はあ、暑いなあ。やっぱりこの時期にキッチンの火の前に立つのはつらい。
土曜日の午後、琴子は従業員のお昼ご飯を作っているところ。
矢野専務のご要望で、今日は天ぷら蕎麦。天ぷらを揚げる暑さと蕎麦を茹でる暑さに見まわれていた。
おう! 琴子、おめえの昼飯、やっぱ元気出るわ。うまかったーーーー!
ものすごく喜んでくれるので、それを見てしまうと琴子も『また作ります』と嬉しくなってしまうから続けている。
そんなランチタイムもなんとか無事に終了。最後にランチタイムにはいった英児からも『いつも有り難うな。助かるよ』と昼間なのに熱烈なキスをもらってしまった。
従業員のランチタイムもシフトでひとまわり落ち着いた頃。琴子も冷たいコーヒーを入れて一休み。
玄関のチャイムが鳴った。夫の英児なら自宅だから勝手に入ってくる。誰かしら――と、琴子はエプロン姿のままインターホンに出てみる。
『こんにちはー。愛子です』
英児実家、長兄のお嫁さん。お義姉さんだった。
「いらっしゃいませ。愛子お姉さん」
「あっついねー。突然、ごめんなさいね」
連絡もなしに来ることは珍しいことだった。
「下のピットで英ちゃんに声を掛けたんだけれど、手が離せないから二階で涼んでいて、琴子もいるよ――と言ってくれたんだけど。あがってもいいかな」
「大丈夫ですよ。暑かったでしょう。いま、私も冷たいコーヒーを飲んでいたんです。お姉さんにもいれますね。アイスティーもありますけれど」
「ほんとう? じゃあ、アイスティーもらおうかな。この前、琴子さんがご馳走してくれたのがおいしかったから」
長兄の嫁である愛子義姉は、琴子よりだいぶ年上だった。元より英児と長兄の善男は歳が離れているので、琴子とはさらに歳が離れてしまう。既に中学生と高校生のお母さん。もうベテランママさんだった。
でもこの義姉のおかげで、不仲である父親と英児を取り持ってくれてきた。長男の嫁としてのお務めも完璧で、いま滝田家を取り仕切っているのはこのお義姉さん。お舅さんの面倒見もベテランで、きっと滝田家でこのお義姉さんがいなくなるとみんながパニックになるのではないかと琴子は思っている。
もうひとり、次男のお嫁さんもいて、近所に住んでいるとかで長男の嫁、次男の嫁と協力し合っているようだった。その次男のお嫁さんとも琴子は歳が離れている。
「ごめんね、突然。お盆前で忙しいのもあるんだけれど、お父さんの目を盗んで来るのが大変だったのよ」
「なにかあったのですか」
けっこう癇癪持ちである気難しいお義父さんが、慣れているお嫁さんでも怒声を浴びせることは日常茶飯事。他愛もないことで怒り出すとかで、それで英児が嫌って家に寄りつかなくなったという経緯もあるほど。
「別にまだ怒られてはいないけれどね。お盆前は、お父さんと英ちゃんのご対面があるからピリピリするのよ。お盆前にこそこそ会っていたとかばれると、おまえはうちの嫁なんだから家のことだけして、外で迷惑をかけているヤツなんか気にすることない、でかけるな!! ってなるのよ〜」
「……そ、そんなこといわれるのですか」
琴子は絶句した。結婚のご挨拶や結婚式ぐらいでしか会ったことがないため、英児の『クソ親父、気にいらねえ』なんて態度や同居しているお義姉さんからの話を聞くと、やっぱり怖いお舅さんと震え上がってしまう。
「口は悪いけどね。そこは英ちゃんと一緒よ。似てるんだってきっと」
「似てる……ですか?」
うまく重ならない? そんな話を聞きながら、琴子は義姉の愛子にアイスティーを出した。
「これこれ。オレンジの香りがしておいしいの」
「有り難うございます。実家の母がよく作ってくれていたものなんです」
「お母さん、元気? 身体は大丈夫? 一人で寂しいんじゃないかしら。お盆は帰るんでしょう」
「しょっちゅう帰っていますが、他界した父のお参りはしたいので迎え火と送り火はしたいと思っています。そちらにもきちんとご挨拶に行きたいので、よろしくお願いいたします」
お辞儀をすると、義姉がアイスティーを飲みながら『相変わらずねえ』と琴子を見て微笑んでくれる。
「これからは、英ちゃんのことは琴子さんに頼もうとは思っているんだけれど。お義父さんとの橋渡しは一筋縄ではいかないから、私も助けるから安心してね」
「はい。お願いいたします」
お盆の実家へのご挨拶。それは琴子も気にしていた。でも、滝田家に結婚のご挨拶へと訪問した時にはお舅さんも英児も喧嘩にはならなかったから、あんなかんじであればいいなと願っている。
