-- 蒼い月の秘密 --

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21.貴女は遠い

 

 野郎ばかりの艦内での夕べは、騒々しい。
 食事も入浴も慌ただしい。入浴だって日数割りで、この日が搭乗日だった英太達は風呂無しの晩になった。
 交代制で就寝をする。英太が眠る部屋も、野郎ばかり。しかも慣れ親しんでいない静かな先輩達と一緒だった。

 どんな時も彼等は静かだった。時たま親しい先輩二人がひそひそと話しているぐらい。その声も大きくはない。
 フレディは決まって大人しく過ごしている。英太が上段のベッドで横になっていると、下から本のページをめくる音が聞こえてくる。

 灯りが消え、消灯ともなると、クールな男達の部屋はさらに静まり返った。
 各ベッドには手元を照らすスタンドがある。まだ起きていたい者はそれを灯りにする。
 英太は早速横になり暗くしていたが、フレディは明かりを灯し、まだ読書をしていた。他にも何かものを書く先輩も、読書をしている先輩もいた。

 英太はなにもしない。
 いつもそうだった。
 夜になったら寝る。そして嫌な夢を見ないことを祈る。
 特に――。過ぎた日のことを。ずっと前の日のことを。
 だから眠る前、英太はいつも目をつむって青空を思い描く、コックピットを思い描く。甲板のカタパルトを思い描く。そして操縦桿を思い描く……。すると、いつも何かを忘れるほどに自分をぶつけられる空がある。機体を、高度を、フラップを……。それが英太の眠る方法、就寝前の儀式みたいなものだった。

 艦内のエンジン音、甲板でまだ作業をしている音。
 今夜はスクランブルはあるだろうか。あると夜中でも騒がしくなる。当直でなくとも落ち着かなくなる。
 そんな、海上に出た時に感じる夜の気配があった。

 やがて夜の気配の狭間に、『ボゥ、ボゥ……』と聞き慣れない音が混ざって聞こえてきたため、英太はそっと目を開ける。

「始まったな」

 窓辺にいる先輩が、ぽつりと呟いた声。
 また。『ボゥ、ボゥ』と船の汽笛にも似た低い音が続けて聞こえた。
 少しだけ起きあがると、大人しく読書をしていたフレディもベッドから起きあがっていた。

「これが噂の……? フロリダでも有名だった」

 静かに呟いたフレディに、先輩が『ああ、そうだ』と返事をした。

  『噂』? この音の『噂』ってなんだと英太は首を傾げた。だが、フレディはどこか嬉しそうな顔をしていた。

 ボゥ、ボゥ。まだ『噂の音』は鳴りやまない。
 いつまでも続きそうなので、英太はベッドの下へと顔を出して、フレディに尋ねる。

「噂ってなんだよ」

 フレディと目が合う。相変わらず彼は、英太を小馬鹿にしたような顔。

「本当に何も知らないんだな。飛ぶこと以外になんにも興味がないんだな」

 フクロウが鳴くような音はまだ続いている。なにかの楽器だとやっと分かった。その楽器が何かも。

「ヴァイオリン? こんな空母で?」

 そして、フレディが何処か自分のことのように得意げな顔で言った。

「知らないのか。准将の、ヴァイオリンだ」

 葉月さんのヴァイオリン!?
 驚きと同時に、ついに音階を刻み始めた音色が、軽やかに海上の星を波間をすり抜けるように流れ出す。

「初日の緊張がほぐれる音だ……」

 またまたフレディ君の『よいしょ』が始まったなと、英太は密かに鼻で笑う。
 英太は再び、ベッドに寝ころんだ。

 何の曲だろうか。
 この楽器、あの人の趣味? 
 パイロットだったくせに。どうしてヴァイオリンが弾けるんだよ。

 やがて英太は『うっかり』まどろんでいたことに気が付き、一瞬我に返って目を覚ましたが、耳に届くその音は聞き慣れた波のように滑らかで柔らかで……。とうとう、その音で英太は眠りに落ちていた。
 先輩達がフレディがいつまで窓を開けて聞いていたかも、そして葉月さんがいつまで何の曲を弾いていたかも分からないままに。
 それは思いがけず心地の良いものだった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 夏の航行など、引き受けるもんじゃないと英太は思った。
 北緯は上がれど、夏は夏。甲板の照り返しは、容赦ない。しかもパイロットが半袖という軽装をすることもない。指揮官が陣取っている通信機の前、英太は滲む額の汗を拭った。

