25.びっくり箱

 

 「そうなの……夏休みだったのね? すっかり忘れていたわ」

 「お友達は皆、ファミリーでバカンスに行ったり、キャンプに行ったりしているの」

 「それで拗ねてブランコに乗っていたの?」

 金髪の少女はこっくり頷いた。

 

 アメリカンカントリー風の暖かみある夏に合わせたフォスター家。

そのリビングにある水色のギンガムチェックのカバーが掛けてあるソファーで

葉月はリリィと隣に座り合わせて、お話を始めていた。

「リリィ……。パパもその内に夏の長期休暇を頂けるわ。

毎年、そうなんでしょう?」

葉月がそういうと、リリィは不安そうにしながらもまたゆっくり頷いた。

肩まであるきらめく金髪は、ママに結ってもらっているのか

二つに分けて耳の上でおさげに結ってもらって……

ピンクと白色のボーダーティシャツに、裾にデニムのフリルが付いている膝までのジーンズ……

そんな元気いっぱいな恰好の10歳の女の子。

「大佐……申し訳ありません……お相手させて」

マーガレット夫人もこれまた美しい女性で……

夫を影から支えているという柔らかな主婦のようだった。

肩までのセミロングの金髪は肩先でふんわりカールされていて

シンプルなベージュのアンサンブルに花柄のスカート。

本当に家庭的な奥様のようだ。

そんな夫人が、ウッド調のトレイにクッキーと紅茶を運んできてくれた。

 

「いいえ……突然押し掛けたのは……私の勝手ですからお気になさらないで……」

「本当に驚きましたわ……」

「ね! お姉ちゃん! パパが帰ってくるまで待っているでしょ?」

リリィが葉月の腕にしがみついてそうせがんだ。

「こら! リリィ? お姉ちゃんは、まだ帰ってきたばかりでお父様やお母様の所に……」

夫人が娘にしかめ面を向けたのだが……葉月はそっと手で制す。

「ふふ……ビックリするかしら?」

葉月が悪戯っぽく微笑むとリリィの笑顔が輝いた。

夫人まで……笑い出したのだ。

「主人から伺っている通りですわ……?

なんでも『やんちゃ』で大人達を喰っていると……」

夫人はそういって『あら、失礼』と途端に我に返ったようだが……

「よく言われます。周りの兄様方にも補佐にも『手に負えないじゃじゃ馬』だと」

葉月がにっこり微笑むと、夫人も何を気にする事もなく自然に微笑んでくれた。

きっとフォスター隊長から沢山葉月の『本当の姿』を聞いているのだろう。

変に大佐として構えてくれなくて葉月としては本当に話易さを感じられた。

「隊長は、わたくしよりずっと大人の先輩ですから……

任務の時は大変迷惑をお掛けしたにも関わらず、先日の小笠原訪問でも

私に役立つ指導をたくさん残して下さいました」

「そう仰っていただけると主人も喜びますわ?

ですけど……主人が危ないところを助けていたいただいたお話を聞いていますので

心より……感謝しているのですけど。

あなたを目の前にして……とても信じられませんわ……。

とてもお綺麗で──本当にまだお若いお嬢様にしか見えませんのに……」

任務の話が出ると……葉月も『必死』だった自分の事はあまり良く覚えていない様な……

もう、遠い出来事のような気がして……返す言葉が上手く出なくて戸惑っていると……

「お姉ちゃん、すごく強いって本当? パパはおっきな男の人を投げ飛ばすって言っていたわ!」

「もう……リリィ?」

女性である葉月に、そんな質問をしたので夫人が困った顔をしたのだが……

「そうよ。パパに習ったの。女を襲う怖い男のやっつけ方」

「わ! おねえちゃんのパパってすごいこと教えてくれるのね!

リリィも、怖い人のやっつけ方知りたい!!

