2.香る人

 

「むかつくっ!」

マリアは帰ってくるなり不機嫌で、

メンテ員候補ファイルを一緒に覗いていた葉月と隼人は顔を見合わせた。

 

「どうしたの? マリアさん」

「なにかあったのかな?」

「アンディ達がまたろくでもないことでも言ったなら、私が仕返しするわよ!」

「こらこら……」

葉月がアンドリュー達に会いに行ったと知っていて、その後のマリアの不機嫌さ。

でも、マリアはニッコリと振り返る。

「ううん? アンドリュー達には何も言われなかったわよ?

彼等も私が渡しに来てちょっとは驚いていたけどね……」

「今日あたり、私からも彼等に会いに行こうと思っているの。

暫くバタバタしていたから会いそびれちゃって……ちゃんと事情を説明しておくから──」

それが『葉月自ら傷について話した』と言う事を長年の同期生に報告すると言っているのが

マリアにも解った。

「うん……でも、アンディ達も察していたみたい。

驚いていたけど……『なんかあったなお前達』ってちょっと笑っていたから」

「そう──」

『だったら何で怒っているの?』と葉月は言葉にせずに

隼人に何かを求めるように眼差しを向けてきた。

隼人も肩をすくめて、『さぁね?』とおどけただけ。

 

『なんなの? あの中佐はっ』

マリアはマイクから受けた『屈辱』にはらわたが煮えくり返っていた。

 

昔からそう──。

温厚な大人の顔をしているかと思ったら、ちょっと立ち入るとかなり素っ気ないのだ。

それは『葉月に深入りするな』とバリアを張っていたアンディやジョイと言った

『葉月を守る男達』と一緒だと思ってはいたのだが……。

(中佐なら……既に知っているはずだわ? 御園パパの側近だもの)

葉月がドレスを着ることも、マリアに傷のことを話してくれて『姉妹的』になれた事も。

それだったら……あのアンドリュー達の様に察して笑ってくれそうなものを……?

(何を怒っているのよー)

怒っているにしても、先程のマイクは『彼らしくなかった』

いつもなら、素っ気なく冷たい素振りで払われるのに

あんな風にして『大人ぶって子供扱い』されるなんて『心外』だった。

いや……充分、彼は大人なのだが。

 

マリアの女性同僚達にもマイク狙いの友人は沢山いる。

『ジャッジ中佐って本当に冷たいわね』

マリアは達也のことしか考えられない『人妻』だったので蚊帳の外。

それに何を考えているか解らない男の事なんて興味もなかったから──。

『本当に誰と付き合っているって噂もたたないけど、絶対にいるわよね!』

友人達のいつもの悔しそうな会話。

確かに彼に恋の噂は滅多にたたない。

『あれだけ良い男だもの。絶対いる! でもそれが判らないってさすがよねー』

いるならいるで『諦めがつく』のにそれが解らないから『諦められない』と

皆が中毒に冒されてると友人達は日々語っていた。

マリアにとっては『ふーん』程度の存在であるし、近づきたいとも思わなかった。

 

それにしても──!

と……マリアはまた燃え上がる。

マリアもそれなりに男性の目を惹いている自信はあった。

そうでなくても、マリアも気のない所からたくさんのアプローチはもらっているのだ。

達也と結婚を決めたとき、どれほどの男性がため息をもらした事か。

その自分に向かって……『子供』といって『大人の女性』と認めないところも腹が立っていた。

 

「なんか……怖くない?」

「そっとしておいた方が良いかもね」

 

後ろで葉月と隼人が日本語で何かを囁き合っている。

『レイの方が自分にあった香りをつけこなしている』

マリアはまたまた燃え上がった。

(カボティーヌって選びやすい特徴があるだけじゃない!?)

