44.木陰の親友同士

 

 それは、隼人と葉月が午前の日課をすべて終えた午後のこと──。

 

今朝、葉月が日本から送られてきた『管理日誌』を一通り眺めて、

隼人と共に実習訓練に車庫へ出掛けて…実習が終わって。

それからだった。

午前中の訓練を終えたフジナミチームがカフェテリアで食事をする。

隼人も着替えてカフェテリアに上がる。

女である葉月は、着替えが長いのでいつも最後にフジナミの輪に加わる。

その葉月がいつまで経っても来なかったのだ。

隼人は、チームメイトと張りきって今日の評価を交わす康夫に尋ねる。

「彼女…来ないんだけど…」

「そう言えばそうだな。どっか行ったんじゃないか??」

康夫はそれだけ言って、気にすることなくチームメイトとフランス語で訓練話に花を咲かせていた。

その内に…康夫達が葉月が来なかったことを気にすることなくランチを終えて席を立った。

隼人も、食事は終わったので一緒に席を立った。

そして…午後。

中佐室でそれぞれが午前中やったことの「事務作業」を始める。

だが。葉月は戻ってこなかった。

「絶対おかしいって…いいのか?康夫!」

やっぱり…朝。元彼が『結婚する』と言うこと…平気な振りしてショックだったのだと隼人は思った。

なのに葉月は、来週『滑走路デビュー』を控えている研修生達に

いつも通り。冷たい表情ながらも丁寧に指導していた。

すると、康夫がため息をついた。

「今は俺が管理している中隊での研修だからな」

「なんのこと言っているんだよ?」

「アイツの病気が出たって事」

「病気??」

「他の中隊でならこんな事はしないと思うが…俺ならいいだろうと思ったんだろ?

隼人兄だって葉月と会う初日にやらかしただろ。大目に見てやれよ」

「サボリということか?」

「そ。アイツの突発的な癖みたいなモンだよ」

(だからって…中佐だろ!?)

隼人も、葉月には礼儀を尽くさずに初日に逃げたのだから何とも言えなかったが、

軍人としては生真面目な彼女がこんな事をするなんて信じたくなかった。

「ロボットみたいとか言われるけどな…アイツだって一人のか弱い女なんだよ」

『弟』とか言ったり…『か弱い』と言ったり…

隼人は康夫の彼女への見方がわからなくなってきた。

「もう少ししたら…俺が迎えに行く」

「!?迎えにって何処に??」

「アイツの指定席場所」

康夫はそれだけ言うとため息をついて、手元に集中し始める…。

隼人は…やはり康夫は葉月の長年の親友だ…と…

何処かやっぱり、自分など葉月にとってはなんでもない、役にも立たない兄貴なのだと

改めて思い知らされた気になった。

 

 

 隼人は珍しく集中力が散漫になっていた。

それとはうって変わって…康夫は淡々と業務をこなしている。

一時間ほどして…

「さて…そろそろアイツも飽きてきただろうな。」などとサラッと黒髪をかき上げ・・

椅子にかけてある夏物の肩章上着を手に取った。

「何処に行くんだよ?」

「まあ、すぐに帰ってくるよ」

康夫はやるせないような微笑みを浮かべてそっと中佐室を出ていった。

(………… )

康夫が出て…数秒後…。

隼人は手元の仕事を放って…中佐室を出ていた。

勿論。本部を出た康夫の後をそっと付けるためだ。

自分が何故こんな事をしているかなんて、この時は考えてはいなかった。

これが思わず…というか。自然に身体が動いた…と言うことなのだろうか?

隼人はそんなことをほんの少し頭に掠めながら、静かな昼下がりの廊下を

先へゆく康夫をそっと追いかける。

康夫が向かった先は…『裏庭』

隼人と葉月が初めてはちあった、ポプラ並木だ。

(これが彼女の指定席場所?)

だから、隼人にすっぽかされてあの時ここに来たのか?と隼人は思った。

棟舎の出口を出ることが出来ずに隼人はそっと、康夫が行く先をのぞき込む。

康夫はポプラの樹木を何故か一つ一つ…確かめるように上をのぞき込んでいた。

そして…あの、隼人が腰をかけて読書をしていた立派な樹木のところで康夫が立ち止まった。

「じゃじゃ馬!いつまでそこにいるつもりだ??」

康夫がポプラの葉が揺れる枝の方に叫んだ。

どうやら、葉月は木に登っていたらしい…。隼人は思わず苦笑い…。

何とも、やっぱりお転婆な娘だと思った。

だが、康夫が声をかけても葉月は木陰から姿を現さない。

つまり、康夫が呼んでも降りようとしないと言うことだ。

(それが彼女の指定席???)

