-- 緋花の家 -- 
 
* ミツバチは花が好き *

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5-1 秘密の従姉

 

 すんげー、やばいところ見られた。
 しかも彼女の義理の娘、いや、凛々子の従妹に!

 母が管理をしていた『薔薇の家』。
 そこは幸樹の生まれた家であって、そして育ってきた家。だが近所にある母の実家を新しく建て替えてからは幸樹も薔薇の家を出て、祖父と一緒に暮らしている。
 それでもあの薔薇の庭が見える部屋が恋しくなって、母に内緒で合い鍵まで作り、出入りをしていた。
 そして、いつか。自分が大人になったら、母から譲り受け自分が管理して住もうと思っていた。

 なのに。そこに見知らぬ若い女が越してきて、住み着こうとしていた。
 その上、母から驚く事実を聞かされる。
 『あの薔薇の家は、ママのものではないの。亡くなった古い友人から預かっていて、本来は姪御さんである凛々子さんのものなの。今回、返すつもり』
 なんと、あの家は。自分の家の物だと思っていたら、まったく他人の物だと知ってショックを受けた。
 もう二度と、あの家の中でくつろぐことが出来ない? そんなの嫌だ。そこに越してきた女、絶対に追い出してやる――! そう思っていたのに。

 彼女を一目見て、幸樹は心ならずとも惹かれてしまったのだ。
 どうしてか分からない。とにかく『いい』と思ってしまったのだ。

 それから家を返して欲しいから『出て行け』と言いたいのに、彼女を見たり話しかけられたり言葉を交わすと、そのことを忘れてしまっている。
 でもあの家と別れたくない。そして彼女を見つめている内に思ったのだ。
 『なんて寂しそうな人なんだろう』――。
 俺がこの家の中で、一緒にいてあげたい。膨れていく思いに堪えきれず、幸樹は後先構わずに、彼女に『一緒に住もう!』と告白。勢いで彼女の唇を奪った。
 驚いた彼女に、当然のようにひっぱたかれた。

『かっこわる』

 ヒリヒリする頬の痛みに途方に暮れていると、そこにはファッショナブルな女性がこちらを馬鹿にしたように見ていた。

『うちのママにちょっかい出すなんて百年、早いよ』

 こんな俺、あり得ない――。幸樹はどこかに逃げ出したい思いだった。
 年上の凛々子に抗う間もなく惹かれてしまい、後先考えずに行動しているものだから、自分でも『なんて不格好なんだ』と思っているのに。それを凛々子を『ママ』と呼ぶ娘に見られて馬鹿にされるだなんて。

 ぜってーに、こんなの俺じゃない。
 今までこんなことなかった。
 落とした女子大生にだって『大人びているのね。早く大学生になればいいのに』と言われてきた。
 いつだって余裕で彼女達をリードして、彼女達を振り回してきたのは男の幸樹だった。

 なのに今回はどうして?

 

 美紅に目撃されてから、幸樹は薔薇の家に近づけずにいた。

 あの娘。いつまで母親代わりであろう凛々子といるつもりなのだろう。
 確か、東京の大学生だったはずだ。そんなに長居はしないだろう。

 でも昨日の今日。まだいるはずだ。
 母親代わりと言っても、本当は従姉妹同士。歳も近くて、幼い頃から過ごしてきたのなら、姉妹同然と言ったところ。

(寂しそうにしていたから。彼女、少しは気が紛れて元気になっているかもしれない)

 ふと幸樹が思ったのはそんなことだった。
 キスをしてしまったのだって、彼女がたった一人、夕暮れの中で独り住まいの庭で水まきをしていた姿が寂しそうだったから。あれを見ただけで、幸樹の胸が熱くなったのを覚えている。
 ――どうにかしてあげたかった。
 そうだったんだと振り返る。この幸樹が、後先考えず、まずそれが頭に浮かんだのだから間違いないだろう。これは『恋』なのだと。損得関係なく、直ぐさま彼女のことを案じている。その時に胸が熱くなるだなんて。

 でも、暫くは。あの美紅とか言う義理娘? いや従姉妹……ややこしいが、ともかく美紅がいるうちは、もう俺はあの家の前には行けないと幸樹は項垂れていた。
 凛々子に会いたいが、美紅には絶対に会いたくないと思った。きっとまた馬鹿にされる。そして『ママに近づくな』と敬遠されるに決まっている。しようがない。数日、諦めようと思っていた。