無邪気なのにラストノートは甘美──。

そのうえカボティーヌにはじゃじゃ馬という意味だってあるらしいから──。

マリアから見て、全然女性らしくない葉月の方が『勝っている』とは

これまたどう言うことかと思った。

だけど、実際……葉月は何もしていないくても『チャーミング』だとも思っているし

口が裂けても『レイ』と比べられて燃え上がっているとは言えなかったのだが──。

 

ふと振り向くと、背中側にいる隼人の席には、葉月が寄り添うように隣に座っている。

二人は候補員のバインダーを見て、最終的な『打診』に対する『作戦会議中』だった。

真剣に話し合っている中にも、ここ最近、さらに二人はいい雰囲気になっている。

 

サワムラ中佐の彼女を信頼している寛大な眼差し。

葉月の彼を見つめる眼差しはどこか落ちついている大人に見える。

『仕事中』だからだと、マリアは葉月が大人に見える訳をそう思うことしか出来なかった。

でも──。

途中で葉月が言った冗談に、隼人が可笑しそうに笑って

そして……葉月もニコリと微笑んでいるのは

どう見たって……『解り合った恋人同士』

足を組んで座っている葉月の白い足はスラリと伸びていてとても綺麗だった。

いつもブーツを履いていても……彼女が足を組むと

その長い足とスッとした軍服姿の『威厳』は妙に自信に満ちていて

自信に満ちているからこそ『魅惑的』

メンテ本部の男性達が、時々ハッとしたように『大佐嬢』の葉月に釘付けになっているのを

マリアは何度だって目撃している。

それに対して、それを目の前にしている隼人はドンと落ちついていた。

彼女が放つ魅力に動揺することなく、あますところなく全て力強く受け止めている。

そこに彼の内面から滲み出てくる色気を最近感じて仕様がない。

(あれでヒールを履いたら……もっとすごいことになりそうねー)

と……マリアは『やっぱりちょっと適わないかも』と思えてきた。

別に勝とうだなんて心根は葉月に対してはない。

それが葉月がもってあたりまえの『魅力』と随分昔から認めていて

そしてそうなった上での葉月とマリアは対等に並びたかったのだから──。

 

だからこそ!

マイクにあのようにして『レイの方が勝っている』と言われるとむかついたのだ。

マリアは葉月と対等で、煌めきたいのだから!

 

ところで──?と……マリアは思った。

「ねぇ? 葉月」

マリアはもう一度、背中側の隼人の席に、にこりと振り返る。

 

「……な、なに?」

葉月が戸惑ったように反応した。

 

「ジャッジ中佐がね〜。レイは似合っている香水をつけているねって言っていたんだけど」

「ふぅん。さすがマイクね……。気が付いていたの?」

葉月の『さすが』に、マリアはなんだかムッとしたが堪えた。

「でもね? ジャッジ中佐が『レイに選ぶならプチサンボン』って言っていたわ?

それって……どう思う?」

マリアがニッコリと何気ないつもりで葉月の反応を試してみると──

葉月はちょっと納得いかなそうに一瞬むくれたのだ。

マリアと同じようにすぐに『レイはお子様用フレグランス』と例えられたと拗ねたようだった。

でも──葉月は次にはすぐににこやかな笑顔を浮かべてしまった。

「マイクらしいわね。私は彼にとってはずぅっと子供なのよね」

なんて……あっさり認めてしまったのだ。

(なんで怒らないのよ!)

一緒に怒ってよ! と……マリアの方が今度はむくれた。

「でも、そうね? マイクがもしプレゼントしてくれたら……

マイクとのデートの時は、プチサンボンをつけても良いかも」

「デート!? あの中佐とー?」

意外と葉月が『ませたお嬢ちゃん』の様な事を言ったのでマリアは面食らった。

「ふーん。なるほどね? 相手に合わせたフレグランスか」

恋人が大人のお兄さんと『デート』と発言したのに隼人は何も感じなかったのか

余裕で微笑んで会話にスッと入ってきた。

「中佐ー? 葉月が大人の男性とデートって許せるんですか?」

「え? ああ。『兄様デート』なら許容範囲だね。

それに、葉月が言うようにジャッジ中佐から見ると葉月なんてお子様のようだし」

「お子様って何よ!」

葉月はむくれたが、隼人はそれを可笑しそうに笑い返しただけ。

その隼人の余裕、葉月がムキになって楽しそうに笑う……

そして『デート』と可愛い恋人が言い出してもサラッと流してしまう。

そういう『寛大さ』にちょっとした『溺愛感』をマリアは見てしまうのだ。

本当に葉月が可愛くてしかたがなくて、それでいてからかって楽しんでつついているといった

余裕ある大人だった。

 

