24.レイ・アゲイン

 

 真っ青な空に、しなやかに伸びるフェニックス。

 二本立ちのフェニックスがあるのが『御園家』の『目印』

 白い木製の柵。

 青々とした芝庭。

 白い玄関前には赤いフィアットが停車していた。

 

 「登貴子! いたか!?」

 その頃──この宅の『主』、御園亮介はバタバタと

一階にある部屋のドアを開け回って覗き込んでは、次の部屋へ……。

 

買い物をしてから、御園家に先に辿り着いていた黒人のハウスキーパー『ベッキー』は

ゆったりと台所仕事をしていた所に、

この家の夫妻が顔色を変えて揃って帰ってきたかと思ったら……

主人はこの様な有様で、妻の方は二階の『お嬢様部屋』に行ったきりだった。

主人の有様をキッチンの入り口から眺めていたベッキーは

「パパ? どうしたんですか?」

と……尋ねると、麗しくセットしている前髪を乱した亮介が

息を切らしながら、キッチンドアのすぐ前にある白い手すりの階段を見上げていた。

 

「亮介さん……ちょっと、宜しい?」

二階にある『娘』の部屋に入っていた登貴子が……

なんだか『妙』な表情で、部屋から出て階段下にいる夫に声をかけた。

「どうした? 葉月はいないのか?」

「いないわ……でも、荷物がベットの上に……」

登貴子が……なんだか気が抜けたような?

それでいて切なそうな……でも、当惑したなんとも表現しにくい顔つきで呟いた。

「え!? パパさん? レイが帰ってきたって事ですか!?」

ベッキーがやっと何が夫妻を慌てさせているのか解って叫んだ。

「どうした?」

亮介は妻の困惑した表情に、引き込まれるようにして階段を上がり始める。

ベッキーも胸騒ぎがして、亮介の後に続き階段を上がった。

 

二階、階段を上がったすぐ手前の部屋。

それが10畳ほどある『娘・葉月』の部屋だった。

そのこのドアへと妻が再び姿を消し……

亮介はそれを追う。

 

亮介が開け放たれたドアに辿り着くと……。

妻の登貴子が……ぺったり床に座り込んでいた。

 

「どうしたんだ? 登貴子!?」

なんだか脱力しているように俯いている妻の背中が……

とても弱々しく見えたので亮介は驚いて駆け寄る。

そして……妻の肩越しから、彼女の手元、床に置いてある『物』を

亮介も確認する。

「それは──」

 

娘の白いシーツのベッドの上には、旅行鞄。

そして──そのベッドの側の床に座り込んでいる妻の手元には……

──『ヴァイオリン』──

 

亮介は、ふと思うところがあって、娘が家にいた頃、着ていた洋服が

そのままになっている『白いクローゼット』に駆け寄って躊躇うことなく扉を開ける!

クローゼットのバーには、娘が十代の頃来ていたシャツにジーンズ……。

そして端には……亮介や登貴子、色々な親しい者から贈られたにも関わらず

娘があまり袖を通すことがなかった『ドレス』等、女性らしい服が残されている。

亮介はそのドレスがかけられている床の辺りを探った。

そこには……古ぼけたヴァイオリンの形をしたヴァイオリンケースがある。

手に取ってみたが……中身は、葉月が出ていった時のままちゃんと収納されている。

それを亮介は手に取った重さで確認した。

「葉月のヴァイオリンは……ここにあるのに……!?」

亮介は再び妻の方へ振り返った。

 

「そんな事! どうでもいいわよ!」

弱々しかった妻が、やっと耐えられなくなったのか叫び声をあげた。

そのうえ、眼鏡をとりさってハンカチで目元を押さえ、グズグズと泣き出したのだ。

「登貴子」

亮介はそっと俯いた。

 

