44.同じ月夜に……

 

 『コンコン……』

 毎度お騒がせが起きたナイトバーから、思わぬ食事を取った後……

隼人と葉月はマイクの車に送られて、フェニックス通りの白い家に戻ってきた。

お互いにシャワーに入ると言って、各々の部屋に戻り、

隼人はパジャマに着替えた後、葉月の部屋を訪ねてみる。

 

『どうぞ……』

彼女も入浴を済ませた後のようで、返事が返ってきた。

隼人は白い部屋のドアをそっと開ける。

 

青い小花柄シーツのベッドの上で、白いロングワンピースに

着替えた葉月が寝そべっていた。

「何しているんだよ?」

「んー? 懐かしい物見つけたから……」

ドアを閉めて、さらに覗き込むと葉月は枕元で何かを広げ

うつ伏せで眺めている。

「……」

彼女の側に寄って、隼人はベッドの縁に腰をかけた。

葉月が眺めているのは綺麗な挿し絵がしてある『絵本』だった。

「人魚姫?」

「うん。昔、ママが買ってくれたの。絵が綺麗で……小さいときのお気に入り。

鎌倉にいたときに買ってくれたんだけど、簡単な英語のお勉強にもなるからって

洋書を買ってきてくれたの」

「ふーん?」

中世の美しいドレスを着た女性の絵、海中の麗しい人魚姫の絵。

葉月は英語の文字を読んでいるわけでなく、挿し絵を楽しんでいるのか

パラリパラリとゆっくりとめくっていた。

中世的なドレスや服飾がけっこう細かに描かれている挿し絵だった。

「綺麗だね」

「うん──。昔は何度みても飽きなかったもの」

「……」

幼い頃は、自然と綺麗なお姫様の姿に憧れていた事が隼人にも解る。

こうして開いて目にしているという事は……『拒否』することなく、

それなりにあの頃の『女の子の気持ち』を、自然に思い出しているような気がした。

隼人はちょっとドキドキしながら葉月を眺める。

枕に頬杖をついて……葉月が穏やかに微笑み、視線は絵本の中に釘付けだった。

前あきボタンのワンピース、袖無しの縁、丸い襟刳り、裾には小さく細かいレエス。

登貴子が見立てたのだと、すぐに解るような甘い女の子らしい綿ワンピース姿で

くつろぐ葉月は、小笠原の自宅でのシャム猫のような夜姿とは雰囲気が全然違った。

「最後に人魚姫が海の泡になっちゃう所……。昔はすごく印象的だったわ」

「ああ、たいていはハッピーエンドだったりするもんな」

「それも……王子様が勘違いで他の王女様を選んで結婚して……

恋に破れた人魚姫は人魚に戻るために、王子様を殺して血を足にかけなくちゃいけなかったのよ?

だけど……人魚姫は出来なくて……泡になる事を選んだんだもの……」

「だけど──それはそれで、彼女は満足だったと思うけどな?

女性の究極の幸せの形ではなかっただろうけどね? 彼女は愛を貫いたんだ──」

隼人が平淡に言うと、葉月がちょっと驚いたように顔をあげた。

でも──

「……そうね。きっと、そうよね? 昔は……こんな結末で悔しかったんだけど」

葉月が何故だか嬉しそうに微笑み、なんだか満足そうだった。

そんな葉月を眺めながら、隼人もそっと微笑んだ。

 