 だがそれはパイロットだけではない。ここにいる、甲板にいる誰もが、甲板要員にメンテナンサー、そして英太の隣にいる最高指揮官のミセス准将も。

「いいわよ、サンダーX。今朝の打ち合わせ通りに、基礎飛行から始めてちょうだい」

 無線ヘッドホンのマイクを唇に引き寄せ、いつもの冷たい声がすぐ傍に。
 佐々木女史に告げられた通りに、英太は本当に葉月さんの隣に据え置かれた。
 朝一番に、フレディを乗せた新バージョンの一号機が空へと飛び立った。東北近海を北上する空は、小笠原と色は違えど、冷たく透き通っていた。
 なのに、傍にいるミセスの額にも汗。サングラスをかけている横顔は、いつも通りにひんやりとして見えるのに、間近に見るとこの人も『暑さを感じるんだな』と、妙な親近感を覚えた。

「クリストファー、お願いね」
「イエス、マム」

 ミセスの目の前にある通信機。その横には数台のノートパソコンが繋げられていて、いつも訓練に付き添っているダグラス少佐が慌ただしく操作を始める。
 それを見守るようにしている私服姿の佐々木女史もいる。彼女はダグラス少佐と共に、画面に釘付けだった。

「GO」

 淡々としたミセスの指示を、英太はただ傍で見ていた。
 空には真っ白な飛行機、それが大きく旋回すると部下を従えてパソコンを統括しているダグラス少佐の指示が飛ぶ。彼が連れてきた空軍管理官の青年達も集中した横顔を揃えてモニターに向かう。
 だが、葉月さんは空を見ていた。そんな数値は皆無とばかりに、フレディが乗っているホワイトを見上げている。

 横顔に表情はない。滲んでいる汗が少しだけきらめき、そしてサングラスの隙間から見えた茶色の睫が時折ぱちりぱちりと動くだけ。

「どう、奈々美さん」
「まだまだ、既存範囲内よ」

 キャリアウーマンと呼ぶに相応しい女性二人のやりとりも、淡々としていた。
 だがそこで葉月さんは溜め息をこぼし、通信機にあるカメラ画像を見ていた。

「範囲内ねえ」

 意味深なことを呟き、また溜め息。
 だが英太にはそのたった一言で、心の中に『いま直ぐに上申したい言葉』が浮かんだ。
 そうだよ。そんなとろとろやっていないで、俺がアンコントロールを越したような馬鹿みたいな操縦に『チャレンジ』しなくちゃいけないんだよ――と。
 だがそれをいつものように『直線的』に言っては、『今まで通り』であることを英太はここ最近、痛感している。だから、今回はぐっと押し黙ることに専念した。

 なのに。気が付くと、傍にいた葉月さんがニヤリと英太を見ていたのだ。

「あら。ここで何か言いたそうな人が何も言わないだなんてね」

 毎度、ストレートに御園夫妻の懐にぶつかってきた英太。直ぐに考えていることを見抜かれてしまったのが分かって、頬が熱くなるのが分かった。

「べ、べつに。なんにも言いたい事なんてありませんよ」
「あら、そう? だったら何故、口を尖らせていたの」

 自分の唇を尖らせた葉月さんが、それを指先でつついてみせた。それを見て、英太自身がそんな顔をして尚かつ彼女にそんな顔を見られていたのだと知って、さらに頬を熱くしてしまった。しかも『こーんな顔しちゃってどうしちゃったの英君』と春美叔母に子供扱いにされて、からかわられている様な錯覚に陥ったから、余計に恥ずかしく感じてしまったではないか。

「言葉は出なくても、心はもの凄く文句を言っているみたいね」

 それも大正解で、英太は益々硬直した。
 だが、葉月さんは直ぐにいつものミセス准将の冷めた横顔になって、再び空を見上げる。

「とりあえず。暫く、そうして私の傍にいて見ていなさい」

 冷めた顔に戻ったが、空飛ぶ白い飛行機を見た彼女の口元が僅かに緩んでいる。
 その僅かでも、冷めた横顔から滲み出る微笑みが、何処か計り知れない含みを持っているようで不敵というか、逆に英太には不気味にさえ感じる。
 きっとこんな時、この人はあの夫の御園大佐も悔しがるような何かを秘めているのだと――。ようやっとこの女性の真横に来て、眺めているうちに、英太はそう感じ取ることが出来たのだが。