妻は『哀しくて』泣いているのではない。

妻は『戸惑っている』のだ。

何故なら……夫妻は娘が手放す事はないと思っていた『最初のヴァイオリン』を

いとも簡単に……この家を出ていくときに置いていった事に

後ほど、大変なショックを受けた事がある。

 

娘は、訓練生になっても、戦闘機の訓練が始まっても……

『ヴァイオリン』が相棒でなくなっても……手放すことはなかった。

何か、『相棒』と向き合っている時、口惜しそうな悔しさと対面している姿を

夫妻は見つめ続けてきた。

口惜しくても……娘はヴァイオリンを手にして、時には演奏していた。

ただし──

人目に触れないところで。

つまり──

『両親』の前では演奏することは滅多になくなっていた。

 

『葉月……リトルレイ? たまにはパパと一緒に弾かないか?』

亮介がピアノに向かっても

『私、忙しいの。ごめんね、パパ』

娘は無表情に答えて……白い階段を上がり部屋に閉じこもる。

 

『渚で弾いているお嬢様を見かけましたよ』

ベッキーにある日、そう言われ……

夫妻は隠れるようにして、夕暮れの渚でひっそりとに波に向き合い演奏する娘の姿を

覗きに行っていたくらいだった。

 

その娘が、日本へと出ていった時に……

あっさり『ヴァイオリン』は置いていった。

 

『あの子、完全に……断ち切るつもりなんだわ』

『私は、そんな事信じない。葉月は絶対に忘れることは出来ないはずなんだ!』

弱気に事態を受け止めようとする妻に

亮介はそうして自分に言い聞かせるように、強く言いきって来たのだ。

 

小笠原で娘が『軍人・社会人』として働き始めると

見事に『パイロット』一色の生活になっていたようだ。

 

そうなのだが──

 

『オジキ──。そんなに嘆くこともないさ。

葉月はちゃんとヴァイオリンを弾いている』

 

『純一』と向き合う機会がある時あったのだが……

彼がそう言ったのだ。

 

『右京とお揃いで一等のヴァイオリンを送りつけてやったのさ』

 

純一がなんだか致し方なさそうに微笑んだ。

この『青年』もまた……夫妻と供に葉月の『音楽離れ』を恐れていた一人。

 

しかし……亮介には父親として口惜しい事に

娘はこの『義兄』の配慮ならすんなりと受け入れる『心』が存在しているようで

義兄がヴァイオリンを送ると……また、密かに音楽を手元に蘇らせたと聞かされた。

だが……

それ以後も、娘は両親の目の前でヴァイオリンを手にする姿は見せたことがない。

 

 

亮介は、クローゼットのヴァイオリンを元の位置に戻して……扉をそっと閉じた。

そして──妻の元へ近寄ると……

今度は、妻が躊躇うことなく……

帰省してきた娘が持ち込んできたヴァイオリンケースを開けたのだ。

 

「これ──ママが右京に贈ったヴァイオリンじゃないかしら!?」

登貴子がケースごと持ち上げて亮介に見せた。

「本当だな!?」

甥に『音楽の才』を見抜いた亮介の母『レイチェル』が

自分がしていた『ビジネス』のツテを使ってどこからともなく仕入れてきた『名器』

幼い甥に持たすには『勿体ない』というぐらいの品だったが

甥の右京は、与えてくれた祖母に感謝するようにその名器を使いこなした。

純一が右京と葉月に揃って送った『ヴァイオリン』はさらに上を行く『名器』と聞かされている。

そういう珍しい品であるから、亮介もそのヴァイオリンが甥の愛用品であることは

ひと目で解った。

だけど──?

あれだけ『大切』にしていた祖母との思い出の品をあの甥が手放すなんて?

