42.七光り嬢様

 

 丸テーブルの上に、足を組んでカクテルグラスを傾ける大佐嬢──。

 彼女の出現に、そこにいた工学科の男性二人とマリアは

先程まで、言い合っていた勢いがスッと引いて静寂が漂った。

店内に流れるスローなバラードが暫し鮮烈に聞こえてくる。

 

立っていたブルースが、葉月の大胆な足組の座り方に暫く目線が張り付いていたが……

急にニヤリと笑って、葉月に近づいた。

「おや? こんばんは、大佐嬢。こんな所にいるとは意外だなぁ」

「そう? 知り合いに教えてもらったの。静かで落ちついている軍人がいるバーだって」

葉月は手にしていた『マルガリータ』をフッと飲み干して、

テーブルに手を付いているブルースの手元に『コトリ』と置いた。

「私、次は『シンガポール・スリング』が飲みたいわ」

ブルースをチラリと葉月は微笑まずに見つめた。

「いいね。じゃぁ、俺のおごり」

「サンキュー、ミスター」

男らしく手慣れた受け答えに、葉月もちゃっかりした女性のようにニコリと微笑み返す。

ブルースが板張りの客席を往来しているウェイターを呼んで注文をする。

「そこ、座っても良い?」

四人がけのテーブルに一つ空いている席。

そこを葉月は指さして、ブルースに伺う。

「どうぞ、どうぞ、大佐嬢」

ブルースがにこやかに椅子を引いてくれた。

葉月はそこに当たり前のように座り込んだ。

 

マリアはジッとブルースの調子良さを観察して呆れていた。

先程……ハヅキの事をあんなふうにバカにしていたのに!と……。

マーティンはまたもや手厳しい大佐嬢の出現に我に返ったのか

先程の留め金が外れたようなすがるような弱い姿はなく

既にいつもの落ちついた少佐に戻っている。

「なにか、もめているみたいね? もしかして……今朝の事かしら?」

ぎこちない3人をみて、葉月が率直に切り込んできた。

「……そうなんだよな? 困るよ、本当に。

丁度いい……。目の前に『大佐嬢』がいるんだ。

大佐嬢、ブラウンが『アシスタントはやっぱり難しくて辞退したい』と言っているんですよ」

ブルースはマリアに構うことなく、そんな事をサラリと言いのける。

「ちょっと!」

マリアが割って入ろうとすると、ブルースが眼差しを込めて牽制してくる。

マリアは一端引いてしまい、マーティンは静かに黙っていた。

「あら? 私の側近は彼女のアシスタントは完璧だと喜んでいたけど?」

葉月も淡々とした口調でブルースに言うと、ブルースが納得がいかなそうに顔をしかめた。

「大佐。ひとつ良いですかね?」

テーブルの上に両腕を乗せて、ブルースは馴れ馴れしく葉月の耳元に話しかける。

「なに?」

「大佐は本当のところは、ブラウンのあの計画書のことはどう感じられているのですか?」

「ああ、あれね? まぁまぁと言った所ね」

シラっと言い切った葉月の『評価』に、マリアは解っていながら『ちくり』と胸が痛んだ。

ちょっと意外そうに驚いたのは、マーティンとブルースの方だ。

「へぇ? そういう計画にOKサインをしたのは何故だか……。

俺達、納得していないんですよ」

すると……葉月も両腕を組みふてぶてしく両足を組んだ。

頬にかかるしなやかな栗毛をフッと片手で払って暫く黙っている。

「納得していないとは、おかしいわね? ね? マーティン少佐?

