37.目覚め

 

 「待てよ……葉月!」

 理数系棟へと猛然と向かう葉月の後を、隼人が追いかける。

「葉月!」

葉月は、『男の利己主義』的な事でマリアをもちあげて

泣いて帰ってくるよう差し向けた少佐が許せなかった。

さらに──まだ、はっきりはしていないが、自分が推薦したくせに

いざ、マリアが空軍に行ってしまうと急に手元に縛りつけている……と

その状況をまだ確認していないけど……。

もし、そうならば『もう! 許せない!』と思ったのだ。

 

「なによ! 止めないでよ!」

既に『喧嘩腰』だった。

葉月の事は良く解る隼人だけに、それが心配で追いかけて『止めようとしている』

「ちょっとな、落ち着け──!」

隼人に肩を掴まれて、彼の方へむき直された。

「いいか? 葉月……。昨日までの事をよく考えろよ」

「考えるって!?」

葉月の声は荒立つばかり……珍しく頭に血が上っていた。

すると……隼人の指先でかるく頬をはたかれた。

葉月はハッとして、落ちついている隼人の黒い瞳を見上げる。

「いいか? 葉月……。俺だって、納得していないよ?

でもな──俺も最初は『無許可派』だった。

そして──ブラウン少将も……。

マーティン少佐は、それを見越した上で、不当であっても推薦したんだ。

誰もが……『許可されない計画』と思っていたんだ。

だが──ジャッジ中佐がサインしたことで流れが変わって……

そして最後にお前と俺が……決めたんだ。

それもきっと少佐は『予想外』だったんだ。

それも決まったのは昨日の夕方……。

今日の朝になって『いきなり一人いなくなるから誰か代わりに……』というフォローは

たとえ、嘘でしてしまった事でも、そうでなくてもなかなか穴埋めは難しいんだよ。

解るか? 今日だけは、彼女が抜けても『多めに見る』んだ……」

「でも! 計画を推薦したのは上司の責任だわ!

もし……万が一、『許可』された場合のその後の手配も考えておくのが

『上司』のすることじゃないの!? 

自分の利点のみ考えて彼女を推薦した『嘘』でなったこと。身から出た錆じゃないの!」

「……確かに……。だけどな……葉月」

隼人の瞳がキラリと輝いて、葉月の両肩をがっしりと掴んだ。

「……」

時々、隼人がこの目をすると葉月は何も言えなくなり、聞く態勢へとさせられる。

「彼女をアシスタントとして引き取ったからには

今は彼女の『上司』は、俺とお前だ。

教官室でいざこざしていたとしても、そこを上手く導く『フォロー』というのは

もう、俺とお前がすることなんだ。解るな?

少佐に『責任』があるのではなく、今日からは『御園大佐チーム』の責任になる。

ここで──昨日までの少佐の素行について大佐が抗議しても……

それは少佐を『地位』だけで押さえ込むことしか出来ない大佐として

権力を振りかざした事になり、一番やりやすく、やってはいけない方法だ。解るな?」

「──!!」

確かに──。

葉月は今からマーティンと向き合って、率直に注意してやろうと思っていた。

だが……昨日の朝のように『大佐なんて関係ない。男と女で勝負!』

これは『職務内』になるとそうもいかない。

たとえ葉月が若娘であっても『職務内容』で向き合うなら

どうあっても『大佐と少佐』

マーティンの方が分が悪いに決まっているのだ。

葉月が心にあるまま、女として感じたことを今からマーティンに

『責任追及』したとしても……それは『大佐』としての発言になってしまう。

「葉月……いつものお前なら、俺がこんな事言わなくても

一人で考えて冷静に行動しているのに……どうしたんだ? おかしいぞ?」

隼人が心配そうにため息をついた。

葉月は……隼人が優しくはたいた頬に手を当てた。

 

「……どうしても、こういう事には冷静になれなくて」

葉月がそっと俯く。

「……そうか。仕方がないけどな」

「……姉様は……」

「──!? 姉さんが……なに?」

急に表情を固くして俯いた葉月が……『また』姉の事を口にした!

