22.仲間はずれ

 

 葉月をフェニックス通りの自宅に送り届けて、マイクは基地に戻ってきた。

腕時計を確かめると……もう、ランチの時間だ。

「しまった……パパ将軍が会議から帰ってきているな」

食事のお供はだいたいがマイクの役目だった。

勿論──マイクがいなければ、部下の誰かが付き添うことになっている。

だが……部下にも勉強ではあるが、中将のお食事お供には

他の上官と一緒になることが多く『重荷なお役目』の一つでもあり……

亮介もマイクのお供を信頼してくれている。

その為、マイクがいないと部下は緊張することが多いらしい。

(まぁ……たまにはアイツらも修行だからな)

そう思いつつも……

マイクは足早に、駐車場から秘書室、そして……御園中将室へと急ぐ。

 

「ジャッジ中佐」

秘書室を目の前にして……そんな女性の声に呼び止められた。

(またか──)

たった一人で外を歩いていれば、必ず、こういう女性の『呼び止め』に遭遇する。

マイクはとりあえず足を止めて振り返った。

のだが……

声の主は……いつもの女性達とは違ったようだ。

 

「お忙しいところ……申し訳ありません」

マイクに向かって走ってきたのは栗毛の女性。

息を弾ませて……マイクの目の前にやって来た。

「マリア嬢じゃないか?」

勿論……昔から『顔見知り』ではあるが、上官の娘の為……

余計な『接触』はマイクも職務人として避けてはいたが。

他愛もない会話は幾度となくしたこともある関係である。

「お久しぶりです」

マリアはニコリと少しだけ微笑むと……軍人らしく上官であるマイクにキリッと凛々しい敬礼をした。

「珍しいね? 工学科の君が……高官棟にくるなんて……」

マイクは……『久し振り』ではないのだが……

彼女が『アフターファイブ』でどのような状態か探っていたから……。

少し疲れた目元を確認して……それでも『空とぼけ』て

「久し振り」

と──、笑顔を浮かべた。

「あの……こちらに目を通していただいて……それで『許可』を戴きたいんです」

マリアが急ぐようにマイクの目の前にある『計画書』を差し出した。

「……え? 俺の許可??」

工学科の仕事にマイクが許可するものなんてないはずだ。

マイクは眉をひそめて……とりあえず、真剣な面もちの彼女を粗末にすることが出来ずに

その書類をめくって眺めた。

 

「……どう言う事かな?」

内容を確認して、さらに眉をひそめた。

マイクのその反応はまたもやマリアは『予想済』とばかりに

業務中に見せている凛々しく動じる事ない彼女の誇り高き表情のままだった。

「……サワムラ中佐に昨日、お願いに上がった所……見事に断られました」

(だろうね〜?)

と、マイクの心中。

「ですけど……ジャッジ中佐と、ランバート大佐……そして……

私の父、いえ! ブラウン少将の許可を得られたらお許し下さると断言して下さったので」

「ふむ?」

(そりゃ、妥当な作戦だね?)

マイクは隼人の見事な『かわし』に『流石だね』と唸りながら……

マリアの『願い』は無駄な『お願い』だと隼人に同感した。

「こちらにサイン、お願いします!」

マリアが……自分が作ったのだろうか?

『許可書』などという……隼人が指名した上官が許可したという

3名のサインする書類をマイクに差し出した。

 

「あのね? マリア嬢……自分が何をしているか解っているのかな?」

マイクはにっこり極上のあの微笑みをマリアに向けた。

そう──葉月が恐れている『俺が怒らないうちにね?』というあの微笑みだ。

マリアもマイクの気質は父親から聞いているのだろう?

その笑顔を浮かべた途端に……額に汗を滲ませて俯いた。

 

「サワムラ中佐は……勿論、最初から『おかしな申し出だ』と仰って……」

「自分でしていることは解っているんだね?」

マリアはコクリと頷いた。

「サワムラ中佐は……私が別れた夫の……その、お付き合いしていた女性の部下で……

その部下である中佐に『近づこうとしている』という事に大変警戒していらっしゃいました」

口で……言いたくないこと、見抜かれたくない事はハッキリ自分で言えるところを見ると

マイクも『悪気はない申し出である』と判断は出来たのだが……

「私……ハヅキ……、いえ、大佐のためのプロジェクトの邪魔をしようだなんて思っていない事は

本当です! それに……それに……」

あの基地内でも『強気のお嬢様』で有名な彼女が……

頬を染めながら……なにやら言いにくそうにモジモジしているじゃないか?

