21.大佐の休暇

 

 「アロー、お疲れ様」

 「アロー?」

 見慣れない栗毛の女性がそこに立っていた。

入国監査の警備口事務室である。

 

「内線を貸していただきたいのですけど」

彼女は上着を脱いでいるから、肩章の確認が出来なかった。

だが──妙に愛らしい笑顔を浮かべているので、そこにいる中年の金髪男性は……

「OK、レディ?」

自分の席を立ち上がって、その女性を招き入れた。

「内線表を見せて下さる?」

綺麗な発音の英語……。

(どこの部署なんだろう?)

こういう品の良い女性がいたならば……誰もが知っていそうだと

彼はいぶかしみながらも……栗毛の女性に内線表を渡した。

 

「うーんと……ミゾノ……」

彼女が日本語らしき言葉で何かを呟いたのだが……?

彼女は内線表で何処かの番号を確かめると、受話器を耳に当てて番号を三つ押した。

(ん? ヴァイオリン??)

確かに軍服を着ているのに、何故か? 彼女の足元にある荷物には『ヴァイオリン』が──。

 

『ハロー?』

彼女が何かを話し始めた隙に……彼は……

彼女のボストンバッグの上に無造作に乗っけてある上着の肩章を確かめようと

覗き込んだが……なんだか巧みに裏返しにされていて確認できなかった……。

 

 

その頃──。

 

「今日の中将の会議は誰が付き添うか決めたのか?」

御園中将室に隣接する『御園秘書室』

そこに数名だけ詰めている。

選りすぐられた『側近人』がそこにいるのだが……

その上座の一番上にある席が『主席側近』である……マイク=ジャッジ中佐の席だった。

他の部下側近達を見渡すように君臨している席。

そこで今日もマイクは、パパ将軍がスムーズに動けるように奮闘している。

 

『ルルル……』

内線が鳴って、部下の一人がそれを取った。

マイクは部下に任せて、今、指示しようとしていた内容に神経を傾ける。

 

「中佐、今日はわたくしが付き添います」

部下の一人が颯爽と答える。

「内容をしっかり記録して……他の将軍の発言も漏らさずな」

「ラジャー」

そんないつもの綿密な指導の中……。

 

「あの──? 中佐?」

内線を手にした部下が変に困った顔でマイクを見つめていた。

「なんだ?」

「あの──中佐に取り次いで欲しいと……」

「何処のどなただ?」

「それが……女性で」

戸惑っている部下の様子に、マイクは『ピクリ』と頬を引きつらせる。

「言っているだろう? 変な女性からの電話は誰宛であろうとあしらうようにと!」

花形の秘書室にいる男性狙いの浮かれた女性から

そういう内線がかかってくることも希にある。

マイクは……勿論、他の若い部下にも。

秘書室でなくても職務としても『鉄則』

とくにここは将軍秘書室。そういう浮かれた内線は完璧に『シャットアウト!』

マイクはそれを貫き通すことを部下にも叩き込んでいた。

「あの……その、日本語を言っているようなんですけど……

『私はレイ、そういえば……マイクは解る』というようにヒアリング出来たのですが……

あの……中将のお知り合いとかではありませんよね?」

「レイ!?」

マイクはドッキリ!! 珍しく驚いた顔をしてしまった!!

秘書室の部下にも日本語は身につけるように指導していたが……

ハッキリ言ってマスターしているのはマイクだけ。

日本語を喋るだけの内線がかかってきて、不審に思いつつも切らなかった

部下の勘にマイクは誉めたいところだが……!?

「……俺の席に回してくれるか?」

「ラ、ラジャー……」

部下達が、妙な女性からの内線を受け取った上司にちょっと面食らっていたのだが……。

 

「ハロー?」

『マイク、私!』

「…………」

その声を聞いてマイクは、何故だか変な微笑みしか浮かべられなかった。

「確かにレイだね?」

『繋いでくれないかと思ってワザと日本語喋ったの。

日本人であるパパの秘書なら、それだけで不審に思ってすぐには切断しないと思って』

そういう『知恵』は流石とマイクは言いたいところだが……

「何故? 内線なのかな? 出来れば外線だと思いたいところだね?」

『迎えに来てくれたら、ここにいる訳教えてあげる。パパにはまだ内緒にして♪』

「それが良さそうだね?」

『滑走路の入国監査事務所にいるの』

「解った。そこ、動かないで!」

『うん♪』

マイクは『チン!』と電話を切るとすぐさま動いた。

 

「野暮用が出来た。中将には適当に誤魔化してくれ」

「え!? あの? 中佐??」

不審な女性からかかってきた電話一つで動いた主席側近に

部下の秘書達は驚きながらマイクを見つめた。

「後で解るだろうけど? 絶対に! 中将に言うなよ!