「葉月……驚いたよ。あんな事考えていたなんて……」

隼人はそっと濡れている葉月の栗毛を撫でた。

「え? そう──ただの勘でおぼろげで……まだしっかり固まっていないし

私も頭に浮かべただけで、細かくは考えていないから」

『ああ、勘なわけね』と、隼人はサラッと流す絵本に夢中なウサギさんに

ちょっと呆れたり……。

すると、葉月が絵本を閉じて、パッと起きあがった。

「でもね! 一人じゃできないもの。もうちょっと時期が来てからと思っていたの。

急にあそこで言う展開になっちゃって、驚かせてごめんね?」

隼人に向き合った葉月が、急に隼人を伺うように顔を覗き込んでくる。

「まぁ……いつもの事だし、まだ早く始動しても何ヶ月か先の話だろ?」

「そうだけど──」

「とにかく、俺……目の前にある物を片づける事に集中するから」

「うん! そうね。私も色々と落ちついてから考えようと思っていたから──」

葉月はそう言って笑うと、また寝そべって絵本を眺め始めた。

「……やっぱり……」

葉月を見下ろしながら、隼人はもう一度、栗毛に触れた。

「なに?」

ちょっとだけ葉月が隼人を見上げた。

今の葉月を眺めていると、元気良く暴れる大佐嬢にも

中隊を発展させようとする鋭い大佐嬢にはもう見えなかった。

こうして眺めていると、恰好の雰囲気は違えど、隼人が知っている丘の家の彼女だ。

「今、目の前にいるお前が……俺が一番知っている葉月って感じで

ホッとしたところ」

「え?」

「大佐の顔も敬愛しているけど……やっぱり葉月はそうして女の子の方がいいよ」

「……」

隼人の笑顔に葉月がちょっとはにかんで俯いた。

「こんなママが選んだナイトウェア……私には可愛すぎて……」

「いや? それも新鮮でいいけどね。ママには言えないけど……

いつものスリップで寝てる姿は刺激的なんだよな? 結構」

隼人が苦笑いをこぼすと、葉月がちょっとむくれた。

「もう、慣れたでしょ?」

「慣れたけど……スイッチは入りやすいね」

「なに? スイッチって──??」

「男のスイッチ」

隼人がシラっとした眼差しで葉月を見下ろすと、葉月は急に頬を染めて

『バカ!』と、枕を隼人に投げつけてきた。

「アハハ! 今の恰好もそれなりにそそられるけど──!」

「もう! 何考えているのよ! エッチ!! 出て行ってよ!!」

枕を持って隼人をはたく葉月。

隼人は笑いながら『それぐらいなんだ』と力任せに、枕を押し返すと……

葉月が後ろにひっくり返った。

いつにない男の力に驚いたのか、葉月が倒れたまま暫く隼人を見つめていた。

隼人はそっとベッドの上に上がって葉月に覆い被さる。

 

「誰がいつも……俺をこんな男にしているか……知っている?」

まだ生乾きの葉月の栗毛を生え際からそっと隼人はかき上げる。

「また? 『お前が誘惑する』って私のせいにするの?」

「……あたり」

隼人の手がそっと襟元に差し掛かった。

「私、なにも……していないのに?」

「そこにいるだけで……お前は誘惑」

「……暴れ者でも?」

「いまここにいるのは俺のウサギだから──」

隼人の手が白い貝ボタンをひとつ、ふたつ……と外して行く。

お互い近い距離で視線を絡めたまま、隼人の手だけが動き

やがて、その手がスッと生地の下に吸い込まれていく。

「……は、はや……とサン」

ふんわりとした真綿を掴むように、葉月は片胸を撫でられ……

それがあまりにも柔らかくてなめらかだったので

思わず、ピク……と、身体を小さく震わせてしまった。

「あ、あの……その……」

「なに──?」

隼人が真顔で片胸をずっと撫でるので、葉月も何を言って良いのか解らない。

「……別に構わないんだけど……」

「……そう?」

「あ、でもっ……まだ、ママ達が起きているし……」

「そうだな……」

それでも隼人は真剣な眼差しで、ずっと同じ事をしているだけ。

やがて隼人は、そっと葉月の首に顔を埋め耳元を噛んだりしてくる。

そんな隼人を葉月はずっと見つめていた。

「……どうして? こんな私……」

暴れたり、一人で進めたり、一人で閉じこもったりしていつも彼を振り回しているのに

飽きもせず、放り投げもせず……こうして葉月をいつだって『女の子』に

戻してくれる彼を愛おしく思っている自分がいた。

愛おしく思っているから、余計に彼にかけている負担を

ここ最近、変に重く感じることもあるのだが──。

「今更……何言っているんだよ。ウサギさん?