「そういえば……」

葉月が何かを思い出したように呟いた。

「鎌倉の右京兄様もそうしているみたい?」

葉月が妹の顔で言う。

「へぇ……右京さんらしいね。とびきりお洒落だしなぁー」

隼人が感心のため息をもらした。

マリアも時々目にしたことがある『御園右京』

それはもう……近寄りがたいほど整った美形で、葉月と良く似ている。

そして──昔の亮介にそっくりだった。

あの貴公子のような『御園御曹司』なら

それはもう……かなり精通しているだろうとマリアも唸る。

それに葉月の話では『美的センスは譲らない』程の芸術家らしく

葉月の『音楽師匠』とも聞かされている。

「だってね? 私と会うときは優しい香りをつけているもの。

『それ女物?』って思うような……。ダージリンと石鹸みたいな香り?

あれは……『ブルガリプールオム』じゃないかなーって」

マリアはまたドッキリ!

葉月はなかなかあなどれない。

自分に反映はしていないが、中身に蓄積している『知識』は確かに『お嬢様』の様だ。

その従兄の影響も強いと見た。

きっとその兄様が、さり気なく葉月に教養として身につけさせているに違いない。

「お前、詳しいなー。でも……雑誌は良く読んでいるもんな、葉月でも」

「でもって何よ? ちょっと知らないと右京兄様はうるさいのよ。

隼人さんも気を付けた方が良いんだから」

「うわ。脅かすなよ」

隼人がヒヤリと苦笑い。

「だって、兄様のお部屋って香水がいっぱいあるのよ?

それをね、面白いから嗅ぎ分けていたらちょっとだけ覚えただけよ。

あれを見ていたら、きっと『本命女性』の時につける香水も決まっているわね。

私、兄様が何処に行っていたか、香水でわかっちゃうかも?それでなくても──

本命女性の時は、とびきりのスーツに腕時計にネクタイに、とっておきの男の香水だもの」

葉月がニヤリと生意気な妹の顔。

「お前って怖いなー。意外とそう言うところは鋭いんだからさ。

さすがの右京さんもひとたまりもなさそうだな!」

隼人がそんな『生意気おませな』葉月が、堪らなく可愛いといった様に笑い返す。

きっと葉月はこういう所で可愛がられているとマリアは羨ましくなってきた。

 

「隼人さんは興味ないみたいね?」

「俺がつけるってねー? 考えた事ないし。

ロベルトや達也はつけているなー? 特に達也、制服になったらもの凄い匂いだ」

隼人は抵抗があるのか、鼻にシワを寄せていた。

そう達也は『これでもか!』というくらい香水をつけてアピールするのだ。

マリアも度々、つけすぎだと注意していたのだが。

「ロニーはウルトラマリンねー。

達也も前はウルトラマリンだったのに……今はサムライに変えたみたいね?」

またもや葉月がズバリと当てたので、マリアは驚いた。

しかも──達也は以前はその『ジバンシーのウルトラマリン』をつけていたのだが

『俺が最初につけはじめたのに! 流行りすぎだ!』……なんて。

達也は人と一緒は嫌だと思ったのか?

自分が色気ある東洋人だと思ったのか?

