17.胸騒ぎ

 

 フロリダ本部基地での、第一日目……。

隼人は、登貴子とフォスター隊とランチを取った後は、

受け入れてもらった空部隊で、デスクの整理。

整理が片づいてからは、目を付けているメンテナンスメンバー達が

訓練に出る時間割をチェック。

その時に空母艦なり滑走路なり『見学』と称して出向くことになっている。

(一度の訓練見学で見定められるだろうか?)

隼人は、持参したノートパソコンを早速接続して、作ってきたスケジュール表とにらめっこ。

「おっと……その前に」

隼人は、何かに夢中になる前に……と、メールボックスを開けた。

「あいつ、気が付いてくれるかな?」

隼人は腕時計を眺めた……。

フロリダに着いてから時間差を直した時計から逆算。

(夜中か……)

小笠原の今現在の時間を確かめて隼人はため息……。

「仕事場の端末、立ち上げてもチェックするかな? アイツ……」

隼人の父・和之が先日の『端末総入れ替え』の時。

葉月の大佐席にも邪魔にならない小型の液晶モニターのパソコンを取り付けていたが、

葉月は朝出勤して、電源は入れて立ち上げる物の活用している様子があまり見られない。

そして、家に帰っても真一が来たときに触るぐらいで

葉月は日常にもパソコンはあまり使わない。

従兄・右京との連絡に使っているぐらいらしい。

隼人はどっちに送信しようか悩んだ挙げ句──。

『大佐室』を選んだ。

(ま。気が付かなくてもいいか……夜、御園家から大佐室に電話しよう)

とりあえず……

『無事に到着、お母さんや達也に会った』旨、書き込んで……

最後に──

『一人でも良い夢を見れましたか? ちゃんと眠れましたか?』

と……一説、添えたのだが……。

(やめた……)

なんだか子供を置いてきた父親が書く文面のようで

急に隼人はその一説だけ消してしまった。

それで──送信をした……。

 

今──葉月はあのマンションで一人きり……。

あの青いベッドで、いつもの頼りなげな寝息を立てている頃だろう……。

 

隼人は、彼女が一人で夢にうなされていないことをそっと祈った。

 

 

 夕暮れ……、隼人の席は窓際。

そこからは海が見渡せた。

肉眼で沖合に浮かぶ空母艦が見える。

午後、デスクを整理しながら、その甲板から戦闘機が飛び立つのを何度も目にした。

そういう風景は小笠原と変わらないが──。

海の広さ、滑走路の広さ……飛んでいる戦闘機に軍用機の数、種類は小笠原以上。

だから空母艦も遠い沖合にいるはずなのに

妙に海に邪魔な物体がないせいか、大きな海原に浮かぶ空母艦は

ポツンと見えつつも近くにいるように見えるし

飛び立つ戦闘機の動きもちゃんと確認できるという光景にスケールの大きさを感じた。

 

「お先に失礼します」

隼人はまだいそしく業務を続けている近くの本部員に一言挨拶をして帰ろうとした。

「お疲れ様。明日から空母艦だって? 搭乗手続きは?」

親切に金髪で中年の本部員が声をかけてくれる。

「ランバート大佐が手配してくれているとかで……」

「どれ?」

彼がパソコンを見つめながら、確かに手配済であるかチェックしてくれる。

(任せきりだった……。確かに俺自身で確認していなかった!)