夫妻は揃って顔を見合わせたのだが……。

 

「……右京……もしかして、葉月にもう一度弾く習慣を戻したくて?」

登貴子がぽっつり呟く。

亮介も跪いて……そのヴァイオリンに触れてみた。

「右京がそうしてまで……手放したから葉月も……?」

「右京……ったら。うちの我が儘なレイに……バカね……。

お祖母ちゃまとの想い出の形見のはずなのに……!」

登貴子がハンカチを目元で押さえて……涙をドッと流した。

「葉月が……ヴァイオリンを持って……帰ってきた」

亮介も妻と供に声を詰まらせた。

甥のそんな気持ちと供に……娘が『帰省のお供』にヴァイオリンを持ってきた!

 

その気持ちの変化を目の当たりにして

妻は『戸惑い』──でも、何かに報われたかのようにすすり泣いるのだ。

勿論──亮介も……。

だが……亮介は泣かない。

微笑みながら、妻が抱えているヴァイオリンケースを手に取り

そっとケースを閉じた。

 

「さぁ──登貴子。娘が帰ってきたんだ。泣くのはおやめ?」

亮介がそっと妻の白いブラウスの肩を撫でると、登貴子も頷いてやっと泣きやんだ。

「亮介さん……私達の葉月が……こんな風に帰ってるなんて……あったかしら?」

登貴子は制服姿の夫の広い胸にそっともたれかかる。

「うん……なかったけど。今度はあったよ……」

亮介はゆっくり微笑みながら、眼鏡を外している妻の黒い瞳を見つめた。

目元は深い皺が増えはしたが……

昔と変わらぬ涼やかさの中に凛とした輝きがあって……まつげがピンとしていて……

それでいて濡れた漆黒の宝石のような艶っぽさ……。

亮介が昔、恋い焦がれた黒髪の女性の面影はいまだって健在だ。

娘達にもこの眼差しが受け継がれていることを亮介は時々感じる。

と──いっても……それを確認できる娘も今や一人だけで、しかも滅多に会えないが……。

妻のそんな愛らしい眼差しを見つめていると

亮介もなんだか胸が妻と同様に『感極まり』そうになる。

それほど、妻の眼差しは亮介に訴えてくれるものなのだ。

「あの子……今度の帰省はいままでと違うみたいね?」

「そうだな……何をしにきたかは知らないが……」

亮介はちょっと疲れた渋い顔をして……

「まぁ……それでも、何かを持って帰ってきたみたいだな」

亮介も微笑む。

夫妻はヴァイオリンケースを見つめてそっと微笑み合った。

 

「あの……」

夫妻二人きりでしんみりしていると、部屋の入り口から

ベッキーが申し訳なさそうに声をかけてきた。

二人はハッと我に返っていつもの『パパ・ママ夫妻』に戻った。

「レイが帰ってきたのなら……晩ご飯如何致しましょ?」

「ああ、そうだ……ママ? アレ作ると張り切っていたじゃないか?」

「そうだわ! こうしてはいれないわ! 足りない材料あるかしら?」

夫妻は立ち上がり、ヴァイオリンケースを元の位置、ベッドの上に置き直す。

 

「奥様、アレをお作りになるなら材料は揃っていますよ? 手伝いましょうか?」

「本当に! サンキュー!! ベッキー!」

妻とベッキーが少女のようにはしゃぎながら、娘の部屋を出ていった。

 

亮介はそっと……海辺の日差しが入り込む娘の部屋を振り返った。

そして窓辺に歩み寄り、遠い渚の景色を見渡す。

 

「しかし──何処へ行ったのやら? 夕飯までに帰って来るという保証はしかねるな?」

ホッと溜息をつきつつも……亮介は笑っていた。

なんだか──笑っていた。

 

『寛大な目で見守っては如何なのですか?』

生意気な側近の声が蘇る。

 

 

亮介の一番可愛い『オチビハリケーン』。

可愛いオチビが何をしに来たかなんて……もう、どうでも良い気がしてきた。

 

リトルレイが……何かを持って帰ってきた?