マリアと結婚した頃に『アランドロンのサムライ』をつけ始めていたのだ。

(ほんとうにー。葉月って……)

すごいとちょっと考えが変わった。

 

「そういえば、マイクもそうしているみたいね」

せっかく気が紛れたのに……再び、話が『嫌な男』に舞い戻ったので、マリアは顔をしかめる。

「私、マイクがデートに行くのを当てた事あるもの♪」

葉月のその話にマリアはおろか隼人まで『え!』と驚いた。

「お前、すごいなー? ああいう人は絶対職場ではちらつかせないぜ?」

隼人の言うとおりで、誰も彼の『色事情』は知らなくてヤキモキしているから

マリアも驚いた。

「まぁ……お休みの日も、うちに遊びに来る事は、結構あるからね。あの兄様は。

いつだったか夏の帰省中にこっちにいた時……

からかったら、当たっちゃったみたい?」

「その時はどんなのつけていたんだよ?」

隼人もすっかり『男のフレグランス』に引き込まれている様子で

興味津々、葉月に尋ねている。

「何の香水か聞いてみたら、アルマーニだって言っていたわ? すっごい気取っていたもの」

「あの人なら似合うだろうなぁ?」

今度はマリアが尋ねてみる。

「ね、ね! その恋人ってどんな人か判ったの?」

「……」

葉月がちょっと怪訝そうにマリアを見つめた。

「えっと、噂にならないじゃない? 女性隊員が皆、不思議に思っているから!」

慌ててマリアは言い返す。

マリアは自分もどうしてこんな事を聞いてしまったのかと思った。

彼が選ぶ『大人の女性』を見定めて置きたかっただけかもしれない?

「勿論──『大人の話はリトル・レイには出来ないね』ってかわされちゃったわよ」

葉月が無邪気な笑顔で笑い出した。

「そういえば、俺はジャッジ中佐が、今つけている匂いなら抵抗ないかも」

「あー。そういえば、隼人さん合うかも知れないわ? なんだか似ているんだもの雰囲気」

「そうかな? あんなに格好良くはないぜ?」

あの中佐と隼人が似ていると来て……マリアは変に共感してしまった。

仕事中の冷たい顔。

ちょっとした余裕。

動じない冷静さ。

周りをよく見てから動く慎重派。

それでいて……穏やかな雰囲気を放ちながらも『やる時やる男』

そして時々『意地悪』

だが、マリアは今日、思い改める。

隼人は時々意地悪だが、それも許せる範囲であって

マイクは『絶対許せない』と敵対心を持ったこと。

「きっとあれは『ニコスのスカルプチャーオム』ねー」

葉月の推察に、マリアはもう驚かない……ただもう適わなくて降参していた。

「あー、なんか雑誌で見たことあるぞ? どこぞのアイドル御用達だったな?」

「アハハ、そうだけど。スッとしていてるからね? 女性愛用者も多いけど

あのクールさがマイクに合っている気がするー。マイクもやるわよね」

またもや葉月が『マイクはさすがの男』と称えるのでマリアは影でぶすっとした。

「へぇ……ミント系だったかな?」

「うん! きっと合う合う!」

まるで葉月が勧めているかのよう……。

「なんだよー俺につけて欲しいのかよー?」

隼人がしらけた目線で葉月を見下ろした。

「べ、別に?」

葉月ははしゃいでいたのに急に頬を染めて、プイッとそっぽを向けたのだ。

マリアは葉月もちょっとひねくれているなと、隼人と同じようにしらけて眺めていたのだが

『こういう所が可愛いのね? きっと……』

その証拠に、隼人がニヤリと笑っていたのだ。

「俺も色々試しちゃおうかなー?」

隼人もすっかりリラックスしてしまったのか、大きく足を組んで

楽しそうにマウスをカチカチ動かし笑っていた。

「右京兄様のあの香りも似合いそうだけどねー」

葉月はなんだかつけて欲しそうだった。

「でもね……」

葉月がそっと隼人の耳元でこそっと何かを囁いている。

(ほんとうに、みせつけてくれるわねー)

マリアはスッと目を半分細めて眺める。

昨日の買い物から、なんだか二人はああやって……マリアの前ではもう気兼ねがない様子。

「何を言っているんだよ、まったく……」

葉月が何を囁いたかは、マリアには聞こえるはずもなく……でも……

隼人が急に頬を染めて素っ気なく葉月を払った。

だけど、今度はちょっと照れた隼人を見て、葉月がニヤリと微笑んでいたのだ。

確かに……この二人と仲良くなれたから目に出来る様になった光景だった。

マリアが最近……『大佐と中佐』でなく『葉月と隼人』として見るようになって気が付いた事。

『なんだ……葉月って結構、こうと決めた人にはすっごく女の子じゃない?』

──だった。

それは昨日のマイアミでドレスを選ぶ二人を見てから気が付いたこと。

それとも?