あちこち飛び跳ねても、俺を見つけたら戻ってきてくれればそれでいいんだ。

俺にとって……居場所はお前がいるところ。お前にとってもそれと同じであれば……」

彼の熱い息が耳元でフワフワと揺れて言葉が流れてくる。

葉月もそっと横にある隼人の頬に口付けてみた。

隼人は少しだけ顔を上げて、フッと柔らかに微笑んでくれる。

「パパママがいなきゃ……がむしゃらに飛びかかっている」

胸元の隼人の手が惜しそうに胸先を撫でている。

もの凄くせつなくて熱い……ほとばしる感触が

葉月の身体を駆けめぐり始めたが、そっと堪える。

「……いいんだけど……それでいいの? この前ここに帰ってきた晩……

隼人さんが泊まっている部屋で、『なにもしないで』しちゃったし──」

それは任務から帰ってきてから、隼人が『急に』始めた事。

毎回『絶対』ではなかったが──。

葉月が『ピル』という対策をしているから『絶対厳守』というまで

隼人自身は追いつめていない様だったが、

雰囲気に流されないいつもの定期的な睦み合いでは

隼人は絶対に『男の避妊』という対策は外さなかった。

 

隼人はそういうと、葉月の唇に惜しそうな口づけをしてきた。

ちょっとだけ、葉月の唇を愛すと隼人は黒髪をかき上げて起きあがる。

「あのさ……俺が『避妊』という目的で始めたと思っているのかよ?」

「……違うの?」

隼人はちょっと呆れたような苦い顔をして、ベッドの縁に戻ってしまった。

葉月も起きあがる……。

隼人の背中をベッドの中央で見つめていた。

「そりゃ……この前みたいな無茶な結果は残したくないからな。

葉月の意志に反して出来ても困るし」

「……ピル、飲んでいるし」

葉月がそういうと、背を向けている隼人が疲れたため息をついていた。

「……ピルだって完璧な対策とは言えないだろう?

ピルを飲んでいるって事は出来たら困るわけだろう?

ピルを飲んでいるのに、出来てしまったらお前、ショックだろう?」

隼人がなんだか怒っているように葉月には聞こえて戸惑った。

だが──確かにそうだ。

困るから……飲んでいるのだ。

「……でも、隼人さんを拒否しているわけじゃないんだけど……」

それ以上の上手い言葉も出てきそうにない。

この手の話は葉月は苦手だ。

拒否してる訳ではないけど……これも『怖い』事の一つを避けるため。

何故? 怖いとか避けるとかそういう奥深さになると

葉月はまた、自分の心の奥に手を突っ込むことが恐ろしくて考えるのをやめてしまう。

「……ごめんなさい……その……」

葉月は隼人に寄り、彼の背中にそっともたれかかる。

そんな表現しか出来なかったし、思いつかない──自分でももどかしい。

隼人もハッとしたのか刺々しい雰囲気を取り除いた。

「いや……言い過ぎた。

そうじゃなくて……もし……子供の事を考えるなら『大切』にお前に接したいだけだよ。

勿論、それは俺の為でもあるんだよ。子供の半分は『俺』になるんだから。

思わぬ事になって一番傷つくのはお前だし、俺だって痛手だよ。

心だけじゃなくて……お前の場合は身体も人一倍、気を付けて向かわないと

取り返しが付かなくなるから……」

「……私の体質の為?」

「それだけじゃないけど──。でも、俺……『しない』時は覚悟しているつもりだから」

「──!!」

それは? いつでも子供が欲しいと言うこと──?

葉月はちょっと驚いて、隼人が座っている横に一緒に腰をかけた。

「ね?……隼人さん、それでいいの?」

葉月は隼人の顔を覗き込む。

「いいのって? なにが──?」

「その──あの……」

葉月は指で隼人をさして……『あなたと』……

そして自分を指さして……『私の』──?と、あたふたと言葉に詰まった。

そんな葉月を見て、隼人が可笑しそうに笑った。

「……まぁ、俺だってすぐにって思っていない所もあるから

男側として対策しているって事も……否定しないけどな?