きめ細かい本部員の気配りに隼人はハッとさせられてしまった。

別にランバート大佐を信じていないわけではなかったが……。

「OK。手配済だよ。ハヤト=サワムラで間違いないね?」

「ハイ、サワムラです。明日からも宜しくお願いします」

「俺はドナルド、ドニーって皆は呼ぶよ。宜しく」

「宜しく、ミスター」

「言っておくけど、アヒルじゃないぜ?」

ロイぐらいの歳の先輩の様だったが……

(ドナルドダック?)と頭に浮かべて、隼人は思わず噴き出しそうになった。

「良かった。日本人にも通じたな」

ドナルドは、隼人が笑いをこぼしたのを確認して嬉しそうにグッドサインを出してくれた。

「勿論、東京ディズニーランド……ありますからね。人気者でしょ?」

「あのアヒルにゃ勝てないがね?」

おどけた先輩に隼人はまた思わず笑い出してしまった。

そこでうち解けてしまうと……

「ミゾノ嬢の側近だって?」

「え? はい……」

「彼女を何度か見かけたことはあるけど……今はどうなのかな?」

「どうとは?」

「あ……いやいや。素敵なレディになって欲しいと祈っていた一人でね」

なんだか彼は、葉月に興味津々のようだが……変に誤魔化し笑いを浮かべるのだ。

「永らく……こっちでは見かけなくなったからね」

「そうですか……彼女も何年か帰省していないと言っていましたが」

「だろうね?」

「!?……だろうね? とは??」

「あーいやいや。忙しいだろうから帰る時間もないって所なのかな?と?」

やっぱり変に誤魔化し笑いのような気がする。

(なんだよ? 聞きたいこと知りたいことあるなら『ズバリ』言ってくれたらいいのに?)

隼人が眉をひそめると……

「ま、君も大変だよね? あのお嬢様の側近じゃ……」

「ええ、色々と振り回されはしますが……

彼女は仕事は、私達補佐以上に落ち着いてしています」

「落ち着いたんだ。大人になったんだね」

「大人になったとは??」

どうも話が食い違う。

ドナルドもそれに気が付いたようだ。

「いや、きっと大佐にまでなったお嬢様の事。

今は落ち着いて仕事しているならそれで安心だね」

「はぁ……」

ドナルドの何か物を含んだような? いや……聞いたドナルドもなんだか意識していない様だが

隼人が知っている葉月とは『違うイメージ』を抱いているようで

そこで葉月がどうのこうのという話は続かなくなった。

「お疲れ様。席が近いから、何か困ったことがあれば何でも」

「有り難うございます。ミスター」

隼人は御礼を述べて一応、笑顔でその場を立ち去った。

 

(なんだよ──。葉月が大人になったとか、帰省しない訳を知っているかのように?)

 

隼人は腑に落ちなくて、ちょっとふてくされつつ本部の入り口を出ようとした。

「お疲れ様。お待ちしておりましたよ」

隼人が出てくるのを待っていたかのように、廊下に一人の男性がたたずんでいた。

黒髪に青い瞳……キリッとしたたたずまい。

その廊下を闊歩している隊員とは一段違った雰囲気を放つ男が一人微笑んでいた。

「ジャッジ中佐」

そう──マイクが隼人を待ちかまえていたのだ。

「お久しぶりです。お元気そうですね?」

相変わらず流暢な日本語に隼人も感心。

「こちらこそ……。任務の節には色々と……お世話になりまして。

あ。今回も、お世話になります」

「スミマセンね? うちの中将、忙しくて君の業務時間内に声をかけそびれたと

もの凄くガッカリしておりまして……。気にしていたので私が迎えに参りました」

「いえいえ──。お父さんがお忙しいのは重々承知ですし、

帰宅すれば……おのずと夜、会えると思っていましたから……」

「中将は登貴子博士と、夕食の買い物に張り切って出かけましたので

私が御園家までお送りする役目をかって出ました」

「そんなお気遣い。バスでも何でも使って帰れましたのに」

「いいえ。パパ将軍があれだけ喜び勇んでいては……

初めてのアメリカの帰り道、何かあってもいけませんから心配で」

「有り難うございます、助かります」

マイクの気遣いに、隼人は素直に甘えることにした。

 

その後──マイクの車を停めているという駐車場に行って

彼の黒いスポーツカーに乗せてもらった。

そしてバス停が何処にあって、料金が御園家の近くのバス停から幾ら掛かるとか……

自転車でも通えるとか……通うならこの道がいいなどの

案内を受けながら、隼人は夕暮れの海岸沿いの住宅地まで送ってもらう。

到着間際……。

「……レイは元気でしたか?」

サングラスをかけてステアリングを握る格好良いマイクが

いつものにこやかな笑顔は崩さずに……前だけを見据えてそっと尋ねてきた。

「ええ、はい。私を見送る時も素っ気ないぐらいに」

「アハハ、レイらしいね?」

どうやらマイクも葉月の『兄様』と言ったところらしい。

任務中は気が付かなかったし、そんな気も回らないぐらいの出来事が沢山襲ったから

マイクが亮介の『側近』という以上はさして隼人は存在感を持っていなかった。

だが──

『レイらしいね?』

葉月の幼少の愛称を口にして、そして素っ気ない見送りを『彼女らしい』と笑い飛ばす。

(どうやら……ジャッジ中佐も御園家とは縁が深そうだな?)