お姉ちゃんのパパは将軍さんだってパパが言っていたわ」

「そ。おちゃらけた将軍さんよ? 補佐のお兄さん達が頑張っているの」

葉月がクスクスと笑い出すとなんだかリリィも楽しそうに笑ってくれた。

「まぁ……大佐? お嬢様であるあなたがそういったら中将がガッカリされるわ?」

そう言いながらも夫人もクスクスと笑ってくれるのだ。

 

そんなとき──

『ジリリリリ!』

フォスター家の電話が鳴った。

夫人がしとやかに立ち上がってテレホンラックに向かう。

 

「あら? あなた?」

夫人のその受け答えを耳にしてリリィは喜んで飛び出し、葉月はサッと動いた。

「ママ、パパには内緒よ!」

リリィは葉月の『作戦』が気に入ったらしく機転を効かせてママのスカートを引っ張った。

勿論、夫人も娘にニッコリ、ウィンクで合図してくれて葉月もリリィとニッコリ。

「まぁ……サワムラ中佐とタツヤを? 今夜?」

「!!」

葉月は、隼人の名が出て咄嗟に反応。

「えっ! タツヤも来るの……!?」

リリィの笑顔が輝いて……そして葉月のカフスを引っ張ってソファーへと連れて行く。

「タツヤにお願いしたの! お姉ちゃんと一緒にオハシを探してくれたお兄さんも

フロリダにお仕事で来ているって聞いて……連れてきてって!」

「そうだったの」

「つまんない夏休みって思っていたけど! 今日は最高!」

リリィは本当に嬉しそうにクッションを抱えて、飛び回った。

 

夫人が電話を切って『バッチリよ』と戻ってきた。

「リリィ……良かったわね。お兄さんもお姉さんも遊びに来てくれて……」

午後一杯拗ねていたという娘が途端に元気になったので夫人も嬉しそうだった。

「大佐も宜しかったら……ご一緒に。なんのおもてなしも出来ないのですけど……」

夫人の優しい笑顔に、葉月は遠慮なく甘えさせてもらうことにした。

クッションを抱えてリビングを嬉しそうにピョンピョンと跳ね回る娘を眺めて

夫人がポツリ……と呟いた。

「実は……大佐嬢の元への転属のお話が落ち着くまで……

夫も様子見で休暇が取れないと言っておりまして……

それで……娘は拗ねていたのですよ。

週末の日帰りのお出かけで今のところ誤魔化しているんですけど……。

でも──今日はリリィにとっては最高の日になったようですわ」

「いいえ……そうお聞きしましたら……私のせいで……心苦しいですわ」

葉月は、そっと微笑みつつ俯く。

「あら……こちらこそ、よけいな事。大佐のせいではありませんわ。

これも夫の仕事の事ですから……。

それにもし転属になっても私は覚悟しておりますし……

夫も……あなたの元なら……最終的には力になりたいと言っておりましたから……」

夫人は、一点の曇りもない笑顔を見せてくれた。

でも──と、葉月は俯く。

だけど──そんな話はフォスターとも散々した。

妻だって解っているだろうと思ってここでは深く話題にするのはやめて

「ミセス=フォスター……有り難うございます」

御礼だけ述べて置いた。

 

「おねえちゃん! リリィのお部屋に行こうよ!」

「いいわね? このウサギのお友達がいるのかしら?」

「いるわよ!」

葉月はリリィに誘われるまま……二階の小部屋にお邪魔することとなった。

 

 

 夕方──。

 「なんだ、お前達は? 喧嘩でもしたのか?」

シルバーのセダン車の運転席で運転をするクリス=フォスターがふと呟いた。

助手席には達也が腕を組んでだんまり。

後部座席には、隼人が外の景色を何となく眺めて静かに座っていた。

 

「別に? そんな男同士ではしゃぐ歳でもないし」

達也がそっけなく答える。

「……」

後部座席の隼人は、繕うように微笑むだけだった。

「まぁ……そうかもしれないが?」

フォスターは……二人が一緒にゆっくり話す時間もないようだから

そこも気遣って家に招待したのだが。

(……食事で向き合えば自然に話し出すだろう?)

そう思って……変に予想外の雰囲気である後輩二人に戸惑いながら住宅地へと車を走らせる。

 

「へぇ……なんだかアメリカの住宅地ってカンジ」

隼人が窓辺に身を乗り出した。

「マルセイユとは雰囲気、違うかな?」

フォスターがそっと話しかけると隼人が『勿論』とにこやかに返事を返してくれる。

なのに──

隣の後輩は……頬杖を付いていつも以上に仏頂面なのだ。

(なにがあったのやら?)