最近、何かがあって……二人が今まで以上の関係に変化できたのか?

それはマリアには解らない。

 

(フレグランスねー)

マリアは『グッチは似合っていない』と……

フロリダ基地内で指折りの色男に言われて、ちょっと気になった。

興味もない、避けたい男なのに……ああも言われると女として立つ瀬もなく悔しい。

マリアだって『TPO』に合わせた使い分けはしている。

明日……パーティで何の香水をつけようかちょっと考えてしまった。

(プアゾンなんて使ったら……ありきたりって言われそうねー)

いったい、あの男はどういう『感性』なのかとマリアは妹分の葉月を眺めた。

もうちょっとで色々と尋ねたくなったが堪える。

(見ていなさいよ。パーティで驚かせてやるんだから!)

昨日まで、葉月を綺麗に仕立てる事で頭が一杯だったのに……。

マリアは自分の事にも俄然『ファイト』が湧いてきた。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 マイアミへと向かう途中の海岸沿い──。

 先日、葉月が帰省し入国監査事務所まで迎えに行った後に

マイクが連れていった白いテラスがあるあのカフェの前にやって来た。

黒いスポーツカーを駐車場に止めて、マイクは颯爽と車を降りる。

 

ドアにロックをかけ、黒カフスを指でスッとめくって腕時計を眺めた。

(まいったな……30分遅刻だ)

もしかすると彼女は待っていないかもとマイクは思った。

あんな曖昧な約束。

しかも別れた恋人と──。

毎度の如く、秘書室での業務は定時きっかりには終わらせることが出来ず、

この基地地区の街で一番大きいショッピングモールまで行って

明日、『レイ』に渡す買い物などをしていたら、このような時間になってしまった。

(まぁ……なりゆきだったしな)

そうとはいえ……彼女の匂わす誘いにマイクはかなりの期待をしていたことを否定しない。

 

今夜は……どうしてもそういう気分だったのだ。

 

そっと……マイクは白いガラス扉を開けて店内に入る。

 

ここは登貴子御用達だけあって、ちょっと高級感があり

基地にいる一般軍人には『入りにくい店』の一つになっている。

だから……別れた恋人・イザベルとの『待ち合わせ場所』に使っていた。

平日なら登貴子は滅多にここにはこない。

特に家庭がある主婦でもあるので夕方以降の時間には来ることもない。

そして──イザベルも登貴子の部下としてこの店には馴染みがあったから──。

 

人もあまりいない時間帯。

白いテラスで雑誌を読んでいるロングヘアの女性が一人。

潮風にその髪を揺られながら、しっとりと座っていた。

マイクは……以前以上に落ちつき、眼鏡をかけてソソと雑誌を読みふける

知的な彼女を目にしてホッとする。

 