隼人はまったく…と呆れてしまった。でも…。

勿論。中佐としてしっかりするのは当たり前と思っているが

いつも息を抜こうとせずに軍人として働く彼女でも

こうして、そっと息を抜くのだと安心したりもした。

「おい!なんだ??思い通りに行かなくてすねているのか?」

(思い通りに行かなくて??)

それは…恋愛のことかと隼人は思った。

康夫も葉月の元彼が『結婚』を決めたことを何処かで知ったのだろうかと思った。

すると…

「朝、渡したジョイの計画を見てくれた?」

やっと葉月の声が揺れる葉々の隙間から聞こえてきた。

その声は何処か張りがあって落ち込んでいる風ではなかった。

「…ん。まぁな。一通り…。」

「もし…よ?あんな風になったら…私の中隊はどうなるのかなぁって考えていたの」

「ふぅん。それで?」と、康夫は木の幹に腰をかけてしまった。

なんだ。やっぱり仕事のこと考えていたのか…と

隼人は見当違いに気を揉んだことにガックリ肩を落とした。

やっぱり。恋よりも…『中隊』の事が今の葉月の中では大きいのだ。

隼人はそう納得して、その場を離れようとする。が…

「側近がついて…私が中隊長になったら『メンテナンスチーム』を作るわ」

葉月の活き活きとした声が隼人の耳に届いた。それと同時に…

(彼女…側近を付ける気なのか!?)と驚いて、帰ろうとした足が再びに庭へと向き直った。

「バカだな。メンテナンスチームの前にまず、お前中心の本部固めだ。」

「解ってる♪その事も考えていたの!」

葉月がそこでやっとひょいっと木の枝から飛び降りてきた。

そして、座り込んでいる康夫を見下ろして立ちはだかる。

「ジョイの構成計画みたんでしょ?」

「あれじゃ駄目だ。『班室』を任せている外勤補佐を本部に引き込んで内勤させると

訓練指導の方に穴が空く。」

「勿論。あれは却下。班室はいじらずに今任せているお兄様方は外勤にとどめて置くわ」

「でもな。ジョイが考えているのはもっと頼りがいある30代中心の経営だろ?

なんせお前が若すぎる。それを本部で補佐してゆくのは長年お前にひっついている

兄さん達にしたいのだろう??側近だって30代がフランク中将の希望だ」

「それは、丁度良く条件に合っているでしょ?」

「まぁな。今年30歳になったところだし…これからってところだな」

「『大尉』が来てくれれば…補佐の構成もう少し若手で固めようと思うの」

『今年30歳になった大尉が来てくれれば…』

その言葉に隼人は耳を疑った…。

『名』は出てこなかったが…どう考えても自分のことだという直感が走った。

でも、葉月は…いままで隼人に側近になって欲しいとは一度も言っていない。

『例え話』だって今朝出たばかりだ。

いつから彼女がそんなことを思いついたのか…隼人は葉月の考えが急に恐ろしくなってきた。

(俺を連れて帰る気か??)

そうなったら断ればいい…。そう今まで…どんなことにも冷たく割り切ったように…。

「もしよ?大尉が来ることになったら…のびのびとやって欲しいの。

なのに、大尉より先にいる同世代のお兄さん達に気を遣わせるなんて

大変な事よ。それに大尉ほどの側近が側にいれば20代後半の補佐達で

まとまってゆけると思うの。そうね…海陸に二人。海空に二人。海総合を二人。

それぞれ、一人は本部で補佐。一人は外勤補佐。陸には遠野大佐が亡くなってから

中佐になって私の小隊時代から一緒の『山中中佐』が補佐。空は『大尉』に

総合はジョイにしてもらって…。外勤補佐はいままで通り。これならそんなに変化がなくて

側近がついてもそんなにみんなに負担がかからない。私が隊長として手が空くだけのこと

その分。訓練しながら中隊管理が出来るもの!」

「お前…。今それを考えていたのか?」

結構まとまり始めている葉月の考えに康夫はちょっと驚き顔を見せたが…。

「康夫とロイ兄様が考えていたとおりね。やっと解った…。」

変な意地ばかり張って、側近なんかいらない…と言っていた葉月が

やっと『お見合いみたいな研修じゃない』と遅れ馳せながら納得したような

安らかな微笑みをそっと浮かべた。

「まったく。毎度毎度。手間のかかるじゃじゃ馬だよ!」

康夫がいつもの憎まれ口を切り返しても…葉月はにっこり微笑んでいた。

「それでね!!……」

葉月は話に弾みがついて嬉しそうに康夫の横に腰をかけた。

ポプラの木陰でしばし…親友同士の軍議めいた会話が明るい声で続いた。

(俺は…)

