・・Ocean Bright・・ ◆ウサギ覚醒◆

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15.置き去り岬

 賑やかに人々が行き交うグラウンド──。
 そこにエドに連れられて、アリスはやってきた。

「確か──このあたりだったな。ああ、あそこにいらっしゃる──」
「ーー!」

 エドのその一言に、アリスは心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。

『サンキュー!』
『いらっしゃいませ』
『一本ちょうだい』
『有り難うございます!』

 グラウンドの外周を描くように、いくつものテントが並んでいる。
 その角に当たる場所で、まだあどけない少年達が元気良い声を発して、フランクフルトを販売していた。

 黒髪の男の子もいるし……栗毛の子もいる。

(さすが……国際提携基地ね)

 成人している隊員達も、いろいろな人種が混じっているのは一目瞭然の基地だったが、訓練生まで国際的のようだった。

「お前──ご子息によけいな事は言うなよ」
「わ、解っているわよ」
「俺の……アシスタントって事だからな」
「解っているわよ」

 エドのしつこい念押しに、アリスはブスッと膨れた。
 当然──口が裂けても『パパの愛人です』なんて言えるわけがない。
 エドとジュールのいいつけは『俺達と同じ、ボスの部下だ』という事だった。

 実際に──。

『ジュール、お願いがあるの』
『なんだ?』

 そうしてアリスが思いきって提案、希望した事に、エドはもの凄く驚いた顔をしたのだが──ジュールに至っては。

『いいだろう? その代わり、本気で扱うぞ』
『勿論よ。覚悟している』

 まるで、アリスがそれを言い出すのを待っていたかのように? あっさりと受け入れてくれたのだ。
 アリスが願い出たのは……。

『私を雇って下さい……! なんでもする! その代わり、もうボウソウのホテルに閉じこめるのはやめて!』

──彼女に、義妹に会いたい!──

 そうするには『愛人』という肩書きを捨てる事だった。
 そして、なるべく自然にこのファミリーと行動出来て、彼女に近づく事が出来る方法……咄嗟に浮かんだのがそういう事だったのだ。

『お前の直属の上司は、“チーフ”になるエドだ。さらに雇った総責任者は“マネージャー”の俺だ。さらに、絶対的権限を持っているのはボス。解るな』
『解ったわ』
『ちょっとまて! ジュール!!』

 それを、ジュールがあっさり受け入れたので、エドが驚愕した顔をして、ジュールに何かすがるように阻止しようとしたのだが。

『失敗は付き物だが、責任は何に置いても生じるからな。最悪の不祥事が起きれば、遠慮無く切り捨てるのが、俺の信条だ』
『解っています……マネージャー』

 本気で『部員』として扱う──と、言うジュールの確固たる顔に、さすがにエドが黙り込んだ。

『エド、お前に任せるが──』
『ああ、ジュールが本気なら、俺も本気でやるけどな』

 ジュールの厳しい顔はいつもの事だが……エドの顔からもいつものちょっとした『お兄ちゃん気配』が消え失せ、『ビジネスマン』の顔に変貌した。
 アリスはちょっと後ずさりたくなったが……。

(ううん──やれるところまででいいんだから!)

 首を振って……そして覚悟を決める。
 義妹が純一の側にいる様子を確かめ会う為には、今、純一が密かに準備しているらしい場所に出入り出来るようにならないといけない。

『だがな……アリス。真剣に働いてもらう覚悟の上に──お前、酷い事も散々目にする可能性も覚悟出来ているんだろうな?』

 ジュールの念押し……。

 そこには純一と義妹の愛し合う姿も確実に目にする──という事を指しているのがアリスには通じた。

『……はい、マネージャー』

 それも何処まで耐えられるか解らないけど……とにかく一目でも彼女に会いたかった。
 またジュールに叱られるかもしれないが、その後の事は考えていないし、予想出来ない。
 耐えられるかもしれないし、耐えられなくなるかもしれない──まったく分からない、自分でも。
 それでも、最低目標は、彼女に会うまで……『下っ端働き』をするという事だ。
 それは絶対にやり遂げようとは思っているのだ!

 と──いう成り行きで、まだ純一の知る所ではないがアリスはつい先ほどから『黒猫部員』になったのである。
 だから──エドのアシスタントという名目で、こうして連れてきてもらった。

「彼だ──」
「……!」

 エドが目線を向けたのは?

