付けてきた!
 だが、隼人はよそを向いて知らん顔……。

「まさか、あの日……一言交わしただけで、貴女はこんな事にしてしまうんだ。まったく……本当に俺はどうしたら良いのかと『嵐』に襲われたよう……」

 吾郎がニコリと葉月に優しく微笑みかけた。

「その……別に私は……」

 葉月の方が、俯いてモジモジしているのだ。
 まるで引っ込み思案な女の子が、片想いをしていた男の子に急に話しかけられたように……。

「おっもしろーい……。あの葉月がねぇ。野次馬に来て正解!」

 達也はおかしくて堪らないらしく、テーブルの下で足をバタバタさせ始める。

「ホント、ホント! なんだ葉月のヤツ!」

 隼人も可笑しくなって、思わず指さして笑い出した所を葉月に睨まれ、そっと二人揃って大人しく澄まし顔に戻した。

「あなたが巻き込んだんだ。それに乗ったからには……これからは仲間という事で……」

 吾郎がサッと葉月に右手を差し出した。

「宜しく……大佐嬢。必ず、研修が終わって戻ってきたら澤村中佐のチームに行くよ」
「岸本君……」

 葉月は今までの戸惑いがすっ飛んだ様に、吾郎を頼もしそうに見上げた。

「うん……待っているわ。あなたのような仲間が欲しかったの……」

 葉月がそっと吾郎の手を握り返して、二人が握手を交わした。

「やったな、兄さん。これで頼もしいチームメイトを、もう一人確保だ」
「……うん。彼は、葉月に動かされるばかりの『男』ではいたくなかったんだろうな? やるからには……これからは彼女と対等の男になりたくて、ああやって……」

 隼人も、葉月に凛々しく『意志』を伝える吾郎に満足だった。
 そして、そんな無名の隊員に『対等にやりたい』と申し込まれている葉月の戸惑いも……。
 彼女もそれを望んでいるだろうに、あの様にして申し込まれると、改めて恥ずかしかったらしい。
 そんな大佐嬢を隼人は達也と一緒に微笑ましく見守った。

「ね! 研修までの異動にはまだ間があるでしょう?」

 葉月も気兼ねがなくなったのか元気良く、吾郎に話し始める。

「うん……まぁ……」
「だったら……今からチーム研修に入る澤村チームを一度一緒に見学してみない?」
「本当に?」
「うん! 私が手配してあげる」
「そう。じゃぁ……楽しみにしている……」

 今度は吾郎がハキハキとしている葉月に照れているようだった。

「じゃぁ、決まり!」
「ああ……」

 吾郎の姿勢がとっても気に入った様で、葉月の顔はまたキラキラと輝き始めていた。

「ああやって……葉月は仲間を増やして行くんだな。前とは大違いだ」

 達也が途端に感心の笑顔をこぼして、感慨深げだった。

「ああ……嵐と共にね……」

 隼人も同じだ。
 葉月は去年とは違う。
 人を避けていた冷たい女中佐から、仲間を集める大佐嬢へと変化しつつあった。

『さ、帰ろうか……』

 まだカウンターで夢中で話し合っている葉月と吾郎を横目に、隼人と達也はそっと席を立った。
 もう二人は……特に葉月は隼人と達也の事などは気にならなくなった様で、側近二人が去っていく事も気が付かないほど、意気投合している様子。
 達也と一緒にエレベーターに乗り込んだ。

 

 三階で降りて……連絡通路を歩き出すと達也が一言。

「兄さんの夢ももうすぐ始動だな」
「そうだな……一年、かかったけど」
「俺も……始めるぜ! 俺も一年後、兄さんみたいにチームを持つんだ!」
「ええ!?」

 今度は達也が元気いっぱいに輝き始めた。

「四中隊に、特攻隊を作るんだ」
「特攻隊!?」
「ああ。射撃チーム系と戦闘系で……葉月が腰を据えて動かせるチームを!」
「本気かよ!?」
「ああ……やるぜ。俺も負けてらんない!」

 吾郎を見て、達也も刺激されたようだった。
 そして……吾郎を動かした隼人にも影響されたよう……。

「俺も一年後に……葉月が大佐としてあの席で指示が出来るようにね。もう……二度と、葉月を前線に駆り立てるような気持ちにさせない、安心できるチームをな」

 達也の眼差しが、連絡通路に差し込んでいる日差しに輝いた。

「なんだか、最近──皆がまぶしいなぁ……」

 隼人はホウッと一息漏らす。
 自分も負けていられないと同じく後を押されるばかりだ。

「夢は広がるってね……いや? じゃじゃ馬の嵐範囲が拡大中だったりしてな!」
「本当だな……」
「岸本君の研修後が楽しみだな」
「ああ……俺も佐藤大佐も結局、じゃじゃ馬旋風にまたやられたんだろうな……」
「アハハ! ほんとうだな!」

 葉月の周りの隊員達が、一緒に輝き始める──。

 隼人はそれを見るたびに、自分も感化されて行く……。
 吾郎は、来月……フランス航空部隊へと研修へ旅立つ……。
 その頃には、隼人の『夢』は一足先に動き始めているだろう……。

 青い空の空母甲板の上で──。

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