-- 蒼い月の秘密 --

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20.セクション3

 

 久しぶりの横須賀は、変わらず青い波間に輝いていた。
 だが英太にとっては、もう過去の青色。目が小笠原のマリンブルー色をした明るい青色に慣れてしまったのだと知ることに……。

准将一行と共に、フライト雷神とフライト・ビーストームも横須賀入りをする。

「華子、俺――」
『英太、待っていたよ!』

 外部とのコンタクトを禁じられる前に、英太は幼馴染みの華子に連絡をした。
 久しぶりの連絡に、華子の元気な声が英太の耳に響き渡った。

「春美、どうだよ」
『うん。もうすぐ入院だけど、大丈夫みたい。でもだからってはるちゃんは大丈夫だと安心はせず、気を付けてはいるよ。でもね。はるちゃん、英太が頑張っているから自分も頑張るって。そうじゃないと、辞めて戻ってきてしまうから、あの子が戻ってこないように頑張るんだって』
「そっか……」

 そんな叔母の気持ちを知っては、英太も後戻りは出来ない。

『そっちはどう? 新しい戦闘機には慣れたの』
「ああ、なんとかな」
『だよね。英太が乗りこなせない戦闘機なんかないよね!』

 ほんの少し胸が痛み、英太は苦笑い。
 始めのうちは『俺なら直ぐに乗りこなせる』と思い込んでいた。でも、ちっとも乗りこなせない日があった。それを思うと、以前のように思い切ったことを幼馴染みにも言えない。

『どうしたの。元気ないじゃない』
「そ、そうか?」
『いじめられている様子はないみたいで安心したけれど――』
「あーうん。なんていうか、同じフライトの先輩達は今までとは格が違う人たちなのか、それともあれが准将配下の男達の特徴って言うかー。みーんな、だんまりで逆に恐ろしいくらいだ」
『そういうことなの? えっとね。私が英太はいじめられていないと思ったのは、英太を受け持ってくれた工学科の教官とかいう人が良さそうな人だったから……』
「はあ? お前、なんで俺の研修が工学科だって知っているんだよ!」 

 御園大佐のことは『今まで出会った上官とは違う男』と、叔母の春美にも華子にも話した。だが、その大佐が『工学科の大佐』と話した覚えはない。だから、英太はその一言が幼馴染みの口から出て仰天した。

『えっとね。はるちゃんに連絡があったみたい』
「大佐から!?」
『ううん。工学科科長室だったかな? そこの吉田さんっていう女の人からだって。はるちゃんもびっくりしていた』
「小夜さんから!? な、なんて……」

 ますます、どういうことなのかと英太は当惑した。

『はるちゃん、凄く安心していたよ』
「だから、なんて連絡だったんだよ」
『家族個人でのコンタクトは皆無になるけれど、なにかあればいつでも工学科科長室に連絡してくれたら、工学科科長の大佐さんがなんとでもする努力はしてくれるって……。連絡できる内容に制限があるから絶対に連絡が取れるとは約束しかねるけどってね』

 英太は絶句した……。
 たった一人の肉親である甥が連絡も取れなくなる任務に旅立ち、これから闘病生活に突入する叔母が残される。その状況を案じた御園大佐の密かな気遣い。

「サンキュ、華子。知らないで出かけるところだった……」
『ううん。きっと春ちゃんに連絡しても教えてくれると思うよ。大佐に御礼を言っておいてねって、きっと言うよ』
「いや、もう……帰ってくるまで会うことないな」
『じゃあ、帰ってから言えばいいじゃん、ね。私もそうして欲しいよ。はるちゃん同様に私も工学科の大佐さんに任せていれば安心だって思えたんだ。だから今回の英太はいじめられていないと思ったんだ』
「そっか。うん、帰ったら礼を言っておく……」