隼人はヒンヤリとして葉月を見下ろす……。

 

「……生徒達に……冷やかされてばかりで……でも、一部の接触が過激になってきて……

それで……」

葉月が苦しそうに、呟き始める。

「葉月……それはいいから」

ここで葉月が精神を不安定にしても困る。

それに隼人もそんな顔の葉月は見たくもないし、

『当事者』から語られる事件の事など想像もしたくない──。

だから止めようとしたのだが、葉月が強い意志で首を振って再び続けた。

「それで……上司に相談しても取り合ってくれなかったと、兄様達が教えてくれた。

それで……気をよくした『アイツら』が……調子に乗って……うち……に……」

そこで葉月が額を抱えて、しゃがみ込みそうになった!

隼人はその葉月の肩を力強く持って、なんとか立てるように支えた。

 

「そう……それで、今回は敏感なんだな……解ったから……」

隼人はポケットからハンカチを取りだして、急に汗を滲ませている葉月の額にあてた。

なぜ? 葉月があんなに『上司と女部下』のバランスに首を突っ込みたがるか

初めて隼人は知ったように思えた。

 

葉月は、悔しそうに唇を噛みしめると……

隼人が掴んでいた両肩をそっと撫でてくれた。

もうちょっとでいつもの『セルフコントロール』が壊れるところだったと

葉月は急に我に返って、なんとか平常心を取り戻す。

 

「解ったわ。私は彼のその上の上司に事情を話して……

彼女を『正式』に貸していただくよう、そこから行くわ」

いつもの平静顔に戻った葉月を見た隼人は、ホッとしたように微笑んでくれた。

「そうだな。そうすれば、マーティン少佐も欠員補助の手配をせざる得なくなるし、

この計画も『正式始動』という事になるな?

ブラウン少将の許可があるから、そこはすんなり受け入れてくれるだろうし──。

では、俺は……まだマーティン少佐に挨拶していないから

俺は今から彼に会いに行って……俺も『正式』に申し込んでくる」

隼人は、やっと冷静にやるべき方向を見定めた葉月に安心した様だ。

そして──彼は、マリアを扱う上司同士で『了解』を取るという事らしい。

「本部に戻ってマイクに連絡して聞いてみるわ。それから工学科へ行くわ」

「それがいい。じゃぁ──あの教官室の最高上司を確認してから一緒に……

別々に殴り込みに行くか……」

「そうね、そうしましょう」

「イエッサー、大佐」

隼人が真顔で敬礼をしたので、葉月は周りの目を気にして逃げたくなったのだが

「やめてよ……もう……」

止めてくれた彼に感謝をしながら、微笑んでいたのだ──。

 

 

 その頃──マリアは……。

 

 朝から二つ講義を終えて、教官室へ向かっている所だった。

(どうしよう……サワムラ中佐が待っているわ?)

朝、教官室へ行くと、心配していた通りに『朝一は穴が埋められなかった』と

マーティンに言われた。

『すぐに時間割どおりに出てくれ』

マーティンに冷たく言われて、マリアは逆らう事も無論出来ず

いつも通りの時間割で講義室へ向かった。

一時限目が終わって、教官室へ戻ると──。

マーティン少佐はいなかった。

『ねぇ? 少佐は?』

同じ班の教官に尋ねると……彼も時間割通りに授業に行ってまだ帰ってこないと言う。

『あの──私の欠員について何か聞いている?』

同僚に尋ねると……

『なんだ? ブラウン……休暇でも取るのか?』

その反応に『空軍アシスタント』の話は誰も知らないことに気が付いて驚いた。

2時限目が始まろうとしていた。

誰がこの後……交代をしてくれるか解らないので

隼人に連絡する余裕もなく……致し方なく2時限目に向かったのである。

 

やっと──教官室へ戻ると、今度はマーティンがちゃんといてホッとした。

 

「あの……少佐。3時限目は……?」

「悪いな。皆、今日は手がふさがっている」

「サワムラ中佐から……連絡ありましたか?」

「ないね? 昨夜の話だと、中佐から『説明の連絡』をくれるとの事だったけど?