隼人は急にそう感じた。

その上、マイクはまた隼人の目も見ずに……

真っ直ぐにフロントを見据えて運転をしつつ葉月について尋ねてくる。

「君が出発する前に、レイは何か変わった事ありませんでしたか?」

「変わった事?」

隼人は『どっきり』

葉月の父親・亮介とその側近のマイク。

何か……隼人がメンテ以外の『目的』

つまり『フォスター転勤阻止、達也引き抜き』を嗅ぎつけているかと焦ったのだ。

「いいえ? 特には?」

何事もなかった振りをするために、隼人は真顔でシラっと通す。

「そう……それなら良いんだけど。なんだか胸騒ぎがしてね?」

『す、鋭い』──と、隼人は昔なじみの男の勘にまた心の中では動揺。

だが、ここでも何事も知らない振りで貫き通す。

「大人しく留守番していると言っていましたけど? 本部も彼女がいないとどうにもなりませんし」

「どうかな? あのロイがバックについているだけにね?」

「え……?」

マイクがあの連隊長を呼び捨てにしたので隼人は驚いて、

青色のサングラスをしているマイクを見つめた。

彼は至って冷静だった。

自分が口にした事で、隼人が少し動揺してもそれすらも予想済とばかりに……。

「私はロイとリッキーとは同期になるんでね。ただ、ロイ一人がツーステップもしたから

軍人としては『後輩』、『部下』になってしまったけど……

『アイツ』がやる事って言うのは結構昔から知っているから」

あのロイを『アイツ』という隣の男に隼人はちょっとビックリ!

なんだか凄い人に見えてきた!

「……そうですか……? ですけど、連隊長と彼女が今の業務で接近すると言う

素振りは……出発前には見受けられませんでしたけど?

ああ、ブラウン少将の小笠原業務見学以外でですけどね?」

「そう……それなら良いんだけど」

マイクは何かを『予感』しているようだった。

(でも……ロイ中将は、フォスター引き抜き派で、葉月は今は達也派。

葉月は……兄様はフォスター引き抜きの姿勢を見せつつ、私がが達也引き抜きの姿勢を見せたら

影ながらバックアップするだろうとは言っていたから……)

葉月がまだ……達也引き抜きの姿勢をロイに見せびらかす……という事は

隼人の出張帰還後でないと出来ないはずだった。

(なんだかな〜……目の届かないところに置いておくと凄く不安)

隼人はため息をついた。

自分が留守の間にそわそわと行動していないことを祈りたい。

「…………」

そこで隣の立派なアメリカ男性が……あの穏やかでソフトなムードから一転。

もの凄い真剣な表情で前を見据えて運転しているので隼人も何も言葉が出なくなった。

 

『マイク……悪いけど、マリア=ブラウンのプライベートまで調べてくれないか?』

『は? 軍内データーだけじゃダメなのかよ?』

 

一週間前ほど……。

同期生であるリッキーから『毎度の依頼』がやって来た。

調べる隊員が隊員だけにマイクは『私事』と予感して断ろうとしたのだが。

 

『レイが……彼女の事を気にしているようで……。

レイは、『業務上の現状』だけ知りたいと言ったんだけど

ロイが、『あいつの本心はプライベートも含まれているだろう調べてやれ』って言い出したから』

『レイが──!?』

 

マイクはフッと昔の事を思い出した。

 

