-- A to Z;ero -- * 白きザナドゥ *

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1.調教上手

 ……衝撃の事実、発覚!

 葉月が出かけて間もない頃だった。
 ある朝のこと──。
 大佐嬢が置いていった書類山を、大佐席の留守を任されているかの如く隼人が積み直す。
 キッチンには柏木と小夜がうろうろしていたが、お茶を入れいてた大佐嬢も留守、そして何故か海野中佐も不在、隼人にだけカフェオレを入れてくれて、もうすぐ朝礼が始まるからと切りをつけて出ていったところ──。

 そこへ、達也が帰ってきた。
 けど……そこには彼の新しい恋人である泉美も一緒に。
 ああ、そうか。朝礼が終わったら、二人は一緒に会議に出るんだったかな? ぐらいにしか思わなかった。

「なあ、兄さん。話があるんだけれど」
「なんだよ?」
「俺と……『泉美』のことなんだけど」

 達也の横には、しっとりとしている泉美が並んでいる。
 職場では上司と部下の関係を保っているのだろうが、その雰囲気は既に恋人同士にしか見えなくなっている隼人。
 不思議だった。職場だけの間柄でも二人が並んでいる姿はごく最近見られるようになったことなのに、それでも恋人同士といってもまったく違和感がない。つまり──『お似合い』と言いたくなる様子が伝わってくるのだ。
 だけれど、『俺と泉美』──。二人がこうして『俺達、つきあっています』とはっきりと正面から匂わせてくれるのは、初めてのような気がした。
 ああ、そうか! その事を報告してくれるのか? 今更……もう、知っているさ。と、隼人はにやけたい顔をなんとか収め、二人に向き合った。

「どうしたんだよ。改まって……」

 達也が泉美を見下ろし、泉美が達也を見上げて……。二人揃って急に照れ合って俯いちゃったりして……。『このっ。なんだかんだと見せつけてくれるじゃないか!』と隼人はちょっとむくれてみる。
 こっちは大事なウサギを送り出したばっかりで、割と寂しい気持ちなんだから、早く言ってくれよ! と、焦らされて苛ついてきた所だったのだが……。

「ええっと。俺達、近々、入籍します」
「……にゅうっ……!?」

 達也があっちを見るような目で、やっと言った言葉。
 隼人は聞き間違いじゃないか? と、繰り返そうと思ったが、その言葉も口で言えないほどに……。
 さらに達也が。あの達也が今度は頬を染めて、ぼそっと呟いた。

「ええっと。彼女のお腹に子供もいます」
「……はあ!? もう一度、言え!!」

 これは流石に驚いて、今度はものすごい勢いで突っ込む隼人。
 達也がたじろいで、でも、やけくそ! とばかりに隼人に再び向かってきた。

「だからっ! 泉美のお腹に俺の子供がいて、俺達は近々結婚すると言っているんだよ!」

 今度こそ、隼人の頭はものすごい衝撃音が響いた気がした。
 な、な、なんと! この前、恋人同士になったばかりの二人から、こんな急展開を告げられるとは……!?

「な……なんと」

 俺、落ち着け! 隼人は自分の頬を軽くはたいた。
 なんとか気を落ち着けようとした。
 ええっとまずは──。

「お、おめでとう」
「お、おう」

 なんだかとりあえずに言ってしまったような気の抜けたお祝いの言葉になってしまい、言ってから後悔。
 そして達也もどう受けて良いのか分からないのか、お互いにちぐはぐしたやりとり。

「──じゃないっ! 達也……! なんでもっと早く言わないんだ! は、葉月がいないじゃないか」

 達也が一番最初に報告したいのは『同期生兄妹』と言っても良いぐらいの仲である『葉月』だったに違いない!
 それにそうとなったら、職場で起こりうるだろう様々な事情も大佐嬢がいないと困る部分も出てくるだろう……!?
 隼人の脳裏に、一瞬だけ、そういう事情が過ぎったのだ。