もしかして……俺がそう言う事、始めたから『隼人さんは子供がほしくない』って思い込んでいたのか?」

「……そうじゃないけど……」

葉月側だって『欲しくない』に等しい理由で避妊しているのだから

もし、隼人がそう思っていたとしても否定なんて出来るわけがない立場だ。

だが──全然思わなかったと言ったら嘘になる。

隼人は中佐になって急に多忙になった。

だから……『今は子供とか言う余裕はないから始めた』とも葉月は思っていたからだ。

葉月が困った様に俯くと、隼人がそっと葉月の左手を手に取った。

「もしだけどな? もし出来たら……お前のミニチュアがいいな? 小ウサギみたいだろう?」

「……女の子が欲しいの?」

「ああ……」

「私はこの前、出来るかもしれないって思った時……。

沙也加ママにそっくりな……あなたとそっくりな綺麗で黒い大きい目の女の子が欲しいって思った」

「──! 本当かよ??」

そんな葉月の心情を初めて知った隼人は、急に嬉しそうに微笑んだ。

「……意外だな。ウサギさんがママらしい事考えていたなんて……」

隼人が葉月の左手をそっと唇にあてる。

「……葉月」

隼人の眼差しが急に真剣に輝いて葉月はドッキリとする。

「……俺はそのつもりだから、『いつでも』 後はお前次第。

お前がその気になったら……覚悟は出来ているよ」

そういった隼人が葉月のある部分に吸い付くような口づけをした。

『左薬指』

「……隼人さん」

「いつの事か……解らないけどな」

言葉で言えないが……ぼんやりとした隼人の『目標』を

葉月は初めて……明確に知ったように思えた。

「それから……それも自然な事。深く考えないように……。

いつも一人で抱え込んで、デブウサギになっている時があるみたいだから」

隼人は笑いながら葉月の栗毛にそっと口付けてきたのだが……

「デブウサギ!?って、なによ──??」

葉月は隼人の変な茶化しに面食らって……そして、またむくれて隼人を突き飛ばしていた。

「あはは……!」

「あのねっ! ウサギ、ウサギって……い、った……い?」

何か言い返してやろうかと思っていたところ、見抜かれていた様に

隼人に唇を塞がれる。

「……んっ・・っ」

おやすみのキスにしては、濃密でしつこいくらい長く隼人は離してくれなかった。

「……おやすみ……リトル・レイ」

最後に隼人が栗毛をひと撫でして立ち上がった。

葉月も頬が熱いのを感じて、ほぅを一息ついて隼人を見上げていた。

 

そんなうちに……

「……達也、どうしただろうな?」

隼人がポツリと呟いた。

「ああ……うん……」

葉月としてはなんと言って良いか解らない。

隼人は少し寂しそうだった。

「……やっぱり、俺のエゴだったかな? もし、あの夫妻が上手く行ったら……

俺……達也の事は諦めるよ」

「……そう」

葉月はなにも言えなかった。

それも葉月としては二人が上手く復縁したら……

達也はフロリダに留まる……と、『予感』しているからである。

隼人はもしかすると……『マリア嬢も一緒に小笠原に』と少しは思ったかもしれない?

だが……今の『諦める』という覚悟をしている事をみても……

『マリア嬢はフロリダにいて輝く隊員』と、もう……解っているようだった。

葉月も同じ事を感じていたから……。

隼人が諦めるという事に、慰めとか上手い言葉は見つからなかった。

「……また、二人で暫く頑張ればいいよな? な? 御園大佐」

「……勿論。フォスター隊長が来るようになっても、ならなくても……。

私にとっては最強の補佐達がいると思っているもの。今の皆とがんばる。

それにもっと心強い相棒側近がついているもの!」

そこは葉月が元気に言うと、隼人がホッとしてくれたように柔らかい笑顔に戻った。

「俺にだって、最強の大佐嬢がいるんだぜ?」

隼人は満足したのか『おやすみ』と笑顔で葉月の部屋を出ていった。

 

葉月もベッドに寝転がる──。

 

窓から月明かり──。

いつもより近くに聞こえる波の音。

空かした窓からは、潮の匂いがする風がそよそよと入り込んでいた。

天井に左手をかざして、薬指を暫く眺める。

「……『泡』にならない?」

人魚姫とは全然違う例えなのだが……変に不思議な感触だった。

葉月は感触が残っているうちに、そっと薬指に口付けておいた。

 

 

 同じ月明かりの中──。

 

「あ……もう、達也」

「マリア……」

 

ここは二人が以前つつがなく生活をしていた家。

今は取り残された達也がそれなりに暮らしている家。

 