『レイ……せっかくマリア嬢が話しかけてくれているのに……つれないんじゃないの?』

『だって……』

父親同士のパーティーでもそうだが、それ以外にも葉月はつむじを曲げる事が多かった。

十代で刻みつけられた数々の傷を一人で抱え込んで

それで持て余して……どう対処して良いのかもどかしいくらいに葉月がもがいていた時期。

夜、家を抜け出した葉月の行く先……

訓練校宿舎の同期生の元へ『お迎えに行く役』は

いつもマイクが……亮介や登貴子に頼まれなくても進んでしていた。

最初は、年頃の男達がわんさかといる宿舎に『忍び込む』事をかなり心配しての事だった。

だが──

何回か迎えに行くうちに……いつも一緒にいる同期生達は

マイクの目から見ても『信頼』を持てるようになる訓練生だった。

それでも……で、ある。

万が一があるから、娘の反抗的な反応に尻込みをする『パパ将軍』に

代わって迎えに行ってみる。

葉月といつも連んでいる同期生3人は……

『マイク』が迎えに来れば、快く葉月を引き渡してくれる。

いや……『マイク』が迎えに来るのを待ちかまえていた節も見受けられた。

 

『俺達と一緒にいたいというなら、それも構いませんが

レイにとってはここに忍び込む訳があまり良くないと思いますから』

3人のうちのリーダー格の男がいつも丁寧に葉月を引き渡してくれる。

 

今は……その男もフロリダ基地内では『トップパイロット』

『トップパイロット』でも五本の指に入る程の有名な男になっている。

 

『レイ……マリア嬢だって、レイと仲良くしたいと見えるけどね?』

『……解ってる』

葉月は頭の良い少女だった。

時には大人びていて、大人達の事もよく観察していて洞察の鋭さはマイクでも唸ったほど。

その『頭の良いレイ』が、頭で割り切れない気持ちに振り回される。

頭で『正解』が解っているから、なおさら苦しむ。

大人の事は良く解っているが、『子供』だから『自分の物』にする事が

出来ない事に葉月自身が苦しんでいるようにもマイクには見えた。

マリアとの『間』に何をこだわっているのかは、マイクには予測でしか理解が出来ない。

『予測』

それは……おそらく……。

 

「あの? ジャッジ中佐?」

「ああ……ごめん。ちょっと、近頃立て込んでいて明日のことで急に頭がいっぱいになって」

隼人の声で、マイクは現実に戻される。

(レイ、まさか……)

マイクはフッと頭に何かが過ぎったが、頭を振ってそれを取り除こうとした。

 

『わかった、リッキー。5日程、時間をくれないか』

『助かる。また借りが出来たな』

『いいや? こっちもいつも無理を聞いてくれて助かっているから、ロイにもそう伝えてくれ』

『解った、慎重に頼む』

『解っている』

 

そうしてマイクが……部下を使わず自分自身で調べた。

 

(レイが……あのマリア嬢を気にするとはね? どういう事か?)

マイクの今の疑問はそれだった……。

 

「あ! あれ……あの赤い車は博士の車ではないですか!?」

また……隼人の声でマイクはフロントに視線を集中させると……。

あのフェニックス通りの住宅地。

御園家の前に丁度、赤いフィアットが停車したところだった。

 

『プップ!』

マイクがクラクションを鳴らすと、

右側の助手席から買い物袋をいっぱい抱えた登貴子が振り向いた。

左側の運転席にはどうやら『主人』が座っているようで……

栗毛の頭がチラリと窓から覗いた。

 

「あら! マイク……!!」

「アロー? ドクター」

マイクもフィアットの後ろ、御園家前の路肩に車を寄せる。

 

赤いフィアットの運転席から、身体が大きい栗毛の男が笑顔で姿を現す。

 

「マイク! サンキュー!! 隼人君は?」

サングラスをかけた優雅で陽気な制服姿の紳士が登場。

「お父さん。お疲れ様です。暫く、お世話になります」

マイクが運転席を降りる前に、こちらの青年もサッと嬉しそうに助手席を飛び出した。

マイクもそっとエンジンを止めて、運転席を降りた。

 

「やー! 君がうちにこんなに早く来てくれるなんて! 夢のようだよ!!」

御園亮介が、腕をいっぱいに広げて……

娘の恋人……側近をこの上ない嬉しそうな笑顔で迎える。

本当に嬉しそうな亮介の笑顔に、マイクもそっとサングラスを外しながら微笑んだ。

 