そんな気が亮介の中で溢れだしていた……。

 

 

 

 

 

 昼下がり──海野達也は、汗ばかりかく訓練を終えて制服に着替える。

さっぱりシャワーを浴びた後の夕方前が達也は好きだった。

新しく付け直した『新鮮なトワレ』の香りで一日の疲れも優雅な気持ちで持ち直す。

乾かし立ちの黒髪の前髪をフッと指でかき上げながら……

鼻歌混じりに隼人がいる『ランバートメンテナンス本部』へと向かっていた。

 

『困るよ……そんな事言われても……名前ぐらい聞かなかったのかな?』

『栗毛のショートボブで……』

 

隼人がいるメンテ本部の入り口前に辿り着くとなにやら数人がもめていた。

 

「お疲れッス……海野だけど、澤村中佐いるかな〜?」

その騒々しい『人の囲い』を目にも留めず達也は本部の入り口にいる隊員に声をかけた。

「ああ……ウンノ中佐だね。君なら有名だ。ちょっと待っていてくれるかな? 呼んでくるから」

達也もどちらかというと良い意味でも悪い意味でも『有名人』?

本部員の隊員は一目見て達也と解り、変な詮索もなくサッと取り次ぐために動いてくれた。

『有名』という意味がここで良い意味でも悪い意味でも達也は気にしない。

そんな事より、早く『隼人』に会いたい。

達也はそういう目の前の事に夢中な時は周りの『思惑』は気にならないのだ。

 

『おい! いったいウチの本部員が何したって言うんだ! ちょっとー!?』

達也が押しのけた『人のかたまり』がサッと散ったかと思うと……

応対していた本部員がそう叫んだのだ。

 

「まったく、どういうことなんだろう?」

「どうしたんスか?」

達也が何気なく尋ねると……

「ああ、ウンノ中佐かな? お疲れ様。あ、もしかして戦友のサワムラ君に会いに来たのかい?」

「ええ、そうですけど?」

まるで『顔パス』の如く、達也が知らない隊員でも『ウンノ中佐』と解ってくれる。

「なんだかね〜? うちの本部員に栗毛の女の子はいるか?って詰め寄られて」

「今の工学科の教官じゃなかったですか?」

「ああ、そうみたいだね?」

「なんでアイツらがここに?」

「さぁ? なんでもその女の子ともめたらしくて? その女の子が『ここ』にいるって

いったらしいんだけど? ウチは女性は少ない部署だし……

ましてや25歳ぐらいの栗毛の女の子なんていないからね?

それでも本部中を眺めたいから中に入れてくれってうるさくって」

「ふーん? 聞き間違いじゃないのかな?」

「そうだと祈りたいね? まったくその女性はウチの本部の名を借りたのか? そうじゃないのか?」

応対した彼は、呆れた溜息をもらしながらデスクに戻っていった。

達也はそれ以上は気にしなかった。

 