ないけどね? どういうことだろうか?」

今までにない冷たい眼差しで見つめられて、マリアの心は急にヒヤリと冷たくなった。

「解りました……。今日はメンテ本部には行けないこと……連絡します」

ガッカリしながらマリアは今日の所は諦めることにした。

「あの……明日からは……」

マリアが一応、今後の事についてきちんと確認しようとしたところ……

「中佐から連絡がないから……こっちも今は動きようがない。

うちの教官を『借りる』割には、何も連絡がないなんて……

小笠原の中佐は随分な物だな?」

マーティンが足を組み……偉そうに腕組みをして椅子の上で胸を張った。

マリアはその上司の態度に何故かムッとした。

初めて──。

計画を推薦したのは『少佐』ではないか?

筋を正せば、『こちらから教官を一名送ります。どうぞ、受け取って下さい』という意味と

同じではないか?

彼は推薦をしたのだ。

それで、いきなり突きつけられて困ったのは……向こうの中佐なのに。

サワムラ中佐になんの非があるのか!?……と。

むしろ連絡も無しに突撃したのはこちらの方だ。

マリアの突撃を後押ししたのは目の前の少佐なのに!?

マリアは、ズバッと少佐にそう言いたくなったが堪えた。

ここでマリアとこの少佐がこじれると、間に挟まれて困るのは『サワムラ中佐』

そんなことでいざこざしはじめたら、即刻、父の条件の下、工学科に返されてしまう。

初日から……こんななんて……。

マリアは力無く……うなだれながら自分の席に戻って

今日の所は諦めたのだから3時限目の講義の準備をしようとした。

 

そこへ……同じ班でマーティンとは同世代で親しい『ブルース』が

顔色を変えて少佐に耳打ちをした。

 

「サワムラ中佐が来たって?」

少佐の顔色が変わる。

マリアもハッとして教官室の入り口に目を向けると

そこには黒髪の中佐が立っていた。

『中佐──!』

あの察しが素晴らしい彼の事……

この状況が目に見えてやって来てくれたとマリアは急に気持ちが明るくなった。

厳しい中佐に、早速迷惑をかけたのだから、切り捨てられると不安だったから──。

マーティンが戸惑いながら席を立った。

隼人が入り口で許可をもらって……堂々と落ち着き払ってマリアの班席に向かってきた。

 

こうしてみると……日本人でも達也とそう変わらない背丈。

それに……立派な中佐の肩章と胸についている階級バッチ。

物怖じしないで、こちらに向かってくる隼人の雰囲気は

他のフロリダ教官達と比べても、全然見劣りしない。

いや──皆が彼が持ち込んできた『オーラ』が自分達とは違うと感じ取れたのか

皆は、隼人の入室に視線を向けていた。

 

「初めまして。マーティン少佐ですね? 小笠原第四中隊の澤村です」

それでもいつもの穏やかで物腰良い笑顔を隼人は忘れない。

でも──その笑顔の奥にどれだけ『クール』で『厳しい』信条を持っているかは

マリアしか今は解らないだろう。そうマリアは思った。

「……初めまして。私がマーティンです」

逆に少佐の方が、隼人を見下したような顔で冷淡に挨拶を。

「今回はお世話になりますね。彼女をお借りすることでご迷惑かけると思います。

……彼女が戻ってこないので、こちらに伺いましたが……。

やはり、昨日の今日では講義の差し替えは無理だったようですね」

隼人は『解っていたんだ』とばかりに余裕いっぱいだった。

「解りますか? そうです……本日いっぱいは彼女はお貸しできません」

マリアは平然と言い切った上司にまたムッとした。

こうしてみると、隼人の方が断然……『余裕ある出来る男』に見えてくる。

「解りますよ? 私も……フランスでは同じ教官でしたから」

「解って頂けて光栄ですね」

隼人の笑顔に、表情もないマーティン。

それにしても、こうも高飛車な上司を目にしてマリアは内心『ショック』だった。

昨日の『誘い』を断っただけで……こんなに態度が豹変する『心情』が

今のマリアにはまだ理解が出来なかった。

「そうですか……。仕方がないと本日は予想しておりましたけど。

明日からは……『大丈夫』ですね?」

最後の『大丈夫』という念押しをした隼人の瞳が……

急に冷たく輝いて……マリアはそれこそ『冷静な中佐』と

噂されていた彼の本当の姿を見た気がしてヒヤッとしたぐらい──。

もちろん……高飛車だった少佐も……急に表情の色が冴えなくなっていた。

「……ですが……」

「困りますよ。推薦状を下さったのは……あなたで間違いありませんよね?