「では……中将。確かに、彼を届けましたよ。また……明日」

マイクはサッと敬礼をして、車のドアに手をかける。

「なんだ? マイク、せっかく隼人君も来たのだから、お前も少しは休んでいかないか?」

即刻、帰ろうとする素っ気ない側近に亮介が途端にふてくされる。

「そうよ。マイク……お茶でもしていって?」

妻の登貴子も、慌てるようにマイクの側に駆け寄って引き留めようとする。

 

「いえ……中将。まだ秘書室に部下を残しているので、これで……」

「なんだ? お前がいなくても秘書室はちゃんとした者ばかり、少しぐらい……」

「また、サワムラ君が帰国するまでに必ずお伺いします」

いつものソフトな微笑みを浮かべてみる。

登貴子は残念そうな表情を浮かべ、亮介は致し方なさそうな拗ねた顔をしている。

「ジャッジ中佐……有り難うございました。じきに……またゆっくりお話させて下さい」

何故か……隼人だけが、ニッコリと微笑んで送りだそうとしてくれていた。

「そうですね。是非──」

マイクはサングラスをまたかけ直して、サッと運転席に戻る。

隼人が軽やかに見送ろうとすると、急に引き留めたがっていた御園夫妻がすんなり退いたのだ。

 

(家族水入らず……俺の気遣いを見抜いたか)

任務の際にも……

マイクは『側近』としての影ながらの『振る舞い』を隼人に見抜かれたことがあった。

マイクの中で『サワムラ』という男は御園と関わる上で、上々の位置に許している。

 

そう……『澤村隼人』は、御園家の新しい一員になりかけている。

マイクは……亮介のいつにない笑顔を見届けてそう思った。

そこへマイクが入っては、マイクが知らない小笠原での『レイ』の話も

サワムラという青年は遠慮してしないだろうと思ったのだ。

出来れば……彼にも早くにこのフロリダで、そして御園家の空気に馴染んで欲しい。

だが──そういう待ち望んでいた光景を目にしても……マイクが不安に思うこともある。

(……これでいいのか? ジュン先輩)

 

任務の折りに……スッと僅かだけ姿を確認して言葉を交わした古き先輩。

マイクも良く知っている……。

(あの任務の時でさえ……ジュン先輩はレイに全力を注いでいた)

最後に犯人の手から、葉月を完全解放したのはあの『黒猫』

あの黒猫が、自分の部下の『不始末』と称して軍の任務に手出ししたというのは

秘密裏で解ってはいるのだが……

本当のところは……やっぱり?

(確かに……それでレイは『大佐』にのし上がった)

先輩の『目的』は、そうなのであろうと解っていてもまだ拭えない『本心』をマイクも感じている。

 

だが──

『そう──あの先輩は、もういないんだ。どうにもならないんだよ……そうだろ? ロイ?』

だから、葉月の本心を『殺す』事を……ロイは、葉月の為に心を鬼にしてしている。

リッキーも、マイクもそれは『賛成』している。

 

だから……あの青年を早く御園家に馴染ませたかった。

そして──

 

『葉月? パパの仕事場で新しく入隊したお兄さんだよ』

『初めまして』

『……こんにちは』

 

まだ亮介の側近でもなく、亮介配下の部隊に新入した頃。

昔から亮介に目をかけてもらっていたマイクが初めてその少女を目にした日。

あれは……彼女がアメリカに来たばかりの頃だった。

お人形のように愛らしい顔をしているのに、冷めた眼差しに、凍りついた表情。

 

だけど──

『それ……ヴァイオリン?』

『うん……今は上手に弾けないの』

『じゃぁ……上手になったら聴かせてね?』

『ちょっとなら弾けるわよ?』

 

そうして彼女がぎこちない……不自由そうな左肩に乗せたヴァイオリン……。

左手の指で辿々しく押さえる弦。

ゆっくり動かす右手のボウ。

弾いてくれた曲は『カノン』

 