(え?)

 栗毛の男の子が二人……。
 仲良く並んで、笑顔でチケットを持ってきた隊員達に、フランクフルトを手渡していたのだ。
 アリスは目をこすった。

「エド? あの……こっちの子じゃないの?」

 アリスは黒髪の、見るからに東洋人である少年を指さした。

「いいや? あちらの栗毛の少年だ」
「ええ!?」
「混血だ。曾祖母様がスペイン人で曾祖父様が日本人──」
「!」

 てっきり『純日本人』を予想していた!
 純一にあんな栗毛の男の子が息子としているなんて──予想外だったので、アリスは茫然とした。

「いらっしゃいませ! わっ、来て下さって、有り難う!」
「そりゃね。チケットを買ったんだから。繁盛しているみたいだね」
「はい! 御陰様で!」

 チケットを手渡す隊員と、快活に会話をする栗毛の少年。
 並んでいる栗毛の少年二人は、アリスが思っていた以上に長身だった。
 それに一人は完全に西洋人の顔つきだったが、もう一人はエキゾチックというのだろうか? なんともいえない不思議な顔つき……そして茶色の大きな瞳がキラキラと、笑顔もとてもキュートな男の子だ。

「いらっしゃい・・ま……!?」

 目の前にエドが辿り着き、その子が元気良く声を出し顔を上げたかと思うと、もの凄く驚いた顔で硬直したのだ。
 どうやら、エドの顔は見知っているらしい。

「こんにちは、御園君……」
「……こ、こんにちは……」

 アリスの横で、エドがいつにないニッコリ優しい顔を浮かべたのだ。
 もの凄い柔らかい笑顔で、アリスが見た事がない笑顔だ。
 ちょっとばかり、そこまでニッコリ出来るエドに眉をひそめたぐらいに──アリスには違和感あるエドの顔だった。

「四本──頂けますか」
「オ、オッケイ……ミスター」

 エドは流ちょうな日本語で話しかけていたが、少年の方はぎこちなさそうだった。

 エドが千円札を差し出す。
 エドに至っては、ごく自然な仕草で流しているのに、少年の方は先程のキラキラしていた笑顔が消え失せた。
 そして──なんだか考え込みながら、釣り銭を用意する伏せた顔つき……。

(ジュンにそっくりじゃない!?)

 笑顔を消したその顔つき──栗毛とはいえ、同じ面影がいとも簡単に重なった瞬間だった。
 アリスが見慣れている男性とそっくりな顔つき!

「おつりです。有り難うございました」

 また、栗毛の少年が──ぎこちなくとも煌めく笑顔をエドに向け、そして……釣り銭をはつらつと渡す。
 その顔は、父親とは重ならない。
 茶色の瞳が大きいのはパパに似ているが? その煌めきはなんだろう? とアリスは首を傾げたくなる。

(もしかして──それが母親譲りって事?)

 鼻筋は純一の鼻ではなかった。
 スッと一筋とおったツンとしている小さな鼻で、たしかに西洋系の鼻に見える。

(じゃぁ……母親は……)

 栗毛で茶色い目で……そして、そういうスッと整った愛らしい鼻付きで……。
 アリスと同じ西洋系の人種に近いのだと……どういう訳かショックを受けた。

 別に東洋人を馬鹿にしている訳でなく、東洋人には東洋人の魅力があるとは思っている。
 だけど──アリスはそこに『彼女が持っていない私の魅力』という物を『切り札』として、隠し持っていたつもりだった。
 だが──どうやら、そういう『外見的美貌』では、同じ土俵らしい!?
 じゃぁ……その母親の妹である義妹も?? と、アリスは一人ぐるぐると考えていると──。

「あの……ミスター? そちらは……?」

 エドの隣にとりあえず寄り添っているアリスを、少年がジッと見下ろしてきた。
 少年とはいえ、パパに負けない長身で、アリスは上から降りてくる視線にドッキリ固まった。

「ええ、私のアシスタントで、後輩です」
「ふーん……?」

 その訝しそうな声に、アリスはなんとか部下らしくしようと、背筋を伸ばし挨拶をしようと顔をあげる。

『!』

 『フーン』と鼻声で、アリスを見下ろしているその視線とかち合ったのだが!