「達也! わざわざ──!」

隼人が嬉しそうに入り口に駆け寄ってきてくれた。

「おっす♪ どうだよ? 少しはフロリダに馴染んだ?」

「ああ、皆、良くしてくれるし──それに、引き抜きの進み具合もなんとか順調。

まだ、OKの返事はもらえる段階じゃないけどね」

仕事に打ち込んでいる男の……充実した笑顔がそこにあった。

達也はちょっと羨ましくなって口元を曲げたのだが

隼人がその瞬間──眼鏡の笑顔を消したので慌てて達也は微笑んだ。

「ほら! フォスター隊長の招待だけど……今夜どうか?って言うんだ」

「ああ──。うん、じゃぁ、出かけられるようにするよ」

「マジ!? リリィが喜ぶよ! 今、夏休みで退屈しているみたいだから」

「ああ──そうか……外国は日本と違って夏休みは長いんだよね? そういう時期か」

「じゃぁ──隊長の車で帰るから、仕事が終わったら俺らの班室まで内線くれる?」

達也は胸ポケットから、内線番号を記したメモを出して、隼人に差し出した。

「解ったよ」

「じゃぁ──そういう事で」

簡潔にさっぱりと達也は去ろうとしたのだが……

隼人がちょっと何かに躊躇ったように……困ったように達也を見つめていた。

「なんだよ?」

「え?……うん、その……達也、今、少しだけ時間あるかな?」

「え? ああ、今、訓練上がりのティータイムだから構わないけど?」

そういうと、隼人は側にいる本部員に『少し外へ出かけます』と告げて

サッと本部室を出てしまった。

「カフェ、行こうか?」

先に歩き出した隼人の……神妙な面もちに訝しみながら達也は隼人と並んで歩いた。

 

