-- 緋花の家 -- 
 
* ミツバチは花が好き *

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5-2 亡き薔薇の家人

 

 夕方近いが、この時間でも汗ばむ季節になってきた。
 黄色い砂浜は変わらず、きめ細かい砂模様を描いていて、久しぶりに大きな丘があるここに来た幸樹の心も開放感いっぱいになる。

「すっごーーい、これが砂丘」

 展望台に連れてきた美紅が、額に手をかざし東西南北全てを見渡すかのように身を乗り出していた。始終『すごい、すごい』と連発しているので、つい地元市民である幸樹は頬をほころばせてしまう。
 彼女が夢中になっている間に、この観光土産店の売店に密かに出向いた。

「ありがとね、幸樹。一度、砂丘を見てみたかったんだ」

 売店から帰り、興奮醒めやらぬ美紅に『ソフトクリーム』を幸樹は差し出した。

「えーっ、なに。幸樹って気が利くね」
「ま、俺も食べたかったしな。それに俺が買ってこなくても、どうせ後で絶対に『食べる』と言いだすと思っただけだ」
「あはは。それ当たってる。じゃあ、遠慮なくいただきまーす」

 小憎たらしく思う気持ちもあるが、バスに乗って一緒にここまで来る間に、妙に慣れてしまった感触があった。変に気負わなくて良い? 彼女のこんなこざっぱりした性格のせいなのだろうか。不思議だった。
 共にソフトクリームを握りしめ、展望台にあるベンチに息が合うように腰をかけた。
 浜風に、美紅の長い髪がなびく。彼女がそれをかき上げる。幸樹はその仕草にも、妙な気持ちにさせられた。
 なんだろう。女としてドキ……じゃ、ねーよな? 一人で首を傾げる。そんなはずはない。このおかしな気持ちは恋やときめきとは違う。

「はあ〜、広大な砂丘を眺めて食べられるだなんて、サイコー!」
「うるさいな。黙って食えよっ」

 美味しい美味しいと、美紅はバクバクとソフトを頬張る。
 なんだかなあ。美人なのに、妙に色気がないなーと思った。
 本当に……。気心知れた女友達といる気分、いや、なんだかあの母親みたいに騒々しいし、彼女も俺に対して女らしくしようとしないし? 変な気分。

 ソフトクリームを舐めながら、幸樹は一人で妙な気分を探る。
だが隣の美紅は天真爛漫に元気なのに、たまに俯いてはどこか哀しそうな顔。その顔が一人で庭の水まきをしていた凛々子と重なった。でも美紅は大きな瞳をぱっちりと開いて、快晴の空を明るく見上げた。

「私もさ。この街で生まれたんだよね」
「えっ。そうだったのかよ?」

 まだよく知ることの出来ない鳴海一家。その娘が教えてくれた知らぬ話に幸樹は驚いた。

「そう。生まれて直ぐにあの薔薇の家を出たんだって。兄貴もお父さんも、リリちゃんも。時々薔薇の家の話のこと、とっても懐かしそうに話てね。私は覚えていないから、すっごく悔しくてさ。あの家も一度、見てみたかったんだ」
「じゃあ、美紅も……美紅もあの家で生まれたんだ」
「そ、幸樹と一緒だよ」

 隣に座っている美紅が、どこか気後れした顔で落ちつきなく両足をぱたぱたさせている。知って欲しかったけれど、それを告げたら途端に照れくさくなったのか。幸樹にはそう見えた。
 しかし本当に、美紅が言うとおり。やっと彼女が親しげに接してきたことに納得できた幸樹。『俺達、あの薔薇の家で生まれた者同士、繋がっているじゃないか』と、途端に他人には見えなくなってくるから不思議だった。

「幸樹には特別に、私の宝物を見せてあげるね」

 そういって、美紅は持っていた小さなバッグから一枚の写真を取り出す。
 それを幸樹に向けて見せてくれたのだが、そこにある光景に幸樹は息を呑んだ。

「これ……。もしかして、あの薔薇の家」
「うん。うちの家族が東京へ越す前に撮ったんだって。この後、薔薇の家は早紀おば様に預けて庭も任せたんだって」

 薔薇が満開の庭。幸樹が良く知っている庭が色褪せた写真の中いっぱいに収められている。
 もっと驚いたのは、そこに並んで写っている人々だ。一目で分かった。

「うちの親だ」
「そうだよ。で、これがうちの消防のお父さんで、このちっちゃい男の子がうちの兄貴の一馬ね。それでこの赤ちゃんが私。それでこれが……」

 写っている大人達を、美紅の指先が次々と差して紹介していく。
 だが幸樹も直ぐに解ったのでうんうんと頷いて付いていく。若き日の、あの時代のファッションに身を固めているスタイリッシュな幸樹の両親、そしてオレンジ色の消防救助隊員の制服姿の拓真。彼の腕には小さな男の子が抱かれている。最後に美紅が指さした女性に、幸樹は目を見張った。彼女の腕にはピンク色の可愛らしいベビー服に包まれている愛らしい赤ん坊。その女性は両親と比べると地味だが、慎ましやかで品のある黒髪の女性。