(きゃーっ! ジュンにそっくりじゃない!)

 またもや! そういう人を上からうかがうような、試しているかのような、妙に重圧感ある探り眼差しに、アリスは驚いて──顔を背けてしまったのだ!

「すみません……新人で、日本は初めてなんですよ……」
(こら! 挨拶ぐらいしろ!)

 笑顔で取り繕うエドに、そう囁かれ、背中をつつかれる。

「ボ、ボンジュール」
「! フランス人?」

 アリスのなんとか笑顔の挨拶に、彼が驚いてエドに尋ねている。

「え、ええ……ですからね。すみません……慣れていなくて日本語もまったくです」
「ふぅん?」
「!」

 また……あのパパにそっくりな『探り眼差し』に見下ろされ、アリスはヒヤヒヤする。
 何故? こんなにヒヤヒヤするのだろう?
 だって……その眼差しが『本当に部下?』という顔をしているのだ。
 確かに、ちょっぴり華美な黒いスーツを着ているし、耳にも指にもこの子のパパに買ってもらった宝飾品をつけていたから。
 それとも、ただ……アリスがこの子に対して『後ろめたい』から、この子の眼差しが真っ直ぐ受け取れないのだろうか!?

 そりゃ……純一が自らの意志にてこの子と離れて暮らしているのは知っているのだが……。
 なんだか、アリスはパパの側にいる特典を、この子から奪ってしまっていたような? そんな気にさえなったのだ。

「頑張って下さい。繁盛しているようで、良かったですね。……ああ、ちょっとお遣いで寄っただけです」
「そ、そうなんだ……」

 にこやかなエドがさりげなく『パパの命令で来た』と告げると、その少年がとてもがっかりしたようにシュンと瞳をしおらせた。
 そのあどけなさは、純一からは想像は出来ないけど……でも、アリスは──。

(嘘〜……か、可愛い……)

 思わず抱きしめたくなる程の、愛らしさ……。
 それはこの少年特有の魅力なのか? それとも、アリスが愛している男性の息子だから? それは分からないけど、とにかく、そう思ってしまったのだ!

「では……」

 エドが丁寧に頭を下げたので、アリスも見よう見真似で、ぎこちなく頭をさげる。
 確かに──ボスの息子だから、部下として低姿勢なのかもしれないが……それにしても? と、アリスは少しだけ違和感を持った。

 エドと共にその場をあっけなく去ろうとしていたが、アリスはやっぱりもう一度、目に焼き付けておきたく振り返ると……。

「エド──待って!」

 坊やが、エドをよく知っているかのように呼び止めていた様なので、アリスは驚いて立ち止まった。
 エドも──動じてはいなかったが、振り返り足を止めた。

 緑の芝土手にある階段を上がろうとしているエドの下へ、栗毛の男の子が必死に走って向かってくる。

「真一様……あの、ご学友に不審に思われます」
「色々な知り合いがいるんだから、平気だよ」
「そうですか?」

 心配するエドに、少し不満そうに唇をとがらす少年の顔。
 背はアリスよりずっと高いのに、細い線や頬骨の線が、本当に見れば見る程、純一にそっくりでアリスはなんだかまた見入ってしまっていた。

「えっと──親父に伝えて。今から昼休みにはいるんだけど、『渡す』ってね」
「──! そうですか……かしこまりました」
「それから〜買ってくれて有り難うって言っておいて……」
「ええ、勿論ですよ」

 日本語で会話している内容は、アリスには解らない。
 だけど、エドが穏やかに受け答えをすると、栗毛の彼はホッとした様子で、すぐに駆け戻ってしまった。

「……どうしたの?」

 エドが購入したフランクフルトを半分手に持って、芝土手の階段を上がる。

「──お前、本当に覚悟しておいた方が良いぞ」
「え? そりゃ……解っているわ」
「たぶん──近いうちに、お嬢様がお側に来る」
「──そう……!」

 今まではもしかすると、義妹は『サワムラ』の側にいたいが為に、純一の事などもう眼中にはないかもしれない──と、言う『期待』を持っていたが……。
 もう……そんな安易な期待にはすがらない。
 もし……義妹が本当にサワムラという恋人を選んでしまったとしても……。

