-- エースになりたい --

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20.With me!

 

 再度、チェンジのシートに身をゆだねる。
 ベルトを締め、操縦桿を握る。もちろん、英太の背後、上にいるミセスもゴーグルを装着し準備完了。

『では引き続き、演習を始めます。三機とも、準備はよろしいですか』

 御園大佐の声に、三人とも『OK』の声を揃えた。

『では、発進から行きますよ』

 再び、目の前はカタパルトの映像。
 そこからミセスの操縦で再度、空に出る。

『おーい。サワムラ。早く出せー』

 上空でバランスが整った途端に、コリンズ大佐のそんな声。

『今日のサワムラは、どのレベルを出してくれるのかな』

 そしてミラー大佐も落ち着いた口調でも、今から始まるドッグファイを待ちかまえている楽しそうな声。

 データーは残していないと言う。
 だが英太は『やはり残している』と思っていた。この人達のあれだけの飛行を残さないはずがない。きっとチェンジの中には記憶させない方法でデーターをストックしていると英太は考える。
 ただ今は……。大佐が言うように『それがある』と知らせてしまうと、英太のように『対戦させて欲しい』と譲らないパイロットが出てくるのだろう。さらには出してくれないことで関係がぎくしゃくすることも出てくるだろう。それならば?

 ―― 何故、俺の願いを叶えてくれたのだろう?

 ふとそう思った。願いを叶えてくれてそれは嬉しかった。型には囚われないと感じさせてくれる御園大佐だけあると英太はやっぱり彼を信じたい気持ちになった。
 でも。彼が『相手を選び、特別扱いをする上官』には見えなかった。他のパイロットが『ミセスのデーターと対戦したい』と言い出した時、彼は今まではどうしていたのか、そして英太の願いを聞き入れてしまったこれからもどうするつもりなのか。

 そんな疑問。こんな空部隊のトップ3をこんなふうに集めて、しかもこんなふうに下っ端パイロットの英太ひとりの我が儘の為に――。

 やがて英太のゴーグルの端に、いままでそうだったように対戦相手の飛行機画像が映し出される。
 三機。レベルは不明。ネームなし。チェンジが作り出した無名機を相手にするようだ。

「出たわ」
『さて、どう行こう』
『今日は嬢ちゃんが主役だろ。後ろ、譲ってやれよ』
『それもそうだな』

 彼等の相談がなんであるのか英太には分からないまま――。
 だがレーダーには三点の敵機が表示、もうすぐそこに迫ってくる状態だった。

「では。大佐方のご親切頂きます」
『俺は援護。コリンズ大佐、行ってください』
『おっしゃー。じゃあ、俺が行くぜー』

 瞬時に三人の役所が決まったようだ。

「准将、来ましたよ!」

 英太の肌にいつもの緊張感が襲ってきた。パイロットの感覚だ。レーダーの位置とそして空の映像でも目視で敵機を確認。

(何故だ。すごい恐ろしい)

 元パイロットのミセスと分かっているが、彼女に任せて乗っていると言うことが、シミュレーションと分かっていても『恐怖』を感じた。というのもミセスの操縦桿が先程の滑走路急降下の時同様に、水平飛行からちっともぶれない上に、彼女がわあわあ喚かないせいもあるかも知れない。

(どうしてそんなに落ち着いている?)

 英太ならこの時点で機体をめいっぱい動かして良いポジションを取ろうと自然と手が動く。

「ミセス! 後方六時に一機、左、十一時の方向にも一機。もう見えている」

 だが彼女の操縦桿は動かない。まただ。彼女が危険を目の前にして、『回避放棄』をしている感覚――。
 逆に英太が、いつもの回避をする感覚で力強く操縦桿を握ってしまう。そして動かせないと分かっているのに反射神経で操縦桿を傾けようとした。だが、動かない! どんなに力を入れても動かない。分かり切っていても、それだけミセスが回避を放棄しているかのようにして動かない。
 やがて後方にいる無名機がこの機体をロックオンしようとしているのだが、ミセスは動じずにただゆらゆらと機体を揺らしているだけ。その静かな操縦と言ったら……益々英太を不安に陥れた。

