今日も彼は、彼女が来るのを待ち構えている。
そろそろだ。気まぐれな性質を持っている割には、彼女は毎日きちっと欠かさずやってくる。
やってくる時間は不規則だが、だいたいパターンは掴んでいる。
「お茶、入れておいてくれ」
彼のその一声に、手が空いている部下の誰かが、さっと動き出す。
そしてこの時『通信科一同』は揃って腕時計に掛け時計を見てしまうのだ。
彼女がやってくる時間はだいたい決まっているが、その来る時間が数パターン。
今日の場合、朝は外された。
昼休みも、外された。
それなら、今日は中休み。
これで来なかったら、終礼後?
このパターンで彼女が来るのだが、この部署の長である『小池泰信中佐』はこの日は、この時間に予想を定める。
当たる確率は、半々? いや、結構、当たっていると思う!? もう何年も彼女に任されたこの単独部署で、毎日毎日、彼女の訪問を待っているのだから。
給湯室で、部下が紅茶の缶を手にしているのが、この席からも見える。
ちゃんとリサーチ済。今、彼女がなんの紅茶が好みか、彼女の旦那である『御園中佐』をひっつかまえてでも聞いておく。
そんな小池の徹底振りに、慣れている男達は文句は言わないが、たまに入ってくる新人は『何故。いくらこの中隊の隊長だからとて、やりすぎでは……』などとぼやく若者もいる。
言う者には言わせておけ。それが『小池班室』での空気で、やがてだいたいの者がこの習わしに慣れていってしまうのだ。
「お疲れさまー」
来た! 今日の俺、ビンゴ!
小池は飛び上がりたい気持ちを抑え、中佐席を立つ。
四中隊通信科班室の入り口に、栗毛の女性が颯爽と入ってくる。
その時、無口な理系の男ばかりが集まっているこの班室に、『香る空気』が流れるのだ。
そして男共は、どうしてか皆、微笑みまで浮かべてしまう。
「お嬢。お疲れ」
予想があたって上機嫌の小池は、さらに満面の笑みにて『大佐嬢』を迎え入れる。
「今日もなにもなかったかしら?」
「ありません。我が班は順調、安泰だよ」
これも毎日決まった会話。
だが、御園大佐嬢は小池からのその一言を聞いただけで、毎日変わらないほっとした微笑みを見せる。
大佐嬢にこの顔をしてもらう為に、『通信科一同』は精進を重ねる。
なにか困難なことが起きても、通信科の男達は『なにもなかったことにする』努力をする。
彼女の笑顔が見たい訳ではない。彼女にこの笑顔をさせている間は、『俺達は出来ている』という印なのだ。
彼女はいつも小池のデスクの横にある椅子に座る。
「大佐。お茶を入れましたので」
「あら。いつも有難う」
給湯室で待ち構えていた部下が、さりげなく、葉月の前にティーカップを置く。
それを葉月は『自然に出てきたもの』として手に取ってくれる。まさか小池達が『山を張って入れている』だなんて夢にも思わないだろう。
『彼女が気が付かない気遣い』。これが『小池班室』のモットーだ。
葉月がただなにも気が付かないで、心地良く帰ってくれたら、その日も花丸。それで小池も満足。充実の一日として終われる。
今日も彼女は、目の前で『変わらないこと』として紅茶を味わっているのだが……。
Update/2008.1.15(WEB拍手内)