もし報告してしまったら解っているだろうな!?」

時々マイクが本気で怒るときの眼差しが、部下達に向けられた。

皆それが通じ『ゾッ!』と震え上がったようで

首を縦に振りながらマイクを送り出してくれた。

 

「やっぱり──!! ロイの奴……レイを差し向けたか!!」

マイクは拳を握りしめ。歯と歯を軋ませながら猛然と滑走路へ向かった!

 

 

 マイクの胸騒ぎが『的中』!!

マイクが、ここの所妙に胸がざわめいていた理由は……

──その1──

フォスターの転属話は、勿論知っている。

しかも……あのロイが手を出した『話』だ。

あの男が……同期生が、一直線、一筋縄では行かないような手段で

いろいろな『事』を始めることは、マイクは良く知っている。

フォスターに白羽の矢を立てたその裏で……。

マイクの脳裏には『達也』がちらついてばかりいた。

フォスターの転属先は『御園嬢の小笠原第四中隊』

これだけ状況が揃えば、『レイ』も登場するのは必須である。

──その2──

今、まさに……その『レイ』の側近、サワムラが来ていることである。

彼一人でも出来るだろうプロジェクトだが……

なんと言っても『レイのフライトチーム』に関わる事。

側近に任せたと言っても、あのレイも『出来るならば参加したい』

そう思って当たり前だから。

──その3──

レイが……昔は避けていた……『レイの元恋人・達也』が別れた『元妻・マリア』の事。

彼女を気にしはじめていること。

依頼してきたのはリッキーだが、元を正せば『レイの依頼』と言う事になる。

このマイク自身が『プライベート』を調べた。

その『調査結果』を知っているマイクは、レイが何を思うか手に取るように解る。

しかも──レイのその『衝動』を後押ししたのは……

『ロイが調べてやれっていうから』

リッキーのあの言葉通り!

ロイが葉月の心を揺さぶっているからだ。

 

以上をもって……これだけの『レイの現状』を知っているマイクとしては

あの『ロイ』がバッグに付いているだけに……

葉月を後押しして……後押しして……

 

 

入国監査の待合室の入り口。

そこの外廊下の壁に背を持たれている栗毛の女性を発見。

彼女は足元に荷物をおいて、上着は着ていなく……

しかも、棟舎内なのに……茶色のサングラスをかけている。

通り過ぎる男性隊員達が、そのミステリアスな雰囲気を

静かに放っているその女性を必ず視線を止めて、通り過ぎて行く。

腕を組んで……モデルのように片足を曲げて壁にもたれているその彼女の表情は……

男性隊員達の『興味』の視線をはね除けるかのように冷淡だった。

なのに──

マイクと視線があった途端に、パッと表情が和らいで、彼女が片手を挙げた。

 

「マイク!」

 

そう──『葉月』が、確かに……目の前に。

マイクが恐れていたとおり……『フロリダ』に来てしまっている!!

 

マイクは、半信半疑迎えに来たが……『決定的だ!』と額に手を当てて……

暫く、意識を失えるなら……失いたいと茫然とした。

何故なら──

先程述べた『胸騒ぎの訳』

これ、そっくり──レイがフロリダに持ってきた……いや?

ロイが……レイにくっつけて小笠原でドタバタするところを『送りつけてきた!』と思った!

 

『マイクがいるだろう? 大丈夫だ。何やってもアイツが上手くやってくれる』

 

ロイの『ニヤリ』と勝ち誇った笑顔が浮かんで……

マイクはさらに『シット!』と言い捨てたいところを、心の中だけで済ませておいた。

 

「……間違いないね。確かにレイだ」

葉月の目の前まで来たので、ニッコリ反射的な微笑みを浮かべていた。

「ごめんね? 驚いた?」

葉月はサングラスを外そうとしなかった。

マイクはその『心理』も良く知っていた。

『内緒で来たし……誰に会うとも解らないから』

彼女は有名な一族の末娘だ。

まだ彼女の顔も解らぬ隊員も沢山いるだろうが……

彼女の顔を知っている『おじ様方』も沢山いる。

その為であろうし……彼女に必ず視線を向ける男性達への『警戒』でもあるのだろう。

 

それに……今日の葉月は……

どうしたことだろう──?