 アリスは目を閉じる。
 緑の芝を吹き飛ばす秋晴れの風が、彼女の金髪を揺らす──。

──『俺の所に戻ってこい!』──

 彼の想いの行き場は……義妹が来ないともうどうにもならない。
 それが解ったから……もう、アリスにどんなに過酷な状況がやってこようとも、それを受け入れようという気持ちは固まっていた……。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 もう充分だ──と、葉月は思った。

 もう涙も、あがきも……ここでする事は、もうない……。
 いや……『なくなった』というよりかは、『することは出来なくなった』という感覚だった。
 それに隼人に伝えたい事は、存分に伝えた。嘘はない──。
 たとえ、義兄と同様に愛している事が『間違っている』としても、葉月の心の声は『隼人も愛している』と叫んでいたのだから──。
 義兄を思っている自分に遠慮する事はないと思えたのだ──あのように帰還し、思うまま、素直に叫びたかった事を、叫んだだけ──。
 満足といえば……もう満足……だから、『もうする事はなくなった』と思えたのだ。

 本来なら──どうにもこうにも、なりふり構わずに『必死』になるべき所なのだろう。
 そうすれば──隼人は必死になって、自分を捕まえていたかもしれない?
 だけど──と、葉月は溜め息をついた。

 今、葉月はロッカールームで一人。
 ショー用の衣装を解き放ち、シャワーを軽く浴び終え、やっと白い正装服に着替えている所だった。

 今日は白いタイトスカートを選んだ。
 ストラップで留める黒いパンプス。
 ストッキングを穿いて、そして、白いカッターシャツを羽織り、白いスカートを穿く。
 最後に──金ボタンの詰め襟上着を見つめた。

 立派な肩章には、二つのラインと星三つ。そして、美しい彩りの胸の棒バッチ。
 この基地で、この肩章をつけている者は、そう沢山はいない。
 その一人になった──。

「……」

 その上着を羽織れる自分を、初めて誇らしく思えたような気がした。
 だが──それは『私だけの力ではない』という無力感も感じる。
 それもそうだ……葉月のような若さ、しかも女性で、これ程の地位に登り詰められたという事は、正直『奇蹟』なのだろう。
 その『奇蹟』が『現実、叶った』のは……決して、この若い小娘のみの力で得られたものではない。
 周りにいる、自分の事を確実に支え、思ってくれた『沢山の人々』があり、その人達の思いの結集なのだろう──。

 何故か──今日はこの上着が尊く思える。
 それと同時に……妙に儚くも感じるのもどうしてだろう?
 すぐに消えて無くなるような? そんな感触があるのだ。

 その根拠も、意味も、葉月には今……分からない漠然とした感触だった。

「さて……」

 葉月は気を取り直し、上着を羽織り、詰め襟のホックを留め──ロッカールームを出た。
 外に出ると、フライトメンバー達もちらほらとロッカールームに入り着替えに戻ってきたようだ。
 葉月は体調が優れない事を理由にして、挨拶もそこそこに退出させてもらい、真っ先に隼人の所に向かったのだ。
 メンバー達は、やはり食欲には勝てなかったのか、なんだかんだ言ってはいたが、お偉いさん達に囲まれつつも、会食を楽しんで帰ってきた様だった。

 今、ロッカーにやって来た仲間の中に、デイブの姿はない。
 彼は、来賓との対面の後、すぐにサイン会へと、あの格好のまま外の会場へと向かってしまっていたから──。

 皆より一足先に着替え終わった葉月は、メンバー達に『お疲れ様』と挨拶を交わし、そこで笑顔で別れた。

 

 とりあえず、大佐室に戻ってくると──本部事務所にも人がいなかった。
 それもそうだ──今日は、カーニバルだ。
 それに、なにかしら役目を持っている本部員は、殆どが来賓客の接待や警護に回っている。

 「……」

 部下が忙しく働き回っているのに……葉月は、この居慣れた大佐室で一人……『ぽつん』と取り残された気分になってしまう程──静かだ。
 いつもなら、隊長として『あちらこちら』へと『きちんと働きが機能しているか』と確認に走り回り、上手く動いていれば良し、なにか気になれば自分が率先して動く程──ジッとしていられないはずだった。