灯りが消えている寝室の大きなベッドの上で

マリアは長い栗毛をしなやかに揺らして……

目の前で以前と変わらぬ力強さで愛してくれる逞しい体つきの男に翻弄されていた。

 

 

あの後、タクシーを拾って『何処へ行こうか?』という話になり

自然と二人が生活していた家へと行くことになった。

軽いデリバリーを取って、食事をしたが……

達也と話せたことは……

『お前、工学科でそんな立場がきつくなっていたって……気付かなくて悪かった』

そう……工学科でマリアがどんな日々過ごしていたか何故かばれていて……

それに関する経過と達也が悪いのではない事を話しただけだった。

時々、無言になる。

食事を終えて、マリアは『やもめ暮らし』をしている達也が

散らかしているリビングを簡単に片づけた。

寝室はもっと散らかしているのじゃないかと覗くと……

どうした事か……寝室だけはマリアが出ていった時同様に整然としていたのだ。

 

『ここだけは……綺麗にしておこうと思って……』

達也が照れくさそうに黒髪をかきながら俯いていた。

マリアがそっと達也を見つめると……

 

いつの間にか、今の状態になっていたのだ。

言葉なんていらなかった……。

それだけ──。

 

 

「はぁ──暑いっ」

一頃して、素肌の達也が汗ばんだ身体でベッドに力尽きた。

マリアはそっと髪をかき上げて、シーツをたぐり寄せ、枕を背にジッと座った。

 

「……なんだかなぁ……すっかりアイツに乗せられたかもなぁ」

月明かりの下……達也の黒髪が蒼っぽく輝いている。

彼は力が抜けたように微笑んで白い天井を見上げ、

横で座っているマリアの胸元に沿って流れる栗毛に手を伸ばしてきた。

「……本当ね」

マリアも達也と同じように笑っていた。

『アイツ』が誰であるか尋ねるなんて皆無だった。

達也の『アイツ』は一人しかない。

 

「参ったよ。任務の時もそうだったけど、やっぱりただじゃ終わらないんだ」

達也は隣で寝ころんだまま、マリアの髪を指に絡めながらも乳房の感触も

さり気なく楽しんでいるかのような手つきで、可笑しそうに笑っていた。

マリアは……ジッとその達也の懐かしい仕草を見下ろしている。

 

そして──その彼の手をそっと握った。

達也の指遊びの動きが止まる。

 

「ねぇ? 達也……。小笠原に帰ったら?」

マリアの一言に、達也は驚いたように起きあがった。

「なに言い出すんだよ? それ……俺を試しているのか?」

こうして、以前通りに抱き合うことが出来た。

なにも変わっていなかった。

むしろ──半年もの間、離れていた事で以前以上に二人は燃えていた。

達也のマリアを抱く力は強くて、情熱的だったし……

マリアだって、それに連れて行かれるように身も心も痛いほど熱くなっていた。

 

だから……達也は『元通り』に戻れると思ったのかもしれない。

それで、『以前通りに戻ったはいいが。マリアは、葉月に会った俺が揺れていないか試している』

そう思っているようだった。

でも──マリアは気が付いてしまったのだ。

それを……今夜は達也に言いたかった。

 

マリアはサラッと、胸元までほどけている栗毛をかき上げて

起きあがった達也の顔を見据えた。

マリアの眼差しが凛と輝いた為か、達也の表情も神妙であって複雑そうだ。

 

「達也……ごめんね?」

マリアが微笑むと、達也が驚いたように一瞬息を止めたかのよう……。

「なんで、お前が謝るんだよ。 自分勝手を言いだしたのは俺だぜ?」

達也はマリアの丸い肩を……逞しい大きな手でガシッと掴む。

そして……マリアが知っているいつだって『熱い男』の真剣な強い眼差しで

マリアの瞳を覗き込んでいた。

達也が自分を責めている事はマリアだって良く解っていた。

近頃──何か投げやりに……適当に訓練に参加して

フォスター隊長をちょっとばかり困らせている業務態度も父からチラリと聞かされていた。

マリアもそんな達也はみていられなく、自分が選んだ夫ではないと思っていた。

そんな達也が自分を責めて、『オヤジさんの側近の方が良かった』と

後悔すればいいのだと思っていた。

だけど、マリアはそこまで達也を心の中で一人責め抜いた後……

『釈然としない物』があることに気が付いた。

それで……隼人の所に押し掛けてしまうことになったのだ。

 