あなた、今朝、うちの中佐に言われたわよね? 許可後の対策がなっていないと」

「はい……それは迂闊でしたが……」

マーティンは顔色を変えずに静かに答える。

だが、ブルースは違った。

「あのさぁ……大佐嬢。ああいう計画をブラウン大尉が

マーティンにしつこく推薦するように迫ったんだ。

そりゃ、大佐の言い分だと、推薦するなら

『その後許可されても動けるようにするのが許可した上司の責任』というのは解りますよ?」

「それで?」

口が達者なブルースを、葉月は静かに見つめる。

葉月が聞く態勢に入っているので安心したのかブルースはさらに続けた。

「だけど……そういう事、一筋縄で諦めない『お嬢様』っているでしょう?

誰とは言いませんけど?

マーティン少佐は、サワムラ中佐が断れば、彼女が諦めると思って進めただけですよ」

「なるほど? 私の側近もそう言っていたわね」

「でしょう!? それを大佐はどうしちゃったのですか? OKするなんて……」

そこへ葉月の横にウェイターが来て細長いグラスを置いていった。

「頂きますわ」

葉月はグラスをスッとブルースに向けた。

「あ、ああ……どうぞ?」

葉月とブルースだけでグラスをカチリと合わせて乾杯をする。

葉月は一口……ルビー色のカクテルを飲み込む。

「それで、大佐嬢もそこまで側近の中佐が解っているのに何故?許可したんですか?」

「私が『思うところあって』許可したのよ。他の上官もね──。あなた達はそれに従えないわけ?」

葉月はそこでキラリとブルースを見つめる。

ブルースも一瞬、おののいたのか身を引いたが、負けじとまた葉月に近づいてくる。

「大佐も困るでしょう? あのような計画を受けたら大佐の評価にも繋がりますよ?」

「私の判断が違っていると?」

「そこまで言いませんけど……考え直して見てはどうかと言っているんですよ?

ブラウンがいたって、いなくたって一緒でしょ? 本当のところは──」

『ガシャン!!』

そこで、葉月が手にしていた細長いグラスをテーブルに力強く打ち付けて置いた!

葉月の手元、テーブルの上にルビー色の雫が何滴か飛び散った。

フロアにいた客がこちらのテーブルを驚いたように振り返る。

勿論──マリアもブルースもマーティンも、ここでは身体を強ばらせたようだ。

 

「誰に向かって物を言っているの?」

「……いや、だから……」

急に目の輝きが変わった葉月に、流石のブルースもたじろいでいる。

 

「たとえ……彼女の計画が『甘い』としても、私は受け入れたのよ。

大佐として! それを一隊員のあなた方に指図をされるいわれはないわ」

 

キッパリ言い切った葉月にブルースの瞳が徐々に怒りの色を灯し始める。

ブルースがゆらりと椅子から立ち上がった。

 

「ハァン!? アンタもマリアと同じ『嬢ちゃん』かよ!?

ちょっとは物わかりが良さそうだと思って、下手にでてやっているのによ!」

葉月もゆったりと椅子から立ち上がる。

「もう一度、言うわよ。『誰に向かって物を言っているのか』と……」

「ああ、言ってやろうじゃないか!? そこの目の前の……

物事が良く解っちゃいない『親の七光り大佐嬢様』にだよ!!」

ブルースが胸を突きだして、葉月に凄み額を近づけてきた。

葉月はそれに動じることなく、腕を組んで上目遣いにブルースを睨み付ける!

 

「ちょ、ちょっと──!!」

マリアも変な騒ぎになりそうで、慌てて止めに入ろうと立ち上がろうとした。

「ブ、ブルース! 落ち着けよ」

『大佐嬢』に真っ向から立ち向かう同僚に、流石のマーティンも狼狽え始める。

 

凄む男に、怯むことなく冷めた眼差しで堂々と立ち向かっている女。

その牽制しあう空気が、フロア中に立ちこめ、皆が注目をしはじめる。

 

 

「あーあ、やっぱりああなったか」

カウンターでは隼人がため息をついて、ギムレットのグラスを傾けていた。

「レイらしいね……」

マイクもノンアルコールのカクテルを口にして

観葉植物の隙間から見える奥の席での光景をクスクスと笑って眺めていた。

 