「だってよお! 葉月が行ってからそうなったんだよ!」
「え? そうなんだ」
「そうだよ。なあ! 泉美だってそうだったんだもんな?」

 すると、達也に寄り添っている静かなお姉さんが、可笑しそうな笑い声を漏らし始める。

「ふふ……澤村君でも、そんなに慌てるの? そうよ。葉月ちゃんが出かけてしまってから、体調の変化に気が付いたから」
「そ、そうだったんだ」

 落ち着いているのは彼女一人だけだった。

 隼人と達也は顔を見合わせて、慌てた自分たちがばつが悪くなり、揃って頭をかいた。
 だが、泉美の顔が喜びとはうらはらに、急に真剣な顔に。そして達也はちょっと困った顔になったのだ。

「どうした……?」

 隼人はなんだか嫌な予感。
 自分もこの『おめでた』には痛い思いをしているので、出来れば……誰であってもそんな話は『もう、沢山』。
 しかしだからこそ、二人の様子に、胸がドキリと締め付けられた。

「私の身体を心配しているの。海野君は」
「!」
「でも、私は頑張って産む」

 泉美が何故か隼人に向かって訴えてくる。
 そこで隼人はハッとした。
 以前──泉美と『俺達、境遇似ているね』と意気投合した時の『ある話』をだ。

 実は──泉美の母親も若くして他界している。隼人の母と同じように、ハンディある身体で出産をして身体を弱めてしまったのだ。
 つまり泉美の身体のハンディは、遺伝ということになるのだろうか?
 それを今度は、泉美が……!
 隼人の胸がまた痛くなる。どうしてだ? どうしてこういうおめでたい話、こうもすんなり行かないのかと。達也を見ると、彼はその現実から目を背けたいかのように苦しそうに俯いていた。
 だけど──泉美は違った。

「澤村君なら分かるでしょう? 『私達』──生まれて良かったわよね?」
「泉美……さん」
「だって、私は今……こんなに幸せなんだもの。産んでくれた母だって、私達がそう思える日が来ることを信じて産んでくれたのよね? 今度は私がこの子にそうするの」

 彼女はまだ膨らんでいないお腹を優しく撫でる……。
 そうだ。そこには今、間違いなく『生命』が存在している。その実感は他人の隼人でもすぐに湧いてくる仕草。
 そしてそれ以上に、同じ境遇で母と死に別れた者同士。泉美は隼人に同感を求めてくる。

「ああ、そうだ。泉美さんが言うとおりで。俺も、そうして生きていこうと思っているし、頑張ってくれたおふくろには感謝しているよ」

 隼人は思っているままを伝えた。

 泉美の覚悟の意志を固めている顔。
 達也は、喜びと不安に挟まれて……いや、見る限り『不安』の方が大きくなっているような顔だ。
 男である隼人には、その達也の気持ちも痛いほど、分かる。
 隼人も一度──その現実から顔を背け直視が出来なかった為に、葉月と離れてしまったという思いがあったからだ。
 だから、今度は泉美に向かった。

「でも、その子供を案ずる事と同じぐらいに、『愛している女性』が苦しむことだって、男には辛いことなんだ。特に身体的な負担は女性だけのものだから……」
「──! 澤村君?」
「何故そう言えるかというと。俺があいつの時、そうだったから……だ」

 俺達は駄目だったけどね……。と、隼人が静かに不在の大佐席に視線を馳せると、泉美がすごく驚いた顔……。
 そして何かを確認するかのように達也を見上げたけれど、達也は『本当の事だ』とばかりに黙って頷いただけ。
 それが分かって、泉美は隼人のその男の気持ちを納得してくれたのか、ふと俯いた。

「澤村君……葉月ちゃんの時、そうだったのね」
「ああ。だから、達也は泉美さんが心配で仕方がなくて、今でも辛いはずだ」

 でも達也は、背けた顔をちゃんと戻して泉美と見つめ合う。
 ちょっと羨ましいぐらいに、二人が既に愛し合っていることがわかるような姿だった。

「あのね。澤村君……」

 急に申し訳なさそうな泉美の様子に、隼人は『なんだい』と首を傾げた。

「ずっと前から、いろいろありそうな事は感じていたけど。でも、そこはまだ海野君からも聞いていないし、私、彼女自身から言わない限りは知らなくても良いと思っているから……」