なんだか任務の時見せていたあの平淡な表情もなく……

そして──軍人として見せている凛々しい顔つきでもなくて……

それこそマイクが『特別に知っている彼女の顔』……妙に愛らしい笑顔を浮かべている。

 

「お帰り、レイ──。フロリダでは何年ぶりだろう?」

「本当ね……ただいま。アメリカのお兄ちゃま」

マイクはともあれ……葉月に挨拶の抱擁を──。

そっと、きめ細やかな美しい泡の弾力を潰さないような『気遣い』にて抱きしめた。

勿論──葉月が『兄様』と呟いたように、彼女もマイクには警戒がない。

だから……『アメリカに来たのよ、帰ってきたのよ』と、その証拠のように抱き返してくれた。

こうして『家族同然』に接してくれるマイクの『レイ』

そうなると、マイクは葉月が台風だろうがなんだろがどうでも良くなってきて、なし崩し──。

と……なりかけたのだが、やっぱり心の中はザワザワと波が立つばかり。

「さ……いつまでもここにいてもね……? 行こうか。

疲れただろう? 少し外に出てお茶でもしよう」

マイクはサッと……葉月の足元にあるボストンバッグを紳士らしく手に取ろうと……

そっと腰をかがめ、視線を落として驚いた──!

 

「レイ……ヴァイオリンを!?」

 

彼女が、こうしてヴァイオリンをお供にしているのを見たのも……久し振りだった。

特に葉月は軍隊に入隊してからは『恋人は戦闘機』

益々、ヴァイオリンを手にしなくなった事を父親の亮介も嘆いていたし……

勿論──少年時代に『感動を受けた一人』であるマイクも残念で堪らない所だったのに……。

 

すると──葉月がサングラスをしたまま、ちょっとはにかんだ微笑みを浮かべた。

「五月の連休に鎌倉に行ったの……。

そうしたら、右京兄様が……大事なコレ、譲ってくれたの」

「レイチェルグランマが贈ってくれたと言う……右京先輩の宝物じゃなかったかな!?」

「うん……兄様がそれでも譲ってくれたの」

「そ……そうなんだ?」

「普段も弾けるようにって……」

「そう! それは素晴らしいことだ!」

マイクが喜びの微笑みを心より浮かべると、また葉月がはにかんだように俯いた。

その『連休』の間に、右京と葉月の間で何があったかはマイクには解らないが……

『あの青年がきっと関わっている』とすぐに直感できた。

やはり──レイにはあの男しかいない?── そう思える。

が──、やっぱりマイクの中ではあの『黒い先輩』の影は消え去らない。

それは、レイを良く知っている大人達は皆、マイクと同じ気持ちである事は確かだと断言できる。

 

「じゃぁ……レイの新しい相棒は、俺には持てないね」

マイクはボストンバッグだけを手にとって立ち上がった。

「ありがとう……マイク」

葉月もヴァイオリンを手に取った。

「嬉しいな。レイにはよく似合っている」

軍服姿でも、葉月がヴァイオリンを手にしている姿は

本当に……『音楽お嬢様』に見える。

彼女は……訓練生の時は、時々手にしてはいたのだが……。

訓練が過酷になる程──『相棒』のお供は目にすることがなくなったから。

 

「あれ? そのポケットに入っているのは!?」

その上、上着を羽織っていない彼女のシャツポケットに

ピンク色の可愛らしいタオル地のウサギが……。

彼女が、こういう『女の子らしい小物』を携えている事も……

ヴァイオリンを手放すのと同時に消え去っていったからだ。

「内緒♪」

葉月が……あの賢い母親そっくりの悪戯っぽい微笑みを浮かべた。

「そ……いいけどね? 結構、似合っているよ」

マイクがからかい半分微笑んだのだが……

葉月は、何故だか楽しそうに微笑むだけだった。

 

『なんだか……変わったみたいだな?』

 