「ミセス、ロックオンされてしまいますよ」
「うるさい。気が散るわ」

 それも静かにぽつっと言われたが、その声はとても重く響き、喚いている英太の中に大きな石でも投げ込まれたかのようにどんと落ちてきた。
 ――黙らされると、余計に不安が募ってきた。だが英太は喚きたい気持ちを抑え、操縦桿を動かしたい気持ちをなんとか堪え言い聞かせる。――ど、どうせ、シミュレーション。ここで引退してしまった彼女が感覚を鈍らせてしまって、危機感すら失い、撃墜されてもまた次のラウンドで『リセット。今の演習もう一度』と言い、何度もやり直しがきく『単なる模擬戦』。どうってことない―― だが、それならそれで、英太がここまで彼女の飛行とデーターに拘った意味がなくなるのだ。先程の滑走路急降下は英太がそうだったように『遊び』。『実践』ではこんなもの? それはそれで『失望』。もしかして英太が怖いのはこれなのか? もしここで失望すれば。その向こうに透けて見えるのは『雷神2』への失望でもあるのだと英太はそう初めて感じ取ったのだ。

 なんとかしてくれ。もう俺の目でも敵機が見えているじゃないか。
 肩越しに確かめる彼女は、ただ十一時の方向を維持している敵機を静かに見ているだけ――。
 それがまたかえって恐ろしさを増長させている気がする。

 やがて『ピーピー』という音が聞こえ始める。
 のんびりと敵機の動きに合わせてゆらゆらしているだけのミセスの機体が、早速に敵機のレーダーに捕捉ロックオンをされる寸前。それを知らせる警告音。

「ミセス! 回避しないとやられますよ」

 思わず、英太は操縦桿を握りしめてしまった。
 俺なら、右旋回降下――。と操縦桿を動かないと分かっていても動かそうとした途端だった。

 操縦桿ががちんと英太が思っていたとおりに動き、さらに思った通りにシートが横に傾いた。

(やっぱり。俺と同じ感覚――!?)

 まただ! 何かがシンクロしたような感覚?
 再度の驚き。だが徐々にそれどころじゃなくなってきた。
 シンクロしたと思った操縦桿が英太では考えられない動きを始めていた。
 ガチガチとまるで震えてるようで、英太は何事かと操縦桿を確かめようとしたのだが――。

「う、うわっ。なんだこれは……」

 あり得ない操縦桿の震え、右に大回転、コックピットが頭が下向きになる。だがすぐに振り戻し、左に回って元の水平飛行に――。
 ものすごい揺さぶり回転――。右に回ったら右に一回ぐるっと回れよ! と、英太は思うのだが、ミセスは途中でやめて右回り左回りと半回転。回っては途中で元に戻ってくる。それだけじゃない。元の水平飛行に戻ったと思ったら、今度は左に旋回急降下。しかもぐうんっと降下するのでもなく、ここでも途中でぐっと止まって高度を保つ。

 英太には考えられない『ショート』な操縦。操縦桿がガタガタと細かく震えたのは、ミセスがそれだけ細かい緻密な操縦をしているということ。さらに大振りな操縦はしない。コンパクトな範囲で細かに動く――。まるで不規則な軌道を描く木の葉がひらひらと舞っているようだった。
 彼女の細かな操縦桿の動きは、英太の感覚では考えられない操縦桿の動き。さらにシートの回転も大柄な英太には考えられない動き方だった。

 茫然としてる英太などお構いなしに、また操縦桿がかちかちと細かに動き始める。

(そうか。身体が俺たちより小さいから――)

 だから負担が掛からないよう、狭い範囲で細かな操縦で有効に飛ぶ。
 ――なるほど。と英太は納得した。

 そんな彼女の操縦感覚に驚いていると、水平飛行に戻ったミセスの機体の前方、英太の目の前にはいつのまにか先程彼女をロックオンしようとしていた後方機が目の前にいたのだ。

「い、いつのまに」

 後ろから彼女のふっとした笑い声が聞こえてきた。
 細かな操作、敵機からの回避。すべて彼女の計算ずく?