『ううん。とても上手、綺麗な音を出すね!』

お世辞抜きに……音は途絶え途絶えだったが、音に乱れがないことはマイクにも解った。

だから……拍手で誉めた。

『有り難う……おにいちゃま』

その時……初めて見せてくれた笑顔を今でもマイクは忘れない。

 

その後、ロイやリッキーと親しくなり、そして徐々に御園陣営のブレーンへとなり

マイクは早いうちに、『御園家の悲劇』を知ることが出来た。

『あの女の子が? ヴァイオリンは左肩の怪我で弾けなくなったと!?』

あの少女が綺麗な音を差す感性を見抜いていたが

音は途絶え途絶えだった『奇妙さ』の訳をマイクはそれで納得したと引き替えに……

その衝撃と供に、あの無表情さと冷めた眼差しの意味を知った。

だけど──だからこそ、あの笑顔と一緒に聴かせてくれた『音』がとても貴重なものだったと知った。

そして……密かに遠くから眺めていた『女性』の死の真相も知った。

その妹──『葉月……リトルレイ』

その少女を前に進まそうと『必死』になっている男達の仲間に

マイクもいつの間にか入り込んでいた。

その『妹分』の少女が、年追う事に……失った幻が願っていた通りの

『女性』に成長しながらも……立ち止まって、また、傷ついて。

その少女が……今、目の前に『新しい世界』を開こうとしているような気が、最近している。

その『世界』を映し出そうと、動いている『青年』がフロリダにやって来た。

だから──マイクは今日は、ここで去りたい。

また、あの愛らしい笑顔を見せてくれる日のために……。

 

「マイク? 良かったらこれ買いすぎたの、晩ご飯に使って?」

「え?」

運転席でちょっとした考え事をしている隙に、窓から登貴子が一つの包みを差し出していた。

「じゃがいもと、牛肉……それとお豆腐。今日ね肉じゃが作ろうと思ってマーケットに行ったら

亮介さんたら、バカみたいに多めに買うのよ?」

「ああ……頂きます。サンキュー、ドクター」

マイクはいつも息子のように可愛がってくれるこの夫妻には……

訓練校に入校した時から本当に感謝していた。

今の自分の地位も、この夫妻あっての物。

そして──そういう『活躍場』を得られたのも……御園夫妻のお陰としか言いようがない。

 

「マーイク。 お前、もしかして恋人が出来たのか? ここ一週間、付き合い悪いぞ?」

誘いに応じなかった為か、亮介がそんな茶化しを、拗ねた目つきで

門の前から叫んだ。

隼人が横で、苦笑いをこぼしつつ穏やかなあの落ち着いた笑顔で眺めている。

「まぁ……亮介さんたら。マイクにはマイクの時間も必要よ?

そのマイクの自由にそんなからかいを言うなんて……!」

『ごめんなさいね? また、いらしてね?』

いつもの優しいミセス=ドクターに見送られて、マイクはサッと車を発進させた。

ちょっと放っておけない『ぼっちゃま将軍』なのに、やるときは頼りがいあるマイクの上官、

そして……いつも優しく気遣ってくれるミセス=ドクター。

二人は……軍人であるマイクの『親』と言っても過言でない存在にあたる。

 

「ふぅ──。何が女だよ? 俺が一週間、なんの為に夜出歩いていたか知らないクセに」

マイクは車を発進させてから、何も知らない上司のとぼけた『茶化し』に

逆に笑い声をたてていた。

(さて──。レイの様子を知りたくてサワムラ君を送る役をかって出たが?

どうやら彼も知らないようだな……)

 

マイクはため息をついた。

(ロイの奴……サワムラ君が出かけたのを見計らってレイに知らせたな?)

マリア=ブラウンの今の現状を葉月が知ったなら……。

葉月はジッとしていられないはずだから……。

葉月がそうなると解って……ロイがどうするのか?

マイクはそれが『胸騒ぎ』なのだ……。

 

「豆腐か……サラダでも作って久し振りに自宅でゆっくり食事でもするか」

ここ一週間、リッキーの手元にあの情報を手に渡すまで

マイクは定時になると部下に仕事を任せて、『酒場』へ……

『行くハメ』になっていたのだ。

 

マイクはこの胸騒ぎが、なんでもなく過ぎることを願いたかった。