昼下がりの中休みを取る隊員でざわめくカフェに着いて

達也と隼人は窓際の席を取って向かい合った。

達也はブラックのアイスコーヒーをすすりながら、隼人に即刻尋ねる。

「なに? 改まって?」

単刀直入な達也とは違って、隼人はなんだか慎重に言葉を探しているようだった。

それは達也には焦れったいところだが、待ってみる。

すると──

「昨日、マリアさんが俺と仕事をしたいって申し込みに来たよ?」

「──!? マリアが?」

達也は、グラスの中を焦れったそうに回していたストローを止めてしまった。

「ったく……アイツも言い出したら聞かないからな」

驚いたのは一瞬で、達也の脳裏には『別れた妻が何故? 隼人に近づいたか』など……

隼人からいちいち説明されなくてもすぐに解った。

呆れた表情で、窓辺に目を向けて頬杖をつく。

隼人も、多くを語らずとも通じた達也にホッとしたように微笑んでカフェオレを口に付けた。

「まったく──その通りの女性で、まいったよ」

「勿論……断ったんだろう?」

達也はぶっきらぼうに呟いて、再びストローを回す。

「勿論ね……だけど──」

隼人は、そこから達也に……断った事と、そして自分が出した『条件』

そして──その条件が『八割方クリアされた』事を報告した。

達也が口に付けていたストローをまた離して叫んだ。

「ええ!? あのマイクが? サインしたのかよ!?」

「ああ、どんな『思惑』があの中佐の中で起きたかは解らないけど。

俺は逆にそれが気になってね?」

「面白半分じゃないのか? ランバート大佐はどうだったんだよ?」

「俺と同じさ。御園中将の主席側近がサインするには訳があるだろうから……

ジャッジ中佐自身に確認して彼がハッキリ『良いことだと思ってサインした』と答えたらしくてね。

だから……サインしたとさっき俺に報告してくれた」

「まぁ……無茶だよな? マリアも……だけど、オヤジさんはOKしないな。まず……。

それでも手に余るなら俺から一言言うから……」

「そういうつもりで達也にお願いしているつもりはないよ」

「……どういう事だよ?」

『元夫の言う事など、マリアはもう聞く耳持たない』

達也にはそう聞こえたようで……隼人を見つめる眼差しが急に険しくなったのだ。

隼人は一瞬……おののいたのだが……。

「そうじゃなくて、達也にお願いするなら……

もし、一緒に仕事をするようになったら受け止めてくれ……。

そう言いたかったんだけど」

「ああ……そういう事」

達也は、また元の気だるそうな表情に戻った。

「俺がとやかく言う権利はもうないしな」

先程……妻との関わりを否定されたと勘違いした時の眼差しは、あんなに強かったのに……

言葉ではそうして達也は『もう、関係ない夫』として呟く。

「勿論、俺だって……断った本心は変わらないよ。

だけど、仕事をするのであれば、俺達4人を取り巻く関係は意識しないで仕事するつもりであるし……

もし、彼女が役に立たないのであれば、即刻、工学科に返すつもりだから……」

「マリアは……出来る女で言い出した事は投げ出さない。

自分が言い出したんだから、絶対に『自信』があるんだ。そつなくこなすよ」

なんだか、『妻』を自慢されたようで、隼人は『あっそ』としらけた。

「話ってそれだけかよ?」

達也は不機嫌に隼人から視線を逸らして呟いた。

「そうだよ。達也に報告無しで請け合うのは後味悪いからな」

隼人も……素直じゃない達也のぶっきらぼうに呆れたのか淡泊に呟く。

「それは、どうも。律儀に──」

達也は、なんだか聞かない方が良かったなぁ?と心で思っていた。

妻のすることは気になるし……そして気にしてはいけない立場になったし……。

だけど、知らなくて後で知ったらやっぱり隼人を責めていただろう……。

「たぶん、この話はこれで終わるだろうけど……万が一、請け合うことになったらまた報告するよ」

律儀な隼人は達也にもう一言……約束をしようとする。

「だから──関係ないって……」

「俺達を取り巻く関係は意識しないと言い切ったけど……

ある程度は関わってくるだろうから……やっぱり達也には報告したいから」

「ご勝手に……。じゃぁ……俺、班室での雑務が残っているから」

「ああ、仕事が終わったら内線入れる」

 

二人の男は変に会話が噛み合わないまま……。

お互いに席を立って……挨拶もそこそこに……まるで喧嘩でもしたかのように素っ気なく別れた。

 

カフェの外廊下で隼人と別れて達也はフッと振り返った。

隼人が背筋を伸ばして颯爽と廊下を歩き去って行く。

彼の大人の男としての『配慮』に感謝はしていた。

でも──

「マリアの奴……やっぱり、葉月が気になって兄さんに近づきたくなったか……」

達也は舌打ちをした。

隼人にあたった訳ではない事は……隼人に通じて欲しかったが……。

まだそんなに深い関係ではない。

ぶっきらぼうに隼人に顔に出したのは……

別れた妻のそういう『わだかまり』についてだ。

 

「それにしても……まったく。マリアも思い立ったら一直線だな?」

達也は強気な元妻の『突撃』を久々に思い出してため息をついた。

そつなくこなす妻は頭が良くて、なんでも思い通りにしようとする『お嬢様的強さ』がある。

葉月にもそう言うところがあるが、何が違うというなら……

葉月はこういう『内心的』な私情は自分一人で隠し持ってしまうのだが

マリアは全面的に出してくる。

今回ももっともらしい『理由』をつけて隼人に近づいた所なんて……

元夫としても結構『絶句』だった。

「やっぱり聞いておいて良かったな? 兄さんが上手く扱えるか……

いや? あの葉月をやりこめる程の男だからな? マリアにも余裕かな?」

マリアの突撃をとりあえず『阻止』したという報告を見ても……

マリアですら『敵わなかった』という事になる。

「うーん……」

それでも達也はなんだか落ち着かない。

だけど、ここで達也が首を突っ込んでもマリアはもう、言う事は聞かないだろう。

元より……達也が現在も、もし?夫であったとしても聞かないはずだ。

そういう『執着心』を抱いたら、妻はなかなか諦めない質でもあったから──。

「ま、オヤジさんが許可するはずないし!」

そこに辿り着いて達也はサッと笑顔に戻すことにした。

「いっけね! また隊長にぼやかれるぜ!!」

腕時計を見て、達也は慌てて班室に戻ることにする。

 

 

『チャリリリン♪』

 

庭の向こうからそんな自転車のベルの音。

庭先のブランコに乗っていた女の子はそっと柵の向こうに視線を向ける。

 

そこに白いシャツ姿の……見知らぬお姉さんが変に微笑んでこっちを見ていた。

 

『チャリリン♪』

青色のマウンテンバイクにまたがったそのお姉さんは

まるで自分に呼びかけるかのようにベルだけを鳴らすのだ。

 

彼女は金色の髪を揺らしながら……小さな家の中に駆け込んだ。

「まぁ……リリィ……どうしたの? ご機嫌直ったの?