「さあ、大尉ならどうするかしら」
「目の前っすよ。早く捕捉ロックオンを――」

 そしてミセスは冷ややかに呟く。

「当然ね」

 ゴーグルに現れた緑のリングがくるくると動く。ミセスに後方を取られたデーター機も必死でくるくると逃げようとしているが、ここもミセスは落ち着いている。そして操縦桿の細かな動き。彼女の目がその機体がどこに逃げていくのかまるで予測しているかのように、逃げようとしている機体を上手く追っている。

(なんて目なんだ!)

 敵機の動きを読んでいるかのような照準、そして逃がさないテクニック。これも細やかで素早かった。おそらく勘が良く、そして目の動きが良い。同じパイロットの英太にはそう感じ、だからこそ驚嘆させられた。これがミセス。ミセスの女性として男性と並んできた『天性の勘』。これが武器なのか?
 やがて前方敵機が旋回降下で逃げきろうとする前にロックオン。緑のリングが赤に変わり、撃墜の映像が現れる。
 レーダーから一機消滅。残り二機。英太はほっとした息をついた。だがまだまだ――。

「ミセス。十一時の方向にいた敵機が、真横にいる」
「分かっているわ――」

 ミセスを狙って二機。一機は撃墜。
 そして英太はドクドク動いている心臓を抑えた。この人――『動じない人なんだ』とやっと分かった。
 落ち着いて考えるとミセスの選択は間違っていない。二機に挟まれ距離が近くても、彼女は落ち着いて優先順序をつけて、『いま相手にしなくてはいけないのは、自分の後ろを脅かす後方機』と判断。目で見えている左方向機は目で警戒しながらも後回し。そんな判断を彼女は一人で淡々と下していたわけだ。
 そしてあの、繊細で細やかな操縦。いちいち大振りに回避回転急降下をする英太とはまったく違った。

『OK、ミセス。君が二機引きつけている間に。一機、俺が引き離した。あと一機は任せられるな』
「OK」

 ミラー大佐の静かな声が聞こえてきた。
 そして英太はまた気がつかされる。ミセスが二機をじっくりと引きつけていたのは、もう一機を援護しているミラー大佐に預ける間を作る為だったのかと。
 英太は、自分はそんな『味方に与える間』など考えたことがない。いつも一人で飛んでいた。周囲の味方だって信用が出来なかったからだ。だけれど、この人たちは味方機も敵機もなにもかも、大空に存在している全てを無視することなく頭の中に入れて計算し尽くす。しかもいちいち大きく動かない。体力は温存。無駄は一切なし。

 だが英太は思う。
 あまりにも『模範』すぎる飛行だ。
 冷静でそれでいて的確。淡々としていてそれこそ彼女の方が『精密機械』のようだ。あのミラー大佐との息もかなり合っていた。二人で細かに相談したわけでもないのに、レーダーの敵機を確認しただけで瞬時に互いが何をするべきか通じ合っていた。『精密機械と精密機械』。そんな感じだ。

 ――物足りない。さっきの滑走路急降下で俺をあんなに燃えさせたあんたは、あそこだけだったのかよ?
 期待はずれの英太。ショー的アクロバットならやりこなせても、実践ではこんなもの? どこが。どこが。あの長沼に『彼女とは二度と飛びたくない』と言わせた飛行なのだろう?

 そんな英太の戸惑いを見抜くかのように、後ろからミセスの笑い声が聞こえてきた。

「ふふ。物足りないと言った様子ね」
「ええ。これが横須賀の男達を嫌がらせた飛行とは思えませんね」
「――横須賀の男を嫌がらせた? なんの話?」

 どうも彼女は横須賀の同世代パイロットにどう思われていたか知りもしないようだ。
 だけれど、英太の戸惑いを打ち消す一言を彼女が呟いた。

「今のはミラー大佐風の飛び方。実践ではかなりお手本。横須賀風とも言えるわね。現役の私はこんな飛び方ではなかったわ――」

 え? じゃあ、本当は?