 幼馴染みとの連絡をした後、叔母の春美にも連絡したが、こちらは繋がらなかった。
 タイムリミットが来て、英太は携帯電話を規則に従って『管理班』に手渡した。これで帰還するまでは艦長の手元で管理されることになる。

 出かける前、その大佐に食ってかかったことを英太は後悔していた。
 あのおじさん……。こんな事を、英太に言わずにしてくれていた。なのに、俺は単純に思いついたことで、彼の懐に力一杯にぶつかるだけで『なんにも考えていない』。俺はそんなガキなんだと痛感させられた。

 見つけなくてはいけない。
 本当に。大佐が言うとおりに。何故、英太が予備機とされたのか。

 それの答を見つけることも、そして予備機として何をすればいいのか、さらにそれを全うすることも。
 きっとそうした方が、一番の御礼になるのではないかと思ったのだ。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 連絡船にて、海上待機をしている任務艇に到着する。
 ミセス准将が引き連れてきたフライトと、そして御園准将が組織した艦長クルーが前任の横須賀大佐艦長クルーと交替をする。
 その引き継ぎの為のミーティングが艦内の会議室で執り行われていた。

 その間、単なるパイロットである英太は就寝をする部屋を決められる。
 幹部の一人として会議に参加している平井中佐の代わりに、同じ雷神の先輩が先頭になって連れて行ってくれる。『俺達はここだ』と割り当てられた部屋に辿り着いた。
 フライト雷神は二部屋。英太が入る部屋には、やっぱりあのフレディが。もう一部屋は平井中佐と、彼と同世代の中年先輩が使うとのこと。
 しかも二段ベッドの上と下をフレディと割り当てられた。

「俺、下が良いんだけど」

 冷めた声でフレディが言った。

「別に、俺はどっちでもいい」

 英太も淡泊に応えると、フレディからさっさとベッドに座った。
 彼は持ってきた鞄から文庫本を一冊、枕元に置いた。それを眺めていると、また冷めた顔をしているフレディと目があった。

「なにしているんだよ。そっちも早く上がって身の回りを整理しろよ」

 言われ。英太はそれもそうだと梯子を上がる。白いシーツの上段ベッドに辿り着くと、下から一言。

「無駄なこと、余分なことが一番嫌なんだ。覚えておいてくれ」
「オーライ」

 まあ、そう考えてくれているなら俺も気楽だよ――と、英太も思った。
 文句を言うのも喧嘩をするのも、彼にとっては『無駄で余計なこと』と言いたいのだろう? フレディを見てると、この雷神の男達を物語っているような気がした。
 彼のことだから、先輩達のスタンスに染まっているに違いない。
 どことなくむかつく一言だったが、英太もそこはするっと流してみた。

 だからと言って、直ぐに横になるわけにも行かない。
 これから『艦長クルー』『甲板クルー』『パイロットクルー』と、ミセス准将を筆頭としたミーティングがセクション別で順に行われる。
 英太の場合は『テストチーム』としてのミーティングがある。ミセスと宇佐美の佐々木女史を交えた『今後のテストについて』の話し合いだった。

 先日、手渡されたテストマニュアルをボストンバッグから取り出し、英太は上段のベッドでもう一度眺める。
 ちょっと下を見ると、フレディも同じようにテストマニュアルを眺めていた。

 彼も心積もりを着々と整えていると言ったところのようだ。
 しかも彼は『主機』を任命されている。彼が飛んだデーターが全て報告されるのだから、気合いも違うだろう。

 英太はまた溜め息をこぼした。

 飛んでもデーターにならないのに、なんで飛ばなくてはならないのだろうかと。
 大佐に言われた『答』がまだ分からない……。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「既に手渡されているマニュアルを開いて下さい」