「今回のアシスタント申し出も……工学科での理不尽な男達の振る舞いも……

全部……俺があんな事言い出さなければ、マリアは苦しまなかったんだ」

「違う……」

「違うもんかっ!」

「じゃぁ、聞くけど! もう一度、パパの所じゃなくても側近の話が出たら戻る気はある?」

「……」

達也が困惑した表情をすぐに現した。

達也はこういう所が本当に分かり易い男。

「……パパの側近を辞めたこと、後悔している?」

「……」

達也は黙っている。

マリアだって三年間は妻だったのだ。

黙っていると言う事は、『NO』という答え。

つまり、側近職に戻る気もなければ……辞めたことも後悔していない。

達也は『以前のマリアのプライド』を考慮して黙っているのがマリアには解る。

 

「ハヅキの所の側近なら中隊内の側近、『秘書室側近』じゃないから現場そのものじゃない?

あなたが希望して行くには一番良いポジションだと思うわ?」

すると……達也は疲れたようにバッタリ元の位置に寝転がってしまった。

「そんな上手く行くもんか。俺は一度、あの中隊を出てきた男なんだ」

「事情が事情だっただけじゃない……」

マリアは小さな声で呟いた。

彼女と達也が別れた理由には……触れるのは怖かった。

それにマリアも同じ女性として葉月が負った傷については考えたくない所ある。

そして……達也が一番痛がる話でもあるだろうから……

結婚する前に聞かせてもらえた『別れた理由』には、触れたくはなかった。

でも……達也は今はどうした事か、痛いところに触れられても

意外と穏やかに天井を見上げて微笑むだけだった。

本当に意外だった。

「そんな事情はもう昔の事情で、あれがどうしようもない理由だったから

小笠原の中隊を退いたなんて……今だって理由には使えないぜ?

使ったとしたら……それは葉月を傷つけるだろうし、俺も嫌だ。思い出すだけだ。

今は……結構、平気になった。アイツが元気にやってるから……」

「ご、ごめんなさい……変なこと言い出して……」

「いや、いいんだ。自然に口にしてくれてちょっとホッとした。

お前、葉月のことだって俺の事気遣って聞いたり言ったりしなかったんだろう?

もう、そんなのは無用だぜ? 俺、全然平気だから──」

達也が無邪気に微笑んだ。

そう──パリッとしてスッとしたクールなたたずまいの男なのに

こういう憎めない少年の様な顔も持っているから、マリアは愛していたのだ。

「平気なら……小笠原に行けるわよね?」

「あのな? お前、どうしたんだよ?」

今度は、達也はふてくされたようにマリアに背を向けて向こう側に寝返りをしてしまった。

腕を折って、手の上に頭を乗せて、達也は深々と溜息をついていた。

 

「私──やっと解ったの。達也が言っていた事」

「俺の言っていた事?」

達也が手のひらに頭を乗せたまま、チラリと振り返る。

マリアは真剣な眼差しで続ける。

「ハヅキが好きとかじゃなくて、小笠原に帰りたい。

帰れなくても……『俺が一番輝けると思える所に行きたい』って言っていたでしょ?」

「ああ、そうだったかな?」

達也は面倒くさそうだった。

こうしてマリアと何とかなりそうだから……。

そして何よりも一番一緒に前を向きたい『アイツ』には

申し分ない相棒が出来てしまって、それを認めてしまったから──。

達也はもう『忘れたい』と傾いているのだ。

マリアはそれすらも見抜くことが出来たのだ。

マリアはもう一度、深呼吸をして達也に向かう。

 

「その程度の『決心』で、私をこんな状態に追い込んでいたわけ!?

そんないい加減な決心で、家を出ていこうと、私と喧嘩したわけ?

そんな軽い理由で、私達がこんな状態になったというなら許さないから!!」

「……」

マリアに黒い後頭部を向けている達也は無言だった。

「達也! 達也が輝けるのはやっぱり葉月の所よ!?」

「──いい加減にしてくれよ!」

達也がシーツをはね除けて起きあがった。

マリアは一瞬ビクッと硬直したが、怯まない。

「何がいい加減なの? いい加減なのは達也じゃないの!?

