43.例え話

 

 「これ……見てくれる?」

朝、康夫の本部朝礼が終わってから、葉月は中佐席にいる康夫に

ジョイが組んだ『新・本部構成計画』のファックス用紙を渡してみる。

補佐のパソコンデスクで隼人も気にかけていたが…

「わかった。あとでゆっくり…」

康夫もニヤリと微笑んで隼人に気取られぬようにサッと引き出しにしまった。

「それから…私の中隊の『本部日誌』…ジョイに送ってもらうように頼んだのだけど

『パソコンで送った方が早い』って言うの」

「なるほど。さすがシステム専門のジョイだな。確かに…。」

『イイゼ』と、康夫はここの中佐室のパソコンを触る許可をくれた。

コレは常識だが、フジナミ中隊のデーターは勿論覗いてはいけない。

だから、葉月が触るときは『立ち会い人』が必要になる。

外から来た人間だからそれは仕様がない。

『康夫…立ち会ってくれる?』と、聞こうとすると…。

「隼人兄。コイツに触らせてくれるか?コイツパイロットのくせに

ちょっとパソコンとか苦手でサ。教えてやってよ」

などと言いだして、葉月はビックリ!

彼のお言葉通り…。葉月はパソコンでデーターを管理するのが苦手だ。

パソコンで事務処理をすることはここ近年の話で

葉月が入隊した頃はそんなに発展していなかった。

だからどうしても手書きに頼ってしまう…。

幸い。今はシステム部門のエリートであるジョイがいるので、彼に任せきりと言うところだった。

だから…一人で他中隊のパソコンをいじるのはなおさら気が引けるところ。

康夫ならいいと思っていたのだが…。

隼人にはハッキリ言って自分の中隊データーを目に触れさせるのは

ちょっとためらいが生じた。そこはまだ出逢ったばかりの隊員と言う警戒だった。が…

「いいよ。お嬢さん…その補佐の人に連絡しておくってもらうようにしてくれよ」

隼人は何故か興味ありそうな微笑みで張りきってノートパソコンを拡げ始めた。

「そ、そぅ?」

どうしても『留守中の日誌』が欲しかったので葉月は折れた。

葉月はスグに…そろそろ定時時間にさしかかる日本の中隊に連絡を入れる。

『OK! 今すぐ送るよ〜』と言うジョイの返事。

「じゃあ、俺は訓練に行くから、あとは宜しくな」

康夫は今、磨きがかかり始めた『ショー用の練習』がまとまりはじめて、嬉々として出掛けていった。

葉月はこの後隼人と実習訓練があるので、今日はフジナミチームの指導はお休みなのだ。

「じゃぁ。お嬢さん。俺の席に座るかい?」

「あ…ええ…」

隼人も何処かしら緊張気味だった。おそらく…隼人自身も『他中隊データー』を

受け取る作業に緊張しているのだろう…と葉月は思った。

葉月はそっと…隼人が立ち退いた彼の席に腰を落としてパソコンに向かった。

「じゃぁ…ここを開いてくれる?」

座った葉月の頬にそっと…隼人の広い胸が近づいた。

腰を曲げて、指さしてディスプレイを指す隼人をフッと見上げてしまった。

オマケにそんな彼と目が合ってしまった。

ちょっとの間だけ…。お互いの動きが止まって…

葉月も『向こうも意識している』という直感が走ってドキリと視線をそらしてしまった。

「えっと…」

隼人も咳払いなんかして、言葉を濁したから葉月はよけいに顔が火照ってゆくのがわかった。

「わ…私。こうしていると…中佐じゃないみたい!」

その場逃れに…妙なことを言葉にしている自分に葉月は呆れた。

「あはは!確かにね!パソコンぐらい上手く使えなくちゃ中隊長はやっていけないぜ?」

「中隊長!?」

葉月は隼人が自分のことを『中隊長になる』ようなことを言ったのでビックリしてまた見上げた。

昨夜、カマを掛けたときは『上司が来るのがいいんじゃないの?』と言った隼人が…。

『中隊長』などと葉月を例えるからだ。

「そうだろ?今は死んだ先輩の代理人なんだから。代理でも中隊長だろ?しっかりね」