「俺、本当にこの航行に来る意味があったのですか」

 やはり彼女にも、『予備機』である疑問を先ずぶつけてしまっていた。
 だけれど、彼女は変わらずに微笑んだまま空を見つめているだけ――。
 この人からも、明確な答は返ってこない。どの上官もそう。だからもう英太も諦めた。御園大佐が言ったように、自分で探さなくてはいけないことなのだと。そう思ったのだが。

「貴方とフレディに差があったとしても、たいしたものではないわ。『今なら』ね。その上で、自分が何をすべきか見つけてくれたら助かるわねー」
「もし、見つけられなかったら」

 俺なら一年後には切る。
 そのままだったら貴方が雷神を去る日は早そうね。

 大佐と女史の言葉が蘇った。
 変わらなければ、鈴木というパイロットに明日はないとばかりの忠告を――。

「大丈夫。貴方はきっと見つけるわよ」

 はっとして彼女を見た。サングラスの奥に透けて見える眼も口元も笑ってはいないが、葉月さんは英太を真っ直ぐに見てくれている。

「私がそうだったんだから、貴方も見つける。そうあって欲しいと思っているのよ」

 そう信じているとでも言ってくれそうな雰囲気に、英太は硬直した。
 なにを根拠にそう言ってくれるのか。他のシビアな大人の意見とは少し違う視点で彼女が言い切っている気がした。

「でも、少し『静かに待つ』こと、そうして『周りを観察する』ことをやって欲しいのよね。だから、そこに座りなさい」

 テッド、私とこの子の椅子を持ってきて――。
 彼女の指示で、後ろに控えていたラングラー中佐とハワード中尉が揃って折りたたみのディレクターズチェアを持ってきた。
 葉月さんが座った横に、下っ端パイロットであるだけの英太の椅子も、彼等は当たり前のようにセットしてくれる。
 こんなことってあるか? この艦で最高司令官である彼女の真横に座らせてもらえるだなんて!? しかも周りの誰もがそれを気にしていない。ラングラー中佐は側近として彼女に意見をしなかったし、ダグラス少佐も既にデーターを取るのに部下の青年達と慌ただしいし、佐々木女史も我関せずの顔。
 でもこれ。ちょっと凄い光景じゃないかと、英太だけが妙に緊張していた。これって新しいテスト飛行機で空を飛んでいるのと同じぐらいの……。フレディが見たら、逆にこっちを望むのではないかとさえ。

「見て。フレディの飛び方をよく観察するのよ」
「は、はい」
「クリストファー、上がってきたデーターをこっちに頂戴」

 『ラジャー』という声と共に、あっという間に指示通り、データー採取組の青年がミセスにプリントを持ってきた。

「英太。貴方は目の前のカメラ映像とレーダーを見ていなさい」
「イ、イエス。マム……」

 『英太』と、呼ばれた?
 益々、身体が硬くなった。

 だがそれっきり。葉月さんは再びミセス准将の横顔に固まってしまい、英太の隣で黙々と赤ペンで何かを記るすことに集中してしまった。

 訳が分からず、英太は言われたとおりに、フレディの腕が映っているコックピットとレーダーを見ているだけだった。

 じっとしていても、やっと着られた白い飛行服の身体が蒸されてくる。英太も汗を滲ませる。
 横にいる彼女も額だけではなく、首筋にも汗を光らせているのを英太は見つける。まだ日に焼けていない、白くて細い首。英太の鼻先に、初めて出会った時の匂いが。そして昨夜のヴァイオリンの音が微かに聞こえた気がした。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 『ボウ、ボウ』。その日の晩も、就寝時間になった頃、ヴァイオリンの音が聞こえてきた。
 初日の晩と同じように、低い音から調子を整えているようだった。
 英太はただ、目をつむってベッドに横になる。だが、下段にいるフレディは起きあがった気配。そっと下を覗くと、彼はベッドの縁に腰をかけ、窓辺をじっと見つめている。そして今宵も、窓際にいる先輩が丸窓を開ける。すると『ボウ』という音色が、より近くに聞こえた。

「リクエストとか受け付けていないのですか」

 フレディの質問に先輩二人は。

「さあな。ミセスは気まぐれらしいからな。実際に何を考えているか解りにくい人だし」
「雷神のパイロットとしてミセスとは一番近しいはずの俺達だって、そう容易くリクエスト出来るような雰囲気じゃないだろ」

 『あの女性は、とっつきにくい冷たい人』と言うことらしい。
 そうかな。と、英太は一瞬思ってしまった。でも英太だってそうだった。彼女が目の前にいる気がしても、なかなか近づいていけない遠い人のように思うことが多いのだから。
 そしてフレディも『そうですよね』と、分かり切っていたが微かな希望も打ち消されてしまったかのように俯いている。
 英太は馬鹿らしくなって、再び、ひっそりと横になり眠る体勢に。