「幸樹、帰ろうぜー」
「なんだよ、元気ないじゃん」

 いつも連んでいる仲間のうち、特に親しくしている二人。俊夫と涼太。
 二人の誘いに、幸樹も『そうだな』と帰り支度をした。

 

 いつもの帰り道。仲間がそれとなく集まる海辺の公園へと向かため、裏門を目指した。
 今日も砂丘の街に広がる青空はひんやりと澄んでいて、でも風は初夏の匂い。

「なんだか幸樹、最近、疲れていないか」

 幸樹同様に仲間には『大人びている』と言われている涼太が、心配そうな顔をしてくれていた。

「そうだな。この前も、凄い熱をだしたみたいだし。幸樹が授業の質問に答えられないだなんて、とてつもなくしんどい風邪だったんだなって……」

 俊夫も同じく案じてくれていたようだった。
 だが幸樹は『もう大丈夫。たいしたことはない』と、いつもどおりの落ち着きで答えた。
 そうすると、二人もいつもの幸樹を見て、ほっと顔を見合わせ微笑んでいた。

 ほらな。俺は落ち着いている。
 そうだ。ここではいつも通り。俺は不格好ではないと安堵する。

 裏門が見えてきて、幸樹は友人二人と『今日はどこに遊びに行くか』とやっとその気になって話し合う。
 どうせ、暫くは凛々子の家にはいかないのだから、久しぶりに街に出てこいつ等と発散しようと決め、心が浮かれてきた時だった。

「やっほー。やっと下校時間だね。待っていたよ、幸樹さん」

 『誰』と、両脇にいる俊夫と涼太が幸樹を見た。
 信じたくないと、幸樹は目を見開いたが、校門にはにっこり微笑む美紅が手を振っている。
 ずっと『こいつには二度と会いたくない』と悶々として、それならば会わなければ良い、あいつが帰るまでの我慢だと、ようやっと気が晴れたのに。なのに、あっちからやってくるだなんて。なんでだと、幸樹の頭の中だけはぐちゃぐちゃに混ぜられていた。だが、いつもクールな長谷川と言われているように、友人の手前、幸樹はなんとか落ち着こうとする。

「なんだよ。俺に用事なんかないだろ。さっさとママの所へ帰れよ。ママが心配するだろ」

 やった。いつも通りの俺で切り返せたとほっとした。
 それどころか、この前は幸樹をけちょんけちょんにしてくれた彼女が『ママの所に帰れ』と子供扱いされたせいか、ムッとした顔に。なんだか一矢報いた気分でスッとした。

「ママにキスしたくせに」

 ぽつんと聞こえたその言葉。今度は向こうからの反撃。幸樹の胸に新たなる一矢が突き刺さる。
 お前、こんなところで、人様の密かなる恋模様を、しかも、俺の友人の前でぶっちゃけるのかと、美紅の思い切りに幸樹は撃沈しそうになった。
 案の定、涼太に俊夫が『ママにキスってなんだ』と騒ぎ出すし……。
 ママにキスって俺の母親でもないし、こいつの母親でもないし。いや、母親だけど従姉で、でも今は母親で。ああ、ややこしい! 親しい友人にもいつかこの恋を明かす日が来ても、もう状況を説明するだけで億劫になりそうな、そんな思い人の状況。だから今なんか、余計に話したくても話せない。いや、今はまだ話したくない!
 だがそうして当惑している幸樹を見て、美紅がちょっと申し訳なさそうな顔になっていた。

「えっとね。私、幸樹の従姉なんだ。親戚。もうずうっと離れて暮らしていたから」

 い、従姉って。俺の従姉って。
 なんでそんなとんでもない出任せを言うのだと、幸樹は益々、美紅の大胆さにおののいた。しかも突然『幸樹』と呼び捨て!

「ママって言うのは、私のママね。挨拶のキスよ、久しぶりに会ったから。幸樹って男前じゃん。だからうちのママが強引にねだったのよ」

 美紅がほっぺたを指さす。
 彼女のママがほっぺにねだって、幸樹が致し方なくキスをしたとでっち上げてくれているのだ。
 だが両脇の二人は『へえ、そうなんだ』と信じた様子……。

「お友達さん、ごめんなさい。今日だけ、幸樹を貸してくれない?」

 彼女はテキパキしている。男達に迷う間も与えないほどに、次から次へと前へ進めるように収めていく。
 それほど歳は変わらないだろうが、それでも現役女子大生の手際の良さに、友人二人もあっという間に丸め込まれてしまっていた。

