3.奪略気分?

 

 深夜……2時。

 あれからどれだけの時間が経ったのだろう?

マイクは最初からかなり飛ばしていたが、途中二人で軽い食事をした後……。

またお互いにベッドに転がり込んだ。

その後のイザベルときたら……今度はマイクが驚いた程、激しかった。

 

やはり……『久し振り』となると女もかなり貪欲になるのだろうか?

と、さえ……思えてちょっと腑に落ちなかったが

彼女がそんなだから、結局マイクも全力疾走をしてしまった──。

 

「はぁ……あなた、とってもすごかったわね」

窓際の揺れるカーテンを寝転がって見上げていたマイクの身体の上に

イザベルが悩ましい仕草で髪をかき上げて、そっと重なってきた。

「君もね……。とても良かった……」

マイクのあごの先で、いたずらげに微笑んだ彼女の唇に

そっと首だけ上げて、自分の唇を重ねた。

彼女の長い髪を指に通して、狂おしい手つきで撫でる。

 

「喉が渇いちゃった……」

ゆっくりと濃密なマイクとのキスに満足したのか、

イザベルはニコリと微笑んで身体を起こす。

彼女は『シャツを貸してね』と言い、マイクが『いいよ』と言う前に

もう勝手にカッターシャツを羽織っていた。

マイクの広い肩幅を包んでいるカッターシャツ。

そのシャツを華奢な彼女が羽織ると、肩は落ちそうで……

そして……裾は彼女のヒップも隠して膝の上までの丈になる。

その自分が着ているシャツに、彼女がすっぽり包まれている姿が

マイクは昔から気に入っていた。

 

慣れた風にして彼女はキッチンへと向かった。

コップを手にする音。

水の音。

彼女がフローリングを歩いて向かってくる音。

その音をマイクはカーテンが揺れるのを眺めながらぼんやりと耳にしていた。

 

「ふーん? これをレイにあげるのね?」

ダイニングテーブルの上に置いた、水色のペーパーバッグ。

その中をイザベルが覗き込む。

「ああ、明日のパーティでね」

マイクは寝転がったままシーツを胸に引き寄せて呟く。

「二つあるじゃない? 奮発したわね」

「……一つは『余興』で」

「余興?」

「ああ、ちょっとした『悪戯』さ」

イザベルは首を傾げていたが、それ以上は追求せずにベッドに戻ってきた。

 

「はい……あなたの分」

透明なコップを彼女がニコリと差し出してくれた。

「相変わらず……気が利くね」

「ふふ……主席側近のあなたには適わないけど?」

誉めても彼女は絶対に素直に受け止めてくれない。

だけど、彼女が浮かべている柔和な笑顔で充分解る。

彼女は解ってくれている、受け止めてくれたと。

マイクは身体を起こして、彼女に応える笑顔でコップを受け取って飲み干した。

 

「マイク? あなた疲れているんじゃないの?」

イザベルが急に神妙に尋ねてきた。

「俺? 疲れなんていつもの事だし……。

ああ……レイが色々と持ち込んできてね……。

うん、そりゃ、面白いことばかりだったけど、いつものハリケーンオチビちゃんで……

疲れていると言えば、そうなるけど、それは疲れに入らないかな?」

「優しい兄様ね……いつも」

イザベルだけがそうして、レイに手を焼くマイクを優しく受け止めて……

そして笑い流してくれる。

勿論──イザベル自身も葉月の事はとても気に入ってくれているのだから。

「あの子も、もういい大人ね」

彼女はベッドの縁で足を組んで天井を見上げながら、感慨深げだった。

「……そうだな。まぁ、まだちょっとオチビちゃんだけど……。

彼氏がしっかり者だから、十二分に受け止めているみたいだよ」

「これで、兄様も安心?」

イザベルがからかうように振り向いた。

「ハハ! とかいっても日頃はアメリカと日本だし……そう密着している訳じゃないけど……

うん……安心したね。特にパパがとても喜んでいるから」

「ふふ……勿論、博士もね? 見ていて私もちょっとホッとしちゃったぁ」

彼女も心より喜んでいるのが解った。

パパの部下がマイク。

ママの部下がイザベル。

そういうバランスも良かった事の一つだった。

マイクが見初めてしまった為の偶然だったけれど──。

 