 なのに──確かに、何もなかろうが、達也という中佐がしっかりと動かしてくれていると解っていても、動くべきなのだろうが……。
 やはり、特に何もなさそうだった。
 自分がこの日にすべき事は『空を飛ぶ事』──。
 その任務も終えた。

 隼人が大佐室にすぐに戻っていない事は分かっていた。
 彼の事──葉月がすぐに向かうのは大佐室と分かっていて、まるで別れたばかりの恋人を避けるように……何処かへ行ったのだろうと──。
 案の定──大佐室には誰もいない。
 隼人もこの当日の任務は『ショーサポート』だけだった。
 ランチ会場に自ら入るわけにも行かないだろうが、達也の様子見に行き、手伝いには向かっているかもしれない。
 それも葉月が指示を出さなくても、彼はちゃんと自分で動ける人だから──。

 そして葉月は……ここに来て、妙に真っ白に白紙になったような気持ちの中──ふと、ある事を思い描き始めていた。

 「……」

 大佐室で一人きり……ソファーに座りこみ、頬杖をして、一人の世界に入り込み始めた時だった。

「ちわっ」
「!」

 そんな事でぼんやりしていると? いつの間にか大佐室の自動ドアが開いて、誰かがそこで声を発している事に気が付き、流石の葉月も飛び上がる。
 それほど、ぼんやりしていたようだ。
 だが──そこにいたのは、訓練着のズボンに白い半袖ティシャツ姿の甥っ子──真一が立っていたのだ。

「し、シンちゃん!?」
「なに? そんなに驚くなんて──珍しいね」
「そ、そう?」

 式典が始まったと同時に、甥っ子は陸グラウンドで『模擬店』をしているはずだった。
 だから──もう少し落ち着いたら、一人でもそこへ向かおうと思っていた所の、甥っ子の登場だった。

「ちょっと、俺──また、ヒヤヒヤさせられたんだけどっ! なんだったんだよ! アレ!!!」
「あ、うん……なんだったのかしら〜」

 やはり、甥っ子は直ぐに……『急降下』について攻め寄ってきた。

「もうっグラウンドでも、お客や隊員達の悲鳴とか叫び声とかで、ものすごく騒然としたんだよね! それも目の前でくるくる落ちている飛行機に、『叔母』が乗っている甥としては、どうすれば良かったかわかる!?」
「ええっと……」
「もう──俺、頭真っ白! 俺の方が気絶して死ぬかと思ったよ!! 本当にもう!!!!!」
「ご、ごめんね……」

 葉月のいつもの誤魔化し笑い──そして真一の子供の頃のままの変わらぬ拗ね顔。

「でも……やっぱり、葉月ちゃんだね……。戻ってきてくれた」
「シンちゃん……」
「そうそう! 四回転、成功おめでとう! これで乾杯しようと思って! 今、交代で昼飯時間を取っているんだ。それで抜けてこっちに来た!」

 そして、真一が差し出したのは、自販機でも売っている缶ジュースだった。
 さらに小脇には、たこ焼きらしき透明パックを二つ、真一は抱えていて、それも一緒に差し出してくれる。

「あら、美味しそう♪ 丁度、喉が渇いていたのよね!」
「ついでにこれ。隣で先輩達がやっていたんでお昼に買ったんだ。あ、俺のお店の商品はちゃんと取りに来てよね」
「うん、じゃぁ……これを食べたら、シンちゃんと一緒に行くわ」
「うん! 食べよう!」

 二人は微笑み合いながら、向かい合い、早速、乾杯をして、軽い食事を始める。
 甥っ子と二人きりの大佐室ゆえ、葉月もくつろいだ姿勢で、たこ焼きを頬張る。

「あー、なんだかホッとしたわ」
「だろうねぇ〜。あんな死に際まで行って帰ってきたんだから。そりゃ、カロリーの消費も尋常じゃないでしょうっ!」
「だから──もう、そんなに怒らないでよ。もう、私もあんなの懲り懲りよ!」
「え〜? 珍しいじゃない? 葉月ちゃんが懲り懲りだってさ!」
「もう、なんなの? 最近のシンちゃんはちょっと意地悪ね」