隼人がニッコリ微笑んだので…葉月は思わず息を止めて……

(側近が欲しいの!!)と言いだしそうになってグッと飲み込んだ。

「なに?おかしいこと言った俺?」

様子がおかしい葉月を隼人が首をかしげて見下ろしてくる…。

「え…と…。ここを開いたらいいのね?」

「うん?ああ。そうそう」

葉月は心を落ち着かせていつもの『ロボット隊員』に戻ろうとしながら

隼人が言うとおりにマウスを動かした。

「で?こう??」

「うん。出来るじゃないか。その気になれば直ぐに、使いこなせるよ」

「そうかしら? 私、細かいこと嫌いなのよね」

「言えてる。結構がさつなところあるよな。お嬢さん」

隼人がクスリと笑った。『失礼ね!』と切り返しながらも

『今までもちゃんと、そんな私も見てくれていたんだ』とホッとしたり。

隼人は葉月の事を『何でもこなしてきた例外の女中佐』としか見てくれない人々とは

そんなところが違うのだと改めて噛み締めた。

隼人も葉月の生意気そうな切り返しも今となってはクスクスと笑ってくれる。

葉月も思わずニッコリ微笑んでしまった。

「さて。ちゃんと届くかな?それまでお楽しみ♪」

「そんな言い方しないでよ!私ちゃんと出来てるわよね!?」

『さぁねぇ』と隼人は面白そうに笑うのだ。

二人は日本からデーターが届くまでそんなやりとりをしながら待ってみる。

「来ないねぇ…」

隼人がわざとらしく首をかしげてからかうので、葉月は「もぅ…」とため息をついたり…。

「大丈夫だよ…」

隼人がそっとまた腰を曲げてニッコリ葉月をのぞき込んだ。

「それならそうと言ってよ!!私のこと案外抜けてるからって面白がっているでしょう!!」

「そうじゃなくて…これから…」

からかっていた兄様大尉が急に優しい眼差しをメガネの奥からゆるませてきたので

葉月は再びドキリとした。

「昨夜…あれから考えていたんだ。例えばさ…『上司が来なかったら』とか…」

隼人からそんな『例え話』が出てビックリ葉月は硬直した。

「上司が見つからなくて…たとえお嬢さんが『中隊長』になっても…やっていけるよ。

俺は…そう信じているよ?コレはお世辞じゃなくてホントの話。」

「私…」

葉月は息が止まりそうになった。

昨夜は、隼人が『二十六歳の女隊長にはさせない。俺だったら……』と言ったので

自分は隼人にとってその程度の中佐なのだと諦めていた。

だから…今の隼人の言葉は非常に…感動的だったのだ。

「側近が来ればいいんだよ」

今度は葉月の心臓は止まりそうになった。

(じゃぁ!!隼人さんなってくれる!?) と、再び慌てて言葉を飲み込む。

「それも、お嬢さんより若い年下じゃダメだ。しっかり叱ってくれる…。

年下の女を立ててくれる…出来た男じゃないとね…。ただ…。」

「ただ!?」

腰を曲げて葉月の目線に会わせてくれている隼人に思わず食ってかかって

また、目があったが…今度の隼人の眼差しは妙な意識はなく『真剣』だった。

眼鏡のレンズにあたりそうな彼のまつげがそっと伏せられるのを葉月は

ゴクリと喉を鳴らしてジッと言葉が出るのを見つめて待った。

「そんな男はなかなかいないよ。年上で経験がある男なら…自分が上に行きたいから

『生意気な女若幹部』は目障りなはずだ。

お嬢さんも本当は今までそんな風当たりは経験しているんだろう?」

本当すぎるお見通しなので葉月は思わず頷いて唸ってしまった。

「それが『現実』だと俺は思うよ。だからこそ…『側近』を付けるよりかは

『上司』が良いといったんだ。お嬢さんの為にその方が負担が少ないし…。

お嬢さんが言うように『現実的』にも、将軍陣は今はお嬢さんには『中隊長』は任せないと思う

でも…上司が来るまでは『代理』なんだから…頑張らないとな」

すぐ側で自分に微笑む隼人の眼差しが…あんまりにも暖かくて…

(私の立場…そんな風に…私の為に考えてくれてたの…?)