 そう思い、彼女へと振り返ろうとした時だった。

「レーダーを見なさい。私が一機撃墜、一機はミラー大佐が今、レーダーに捕捉。残りは私達の真横にいる一機。味方二機が駄目になり残された一機がやらねばならないことは何か、『先を読みなさい』――」

 急な教官口調に英太はレーダーを見て彼女が言うとおりに先を読む。
 すると先程真横にいた機体がいない。レーダーを見ると、残った一機は、コリンズ大佐を追いかけ始めていた。
 英太がやっと気がついたその時、操縦桿ががちんと傾いた。

「判断、遅いわよ!」

 急に頭が揺れ、シートが斜めに傾き、機体が急降下。目の前の映像、雲の波間を切って、ぐんぐんと降下している。
 重力はないが、操縦桿が重い。レーダーのフィート数もどんどん落ちている。そしてある程度高度を落としたミセスはものすごいスピードで空母艦を目指している。空母艦撃墜を狙って先頭を飛んでいるコリンズ大佐を追いかけている一機を、さらにミセスが追いかけているのだ。

「准将、高度が低すぎる。敵機はもっと上ですよ!」

 だが彼女はそのままの低空で飛行機をかっ飛ばしている。 
 これは英太の感覚とかなり一緒だ。後先考えずに真っ直ぐに目標に向かう。
 敵機との距離が縮まってくると今度は徐々に上昇。シートがまた上向きになる。それも英太には驚嘆。そんな操縦……! さっきとだいぶ違うじゃないか!? それは英太が良くやる『大振りな操縦』だった。しかも今度は細やかもなにもない。本当に操縦桿が上か下か右か左か。たったそれだけの方向で動いている。

 上昇をしているが、ミセスの機体は徐々にコリンズ大佐を追っている機体の後方へと位置を取ろうとしていた。

(なんちゅう接近方法!?)

 それでも英太はワクワクし始めていた。
 これだ、これ! 俺だったらこれをしている!
 敵機が英太の正面、上に目視で確認。あと少し高度を上げたら、あの機体の後方につける。そうすればロックオンが出来る!
 しかしそれだけではなかった。ミセスの機体が高度を上げ、敵機の背後に来たのだが、彼女はそのまま上昇してしまう。

「ちょっと准将! せっかく背後に――」
「背後のポジションなんか、欲しくないのよ! 間に合わないでしょ!」

 絶好の攻撃ポジションを、ほ、欲しくない? 間に合わない?
 淡々としていた彼女が急に人が変わったかのような操縦、そして静かな女性というイメージを忘れさせるほどの吠える声。

 彼女が狙ったのは敵機の背後じゃない。
 敵機の『上』! しかも翼の上! 下から息を潜めるように敵機に近づき、そして上昇し背後からのロックオン撃墜ではなく、機体そのものにプレッシャーをかける。英太の目には、すぐ斜め下に敵機の翼。それでもなお、ミセスは自分の機を敵機に寄せようとしている! ニアミス状態! このままでは――

「ミセス、ぶつかる!」

 そして英太はやっと実感する。これが横須賀の男達を震え上がらせた操縦というものなのだと!

「デイブ大佐、今よ!」
『サンキュー、嬢ちゃん。そいつ、俺のロックオンどころじゃなくなったな! これで俺はフリー、このまま空母をいただきだ!』

 コリンズ大佐の嬉々とした声。レーダーに映っていた空母艦が赤く点滅。コリンズ大佐のロックオンで『ゲームオーバー』。
 そしてミセスのプレッシャーに負けたのか、ニアミスを起こした敵機が高度を下げて逃げていってしまった。

(嘘だろ。なんちゅー無茶するんだよ!?)

 この英太に『無茶』と言わせるパイロットが今ここに!

『お見事。ただいまの演習、レベル35――』

 終戦を告げる御園大佐の声に、英太はぎょっとした。
 ――レベル35? 確か、チェンジには現在50レベルまであると聞いている。その手前? 英太はまだレベル20までしか行っていない。まだ半分も――。
 それにこの人たちと一緒に乗っていた限り、今の演習……そんなに難しそうには思えなかった。そう体感できたのは、三人がそれをなんなくこなしていたということか。それに三人共、それほどの危機を招くことなく……。

(いや、ミセスは危機を招いていた。だが、自分のチャンスに変えていた!)