少し会わない間に……

マイクの『レイ』がちょっと、愛らしく幼児返りしているように見えてしまったのだ。

それは……マイクにとっては少しだけ、心を弾ませるほど僅かに嬉しいことだった。

 

 

 マイクは、葉月を駐車場に連れ添って、愛車である黒いスポーツカーに乗せた。

葉月の自宅があるフェニックス通りを通り抜けて、

海岸沿いにある白い喫茶店へと連れて行くことにした。

 

渚側にオープンテラスがある美しい白いテーブルに椅子。

青いフロリダの海との白のコントラストは、午前の日差しの中とても眩しく見える。

 

「わぉ。久し振り♪」

「そうだね──ドクターママの行きつけの喫茶店だ」

「うん。ママはここで本を読んだり……おやすみの朝はパパと私を連れて

モーニングに行きたい、行きたいっていつも言っていたわ」

「俺も……時々、お供させてもらってね」

「うん! 懐かしいわ」

 

メニューを覗く葉月の顔は徐々に和らいでいた。

サングラスを外して、こぼす笑顔は……そう、ティーンの頃と変わらない。

それがマイクにはやっぱり嬉しい事。

マイクはメニューをシゲシゲと眺めている葉月から……

意地悪をするようにメニューを取り上げた。

「なぁに!?」

マイクはふてくされた葉月に……頬杖、ニッコリ微笑みを投げかける。

 

「お嬢さん? お兄さんが甘いものばかり与えてくれると思ったら大間違い」

「ああ……、『何故、突然来たか』って言う事?」

「解っているなら、宜しい」

「ふぅ」

葉月はにこやかなマイクのその顔が苦手だった。

彼は確かに優しい頼もしい兄様分であるが……

彼が『にこやか』な内は『安全』なのであるが……

怒らせると、葉月だって震え上がるほどの『威勢』を隠し持っている。

『俺が笑っているうちにね?』

彼が本当に極上の笑顔で、葉月に向かってくるときは……

そういう意味も含まれているから。

 

「……『休暇』をもらったの」

「休暇? そんな生やさしい大佐じゃないと思っていたけどな?

むしろ……側近の『相棒さん』が単身出張に来ているのに?

本部を放るほど無責任じゃないはずだけどな? 『リトル・サー』はね?」

「……ロイ兄様が『そうしろ』って進めてくれたの」

「ふーん。それで『フロリダに行って来い』とでも? 随分、寛容な連隊長だね?」

ロイが一枚噛んでいる事は、マイクには予想済。驚きはしない。

葉月だって、ロイのその『寛容なオススメ事』には、

何か意味が含まれている事を解って……言う事を聞いたはずだ。

 

「だって……私にだって『休む権利』はあると思うわよ?

兄様は、『ここ数年、皆が休んでいる間、率先して休日勤務もしていたから

大佐になった褒美に休暇を取らせる。本部はこれからもっと忙しくなる、今の内。

残っている有休分はここで消化しろ』ってね?」

「それで、フロリダ帰省? おや? 『彼氏』が恋しくて来てしまったのかな?」

マイクの『ひっかけ』……。

思った通り……、目の前の葉月は途端にふてくされた。

ここは兄様分のマイクの方が一枚上手。

幹部将校としての『気構え』に関しては、人一倍気遣っている葉月には

一番言われたくない事に違いないからだ。

「隼人さんは……関係ないわよ」

(ほら……だったら……、何故、来たのか言ってご覧?)

マイクの満面の微笑みは、葉月にそう語りかける。

それが彼女にも通じたのか? 通じなかったのか?

彼女は目の前で、モジモジと落ち着きなさそうにマイクの微笑みをずっと伺っている。

 

「……『忘れ物』、取りに来たの」

「……『忘れ物』?」

意外な返事が返ってきて、マイクは頬杖を外して上体を起こした。

「そ。忘れ物……私自身の『理由』はそれかしら?」

「どういう事?」

「一言では説明できない」

葉月がまつげを伏せて……そっと俯いた。

その顔に嘘はなさそうだった。

「そう……」

「ロイ兄様は……それを見抜いたんだと思うわ」

「……レイのために? わざわざ休暇許可を?」

「……急に言い出して私も驚いたし、そうしたかったから嬉しかったし。

でも……兄様の私の思うとおりに『休暇』を与えてくれたことは本当だと解っているんだけど

もっと……違うことも『やってこい』って顔していたわ」

「ロイの狙いについては……何も指示はなかったんだね?」

葉月はこっくり、頷いた。

 