「ねぇ? マイク──」

マイクの肩に彼女が頬を寄せて、寄りかかってきた。

こうしてやっと彼女は素っ気ない硬い態度から甘えてくれる。

彼女は仕事以外の事には興味が薄くて、男性への関心も稀薄。

マイクが猛アタックをしていた時でさえ、ぼんやりと交わされてずれていたぐらいだ。

そんな彼女がマイクを頼ったり、甘えたり……

そして、マイクだけを瞳に映してくれるこの最高の瞬間。

そんな彼女になっているから、マイクもそっと抱き寄せる。

「なに?」

「……あなた。今日、どうしちゃったの? とても激しかったから」

「それは君もだろう?」

どうしてもそこに話がくるかと、マイクも自分自身で不思議に思っていたから

避けようとはぐらかした。

「……」

イザベルが少し黙り込む。

「……レイの中佐にヤキモチとか妬いていない?」

「!!」

思わぬ事を言われて、マイクは驚きイザベルを覗き込んだ。

「まさか! 俺はあの彼の事はとても信用しているし、彼は良い男だよ。

それにレイと彼がどれだけ通じ合っているかも知っているし──

なんといってもパパがあんなに気に入っているんだよ?

あの二人が上手く行くように──」

「ああ、解ったわ。もう……」

力説するマイクにイザベルはまたいつもの素っ気なさで

面倒くさそうにマイクの胸から離れていった。

「解ったって?」

「その話しぶりで……レイの中佐にはジェラシーがないって事。

解ったから……それ以上の説明はもういらないわ」

「……」

マイクは黙り込む。

彼女は頭が良くてとても合理的。

スパッと感じたら余計な事はもういらないと言う事らしい。

そういうスパッとした『潔さ』にマイクは時々、こんな風に振り回される事があった。

 

「思ったのよね? あなたって……『御園家が第一』じゃない?

御園家を守ることに全てをかけているもの」

「それが? 俺自身が好きでそうしている事は君は良く知っているはずだけど?」

「……なんだか不安そうな顔してるわ。あなた……」

「!!」

またもや彼女に何かを気取られていて……

さらに自分も感じていることだったのでマイクはドキッとする。

「不安って……」

「だから……レイを守ることに関して、あの中佐に『役』を『ポジション』を

奪われてしまうことを不安に思っているの?って……聞いたのよ?」

「──!?」

マイクの中で、何かが『ピキン』と弾けた。

「……そうか」

「……図星?」

イザベルがちょっとからかうようにニヤリと微笑んで……

再びマイクの胸に寄り添ってきた。

「……意地悪だな。君は……そういう事、教えてくれるなんて」

黒髪をかき上げて、力無く微笑んだマイクを……

イザベルは今度は心配そうに覗き込んだ。

「……ごめんなさい。でも……いつもは落ちついている優しいあなたが……

最初からあんな風だったから……。何か苛立っていたみたいで。

決して……そんな事は私の前でだって上手く押さえ込んで

あなたはいつも私には優しく触ってくれたから──」

マイクは『さすが、イザベル』と……良く知り抜いている恋人をそう思った。

でも……マイクが何か閃いてしまっても、イザベルは腑に落ちないような顔。

「でも……マイク? 変だわ?

あなた、その中佐に好感を寄せていて、レイに協力的なのに……

『奪われる』なんて不安はおかしいわよ?