「ハァイ。あんまり綺麗だから、俺が知らない人かと近寄りがたかったかな?」

マイクはスッとイザベルの正面に、さり気なく座り込む。

俯いて雑誌を眺めていた彼女が、眼鏡の奥からチラリと瞳を上へ動かした。

「それで? 30分以上も私かどうか遠くでずっと確認をしていたわけ?」

「そうそう……。そこの窓、駐車場からね……」

マイクが頬杖でニコリと笑っても彼女は表情一つ変えなかった。

昔からそう──。

彼女のこういう『ドッシリ』とした落ち着きが気に入っていたのだ。

「遅刻は相変わらずね──。前に二時間とか三時間待たされた事に比べたら

今夜は上出来なのじゃないかしら?」

イザベルはツンとしながら、その冷めた表情でスッと眼鏡を取り払った。

銀縁の細いフレームの透明感がある眼鏡。

彼女が眼鏡と取り去る瞬間がマイクはとても好きだった。

眼鏡をかけているときも、とても魅力的なのに……

彼女が素顔になるともっと魅力的になるから──。

濃い栗毛に、淡いグレイッシュブルーの瞳。

長い髪は腰まであって、職場では一つに束ねているのに

今は髪はとかれ、彼女のバストの上をすんなりと通り抜け

ウエストのあたりの毛先の数センチだけくせがかって、小さく揺れていた。

それがそよそよと、テラスに吹き込む潮風にくすぐるように揺れている。

仕事後のこうした彼女はどこか『フランス人形』の様な愛らしさと、しとやかさがある。

基地ではキッチリ髪を束ねて、薄化粧で眼鏡。

科学科は、外の傘下企業との『共同作業』が多く軍内では、一番軍色が薄い。

ちょっと特殊な『セクション』で……登貴子もそうだが『私服部署』

きらびやかな肩章やバッチをつけている軍服人と比べると

長い白衣を羽織る姿は、どちらかというと地味にも見えた。

その彼女が、まるで武装でも解くかのように

白衣を脱ぎ去り、眼鏡を取り、束ねている髪を解く。

そして……マイクに会うときに必ずしてくれるのが『口紅』

まさに、その姿で彼女がこの席で、待っていてくれたのだ。

ウェイターがすぐさまやって来てマイクはコーヒーをオーダーする。

 

「変わらないな……。いや……以前以上かと本気で思った」

ツンとしたイザベルに構わず、マイクは頬杖をしたまま、彼女に穏やかに微笑んだ。

「お世辞はいらないわよ。私は何一つ自分を変えた気はないんだから──」

「そういう所は変わっていないな……」

マイクは素っ気ないイザベルのお返しに流石に苦笑い。

だけど──こういう彼女の『固さ』と『強さ』と……

そして……『媚びない姿勢』がとても気に入っていたのだ。

 

イザベルは、登貴子お気に入りの『頭脳明晰な女部下』であって

彼女はいつだって『実験室』や『研究室』に籠もりきりだった。

薬品で汚れた白衣に地味な色目のタイトスカートにブラウス。

それでもマイクは彼女に惹かれた。

彼女の隠し持っている『美』を覗きたくて、覗きたくて……

こういう『身持ちが堅い学問女性』と解っていたので、

マイクの方が彼女に対して猛アタックしたのだ。

登貴子の部下だからかなり気遣ったが……

登貴子の部下だからこそ、『間違いない女』とも思えた。

見事にその通りで、イザベルは余計な事は職場では絶対に口にしないし

マイクの仕事の事も、御園家と縁が近いために良く理解してくれた……。

 

今まで付き合ってきた女性の中で彼女程の女性はいないし

別れた後も現れない。

そして一番『大人の付き合い』が出来た女性だった。

彼女は地味だが、中身はとても魅力的で、そして……

何よりも『一番話せる賢い女性』であった。

 

別れた理由を語ると長くなるので簡略化するが──。

一言で言えば、お互いの仕事が忙しすぎたすれ違い生活からとなる。

マイクは突然、召集されることもあるし

イザベルは一つの仕事を受け持つと、基地に泊まり込んで何日でも帰ってこない。

それに彼女は『没頭』するとマイクのことなど、いとも簡単に忘れてしまうほど

科学に関してはかなりの『執着』があった。

勿論、マイクも任務や出張となると、イザベルは二の次になっていた事は否定しない。

 

別れて数年……。

その後も、彼女とは縁が切れた訳でもない。

それに今夜のように『なりゆき約束』で、恋人同士のように

『一夜』を過ごすことも時々あった。

数えるほどだったが──。

 