 しかもミラー大佐と飛んでいた時には彼と息を合わせるように、そしてコリンズ大佐を援護する時はあの人が変わったような思い切り。

「前半の『模範飛行』、これは今の私ならこう飛ぶというもの。だけれど、今のニアミス。それが現役時代、私が平気でやっていたことよ」

 後ろから聞こえてきたミセスの声に、英太は振り返る。
 ゴーグル越しに、彼女と目が合う。そんな彼女はどうしたことか英太を厳しく見下ろしていた。

「今の私は、この飛び方を最高とは思っていない。それは『許されない行為』でもあるのよ。それを敢えて今日はやったわ」

 何が言いたいのか――。
 だが彼女は最後はいつもの静かで冷ややかな眼差しに戻って呟いた。

「覚えておいて……。戦闘はゲームではないと……」

 なにかを英太に訴えるかのような眼差しだった。
 だが英太の手は震えていた。どれもこれも、今まで感じたことのない衝撃ばかりだった。細やかな操縦も。そして息の合わせ方も。そして『命知らずの援護』も――! 手どころか唇も振るえ、そして身体中から汗が噴き出してきた。そして胸には、なにか大きな感情が襲ってくるかのようなこの焦がすような気持ちはなんなのだろうか?

 そんな放心状態の英太をそのまま乗せ、ミセスの機体は無事に着艦をする。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「本日は有り難うございました。お陰様で良い研修の一環として彼にも参考になったと思います」

 チェンジでの『特別実習』が終わる。
 シミュレーション機から降りてきた三人に、御園大佐が丁寧に頭を下げた。
 もちろん、大佐の横に控えた英太も、深々と頭を下げ礼を述べた。

「とても良い参考になりました。我が儘を聞いて頂いて有り難うございます」

 頭を上げると大佐達はどこか楽しそうに微笑んでくれた。
 だがミセスは相変わらず。面談でもそうだったように冷ややかな表情を崩さずに英太を見ただけだった。

「では大佐方。私達はこれで。行きましょうか」

 そして彼女は切り方も冷たい。
 今日の実習についての感想も述べず、終わったらただ終わった。それだけの――。
 大佐達もミセスがそういうから、何も言わない。そのまま彼女と共に背を向けて、このシミュレーション室を出ていこうとしていた。

「どうだった。鈴木、満足か」
「は、はあ……」
「なんだ。まだなにかあるのか?」

 ここまで手配してくれた大佐としては、英太の反応は期待はずれだったようで、ちょっと困り果てている顔。

「なにが気に入らなかった」
「いえ。流石だと……。驚くばかりで」
「なんだ。驚きすぎたのか。そうか! だよな。俺はこの目であの飛行を甲板から見ていたんだ。恐ろしかったぞー」

 ここにも。在りし日のビーストームの飛行を『恐ろしかった』という男が一人。

 彼女は。あれを英太ぐらいの年齢の時、あの華奢な身体でやっていた。
 シミュレーションとは言え、あの操縦は確かに彼女の手に馴染んでいたものだった。あんなの咄嗟にできるものじゃない。あれを本当にやっていたから切り込めたんだ。
 英太の手に――。あの自由自在に、そして大胆不敵に操縦桿を操っていた動きが生々しく残っている。自分の操縦が、えらくおおざっぱで浅いものに感じた。そして身体に残っている衝撃、熱い焦がされそうな衝撃。

 英太の中で徐々に膨らむ新たな思い。

「待ってください!」

 その思いに駆られるまま、英太は御園大佐の横から駆けだしていた。
 シミュレーション室から出て行こうとしていたミセスが大佐達と振り返る。

「なにか」

 あれだけの無茶な飛行を、あんなに吠えて思いっきり飛んでいた同じ人間とは思えない平坦な顔の彼女。
 その彼女に英太は思いのまま飛びつくように目の前で叫んだ。

「俺と、俺と一緒に空を飛んでください!」

 当然。彼女の両脇にいる大佐達が唖然とした顔。
 シミュレーション実習にわざわざ足を運んで相手までしたのに、今度はミセス准将を本物の空に引っ張り出そうという英太の願望。

