「外科に、未練はないのか?」
真一がちょっと、戸惑った顔で暫く黙っていたのだが。
外科と言えば、医師のエースと言っても良いほど……。真一が軍医学訓練校生だった時も、指先は器用でずば抜けた勘を備えていることでかなり有望視されていたことを、親しかった担任の教官から聞かされていた隼人。勿論、それは父親である純一にも隼人は報告している。だが義兄は『息子が決めた道を俺はサポートするだけだ』と決めているらしい。しかし隼人は、その腕はまだ活かそう思えば間に合うのではないかと思ってしまうこともある。だから、つい……。
だが、真一はやがて清々しい眼差しを正面にしっかりと向けて言った。
「うん。俺、心の大怪我をした人達を身近で見てきたからね。頭の片隅から、それが消えなくなってしまったんだ」
そんなことを静かに呟いた彼の顔。
隼人が覚えている少年の面影は何処にもない、前をしっかりと見据えている青年だった。
「一人前になるまでは、これはと思ったら何処でも勉強に行くつもり。でも最後は、ジャンヌ姉さんみたいになりたいな。隠れ家の名医。できれば鎌倉でね。その隠れ家に迷い込んでくる人達と真摯に向き合っていきたいね」
隼人は『そっか……』と感慨深い溜息をつきつつ、甥っ子の前途を祈った。
そのうちに、横須賀基地が見えてきた。横須賀御園家のマンションからは割と近いから、甥っ子とのドライブは束の間だった。
真一が運転する車は、アクセルを緩めずに真っ直ぐに基地の正面門へと向かう。しかしそこが到着ではない。そこを通り過ぎた駐車場が隼人が行きたい場所への近道。真一はそこを目指してハンドルを握り、アクセルを踏み続けている。
だがそこで隼人は力無い声で彼に言う。
「悪い、真一。正面門まででいいから」
近道である『滑走路駐車場』ではなく、遠回りの『正面門』で降ろしてくれと頼む隼人に、真一が眉をひそめた。
「でも。正面門からだとそこからチェックして、中の敷地をだいぶ歩かないと……時間が……」
「いいんだ。駐車場は最悪なんだ。特にこの時期は」
やっとの思いで、隼人はそれを甥っ子に言い切った。
少し早口だったか。出来れば当時、まだ少年だった彼にとっても衝撃的な出来事だったから思い出させたくなかったのだが。
でも真一は直ぐに何かを察した顔。これも彼特有。少年の頃ですら、大人の心の奥底を良く見抜く子だったから、今なら尚更に勘良く察してくれることだろう。
真一はすぐにウィンカーを上げ、正面門へと曲がってくれた。
「そうだよね。この時期だったよね」
彼の声も力無く、なる。
「ごめん。真一にも思い出させた」
「ちっとも。俺も気が付かなくて、ごめんね。そうだよね、忘れられないよね」
車は正面門前で停まり、隼人はそこで車を降りた。
真一が急に元気をなくしてしまったので、隼人は申し訳なくなり……。
「今度のクリスマスパーティもチビ達と小笠原で待っているから、弟の和人と一緒においで」
そう言うと、昔と変わらない無邪気な笑顔を真一が見せてくれる。
だが、別れ際。真一が真顔で言った。
「事件って哀しいね。被害者当人だけじゃなく、その家族や親しい人も、大怪我をしてしまうんだね」
隼人は見た。
甥っ子のその真剣な横顔は、もう既に、その専門を目指している医師の片鱗を見せていると。
「そんな人達の力になる医師になってくれ。真一なら、きっと」
甥っ子は『勿論』と微笑み、車を発進させ去っていった。
『兄ちゃん、今年もクリスマスをしてくれて有難う。絶対行くよ』と、笑顔を残して。
今年は兄ちゃんじゃなくて、そっちの親父さんが一番張りきってくれているんだけれどね。と、隼人も笑顔で言い返す。
家族が重荷を背負って歩いてきた姿を、少年の頃から小さな心で受け止めてきた少年は今。
自分で決めた、新しい道を次々と拓き始めていた。
さあ、俺も行こう。
妻がくれたマフラーをまいて、隼人も避けられない道を歩き出す。
そこを通らねば、家族の元に帰ることは出来ないから。
そして君は歩いている =完=
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Update/2007.12.24(WEB拍手内)