『おかしいな。親父にまたくどくど説教されると思っていたんだれど。なんにもいわれなかったなあ。琴子がいるからか???』
初めてのご挨拶の訪問の時、ほんとうになにも言われなかった。だけれど、二人の父子はほぼ無言。会話がなかった。お義兄さんとお義姉さんが笑顔で話を取り持ってくれるというかんじで。ただ、和やかな空気半分、父子の冷めた空気半分というのは否めなかった。
帰る時もこの愛子お義姉さんが『喧嘩がはじまらなかっただけで大成功よ』とホッとした顔をしたほど。
今回もそうあれば、それでよしぐらいに琴子も考えている。
英児がまた実家に帰省する時期が迫ってきて、それで心配して来てくれたのかな――と、琴子は義姉の訪問の目的に首を傾げる。
「そうそう。これこれ、もうこの家に引き取ってもらおうと思ってね。持ってきたのよ」
来た時から愛子が片手に持っていた紙袋。それがダイニングテーブルの上に置かれた。
「英ちゃんが帰ってくるから、お盆の掃除をしていたら出てきたんだよね、これ」
『これ』と置かれたものは、古びたビニールの袋。
「まあ、琴子さんは知っているから驚かないよね」
愛子が構わずに袋を開け、その中から出したものを琴子に見せた。
知っているから驚かない。それでも琴子は驚いた。
「え、英児さんの写真ですか」
「そう。英ちゃん、アルバムに貼らないでこうして束にして保管していたみたいなんだよね。十代と二十代の写真がわんさかと出てきたのよ」
リーゼントぽい髪型に、時にはオールバック。茶髪や剃り込みに赤い色。クラシックヤンキーといわれる、学ラン姿の英児の姿。
結婚前に数枚『招待する俺のダチ』と友人達の写真を見せるために、ヤンキーだったころのものは見せてもらってはいたが……。
それが見事に何枚もあると、圧巻のひとこと。
「英ちゃんの頃なんだよね。このクラシックといわれるようになった短ランと、長髪のチーマータイプのヤンキーが登場した頃が重なっているの」
「そんな時期でしたっけ……」
どちらのタイプのヤンキーさんにしても、女学校にいた琴子には縁遠い男の子達。あまり覚えていない。
「そのせいか、タイプが違うから喧嘩や衝突もしょっちゅうでね。男の意地の張り合いでしょう。しかも粋がってばかりの男の子でしょう。学校から呼ばれるなんてこともたまにあったみたいだけれど、お友達を守るために意地を張ることが多かったみたいね」
いつもリーダーだったみたいよ――と、彼の少年時代を知っているお義姉さんが、ちょっと懐かしそうに教えてくれる。
「それで。これが私のお気に入りなの」
そういって愛子が再度、琴子に差し出した写真を見て、琴子はまたハッとする。
今度は短髪で金髪。でも目は粋がっているガンとばし。それでももう学生服ではなく、作業服姿だった。
「ねえ、この英ちゃん。けっこういけてるでしょう。あの頃は『けしからん、ふざけた姿』とおじさん達が怒っただろうけれど、いまならこういうイケメンいっぱいいるじゃない」
「そうですね……、芸能人やサッカー選手にも多いですし……」
でも琴子はもう上の空。だって、だって。愛子お義姉さんがいうとおりに、すんごいクールな男前なんだもの! しかも若いの!
どういうわけか、琴子の胸がドキドキしちゃっている。つまり、夫の若い時の姿にときめいちゃったということ。
「でもね。この頭にした時、一悶着あったのよ」
愛子がまた昔を思い出すように、海が見える窓辺へと遠く視線を馳せる。でも、どこか幸せそうな眼差し。
「私が滝田にお嫁入りする頃にこの頭になってね。もうすぐ結婚式だっていうのにこの頭になったから、また滝田のお父さんがものすごく怒ってね……。英ちゃん、この頃はまだ高校を卒業したばかりだったから、お父さんに怒られるとすぐへそを曲げて意地張って、もう私の目の前で大喧嘩になってね……」
さらに愛子が写真をもう一枚。
「でもね、みてこれ」
今度の写真を見て、琴子はまたどきんと胸が高鳴る。
その写真には、短い髪を黒く染め、フォーマルなスーツをきちんと着こなしている若い英児が映っていた。
な、なんなの。そのギャップ。きちんとノーブルに整えた英児は、爽やかな好青年風に変身している。
「姉ちゃん、安心しろよ。俺、ちゃんとするから――って言ってくれていたんだよね。ほんとうに結婚式当日にはこうして来てくれたの。なんだとっても素敵な男の子になれるじゃない――と思ったんだけれど、金髪の粋がっている英ちゃんもかわいかったんだよねー」