「こら、鈴木。やめないか!」

 御園大佐がやってきて、英太を背に追いやろうと腕をひっぱられた。
 だが英太はそれを振り払って、さらに御園准将にくらいつく。

「お願いだよ。葉月さん――。俺、あんたの飛行を側で感じてみたいんだ。そうしたらきっと……!」

 英太の素の声。その言葉遣いに、ミラー大佐の表情が強ばり、彼がミセスの前に立ちはだかった。

「鈴木、立場を弁えろ。ミセスはお前の側で親しくできる上官ではないぞ!」

 そして御園大佐が、それでも向かっていこうとする英太をなんとかなだめようと取り押さえる。

「そうだ、鈴木。彼女はもう引退して空を飛べないんだ」
「引退しただけだ! あれだけ飛べたらまだ飛べる。葉月さんと同世代の男でもまだ乗っている男はいる。ほんのちょっとで良いんだ。俺、あんたと飛びたい!」
「やめろ。准将はもう飛ばないんだ」

 御園大佐の声など英太には聞こえなかった。
 そして益々、怒りを露わにしたミラー大佐が英太に向かってくる。

「いい加減にしろ。ミセスはもうパイロットではない。お前ごとき、一パイロットの希望を今日は彼女は聞いてくれたんだぞ。飛べない彼女とたとえ疑似でも一緒に飛べる体感ができただろ」

 無理を言うな!

 ミラー大佐の声がシミュレーション室に響いた。

「あんたなら、准将なら、なんだって許可できるだろ! ホーネット一機、ほんの数十分でいいんだ。俺と飛んでくれよ!」

 まだ収まらない英太を、ついに諦めたように御園大佐が離してしまう。英太はその隙に、ついにミセス准将の元へ駆けよったのだが、やはり立ちはだかるミラー大佐の胸にドンと跳ね返される。

「いい加減にしろ。鈴木! 上官への非常識な行為、処分にするぞ!」

 空部隊のトップにいる男の怒声に、英太は少しばかり怯んで足を止めた。だが、あろうことか英太はそんなミラー大佐でも睨んでしまっていた。そんな若僧の目に一瞬驚きを見せる大佐の表情。

「もう、いいわ。ミラー大佐、どいて」
「しかし……。ミセス……」

 それでも彼女の綺麗な手先が柔らかにミラーの腕に触れると、彼がそれに負けたかのようにすっと横にのいてしまった。
 やっとミセスと向き合えた英太は、立場も忘れて彼女の両肩をがっしりと握りしめてしまっていた。

「葉月さん。俺と飛んでくれよ」

 あの非常階段で会ったお姉さんに懇願する気持ち。
 あの貴女なら、きっと俺の今の気持ちを分かってくれる。俺はミセス准将じゃなくて、あの階段で会ったあんたに頼んでいるんだ!

 だが彼女の目はやはり冷ややかで、表情がない。
 あの階段で見せてくれたような顔でも眼差しでもなかった。でもその唇が英太にそっと囁く。

「鈴木君。私はもう飛ばないのよ」
「どうして、やめたんだよ。あれだけ飛べたら――」
「辞めたものは辞めたもの。きっぱりと気持ちの整理をつけたから、もう飛ばないの。そういうケジメをつけたのよ。周りの人々に見守ってもらいながらね」

 でも! 英太が食い下がっても、彼女は首を振る。
 そして彼女が英太が一番納得できないことを呟いた。

「もう飛べない。私には子供がいるから」

 英太は固まった。
 それが、引退した理由?
 子供がいても飛んでいる男は沢山いる。
 でもミセスにはそれが理由? 子供がいたって彼女なら空を飛べていたはずだ!

 つまり彼女も『女』ってことか……。

 落胆した英太の手から力が抜けていく。
 その隙に、葉月さんは英太の手をそっと肩から除けて、大佐達の元へ戻ってしまった。

『行きましょう』

 彼女が去っていく。

 茫然としてる英太を置いて。
 そんな英太の横に御園大佐が寄り添ってくれた。彼はそっと肩を叩くと呟いた。

「彼女も女だと忘れるな」

 だが英太はそんな御園大佐の手を振り払う。
 むすっとした顔の英太を見て、御園大佐は致し方ないように笑っていた。それも英太の気持ちを見透かしたようにして、彼もそのまま英太から離れ、チェンジへと戻っていく。

 なにが女だ。
 あれは女じゃない。確かにプロのパイロットだった。
 あれだけの実力があって、『女』を最後には選んだ?

 なんだか許せない自分がいた。

 

 

 

Update/2008.8.12
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