 泉美が葉月の過去について触れてきたので、突然のことで隼人は少し驚く。
 だけれど、達也も慌てるように口を挟んできた。

「俺と葉月の事は昔から長い関係であることは、泉美も知っているから、隠そうとは思っていないけど。でもな……。だけど二人でそこも話し合って、俺が知っていても、泉美は葉月から知るまでは知らなくて良いって事になって……さ」

 葉月とは深い関係にある男性と結婚するにあたって、逃れることができない『問題』を肌で感じたのだろう。
 そして達也も──。信頼関係を新たに結んでいく『妻になる女性』に、黙ったままでも辛いのだろう。実際に彼の前の結婚生活では、妻であったマリアとの間に出来た溝の原因のひとつには、お互いに『葉月』という女性の存在を重く感じながらも、正直な気持ちで話し合うことが出来なかった……というのもあったはず。そんな経験のある達也だからこそ、今度はちゃんと泉美とは話したいという気持ちがあるに違いない。だが、そこは簡単に言えないことが多すぎるのも確かだ。
 しかしそこにあたって二人は、お互いの過去も含め、葉月という女性と長く関わってきた人間であることを確かめつつ、その結論へと達するぐらいに話し合ってくれたのだと隼人には分かった。
 そこまでこの短期間で出来てしまうなら、本当に良い夫婦になってくれそうだと、隼人も微笑んでいた。

「そうか。泉美さんも四中隊にいるのは俺より長いもんな。葉月のこと、色々察してくれていたものを、これからはどういうものなのかを聞いてしまうことが多くなると思うけど、それは別に構わないよ。泉美さんはもう、達也と同じ友人なんだから」

 隼人はそんな泉美の心構えに、感謝する。
 今までは、葉月を挟んだ男二人というバランスでやってきたが……。今度は今まで三人だった間に『泉美』という女性が入ってくる。そうなれば三人だけで許し合ってきたり、内輪だけで話すことが出来た様々な過去の出来事にも、この女性が触れずには済まないことも出てくるだろう。
 なのに──彼女は『そこは、今までの三人でやってくれて結構』と、言ってくれているのだから。
 やはりこの女性は目に見えなかった葉月の影の友人で、これからはもっと親しくなっていくだろうと、隼人は思った。

「そこまで。葉月の事も二人で話してくれたんだ」

 隼人の感謝の眼差しに、二人が視線を合わせてそして笑顔で頷いた。

「私がここで頑張れたのは、葉月ちゃんがいたからよ」
「俺も、葉月がいたからここまでやってこられたと思っている」

 そして二人が一緒に呟いた。

「だから俺達、今度は二人に幸せになって欲しいと思っているよ」
「そうよ。私もそう思っているわ」

 そして泉美がさらに、隼人に言った。

「だから、澤村君も……。諦めないでね」
「有り難う。うん、まだちょっとね」
「……でも、だからこそね。今の澤村君の男性としての気持ち。とても良く通じたわ」

 『頑張る』の一点張りだった泉美が、達也をそっと見上げる。
 愛する女性が苦しむ事は辛いこと──達也がそう案じていることが、痛いほど分かったようだった。

「……だったら、私。やっぱり仕事、辞めないとね」

 泉美のちょっとがっかりした顔。
 隼人はそう言うことも出てくるのかと分かり、達也を見た。
 すると彼も残念そうな溜息を……。

「このことで、一悶着したんだ。この姉さん、結構、強情ってことが判明! 産休まで頑張るなんて言い張って……」
「駄目じゃないか、泉美さん! それは達也が言っていることが正しいと思うな」
「だって。せっかく……海野チームに選んでもらって、これから彼との関係とは別に、秘書官への勉強が出来ると思っていたから……」

 それは隼人も惜しいなと思った。
 しかし──彼女の場合は、細心の注意が必要だろう。

「泉美さん、子供と泉美さんが第一だ。仕事はいつだって復帰できるんだから。子供が無事に生まれさえすればいいなんて事じゃない。母親に元気でいて欲しい気持ちは、死に別れてしまった俺達が一番良く知っているじゃないか!」
「そうね……。うん、分かっているわ、澤村君」