私はあなたの推薦を信じて『お受けした』つもりですけど……。

ここに来て、何か不都合でも──?」

やっと隼人がそれらしく『痛いところ』を、淡々とした口調でマーティンに突きつけた。

「いいえ……しかし、他の教官の負担が今は調整できません」

「ですから……今日は仕方がありません。明日からはと聞いているのですが」

淡々と切り込んでくる隼人の顔の方が徐々に冷たく平淡になってきている。

今度はマーティンが初めて困惑した顔になっていた。

「推薦したからには『フォロー』はしていただけると思っていたのですが?

お困りなら……『こちらから』調整をさせていただきますよ?」

「──中佐が調整を? 困りますよ。勝手に……。

彼女を貸すことはともかく、私の部下達を勝手に動かされては」

「彼女を推薦したからには、許可が出た後は、

あなたが他の部下を動かす事は解っていたことなのでしょう?」

「ですが──困ります。中佐にうちのことがどれだけお解りになるのですか?

他の教官が混乱します!」

「……では、どうすれば彼女を貸していただけるのですか?

私以上に『大佐』がすっかりその気なので……これでは困りますよ」

「それは許可した『大佐嬢』の方もある程度はこちらの負担もお解りかと思いますが?

理解をしていただけないと困るのはこちらです。

勝手に『調整』をして下さったとして……その後の部下達の混乱の責任は……」

もう──マリアは限界だった。

マーティンの言っている事、隼人に反抗している事……。

全部『逆』ではないか!!

と──。

こうして見ていると『マリアなんか推薦していない。そっちが勝手に引き抜いた』と

聞こえるばかりではないか!?

マリアが抜けるのは『葉月のせいだ』なんてどういう神経があったら言えるのか!

と……マリアがついにワナワナと切れかけた時……。

 

教官室の奥……、マリア達の教官室長がいる『室長中佐室』のドアが開いて、

一人の女性と部屋の主である『室長中佐』が出てきた。

他の教官の班を含めて──皆が急にザワッとざわめき、

隼人が入室してきた時以上の反応が……見るに明らかに広がっていた。

 

そう──そこに大佐の肩章を付けた栗毛の女性が……

『御園大佐』が、冷たい表情で現れたのだ。

その上……彼女の後ろには、この『銃器教官室』の責任者である中佐が一緒だった。

 

「あなたがマーティン少佐?」

腕を組んで堂々と金髪の少佐の前で胸を張っている女性が

誰であるかなんて……誰にも説明しなくても皆が知っている。

この若さで『大佐』といえば、彼女が女性でなくても一人しかいない。

誰もがマーティンの班に視線を集めていた。

「そ、そうですが……」

流石の彼も……有名な『大佐嬢』の出現に狼狽えたようだった。

「今回は、『素晴らしい推薦』を有り難う」

葉月が声にも顔にも色を灯さず、平淡に彼に話しかける。

「いえ──」

「お借りしたはずの彼女が朝からいないようなので心配したところ、

そこにいる『私の側近』が『教官経験』を生かした意見を言いましたので……。

今日の所は、彼女をお貸ししていただけない理由は充分解りました」

「そ、そうですか……」

マリアは目を皿のようにして……葉月を見つめた。

この子の『威厳』はなんなのだろう──!?と……。

勿論……彼女が『大佐』であることは良く解っているのだが……

マーティンの反応にしろ、後ろに引っ付いてきたマリアの上官にしろ

隼人が入室してきたよりも、断然、皆が気圧されている。

葉月の眼差しは……マリアが良く知っている『氷の眼差し』ではあるが

今まで見てきた彼女以上の『大佐の目』

それを初めて見せつけられた気になった。

発する言葉の力強さも……マーティンの狼狽えようから見ても明白。

彼女の方が断然……『気迫勝ち』している。

 