でも──

 

「私情だ」

マイクの顔から笑顔は消えて……冷たい表情でマリアが差し出した計画書を突き返した。

「勿論! 仕事上でもサワムラ中佐と関わりたくて!」

「確かにサワムラ君の空軍知識以外に持ち合わせた工学的知識は……

任務でも役に立ったからね?

だからといって、それが君の業務にものすごく役に立つとは思えないね?」

マイクは冷たい表情のまま、にべもなく言い返し……

マリアの白い美しい手に……無理矢理計画書を握らせた。

マリアの絶望的な表情は……なんと魅惑的な事か。

これが『固い職務姿勢』を貫こうと心に決めている男でなければ

誰だって彼女の申し出は『いいよ』とでも言ってしまいそうだとマイクは思った。

だけど……残念ながらマイクの場合『最高の秘書室男』の肩書きの方が勝っていた。

「諦めた方がいいね。俺が許可しても、君の父上も同じ事を言って止めると思う。

サワムラ中佐はそれが言いたかったんだと思うよ」

マイクは腕時計を再度確認して……慌てるように踵を返した。

 

「では……! 本当のこと……言います!」

マイクの背に……せっぱ詰まった声が突き刺すように届いた。

その声は……本当に真剣だったのでマイクは捨てることが出来ずに振り返ってしまった。

のだが──マイクも姿勢は崩さない。

「本当の事? どうあっても『私情』なんだろうね? その話も?」

冷たくマリアを見つめたのだが……彼女の琥珀色の大きな瞳は

真っ直ぐに真剣に……マイクを貫こうとしていた。

 

「……なんだか『昔から私だけ仲間はずれ』みたいで……」

「仲間はずれ?」

いつも人に羨まれるほどの家柄に、経歴に、仕事ぶり。

それは葉月にも負けないほどの女性だ。

何が葉月と違うかというならば……

葉月が男の世界に挑み続け、人を寄せ付けない一匹狼的な『氷のお嬢様』であるなら

マリアは、賢い女性らしく知的にそつなく進み、

人々に囲まれて、溢れんばかりの光の中の自信に満ちた『輝くお嬢様』という

そういう対比的な違いがある。

なのに……

いつも人に囲まれて、自信に満ちた輝く微笑みを浮かべている彼女から

そんな言葉を聞いて、マイクは自分の耳を疑った程だ──!

だが、本心を告げる決心をしたマリアは……構うことなく続けた。

「だって……そうでございましょう?

ジャッジ中佐だって……昔からご存じではありませんか?

私は……ハヅキにはあまり良く思われていなくて……。

それで……あなた方、お兄様達にだって……なんだかハヅキから遠ざけられているようで……。

それならまだしも……私はウンノとの結婚は彼女の事は関係ないつもりで結婚したのに

結局最後に夫を動かしているのは……『彼女』

私──知りたいんです……。どうしてウンノが動かされたのか……。

元より……何故? 私が『仲間はずれ』なのか……?

父にも何度も尋ねました……。何故? 私がハヅキに近づいてはいけないのかって……」

マリアが……そんな事を考えていたのはマイクは意外だったので

思わず……恥じらいながら心中を……ハッキリと述べる輝くお嬢様に

目を丸々と見開いてシゲシゲと見下ろしてしまった。

「ブラウン少将は……父上はなんと?」

「……私は……『お節介で首を突っ込みすぎ』と言われました。

『お前のお節介が誰にでも通じると思ったら大間違い。拒否されたのならそれを受け止めろ』と……」

マリアは疲れたようにため息をついた。

マイクもリチャード=ブラウンの父親としての『言い分』に同感だった。

「でも! 納得できません!!」

急に拳を握りしめて……いつもの自信たっぷり、誇り高きマリア嬢になりマイクに向かってくる!

「私、ウンノがサワムラ中佐とすっかりうち解けた『戦友』に落ち着いて帰還してきて

益々、思いました! 絶対に……ハヅキには素晴らしい何かがあって……

私には何か『否』がある! それを知りたいんです!