と、今にも泣きそうになってしまった。

「メルシー大尉」

葉月はそんな顔を見られまいとそっと長い栗毛の中に隠した。

「まあ、『側近説』は望まない方がいいね。捜すの大変だよ。だから『たとえ話』」

『あきらめな』…と隼人に言われたようでうつむいていた葉月はピタリと涙腺が引き締まってしまった…。

(う…。喜んだ私はなんなのよ?)とまたガックリ肩が落ちる。

「その──」

浮き上がったり沈んだりしている葉月の側で、今度は隼人が咳払いをして言葉を濁している。

「な…に?」

「昨夜、言い忘れたけど。今度『島』に『研修』に行ってもいいかな? なんて──。

そうなったら一緒に『企画』練るの協力してくれよな。『中佐さん』」

「それ…本気?」

その一言は『葉月とこれからも仕事をしたい』と言うことだ。

葉月はまた嬉しいような……。

でも『ここでとりあえず離れる』と言うことで複雑な心境になったが、今度は嬉しさの方が勝っていた。

「その判断はそちらで御勝手に…」

天の邪鬼兄は照れくさいからまたシラッとそっぽを向いてしまった。

葉月は一時また呆れたがそれが隼人らしくてクスリと微笑んでいた。

「その時…楽しみに待っているわ…」

何よりも…『仕事』で自分を対等に認めてくれたことが嬉しかった。

『女』としてよりその方が嬉しかった……。

『キャリアウーマンは嫌いだ』と言う隼人がそう言ってくれたのだから

仕事の面ではこれからも認めて付き合ってくれると言うこと…。

と──、言うことは?

葉月は感動もつかの間。ふと思い直した。

上手く説得すれば…日本で一緒に仕事をして欲しいという申し込み…。

受け入れてくれるのではないか??と…。

「ん?何か届いたみたいだよ??ほら!」

隼人が再び声を上げたので、葉月はハッとしてもの思いから我に返る。

「え…と?」 隼人に教わったとおりにマウスをクリックしようとすると…

「あ!!こら!!違うだろ!!!」

隼人がビックリしたように声を出して、すかさずマウスを握る葉月の手を

掴んで訂正しようとしたので葉月はビックリした。

「何やっているんだよ…空の上だったら『自爆』だぜ?」

隼人が呆れながら…葉月の手を握りながら正しく操作してくれた。

葉月は…彼が意識していないウチにそっとマウスから手を離した。

「もう…よかった。ちゃんと届いたよ。あとはわかるだろう??」

隼人は受信を追えてサッとパソコンから離れていった。

あとは葉月しか見てはならないデーター日誌だからだ。

しかし隼人もそっと…。葉月に目が付かぬよう自分の手を眺めたりした。

しっとりとしたきゃしゃな手だったが…。

指の際に所々ある『タコ』の堅さの方が感触として残った。

前も…。葉月と手を繋いだとき…そう思ったが…。

いかに彼女が『操縦管』を握りしめて戦ってきたかだった…。

はたまた。ヴァイオリンの弦ですれた物か??

「メルシー。助かったわ。いつもは…補佐のフランク少佐がしてくれているから…」

「フランク少佐??」

「そうよ。フランク連隊長の…歳が離れた従弟なの。私とは幼なじみ。

彼も…姉様のことはよく知っていて…私とは一緒にそうして頑張って励ましてくれた…

私の生意気な二つ年下の弟分…。システム専門なのよ」

「へぇ…。」

フランク一家の御曹司なら葉月より若くて少佐というのも頷けたが…。

(そんなに若い連中が集まっているのか…それも若くして佐官幹部か…)

隼人は自分が葉月にはそぐわない『兄貴』の様な気持ちに初めてなった。

「大尉はどうして、『佐官・幹部試験』を受けないの?」

劣等感を見抜かれているような気になって隼人はドキリとしたが…

葉月に背を向けてそっと答える…。

「そういう質問には答えないよ」と…。

康夫や雪江…遠野にもそうやって返事をしてきた。

その内に誰も隼人の内側には入ってこようとしなくなった。

「じゃぁ。私も『たとえ話』」

葉月が新しく来たデーターを眺めていたが、

それをやめて背を向けている隼人にニッコリ微笑んでいるのを

隼人は肩越しに見つめていた。

「もし…。大尉が『佐官幹部試験を受けていたら…』」

(俺が佐官幹部の試験を受けていたら?)