彼と協力することだって出来るのに……。ううん? 共同にすべき事じゃないの?」

「いや……イザベル。彼に対して感じているんじゃないって……」

「え?」

「もっと違う人間に『奪われる』と思っていたんだって、今、気が付いた」

 

そう──『マリア』だった。

マイクが長年、なかなか前に進まない御園家の『わだかまり』を見守ってきたのに

あの彼女は、ドレスを着なかったレイにドレスを着るまでに至らせ……

そして、勝手に『サツキ』になりきったように『レイの姉』になろうとしている。

『それだ……!』 と、マイクはやっと解った。

そういう『奪略された気分』に……マリアにさせられていたのだと……。

「そんな人、いるの??」

イザベルはとても意外そうに驚いていた。

「ああ……ちょっとね。関わりが深くなりそうな奴がいてね……。

ちょっと御園家と縁が深くなりそうだからって……得意そうで生意気なんだ。

なにも解っていなくて……やる事なす事子供じみていて派手なんだ」

「……そう」

イザベルは、眉をひそめていたが……マイクの力が抜けた様子を気遣ってか?

それ以上は追求してこなかった。

でも……彼女がこう言い出した。

 

「ふふ……あなたをそこまで追い込むなんて、すごいわね? その人」

「やめてくれよ!? 追い込まれただなんて──!」

マイクがムキになると、イザベルはケラケラと大笑い。

「ほぉら? そんなにムキになるなんて余程じゃない?」

『シット!』

マイクはやっぱり適わなくて小さく舌打ちをした。

「でも、マイク? 考えようによってはすごい味方かもね?」

イザベルは途端に穏やかに微笑み……

とても慈悲深い眼差しでマイクを見つめる。

「味方? いい加減にしてくれよ?」

マイクはすっかりふてくされて、イザベルから離れた。

それでもイザベルの微笑みはマイクを包み込むように優美……。

「だってそうでしょう? あなたにそんな気持ちを持たせるほど……。

レイや御園の方々も、その人を信頼しているのでしょう?

あなたと……『同志』じゃない?」

「……もう、いいよ、イザベル──。『原因』が解ったら、『こっちのモン』だから」

「マイク──」

それでもマイクが『対立』の意志を持っているのを

イザベルが……まるで姉のように諫める眼差し。

「悪かったよ。そんなウサを晴らすみたいに、君に触れたことは謝るよ」

「そんな事、気にしていないわよ? 結構、気持ちよかったし……?」

毎度の如く、彼女がサラッと何食わぬ顔で流したが

やっぱり少しはマイクを責めているようにも感じた。

「でもね? マイク──」

イザベルがマイクの首に、猫が喉を鳴らすような甘い声で抱きついてきた。

「それが私にとって『嬉しい』って気が付いていた?」

彼女が首に両手を巻き付け……マイクの唇をくすぐるように囁く。

「そんな『ジャッジ中佐』は……私しか知らないって事……を……」

徐々にイザベルがマイクの唇を甘噛みしながら……そっと滑り込んでくる。

「そうだよ。君だけだ」

彼女の頬にかかる髪をかき上げながら、マイクは頭を傾け

彼女の唇の奥まで吸い付いた。

「だったら……許してあげる」

「うーん……君は本当に意地悪だな……」

どうやら『寝た子』がまた目を覚ましたようだ。

「愛しているわ……本当……ずっと……愛しているの……」

イザベルがスッと麗しく眼差しを閉じて、甘露な口づけに徐々に引き込まれていく様子。

それをうっすらとした眼差しでマイクは眺めていたが……

また身体が燃えてきた。

「……俺も……同じだよ。君だけ……君だけなんだ……イザベル」

(だったら……何故? 俺達は別れたんだろう?)

マイクはそっと頭にかすめたが……目の前にある官能の誘いには勝てそうにないほど

どうでも良いような気がして彼女の身体にまとわりついた。

「そして……タフなあなたがとても好き」

「いいよ……どれだけタフか教えてやろう?」

膝に彼女を乗せたまま一緒になった。

「……もっと……さっきみたいにうんと激しく愛して?」

「……?」

マイクの膝の上で、背を沿って喘ぐ彼女を目の前にして……

マイクはちょっと違和感を感じた。

 

(俺がタフって……今日は君も随分タフだな?)