 ようやっと『テストチーム』のミーティングが始まった。もう夕方に近かい時間からの開始だった。

「それと同時に、先程お配りした資料も共に確認していきたいと思います」

 キビキビとした女性の声。先日、アンコントロールを起こした英太のところに聴取に来た『佐々木奈々美』女史が進行をしていた。
 テストパイロットのフレディと英太。そしてこのパイロットの直属の上司である平井中佐。そして御園准将と、彼女といつも一緒のラングラー中佐。さらにいつも甲板では必ずミセスと共にしているダグラス少佐と彼が連れてきた空部隊の管理官数名……。これだけのメンバー。規模としては少ない人数。

「ちなみに、そちらの資料は秘密厳守。流出厳禁です。このテストチームのミーティング毎にお配りしますが終わりましたら回収しますので、メモも取らないでください」

 眼鏡をかけた小柄な女性。でもクールでエレガントな大人の女性だった。
 こんな見目の良い女性を、男だらけで閉塞的な任務職場によくミセスは連れてきたなと、英太は思った。それともミセス自身が女性で、このような男だらけの任務に家族と離れて出張することに慣れているから、容易く許可をしたのだろうか? そして佐々木女史も、『鉄の工科女』と言われているから、厭わなかったのだろうか。そんなことを思いながら、英太は『宇佐美重工とクロウズ社共同』のデーター資料を眺めた。
 どうやら過去のデーターをまとめた物のようだった。
(研修で見せてもらったものより、細かいな……)
 御園大佐の研修では、今までホワイトがどれだけの結果を叩き出したかと言うものを聞かされた。だが今回、佐々木女史が空母に持ち込んできたものは、どのパイロットがどれだけの記録を打ち出したか、までを公開させていた。日付もだいぶ前から。その頃は平井中佐のデーターが多い。知らないパイロットの名前もある。近年になると英太が最近覚えた雷神の先輩達の名前も……。そして最後にはフレディの名前も。
(やっぱり俺のは、ない)
 まだ雷神のパイロットだと認められていないから? 先日のアンコントロール時のデーターもなかった。
 あのアンコントロールが起きた為に、今回の航行でパトロール隊から外され、テストパイロットという任命を受けたはずなのに。
(あのデーターはないのかよ)
 まったくもって『俺の飛んでいる軌跡を消滅させられている』と感じた英太に、また出航前の『苛立ち』が蘇ったのだが……。

「ここには記していないデーターがあります」

 記していないデーターがある。この言葉に、英太は『まさか』と思った。
 佐々木女史が背後にあるホワイトボードに、なにやら『流通』を示すような図を描き始めている。

「セクション3、セクション2、セクション1。データーはこのように報告されていきます。ですが、ここ」

 描かれた三つの輪。そこに『1、2、3』とそれぞれナンバーを振っていたが、その中の『3』を彼女が黒マジックのペン先で指した。

「御園工学大佐の判断にて、こちらだけのデーターが存在しております」

 『まさか』と、英太はハッとした。
 『あの時の俺が打ち出したデーターは、そこにある』のではないかと――。

「ここでストックされるデーターこそが『漏洩厳禁』。なんのデーターをストックするかは、私達『工学チーム』で決めます。保管の責任はそちらのミセスと御園工学大佐、そして企業側では私佐々木が負いますが、今回のテストに参加されるここのスタッフにもそれを厳守していただきたいと思っています」

 その為の『誓約書』というものが、既に配られた資料に挟まれていた。
 佐々木女史の『サインを』という指示に誰もが従う。当然だった。これにサインをしなければ、この空母から降ろされることを意味し、以上に雷神からも、ミセスの配下からも外されるというリスクがあるということだったから、誰も文句も言わず拒否もせずにサインをした。

 このサインをしながら、英太はあることを思いだしていた。

(そうだ。チェンジの葉月さんの飛行データーも『バンク』していないと、御園大佐は言っていたな)

 でも英太は『絶対に記録している』と信じていた。
 それならば……? 今回のこのデーターを取るテストだって同じ事?