『邪魔しないでよ』

奥の席の話す声が徐々に甲高くなったその時。

葉月がカクテルグラスを手にしてスッとカウンター席を離れたのだ。

『俺も行く』

達也も立ち上がったのだが……

『邪魔しないでと、言っているでしょう。男は邪魔よ』

振り返った葉月の瞳が冷たく燃えていたのだ。

達也はそこで何故か……口惜しそうにしつつも憮然として葉月に従い席に座った。

 

その後──カウンター席の男3人は、そっと肩越しに振り返りながら

奥席に混じった葉月の様子を眺めていたのだ。

心配などしていない──。

するとしたら……

『乱闘になってから動きましょうか』

そう、マイクがそういった様に、男3人はそうなってから葉月を止める方向で見守っていたのだ。

だが──見守っていると『案の定』

葉月がやっぱり男と顔をつきあわせて一触即発の状態に──。

 

「行ってくる」

達也がスッと足が高いスツールを降りた。

「おい、達也!?」

隼人は、葉月と同じように暴れでもしたら──!?と、不安になって達也を止めようとすると……。

マイクが頭を振って、『行かせろ』とばかりに止められてしまった。

「ヘイ、『キュー』を貸してくれ」

達也は落ちついた表情で、カウンターの中にいるバーテンに

ビリヤードの珠を突く棒を借りてそっとその場を離れた。

「彼もレイのことは良く解っているでしょうから……好きなようにさせましょうよ」

達也がいなくなった席にマイクが移ってきて、隼人にグラスを差し向けた。

マイクが落ちついているから、隼人も落ちつかざるを得ない。

隼人は制服の詰め襟ホックを緩めて、溜息をこぼした。

達也は──と、いうと、彼は観葉植物の壁を回って

ビリヤードのテーブルの側についた。

だが……他のゲームをしている隊員達に話しかけることもなく

腕の中に長いキューを抱え、両腕を組んでジッと奥のテーブルを見守っている。

まぁ……ゲームをしていた隊員達も奥の騒ぎにゲームどころではなさそうだったが……。

 

さて──? あちらの展開は?

隼人はマイクと一緒に、観葉植物の隙間からそっと伺う。

 

 

「親の七光りで、私が何でも好きなように物事動かしているみたいな言い方ね?」

「そうだろうが!? 今回の事も、俺達は迷惑しているんだよ!」

「迷惑? じゃぁ、私も言わせてもらうけど……。

彼女の計画推薦希望……これをうちの中佐の段階で止めて欲しかった……。

そういうなら……あなた達の方が『甘えている』わよ。

推薦をしたからには『許可』される事も予想出来ることは必然。

許可されたらどうすればよいか……その後のフォローを怠った事に関して

私が指摘した事、これは絶対に取り消さないわ」

「俺達が甘えているだと!? 甘えているのはオヤジの権力カサにして

なんでも好き勝手に物事動かす、嬢ちゃんの方だろ!?」

「私を親の七光りでしか片づけられないわけ?

言っておくけど、推薦を澤村に止めてもらうことを甘えていないという言い分を

百歩譲ったとしても……

『ダメな計画』と判断したなら、澤村に推薦する前に、

キッパリそこで切り捨てる厳しさを持つのが『本当の上司』なのじゃないかしら?」

葉月は静かに座っているマーティンをチラリと見下ろした。

彼は気まずいのかサッと視線を逸らす。

葉月から見ると……まだ、ブルースの方が『骨がある』と感じて呆れたぐらいだ。

「それが『解らない嬢ちゃん』で、手こずったんだよ! うちの少佐はな!」

だから……切り捨てにくかったとブルースは主張する。

「で? うちの中佐に止めてもらえると思って……?

それで、止めてもらえなかったから怒っているわけ?

笑えるわね──。そんな事で仕事をしているの?