と……奥ゆかしい彼女が乱れるのが好きなマイクだが?

どうも今夜のイザベルはとても朝まで寝させてくれそうにないほど、意欲的だ。

 

こんな君だって……初めてだよ?

 

マイクはそう思いながらも……彼女には勝てそうになかった。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

 「ねぇ! マイク──!!」

やっと寝付いたと思ったら……また彼女の声?

身体を揺り起こされて、マイクは反射的に起きあがっていた。

これも軍人の哀しい性?

緊急時に備えて、何が何でも身体だけは起きあがる。

「な、なんだ……イザベルか」

あぐらをかいて起きたマイクの手元……シーツの上には溢れるばかりの太陽の光。

朝のようだ。

マイクは黒髪をクシャクシャとかいて、まだ潰れそうな目を何とか開こうとした。

 

「マイク! 私が置いている服がいくつかあるでしょう?

どこにしまっているのよ──?」

「……クローゼットじゃないかなぁー」

「ないから起こしたんじゃないの!」

イザベルはかなり急いでいるようだった。

やっと目を開けると、目の前にはマイクのバスローブを無理に着込んでいるイザベルだった。

濡れた髪をゴムで結い上げていて、バスローブが今にも床につきそうな

無理なサイズで着込んでいる姿でむくれていた。

「ああ……だったら、俺のシャツケースじゃないかなー」

「わかったわ」

彼女はいつものスッとした堅い女性に戻っていた。

マイクもおもむろに起きあがった。

そしてイザベルがバタバタ支度しているのを目の端に止めてシャワーへと向かう。

マイクがシャワーを終えて出てくると、イザベルはダイニングテーブルで化粧中。

 

「朝、起きるの辛くなかった?」

マイクもクローゼットに向かい、真っ黒いビキニパンツを穿いて

新しいカッターシャツを探す。

「ええ……今から忙しいから。昨日……早く帰ってしまったし。

それに……外企業とのミーティングが朝一にあるの」

「そうか……相変わらずだな」

カッターシャツを羽織ったら、ベッドの周りに散らかっているスラックスを手にする。

「今日のパーティー、楽しんでね」

ファンデーションを塗り終えた彼女がやっとニッコリと振り返る。

「勿論──。レイの為にね」

「そうね」

彼女のお姉さん的笑顔が、葉月を一緒に祝福してくれているのが良く解った。

ダイニングテーブルでいつもの簡単な化粧を済ませたようで、

イザベルはその化粧ポーチから銀色のアトマイザーのスプレーを取りだした。

それが『香水』と解って、マイクはベルトを締めながら側に近づく。

手にしていた上着を羽織って、金ボタンを留めながら見下ろした。

それを……イザベルは首筋一カ所だけに、たった一吹き振りまいただけ。

彼女は自分が匂う程度の付け方を好んでいた。

それでも、その一吹きだけの鮮烈な香りが、側で眺めていたマイクの鼻に届く。

 

「まだ……使っていてくれたんだ」

「え? そうよ? あなたからのプレゼントだもの」

イザベルがニコリと微笑んだ。

「……こんなもの興味もない私だから……他に選びようもないし」

「その香りは君だけに合っていると思うよ」

そう……『グッチのエンヴィ』だった。

シャープなグリーンノート。

知的でとてもシャープで、涼やかな彼女にピッタリだとマイクは信じて贈ったのだ。

「それに……私、六月生まれだし……。

この香水に使われているお花が……六月に一週間しか咲かないってマイクが教えてくれて」

「君のために……咲いた花だと思っているし」

本心だった。

でも──

「そうして、私を落とした訳よね? 他になんにも興味もない私を

『目覚めさせた』のはあなたなんだから」

またいつもの『素直じゃないお返し』がニヤリと返ってきて、マイクはあきれかえった。

「そうだよ? 必死だったんだ。君に合う香水をうんと探したんだ」

座っている彼女を後ろから抱きすくめて、そっと上から頬へキスをした。

そうして……彼女を腕にがっしりと抱いた途端……。

「じゃぁ……」

彼女が荷物を急ぐようにまとめて、バッグを手にした。

「待ってくれよ」

その細腕をマイクは掴む。

「……」

何故かイザベルが振り向いてくれなかった。

「イザベル?」

昨夜、最後に感じた違和感と似た感触。

でも……やっと笑顔でイザベルが振り向く。

 