 佐々木女史は『セクション1、セクション2、セクション3』と『セクション名』を明記せずに、おおざっぱに説明しているようだが、明らかになにかをぼやかしているように英太には思えた。
 セクション3だけに残したいデーターがあるから、それを外に漏らすなと、誓いを立てるサインをするということは、この英太が居る『テストチーム』が『3』ということになる。

(ということは、2は軍、1が宇佐美やクロウズか?)

 テストデーターは、両方に報告はされる。
 なのに『3』=テストチームだけのデーターも取る?
 報告されないデーターは、何の為に?

 初日と言うことで、資料の数値を確認し、『現状』と『修正後に予想される数値』などを佐々木女史が示すことでミーティングは終了した。
 ダグラス少佐の手で資料が回収され、スタッフが席を立ち解散となる。
 ミセス准将とラングラー中佐は、真っ先にミーティング室を去っていった。
 相変わらず、彼女はこういうところでは、ひやんやりとした横顔で、隊員には軽々しい微笑みも見せないし言葉も発しない。旦那の前では、あーんな可愛い顔をするくせに、なにをお高くとまっているんだよと、英太は鼻白む。

 さて。そろそろ夕食の時間だ。艦内食はあまり良いものではないが、海の男達が海上で勤めている間の楽しみでもある。そんなことを考えながら、ミーティング室を出ようとしていたのだが。

「クライトン大尉、鈴木大尉。少しだけよろしいですか」

 佐々木女史に声をかけられ、フレディと共に立ち止まった。彼女の横には、護衛なのか、ミセス直属のハワード中尉が付き添っている。
 ミーティング室に戻り、今度は佐々木女史と向かい合ってフレディと座る。中尉は女史の背後で直立不動に。
 彼女がパイロット二人の前に、先程の資料を差し出した。

「率直な意見を聞かせて。今までのデーターを見て、どんなことを感じたか」

 その質問にも英太は眉をひそめた。
 思うところはあるが、それを言って『それもそうね』だなんて言ってくれるのだろうか。どうせ、下っ端パイロットの戯れ言など聞き入れてくれるはずもない。英太はまずそう思う。言ったところで毎度の『弁えない物言い』に取られるに決まっている。それにデーターに関しての分析に判断は製造側の仕事。彼女がいったいどのような答を欲しがっているのかが、不可解だった。
 隣のフレディはなにを思っているのかとチラと見ると、彼は馬鹿正直のような横顔で、資料を穴が空くほど眺めている。それを佐々木女史が気にした様子。

「どう。クライトン大尉。率直にどうぞ。私、無駄な駆け引きみたいなものは好きじゃないの」
「一緒ですね。自分もです」
「あら。気が合うわね。腹を割っていきましょうよ。造るのは私達だけれど、最終的に乗るのは貴方達だもの。そのパイロットの意見が欲しいわ」

 気さくな笑みを見せた女史に、フレディが『では』と身を乗り出す。

「自分はまだ乗り始めたばかりの新人ではありますが、それ以前より先輩達も感じていたことを気にしています」
「それは操縦性の軽さのことね」
「俊敏な反応と小回りの良さは、とても優れていると思います。ちょっとの操作で上手く動作する機体。いざという時、その俊敏さで難を逃れることも出来ると期待を持っています。ですが、それが人間の感覚の先を行きすぎては、どんなに優れていても台無しです。今現在、先輩達もかなり抑えた操縦で、旧型機を乗りこなしていた時ほどの全力は出していないと思います」

 それは英太も既に感じていた。抑えた力で訓練をしていることに、それでは『雷神』の本当の良さがまだ引き出されていないはずだと。

「なるほどね……」
「データーに関するコメントではなくて、申し訳ありません」

 妙に不敵な笑みを湛えながらも女史は『いいえ、充分よ』と、手帳にメモを取る。

「鈴木大尉は?」
「クライトンと同じことは感じていました。なにも分からずに初乗りをした時、だからアンコントロールを起こしたのかとも思っています」
「クライトン大尉と同意見ね」