『兄さんの所へ行ってくる!!』

訓練が終わって、今夜の家への招待を達也が伝えると張り切って

空部隊に出かけたのに……

何故か? 空部隊で隼人に会ったその後から達也はこの様子なのだ。

だからといって……達也のこういう不機嫌は長続きしない事をフォスターは既に知っていた。

 

「リリィ……喜ぶだろうな!」

フォスターの家が間近になると、途端に達也はいつもの元気さを取り戻す。

フォスターは『やっぱり』……と、そうは長続きしない達也の不機嫌に苦笑い。

 

「さぁ……着いた」

フォスターは家の門前に車を停めた。

 

「パパー! お帰り!!」

愛娘の声がして、フォスターは早速運転席から降りる。

娘にせがまれて、なんとか作ってあげた庭のブランコ。

娘はいつも夕方はそれに乗って自分を待っていてくれる事が多く……

クリスはその笑顔で一日の業務の疲れを癒されるのだ。

 

のだが──

『キーコ、キーコ』

いつも娘が元気良くブランコを漕いでいるのだが……

この日は娘が座って……誰かが娘を足の間に入れて立って漕いでいた。

ブランコは娘がいつも漕いでいる以上に高々と弧を描いていて

娘がそこから手を振っていた。

「──!?」

クリスは目を凝らす。

軍隊のタイトスカートに長袖の白いカッターシャツ姿の女性。

ブランコを漕ぐ気流で、彼女の頬にかかる髪が顔を隠して……

そして……前へと彼女が重心をかけて漕ぎ返すとき……頬の栗毛がそっとのいた。

「……まさか……!?」

クリスは、思わず短髪の頭を両手で抱え……

「嘘だろ!?」

と、悶えそうになった!!

 

「なに? 隊長……どうかした? お客さんかよ?」

達也も助手席を降りて……そして、隼人も後部座席から降りると……

「サ、サワムラ君? 君はあれが誰に見える!!?」

いつも落ち着いているクリス=フォスターがなにやら……

あたふたと交互に隼人に振り返り……そして、庭のブランコを指さすのだ。

 

 

「うっわ!! マジかよ!?」

達也も隊長の驚きが解ったようで大きな声で叫んで

『オーマイガッ!』と、頭を抱えた!

 

「え……? 」

隼人も『んん!?』と眉間に皺を寄せて……眼鏡をかける!

 

『キィ』

ブランコを漕いでいた栗毛の女性が、ブランコを止めてリリィを降ろした。

「きゃははっ! パパがあんなに驚いたのを見たのは、初めてかもっ!!」

リリィが可笑しそうにお腹を抱えて笑って門に駆け寄ってきた。

ブランコに乗っていた女性も、すっとおりて……クリスに微笑みかける。

 

「隊長? 素敵なブランコね? お嬢様が羨ましいわ」

 

夕日の中、にっこり微笑んだ女性を見て

門の前にいる男性三人は唖然としていた。

だが──瞬く間に動き始めたのはやっぱり! 隼人!!

 

「お前! どうりで空軍管理のメールが増えて、返事が来なくなったはずだ!」

『いったいどーいう事だっ!!』と、隼人がすごい剣幕で庭に入ってきた。

葉月は腕を組んで、シラっと相変わらずの落ち着き。

「あら? 私に『帰省』をした方が良いって進めたのは隼人さんじゃない?」

「帰省!?」

「そ。帰省……『休暇』をくれたの。ロイ兄様が」

「本当かよ!?」

詰め寄る隼人に、葉月は面倒くさそうにため息……。

「兄様の許可無しに勝手に休暇が取れる身分だと思って?」

 

いつもらしい葉月と隼人のやり取りを眺めて、やっとクリスがハッと我に返る。

「パパ! お姉ちゃんのポケット見て! 私があげたウサギ、持ってきているの!」

「ほんとうだ……リリィ!」

嬉しそうな娘の輝く笑顔に、クリスもやっと表情を崩して駆け寄った。

「タツヤも! 早く!」

「やれやれ……幻だと思いたいね? ただじゃ終わらないんだから……いっつも」

達也は葉月の突風なんて慣れっことばかりにもう落ち着いて

呆れた溜息をもらし始めた。

 

 

「お嬢さん──いつのまに!」

まだ、小言を漏らすお兄さん側近と、小うるさそうにそっぽを向けているお嬢大佐。

そんなクリスが良く知っている二人の姿が目の前に!