私の中隊本部にそういう心積もりの隊員がいたら……

私が言わずとも、補佐中佐達は真っ向から怒り出すわよ。勿論、私もね」

『アンタ達は私の部下以下、話にならない』と言われ

葉月の淡々とした理詰めにブルースも言う事がなくなってきたようだ。

そして──とうとう! ブルースが葉月の襟首を掴んだ!!

「おい……さっきから言っているだろう?

そんな理屈並べてもな、アンタはマリアの『なっていない計画』を

お嬢ちゃん感覚でサッと受けちまったんだよ!

アンタの理論で行くと、アンタもマリアの計画をスッパリ切り捨てるのがアンタの『正論』って

事になるじゃないかよ!」

「ブルース! やめてよ!」

マリアが止めに入ろうとしたが……

葉月が何喰わぬ顔で、襟首を掴まれたままマリアをスッと手で制してきた。

マリアは額に汗を浮かべてそのまま止まってしまった。

 

「私は彼女の計画に関して『まったくダメだ』とは言っていないわよ?

彼女の計画を私達幹部で『サポート』したい。そう判断したのだけど?」

「それが思い上がりだって言っているんだよ!!」

「思い上がり──? 下の隊員が少しでも光る提案を見いだした場合。

それを上手くフォローするのが『上司』という物ではないの?

それともなに? あなたはそういう上司の協力なしでも

何か思いついたら何でも上手く事を運べると私には聞こえるわ?

そっちの方が思い上がりじゃないの!?」

葉月が襟首を掴まれているブルースの手を強く握ってねじりあげ、パン!と張り落とした。

「──!?」

いとも簡単に力を解かれてブルースが何が起きたか解らない顔をして一瞬驚く。

しかし……それで益々彼は頭に血が上ったようだ。

「理詰めで『こじつけ』て、私をねじ伏せようとしているのはそっちじゃないの?

これだから──『一般正論』だけ一丁前に語るばかりで

『一般的に正しい』という理論と割り切れる数字にしか頼れない、頭の固い男はやってられないのよ」

「なんだと──!? なんの力もないくせに!

年上の補佐男達にかしずかれ、父親の権力だけで動いてるアンタは何が出来るっていうんだ!」

「何が出来る? ですって──?」

葉月がそこで腕をまたふてぶてしく組み直して、なにやら勝ち誇った様に

ニヤリと口元に笑みを浮かべたのだ。

ブルースがそこで……急に止まった。

「いいわ──。『数字で割り切れない』もの……『勘』って奴、見せてあげる。

これには『理屈』は付かないからね」

「──『勘』?」

そこで葉月はスッとスカートのポケットから大判のハンカチを取りだした。

ブルースの目の前で、そのハンカチをフッと振って広げる。

紺色に小さな白い水玉のハンカチだった。

それを葉月が両手で細くして、ヒモのようにして引っ張った。

「これで目隠しをするから、どこからでも飛びかかってきて」

「は?」

眉をひそめたブルースに、葉月はフッと微笑んで、それを自分の目にあてがった。

葉月の両目は覆われ、頭の後ろで結ぼうとしながら続ける。

「どこからでも──よ。もし、私が……テーブルに手を付いたり……

椅子の背に手を添えたり……床に倒れたり、あなたに押さえ込まれたり……」

葉月が頭の後ろで、ハンカチを結びおえて、自信たっぷりに微笑んだ。

 

「どれか一つでもしてしまったら……あなたの言う事を聞くわ」

「──!!」

ブルースだけでなく、黙ってみていたマリアもマーティンも驚いて息を止めた。

 

「ダメよ! ハヅキ──!!」

マリアがこれ以上は!と思って、葉月を止めようと近寄ろうとすると……

「黙っていて!! 邪魔したら承知しないわよ──!」

葉月が荒々しく吠えたので、マリアはビクッとして固まってしまった。

「マーティン少佐も邪魔しないでよ。誰も、邪魔しないで静かにしていて!」

「本気なんだろうな?」

「大佐、大佐と言われるからには、二言はないわよ」

葉月は目隠しをしたままニヤリとさらに微笑んだ。

「へぇ……」

ブルースは勝ち誇ったようにニヤリと顎をさすった。

 