「とても素敵だったわ……。幸せだった」

「……イザベル?」

彼女が泣きそうな眼差しをしているような気がする。

「マイク──。私だけの中佐……愛しているわ」

彼女はなんだか感極まったようにマイクに抱きついてきた。

「……俺も君だけだよ……他に誰もいないよ?」

(だったら……なぜ? こんな関係を?)

マイクはまた頭にかすめたが、彼女に応える為に……きつく抱き返した。

細い身体が、マイクが力を込めると折れそうなほど……。

「またね……私の中佐」

グレイッシュブルーの瞳が朝日に煌めいて……まるで珊瑚礁の海のよう……。

マイクの青い瞳はもっと深い色で、彼女は『深海』とか『夜空』と言ってくれていた。

「……ああ、また……」

今度はいつかは解らない。

彼女は本当に仕事が大好きで……その彼女もマイクは愛していた。

あの白衣……薬品で汚れた白衣姿が一番好きだ。

あれがなくちゃ彼女じゃない。

仕事終わりの消毒液の香りも好きだった。

彼女じゃないと嗅げない匂い。

そして──マイクの『ヴァインフラワー』

その一番の鮮烈な香りがする彼女に『またね』の口づけをした。

なのに……彼女の唇が震えている気がして……マイクはそっと離れた。

彼女のあの淡い瞳を覗き込もうとすると……

「じゃぁね? 遅刻したらダメよ? バーイ」

何故か……逃げるように彼女は玄関へと駆けていってしまった。

 

(もう……仕事になると、ああいう風につれないんだよな)

人のことは言えないが……

なんだか可愛い小鳥が逃げていった気分に……マイクはさせられていた。

 

×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×

 

「おはよう! マイク!」

朝……いつもの業務にて秘書室を取り締まり、

マイクは自分の席で、いつもの作業をパソコンでしていた。

そこへ……『重役出勤並』に遅い午前出勤をする葉月が秘書室に現れた。

「ああ……おはよう、レイ。いよいよだね……」

ノートパソコンから顔をあげて微笑んだのだが……。

葉月が首を傾げていた。

マイクを違う人でも見るかのようにジッと……。

「……なんだい?」

「え!? ううん? ええっと……皆はどうしちゃったのかしら?」

秘書室はその時、閑散としていてマイクだけだったのだ。

「会議とか他部署とのミーティングなど、色々……手分けして……」

「そうなの? なんだかケーキの用意を秘書室でしてくれるって……

マリアさんから聞いたから……お礼を言いたかったんだけど?」

マリアの名が出てきて、マイクは『ピク』と固まったが……

鋭い『おませなお嬢さん』に悟られたくなく、スッとすぐにマウスを動かす。

「ああ、聞いたよ。レイが気兼ねしないプレゼントにしようと考えていたら……

マリア嬢がケーキを提案して来たと……ロビンから聞いたよ」

マイクは素っ気なく答えた。

物になると何をあげたら良いのかと秘書室一同かなりもめたようだった。

なにせ……貴族の血を受け継ぐ『お嬢様』

秘書官達は、亮介の『趣味の高さ』も良く知っているからかなり戸惑ったとか?