その『時々』が今夜、巡ってきたようだった。

その時の二人は本当に気兼ねのない『一夜の恋人同士』

そして『元恋人同士』

もう恋人じゃないからお互いのその時の現状は深くは詮索しない。

だけど『一夜でも一生懸命愛し合う』という形が数年続いていた。

毎日が『恋人』でなくなっただけだった。

ただ単に……『一夜の男女』だけが残っている状態だった。

 

「聞いたわよ。レイの誕生日パーティをするんだって──」

「ああ……ドクター=ママも嬉しくて、喋ってしまったのか」

マイクは科学班の方でも登貴子が浮かれている様を思い浮かべて

可笑しくて笑いだした。

「ええ……博士。とっても幸せそうな顔をしていたわ」

イザベルも嬉しそうだった。

 

実はイザベルは『登貴子の担当』というと変な表現だが……

登貴子の意志で告げた『御園家の事情』を知っている一人だった。

それも何故か……マイクと付き合い始めてイザベルは『知った』のだった。

そこでマイクは……

『ドクター=ママにばれている』と悟ったのだ。

実際、マイクは『御園家に関わりすぎ』で別れた恋人が幾人かいた。

『パパ将軍の世話と私、どっちが大事なのか』という理由で──。

当然、マイクは『パパの世話』を優先させてきた。

勿論、別れた恋人達に『御園家の事情』を明かした者など一人もいない。

きっと、亮介やレイに手を焼く『息子的、兄的』に立ち回るマイクに

理解をしてもらえる恋人になって欲しく登貴子がそうしたと思ったのだ。

だけど登貴子からは一切の詮索もなかった。

イザベルもされなかったようだった。

そして登貴子は二人が別れた事も悟っていた様だが何も言わなかった。

勿論──パパ亮介も知っている風であり、いつものように遠回しにからかわれる事があっても

誰にも気づかせない程度、マイクがやり返せる程度のごく一般的なからかいしかしなかった。

葉月とも当然、イザベルは顔見知りだった。

葉月は……気が付いているかどうか?

『ママのお仕事場のお姉さん』ぐらいにしか接しているのを見たことしかないし

マイクとイザベルが並ぶ事は当然、御園家一族に見せたこともないから──。

 

「このまえ、レイを見かけたわ。髪が短くなっていて……」

「ああ……任務でね」

「ええ、博士に聞いたわ……。相変わらずね、ママを心配させてばかりで」

「ああ……。でも、彼女なりにすごかったよ。フォスター隊を救ったんだ」

その続きを話そうとして、マイクはフッと言葉を止めた。

せっかく彼女に会えたのに、いつもの血なまぐさい話になりそうで……。

すると、イザベルがスッとマイクを見上げ……何か悟ったように話題を切り替える。

「……レイ、とってもチャーミングな女の子になっていたじゃない?

遠目だったけど、表情が豊かになっていた気がしたわ。

博士がレイの彼氏の自慢話ばっかりするのよ?」

イザベルがフッと柔和な微笑みを浮かべて、楽しそうに呟いた。

「だろうね……。俺もそう思うよ。なかなかの男なんだ」

「まぁ。『兄様』のマイクが認めるって余程ね? 会ってみたいわその男性?

歳は幾つ? あなたより若いのに中佐なんですってね?」

「……なんだよ? 興味を持ってもレイの男だぞ。それに君より年下だ」

マイクは微笑みながらも、片眉をちょっとだけつり上げた。

「ふふ……」

彼女がなにもかも解りきっているように微笑みをこぼす。

マイクはそんな奥深い彼女の考えていることに時々見透かされている事が適わなくて

ため息をこぼした。

「そんな顔するなら、ちゃんと満足させてね? 中佐……」

イザベルの眼差しが煌めいた。

 

暫く、その眼差しを真剣に受け止めるように見つめていると、やっとコーヒーが来た。

「勿論さ……がっかりさせないよ」

マイクは真顔で返して、急いでコーヒーを飲み干した。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 海辺のマンション──。

 窓辺にある白いベッド。

 夜風に揺れるカーテン。

 

ここはマイクの部屋で、今は灯りが灯っていない。

 