 彼女も既にそこは納得済みのようだが、ここでさらに納得できたようだった。

「葉月はいないけれど、泉美さんが今まで頑張ってきた事が無駄にならないよう、俺も協力するよ」
「有り難う。澤村君……」
「元気な子供を、絶対に、みせてくれよ。葉月もここにいたら絶対にそう言うはずだから」

 隼人がそう力説すると、泉美がふと涙をこぼしてくれていた。

「うん……。そうね」

 なかなか産むことが出来なかった葉月の痛みを、既に痛いほどに分かってくれている涙に思えた。
 それはお腹に宿した者がより一層、噛みしめることが出来る気持ちなのだろうか……。

 その後、産休ではなく休職にする方向性にしようと三人で話して、泉美は出ていった。

 

「葉月、帰ってきたらすごく驚くだろうなあ!」

 いろいろ心配はあるだろうが、喜ばしいことには違いない。
 全面協力やる気満々になった隼人としては、だんだんと嬉しさが込み上げてきた。

「俺、それでも兄さんと一緒に葉月を守っていく気持ちは変わらない。だけど、今度は『奥さんと一緒』と言うことになるかな……」

 達也の気持ちは変わらないけれど、でも少し変わっていた。
 だけれど彼の複雑そうな心境は、まだ……少し、残っているようだ。

「泉美さんを、悲しませるなよ」
「あったり前だろ! 俺、もう、愛しちゃっているもん!」

 そりゃあ、ご馳走様だなと隼人が苦笑いをこぼしても、達也は今度はやり返してくるかのように泉美の自慢をするのだ。

「泉美って、すんげー料理が上手いの! それに気が利いて、なんでも前もってやってくれちゃっているのね。俺のことなんでも知っているみたいにさー! それに……」

 『おっぱいも葉月より大きい』と来たので、隼人はまだそこにいる達也に軽く膝蹴りを入れてやる。
 葉月のは小さいのではなくて、可愛らしいのだと言いたいが、膝蹴りで我慢してやった。

「兄さんだって、今まで葉月とのあれこれを目の前で見せつけてくれていたじゃん〜」
「知るか、そんなの。達也も覚悟の上だったんだろう」
「冷たいのね。隼人さんったら……。ライバルでなくなったら、ちょっとは優しくなってくれるかと期待した私が馬鹿だったわ……。ああ、『葉月は触るとわんわん泣くほど敏感で』なんて私を脅かす酷い人だったのに。相変わらずね。あれ、結構、傷ついたんだから、ワタシっ」
「それを言わせたのは、達也がその前に、葉月にちょっかいを出したからだろう!」
「──なんのことかしらぁ?」

 また葉月っぽい口真似で茶化す達也に、もう一発、ケリを入れて黙らせた。
 達也はそれでも今度は楽しそうに笑い飛ばして、席に戻っていく。

「有り難うな。兄さん……」

 なにが有り難うか分からないけど、隼人はこんどこそ、ちゃんと伝える。

「おめでとう、達也」
「ああ、サンキュー」

 彼の泉美への気持ちは、もう、一点の曇りもないのだろう。
 爽やかな笑顔。不安はあれど、自分が決めて進み始めた道に満足している笑顔だった。
 隼人も素直に、嬉しかった。

「葉月がいない間、俺達が協力して泉美さんを守っていかないと」
「うん。泉美が休む体勢が整うまでは、洋子さんに頼もうと思って。本当は今すぐ、休んで欲しいんだけどな……」

 これから二人の親に許可をもらうとか、泉美の父親が小笠原まで出向いてくれるとか、泉美が寄宿舎から達也の官舎に越すとか。色々あって忙しくなりそうだという話も聞かされて、隼人も『それは大変だ』と思った。きっと二人だけでは無理だ。泉美一人にやらせるわけにもいかないし、達也も一人では無理そうだ。