その為に……サワムラ中佐と一緒にお仕事したいんです!!」

 

「へぇ……」

力説したマリアを見下ろして……マイクは『ニンマリ』、顎をさすった。

急に余裕で微笑んだマイクをマリアは訝しそうに……首を傾げて覗き込む。

 

「OK……。サインしよう」

胸ポケットから、ペンを取りだして……

マイクはマリアが差し出している自作の『許可書』

ジャッジ中佐とタイプ打ちされている下のラインに……

サラサラと自分のネームをサインした。

急に許可をしてくれたマイクにマリアは唖然としていた。

「サインをしたからには……確認しておきたいのだが……

君のこの計画を許可してくれたというのは『直属の上司』かな?」

サインをするマイクの事務的で真顔の質問に、マリアはハッと我に返ったようだ。

「あ、はい……直属の上司で同じ教官である『マーティン少佐』です」

「そうなんだ」

「あの! 彼は……私のこの計画については業務的な事として相談しているので

私が中佐に語った心中は告げていませんから……お叱りにならないで下さい」

「サインをした以上……許可をした君の上司を咎める資格は俺にはないよ」

マイクが意味ありげな微笑みを浮かべても……

マリアはその微笑みに気が付かず、ただ、ホッとしただけのようだった。

 

「後はグッラック……。『ブラウン大尉』」

マイクはサラリと、サイン書をマリアに手渡す。

「有り難うございます! ジャッジ中佐!!

やっぱり……ジャッジ中佐に一番にお願いして正解でした!」

(だろうね? 俺が許可したら、後の二名の上官も首傾げるだろうし?)

マイクはヤレヤレと……ただ嬉しさいっぱいにサインを眺めるだけの

マリアから背を向けた。

「一番……解って下さる方だと思いました」

今度はしおらしいマリア嬢の声。

(俺も……その話を聞いちゃね?)

 

そう──マリアが『仲間はずれ』と言った事の中に、『レイの忘れ物』が関わっている。

 

サインをすれば二人が接近する事にマイクは気が付いたのだ。

だから──サインをした。

 

ふと、振り返ると……マリアの姿はもうなかった。

嬉しさいっぱいで、その足で隼人が所属しているメンテ本部に向かったのだと

マイクはなんだか急に彼女の姿が可笑しくなって笑いだしていた。

 

それにしても──と、マイクは舌打ちをした。

「マーティンが許可をしたと言っていたな? まったく!!」

彼が業務的に許可しただと!?

マイクには解っていた。

(あの少佐……このまま放ってはおけないかも知れないな……)

マイクの脳裏に……ある晩の『酒場』での光景が過ぎった。

 

「こら! マイク!! 私を待たせるとはいい度胸の側近だな!!」

秘書室に戻ると、将軍室と続いているドアの前で亮介がプリプリ怒っていた。

「私は腹ぺこなのだ!」

 

『誰も付き添わなかったのか!?』

マイクは側で困った顔をしている部下に、しかめ面で問いただした。

『それが……中佐の“野暮用”をどうしても問いただすと言い張って……

誰も付き添い許可してくれなく、どうしても待っていると……』

まったく──ここにも世話が焼ける坊ちゃんがいてマイクはガックリ。

「はいはい。パパ将軍……今から行きましょう」

マイクが再び出かける準備をすると……亮介はやっとニッコリ。

「なんだか……女性から呼び出されたとか〜♪」

廊下で二人きり歩き出すと、亮介が興味津々マイクにまとわりついてにこにこ顔。

「だけど、秘書室の諸君は、それしか教えてくれないのだ。ケチな部下だ」

今度は途端に拗ねた顔。

(問いただされて、女性からの呼び出しで出かけたことは言ってしまったのか)

まぁ……マイクの言い付けよりも将軍に問いただされて口を割った部下の心中を察し

それ以上は部下のちょっとだけの告げ口を怒る気はマイクにはなかったが……。

「ええ、可愛いお嬢さんに誘われたので? 断りきれなくて」

マイクがニッコリ微笑むと、亮介ががっちり、大きな手でマイクの両肩を掴んで

顔を近づけてきた!