「あ……はん……あ、マ、マイク……シャワーぐらい浴びさせて……」

部屋に入るなり、イザベルをベッドに押し倒した。

華奢な彼女は、鍛えられているマイクの腕にはいつだって逆らえない。

彼女の衣服を解きながら、マイクは彼女の足を大きく広げてそこに頭を埋めた。

彼女のくせががった毛先が、マイクの頬をくすぐっては離れて行く……。

それだけ彼女がもがいているのが解った。

「う、ううん……マイク!」

彼女の綺麗な指がマイクの黒髪を掻きむしる。

「わ、私……薬品だらけなんだから……」

「いいよ……それがイザベルの『香り』だから……」

「……ウウン……」

そう言うとイザベルは大人しくなった。

 

マイクは彼女の暖かい茂みの中を何かを探すように執拗に吸い付いていた。

「あ! マ、マイク……ど、どうしたの!?」

イザベルの腰が逃げようとしているのを、がっしりとマイクの逞しい腕が固定する。

ベッドの背に腰をかけて、足を押し広げられ座らされているイザベルが

長い髪を振り乱してせつない吐息を途切れ途切れに洩らし続ける。

「どうしたのとは心外だな……。俺がどれだけ君を欲しいか知っているくせに」

「い、今だけのくせに──!」

こんなにマイクに従えられているのに、彼女の口は相変わらずで

マイクはニヤリと……イザベルの腿の間でほくそ笑んだ。

「マイク……? 何かあったの……?」

「……」

「ああ……だって、あなたこんな事……」

独り言のように呟くイザベルを黙らせたく、マイクはさらに彼女を攻め立てた。

「あ! あ……ん……!」

それもそうだ──。

マイクはまずは優しく女をほぐして、じっくりその気にさせて、最後に強く攻めるのが『手』なのだ。

それなのに、彼女を部屋に引き込んだ途端にこれでは

慣れているイザベルも驚いたのだろうと──。

 

「イザベル……」

ちょっとの間に昇り詰めてぼんやりしているイザベルをマイクは見下ろす。

「……なに?」

もうマイクのされるがままに、とろけた眼差しの彼女をマイクは組み伏す。

「もう……もう……お願い。マイク……ねぇ? もっと優しくしてよ」

彼女が降参したときに、よく呟く言葉だった。

「ねぇ……マイク……」

白いシーツの上で長い髪を振り乱して……あの涼しげな顔、頬に赤味が差し

彼女があのフランス人形のように愛らしく眼差しを潤ませて懇願する。

だけど……知っていた。

『優しくして』という程、マイクはいつだって力を注いだ。

そうするとイザベルは本当に魅惑的に乱れる。

絶対に、職場では乱さないキッチリとした固さ。

決して、人前ではあからさまにみせつけずマイクの女という事を

胸に秘めて大切にしてくれる。

その『奥ゆかしさ』

そして……マイクすら唸らせる『余裕』

機転の効いた言葉の会話。

落ちついた気品。

マイクの目の前だけで、あの地味な彼女が咲き乱れる。

今、マイクに懇願する。

彼女がマイクにだけ懇願する──。

 

『こういうのを! 大人と! いうんだよ!!』

マイクは心でそんな事を唱えながら、イザベルにまとわりつくように、じっとりと攻め立てた。

 

「……こんなあなた……初めて?」

イザベルがそんな事を呟いて……眼差しをフッと遠くに力尽きた。

 

『そんなに俺……今夜は違う?』

 

マイクはふと……馴染みの恋人に言われ頭に過ぎらせた。

 

だけど──今、目の前に広がっているのは、

イザベルとマイクだけの熱い薔薇色の世界。

すぐにその思いはかき消えて、イザベルにマイクは真っ直ぐに向かって行くだけ。

 

何が違うか解らない?

本当に……何かを振り払うようにイザベルを抱いていたのかもと……。

後になって気が付いた。

 

いったい、自分がどうなったのかと……マイクはすこし不安を覚えた。

その後、イザベルによって気が付くともマイクはまだ知らず──。

 

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