「安心しろ。俺達がついていることを忘れるな! それに、これからは皆にも協力してもらうようにしないとな」

 隼人も何故か気合いが入ってしまう。
 その子供は、二人の子供であって……そうでない。
 隼人はそう思えてきた。
 ここに葉月がいたら、彼女もきっと、必死になってくれたはず。

 やってきた天使は、皆で守ろう──と。

 達也は益々、嬉しそうに微笑んでくれた。
 ……むしろ、泣きそうな顔と言っても良かったかも知れないが、そこは見なかったことにしておく。

 

 最後に達也がふと呟いたのは『マリアにも知らせなくちゃ』とか『あいつ、葉月が相手じゃなくて怒るかもなー』とかだった。
 葉月が相手になる日が来たら俺が困るだろう? と、隼人は密かに苦笑い。
 でも、久しぶりに、自分が思ったことは譲らない突撃一直線の元気なマリア嬢の声が側で聞こえた気がしてきた。

 そしてその後、達也にもう一つ頼み事をされた。
 なんでも横須賀にいる母親に結婚の報告がてらもう一度会いたいから、休みが欲しいと言うのだ。
 そこは必要なことだろうと、隼人は『行って来いよ』と了解した。

 それ以上『母親』については、やっぱり達也は話してくれなかったけれど──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 ──大佐嬢、今、いずこに。

 

 とても慣れた匂いに包まれていた。
 船特有の油臭い匂い。
 潮の匂い。
 ずっと鳴り響くエンジン音。

 そして──甲板の上を轟音を轟かせて滑り上昇していく、ホーネットの姿。

 しかし慣れている体感はあれど、そこを取り囲む景色が『南の島』とは、まったく異なっている。

 この日の天候は最悪だ。
 甲板には波しぶきが散り、海原の波はかなり荒れて高い様子。
 それだけではない。小さな氷の粒のような小雪が、横殴りで吹雪いている。
 そう……ここはオホーツク海の手前だ。
 艦のコースは、ここから津軽海峡に入り、日本海へと出る予定。

 とても寒い。
 この小さな硬い小雪が殴りつけてくる中でも、連れてきたパイロット達は空へと向かっていく。
 持ってきた冬用の軍コートを羽織ったうえに、口元も白いスカーフで寒さをしのぐ姿で、葉月は甲板の片隅にたたずんでいた。
 立て襟を閉じて、頬にちくちくとあたる小雪を避けようとしても、無駄だった。無数の小さな粒が容赦なくぶつかってくる。

「どう? クリストファー」
「う、うううう。ちょおおっと、無理じゃあないですか〜」
「本当に?」
「ほ、ほんとうっすよぉ」

 葉月の足下には、がちがちと震えている金髪の青年。
 彼は今、訓練に必要な通信機器をセッティングしているのだが、どうにも手が震えて配線が上手くいかないらしい。

「だから、言ったでしょう大佐。ここは小笠原とは違うのだからと」

 不満そうにぼやいているのは、テッド。
 彼は葉月同様に、紺色の長い軍コートを羽織った姿でがちがちと震えていた。
 テリーは可哀想なので、葉月は管制室にいるようにと置いてきたのだが……。

「こら! 御園!!」

 艦内から甲板へと出てくるドアがバンと開き、そこから金髪の男性が勢いよく出てきた。
 葉月は『見つかった!』と逃げたくなったが、金髪の男性が連れてきた数名の隊員に手際よく囲まれてしまった。
 葉月を良く知るだけあって、一枚も二枚も上手の男性によーく見通されている手際に、小さく舌打ちをする。

「俺の許可もなく、なにをしている!」

 さらにその上手な男性に、いとも簡単に襟首をつかまれて持ち上げられた。
 叱られることも怒られることも解っていてしていたのだが……。

「ですが、小笠原では外で訓練の様子をチェックしているのです。ちょっと試しに……」
「馬鹿者! このお転婆娘、相変わらずだな!」

 葉月の耳元に容赦なく怒鳴る金髪の男性。

「来い!」

 その男性に、襟元を握られぐいぐいと引っ張られる。
 そのまま葉月は連れ戻される形に。

「……いっ。きょ、教官……!」
「教官じゃない! 艦長と言え!」
「か、艦長……私はただ」
「言い訳は後だ! まったく、部下まで巻き添えにして。お前の『我が儘』に付き合わせるんじゃない!」