その結婚式にきちんとした姿で現たものの、父親とは険悪そうだったので、英児の隣には母親に座ってもらい二人が喧嘩しないよう抑えてもらっていたらしい。
「そんな英ちゃんをわかっていたからね。だから、お義母さんからも頼まれていたのもあるんだけれど。お父さんと仲良くして欲しいと思っていたんだ。でも、だんだんわかってきたんだよね。似たもの同士で、ただの意地の張り合いで、とことん不仲で憎みあっているわけでもない。ほんとただの意地なのよ。それがわかったら『はいはい、喧嘩すればよし』と思えるようになったわけ」
すごい、さすが長兄のお嫁さん。琴子は妻になったとはいえ、まだ英児とは出会って年月も経っていないため、逆にお義姉さんのそんな気持ちに苦労に尊敬をしてしまう。
「愛子お姉さん、ずうっとそうして英児さんとお義父さんをお母さんの代わりに見守ってきてくれたのですね」
「でも、それももう琴子さんにバトンタッチね。あ、もちろん助けるから。特にお義父さんの方は、一緒に暮らしてきた私に任せて」
英児君の方はよろしくね――と、お姉さんに言われ、琴子もお嫁さん同士家族だからと任せてもらえることに『はい』と笑顔で応える。
「それもお盆前に言いたくてね。琴子さん、結婚して初めての滝田でのお盆でしょう。また父子喧嘩を目の当たりにしてびっくりしないように言っておこうと思って。またお父さんにどこに出掛けていた英児のところかと言われる前に帰るね」
「もう、ですか。英児さんが来るまでゆっくりしていってください」
「ほんとに。琴子さんにそれを言いたかっただけなの。今日は土曜日だからいるだろうと思ってきただけ。あ、それと。その英ちゃんの荷物ね。これからもなにか見つかったら持ってくるね!」
頼もしそうなお義姉さんはそこで潔くあっさり帰ってしまった。
琴子も下の店舗まで、愛子を見送りに降りた。
車に乗り込むところで見送っていると、ピットから英児が慌ててとんできた。
「姉ちゃん、あとちょっとだから待っていてくれたらいいのに。なんだよ。もう帰るのかよ」
「用事は済んだから。琴子さんに頼んであるよ。じゃあね、お盆に帰ってくるのを待っているからね」
「……うん、わかった。行くからよ、よろしくな」
本当に弟のような顔をしていた。この歳が離れたお義姉さんは、英児にとってはきっと大人のお姉さんで、実家ではお母さんの代わりだったかもしれないと琴子は初めて感じた。
愛子の車を見送ると、作業着姿の英児が溜め息をついた。
「実家に行く前に気を付けることがあると来てくれていたんだ。親父が俺のなにが気にくわないとか、こういうの心配しているとか前もって教えてくれてさ。だからなにか言づてがあったのかと思ったのに……」
「なにもなかったみたいよ」
「琴子に頼んだってなんだ?」
「お嫁さん同士のヒミツ」
はあ? なんだよ、なんだよ――と、まとわりついてきそうになったけれど、仕事中の社長さんなので琴子はするっとなんとかかわして二階に戻った。
愛子義姉が置いていった若い頃の英児の写真。それをもう一度、ゆっくり眺める。
「いまの私なら、絶対にひと目ぼれ」
いまよりずっと鋭くて生意気そうな眼差しに、かっこつけ。でもこの頃からなんとなく龍っぽいセクシーさが備わっていたんだなあと、琴子はしばらくしみじみ。
―◆・◆・◆・◆・◆―
空に少しだけ茜が残っている夏の夜。お店を閉めた英児が二階自宅に帰ってくる。
「今日も暑かったね。ご飯の前にシャワーでも浴びてくる?」
「おう、そうだな……って、おい、なんだこれ!?」
ダイニングテーブルに広げてみていた写真を、ついに本人が見つけてしまう。
「ななな、なんで、お、俺の、俺の、こんな写真がここに!」
つつみかくさず披露されてしまった学生時代のヤンキー姿の数々。その写真を自分で手にとって眺めている英児がぶるぶると震えている。
「愛子お義姉さんが持ってきてくれたの。この家にひきとってほしいって」
「姉ちゃんか! だからうちに来たのか!」
「うん。お盆のお掃除をしていたら出てきたんだって」
「まじかよ〜。てか、俺に聞いてから持ってこいつーの。こんな……琴子に……」
そんなに嫌な姿なのかな? 琴子はちょっと首を傾げた。もちろん、琴子も高校生時代の垢抜けない自分を思うと気恥ずかしいばかりで、英児に見て欲しいとは思わない。でも……。
「そんなことないわよ。これ、この写真。すごく素敵なんだけれど」
この頃の俺が、素敵!?