店内の誰もが、奥の席の『妙な余興』に既に釘付けになっていた。

 

「……まったく、またああいう事を派手に……」

隼人は思った通りの展開になって、額を抱えてうなだれていた。

すると──若い男とお嬢ちゃんの『立派な理詰め合戦』をクスクスと傍観していたマイクが

「悪いけど……店内のBGMを切ってくれますか?」

バーテンにそう申し込んだのだ。

「はい?」

「それから──」

マイクは制服のポケットから軍証のIDカードを証明書としてバーテンに差し向ける。

「わたくし、こういう者ですがマスターお呼びいただけますか?

ほら、奥の席が穏やかじゃないでしょう? 私は将軍秘書室の秘書です。

責任は取りますので……事情をご説明させていただけませんか?」

マイクがニッコリ極上の微笑みをバーテンに向けたのだ。

隼人は……サッと先を読んでその後の『後処理』に既に手を打つ手際に驚きを隠せない。

「ジャッジ中佐……」

「ああ、心配しないで。こういう後始末、慣れていますから」

彼の明るい笑顔に隼人は絶句した。

そこには『本物の側近』というのを見た気がしたのだ。

もう、隼人もこれ以上は我慢できなかった。

マイクがマスターと顔を合わせ、話し出した隙に席を離れる。

キューを抱えてもの凄い眼光で見守っている達也の側に移動する。

 

「達也──」

「兄さん、葉月の事、止めるなよ」

「止めるもんか? こんな事、いつもの事じゃないか?」

隼人が呆れて手のひらを空に向けると、やっと達也が彼らしく微笑みをこぼした。

「あんな目隠しして、大丈夫なのかな。まったくもう、うちのじゃじゃ馬は」

隼人は葉月の『勘』は信じているが、やっぱり不安でならない。

「大丈夫さ。アイツ、すごく勘が良いんだ。俺以上に。

出逢ったときもそれに驚いたし──、

この前の任務でも通気口に隠れている犯人に一番最初に感づいたのは葉月だったからな」

「──!! そうだったんだ!」

そこは昔なじみの達也の方が落ちついていた。

達也はジッと目隠しをしている葉月と勝ち誇ったような男が向き合っているのを

静かに見守っている。

隼人も、息を呑んでそっと見守った。

 

店内のBGMがマイクの配慮によって落とされた。

店内が『シン……』と静まり返った。

 

「じゃぁ──その条件、絶対忘れるなよ」

「オーライ」

 

葉月の前に立っていたブルースは、暫く葉月の前にジッと立って

目隠しをしている葉月を見下ろしていた。

そしてその場で……なんと靴をそっと脱いでしまった。

 

(足音を消すため!?)

マリアはブルースの用意周到な閃きに、頭に血が上りそうだった。

だけど──葉月が『自分を賭けて』勝負を挑んでいるのだ。

邪魔は出来ない──。

 

やがて……ブルースはマリアの席の後ろに歩き出す。

葉月から徐々に離れていったのだ。

 

なんだか彼女が女性に見えなくなってきてマリアは茫然とした。

先程、怒鳴られたとき……まるであの時父親に怒鳴られた時と

同じ様な錯覚に陥ったほど。

『何もできない女は黙っていろ!』

そういわれた様な気にさえなった程──。

マリアはソックスの足でスッと移動するブルースの足を引っかけたくなったが堪えた。

 

そして──マリアの隣にいるマーティン少佐の席の後ろに移動する……。

そう……丸テーブルを一周して葉月の背後に静かに慎重に……

足音を立てずに移動しているのだ。

 

(後ろを狙うなんて……卑怯者!)

マリアは拳を握って、震えていた。

でも──。

 

「……」

(え──?)