 金髪の男性は──。
 そう、この空母艦の艦長に任命され、今回の航行を管理している『葉月の恩師』──ジェフリー=トーマス大佐だ。
 彼は葉月を引きずりながら、自分が連れてきた部下達に『機材を片づけておけ』と威厳たっぷりに命令して艦内に戻って行く。
 艦内に戻ると、少しは暖かく感じる。
 まだ襟を掴まれたまま階段を降ろされていたが、後ろについてきたテッドにクリストファーは口元に巻いていたマフラーを解いてホッとした顔。

 その後輩達の表情をちゃんとジェフリーはみていたようだ。

「見ろ。彼等のホッとした顔を。余計な作業を課して、変な負担をかけさせるな」
「──」
「返事は!」
「イエッサあー」
「なんだ? その返事は! 訓練校ならぶっ飛ばしているぞ!」
「イエッサー!」

 はきはきとした返事をしたところで、溜息混じりに恩師がその手を離してくれた。
 そしてとても苛ついた様子で、短めの前髪をかき上げて、さらに大きな溜息。
 テッドにクリストファーは、そんな恩師と教え子のやりとりに、ただ目を丸くしているだけだった。

「もう、引っかき回される覚悟はしていたが……」

 彼はそこまで言って『これ以上言ってもさらに無駄か』と呟いて、葉月の前を歩きだした。
 そして何故か、可笑しそうに笑い出しているのだ。

「あはは。俺の部下達の真っ青な顔も見物だったなあ!」

 先ほど葉月達を取り囲んだ『補佐軍』のことだろうか?
 葉月の動向が掴めない彼等は、まだ慣れていなくて、ことあるごとにジェフリーを伴わないと葉月を止めることもできないらしい。
 それはそれで『噂の大佐嬢』というものを、変な形で納得させているとかいないとか?

「だーから、言ったじゃないですか……。何度目の説教ですか? もう、まだ来て一週間しか経っていないのに」
「ううう、寒かった! 大佐らしいけど、大佐、無茶にも程がありますよぉ」

 テッドのぼやきに、クリストファーの泣き言。

「ごめんね、二人とも……」

 葉月がしおらしく謝ると、二人はそこでうんと頷き許してくるのだが。

「甘い! ラングラー! このお嬢を扱っていくなら、こいつが悔しがるぐらいの説得力をつけろ!」

 ジェフリーはテッドにも手厳しいお説教。
 だが、テッドは既にこの男に大いなる信望を抱いているようで『イエッサー!』なんて、元気で素直な返答をするのだ。
 そしてジェフリーも『よし』と満足そうだ。

 彼の毎度の『説教部屋』に連れて行かれた。
 そこはジェフリーの『艦長室』だ。
 そこには心配そうにしているテリーが、ジェフリーの側近と一緒に待っていた。

「まったく彼女だけを管制室に置き去りにして。一人きりにして不安そうにしていたぞ。ラルフ、暖かいココアを人数分だ」
「イエッサー」

 ジェフリーの一番側近であるラルフ=ウォーレン中佐が、にこやかな笑顔で動き出す。
 彼は気は抜けない中佐だった。そこは流石恩師の『相棒』で、葉月は注意するなら先ほどの『補佐軍』よりかはこの中佐だと思っている。

 ジェフリーにそこに座れといわれ、狭い艦長室でもそれなりに置かれているテーブルと椅子に後輩と一緒に座った。
 まもなくしてココアが運ばれてくる。

「飲みなさい。身体が冷えただろう」

 キビキビとしていたジェフリーが、やっと……彼特有の優しい笑みをこぼし後輩達に一息つくように進める。
 テッドもクリストファーも嬉しそうに頷いて、暖かいココアのカップを手にした。
 葉月も手を伸ばすと、やっぱり? 恩師は葉月には冷ややかな眼差しなのだ。
 だから、葉月は手を引っ込めてしまった。

「ラルフ。こいつには冷たいミルクを使ったのか?」
「ええ。使いましたよ。お仕置きでしょう」
「よし。葉月、飲んで良いぞ!」

 なんなのその息の合い方と、葉月はからかい加減の二人の冗談にふてくされながらココアを一口含んでみたが……。なんと! 冗談ではなくて、本当に冷たいのだ!?