それで……結局、あんなに嫌がっていたロビンがマリアに伺った所……

そういう返事が返ってきて……それの意見を頂いたとの報告だった。

今、留守にしている秘書官の中には、朝一番に菓子店へ注文へ行った者もいる。

「良かったわ。ベッキーがホッとしていたもの。

こんな人数のパーティは久し振りでケーキはどうしようって……」

「そうなんだ。お役に立てたなら秘書官も喜ぶよ。

なんでも……レイ好みにあっさりとした繊細な飾り付けを注文したらしいよ?」

「そうなの」

葉月がニッコリと嬉しそうに微笑んだ。

 

こんな彼女が見られるなんて……と、マイクも幸せな気分になってくる。

いかに……あの澤村隼人が彼女をリードしているかだった。

そして……マイクはまたもや嫌な『女』の事を同時に思い出す。

(いや、彼が一番の立て役者なんだ)

そう言い聞かせようとした。

他の者は関係ない、隼人だけが葉月をここまでリードしたのだと。

 

「あのね? マイク……」

葉月の声に、マイクはフッと我に返る。

「な、なんだい? レイ?」

「あのね? 隼人さん……軍礼服を持ってきていないの。

それで……昨夜、達也のストックを合わせたんだけど、なんとなくダメなの。

やっぱりちょっとだけ隼人さんが身長が低くて……スラックスが合わなくて……。

それに、上着の袖丈もちょっとが達也の方が長くて……。

マイクだったら……身長も体系も似ているから……」

「あ、ああ……いいよ? 夕方で良ければ持っていくよ」

「たぶん、丈は1、2センチなら……なんとかなると思うのよね?

ウエストだって、マイクは肩幅あるけど細いから……」

「なんとかなると思うよ。いいよ、応急処置も慣れているから協力しよう。

なんだ……海野君はそれぐらいの応急処置も知らなかったのかな?」

「そこがまだ……二十代の若秘書官だったワケよね?

マイクは……さすがね」

レイの『さすが』は、マイクにとっても何故か最高の誉め言葉。

マイクがいつまでたっても追い越せないまま、死なれてしまったあの皐月の妹だから──。

彼女に言われているようで……。

「よかった、ホッとしたわ。達也はベッキーにスラックスだけでも

直してもらえって言うんだけど……。

裾を切っちゃうのは勿体ないって、隼人さんが言い張って。

男二人でうるさかったのよ」

「へぇ……良いコンビになりそうだな」

 

マイクも亮介から……『ロイの思惑通りになった』との話は報告されていた。

ロイのフォスター引き抜きは……

『フォスターがいなくなれば、海野が隊長……それが嫌なら海野をよこせ』

という事だったようだ。

だが……自分が手放した隊員を再びよこせはフロリダ側に通じないと見て

葉月が『動きたくなる』手を使ったようだ。

フォスターは一番の特攻隊長。

達也は射撃の名手。

どちらが隊長になっても同じ中佐。

いらない方をくれないか……というロイのアプローチ。

フロリダ側は若い達也の将来を期待して、

これから下り坂になるだろうフォスターの転属を渋々承知。

どちらも手放したくないが、同じ隊に実力ある中佐が二人もいるのは

宝の持ち腐れだから、宙ぶらりんになっているなら、どちらかよこせという

攻防戦をロイが繰り広げていたのは知っている。

どっちも譲れなかったのだが……。

ロイのしつこくて徹底した攻撃にフロリダが折れた答がそれだった。

 

だが、これでフロリダ側で『特攻隊長の損失』はしなくて済んだ。

ロイも……突き放した隊員を、大佐による引き抜きで

自分が手を下さずに引き抜くことに成功したという事だ。

この連隊長の裏側の思惑は、ロイは誰にもはおおっぴらには告げていないが

葉月はしっかりと秘密裏に嗅ぎ取って、ロイの思うとおりに成功させたと──。

ロイの事、葉月が失敗しても『最高の隊長を側近に』と思っての予備案だったに違いない。

 