葉月の視線が目隠しをしたまま……スッとマリアの方に向いたのだ。

そして彼女の肩越し……マーティン少佐の方をチラリと向いた。

そこにはブルースがいたのだ。

(うそ……解るの──!?)

『レイは先輩にそっくりで、耳が良くて勘が良い。

あれが男の子だったらと思うと本当に惜しいね』

父がそう言っていた事をふと……マリアは思い出す。

だけど──話で聞くのと目の前で見るとでは全然『驚き』が違った!

 

ブルースの動きがスッと止まる。

もう葉月の背中はそこまで届きそうだ。

 

「背後を狙うなんて……ありきたりだな」

見ていた隼人がフッと鼻息をついて呆れていた。

「本当だな。ああいう時に一番警戒しているのは背後だって……

やっぱ、ずぶの素人はわからないんだな」

達也もバカにしたようにして、耳の穴に指を突っ込んでほじくっていた。

「それにしても──葉月はやっぱり、葉月だな。

見ろよ……周りの客達。皆、引き込まれている……」

達也が感慨深げに微笑んだ。

そして──なんだか懐かしそうな眼差しで。

「本当だね」

皆……ウェイターまでもが……

自分より身体が大きな男に対して、『ハンディ』をつけてまで挑む『女の子』の

勇ましさ……その先に起こる出来事を見守っていた。

そして──きっと……葉月が上手くやった後、

アッと驚いた人々は……

 

隼人がそこまで考えていた時──!

 

葉月の背後近くに位置取ったブルースがフッと両腕を動かしたのに気が付く。

 

ブルースの手は、葉月の制服の肩章へと静かに伸びていく!

(もう、ダメ!!)

マリアは目をつむった!

きっと葉月は両肩を掴まれて、背中から抱きつかれて

男の力で押さえ込まれて身動きが取れなくなる──!

 

ブルースの両手が葉月の両腕に触れた!

 

隼人と達也もそこは身を乗り出してお互い一緒に

反射的に一歩前に踏み出していた!

 

『ガシャン──!』

目をつむっていたマリアがいるテーブルが大きくぶれて

マリアの身体を揺らして目を開いた──。

 

そこには両肩を掴んだブルースに対して、葉月が片足を後ろへと

ブルースの片足に引っかけていて、その反動でテーブルが動いたようだった。

「うわ!」

ブルースがよろめいて葉月の背中に寄りかかりそうになったその瞬間。

「え──!?」

マリアが驚いたのも束の間──!

葉月は、身体を反転させてよろめいたブルースの片腕を取り、

襟首が見定められないためか、彼の肩近くのジャケット生地を鷲掴みにして……

そして、さらに片足を引っかけて……思いっきり前へと倒そうとしていた!

 

『ドン──!!』

 

マリアがハッとしたときには……

 

ブルースが床に倒れていた!

 

店内は先程の緊迫した時よりシン──としていた。

誰も声を発しなかった。

 

「くそ──!」

ブルースが唇を噛みしめ、腰を押さえながら悔しそうに起きあがった。

葉月がサッと目隠しを取り去った途端だった!

「やめろ! ブルース!!」

マーティンが飲んできたウィスキーのグラスをブルースがよろめきながら握って

葉月に向かって投げつけた──!

『危ない──!!』

マリアは葉月へと向かうグラスを見届けられずまた目を固くつむる。

『ガシャン──!!』

その音が聞こえてマリアが目を開けると──

葉月が顔を背けて……何事もなく立ちつくしていた。

 

「バカにしないで。これでもパイロットなのよ。動体視力はあなたより良いと思うわよ」

一滴の雫も浴びることもなかった葉月がニヤリと笑っていた。

「上等じゃねーか! それだけ出来るなら『女じゃないな』!

遠慮はいらねーな!!」

悔しさも頂点に達したブルースは既に我を忘れているようで、

今度は真っ正面から葉月に飛びかかった!!