『受けてみないか』とは今まで散々に、上の者には言われてきたが突っぱねてきた。

受けて…合格したとして…少佐にでもなったらフランスを出て行かなくてはならない。

一つのチームを任されたら…何処のチームに行かされるかわからない。

だから隼人は、あの栗毛の同期生。康夫のチームのメンテナンスチームを

率いている彼と『どちらかをキャプテンにする』と言う話になったとき、自ら身を退いたのだ。

栗毛の彼が元々、自分より向上心があってキャプテンになりたがっていたのは知っていた。

隼人はそんな気は更々なかったから当然やる気のない者として辞退した。

そのような軍人生活をしてきたのだ。

しかし、葉月に言われて初めて…『受けていたとしたら?』と言う無い世界を意識してみた。

「まず。一発合格ね。そして…きっともう…私とは同じ『中佐』にはなっているわ。

私より歳も上だから…もしそうなっていたら生意気なじゃじゃ馬嬢は

先輩には頭が上がらないところだったわね。」

葉月のニッコリが…心からそう思っているのよ?と言う…寛大な微笑みで

隼人は…

「まさか!買い被りすぎだぜ??それは!」と、誤魔化し笑いを浮かべたが…

「そうね。『たとえ話』ですからね」

ニヤリといつもの生意気加減で返されて、隼人はどうしてかムッとした。

『たとえ話』のはずだし…そんなたとえ話、よけいな想像だといつもならそっぽ向くはずなのに…

『たとえ話』だから、買いかぶりで当たり前と、この嬢ちゃんに言われて

初めてムッとしたのだ。

「『たとえ話』だから、もう少し続き…。そうね。中佐になっていたら、おそらく

一つの『メンテナンスチームキャプテン』ぐらいにはなっているわ。

私だったら…大尉が中佐だったらそうさせるわよ」

葉月がそんなときは威厳を放った瞳を輝かせるので

隼人はおののいてしまった。

だからこそ…。この娘とこれからも『仕事上の関係』を続けてもいいと思ったのだ。

「そ、そうなったら……。そうしてもらうよ」

「本当に?」

葉月の瞳が今度は真剣にそして…また潤んだように光ったので

隼人は首をかしげながら『ああ』と言っていた。

すると、葉月がにっこり微笑んだ。

「大尉が『企画書』を作ったら一番に見せてね」

そこは、隼人も『中佐令嬢』に認めてもらえてようなので

また『ああ』と、微笑んでしまっていた。

「でも、島に行ったらすごいんだろうなぁ。メンテナンスなんてものすごいハイレベルでさぁ」

「そうね。実は……別れたばかりの彼も、メンテナンサーだったの」

葉月がやっとマウスに集中した途端に、そんなことを言い出したので、隼人は『え?』と固まった。

「それも若手ナンバーワンのチームに所属しているの。

そのチームは大尉ぐらいの年頃のチームで若くても的確で敏速よ。

そのチームと研修したらいい糧になると思うわ。もしそうなったら

そこのチームとお話付けてもいいわよ?」

「へぇ…。もったいない事したな。パイロットとメンテナンサーでいいカップルだったのに…」

とか言いながらも、隼人の頬は何故か引きつっていた。

また、隼人ごときのメンテナンサーなんて『相手じゃない』と言われた気がしたのだ。

「でも結婚するんですって。さっき…フランク少佐から聞いたわ」

葉月が微笑みながらサラッと言ったので、隼人は余計に硬直してしまった。

言葉が見つからなかったのだ……。

確か、別れた彼は『待ているよ』と言ったのではないか、と。

「彼ね。待っていると言ってくれてたけど。やっぱり私じゃ疲れたのよ

だから、これで良かったと思っているわ。なんでも夏の長期休暇中に

アメリカに帰って、急に決めてきたんですって」

「アメリカ人!? その彼って!!」

「そうよ。フロリダ出身のメンテナンサー。だから奥様も、祖国の人で良かったのではないかしら」

別れたばかりで…彼がそうそうに結婚を決めたというのに葉月はシラッとして平然としている。

隼人にはその方が信じられなかった。

「いいの。これで…」

そこは遠い眼差しで今まで以上に彼女が優しく微笑んだ。

何もしてやれなかった彼の幸せでも願っているのだろうか?

その笑顔が…隼人には急に痛々しく感じられた。

心の何処かで…その別れた彼が日本で葉月が帰ってくるのを待っていると、気にはしていただけに…。

『私は…男の人を満足させてやれないそんな女…』

そんなの…哀しすぎるじゃないか?男によって被害を被ったのは彼女なのに…。

そんな風に自分のこと諦めてゆくなんて…と。

隼人は自分の席で黙々とパソコンに向かう葉月を哀しげに見つめた。

そして。そんな元彼との決定的な『別れ』を言い渡されたのに平然としている葉月が

やっぱり…『無感情令嬢』なのかとも思ったりした。