「これ、本当に冷たいわよ!」

 するとラルフがジェフリーと一緒に大笑い。

「だから、お仕置きだといったでしょう。困りますよ、大佐嬢。私まで甘く見られては」
「そうだ、そうだ。俺達が本当は優しいのだなんて、たかをくくられてたまるか!」

 さらに二人が大笑い。
 しかもテッドもクリストファーまでも可笑しそうに笑うのだ。
 ある意味本当に『説教部屋』で、後輩達の目の前で、こうして『教官』にはやられっぱなしなのだ。

「流石の大佐も降参ですね」

 隣にいるテリーも可笑しそうに笑っている。

「本当に、もう……。でも、ごめんね、テリー。放っていった訳じゃないんだけど……」

 テリーはいつも通りに、『いいのですよ』と落ち着いていた。

 ジェフリーも落ち着いたのか、艦長席に腰をかけ、ラルフと一緒にカップ片手に一服している。
 彼らしい本当の説教はここからだ。

「葉月。ここでは実務が中心だ。こちらも長い船旅ゆえに刺激ある訓練相手が欲しいという気持ちもあったので、小笠原のパイロットを訓練という形で受け入れたが、小笠原形式の訓練と同様に思ってもらっては困る。それぐらい、解るだろう」
「──はい」

 それぐらい……。葉月だって解っている。
 そして……やってはいけないことだと解っていたから、こそっとやったのだ。
 もう解ったと、素直に返事をしたのだが。

「なんだ。言いたいことがあるなら言ってみろ」
「いいえ、なにも。自分でもやってはいけないと思った上でやっていましたから」
「その──上でやっていた訳を話せ」
「……」

 急な命令口調は、その昔、葉月を鍛え上げてくれたシビアな教官そのものだった。
 そして彼はただ押さえつけるわけでもなく、ちゃんと『何故なのか』を最後まで追求しようとし、葉月のしたかったことに対しても簡単に流して終わらせずに汲み取ろうとしているのも──そういう何事にも『見落としはするものか』という厳しい姿勢は変わらないなと思った。

「なんとなく。管制室だと管制員から聞かされることが多く、パイロットとの距離を遠く感じました」
「なるほどな。それで自分のパイロットと距離が出来ることを恐れて、いつもの通信で外に出ようとしていたのか」
「──勝手でした。申し訳ありません」

 葉月は素直に謝った。
 今度は本気だ。
 それに、教官はちゃんと聞いてくれたし気がついてくれたから。
 お嬢ちゃんの我が儘であっただろうが、気が済んだのだ。

 ジェフリーが艦長席にカップを置いて、こちらに歩み寄ってくる。
 そして葉月の前に来た。

「葉月」
「はい」

 彼はシビアで厳しい教官だったが……。
 でも、そんなふうにして優しく諭してくれる時もあったし、そして、葉月を様々な事で安心させてくれた大人の一人でもあった。
 懐かしい眼差しが柔らかく葉月を見下ろしていた。

「だが、訓練ではなく実務では管制室が陣頭指揮になる。慣れなくては駄目だ」
「はい……」
「つまり今度は、管制員との息を合わせ信頼関係を取って行かねばならぬと言うことだ。新しい課題だな」
「そうですね」
「そして──!」

 彼の口調が強くなり、葉月は今度は『シビアだった厳しい教官』を思い出し、身を固めた。

「なんでも現場の者と合わせた苦労をしようとは思うな! 彼等が寒空の甲板で動いているから自分もと思ったのではないか? 小笠原では灼熱の中でそうした一体感を甲板で味わっているが故にだろう。違うか?」

 葉月は黙ったが、一時して降参したように『そうです』と答えていた。
 今度こそ、降参だ。そこまで自分の心理を手に取られていたなんて……流石だった。
 そしてジェフリーは続けた。