ギョッとしている英児に、愛子がお気に入りの、そして琴子がふわっとときめいてしまった二枚の写真を差し出した。
金髪、短髪に、ガンとばしの作業服姿の英児。その後、兄と愛子の結婚式のためにきちんと黒髪に戻し、きりっと凛々しく黒いフォーマルスーツを着こなしている好青年な英児。
英児もなにかを思い出したのか、眉間にしわを刻み、怖い顔のまま黙り込んでいる。
「どっちも素敵ってときめいちゃったの」
そのままの気持ちを琴子が笑顔で告げた。なのに、英児は逆に不機嫌になる。
「こんな悪ガキの俺なんか、素敵なわけないだろ。さんざん母親や兄貴に姉ちゃん達に心配かけてきたんだから」
「でも。この頃からもう整備士としてきちんと働いていたんでしょう。いまの英児さんの雰囲気、ちゃんとあるもの」
「矢野じいにどつかれてばかりで、毎日ふて腐れていたけどな」
でも。それも若いからこそじゃない――と言ってみたが、英児は思い出したくない過去のようにして不機嫌なまま。
それでも琴子は英児にお願いしてみる。
「この写真、もらってもいいかしら」
「はあ? そんなころの俺を?」
「うん。手帳に挟んで時々眺めたいの」
「なんでだよっ。そんな琴子が知らない頃の俺なんかより、目の前にいまの俺がいつも一緒にいるじゃないかよ」
ぱしりと写真を取られてしまう。
『琴子が知らない頃の俺』――。なんだか琴子の心にものすごく引っかかった。それにわけもわからない悔しい気持ちがこみ上げてきている。自分でもわけがわからない。
「その時の英児さんも、私にとっては大好きな英児さんにしたいの」
さらに琴子は……、湧き上がるまま言い放っていた。
「そうよ。英児さんが言うとおり私は、英児さんがヤンキーだった時のことなんて知らないもの。だから英児さんのその『ヤンキーだった時』も昔から知っていたみたいにしたいだけ!」
普段、それほど強い言い方をしない琴子の姿に英児が面食らっていた。
「ど、どうしたんだよ。琴子」
琴子も黙った。よく、わからない。
でも時々あることだった。英児の昔からの友人が訪ねてくると『こいつ、だっせえ頭していたんだぜ』、『おまえ達だっておなじだったじゃねえかよ』とやり合っている時も、琴子は『見てみたかったです』と笑うことしかできない。さらに。ちょっと気になっているのが英児の同級生と聞かされている『香世さん』という女性のこと。
彼女達は昔の英児を知っている。琴子が知らない彼女達だけの英児がいる。そんなことは……、英児が初めてではない琴子だっておなじ。それぞれ経験があって過去がある。そんなことは琴子だってこだわっていなかった。
でも。琴子にとって英児の過去で『ヤンキーだった』というのはけっこう重要な過去。でも琴子はまったく触れられない。それが時々口惜しい。そしてそれを知っている女性が羨ましい。
「……ごめんなさい。なんでもないの。ただ、英児さんが若い時もかっこよくて素敵だったから……。この時も一緒に過ごしたかったと思っただけ」
どうしてか感情的になってごめんなさい。
自分もどうかしていたとしょんぼりと琴子はうつむいて、いつもの自分に戻ろうとした。
「なんだよ、琴子。らしくねえな」
すぐ目の前、そばに。背が高い彼が寄り添ってきてくれていた。
琴子の頭を大きな手でそっと胸元に引き寄せ、撫でてくれる。
「でもよ。俺のことで、そんな感情的になってくれる琴子、嬉しいわ。びっくりした」
いつもロケットみたいに真っ正面からガバッと抱きついてきて、またたくまに彼の腕の中、彼の手があっという間に琴子の肌に触れているのに……。今日はとても優しい。
だから、琴子もそのままそっと彼の胸に甘えてみる。
「英児さんのなにもかも。ぜんぶ、欲しいの。私」
「ぜんぶ、おまえのものだよ」
そういって、ついに英児が『欲しい』と願った写真を二枚、琴子に差し出してくれた。
「これも、琴子のものだ」
今日は頼もしい兄貴の眼差し。その目をみただけで、琴子はいまでも泣きたくなるぐらい気持ちが溢れてしまう。
やっぱり。いまの英児さんがいちばん素敵。好き……。大好き、愛してる。
言葉にできなくて。彼が抱きしめてくれている胸元から、琴子はそのままつま先をきゅっと立てて、彼の唇にキスをした。
「んっ、琴子……、なんだよ……」
いつもは彼にそうされているように、相手の言葉をふさぐようなキスをする。彼の唇を小さな舌で割って隙間にすべらせて、琴子から絡めて熱を呼ぶ。
「こ、琴子」
彼にその熱が伝わると、彼も一緒にやわらかくとろけてくれる。さらにきつく琴子を真上から抱きしめてくれる。
「が、我慢できねえだろ。このまま、」
このまま? その言葉が聞こえた時にはもう、琴子は英児の逞しい腕に抱き上げられていた。
「このままおまえもいっしょにいくぞ」
バスルームに一緒に行くと言い出した。でも、琴子ももう止まらない。
「うん……、いいよ」
抱き上げてくれた彼の首に抱きついて、琴子は英児の額にキスをする。
英児からも、目の前にある琴子のくちびるにそのままちゅっとキスをしてくれて、とっても嬉しそうな顔……。
バスルーム前でおろされたので、琴子から服を脱ごうとしても、英児がいつものように琴子の肌を探してめくりあげてしまう。
あっというまに乳房もまるだしにされ、すぐに彼の熱い舌先がはりついてきた。
「んんっ、も、もう……、英児さん……たら」
これこそ、ロケットな彼らしさ。優しくしてほしいなんて希望は皆無、『俺はな、もうこれだけおまえが欲しいんだよ、わかるか?』。いつもそう言いそうな英児の乳房への急激な愛撫。もうそれだけで琴子は力が抜けてしまい、自分で服を脱ぐことが出来なくなる。