「パパにも達也の転属決意は知らせてあるけど……。

まだ、正式に認められるまで安心できないわね」

「もう、大丈夫だろう? 今頃、ロイが小笠原で受け入れ態勢を整えているよ。

きっと……手放した事も後悔してるだろうし、今度こそってね……」

「うん。達也も……そこ……何故か突っ込んでこないのが不思議で……」

何故? ロイがかばっていた達也をいきなり手放したか。

その訳を葉月も感づいていて、マイクはハッキリと知っていた。

二人は一瞬、無言で見つめ合う。

 

そこに達也から深く入った追求をされたとき。

葉月は『本当に助けてくれたのは義兄』という告白をしなくてはならない。

だから……不安がっているのがマイクにも伝わってきた。

 

「ああ、そうそう」

ちょっと陰ったムードを戻そうと、葉月の方から明るく切り替えてきた。

「今朝もフォスター隊長と一緒にトレーニングをしたけど……

リリィがとっても楽しみにしていて、昨日はママとお洋服を買いに行ったんですって。

ケーキがあると言ったら、また大喜びで」

葉月と話しているとマイクも徐々に心が和んできて、自然と笑顔がほころぶ。

「そうなんだ。その子に会えるのも楽しみだな」

「金髪の可愛い女の子よ!」

「あの時のレイには適わないと思うけどね?」

マイクの『愛らしい少女』は葉月だけだった。

「なーによ? 本当にいつまでも子供扱いね」

「当たり前じゃないか? 俺に手を出して欲しい?」

マイクがニヤリと微笑むと──

「……」

いつもはお子ちゃま扱いにムキになる葉月が……

隣の席に座り込んでしらけた眼差しを向けてきたのだ。

「なに?」

マイクはニッコリと……でも、首を傾げる。

「そんな寝不足の顔をして、そんな事言うと『昨夜の彼女』に怒られちゃうから」

「!!」

マイクはドッキリ!

一瞬、胸を押さえそうになったが、堪えて再び笑顔で取り繕う。

「レイちゃん? そういう大人びた事を言うのは似合わないよ?」

だが、ませたお嬢ちゃんの仕返しは容赦がなかった。

「……それ、ワザとなの?」

マイクは葉月の解りきったような眼差しに内心ドキドキだった。

「ワザとって?」

「職場でプライベートは匂わせない事を『ポリシー』にしているマイクが……

ふわりと……女性の香水を匂わせて……。

そうして……ちらりと『俺に女がいます』と匂わせて

基地中の女性を騒がせるのが『手』ってワケ?」

「え!?」

マイクはまたもやドッキリして、今度こそは制服の胸に手を当てた。

今朝……イザベルを抱きしめたときに彼女の首筋が当たった位置だった。

『ほーらね』と……葉月の冷めた眼差し。

 

「私、耳も良いけど、鼻も利くわよ……?

まー、その程度の香りなら敏感な人じゃないと気が付かないかもしれないけど?」

「……」

言葉が返せない……。

「忠告しておいてあげる♪」

葉月が勝ち誇った笑顔でニヤリと微笑んだ。

「ま、参りました……。大佐嬢」

マイクはちょっとむくれて顔を背けた。

 

「……それ、グッチでしょう? エンヴィ……」

「……」

またもやズバリと当てられて、マイクはドッキリしたが

今度こそはなんとか耐えようと……もうレイの相手はしないよと言う姿勢になり

ただ、ノートパソコンを見つめて仕事を始める。

 

「マリアさんがそれ……使っているのよねー」

「ーー!」

その女と一緒と思われるのは流石にマイクは耐えられなかった。

マイクは上着の金ボタンを、急いで外した。

「な……どうしたの?」

ムキになって上着を脱ぎ始めるマイクを葉月が驚いて眺めている。

マイクは脱いだ上着を手にして席を立つ。

「これで、どうだ!」

「きゃぁ! なんなのよ! やめてよ!!」

マイクは座っている葉月のうなじに『これでもか!』というくらい、上着をこすりつけた。

葉月が暫くジタバタしていたが、マイクはサッとのいて上着の匂いを嗅いだ。

「大佐嬢のカボティーヌなら誰も文句は言わないだろうね?」

ニッコリと微笑みながら、上着を羽織った。

葉月はくちゃくちゃにされて、むくれながら乱れた栗毛を直している。

 

「ったく……なんなのよ!?」

「……」

マイクも……ハッと我に返った。

レイと二人だけとはいえ……こんな自分は自分じゃないと……。

 

「誰もマリアさんと一緒だったなんて言っていないじゃない?