 いつもの若叔母と甥っ子の気易い会話だった。
 そして『近頃、意地悪ね──』と言った葉月は、缶ジュースを煽りながら、自然とこう続けていた。

「本当に──近頃、純兄様に似てきたと思う事が多いくらいよ」
「!!」

 真一が、たこ焼きを頬張る寸前──硬直した。
 葉月も、我に返る。

「……えっと」
「冗談やめてくれよ。俺──あんな無愛想かな」

 むっすり膨れ面は、いつも葉月を和ませてくれている、いつまでも愛らしいままの甥っ子特有の顔だった。
 葉月は、思わずクスクスと笑い出す。

「そうよね? あんな無愛想なパパに似たら、私も困っちゃうわね」
「安心して、絶対にならないから!」

 まるで父親に対し『反抗期』の如くムキになっているので、葉月はまた──笑い出していた。

 そして──。

「……ねぇ? シンちゃん……」
「なぁに? 葉月ちゃん」

 大きな口で懸命にたこ焼きを頬張る事に夢中な甥っ子を、葉月はまた頬杖を付いて見つめる。

「あのね……」
「うん」

 育ち盛りの男の子は、自分の分である一パックを、あっという間に平らげそうな勢い。
 昔は、それでも楚々とした可愛い食べ方だったのに、近頃は、男所帯で揉まれているのか、結構、豪快にがつがつ食べている。
 そういう荒っぽい所も、義兄と重なったりして葉月は微笑んでいた。

「暫く──軍隊を離れようかと思っているの」
「え!?」

 懸命に食べていた甥っ子が、たこ焼きを片頬に溜めたまま──顔を上げ、停止する。

「ああ、離れると言ってもね……ちょっとだけ一週間か二週間程度の休暇を取って、その……少しだけヨーロッパを旅してみたいな……なんて」
「……」

 真一は驚いたのに、『どうして!?』などという間髪入れない突っ込みをしてこなかったので、葉月は少し怪訝に首を傾げる。

「今度は、怒り出さないのね? 小笠原を出ると言っているのに」
「理由は何? いつもの『なんとなく』?」
「……!?」
「理由があるんでしょ? それを聞かせてよ」

 葉月は……甥っ子の落ち着き払い、なおかつ、的確な質問に思わず惚けてしまう。
 先程の『俺! どうすれば良かったかわかる!?』と、叔母がする事で不安にさせられる事には直ぐに騒ぎ立てる男の子の顔ではなかった。
 なんだか大人びた男の顔だったのだ。

「そのぉ……」
「なに。言ってよ」

 どっちが大人か子供か分からないぐらい、真一は冷静に追求し、葉月は口ごもっていた。

「だって、いつも待ってばかり。もう、嫌なの」
「待ってばかり……?」
「純兄様の事──」
「ああ……まぁね。会いたいと思っても、思う事しかできないモンね」
「そう──だから、こっちから探しに行くの」
「──!? マジで言っているの!?」
「ええ、本気よ」

 今度こそ、真一が驚いた。
 そして今度は葉月が落ち着き払い、告げたい事は告げ終わったとばかりに、たこ焼きを一個頬張る。

「あのね……葉月ちゃん」
「なんだか近くにいるような気がするけど、それを頼りに待つのがもう嫌になったの。なんか近いうちに会えそうな予感があるんだけど、確実に会いたいの。だから──無駄でもこっちから探してやるの。まずは……フランスから。その為に第一回捜索休暇を取りたいって事よ」
「……なるほど?」

 驚愕し、戸惑ってはいたのだが、真一が急に落ち着いた。

「もしかすると……こういう我が儘をやり通して、辞める事になるかもしれないけど──もう、ここでは駄目なの」
「……生きていく一番の意味が、親父にあるって事……?」

 真一の探る目。
 葉月は、真一に自分の『恋心』を悟られたかと、少し怯えたが──だが、それも覚悟せねば、先に進めないので、こっくりと頷いた。

「さっき──急降下した時、本当に死ぬかと思ったわ」
「うん……」
「初めて──『生きて帰ってこられる喜び』を感じたの」
「うん……」
「だから……後悔したくないの。自分が『生きている』のだから、今のうちに義兄様に、私の全てを伝えたい……」
「葉月ちゃん──」
「もう──何にも囚われず……真っ直ぐに思うままに。誰かを傷つけてしまっても──私は行くわ」