「凛々子さんに似ているじゃないか」
「だって、これ私のお母さんだもん。リリちゃんの叔母ってことになるね」

 そして最後に美紅は、幸樹の母『早紀』の腹を指さした。
 母のお腹はふっくらと膨らんでいる。

「ここに幸樹がいたんだよ。ね、私達、薔薇の家で繋がっているでしょ。この時、あの庭に一緒にいたんだよ」

 どうしてか感動していた。幸樹の手が自然とその写真を欲し、美紅の手から自分の手へと取ってしまう。だが美紅も快く貸してくれる。
 その写真をしみじみと眺めた。

「もし、あの家にあのまま暮らしていたらさ。私達、きっと一緒に遊ぶ幼馴染みだったはずだよ。だからさ、『従姉弟同士』みたいなもんだって」

 そして幸樹は柄にもなく感動した上に、素直に呟いてしまう。

「ほ、本当だな。本当だ。きっとそうだったな」
「でしょ。早紀おば様と、うちのママは姉妹みたいに仲が良かったんだって。だから、子供の私達も絶対に仲良くなっていたって、お父さんは言うのね。だから、幸樹に会ってみたかったんだ」

 嬉しそうな彼女の笑顔に、幸樹も思わず微笑み返してしまった。
 それだけ……。自分にとってあの薔薇の家は、大事なルーツなのだと改めて思った。

 しかし。と、幸樹はまた写真をしげしげと眺める。

「美紅の母さん……亡くなったんだよな?」

 聞きづらかったが、聞かずにいられなかった。
 そして美紅はまた、元気のない顔で『うん』と答えてくれる。僅かな微笑みを浮かべて――。心苦しかったから、幸樹もそれ以上は何も聞けなくなる。

「幸樹もさ。伯父さんがいたんだよね?」
「え、ああ。うん……若くして亡くなったと聞いているけど」
「そっか。そうなんだ」

 どうしたことか、美紅の顔色が白くなったように幸樹には見えた。
 やはり亡くなってしまった実母の話などするべきじゃなかったと幸樹は反省した。
 でも、美紅は。

「……伯父さんのこと、覚えてる?」
「いや、全然。なんでも実家になかなか戻ってこない人だったらしくて。祖父さんと仲が悪かったから、妹だった俺の母親が婿養子を取って親父があの家を継いだ……ぐらいかな」
「伯父さんも、消防官だったって聞いているよ」

 元気がなくなった割には、彼女から話しかけてくるので、幸樹は少しほっとしていた。
 こうして伯父の話で、彼女の亡くなった母の話は避けていけばいいと……。

「ああそうだよ。でも拓真さんと違って現場じゃなくて、広島本部の事務官だったって聞いているけど」

 ついに美紅が黙ってしまい、幸樹は妙に不安にさせられた。
 そんな彼女が、やっと顔を上げ幸樹を見た。まただ。また泣きそうな顔をしている。どうしてだ? 戸惑う幸樹がなんとなく話を繋げようと呟いたことが。

「そうだ。俺ってさ、その伯父さんに顔つきも背格好も性格もよく似ているらしい。うちの母親が『まったく兄さんみたいな顔で、兄さんみたいなことをして』とか、口癖なんだよな〜」

 伯父の話に始終したつもりだったのに、ついに美紅がくすんくすんと鼻をすすって泣き始めてしまった。『ど、どうしたんだよ』と彼女の顔を覗けば覗くほど、美紅が泣き崩れていき、幸樹は途方に暮れた。

「美紅、どうしたんだよ」
「ご、ごめん。……お母さんに、緋美子お母さんに会いたくなっただけ」

 幸樹が持っていた写真を彼女が取り返していく。
 そして彼女は哀しみを振り払うかのように、写真をすぐさまバッグにしまい込んだ。

「言わないで。私が緋美子お母さんが恋しくて泣いたことなんて、凛々子ママに言わないで」

 ――お願い。
 美紅のすがるような眼差しに、幸樹は頷くことしかできなかった。それだけ、彼女の眼差しが熱く濡れ、そして必死だったのだ。

「私、泣いちゃいけないの。リリちゃんに心配だけはさせたくないの。絶対よ、幸樹。言わないでよ」

 だけど、美紅は最後に小さく呟いた。
 ――『でも、ここで少しだけ泣かせて』と。

 留め金が外れたかのように、泣きさざめく美紅。幸樹もそっと、彼女の背を撫でてあげていた。彼女の『ちょっと生意気な明るさ』がなんであるか、幸樹は知ったような気になる。そんな彼女の強がりに、共感を得た気持ち。
 彼女の現在の母親は、あの若い従姉。凛々子。そしてその従姉は実父の後妻。先妻は血の繋がった叔母であっても、凛々子にとっては今は完全たる子供達の母親にしておくべきなのか。そんな美紅の気遣いなのか。

 この時の幸樹は、そう思うことしか出来なかった。

 

 

 

 

Update/2009.9.22
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