「テッドにクリス、そしてテリーはお前のやることには、ちゃんとついていくぞ。その負担も忘れるな」
「はい」
「それ以上に、俺が言いたいのは、お前が体力と精神力を注ぐのは『現場』ではないと言うことだ。現場の者が現場で頑張るのは当たり前の事だ。いいか。司令官は『いざ』と言う時の為に、体力精神力を温存しておかねばならない!!」
「!」

 葉月の中に新たな感覚が、びびと走る。
 これはその昔もこの教官から何度も与えられた『新たなる刺激』の感覚だ。

「俺達はそのために『待機』しておかねばならぬのだ。無駄なところで部下に負担をかけさせながらの消耗は愚かだ。いざという時、現場の者を守れない司令官なんて司令官ではない!」
「……教官」
「分かったか!」

 今度こそ、葉月はグッと腹に力を込めて答える。

「イエッサー! 艦長」

 立ち上がり、彼の正面に向かって敬礼をする。
 その時、彼が懐かしい笑顔を見せてくれる。
 ホッとした笑顔だ。
 それが葉月にとっても『良く理解した』というお褒めの代わりでもあった。

「分かったら、管制に戻れ。ウォーカー中佐が一人でパイロットを指導しているから協力してやれ」
「はい、教官」
「艦長だ」
「はい、艦長」

 だけどジェフリーは『教官の方が心地よいがね』とふと笑っていた。
 葉月達は艦長室を後にして管制に向かった。

 ウォーカーもついに『指揮』という仕事に就き始めた。
 今は彼にそこは慣らしでやってもらっている最中で、葉月はその隙をぬって、先ほどの甲板へ出ていくという強行をしてしまったのだ。
 それはもう納得できたから、艦長の指示が出ない限り二度とやらないとは思う。

「なんだか、貴女の恩師だってすっごく分かるなー」

 あんな教官だから、テッドは既に信望しているのだ。
 そしてテッドが急にこんな一言を。

「もしかして。フランク連隊長が許可した中には、またもや『教官の司令官教育』なんていうのもあったのでは……なんて思ってしまうほど、やられていますね〜大佐」

 葉月はテッドの見解にドッキリ。ロイならそう思って預けそうだと、今になって、この状況になって初めて知った気がした。
 そんなテッドはなんだかニンマリと面白そうだ。
 いつもやられている大佐嬢がいつもの調子でやっているところを阻止され、ひっつかまえられてはビシバシと説教をされて、さらに黙らせるだけでなく納得させてしまうのが『痛快』らしい。

「澤村中佐とどっちがすごいかしら。中佐も来ていたら、結構、面白い『調教対決』だったりしてね」
「テリーまでなあに? それ!」

 結構、遠慮せずにこういってくれるテリーに葉月はむくれた。

「わあ、そうだよな! 澤村中佐、結構、ムキになったりして。俺、そういう中佐も見てみたいなあー」

 クリストファーまでもが……。
『誰が調教上手か』とか『調教が必要だ』なんて、後輩達にそんな話題ネタにされた葉月はがっくりうなだれる。
 だけど、テッドとテリーは『心の中で燃えても、澤村中佐のこと。意外と涼しい顔してるに違いない』と隼人のことをそう読んでいて、葉月は『なかなかよく見ている』とおののいた。
 しかし、どうもここではあの教官がいる限り大佐嬢は適わないのだという後輩達の中でそんな定説が出来てしまったようだ。それで彼等は『安心、安心』と構えている。
 まあ、葉月もまったくその通りだと、ジェフリーには頭が上がらず既に観念している。

 久しぶりに再会しても、やっぱり教官だった。

「さあ。私の『悪戯心』はここまで。行きましょう」
『イエッサー』

 三人の後輩達とはいつも一緒に行動だ。
 なかなか上手く行っていて、結構楽しく過ごしている。
 この一週間もなんなく過ぎた。

 だが──まだまだ、大佐嬢の中には沢山の『悪戯心』があることを、後輩達も既に知っているのだった。

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