「どう? 中佐」

マーティンと向き合っている隼人に葉月が話しかける。

「……困りましたね。思った通り『調整』が難しいとの……彼の返事です」

「ああ、そうなの」

淡泊な調子で答えた葉月が、ジッとマーティンを見つめる。

マーティンがヒヤッとしように表情を固めた。

「少佐? 『調整』に困っているようですね?」

「は、はい──申し訳ありませんが……」

すると……葉月がチラリと後ろに控えているマリアの上官・室長中佐を見上げた。

「マーティン。ミゾノ大佐からお話は伺った。

お前が差し出した推薦書と、ブラウンの計画書を見せてもらったぞ。

ブラウンの計画書の話と、大佐が引き受けた話も聞かせてもらった。

それから──この計画の『後押し』をしてサインまでした『上官達』の事もね。

ブラウン少将を始め、ミゾノ中将の側近のジャッジ中佐……。

空軍メンテ本部隊長のランバート大佐……それだけの上官が許可しているんだ。

今すぐ……ブラウンが動けるように調整をするよう手配しなさい」

「は、はい……」

マーティンは、自分が軽い気持ちで推薦した計画を……

ここで急に『大きな計画』として大佐嬢が動かし始めた『手際よさ』と、

こうも自分の上官を簡単に動かした彼女の『威力』に驚いたようだ。

「こちらの『教官側』で推薦した手前、

受けてくれた小笠原大佐の仕事に支障が出ては迷惑になるではないか?

大佐はそれでも『是非に』とブラウンのアシストを望まれているんだ。

そちらの班員だけで調整が行き届かないなら……

私が他の班からもフォローできるように教官を回して調整を手伝う。

とりあえずの対策をすぐに持ってきてくれないか?」

「了解しました」

上官である中佐にこう言われては、逆らいようがない。

マーティンは、力無く俯いて返事をした。

「マーティン少佐」

葉月が変わらぬ低く重たい声と切り込むような冷たい眼差しで彼に向き合う。

「なんでございましょう……?」

「サイン書を持っていると思うのだけど……」

「……」

「それを、こちらの室長中佐にお渡しして」

「解りました」

マリアは思った……。

そのサイン書が他の上官が許可してくれたという『一番の強み』

それを今、マーティンが持っていてうやむやに抹消されないよう

葉月が警戒し引きだして保管しようとしている事を……。

(なんて……こんなに気が回るの!?)

初めて……彼女が『大佐』になった訳を目の当たりにしたようにした。

自分なんて……まだまだ……。

やっぱり一介の『大尉』でしかないと思ったのだ。

 

「安心しましたわ──室長」

「失礼いたしました……。私の存じる所ではないお話だったとはいえ……。

大佐と、そちらの側近中佐にお手間取らせたようで。

しかも……責任者である私が何も知らなかった事もお詫びいたします」

何も知らなかったという中佐が大変困った顔をしたのだ。

それもそうだろう……。

自分より格が上の『将軍側近中佐』を始め、

大佐に少将が『許可』した程の『計画』を

自分の部下が勝手に勧めて、勝手に進行させていたのだから。

「いいえ……私も引き受けたからには、やり通したかったので……。

フロリダ出張が初めてである中佐にフロリダ隊員のアシスタントをお借りするのはこちらです。

素晴らしい推薦を頂いて、喜んでいたのですが……

なんだか、やっぱりご迷惑をかけているようでしたので──」

葉月は、そこはちょっとした微笑を浮かべつつ……

でも威厳を放った声は変えずに……柔らかに中佐に頭を下げたのだ。

「これは……これは、おやめ下さい。大佐嬢」

中佐は、マリアの父親より少し若い世代のおじ様だった。

それにも関わらず、葉月に対する姿勢は何処から見ても

『若娘』に対してでなく……『大佐』に対しての礼儀正しさだった。

それも葉月が、大佐と言えどもやっぱり『室長』を、

大切な部分は『先輩』として腰を低くする部分もある事。

マリアはその彼女のバランスのうまさに驚いたのだ。

 

そこまで、自分達の上官を射落とす『大佐嬢』が放つオーラに、皆はシンとしていた。

 