「立会人なら……私と登貴子がしてあげるよ」

まだ良い相手が見つからないマイクのことを亮介は日頃妙に心配していた。

「そのお嬢さんと結婚? まさか?」

マイクは大声で笑いたてた。

「まったく……パパは気が早くて参りますよ!」

「なんだ? なんだ? ここ数週間、お前の側には

女性の匂いがぷんぷんするのだが! 私の勘違いかね!?」

それは『正解』なので……マイクは『勘は一品』と

時々すごい力量をみせる坊ちゃんパパに急に畏怖を感じて笑い声を止めた。

「まぁ……その、カフェで説明しましょう」

「ほほぅ! 脈ありなのかな!?」

(お嬢さんの正体を聞いて驚くのはパパだろうけどね)

マイクは苦笑いで……ウキウキと先を歩き始めた亮介の後をついてゆく。

 

 

 

 「ええ!? うちのエディを!!」

 週明けが明けてから、隼人は二度目の空母艦見学をした。

今日は『ウィグバードチーム』の見学をしたその後、

メンテ本部にある横の会議室にキャプテンを呼びだしてついに切り出していた。

エディは絶対に欲しい隊員だったから、もう『迷い』はない。

一番最初に話のカタをを付けたかったから、一番に申し込む決意を週末に固めていた。

 

「実は今回の出張は、小笠原で第二中隊の第三編成付きメンテキャプテンである『ハリス少佐』と

組んで、我が中隊に『メンテナンスチーム』を結束するための

メンバー選びに来ていた次第です」

人気のない会議室。

そこで長テーブルに隼人とウィグバードが向かい合っている。

シンとした静寂が一瞬流れた。

ウィグバード中佐は、いきなり話を持ち込まれて驚くばかりで

次の言葉が出てこない様子。

だから──隼人が切り出した。

「本人の意思もあるでしょうし、キャプテンの許可無しに引き抜くつもりもありません。

ですが──お許しいただけるなら、是非!」

隼人は日本人らしく、テーブルに手を付いて額が付くほど頭を下げた。

「……」

それで、さらに──キャプテンは当惑したようだった。

「急なお話で、どのように判断させていただいて良いか解りかねます」

やっと落ち着いたのか……ウィグバード中佐が威厳ある中年の先輩の顔で答えた。

その表情に──隼人は少したじろぐ。

(AAプラスの整備員──。やっぱりキャプテンは重宝しているのか?)

エディが引き抜けなかったら……隼人は、この先の『引き抜き』にも

大きな精神的痛手を被る事になるだろう──。

欲しいあまりに、突っ走るように一番最初に話を持ちかけた事。

隼人は『先走ったか?』と、ヒンヤリと額に汗を滲ませるほど焦った。

「私、キャプテンの立場としても暫く考えさせて下さい。

エディ自身が『行きたい』と言えば、快く手放しますが……」

「本当ですか!?」

「エディのためになるかの判断もさせて下さい」

「……はい、そうですね」

子供を巣立たせる気持ちもあるのか? キャプテンは慎重だった。

そこで本日の話は終わった。

 

『しかし──あのコリンズのチームの為に候補に選ばれた事は

エディも栄光に思うでしょう……。後はチームのバランスを考えます』

 

その言葉もキャプテンとしてもっともだろうと……隼人は無理押しはしなかった。

 

「なんだかなー。すっごい告白をした気分……」

ウィグバード中佐が会議室を出ていった後……

隼人はホウ……と、息を落としながらファイルバインダーをひとまとめして会議室を出る。

 

すると──ドナルドがもの凄い形相で隼人に向かってくる。

本当にドナルドダック?と、思いたくなる日々だったが

彼は隼人のサポートにでもなったかの様に本当に周りに良く気を遣ってくれる。

これまた、憎めない先輩なのだ。

「中佐!」

「な、なに?」

「中佐が会議室で話ている間に、あのマリア嬢がランバート大佐室に入っていったぞ!?」

「え?」

「入り口にいる補佐の男の情報によると……

ミゾノ中将の主席側近『ジャッジ中佐』のサインをもらっていたとか……。

あの中佐のポジションは基地内でも結構重く見られているからな!」

「え……あのジャッジ中佐がサイン??」

隼人は眉をひそめて、ドナルドの次の説明を待つ!