 いや……と、英太は資料のデーターをざっと眺め、真向かって女史に告げる。

「それとは別に、前々から思っていたことですけど……」

 一時躊躇ったが、女史が手帳を眺めながらメモを取りながら『言って』と促したので英太は続けて言った。

「これだけの年数をかけて、これだけのデーター。進行が遅くありませんか」

 メモを取りながら下を向いていた彼女の表情が固まり、ペン先も止まった。
 そして隣のフレディが呆れた驚き顔で英太を見ていた……。

「言葉が過ぎないか」

 まったく真面目なフレディが厳しく指摘してきた。

「宇佐美のスタッフも彗星システムズのスタッフも、それにホワイトを初めて操縦したパイロットである平井中佐だって。慎重に確実に取ってきたデーターだぞ」

 ほほう、やっぱりアンタは『よい子ちゃん』ってワケかと、英太は白けた目を密かに細めた。
 だが英太も退く気はない。重工担当の佐々木女史が『率直な意見が欲しい』と言っているのだから。

「あの、データーを見て思ったのですが。今回『どのようになれば』そちらの製造側としては収穫になるんですか」
「私達『工学科、重工製造、ソフトシステム』のセクションで打ち出した『ここまでは大丈夫だろう』と予測している数値ギリギリまでを、新バージョンで試すことよ。それ以上の無駄な実績はいらない」
「ですが、自分は先日のアンコントロールを脱したことで、この既存データー以上の限界にまだ挑めると感じています。それこそが『新ヴァージョンでの収穫』であって、ホワイトの新たなる魅力に繋がると思います。そしてそれがさらに『フライト雷神』のネームバリューを向上させると思うのですが」

 佐々木女史が一瞬、驚いた顔を見せた。だが直ぐにいつものクールな彼女の様子に戻った。

「それ以上の数字は貴方達にとっても危険だし、私も首が飛ぶわ。なによりも今までこのホワイトに関わってきたスタッフにパイロットが積み重ねてきたものが無駄になるの。分かる? つまりホワイトは『造らなくても良い機体』と判断されるわけ」

 彼女の目が、英太の何かを探って見つけて制しているように思えた。そんな威圧感がある。
 つまり英太に、小笠原の研修でやったような『思い切りはやってほしくない』と言っているのだろう。
 そして見事に、隣のお利口さんも女史の言葉にうんうんと頷いている。だが、英太はまだまだ突っ込む。

「では、新ヴァージョンで予想した安全だというテストラインを早速見せて下さい」
「安全と示した範囲、今回の『安全規定』を守れるなら、明日までに出してあげるわ」
「そうして下さい」

 何故かそこで、女史が『ふふ』と満足そうに笑った気がしたが、彼女はすぐに冷めた口元を見せていた。

「では、明日から早速、テスト飛行を行いデーターを取ります。クライトン機で主に試します。鈴木大尉は明日は甲板で『控え』てもらいます」

 ――『控え』!
 ただでさせ、予備とされてもやもやしているのに、明日の甲板第一日目が『控え』!

「待って下さい、俺は――」
「大尉、従って頂けないなら、雷神の他のパイロットに替わってもらいますよ」

 ここでもだ。ここでも英太を押さえ込もうとしている人間が。
 あの、アンコントロールを引き起こした『危険パイロット』というレッテルを貼られたのだと思った。大事に慎重に進めてきたプロジェクトを台無しにする可能性があるパイロット。だから『予備』にした。だから明日は大事な新ヴァージョンの初テストには『飛ばさせない』。扱いにくいパイロットは休ませておけ――?

 英太の脳裏に、出発前の大佐の言葉が響いた。
 ――『俺なら、一年後に切る』。
 あの言葉、既に英太はその対象にされていると感じさせられた。だがもう、それは救いようのない状況に追い込まれているのではないか?