「それでは……私達はこれで……」

葉月が隼人と頷き合って、教官室を出ようとしていた。

「お待ちしてますわ? ブラウン大尉」

そこは葉月が何かを狙ったかのように……にっこり輝く笑顔をこぼしたのだ。

「は、はい……早めにお伺いします。大佐……」

マリアは……葉月の事も初めて『怖い』と思った。

そんな笑顔……。

普段は見せてもくれない……。

昨日──垣間見られたのがやっとだったのに……。

彼女は『仕事』となるとこんなふうにして『表情』を使い分けるのか……と。

『行きましょう? 中佐』

『イエッサー』

 

葉月が隼人を従えている様にも……皆は釘付けだった。

しかも……何も違和感がない『若大佐嬢』と『年上側近』の二人だった。

 

小笠原の二人が出ると……また教官室は先程より大きなどよめきが漂った。

 

「ブラウン! すごいな!? 何の計画を提案したんだよ!?」

「マリア! 聞いたわよ!? ジャッジ中佐まで許可してくれたって何!?」

周りにいた同僚達が、真相が知りたいらしくてドッとマリアの所に集まってきた!

「えっと……たいした計画ではなくて……」

「でも──お前、数年前から空母艦関係のシステムを学んでいたもんな!」

『新しい専門へのチャンスだ』と応援してくれる先輩達……。

「ジャッジ中佐に認められる計画なんてすごいじゃない!?

どうやって許可を取りに行ったのよ? 彼にどんな事を言って説得したわけ?」

基地の中でも、『気になる独身男性No.1』でもあるマイクと会話をした事、

職務第一の厳しい彼を『説得成功』させた事で、ざわめく女性同僚達。

「えっと……」

マリアは全ての答えに詰まった……。

 

そう──。

ここで初めて解ったのだ。

自分が差し出した『計画書』は見せかけ。

サワムラ中佐からも、マイクからも、父にも……突きつけられたように……

『私情』を満たす為に作ったこじつけ……。

『実力』なんかで自分が動かした『計画』ではない。

サインの『完成』も……この計画をそれらしく動かしたのも……

全て……『小笠原大佐室』のあの二人だった。

そして……室長がこうもあっさり動いてくれたのも……

やっぱり隼人が言ったとおり……『職務的』に進めようとマリアに『サイン書』という難関を与えたこと。

これが一番の『決め手』

あのサイン書によって、マリアは室長も逆らえない上官達の『バックアップ』を

いつの間にか得ていたことになる。

隼人が……そういう条件を出していなかったら?

やっぱり……葉月といえども、事を進めるのに慎重を要し苦労していたかもしれないから……。

そして──隼人が『決定付け出来ない』所を、最後にバシッと仕上げるのは

やっぱり葉月がぬかりなく決めてしまうのもさすがだった。

 

だから──何も胸を張れなかった。

そして──それは『上司』であるマーティン少佐も同じだったらしい。

彼は眉間に皺を寄せて、面倒くさそうに『時間割表』を手元に取りだしていた。

でも──マリアはまだ解らなかった。

何故? 彼が……こんなに不手際だったのか。

そして態度が豹変したのか……。

フォローを放棄しようとしたのかを……。

 

あれだけ応援してくれていた上司が幻に見えてきたのだ……。

 

その日の午後──。

マリアは室長から『正式』にメンテ本部に集中する事を許可され

晴れてサワムラ中佐がいるランバートメンテ本部に足を向けることが出来たのだった。

 

 