土曜日にパパが動物園に連れていってくれたでしょう? そんなに拗ねないのよ」

娘は拗ねるとすぐに庭のブランコにいくのだが……娘は違うことを叫んだのだ。

「ママ……! うちの門に知らない人がずっといるの!」

 

『チャリリリリン♪』

母親も……そのしつこいようなベル音を耳にして

リビングの持ち上げ窓にかけてあるレースのカーテンをそっとのけて覗いてみる。

 

白い長袖シャツ、そしてショートボブの栗毛の若い女性。

ライトグレー色のタイトスカート。

「軍人さんじゃないかしら? パパのお仕事場の方かしら?」

夫と同じ金髪であるマーガレットは首を傾げつつ……

警戒しながら玄関の扉を開けた。

娘が……自分の花柄プリントのロングスカートに隠れるように付いてくる。

 

「あの……」

マーガレットが恐る恐る話しかけると……

マウンテンバイクにまたがっていた彼女が急に神妙な面もちで自転車から降りた。

そして……

「初めまして……ミセス=フォスター」

彼女がピッと敬礼をしたものだから……マーガレットは夫の恥にならない程度に

「こんにちは? 主人のお知り合いかしら?」

と……とりあえず微笑んで挨拶を返した。

 

「あなたがリリィ? ずっとブランコに乗っていたわね?

パパが作ってくれたの? そのブランコ……」

ママのスカートに隠れている女の子に彼女はにっこり微笑んで……

「私の旅のお供……ここにいるの。誰かさんのプレゼント」

栗毛の彼女は白いシャツの胸ポケットに入れているピンク色のウサギを

ピン……と指で弾いたのだ。

 

「あ!……それ! リリィがあげたウサギ!」

金髪の女の子が結った髪をキラキラと揺らしながらママの背中から飛び出した!

そして、マーガレットも!

「まぁ……あなた、もしかして!?」

すると、彼女は腰に巻いていた上着をサッと取り払って

颯爽と袖を通して着込み始めた。

「突然、お邪魔して申し訳ありません……」

彼女の肩にはキラキラと煌めく二つのラインに星三つ。

 

「ミゾノ大佐! まぁ……なんて事かしら!!」

「ママ! みて! 大佐お姉ちゃんがリリィがあげたウサギを持ってきてくれたのよ!」

 

葉月の目の前に駆け寄ってきた金髪の女の子。

 

「初めまして……リリィ」

葉月はそっと彼女の視線に合わせてしゃがみ込む。

そして彼女の鼻先に……タオル地のウサギの人形を突きだした。

「私はハヅキ=ミゾノ……宜しくね?」

「本当に来てくれたの!?」

「うん──急にお休みが取れて……おうちに帰れることになったの」

「わぁ♪ お姉ちゃんのお家って……あの海岸にあるフェニックス通りにあるんでしょ!?」

「そうよ──今度、遊びに来る?」

「うん! パパとタツヤと一緒に行く!」

元気な女の子は葉月の首に思いっきり抱きついてきた。

 

『まぁ……リリィったら……』

マーガレットが呆れながらも、葉月と娘が楽しそうに抱き合うのを

可笑しそうに微笑んで見下ろしていた。

 

先程まで何かに拗ねていたようにブランコを漕いでいた女の子。

 

葉月はそれを遠い自分を見るように……眺めていたのだ。

最初、声をそれでかけそびれて……ずっとリリィを眺めていた。

 

なんだか──思い出させるのだ。

この少女が自分にピンク色のウサギを贈ってくれた時。

何故か自分が捨ててしまった……愛らしいままの日々を……

なんだか──思い出させるのだ。

それもいつもは伴うはずの嫌な影を引きずらずに、甘やかに……胸をくすぐったのだ。

 

だから──『会いたくて』来てしまった。

ピンクのウサギにここまでおいでと誘われるように……。