しかも──クリスとしては……

『お嬢さんがくれば、上手く行く!』

そんな『信仰的』な気持ちを既に葉月に持っていた……クリスは自覚はしていないが

そう表現したいくらいの『期待』が溢れたのだ。

「隊長! 俺はいつもこうして騙されるんですよ!」

隼人が理解を求めるように葉月を指さしたが、そんな言葉はもうクリスには通用しない。

「休暇だって? 連隊長の計らいなのかい?」

「ええ──大佐になったご褒美に。今のウチに羽を伸ばせと言われました」

葉月が悪戯っぽく微笑むと……

「アハハハ!」

なにもかも──小笠原連隊長が仕向けた『魂胆』が解ってきて

クリスは大いに笑った。

だけど……葉月とクリスが見つめて通じたように笑い合うと……

隼人もなにやら気が付いたのか……フッと肩の力を抜いてお手上げのポーズ。

「やれやれ……どうやら、また連隊長にやられたようだな」

『仕方がない』と……隼人はまだ半分ふてくされて疲れたため息を落としただけ。

 

クリスはふっと後ろで面倒くさそうにふてくされている達也を確かめる。

達也にはまだこの『魂胆』の意味は解らないだろうし、まだ解って欲しくないところ。

それに──

『面倒くさそう』ではなくて……

会いたかった女性が目の前にいるから、素直になれずに照れ隠しをしているだけ……。

それが解って、クリスはもう一度大笑いをした。

 

「なに? パパったら……」

リリィが今度は、訝しそうに背が高いパパに抱きついて首を傾げた。

 

「リリィ! お姉さんはパパが電話した時にはいたのか?」

「うん! お姉ちゃんとママと同盟組んだの!」

「このっ! パパを騙したな! オチビ!!」

クリスが逞しい腕で、リリィをガッと抱き上げた。

「そうよ! パパ! パパのビックリした顔、面白かった!!」

「まったく……」

 

「……」

葉月は……10歳の女の子を逞しく抱き上げた海兵のパパと

甘えている女の子を……ジッと静かに眺めていた。

「いいな……隊長は、こんな可愛い娘がいるんだ」

隼人も微笑ましく眺めていた。

「羨ましいだろ? 葉月」

葉月と隼人の横に達也がツイッと一緒に並んで

神妙に父娘を見つめる葉月に意味ありげに微笑んだ。

「べっつに」

葉月は、ツンとそっぽを向けた。

達也はクスクスと笑って、隼人の肩を叩いた。

『本当はああなりたいんだぜ』

達也が面白そうに隼人の耳元に囁いた。

 

『そうなんだ……』

隼人はまた達也に教えられて……改めて……輝く父娘を見つめた。

深い傷を日本で負って……アメリカの親元に引き取られて……

10歳の葉月がその後どのような日々を過ごしてきたかは

想像が出来るだけに隼人は、葉月に問いただしたことはない。

 

葉月がフォスター家に来た訳──。

隼人は……『リリィとウサギ』が何か動かしたと思った。

 

『パパが側にいるって、良い事よね』

 

リリィからウサギの人形をもらったあの時。

葉月がこぼした優しい笑顔が隼人の脳裏に蘇る。

そっと彼女の心が動いたのを感じたぐらいだ。

 

『ただの帰省じゃないようだな……』

隼人はそう予感した。

だから──ロイの『差し金』には仕事的な思惑もあるだろうが

兄様として……何か後押しして休暇を与えたのではないかと……。

隼人はそう思えてきて、もう、葉月が自分に黙って勝手に動いたような

『突風帰省』にとやかく言う気が失せてしまった。

 

「お姉ちゃんと、お部屋で遊んだのよ」

「そうか! 良かったな」

「私の人形、いっぱい見せてあげたの」

「そうか」

活き活きとした表情で、パパに報告する娘。

そして──パパの優しい眼差し。

 

葉月は目を細めて……半ばうっとり眺めていた。

達也ももう茶々はいれず、隼人と目を合わせてそっと後ろで一緒に見守る。

 

「おっとリリィ。まだ、サワムラのお兄さんにご挨拶がまだだ」

「あっ!」

パパの腕から降ろされて、リリィがピョン!と、隼人の前に飛び出した。

「お兄さん、可愛いオハシ、お姉ちゃんと選んでくれて有り難う!