「だからこそ……大佐室に通されてしまったみたいだぞ!」

「そう……なんだ?」

隼人は一瞬『クラッ』として、額を押さえた。

「中佐、しっかり! まだ、うちの大佐がサインしたとは決まっていないし!!」

ドナルドが茫然としている隼人の肩を励ますように叩くが……

(……まて? あのジャッジ中佐がサインしたという事は?)

マイクが単に面白がって『許可』などするはずがない。

隼人はマイクの事は、側近としてとても尊敬しているから。

だからこそ……。

彼は『絶対、サインしない』と思っていた。

しかし? サインをしたと言うことは……

隼人が思っている以外の事が『必要』と見て、サインしたはずだ。

いやいや──!

隼人は、もう少しで『マリアとの賭に負ける!』と思った所、気を改める!

まだ、彼女の父親がいるじゃないか!?

たとえ、マイクが許可しても彼女の父親なら絶対に許可しない。

葉月と父親の亮介が……軍人として向き合うときの『素晴らしいほどの親子関係の断ち切り』は

ブラウン親子の間にもあるはずだから……。

いや──?

それでも、葉月の兄様分でもあるマイクが『許可』した根拠が今度は気になる!!

 

『おい……これでランバート大佐が許可したらマリア嬢に軍配が上がるぞ!』

『お前、どっちに賭けた?』

『シット! もう賭け直しできないよな!?』

面白半分、賭事をしていた本部員達もざわめいている。

別に隼人はマリアに勝とうが負けようが気にはしないのだが……。

(うーっ! これで彼女と組むことになったら……)

隼人は額の汗を拭って……とりあえず席に戻ろうとしたその時。

 

「有り難うございました!」

マリアが元気良く御礼を述べて大佐室を出てきた!

「お忙しいところ……失礼いたし……ました……」

大佐室への入室を取り次いでくれた補佐に彼女は丁寧に御礼を述べていて……

そこで、会議室の前でドナルドと並んでいる隼人に気が付いたようだ。

彼女はニッコリ微笑みながら、隼人の前に来た。

 

「中佐! ご覧下さい! ジャッジ中佐とランバート大佐からサインいただきました!

後は……一番難しいでしょうけど……ブラウン少将お一人!」

マリアは頬を火照らせ……そして、瞳を輝かせて隼人に……

サイン済の許可書を見せつけた。

ここで驚き、隼人は焦る所なのだろうが?

なんだか……そんな一生懸命の彼女が……葉月と重なった。

「そう、頑張っているんだね。良い結果が出たなら俺だって言うことないよ」

隼人はニッコリと微笑んで……サインがされている書類を穏やかに見つめた。

(彼女なりに……どうしても、俺と一緒に何かしたい訳があるようだな)

マイクからサインをもらっただけでも大したものだ。

マイクの心を動かす何かを彼にぶつけたに違いない。

そうでなければ、あの尊敬する先輩がサインするはずはないのだから。

彼女にやましい画策がない事はこれで充分に解った。

これだけでも……隼人は『降参だ』と言い出しそうになったぐらい──。

案外、隼人が穏やかだったので、マリアはちょっと驚きはしたようだが

輝く笑顔をこぼし……敬礼をして本部室を出ていった。

驚いているのは……隼人の横でやり取りの一部始終を一緒に眺めていたドナルドだ。

「おいおい〜? 中佐、いいのかよ? そんな余裕で??」

昨日と違って隼人がマリアの『突撃』に寛容な態度だったので不審に思ったようだ。

「何故、俺が指名した上官が二人もサインしたかって事だね?

それなら……俺と一緒に向き合うべきだってお沙汰だろ? 仕様がないよ」

ドナルドは、隼人のシラっとした『余裕』にもっと驚いたようだ。

 

「中佐はすごいなーー! ホント!! どっちが勝っても、俺は中佐に一票だね!」

「またまた、そんな持ち上げても……」

「本当だぜ?」

ドナルドに誉められて、隼人はちょっと照れたのだが……

 

『おい! ランバート大佐のサインをもらったらしいぞ!』

ドナルドは、すぐにざわついている本部員の輪の中に行ってしまって

隼人も苦笑い。

隼人かマリアか……どちらに多く賭けられているかは隼人は知らない。

 

隼人がため息をつきながら窓際の席に腰を下ろした途端……。

「サワムラ中佐、少し、宜しいですか?」

ランバート大佐室の前から、大佐の側近が隼人を呼んだ。

何故サインしたかについての説明だと言う事は隼人にも解って

すぐに席を立って大佐室に向かった。

 