 「どうしたの? 元気ないね」

 「いえ……何でもありません……」

その日の午後──。

晴れてメンテ本部へ自由に行き来出来るようになったマリアは

早速、隼人と向き合っていた。

マリアがいなかった間、隼人は一人でメンテキャプテンと話し合いをしたとの事だった。

本当なら、マリアも一緒について行く予定だったのだが。

今、二人は明日からの『打診』の方向について何をするか話し合っていた所──。

「俺達……余計な事したかな?」

また……黒髪の中佐は、悟りきったような……でも、穏やかな眼差しで

マリアを包むように見つめていた。

この眼差しで、『彼女』は私生活でも包まれているのだ……。

マリアは……変な事を想像してしまった。

「いえ? かえってご迷惑おかけしたのはこちらです。

いいえ……今回の事だけじゃなくて、最初から──」

結局、自分も上司の少佐も……たった二人だけで変に懸命になっていて

騒いでちょっとした『計画』を大事な騒ぎにしている事に気が付いたのだ。

そう……『計画書・プロジェクト』という物は、自分一人で思いついたとしても

直属の上司、部署責任者の上官……それを通してこそ

れっきとした『職務』として通るものなのだ。

それなのに『直属の上司』が曖昧だった事を見抜けず

ただ、彼の後ろ盾を信じ切って……そして思うままに突き進んでいた

自分の『甘さ』が痛いほど解った。

少佐がきちんと室長の許可を得ているかどうかも確認するべきだった。

彼を過信しすぎていた……と、負担をかけすぎたのだと……思った。

「君らしくないな? 自信があってきたんだろう?」

隼人が可笑しそうに笑った。

からかっているのか、それとも励ましてくれているのか解らない言い方で

マリアは、いつものように隼人に向かってむくれた。

「からかっているのですか? そりゃ……ある程度はお役にたとうと思った事は本当です。

そうなるように計画書を速攻で作ったんですもの」

「速攻?」

「そうですわよ? 中佐が出張に来たと聞いてすぐに一晩で作成したんです」

「へぇ? あれだけの事を一晩で考えたんだ。すごいね」

隼人が変に感心したように笑い出す。

マリアはやっぱり手の上で転がされているような感触を感じてまた……むくれる。

もう……やぶれかぶれ!

「そうです! 中佐も仰ったでしょう? 『話にならない』と……。

つまり……そういう『こじつけ』だったんですよね!」

「あはは!」

また、笑い出されてマリアはもう……言い返す気にもなれずに黙り込んだ。

「いいじゃないか……それでも」

今度は『からかい兄さん』の顔ではなかった。

隼人がにっこり、優しい目で微笑みかけてくる。

「それでも……あの計画書は……

『もし? やってもいいと言われたら、やってみたいこと』を想定して……

君がやってみたいことをまとめた物なんだろう?」

「え……? はい、まぁ……そうですけど……」

「なんでも──そういう『アクション』から、始まるんじゃないの?

ここで……始めたらいいよ」

「──!!」

「それに……大佐嬢も言っていただろう? 『皆、共犯だ』と。

君の『私情、職務』を合わせた今回の『魂胆』に……

ジャッジ中佐も俺も……大佐嬢も……さらに君のお父さんも……

結局、『乗った』のさ……。変わりないさ」

「中佐……」

なんでだろう?

この中佐と向き合って、話しているだけで……

いつだって心のわだかまりがスッと軽くなったり……

そして、『それでいいのだ』と納得が出来てしまう。

マリアはスッとうなだれた。

「だからさ──そんな君は君らしくないから、堂々としてくれよ。

あ、俺が言った『余計な事をした』というのは……君の上司のこと……」

「──? マーティン少佐の事ですか??」

「そうそう──。まさか……」

そこで隼人が一端言葉を止めたので、マリアは首を傾げたのだが……

隼人はなんだか迷った末……と言った感じで、口を開いた。

「まさか……軽く推薦した事を、俺や大佐嬢が本気にするとは思わなかったんだろうな?

俺だって……『乗らなかったから』……解っていただろう? 最初は『拒否』したんだから。

勿論? 君が今回の計画書を、室長を通して許可を得て……、

もっと早めに小笠原に申請してくれていれば、それこそ『全うな計画』として

俺や大佐嬢だって最初から受け入れたと思うよ?

俺と大佐嬢が、上手く軌道に乗せてしまって『余計な仕事が出来てしまった』とか……

つまり……そういう事」

(そういう事!?)

もう、自分がやったこじつけについては、反省したから

何を言われても悔しくもなんともないが──。

『そういう事』

つまり──? マリアは暫く茫然とした。

 

つまり──!!

 

『マーティン少佐は……断られるのを前提で推薦していた!?』

 

きっと、解ってもらえる。

素晴らしい計画だ、絶対にやってみるべきだ!

諦めずにね。最後までわからないだろう?

 

マリアの頭の中で……数々の彼の頼もしい言葉がたくさん響き渡った。

 

それが……全部『みせかけ』だったと──!?

 

「ど、どうして──?」

マリアは茫然として額に手を当てた。

 

目の前の黒髪の中佐が、困った顔をして静かにマリアを見つめていた──。