でもそこも手際のよいロケットな夫があっという間に琴子から下着を取り払って裸にしてしまう。
「琴子、今日もいい匂いだな……」
夏で汗をかいていても、英児はかすかな琴子の匂いを嗅ぎ取ってそう言ってくれる。
ほんのり残っている夏の肌向けの香りと、琴子の肌と、汗の……。
それを裸になった妻にはなにをしてもいいとばかりに、英児は琴子の露わになった素肌を上から下へとねっとりと舐めまわしている。
「あ、あん……、はあ、あ、え、英児、もう」
首元から、胸元、乳房、赤い胸先、お腹とへそ、そして……黒い毛の茂みから、太もも、白い足をつたって、とうとうつま先まで。
「だめ、そこは洗ってからに、して」
琴子は目をつむって喘いだ。英児もそこでやめた。
彼も慌ただしく労働の汗を吸い込んだティシャツと作業ズボンを脱ぎ捨て、琴子の手をひっぱりバスルームへ。
「もう我慢できねえから、いいな……、琴子」
シャワーがある壁に手を突かされ、彼が後ろから琴子の耳元に囁いた。英児の声もしっとりしていて、琴子の耳に濡れたような吐息がふれたので、もう力無く頷くしかない。
手を突いてお尻を突き出しているそこに、脱いだ時からもう男らしく硬くなっていたものがあてがわれる。
「あっん!」
するっと、でも硬くて熱いものが琴子の後ろからずんと入ってきた。下腹から胸先まで、なにかがびりっと駆け抜けるような甘い快感。そしてそれを繰り返す男の匂いがする律動。
「ん、んんっ、あ、英児、英児……」
我を忘れて、琴子は悶えた。
でも英児は後ろで勝ち誇ったようにして微笑み、琴子の尻を掴んで力強くその律動を繰り返している。
「俺が欲しい時はもう。おまえも欲しいみたいで嬉しいよ」
すぐにひとつになれる関係。おまえに印をつけたら、おまえはもうその身体になってくれると……英児が嬉しそうにしている。
「でもよ。最後にひとつだけ、おまえに印つけられなかったからさ……」
なんのことかと、でも英児の力強い突きあげにただただ喘いでいると、英児が後ろから琴子の乳房を強く掴んだ。
ほんとうなら痛いと思うはずなのに、でも、いつもと違う感触? なんだろうと、琴子は揉まれている乳房を見下ろすと、英児が泡いっぱいにしている手で撫でまわしている。
「や……、なんのつもり……」
ひとつになって愛されているだけでもう気が遠くなりそうなのに。石鹸でぬめる手で英児が琴子の胸を弄んでいる。
いつもと違う変な刺激が加わって、琴子は泣きそうな声になってしまう。
しかもその手が、琴子の身体を洗うが如く、上から下へ、彼の指先はついに琴子の股の毛の奥へと滑り込んでいく。
「ここは、泡なんていらねえか」
そこもつるつるとしたぬめりでいじめてくれると思ったのに。英児がそこでシャワーで手を洗ってしまう。それでも泡のなくなった指先で、琴子の黒い毛をかき分け奥を探し当てる。
「こっちのほうが、いいだろ」
「い、いや。ああん……」
耳元で囁かれ、指先が琴子の身体から滲み出ている蜜を絡めて、女の芯をいじわるに弄ぶ。後ろからも逞しいものが琴子の中をいっぱいに侵して、熱く蠢いていじめているのに。
「いまの俺、ガキの俺。どっちがいい」
こんなところで聞かれて、そんなわかりきったことやっぱりまだこだわっている英児の、でも必死な愛撫に琴子はついに、とろけるような吐息をこぼして、甘く堕ちていく。
「いまの、あなたが、いい」
「だろ。琴子も、俺だけのものだ」
もう一度壁に手を突かされ、今度は彼のために琴子は喘いだ。
「琴子の中にも、印な」
どくんどくんと脈打つ男の印が、琴子の身体の奥に残される。もうそれも厭わない関係だから、琴子もそのまま受け入れている。
愛しぬかれてぐったりしたままの身体で、浴槽のふちに座らされる。英児が最後にしたかったのは、琴子の足を洗って、指先への愛撫。
入る前にそこだけはと、躊躇ったつま先。
綺麗になったつま先も、英児がマーキングするように舐めた。
「最後に残していた、印もな」
「あ、もう……」
もう、終わったのに。ひどい……。
言えずに頬を熱くしてると、英児がにんまりとほくそ笑む。
「また、欲しくなっただろ」
「ほ、欲しくないもの……」
意地を張ったら、また……。彼の男らしい指先が琴子の黒い毛の奥へと忍んでいく。すっかり濡れそぼったそこを、熱く責められ、琴子はまた堕ちていく……。淫らな女になって、彼の思うままに。
―◆・◆・◆・◆・◆―
まさか。あんなに嫉妬するなんて思わなかった。
だって。あれって英児さん自身だよ? なのに昔の自分を気に入った奥さんを見て、あんなになるなんて……。
土曜日の英児の本気が凄すぎた。
俺と悪ガキの俺、どっちがいいんだよ――とあんなに何度も責められるとは思わなかった。
月曜日になっても、琴子は身体にきしみを感じる。
仕事の帰り、今日も銀色のフェアレディZに乗って、帰宅。
助手席には買い物袋、今夜の夕食の食材。そして、お盆の準備を少しずつ。
ガレージに車を駐車して、エンジンを切る。
「なに着ていこうかな。英児さんの実家に行くのに」
そんなことを呟きながら、買い物袋片手に運転席を降りる。
「琴子ーーー!」
ガレージの入り口に慌てたように駆け込んできたのは、矢野専務。琴子はギョッとする。いつも、帰ってきた琴子を優しくお出迎えしてくれるのは夫の英児なのに。そんな新婚さんを気遣って、矢野さんも武智さんもそっとしてくれているのに?