 

 数年前に出来た『新棟』に将軍達の部屋があり秘書室が点在している。

そこのフロリダ基地では最も新しくサロン的な『カフェ』は

一番大きなカフェのようなざわめきもあまりなく、とても落ち着いた雰囲気で

高官達のたまり場にもなっている。

今日は、マイクの『野暮用』で他の将軍達のランチタイムとは遅れをとったようで

マイクは亮介と向かい合って、二人だけの食事をしていた。

 

「もう一度、言ってくれるかな? マイク=ジャッジ君?」

亮介が頬を引きつらせながら、満面の笑みで……

ハッシュドビーフをすくったスプーンを止めてしまった。

「ですから……先程の女性の呼び出しというのは『レイ』だったんですよ。

なんでもロイから『休暇』をもらったとかで……入国監査事務所に迎えに来て欲しいと……。

ほら? 『中将としての父親のお仕事を邪魔してはパパに叱られる』と思って……

今のところは夕方家で会えるだろうと思ったのでしょう?

自宅に帰った方が良いとレイは判断したようですから、私が送っておきましたよ?」

何喰わぬ表情で……何故か?今日は少食気味にホットサンドのみかじっているマイクに

亮介は、もう一度微笑み……『カラン』と、スプーンを皿に置いた。

「こうしてはおれん!! 私は帰る!!」

亮介は日本語で叫んだのだが、大きな声だったため……

厨房にいるコックも、バー風のカウンターにいる女性従業員も驚いて一斉にこっちを見た!

そのうえ……

突然立ち上がろうとした亮介の肩をマイクは慌てて押さえつけ座らせた!

「パパ……落ち着いて!」

「落ち着け!? なんの知らせもなくあの娘が帰って来ただと!?

まったく、葉月は何を考えているんだ!!

あ! 登貴子に……連絡……いや!? 

ロイに訳を聞いて……いや!? まず家に確かめに!!」

「パパ……そんなに動転しなくても」

先ずどう動けばよいか? と、あたふたしている亮介にマイクは苦笑い。

「本当に『休暇』なのだろうな!?」

「後で私からもロイに……いえ、小笠原連隊長に確認取りましょう。

間違いないでしょう。レイは勝手に休むような大佐じゃありませんよ?」

「そーいう事を私は言っているのではなく!」

マイクは……亮介が『心配』している事がすぐに解った。

マイクはため息をついて……腕組み最上階から見渡せる基地からの海を眺めた。

落ち着き払っている側近を眺めて……

亮介も額のセットした髪をひとふさかき上げて、一息つく。

「マイク……お前も葉月が急に帰ってきた事がどういう事か解っているんだろ?」

「……転属の話ですか?」

「ああ、そうだ。葉月は……きっと……」

「パパはそう予感しているのですか?」

「あの子が思うことは遠くにいても私は解っているつもりだよ?」

「だけど……連隊長であるロイが許可をして送り出してきたんですよ?」

「まったく、ロイも何を考えているのやら?……」

亮介はそこでため息をつき……やっと将軍らしく落ち着いて暫く唸り……

「やっぱり、ロイの狙いはそこなのか?」

と……呟いた。

「パパ将軍……どうでしょうか? ここはロイが差し向けたとおり……

レイが『休暇』というまま接してみては?

彼女が『大佐』として動くだろうと思いますけど……それは大佐自身の仕事じゃないですか?

親として……寛大に広い目で遠くから眺めているのも大切だと思いますけど?」

「なーにが寛大だ!? あの娘を寛大に見守っていると思わぬ事ばかり!

それをこの前の任務でもイヤと言うほど思い知らされたわ!」

亮介は眉間に皺を寄せて、鼻息を『ふん!』と荒く突き上げた。

「ですけどね? パパ……もしかすると、レイからフロリダ帰省を実行したのですから……

レイなりに……何かフロリダでやりたくて帰ってきたんだと思いますよ?

こういう『傾向』って今までありましたか?

レイは……自分から望んで帰ってきたんですよ?

ここは……パパとして思いっきり娘として受け入れたらどうですか?