いつまでくすぶっているのよ? 今の達也は達也じゃない!!」

マリアは目をつむって声を高くして訴えた。

「マリア……だったら……ひとつ聞くけどなぁ?

どうして……今夜、俺とこうしても良いって思ったんだよ?」

「──愛しているわ。まだ……だからに決まっているじゃない?」

「……俺だって愛しているよ」

「だったら! もう一度、格好良い達也に戻ってよ!!」

「小笠原に俺がいけるとして? それでお前はどうなるんだよ?

お前の言っていること変だぞ?」

達也は眉をひそめてマリアの顔を覗き込んでくる。

「変じゃないわよ! だって……私、気が付いたんだもの!!

達也が言っていた事……やっと知ってしまったんだもの……」

マリアは、自分の瞳が熱くなってきて潤んできていた。

「……それ、どういう事だよ?」

「私も達也と一緒よ……。とても楽しいの」

「は? 何が楽しいんだよ?」

「小笠原の二人と一緒に仕事をしていると……私も前に進んでいるって気持ちになっているの。

とても清々しいくらいにね? 楽しいの。

工学科で変に一人で頑張っている時とは、全然違って楽しいの」

「……!!」

達也がしんなりと俯いて呟いたマリアの言葉に息を止めた。

「それが……達也が言っている『俺、輝いている』という意味だって解ったの」

「……そうか……」

「勿論、いつまでもあの二人の側で仕事が出来るとは思っていないわ?

でもね? 私……やっぱり間違っていた」

「なにが?」

「……達也が一番望んでいることも、どうしたら輝けるかも全然解っていなかった。

『妻失格』よ……」

「なに言っているんだよ!? お前がいたからフロリダで俺、頑張っていけたんだぜ?」

「それもちゃんと私は解っているわよ。

だけど──達也は小笠原に帰った方がいいわ……。そう思ったの」

「……」

達也はしんみりとしているマリアを困ったように見下ろしていた。

「俺、最初から小笠原に行かせてくれるなら……

お前も一緒に連れていくつもりだったんだぜ?

そういう意味で……許してくれたととってもいいのか?」

「……」

マリアは少し躊躇って……

「……私はここを出ていかない」

頭を振ってそっと呟いた。

また……達也の息づかいが一時止まる。

「……もう一度、聞くけどな? だったら何で今夜──?」

「……あのまま終わりたくなかったの。あなたをまだ愛しているから」

「マリア……」

マリアは濡れた瞳で達也を見上げた。

微笑みながら──。

「もう一度だけ……愛されたかったの。最後に──」

「……もう、ダメなのか?」

達也が自信を無くしたように寂しそうに俯いた。

「……よく考えて? 自分の事を……一番に。

私達はもう離婚したのよ? 私に捕らわれることはないわ。

これ以上の問答は堂々巡りよ……。私とあなたはもうヴィジョンが違うの。

私は小笠原じゃなく、フロリダで頑張りたいの、この『本部基地』でね!

離婚理由はそれよ──」

「それじゃ、お前が……」

マリアはさらに達也の言葉を遮って言い切る!

「行くのよ。ハヅキの……いえ、御園大佐の大佐室へ」

達也が頭を振った。

苦々しい表情で……。

 

「行くのは……俺じゃなくて。フォスター隊長だ」

「──!! ええ!?」

「──そして、俺は……隊長の後釜として候補にあがっている」

「──それ! 本当なの!?」

「ああ……俺はそんな気、まったくないけどな」

「……」

マリアは父親が出向いた出張の真相に絶句していた。

 

同じ月明かりの中──。

葉月は絵本を覗きながら、ラベンダーの香りがする枕に頬を埋めて、まどろむ……。

隼人は、机のスタンドを灯し、ノートパソコンを眺めつつ

窓辺から入り込む月明かりを見上げる……。

 

そして──

達也とマリアは素肌になって、心も裸になって……

白いシーツの上で、それぞれの気持ちをぶつけ合っている真っ最中──。

 

月だけが覗いている、それぞれの夜──。