 『ボウ、ボウ』――。
 今夜もそれは、柔らかに英太の耳に入ってきた。
 なんの曲かだなんて、興味はない。今夜も、夜の気配に紛れた調律の音色だけで眠れそうに思えた。実際に、彼女が今夜何を弾いたか、次の朝には覚えていなかったのだから。

 

 パイロットとしてコックピットにいられない日は辛いもの。少なくとも英太の場合はそうだ。
 それでも第一日目だからと我慢できたし、今まで目の前にいるのにちっとも傍にいる気がしなかったミセス准将の隣にいられたことで、ここ数日も気が紛れた。

 そうして四日目を迎えた。
 英太が恐れていたとおりに、ただ通信機の前でフレディの飛行を眺めているだけの日々を送らされていた。
 流石の英太も、今回は自身でも『我慢している』と思っている。隣の彼女も三日目を迎えても淡々としていた。

 だが昨日の三日目になって、テストに関しては変化したことがある。
 それはフレディのテスト飛行が、かなり激しいものになってきたことだった。
 テスト飛行はあらゆる飛び方を要求される。様々な操作にシステムが作動するか、機体に変化はないか。それを物理的に実験しているようなものだった。

「まだ、そのままの状態を維持して飛び続けて欲しいわ。葉月さん、フレディはまだ大丈夫かしら」

 こちら佐々木女史も毎日、モニターと対決しているかのように数値とにらめっこをしている。
 そして彼女の要望を、ミセス准将を通して、パイロットに伝えてもらう。それも淡々としていた。そしてミセスも『サンダーX、そのままよ。大丈夫ね』と淡々と伝える。
 だが、英太はこの日からハラハラし始めていた。

『大丈夫、で、す……。まだ、いけます』

 英太もインカムヘッドホンを頭に付けていたが、そんなフレディの苦しそうな声が聞こえてきた。
 同じパイロット。英太には分かるのだ。カメラ画面から見えるコックピットの状態など見なくても、いまミセスと女史が試している『実験』がどのようなものか。飛行体勢に、位置している高度、操縦。空にいるフレディがそれをどのような状態でこなしているか。
 彼の息切れる声に、ホワイトでやれることの限界と、パイロット自身の限界が目の前に来ていることを察知する。

「葉月さん、もうそろそろ良いわ。これ以上は」
「結果はどうなの」
「まあ、とりあえずOKというところ。安全規定としても充分な結果よ」
「そう?」
「……もう、いいわ。ここまでで」

 ミセスと女史の会話に、英太は妙な違和感を持った。
 二人は『これで良し』としようとしているのに、何処か割り切れない未練を持っているかのような……。

「サンダーX、そこまで。水平飛行に戻りなさい」
『ラジャー』

 指示通りに、英太が見ているカメラ画面のコックピットが水平に戻った。英太もどうしてかほっと緊張が解ける感触。そこは同じパイロット。気が合わない男でも、同じような気持ちになれるのだ。

「もう良いでしょう。とりあえず、着艦しなさい」
『イエス、マム』

 朝から、ギリギリを目指すテスト飛行を続けていた為、フレディを休憩させるようだった。
 そこで英太は立ち上がり、傍にいる葉月さんに向かった。

「クライトンはかなり疲れていると思います。俺、いつでも行けますけど……」

 疲れた彼の代わりに、自分がいつでも交替できる。そんな意味で言った。
 だが、葉月さんの顔はいつも通りと何ら変化することなく、冷たく英太を見ている。

「まだよ。一休みさせたら、またフレディに行ってもらうわ」
「どうしてですか! 同じパイロットだから彼が今どれだけキツイか。それに俺は何の為の予備……」

 まだ自分が『何の為の予備であるか』、明確に答が見えていない英太は、そこで口をつぐんでしまう。
 『予備』と口にする度に、御園大佐の『直線的になるな』という言葉もセットになって浮かんでくる。
 だが、心の中ではいつものストレートな言葉が飛び交っている。

 どうしてなんだよ。こんな時こその『予備機』ではないのか。
 やっと着られたこの白い飛行服に毎日毎日、コックピットに搭乗する装備を装着しているのも『いつ飛んでも良い為に』ではないのか。なのに昼過ぎにはコックピットに繋げることもなく脱着するだけ。
 フレディがボロボロになるまで使って、それからやっと俺が空に出る。その為の『予備なのか』。
 俺がうっすらとイメージしている『予備』とはどんどんかけ離れていくこの状況は、もう我慢できない!