そう、葉月自身も──最初は、ロイが言いだした『甘いお兄さんのお薦め』には

手放しで喜んだ。

『休暇をやる。小笠原で休もうが鎌倉に帰ろうが……フロリダに帰省しようが構わない。

この休暇を……有効に使え』

そう『あの時』……。

マリアの素行調査を大佐室に持ってきたときに言い出したのだ。

勿論、葉月は虎視眈々と『フロリダ行き』について頭の中で作戦を立てていたから

『有効に使え』というならば、想いは真っ直ぐ『フロリダ帰省』だった。

だけど──

『おもいっきりやってもいいぞ。お前は俺の“分身”だ』

あの言葉を後で思い返してみると……

『フロリダに行くなら……なにもかも片づけてこい』

そういう事なんだと……後になって噛みしめた。

『皐月に叱られるから』

ロイのもう一つの言葉。

葉月がフロリダに残してきた『想い』を……

心残りないように片づける『機会』を与えてくれたと供に……

『“彼女”が気になるなら……それも片づけてこい』

マリアの事だ……『イコール』……達也の事も……

葉月と隼人が思い描いている『引き抜き』についても『決着』付けて来いと言うことなのだと。

隼人の『メンテ結成』の事も気になるが……

父と母の事も。

隼人が横浜に帰省して……あのように家族がまとまった。

それを目の前で見て『自分はどうなのよ?』と少し思った。

そんな諸事情すべてが今……葉月の心をフロリダへ動かしたのだ。

 

そんな事を……葉月は言葉少な目に、正直にマイクに語った。

 

「マイク……昔から言っていたでしょう?

マリアさんと、どうして素直になれないのかって……。

なんだか……達也の離婚とかそんな事関係無しに……。

彼女に対してなにか……忘れているような気がして。

気が付いているんでしょう? フォスター隊長の転属に達也がちらついていること」

 

意外と葉月が『心中』を語ったので……マイクは少し驚きながらも……

「マイクには隠せそうにないから……最初に会って正直に話しておこうと思って……

パパやママには……関係ないことだけど……今は知られたくないし、また、心配するから」

葉月がそうして、『こっそり』……。

秘書室のものに『御園中将の娘』と解らないように内線をよこしてきた訳も解った。

「そうか──。それなら……ロイが言うように名目は『休暇』って方が良いね」

「解ってくれたの? 有り難う」

マイクは腕を組んでため息をついた。

そして……そっとテラスから見渡せる海岸線に視線を馳せる。

 

「仕様がないな……もう……」

(解ったよ……ロイ。お前が言いたいこと……)

ロイも葉月の十代は良く知っている一人だし。

黒猫の純一と右京が『親族』として、葉月に対して色々と裏側から手を施す側で

ロイとリッキー……そして、マイクは親族の二人がする事を

ハラハラしながら黙って見守るだけだった。

ロイはいつも……

『何故……俺達は見ていることしかできないのか』

皐月が残した『想い』を守っているのは黒猫の純一と右京ばかり。

ロイは皐月が何においても『子供の父親』である『純一』に任せたことは

『当然』と言い聞かせながらも……

自分が一緒になって『苦悩』する事に『部外者扱い』される事を口惜しく思っていたようだ。

そのロイが……

葉月の十代について……今、やっと……後押しをしてきた。

それならば……

「解った、レイ……。俺に一番最初に報告してくれたから。

今のことは俺の胸にしまっておくよ。困ったことがあったら必ず俺に相談して」

「有り難う……マイク」

葉月がにっこり微笑んだ。

その笑顔が……妙に女性らしくなったようでマイクはまた戸惑った。

 

そこにウェイターがやって来た。

葉月が慌てて、マイクからメニューを取り返そうとしたのだが……

「アイス・コーヒー。それから、レディにはティーオレのフロートを」

「かしこまりました」

「……覚えていたの? ここでお気に入りのメニューだったの」

「勿論……他を探していたようだけど? メニューは数年変わっていないけど」

「お腹空いていたから」

「あ、それは気が付かなかった」

マイクは慌てて、ウェイターを呼び止めて

「クリームチーズとサーモンのベーグルサンド、二つ」

「それも覚えていたの」

「勿論。ドクターママとレイのお気に入りコースだ」

葉月がさらに微笑んだ。

(ま、いいか──)