「じゃあな。幸樹」
「今度は、俺達とも遊ぼうね!」

 美紅と二人にさせられ、涼太と俊夫は別方向に帰っていってしまった。

 そして幸樹も、彼女の手際にすっかり乗せられてしまい……。
 違う。この彼女に、『年上の、一目惚れした女性にキスをした現場』を目撃された弱みを握られている為、こうなるしかなかったのだ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「あのな。近所なんだから、俺の学校までこなくてもいいだろ」

 どうしてか、隣に並ぶなり美紅が無口になってしまった。
 時折、幸樹の顔を見上げては俯いて――。先程のでかい態度もどこへやら? 姉貴面で突撃してきた割には、二人きりになるとなんだそのしおらしさ。そして幸樹は嫌な予感がした。なんていうか、ほら。自分で言うのもおこがましいが……俺って直ぐに女がなびくじゃん? まかさ――と。

「言っておくけど、幸樹に見とれていると思ったら大間違いだからね。あんたぐらいの男、東京にはいっぱいいるんだから」

 大人しくなったと思ったら、またそんな。しかも自分の中だけで密かに呟いたはずの『おこがましさ』をズバリと当てられてしまい、また幸樹は図星故にたまらず頬を染める。

「やっぱローカルだよねえ。それぐらいで『俺、出来る』って顔しちゃってさあ」

 それほど会話も交わしていない人間に、頭ごなしにここまで言われて腹が立たないはずはない。美紅を置いて、幸樹は大股で先を行く。

「ちょっと待ってよ」

 何度か背に叫ばれ、そして彼女はいつまでも付いてくるが幸樹は立ち止まらなかった。

「ごめんってば。本当にごめん! 私が悪かったから」

 彼女が必死になって追いつき、やっと隣に並んだ幸樹のシャツをひっつかんだ。
 もうその時点で、幸樹はかなり頭に血が上っていた。

「離せよ! そっちから勝手に俺を訪ねに来たくせに、なんだよその言いぐさは。ああ、そうだろうな。天下の都から、こんな日本海の街に来ればそう思うよな」

 こんな事、滅多にない。同級生とつるんでいても『幸樹はあまり感情の起伏がない、クールで落ち着いて』――そんな定評がある。あのとぼけた母もそれを判っているから息子をからかって怒らせたり呆れさせたり、何かしらの反応をみようとしているのだ。
 そんな俺が……。鳴海一家が来てから、この有り様。凛々子にも拓真にも、そして年が変わらぬ美紅にも。

 しかし、幸樹の叱責が効いたのか?
 あの美紅が、泣きそうな顔になっていて驚かされる。見る見る間に、大きな瞳に大粒の涙。

「ば、馬鹿。や、やめろよ……」
「だから、ごめんって。謝るよ。ちょっとむしゃくしゃしていたのよ。だから幸樹に当たってしまったのよ、判っているわよ。私、すごく口が悪かった」

 ごめん、幸樹。

 そうして彼女がぐずぐずと泣き出してしまったので、幸樹はもう……なんというか呆れてしまいどうでも良くなってきた。

「なんだよ。本当の用事はなんだったんだよ」
「だってさ。幸樹もリリママも、あんなことの後だからさ。幸樹に会いたくても暫くは『うち』には来ないだろうなーと思って」

 『うち』だと〜!?
 早速、幸樹はそこに怒りを覚えたのだが。

「あ、ごめん。幸樹はあの家で育ったんだよね。いまは長谷川の家みたいなもので、幸樹もあの家を大事にしているから、鳴海だけのものじゃないって。リリママもそう言っていた」

 凛々子の名が出た途端、「まあな」と幸樹の熱もさあっと引いてしまった。
 そんな彼女の口から『幸樹さんはこの家で育ったから、この家が好きなのよ』と義理娘にもちゃんと教えてくれていたのだと知って、その怒りが収まってしまう。

 宛てもなく歩き出すと、また美紅が隣に並んで歩き出す。
 まだ学校付近だった。だから下級生の女の子達とすれ違うと、誰もが驚いた顔で幸樹に振り返る。
 幸樹の頭の中に『明日、知らない女と歩いていたと噂が広まるんだろうな』と直ぐに浮かんだ。
 しかし……と、幸樹は直ぐ隣を何の違和感もなく歩いている美紅を見た。
 ――あまり似ていない? 従姉妹同士なのだろうが、凛々子とはまったく雰囲気が違う従妹だった。それどころか、身長がある。この幸樹と並んでも、彼女の頭の先が幸樹の目線にあった。170以上、モデル並の身長はありそうだ? それに対し、凛々子はどちらかというと小柄で本当に大和撫子というべきか。凛々子は本当に舞妓さんのような雰囲気。それに比べると、従妹(義理娘)の美紅は、華やかな顔つきで……。