お兄さんがお仕事でこっちに来ているってタツヤに聞いたから。

連れて来てってお願いしたの!」

隼人もニッコリ微笑んで……芝生の上に跪いた。

「リリィ……初めまして。お姉さんの側近をしているサワムラ。

えっと、名前は隼人……ハヤトでいいよ」

「ハヤト?」

「そう、タツヤとハヤト」

隼人は立ち上がって、達也と並んで肩を組んだ。

「リリィ! 間違えるなよ。同じ日本人でも、男前がタツヤで眼鏡がハヤトだぜ?」

達也もふざけて隼人の肩を組み返す。

「ひどい見分け方教えるなよ」

隼人がふてくされると、皆がそっと笑いを漏らした。

「うん! ハヤト……ね。よろしく!」

庭で賑やかにリリィを中心に皆が和んだ所で……

 

「ね……私、ちょっと家に行きたいんだけど」

葉月がポツリと呟いて、皆が振り返った。

「お姉ちゃん? 帰るの?」

急に残念そうなリリィに葉月はそっと首を振って……ニコリと微笑んだ。

 

「リリィ! すぐ帰ってくるから! 待っていて!!」

葉月はそう言うと、瞬く間にフォスター家の庭柵に立てかけていた

青いマウンテンバイクに駆けだした!

「おい! 何処に行くんだよ!」

隼人が慌てて追いかけると……

「だから! ウチだってば!! すぐ、戻るわ!」

そして、葉月は自転車にまたがってフォスター家を飛び出し

疾風のように出ていってしまったのだ。

隼人がなりふり構わず、走って追いかけようとすると……

「サワムラ君、そんなに心配なら俺の自転車を貸すよ」

フォスターが、にっこり玄関先にあるチャイルドサイズの赤いマウンテンバイクと

一緒に立てかけてある、黒いマウンテンバイクを指さしてくれたのだ。

「すみません! まったく! 落ち着かないお嬢さんで!」

『放っておいたら何処へいくやら!?』

隼人はブツブツ呟きながら、遠慮なく黒い自転車をすぐに借りてまたがった。

「ちゃんと、連れ戻しますから! リリィ、待っていて!」

眼鏡をかけた黒髪のお兄さんまでもが自転車で颯爽と庭を出ていった。

 

フォスターはにっこり余裕で見送っていたが……

リリィは不安顔……。

そして──達也は……

「わ……なんだ? 相変わらず落ち着かないやっちゃな!?」

息があったような素早い隼人に置いていかれてちょっと拗ねた。

「リリィ。大丈夫だよ。兄さんと葉月は約束は破らないし……」

『俺がここにいるだろ?』と、達也がおどけてリリィの顔を覗き込むと

リリィも拗ねたように達也に抱きついてきた。

「さ……ママがなに作ってくれているかな? 中で待とう」

パパとタツヤに頭を撫でられて、リリィはちょっと微笑んで家に戻った。

 

「まったく……お嬢さんは面白い『びっくり箱』だな。

ウンノ……飽きないだろうなぁ? ああいうお嬢さんが一緒だと」

先輩の楽しそうな顔を見て達也は思った。

この先輩もすっかり……『信望者』になった一人だと。

「前から言っているじゃないスか? 疲れるだけだって!」

達也が毎度の如く、ムキに否定してもクリス先輩はただ笑って流すのだ。

 

『確かに……びっくり箱だよな?』

達也は……葉月が突然来て心臓が飛び出たかと思って胸を押さえた。

嬉しさを通り越して、変に胸騒ぎがするのは気のせいなのだろうか?

俺だけだろうか??──と。

 

 

 住宅地の幅広い道路を葉月がギュンギュンと慣れたように

隼人の目の前を、自転車で飛ばしている姿を確認!

 

「この! みつけたぞ、じゃじゃ馬!」

数日振りに会えたと思ったら、途端にこの有様。

再会のしんみりの一つもない『台風』はスッと、ある曲がり角に消えた。

隼人も見失わないように後を追う。

その内に、見覚えのある渚沿いのフェニックス通りの住宅地に出て

夕日の潮風の中、葉月が直線の道をガンガン飛ばしている後を追う!

「待て! 葉月!!」

葉月の背中が近づいて、隼人が叫ぶと彼女が肩越しにチラリと振り返ったが

待ってくれる気配なし。

それどころか、向こうがムキになったようにスピードを上げた!

「このやろ!」

隼人も引き離されないようにスピードを上げる!