「琴子さん、帰ってきた!」
しかも矢野専務だけではなく、眼鏡の武智さんまでネクタイを翻して駆け込んできた。
「琴子、おまえ、いまからゼットでもう一回でかけてこい!」
「え、どうしてですか」
「琴子さん、そうして! ああ、そうだ。コーヒー豆がなくなりそうだから買ってきてよ!」
夫のいつものお出迎えもなく、社長補佐の二人が尋常ではない慌てぶり。琴子は眉をひそめる。
「そうですか。じゃあ、その買いに行ってきますね?」
いぶかりながら、もう一度、ゼットの運転席に戻ろうとした時だった。
「なんだよ。琴子の迎えは俺の楽しみなんだから、あっち行け」
英児の声が聞こえた。
「このクソガキ、おまえこそ、あっちに行っていろ! 琴子にそんなもん見せるんじゃねえよ!」
「そうだよ、タキさん。どうしてそうなったんだよ〜」
現れた夫の前で、専務と武智さんが隠すようにして大きな手振り。
でも、琴子はもう見てしまった。
「英児さん……、それ……」
「おう。お帰り、琴子」
にぱっといつもの白い歯の爽やかな微笑みを見せてくれた夫、だけれど……、琴子も指さしてちょっと震える。
「どうしちゃったの、その頭!」
「んー? 一度、おまえにも俺のこんな姿見せておこうと思ってさ」
英児の頭が、短髪に刈られていて、しかもキラッキラの『金髪』!!!!
「アホか、おまえは!! 琴子はそんなもん望んでいないわ!! いますぐ黒く染めてこい!!」
琴子に隠し通せず、説得にも失敗した様子の矢野さんが、さっそく英児の頭をスパンと叩いた。
「なにすんだよ。このクソじじい! 俺と琴子の間のことだから放っておけつってんだろ!」
「このドアホ!! おまえ、もうすぐ実家に行くんだろ! こんな頭で、盆を初めて迎える嫁さん連れていくつもりか。親父さんがまた雷おこしてへそ曲げるだろ」
「金髪ぐらいで四の五の言う老人がおかしいんじゃねえの」
はあ!? おまえ、もう一回言ってみろや!!!
ついに矢野専務が、英児の襟首を掴みあげ、彼の鼻先に向かって鋭いガンとばし。
琴子は目を瞠る。金髪になってオヤジ達がいうことにはなんのその、俺の自由とばかりに見下げた視線を飛ばす英児に、その悪ガキを叱責する親父さんの構図。
目の前に、ほんとうにヤンキー時代みたいな彼と矢野さんが現れちゃった?
でも琴子も呆然。そうよ、そうよ。もうすぐ、お盆で滝田家に行くのに。どうしてその頭にしちゃったの!?
だけれどわかっている。『琴子によ、あの時の俺をみせてやって、それすらもおまえのもんにしてやるんだ』――と思ってくれたんだって。
―◆・◆・◆・◆・◆―
琴子はドキドキ、待っている。夕食の支度をしながら待っている。
「おう、ただいま」
彼がお店を閉めて帰ってきた。リビングに現れた彼はやっぱり別人のようなヤンキーな男性に。
見慣れなくて、琴子は返事ができずにいた。
「なんだよ。やっぱ、若くないと似合わねえのかもな」
短くなった髪を彼がざらざらっと撫でて、バツが悪そうな顔。
「ううん。本当にやっちゃうから、もう……びっくりしただけで」
本当にもう、こう思ったら即決でしちゃうロケットな旦那さんらしい。
そう思うと、琴子もやっとくすっと笑っていた。
そんな英児のそばに、琴子はエプロン姿で近づく。
大人の男らしく少し長めで整えていた黒髪をほんとうに短く刈ってしまって。
「触ってみてもいい?」
「ああ、いいよ」
背が高い彼が身をかがめてくれる。琴子は初めて、つんつんしている金髪に触ってみた。
「金髪、初めて触った」
「ふうん、そっか。昔はいろんな色に挑戦したな」
「今度は何色にするの」
琴子が笑うと、英児がちょっと驚いた顔をした。
そんな琴子を彼は今夜も抱きしめてくれる。
「しねえよ。今回だけだよ」
その声がちょっと怖い声だったので、琴子は首を傾げる。
やっぱり。昔の姿に興味を示すべきじゃなかったのかなと。
でも。どの英児も私には英児さんなんだもの。
その夜。また琴子は英児に激しく抱かれる。
今夜はベッドで、金髪のヤンキー男に。
「あん、はあ、ああん、す、すごいの……」
いつも以上に感じる自分を、琴子はおかしく思っている。でも、そう。昔の彼がいまここに来て、琴子を愛してくれている。そう思うと燃えずにいられない。
なのに英児は不本意そうな眼差しで、でもいつも以上に琴子を懸命に愛撫してくれる。だからこそ余計に悶えてしまう。
「なんか、違う男に抱かれて、いつもと違うから喜んでいるように見えるんだけどな……」
「今の英児も……、あの時も英児も……、ぜんぶ私のものよ……」
「そうだ。ぜんぶ琴子のもんだ。琴子の好きにしてやる」
ヤンキーだったころの厳つい彼も、私を愛してくれる、こんなに私の足を大きく開いて、おまえ俺のものなんだからと責めてくれる。
夏のせいもあるけれど、ベッドの上で、琴子は汗まみれになっていた。いつも以上に感じるのはほんとうにどうして?