昨夜も私達、一緒に準備をしていたんだから──!

それにその香りを使っている人は多いんだから……

匂わすぐらいの程度なんて、女の子が色めくだけで疑わないわよ!」

葉月がらしくないマイクに納得いかないのか怒り出した。

「それでもエンヴィはダメなんだ」

(今日はな!)

と……マイクは心で強く叫んだ。

この香りは……彼女だけのものなのだ……と。

 

「……ふーん、そんなに隠しておきたい人なのね?」

葉月がデスクに頬杖、また目を細めて生意気な顔。

「大人の事情を勘ぐりすぎ」

マイクは席に座ってスパッと葉月のしつこい追求を諦めさせようとしたのだが……。

 

「……今日は……イザベルもママが誘ったみたい?」

「!?」

葉月が、頬杖をしている手のひらの上……

顎を乗せてあさっての方向へ視線を上げて呟いた。

マイクはドキリとしたが……今度こそ、堪えに堪える。

 

「知っている? マイクは……イザベルの事?」

またもや、葉月がニヤリと微笑んできた。

「ああ、勿論。ママの助手の……『テイラー博士』だろ?」

引きつり笑いでなんとか答える。

「……珍しいわよね? 彼女なら誘っても断りそうなものを?」

葉月が不思議そうに言った。

葉月は『マイクがいたらイザベルは滅多に来ない』と言いたいのが解った。

マイクも同感だった。

二人がパーティーで一緒になることは時々あったが

前もって二人で口裏を合わせて、決して外には『恋人』を匂わせず

だからといって……絶対に会話を交わさないワケでなく

本当にさりげなく『ただの顔見知り』を通してきた。

(何故だ? どうして昨夜、教えてくれなかったんだ?)

マイクは一瞬……茫然となった。

今朝から彼女がおかしい……?

いや? 昨日、偶然のように声を彼女がかけてきたが

あそこから……おかしかったのだろうか?

「でも、イザベルって着飾ったら綺麗でしょうね? 楽しみ♪」

葉月はなにも感じなかったように急に無邪気に──。

マイクもなんとか合わせようと微笑むと……。

 

「確か──彼女もエンヴィだったわね?」

ニヤリと葉月が再び──。

『このオマセさんにもばれている』と……マイクは悟った。

 

「そろそろ……彼が待ちくたびれているんじゃないかなー」

眉間にシワをよせて……マイクは葉月を追い出そうとした。

「……そうね。お邪魔し・ま・し・た!」

葉月は冷たい兄様のお払いにプイッとそっぽを向けて、立ち上がる。

 

「えっと、ごめんね? 誰にも言わないから……」

「……」

最後に可愛らしく付け加えた葉月にすら……マイクはなにも反応できなかった。

 

もう完全にばれているではないかと……。

 

今まで、ママもパパも解っていても『マイク解っているよ』なんて

決定的な事にならないよう……注意してきたのに。

それもこんな10歳も年下の『お嬢ちゃん』に……なにもかも暴かれては

マイクだってなんにも反応できない。

 

葉月がぱたりと、申し訳なさそうに出ていった。

 

「ま、レイのことだから……随分前から知っていたんだろうな?」

それをひた隠しにしてくれた事は感謝していた。

「しかし……」

と、マイクは唸った。

あの女とマイクの最高の女がレイのパーティで鉢合うことになってしまった。

 

なんだか……嫌な予感がする──。

 

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