 でもここで、英太には御園大佐が言った他の言葉を思い出していた。
 ――もっと柔軟になれ。物事を直線的に捉えるな。
 ならば。今、ここで英太がその言葉に対してやるべきことは?

「わ、解りました。明日は甲板で……」

「それでは、明日、甲板で」

 なんとか納得した英太を見て、女史も話を締めくくろうとしていた。

 今度こそ、ミーティング室を出ようとマニュアル片手に立ち上がると、今度はフレディの一瞥の眼差し。
 何でもかんでもたてついては、上官とやり合う英太に呆れているのが分かる。そんな彼は『ペア』に見られたくないのか、さっさと先に出て行ってしまった。
 すると、それを見て可笑しかったのか、佐々木女史がくすくすと笑い始める。

「まるで正反対な二人みたいね。流石、葉月さん」

 葉月さんの名が出たので、英太はそのまま立ち止まってしまった。

「貴方もね。いい加減、その突進的な性格のベクトルを変えた方が良いわよ」
「ベクトル? ですか」
「そうよ。今のところ、貴方にとってマイナスになる方向性だけみたいね」

 リストラ対象にされていることを感じているだけに、英太は何も言い返せなかった。

「貴方、御園大佐直々にご指導してもらったのでしょう」
「はい……」
「だったら。大佐に恥をかかせない事ね。それとも、彼に恥をかかせたくて、横須賀にいた頃と変わらない貴方を貫き通しているの? まあ、そのままだったら貴方が雷神を去る日は早そうね」

 まただ。ここでも……。このシビアそうな女史も『今のままでは雷神には居られない』と言う。

「俺、大佐に恥をかかそうだなんて思っていないですよ。むしろ……」
「あら、それを聞いて安心したわ。とにかく。明日は甲板で『葉月さん』の傍で、クライトン大尉が飛ぶのを見ている事ね。それから、貴方が先程私に質問した『安全規定のデーター』、明日必ず渡すから。なにも飛ぶなとは言っていないのよ」
「では、明後日には飛べるのですか」
「クライトン大尉次第ね――。明日の飛行で出た記録を見て考えるわ」

 それってどんな基準で決められるんだよと言いたかったが、これ以上つっかかってもまた大佐に『直線的』と言われたままに。
 それにこれ以上、この女史に追求をしても、今は『甲板にいろ』というのが英太にとっての第一にするべき事だと譲りそうもない。

「分かりました。明日は甲板で控えます」

 そう言うと、女史がにっこりと微笑みながら、英太の背を叩いた。
 だが、そんな女史がそっと英太に顔を近づけて言った。

「よく考えて。予備のデーターは、何処にも存在しない。存在しないデーターを貴方は打ち出すのよ。素敵じゃない」

 どこにも報告もされない、飛んでも意味がないのに『素敵』だと? 英太はまた憤りを感じたのだが、また女史が不敵な笑みを浮かべ言った。

「そう。貴方のアンコントロール時のデーターのようにね。あれ、御園大佐の手元で厳重保管されているのよ。存在していないのにね……」

 なにかびりっとした感触が、英太の中を走っていった。
 一瞬呆けていると、気が付いた時には、女史はもうミーティング室を出ていくところだった。

「あの、佐々木女史。待って下さい」

 だが、彼女は肩越しに手を振るだけで立ち止まってはくれなかった。護衛の中尉と共に去っていく。
 ――『規定はどこまでだなんて、そこまで突っ込んできてくれて期待通りよ』。

 『もしかして』と英太にも思い浮かぶことが。
 しかし、それが正解かどうかも分からない。もしそうであるなら……。
 もしそうであっても、それはかなり曖昧で、きっと確固たる姿を彼女達は見せないだろうと思った。
 ……さて、どう確かめるべきか。そして俺がどうすればいいのか。

 

 

 

 

Update/2009.8.20
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