「ああん、もっと、して」
金髪の悪ガキな夫が覆い被さるその背に、琴子は爪を食い込ませた。
夜が更け、ぐったりした琴子の隣で彼が暗がりのなか煙草を吸っている。
その匂いがどうしてか魔法を解く匂いのようにして、琴子の目を覚まさせる。
枕を背に腰を掛け、膝を立てて、煙草を吸っている彼は、金髪でも短髪でも……、琴子がよく知っている夫の横顔だった。
その英児がじっと部屋のドアをみつめていた。ちょっと怖い顔で。
「琴子が俺に夢中でよかった。安心した」
微笑みはもう、琴子が好きになった元ヤン兄貴の頼もしいものだった。
そこで琴子は気が付いた。
そういえば、去年のこの時期だった。琴子と英児の秘め事の場に、知らない女が踏み込んできたのは。あれは……凍り付いたし、怖かった。
それを琴子が思い出さないかどうか心配していたの?
それを思い出させないようなことをしてやろうと思っていたの?
ちょうどいい。琴子がそれで気が逸れるなら、やってみるか――って、わざと悪ガキの姿に戻ってくれたの?
そんな気がしてしまった。でも、もう……二人の間であのことは言葉にしたくないし話したくない。琴子も思い出したくないし、これで忘れたい。
琴子も力が抜けた身体を起こして、煙草を吸っている彼の肩に寄り添った。
「滝田のお父さんがどんなふうに怒るのか、見てみたいかも」
矢野さんと昔のバトルを再現してくれたように。元々の親子の大喧嘩を見届けるのもいいかも。恐れるよりもやりあっているのを見守るの、愛子お姉さんのように。
琴子も覚悟ができた瞬間。
「なんだよ。あの親父が怒鳴るところをみたいだなんて……。すげえな琴子は」
指先に煙草を挟んでくつろいでいる英児が、素肌の琴子を抱き寄せてくれる。琴子も彼の熱い肌、肩にもたれた。彼の肌の匂い、煙草の匂い。金髪でも一緒……。
―◆・◆・◆・◆・◆―
初めての滝田家でのお盆を迎える日。
「いらっしゃい、琴子さん。英ちゃん……って、英ちゃん??」
滝田家の玄関を訪ねた琴子と英児をみた愛子がびっくりしている。
「どーしたの英ちゃん。そんなに短髪になっちゃって。まあ、夏だしねえ。あの仕事、外の時は暑いだろうしねえ」
「そうなんだ。ちょっとな短くしてみただけ」
そういって英児が撫でる短く刈り込んだ頭は、もう黒色。
琴子と英児はそっと顔を見合わせて微笑みあう。
「せっかく来たんだから、ご飯でも食べていきなよ。いつもお仏壇のお参りだけして、英ちゃんさっさと帰っちゃうんだから。今年は琴子さんもいるから、お父さんにゆっくり会わせてあげてよ」
「うん、まあ……。うん、わかった」
英児の歯切れ悪い返答。愛子からも、矢野さんからも琴子は聞かされていた。実家に亡き母親のお参りだけはかかさず行くけれど、お茶の一杯だけ飲んでそれだけで帰っていく。だから余計に英児の父親が憤慨して怒る。でも今年はお嫁さんになった琴子にも挨拶が必要だから、英児もさっさと帰るはずはない。そこは琴子さんも、よく見ておいてあげて、あげてくれよ――と、彼を見守ってきた大人達から聞かされている。
話し合ったわけでもなく、琴子は英児のしたいようにさせてみようと見守ることにした。でも、今年は愛子さんが準備した食事をいただく気持ちになったようだった。
「親父は?」
「ああ、琴子さんが来るからって。菜園の野菜をつんでいるよ。もう朝からうるさくてねえ。琴子さんが来るから、来るからって」
それを聞いては英児も知らんぷりは余計にできないと覚悟したようだった。
「父ちゃんのところに行ってくる。畑、だよな」
「そう、だけど……」
途端に、愛子姉さんも不安そうな顔。でも琴子からそれとなくにっこりと返してみる。
「じゃあ、琴子さんを連れて挨拶しておいで。それで、もう家に入るように言ってくれる? 熱中症になると注意するのに聞かないのよ、ずうっと畑仕事をしてきた俺がなるわけないって、もう」
「わかった。行ってくる」
英児と一緒にそのまま玄関先から、本宅の裏へと回る。
裏庭的な、でもわりと広い畑に出た。爽やかな夏風が吹き込んできて、遠くには海が見えた。