隼人は。葉月の今ある考えに凍り付いた。

葉月が側近捜しに…自分目当てに来た。研修はカモフラージュ?

一生懸命やっていた彼女に「騙した」と言う言葉は思い浮かばなかった。

もっと違う何か大きな衝動とか…迷いとか…。

いろいろな過去をかき乱される衝動の方が強かった。

フランスに来て一度も感じなかった『ショック』だった。

それが今は自分の中でも良く理解できなし、把握できないし…。

とにかく。大きな衝動が胸に重くのしかかった。

それを誰かに教えて欲しいほどの…もどかしさではあった。

隼人の耳にはもう木陰で語らう親友同士の話し声は聞こえていなかった。

そのままそっと…。呆然としながら…裏庭に出る玄関をあとにした。

 

 

 葉月と康夫はひとしきり話が弾んで一緒に中佐室に帰ってくる。

「隼人兄がお前のこと心配していたぜ?」

帰り路の廊下で康夫がそう教えてくれる。

そう聞くと…意識し始めている葉月としては嬉しくもあった。

「でも…しっかりしろよ!って叱られそうね」

「そんなところも厳しいから、お前を甘やかさない側近として、ピッタリだろう?」

「でも…なんだか…フランスにこだわっているって感じね。

日本の家族のところに帰る気がない訳ってなんなのかしら?」

「さぁな。隼人兄にとって一番探られたくない何かなんだろう?

小さい頃に母親なくしてさ。親父が若い女と再婚すれば色々あるさ。

でも、弟は可愛いみたいだぜ?誕生日だからってフランスからいろいろ送ったりしているし

弟のことは会話の端々に出て来るんだよなぁ」

「ふぅん」

葉月は軽く聞き流す振りをして…何となくわかったような気がした。

葉月の甥っ子『真一』も母がいなくて、それで葉月にベッタリなのだから。

それと照らし合わせるとなんだか透けて見えてくるような気がした。

だがここでは…言わないことにする。康夫の方がいろいろと気が付いているだろうから

さして『こうなんじゃないの?』と言うことは話さないことにした。

「さって。どんなお叱りがあるかな?楽しみだなぁ」

康夫と本部に入って中佐室の前に二人で立ち止まったときだった。

「隊長…」

金髪補佐の彼が康夫を呼び止めた。

康夫も「ん?」と振り返る。

「サワムラ大尉。気分が悪くなったから早退させてくれって先程帰りましたから…」

「え!?」 葉月と康夫は二人揃って顔を見合わせた。

そして…二人揃ってハッとした。

そんなに気分悪そうでなかった隼人がいきなり帰るとは?

「まさか。ホラ…隼人兄は人のことは結構ほっとくタイプだし…」

康夫は「後を付けられた」と感づいても否定したそうに

慌てて葉月に同意を求めてきた。

しかし…葉月の中では…『お前のこと心配していた』と言う言葉が

脳裏にこびりついて…それは、有り難いことだっただけに…

本当に心配してくれていたのなら、康夫の後を付けて…

さっきの『本部管理』の話。『側近の話』。すべて聞かれた…と確信した。

それを聞いて、頭が良い隼人は『気が付いた』。

そして…また。『そっぽを向かれた』と葉月は思った。

「わかったわ。大丈夫。いつかはこうなるはずだったんだから。

私からどうしたのか聞いてみるから。今日はそっとして置いたら?」

葉月がそう言って『ばれた』事にも平静としているので

康夫も…いつかは隼人には言わなくてはいけない話だからと

葉月の言葉にすがることにした。

日本語でやりとりする中佐二人に…金髪の彼は…

『どうかしましたか?』といぶかしんだが…

「なんでもないわ。今朝はサンドウィッチ有り難う」

葉月はそう微笑んで、落ち着きをなくした康夫を中佐室に押し込めた。