 今までは真一に対しては『この子は子供だから』と思い、真一には余計な不安や煩わしさを与えたくなく『関係ない大人の話』として、誤魔化したり言いくるめたりしてきた。
 でも──真一は自覚を持つ青年になりつつあるし、この若叔母が『一人の人間』として思っている事は、真一がまだ子供だとしても伝えておきたかったから、葉月は恐れることなくハッキリと伝える。

すると……真一がおもむろに、何かを葉月に差し出したのだ。

「葉月ちゃんがそういう気持ちであるのは、子供の頃からなんとなく予感していた」
「!」

 真一が差し出したのは細長い『水色の箱』。
 白いリボンがかけられている。
 真一は葉月の本心を知っても本当に落ち着いている。
 伏せた眼差しに俯いて、それを差し出す顔つきが『義兄』にそっくりだったので、葉月は固まった。
 それほど──真一は急に大人になったのかと、葉月は急にそう思った。
 そして箱を差し出し終え、顔を上げた彼は本当に大人びた眼差しで、葉月を真っ直ぐに見つめてくる──。

「親父から預かったんだ……」
「!! 義兄様……から!?」
「うん──数週間前、誕生日プレゼントを届けに来てくれて、色々と話せた」
「そ、そうだったの!?」
「ああ。葉月ちゃんには見かけたら教えて欲しいと頼まれていたけど、親父は葉月ちゃんには式典をやり通して欲しかったのか、この日以降に渡して欲しいと頼まれたから、黙っていたんだ」
「……そ、そうだったの……」

 何を語らったのだろう?──葉月にはそれも気になった。
 でも──昔……真一に対して『俺は親父に値しない』と引っ込んでばかりで、葉月が後押ししてやっと動いてくれたあの義兄。
 それが、誕生日プレゼントを渡すという触れあいから『ワンステップ』、『語らう』という行動に挑んでいくれている事に喜びを感じてしまっていた。
 もうそれだけで、感激して声が出なくなる程、涙が浮かんできてしまったのだ。

「葉月ちゃん……」
「あの義兄様が……」

 涙をぼろぼろとこぼす葉月の様子を、真一も静かに眺めているだけだった。

「親父はね? あれでも結構、俺の事──子供じゃなくて時々『一人の男扱い』をしてくれるんだ。そりゃ、心ではまだ大部分が子供だと思っているだろうけど」
「そう……」

 真一は、そこはなんだか嬉しそうに、そして誇らしそうに笑顔を見せてくれる。
 そういう真一が自分を誇れるような語らいをしてくれたのだと、葉月に伝わってくる!

「俺──もう、子供じゃないよ。だから……分かるんだ。子供の時は漠然とした予感だった。だけどもう……誤魔化さないで。二人が義兄妹としての強い信頼以上の物を抱いている事」
「シンちゃん……」
「開けてみたら?」
「……」

 真一に促され──葉月は差し出された細長い水色の箱を手に取った。
 白いリボンがかけられていて、それをほどく。

「何を包んだんだろう? いやに軽いんだよね。振っても重さも感じないし、音もしないんだ」
「そうね……?」

 リボンをほどき、包みだけになったその箱を、葉月も耳元で振ってみた。

「葉月ちゃんにも時計をプレゼントかな〜と思ったのに、手にした途端にそうじゃないと思ったくらい軽いんだもん?」
「……」

 真一が覗き込む中、葉月は水色の包みを解いて、中から出てきた白い箱の蓋を……いよいよ開けてみる。

「!?」
「え〜?」

 葉月は無言でハッとし、真一は眉をひそめた。

「なにそれ?」
「手紙みたいね」
「それだけ!?」

 そう──その細長い箱には、細く巻かれた『手紙』のみ包まれていたのだ。
 葉月がそれを開こうすると、真一が目の前で腕組み、むくれていた。『色気がないくせに、大袈裟に包みやがって』と……。
 葉月は義兄がこういう拍子抜けするような事を思いつくのは、よく知っていたので、真一みたいにムキにはならなかったが、『お兄ちゃまらしい』と笑い出していた。

 そして、その手紙を眺める──。

「!」

 葉月の動きが止まる──。

「葉月ちゃん? なんて書いてあるの?」

 真一にそう尋ねられたが、葉月にはその甥っ子の問いは聞こえていなかった。
 その手紙を握りしめて、急に顔色を変え立ち上がる──。
 葉月は──その場からくるりと……大佐室を確かめるように見渡した。