「もう! やめて──!!」

マリアが叫んだと同時に──!!

 

『葉月──!!』

ビリヤードのテーブルから聞き覚えある声が聞こえた。

マリアが誰の声か気が付いて、ハッとすると

その方向から、長い棒が葉月に向かって飛んできている!

投げた犯人は『達也』──!

 

「ふふ、サンキュー! 達也!!」

飛んできたビリヤードのキューを葉月がニヤリと微笑んで

解っていたかのように軽く飛び跳ねて空中でキャッチ!

長い棒をクルリと回して、まるで孫悟空のようにブルースに向かって構える!

飛びかかってきたブルースの足元へ、

葉月はキューの先を差し込む。

『カン! カカン!!』

ブルースの足元、板張りの床から軽やかな音が響いた。

キューの先端がブルースの前進を戸惑わせる。

「わ、わ!!」

滑稽なステップを踏んだようなブルースの足のもつれを見逃さない葉月は

そのままキューの先をガッと彼の足に引っかけて手元で大きくすくいあげた!!

 

『ドン──!!』

また……同じ場所でブルースがひっくり返った!!

 

『ワァ──』

今度は店内に拍手が巻き起こった──!!

 

「どう?」

葉月がキューをクルリと片手で回し……

コン……と床に立てて微笑んでいた。

「これでも男にかしずかれていると? 私、補佐の男達、誰にも負けない自信あるわよ?

私は『御園亮介』の娘、父に鍛えられた事を誇りに『軍人』をしているつもりよ。

私が『なにも出来ないお嬢ちゃん』だという事はどうやって理論づけるわけ?」

そこまで身につけるのは、並大抵の事ではない。

それはマリアだけでなく、叩きのめされたブルースもやっと納得したようだった。

それは……『父親の権力』のみで大佐になった訳ではない『証拠』とばかりに

葉月は堂々と胸を張っていた。

 

「ヨッ。イッポン──!」

そんな日本語がが聞こえて、皆が振り返ると

なんと白髪混じりのこの店のマスターがカウンターの中から

にこやかに投げた声だったのだ。

 

「なんだ。マスター、もしかして武道のたしなみでも?」

側にいたカウンターに寄りかかるマイクが呆れたように笑った。

「ふふ──。武道は好きだよ。ああいう手並みを目の前で見るのは初めてだね!」

「そうだったんだ。ご覧の如く……お転婆な大佐嬢でしょう? 申し訳ない」

「まぁ、いいよ──今回は多めに見ようじゃないか?中佐?」

「いえ──破損した物に関してはキッチリ弁償はしますから……」

「といっても、グラス一個分のようだね? グラスが割れる事ぐらいしょっちゅうだよ」

「……有り難うございます」

 

マイクは入り口近くのカウンターから、

店内の客をアッと言わせたレイが……皆をまとめてしまった様に見えて微笑んでいた。

 

「解ったよ! 参った!と言えば良いんだろう!!」

ブルースは破れかぶれに腰を床に着けたまま叫んだ。

「冷静になって話し合おうじゃないの? 『対等』に──」

降参したブルースに今度は微笑みを浮かべていない、いつもの表情の葉月が

手を差し伸べていた。

 

「俺、葉月のああいう所、時々むかつくんだよな!」

ブルースに手を差し伸べる葉月を見た達也が『チッ』と舌打ちをした。

「ああ……解る。同感だ」

隣の隼人から……いつにない切り込むような声色が聞こえたので

達也がフッと向くと……

「……」

隼人が拳を握って、えらく恐ろしい形相でスッと歩き出したのだ。

それも──奥の例のテ-ブルへと──。

「に、兄さん??」

達也はヒヤッとしてサッと歩き出した隼人の後を追う。

 

「は、隼人さん──」

手を差し伸べている葉月とそれを取ろうかどうか戸惑っているブルースの間に

隼人が現れた。

隼人が側にあった椅子をガッと引き寄せて……葉月の腕を掴んだ。

「な、なにするのよ!」

力ずくでそこに葉月は座らせられた!