せっかく──近頃、良い距離感を掴んできた事だし」

マイクがしんなりと……亮介の親近者として語りかけると……

亮介も急に気弱な表情になって、やっとスプーンを手に取った。

「そうかな? それで良いのかな?」

マイクとしてはまだ……娘の心中である『忘れ物を取りに来た』は告げられなかったが……。

「レイが10日間ほど、あの家にいるんですよ? それも……あの青年と一緒に……」

「そうだけどね?」

途端に亮介が嬉しそうにちょっとだけ頬をほころばせた。

「一緒に食事したり、買い物行ったり……どうなんですか?出来るんですよ?

都合の良いことに……レイの方は休暇なんですから、娘として扱う融通が効くじゃないですか?」

「そうだね!!」

亮介の表情が徐々に輝いてくる。

「と──私がそう簡単に思いこめると思っているのか!?」

途端に亮介が叫んだ。

「……ですから……」

「休暇だと!? そんなの名目に決まっている!!」

「だから……! その大佐としての行動も広い目で見守ってやれば……」

「あの娘がする事を!? 何をしでかすかっていうんだ!!」

「だから……」

流石のマイクも亮介を丸め込めずに、押し問答をしていると……

 

「日本語で秘密の会話かい? 喧嘩しているように聞こえるよ?」

二人が座っている席に……金髪で青眼の麗しい紳士がニッコリ微笑んで現れた。

「フランク大将!」

マイクはすぐに立ち上がって敬礼!

「あ、ジェームス先輩」

亮介は途端にはにかみながら微笑んだ。

そう──あのロイの父親……この基地で一番偉い将軍である!

まるでハリウッドの俳優のように麗しく渋い風格はどこにいても目立つ将軍だ。

あのロイの父親だけあると……マイクは思うのである。

そして──マイクですらいつも緊張する上官の一人である。

 

「一緒にいいかな? コーヒーを飲みに来たんだが」

ジェームスがニコリと微笑むと、亮介も『どうぞ? 先輩』と隣の席を勧めた。

マイクはこういう時はパパ将軍に感心する。

なんと言っても若い頃から一緒に並んで力を合わせて進んできた将軍同士で

親族的付き合いにて、いまでもこの二人の『チームワーク』は絶品なのである。

誰もが畏れる大将に『先輩』と言えて、気兼ねないのは亮介と……

そう、ジョイの父親であるこの大将の弟、フランク准将ぐらいだ。

 

ジェームスに付き添っていた側近がそっと退いてカウンターに

コーヒーを頼みに向かった。

席に落ち着いた途端に……ジェームスがちょっと天井を見上げて

不思議そうな表情で呟いた。

 

「先程ね……おかしな事に……レイにそっくりな女の子を見かけてね?」

亮介とマイクはそろってドッキリ!

「えー? ジェームス先輩? どこらへんで?」

亮介の苦笑いにジェームスは首を傾げながら……

「いや……遠目で見ただけだったからね? まさか、レイは今は小笠原だろうけど?

ああ……そうそう、レイの側近『サワムラ中佐』がこっちに来ているんだってね?

一度、お目にかかりたいものだね?」

「大将がそうお望みなら……彼も喜びます、伝えておきます……」

マイクもなんとか笑顔を取り繕って……亮介にもう一度質問させようと目配せをする。

勿論、亮介も側近に言われなくともそうしたいところ……。

「いや〜娘にそっくりな女性隊員がいるなんて……ドッキリしますな〜?」

「そうだね? 私だってロイにそっくりな男の子が歩いていたらドッキリするし?

まぁ……工学科に向かっていたようだから……その辺りの女性かと思うけど?」

 

『工学科!!』

マイクはすぐにあることを直感できたが……

目の前の『パパ』もなにやら感じるところがあったようで顔色を変えた。

 

「うちの……娘じゃないことを祈るな〜」

亮介が、ぎこちなくやっと先輩に微笑むと……

「え? リョウ? それは当たり前だろ? レイは小笠原にいるんだから……?」

訝しそうなジェームスに亮介とマイクは揃って取り繕い笑い。

 

(あー、レイ……早速かよ?)

マイクは目の前でさらに落ち着きなくした亮介をみつめつつ……

パパ将軍に偉そうな事をいったが……自分も落ち着きなくなって

早くこのカフェを出たい気分になってしまったのだ──。

 

さて……気まぐれ台風の行方はいずこ??