「いたいた」
英児が指さしたのは葱坊主のなかで、麦わら帽子だけがひょこひょこ動いているところ。
そのまま英児の後をついて、琴子も麦わら帽子に近づいていく。
「親父。ただいま」
その声に気が付いた麦わら帽子が止まった。そして葱坊主の中から、老人が現れる。
「おう、きたんか」
「琴子も一緒に来た」
「お義父様、お久しぶりです。本日はお邪魔いたします」
黒いワンピースで楚々と挨拶をすると、麦わら帽子の舅が琴子をひと睨み。琴子はドキッとする。
怖いじゃなくて。英児にそっくり! そう感じたから。
「いらっしゃい。暑い中、ご苦労さん。お父さんのお参りはしたんかね」
「こちらの帰りにさせていただきます。母のところで迎え火をする予定です」
「ほうかね。そりゃ、お母さんもお待ちだろうね」
「こちらのお母様にもご挨拶させてください」
「ありがとね。来てくれて」
にこっと笑いもしないお義父さん。でも、きっとこういう人なんだろうなと琴子は理解した。それが子供だからこそ、親はもっとこうあってほしいと英児も反発したのではないかと。
「父ちゃん。この茄子、うまそうだな。琴子のよ、焼き茄子うまいんだわ」
「ほうかね。それなら持って帰っていきや」
「トマトもうまそうだな。琴子のマリネがうまいんだわ」
「……英児、おまえのろけにきたんか」
笑いもしないロボットのようなお父さんの言葉に、英児が真っ赤になっていた。そして琴子もそんなおくびもなく『うまいうまい、嫁さんのメシ』といってくれるから頬が熱い。
「……いや、ほんとなんだって」
「のろけるなら、母ちゃんの仏前でしろ」
つっけんどんな言い方だけれど。でも琴子ならわかる。仏前でのろけて、母さんに安心してもらえ。そんな意味なんじゃないかと。
それに英児も真っ赤になったきりなにも言わなくなった。でも、言い返しもしない。
お父さんと英児が野菜をいっぱいつんでくれた。琴子もトマトをいっしょにもいだ。
「いけね。姉ちゃんが早く家に帰ってこいと言っていたんだ」
「そろそろ帰ろうわい」
お父さんが収穫した野菜をカゴにいれて持ち上げようとしたが。
「俺が」
英児が父親からそのカゴを引き取ってしまう。そうして身体が大きくなった息子が代わりに運ぶ。
喧嘩をしそうな空気がなくなっていた。どうしてなのかな。琴子も覚悟をしていたのに不思議だった。
そんな父子のあとを琴子もついて、滝田家に戻る。
「おまえ、店はだいじょうぶなんか」
「なんとかやってるよ」
「また車をぶっ飛ばして事故なんかするな。もうおまえだけのもんじゃないんやけん。琴子さんを心配させんなや」
「わかっとるっちゅーのに」
「はあ、…… あのな、」
「はあ? なんだよ。せっかく帰ってきたのによお」
ああ、なるほど。こういう親心から説教が始まって、子供が煙たがって。どちらもいい大人だから余計に大喧嘩になるのかもと、琴子も見た気がした。
「お父さん、今度、遊びに来てくださいね。私、土日がお休みなので、一緒にご飯を食べていただきたいです」
琴子の声に、前を歩いていた二人が振り返る。
真夏の灼熱の中、汗を流している男が振り向いた顔がびっくりした顔が一緒で、琴子はさらに微笑ましくてにっこりしてしまう。
「ほうかね、琴子さん、ええんかね」
「もちろんです。お父さんのお野菜を調理したいです。おいしい食べ方、教えてください。ね、英児さん」
「お、おう。そうだな。うん、来いよ」
息子のその言葉にも、お父さんが驚いた顔をしている。
「ほなら、今度、行こうわい」
初めて、お舅さんが麦わら帽子のひさしのしたでにっこり笑った。やっぱりそっくり。
ちょっと照れて、今度は英児が笑えなくなっている。でもその顔が、やっぱりあの写真に写っていた悪ガキヤンキーと一緒。
ほんとうは。末っ子でいつまでもちいさな息子(若い息子)が心配なんですよね?
お嫁さんになって初めてのお盆。ぎこちない父子の後ろに、爽やかな瀬戸内の風が通りすぎる。
Update/2016.8.15