葉月が座った途端に、隼人がまだ腰を落としているブルースの襟首を掴んで

力任せに立ち上がらせたのだ!

「ちょ、ちょっと──!? 中佐!??」

今度は葉月が驚いて立ち上がる──!

だが、後ろから誰かに頭をガッと押さえつけられて葉月は再び座らされた!

「今度はお前が邪魔するな」

「達也──! 何するのよ──!?」

葉月がジタバタしていると……

 

「大佐はそれで許してくれても、俺は許さない」

隼人がいつにない形相でブルースに凄んでいたのだ!

「彼女がバカにされる、さげすまれる、侮辱される──。

それは全て……以下、俺達部下も同時にバカにされたと見なす!」

隼人がブルースの襟首を掴んで拳を握った──!

「ちょ、ちょっと──!」

葉月が暴れても、達也にがっしり椅子に押さえつけられて身動きが出来ない!

「それ以前に……ハンディある女性の背後を狙うことを選択した事!

それならまだしも──女性の顔に向けて物を投げつけたこと!

男としてそれは何があってもしてはいけない事を『忘れるな』──!!!」

『ドカッ!!』

今度はまがいもない男の鉄拳がブルースの頬に入り込んだ。

『ゴホ……』

ブルースは今度はかなり打ちのめされたように床にうなだれていた。

「おっと、そっちも見逃せないな。俺のアシスタントに何をしたんだ?」

隼人は静かに事を傍観してばかりの『少佐』にもいよいよ腹を立てていたようで

葉月すら見たこともない眼光を彼に突き刺していた。

流石の葉月もヒヤッとして、椅子の上で大人しくなる。

「おおっと……兄さん。そっちは俺の『持ち分』だ。譲らないぜ」

今度は達也がスッと立ち上がった。

息があったように今度は隼人が解ったように引き下がる。

 

「ちょーっと! やりすぎだぞ!」

大人しくいつでも落ちついている隼人が拳を振った為か、

マイクが慌ててカウンターから飛んできた!

だが、達也はすっかり力抜けしているマリアの背後を回って、

彼女と少佐の間のテーブルの上にどっかり腰を下ろした。

 

そして……達也はマリアの目の前にある『デジカメ』を手にした。

「なーんだ、この程度か」

達也は元妻とその少佐がぼんやりと写って重なっている画像を見て鼻で笑ったのだ。

そして──

「目障りだ。兄さん、消してくれよ」

そのデジカメを隼人に向けてヒョイと軽々放り投げた。

隼人が真顔でそれを受け取る。

「そんな程度で浮かれるなんて、たいして経験なさそうだな」

達也はテーブルの上に座ったまま腕を組んで変に嫌味いっぱいに

マーティンに笑いかけた。

マーティンの頬がカッと赤くなった。

「マリア──」

「え──? なに!?」

達也がテーブルから降りて、マリアの腕を力強く引っ張り上げ……

そして──

 

「わ……」

隼人もビックリして目が皿になった!

「わ……レイ! 良い子は見ちゃダメだ!」

やって来たマイクが座っている葉月の両目を後ろから手で覆って隠した。

「な、なにするのよ! 私、子供じゃないわよ──!!」

 

黒髪の男の力強い腕に抱きしめられて、マリアの唇は達也に強く愛されていたのだ。

「た、達也……」

 

店内にBGMが流れ出す──。

流れ出したのは……プラターズの『オンリー・ユー』──。

 

黒髪の海陸中佐と栗毛のアメリカ美女の熱い口づけは暫く続き、

店内の客達はぼうっと釘付けになっていた……。

眺めることが出来なかったのはどうやら、お兄さんに目をふさがれた

大佐嬢だけだったようだ──。

ジタバタと子供のように押さえられる葉月を見て、隼人はフッと笑い出していた。