マイクは、台風に便乗する覚悟を決めた。

それが良さそうだ。

何か……それで失ったものが少しでも戻ってきそうな予感がしたから……。

 

 

カフェでの軽い食事を済ませ、再び葉月を車に乗せた。

 

「レイ……これからどうするの?」

「とりあえず、家に帰るわ」

「ベッキーがいるかも知れないけど」

「うん、構わないわ。どっちにしろパパとママにはばれるだろうし。

マイクもパパにもう報告しても良いわよ?」

「そう? じゃぁ……家に送ったと言っておくけど?

サワムラ君は?」

「ああ……夕方、家に帰るまでは内緒にしておいて。

パパにもそう言って……凄く動揺すると思うから……。仕事の支障になりたくないし……」

葉月が少し……後ろめたそうに気後れした顔で微笑んだ。

「解った……」

マイクはそれはもっとも……と、同感して車で海岸線を飛ばす。

 

「あ。マイク──『フォスター隊長』のご自宅の住所……解る?」

「どうして?」

「うん……小笠原に来た時にご家族からも任務の御礼とかで贈り物戴いて」

その時……葉月がポケットに入れているピンクのウサギを

白い指でピン……と、弾いたのをマイクは見た。

「そう──待って?」

マイクは路肩に車を駐車して、ポケットからアメリカらしいがっちりした携帯電話を手にする。

かける先は『秘書室』

「俺だ。今すぐ……クリス=フォスター隊長の住所を調べてくれないか?」

マイクが胸ポケットから手帳を出して、相づちを打ちながらサラサラと住所を書き留めた。

それをビリ……と破って葉月に差し出してくれた。

「忘れ物を思い出させた何かがそこにもあるみたいだね?」

マイクの視線が、ピンク色のウサギに留まる。

葉月は『敵わない』という僅かな微笑みを浮かべて、そのメモを受け取った。

 

「そうね」

「良い休暇を」

何喰わぬ気取った兄様顔でマイクは運転を始めた。

葉月もそっと微笑んで……

見慣れたフェニックスの風景に目を細めた。

 

帰省しなかった理由はいろいろあるのだが……。

 

やっぱり──懐かしくて、そして……ほろ苦い想いが胸に押し寄せてきたのだ。

 

 

 マイクに自宅前で降ろしてもらって……葉月は白い『実家』に帰ってきた。

 

『ただいま』

声にせず……心で呟いて白い家を見上げた。

門の側にある二本立ちのフェニックスの葉の隙間からこぼれる眩しい日差し。

青々とした芝庭……。

そして──水色のリボンが見える自分の部屋。

 

暫く……遠くの渚から漂ってくる潮騒の香りを胸一杯に吸い込んだ。

 

『ピンポン』

ベルを押したが……誰もいないようだった。

 

「ふーん? ベッキーは今日はお休みか、午後からかしら?」

葉月はボストンバックのサブポケットからキーを取りだした。

それで玄関を開けて、そっと中に入る。

入った途端の『我が家の匂い』も変わらない。

 

葉月は腕時計を眺めた。

 

「お腹もとりあえず……いっぱいになったし……

『学校』が終わる時間はまだね? ちょっとお店で時間潰そうかな?

それとも……基地でお忍び歩きしようかな?」

葉月はニヤリと微笑んで……リビングに飛び出し、階段を駆け上がり……

懐かしい自室のドアを開けて、ベッドの上にヒョイと荷物を放り投げ……

 

またたくまに玄関に戻って、鍵をかける。

庭に出て倉庫を開けて……そこから……。

 

「懐かしい♪」

葉月の一番最初の『愛車』

マウンテンバイクがまだ残っていて抱きしめた。

少々埃っぽくなっているが、当時のままだ。

「パパ……取っておいてくれたのね」

葉月は、その自転車を倉庫から出して早速またがった。

 

「出発進行ーー♪」

 

誰もいない自宅を後にして……葉月は元気いっぱい芝庭から

フェニックス通りに飛び出した!

 

上着は裏返しにして腰にまき、前で袖を絡ませて結び……

お供は『ポケットのウサギ』

 

行く先は──『未定の不明』

台風は不規則に気の赴くまま。

太陽の光の中、風のようにビュンビュンと駆けだす。