(よく見ると美人だなあー)

 幸樹でさえ、そう思った。明日広まるだろう噂には『謎の美人』と付け加えられることだろう?
 昨日の夕方に会った時は、如何にも東京からやってきたとばかりの派手なファッションに身を包んでいたが、今日は白黒モノトーンで地味に着こなしている。化粧もあっさり……。
 しかし、ここで幸樹は妙な気持ちになってきた。

(なんか、どこかで会ったような気がするぞ?)

 その顔、昨日の濃厚メイクをしていた美紅を見た時は何も思わなかったが。なんだ、今日の美紅は見れば見るほど……?

「長谷川先輩、さようなら」

 すれ違う二人組の女の子にそう挨拶をされ我に返り、美紅の顔から視線が外れる。とりあえず、彼女等が誰だか知らないが手だけ振って流した。

「ふうん。幸樹って、やっぱモテるんだね」
「あのなあ。さっきは東京には腐るほどいるから図に乗るなと俺に言っておいて、今度はなんだよ」
「だから謝るって。確かに幸樹は男前だよ。私が保証するよ。女の子達も気になるみたいだねー」

 先程の二人組の女の子達。すれ違っても、幸樹と美紅が並んで歩いているのを何度も振り返っているのが見えた。

「まあ、幸樹が男前じゃないと、私も美人じゃないって事だしね」

 はあ? と、幸樹は眉をひそめる。お前、なに言ってんの? と……。
 確かに、美紅は美人だ。だからってその『驕った発言』は鼻についた。

「あ、勿論。冗談よ、冗談」

 美紅も直ぐに、自分が言ったことが幸樹にどう受け止められたか悟ったようで慌てている。
 だけれど、また。幸樹の顔色を窺うようなしおらしい顔つきになって、そっと美紅が呟いた。

「あのさ……。私と幸樹って似ていると思わない」

「思わない」

 きっぱりと突き返すと、彼女がちょっと面食らった顔になる。だが彼女は、その後直ぐに、先程、泣いた時のように瞳を濡らす。でも今度は涙は出てこない。

「だよね。そうだよね」
「ったく。イラッとするな。本当に何しに来たんだよ」

 ふっと溜め息をこぼした美紅だが、直ぐに気を取り直し幸樹に向かってきた。

「暇なんだよね。砂丘につれてって」

 あろう事か、なんの遠慮もなく美紅が腕に抱きついてきたから、流石の幸樹も慌てた。

「おまえ、ちょっと。やめろよな!」
「いいじゃん。従姉なんだから」
「従姉じゃない! それになんで俺なんだよ。ママに頼んで連れて行ってもらったらいいだろ!」

 しかし、美紅は幸樹の腕に捕まったまま離さないし……。
 また神妙な顔つきで、幸樹の顔をじろじろ見ている。

「やだよ。幸樹と行きたいんだもん」
「だから、なんで俺なんだよ」

 また向こうから同じ学校の女子が来るのが見えてきて、今度の美紅は遠慮してくれたのか、さっと離れてくれた。
 そして彼女から、幸樹の前を歩き出す。

「だってさ。ママが気になってこの街に来たのも本当なんだけれど」

 先に行く美紅が肩越しに振り返る。
 初夏の風に、綺麗に染めているチェリーブラウンの髪が煌めいた。

「幸樹にも会いたかったんだよね。だって、私達、あの薔薇の家で繋がっているんだよ」

 振り向いた彼女の顔に、幸樹はまた……何かに鷲づかみにされたような気にさせられる。
 でもこれは『ときめき』なんかじゃない。恋じゃない。凛々子に一目惚れした後だからか。それともやはり美紅が美人でも、好みではないと言うことなのだろうか? なのに、この妙なひっかかりはなんなのか。

 もの凄く、何かが喉元でつかえている。そんなもどかしさ。
 せめぎ合うだけの感情がもどかしいまま。強引な美紅に引っ張られ、砂丘行きのバス停へ向かった。

 

 

 

Update/2009.9.19
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