白い柵が続くいくつもの家を通り過ぎて、赤いフィアットがチラリと

隼人の視界にも見えてきた。

その車がある門に葉月はスッと入っていった。

隼人は息を切らして、白い柵、芝庭の前で自転車を停めると……

芝庭ではポロシャツに膝丈のハーフパンツ姿の亮介が

ゴルフクラブを振って、ネットに向けて白球を打ち込んでいる姿が見えた。

リビングの窓は大きく全開になっていて、遠く見えるキッチンからは

登貴子とベッキーがエプロン姿で動いている姿が見える。

 

『ガシャン!』

葉月が自転車を立てかけもせずに、倒したまま飛び降りた。

その粗雑さに隼人は顔をしかめた。

勿論、その粗雑な音に亮介が気が付いて、庭から玄関先に振り返る。

 

「ただいま! パパ!!」

葉月は、玄関に向かわず、そのまま芝庭に入って……

庭からリビングにサッと走って行く。

「お!? こら!?」

葉月は、父親に一声かけただけで

まるで毎日この家に出入りして過ごしているように

リビング前のテラスにあがって靴をこれまた粗雑に放り脱いで家の中に消えていった。

「こら!! 葉月じゃないか! お前、何処に行っていたんだ!!」

父親に『ただいま』の挨拶もそこそこの葉月を見て隼人は額を押さえた。

それどころか、葉月は二階へと階段をバタバタと上がっていった。

隼人も呆れながら、自転車を手で押して門を抜けて庭に入った。

「隼人君──! 一緒だったのかい!?」

狼狽えている亮介に隼人は引きつり笑いを浮かべる。

「僕だってフォスター隊長の家にお伺いしたら、そこで今ばったり会ったばかりですよ?

お父さん、ご存じだったのですか?」

「いいや!! 私も昼過ぎにマイクから聞いて驚いて帰ってきたんだよ!

なのに葉月の部屋には荷物だけあって、あの子は何処にもいなくて

こうして待っていたんだよ!?」

(まったく──)

本当に誰にも告げずに突然来たにも関わらず

何処へとも飛んで歩いてばかりいる葉月に、隼人は益々呆れた。

「なに!? 亮介さん、大きな声で……」

登貴子とベッキーもキッチンから出てきた。

すると──

また、葉月が階段からバタバタ降りてきた。

「葉月! あなた、黙って帰ってきて何処に行っていたの!」

それを見つけた登貴子も娘に食ってかかったのだが、

葉月はまたバタバタと庭先のテラスに出てきて亮介に向き合った。

 

「パパ! あのクマの人形どこにやったの? パパの部屋にあったじゃない!!」

「…………」

「パパ!」

葉月の顔が妙に真剣だった。

なんか変な空気を感じた隼人は……庭の隅にそっと一歩下がって見守る姿勢に……。

 

葉月が子供のように父親に尋ねている、『クマの人形』。

その言葉が問いかけられた途端に、

娘の突然の帰省に狼狽えていた亮介の眼差しが、冷ややかに落ち着いた。

そして娘に素っ気なく背を向けてしまったのだ。

その上……何も聞かなかったかのように、ゴルフクラブのスウィングを始める。

 

「あの……パパ……その……」

あんなに突っかかっていた葉月が急に、弱々しく俯いたのだ。

隼人は驚いて……息を呑んだ。

そこに『パパの険しさ』に恐れを抱いている娘の姿を始めて見たのだ。

しかも──! あのじゃじゃ馬の恋人が……だ!

「パパ……ごめんなさい。あの……私」

葉月が、上手く言葉が表現できなくて苦しんでいる表情を見て

隼人は益々……困惑し、何か助けに入りたくなったのだが……気強く、見守った。

 

「もう、お前には必要ない物ではなかったのか?」

「……捨てちゃったの?」

「……お前が“いらないから捨てろ”と言ったんだ」

亮介は葉月に背を向けたまま、素振りを芝に向けてただひたすら繰り返していた。

「葉月……あれはね?」

登貴子が、そっと間に入ろうとテラスに姿を現したのだが。

「登貴子、お前は黙っていなさい」

亮介が『ピシリ』と言い放って……やっと素振りをしていた手を止めて振り返った。

 

そこに隼人が知らない……御園家の大きな『わだかまり』が

露出しはじめている異様な空気を感じずにいられなかった。

 

夕暮れの芝庭で……

遠い潮騒だけが……この庭に静かに漂っていた。

 

亮介の厳しく……威厳ある冷たい父親としての姿。

葉月の……それを恐れて言葉を上手く言えないもどかしそうな姿。

父と娘のいつにない真っ正面の向かい合いに気を揉む……

登貴子の妻として、母としての見守る姿。

 

隼人は、息を呑んで……芝庭の片隅でただ見守るだけだったが……

とても、とても……胸の鼓動が早くなっていた。