 それを目の前の冷たい目をした無表情な女に言い放ちたい。
 だが湿った潮風に佇む冷徹な女と英太の間に、あの眼鏡の大佐がすうっと現れるのだ。
 ――『お前、それでいいのか』。それがお前が見つけた答なのか。彼が英太に問う。ここにいないのに、蒸した夏風の中、彼の黒い目が妻より輝いて英太を射抜く。

「座りなさい」

 その男の背後から、今度は妻がすうっと現れると、ひんやりとした風が静かに吹くようだった。
 そして彼女の眼差しが、サングラスの奥から夫同様に鋭く射抜いていた。
 この時、英太は初めて思った。この人、表情はないけれど、目に表情があると――。今がそれだった。全体を見れば、いつもの冷たい様子は変わらないが、目だけ見るとその威嚇はいつも以上に絶大。英太はその目で固まった。
 それは夫の眼差しとは異なる感触でも、彼に劣ることもない威圧感あるものだった。

「……分かりました」

 不本意ではあるが、拳を握りしめながら英太は椅子に座った。

 ――サンダーXが着艦しました。
 ダグラス少佐の報告を耳にして、ミセス准将が静かに指示を出す。

「テストチームは休憩、ただ一時間後にはここに再集合。メンテナンサーはサンダーXの整備チェックを……」
―― イエス、マム。

 各所からの声が届く頃、フレディがコックピットから降りてこちらに向かってくるのが見えた。
 やがて白い飛行服のフレディが、待っていたミセス准将の目の前で敬礼をする。

「只今、戻りました」
「ご苦労様」

 葉月さんも敬礼を返す。
 だが、フレディが疲れ切っているのは一目瞭然だった。

「一時間後にテストを再開。それまでX機のメンテナンスをしておきます。貴方も再飛行までゆっくり休みなさい」
「分かりました」

 フレディの迎え入れが終わると、ミセスは佐々木女史とダグラス少佐があれこれと話している輪の中へと行ってしまった。
 英太は『座っていなさい』と言われたきり、本当にそれっきり身体が動かないぐらいに、どう動けばいいか分からずそのままそこにいるしかできず、フレディはフレディでぐったりとした様子で傍にあるパイロットがスクランブルで控える詰め所へと向かっていく。それを肩越しに眺め、英太の身体もやっと動いた。

 詰め所ではビーストームのパイロット達が今から訓練をする為のミーティングを、コリンズ大佐の配下で行っていた。
 その邪魔にならないよう、フレディが部屋の片隅にひっそりと腰をかけるのを英太は見る。そこへと自分も息を潜め、側に寄った。

「おい、大丈夫かよ」

 それとなく隣の椅子に座ると、ぐったりと項垂れていたフレディがちらりと英太を見た。

「なんとかな」

 気が合わない男、そして英太のストレートすぎる性分を小馬鹿にしている男だと分かっていたが、それでも彼は英太に答えてくれた。

「キツイならキツイと言ったらどうだよ。俺が交替するし。それともそれを言いだすのが嫌なのか」
「お前、ほんっとう嫌な言い方するな。それって俺にギブアップしろと勧めているのか?」
「そんなんじゃねーよっ。そうじゃないだろ、いいのかよ、このままで。このまま四日目でボロボロにされて俺と交替だなんて、そっちの方が嫌だろ!」
「これ以上飛べないと、お前ならミセスに言い出せるのかよ。あのミセスに、『俺はここまでのパイロットだ、男だ』と言いだすようなもんだろ。彼女はあの身体でコリンズ大佐とタメ張って飛んでいた女だぞ。その女に『もっとここまでやって欲しい』と言われているのに、『俺はここまで、これ以上は無理です』と言えるのかよ」

 そう睨まれ、英太も男としてもパイロットとしても妙に頷けてしまったので、そこで黙ってしまった。だが、フレディの勢いもそこまでだったのか、また彼がぐったりと戦意喪失をしたかのように項垂れる。

「本当に何を考えているか解らない人だ。あの准将は……」

 尊敬はしていても、憧れても。でも彼女は『遠い人』だと、フレディも感じてるようだった。

 そして、あのミセス准将の思惑を上手く立ち回ることなど『俺達』にはまだ、できるはずもなく。

 

 

 

Update/2009.8.21

 

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