「葉月ちゃん?」

「……私の大佐室……」
「?」

 そして葉月は一時うつむき──そして、真一を見下ろした。

「シンちゃん──必ず連絡はするわ。心配しないで」
「──!?」
「シンちゃんを見捨てたりしない。でも……」

 そこで葉月がまた瞳いっぱいに涙を溜め始める。

「でも……どれぐらいになるか分からないけど、シンちゃんから離れてしまう事……許して」
「葉月ちゃん──! 行くの──!?」

 その手紙に、父親が『義妹をすぐさま呼び寄せる伝言』をしていた事が真一にも判った!

「大丈夫──義兄様はシンちゃんのパパだし……私は叔母さんよ。お互いに何処にいても大丈夫よね? 絶対に、会いに来るし、必ず何処にいるか連絡するから──」
「──!!」
「困った事は……ロイ兄様と右京兄様にちゃんと言うのよ。いいわね……」

『ごめんね……?』

 葉月はそう囁くと、茫然としている甥っ子に背を向けて、大佐室の自動ドアに駆けだしたのだが──!

「待って! 葉月ちゃん……!」
「!」

 やはり甥っ子の呼び止めは完全に振り払う事が出来ずに、葉月は立ち止まり振り返った。

「シンちゃん……」
「俺なら、大丈夫──」

 それでも甥っ子も泣きそうな顔をしていた。
 でも、それを必死に堪えているのも分かる。

「葉月ちゃんが側にいてくれたから──ここで頑張ってこれた事もあるけど。でも、俺はいつかは葉月ちゃんの下から旅立つつもりだったし! それに……訓練生は皆、親元を離れて頑張っているんだよ──そういつも言っていたのは葉月ちゃんでしょ。それに俺──自分で軍医になると決めたから、自分で決めた事を糧にこれから頑張れるようになりたい。それに俺──」

 真一が涙を拭って、そして──確固たる眼差しを……煌めく強い眼差しを葉月に真っ直ぐに向けてきた。
 その眼差しは、姉にも似ていたし、義兄にも似ている。
 そう──とても強く、鋭い光を放っているようなしっかりとした眼差しだった。

「それに俺も……離れていても、親父も葉月ちゃんの事も、『俺の家族』だから……家族がいるんだから大丈夫」
「家族──?」
「三人家族だったんだよね? 俺達」
「!」
「親父には葉月ちゃんが必要なんじゃないかって思う部分があるんだ……行って!」
「シンちゃん……」
「早く行って! あの親父の気が変わらないうちに行って!」
「!」

 葉月は、甥っ子の声に押されるように……再び前に向き直る。

『親父は葉月ちゃんを愛していると思うよ!』

 そんな声が……飛び出した葉月の背に届いたが……葉月は、もう! 四中隊本部を飛び出し、廊下を走り出していた!

──『いつもお前を置き去りにし、お前を泣かせては別れていたあの岬に迎えに行く』──

 手紙には本当にそれだけ──。
 フランス語でしたためられていた。

 いつも……義兄と過ごした後、彼が小笠原のそこに葉月を置いていく場所。
 葉月はそこを一人密かに『置き去り岬』と呼んでいるぐらい。

 たったそれだけ……指定日時もなければ、確かな場所の指定もない。
 義兄はそうしていつも、葉月を試すように曖昧! すこし腹立たしいが──葉月には判る!
 きっと義兄も、葉月には通じると思っているのだ。
 その妙な自信みたいな物にも、葉月は腹立たしさを感じるし……逆に、そういう表現しか思いつかない程、義兄は素で『不器用』な所があるのも知っている。

『お前なら……解ってくれるな?』

 そういう義兄の……葉月に対する無条件の甘え?
 そして……葉月が許してしまう、葉月にだけにしか出来ない『理解』。
 たった『一文』──。
 だけど──その言葉を、丁寧に包み、リボンをかけてまで贈ってくれた所に……葉月は義兄の『決意』と『熱意』を感じ取った気がした。

 葉月の好都合な勘違いでも良い──!
 また──迎えには来てくれても、小笠原に返される日が直ぐに来るかもしれない……。
 それでもいい! とにかく会いたい!!

 葉月は手紙を握りしめたまま、真っ直ぐに走る! 

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