艦のクルーが紺色の訓練着を着ているの対して、海東司令と御園大佐は基地でそうであるように白いシャツに黒い肩章の制服姿。潮風に黒いネクタイを翻した姿でそこにいる。
「司令、どうして艦長代理などが必要なのですか」
珍しくミセス准将が海東司令に真向かう。でも司令はやはりやんわりと微笑むだけ。
「私が判断したことだが、それに意見をするのだね。御園准将」
「いえ……。そういうわけではございません」
海東司令が切羽詰まっている時でさえ淡々としているミセス准将が、今日は狼狽えている。
「ですが、代理が必要になる状況であるとのご判断は従いますが、その代理がどうして御園大佐……いえ、わたくしの夫なのですか」
「ここに、君の夫とかいう男がいるんだ」
平然と言いきった男の笑みが、心優には怖く見えてきた。
「夫という男と仕事をしてきたのだね、貴女は」
こんな時に、この若い司令は、時には敵わないミセス准将の上に立つ。あのミセス准将の表情が固まった。
「いえ……。夫など、ここには……おりません。失礼いたしました」
「まあ、急遽決めなくてはならなかったので、驚かせてすまなかった。私自身、御園大佐が適任としか思い浮かばなかったんだよ。彼には調査団とは別の角度からの聴取を頼むことにしている。このようなことが立て続けに起きたので、いままでの体勢で良しとは上にも報告はしづらいので、補強をすることにした。総司令総監も承知した上での任命なので『夫だから』というわけでもない」
まだ少し、納得できない様子のミセス准将だったが、一時海東司令の眼差しをじっと見つめた後、すっと引き下がってやっと敬礼をした。
「承知いたしました、司令殿。『澤村』を本日より指令部にて受け入れさせて頂きます」
「うん、頼んだよ。では、早速、おおまかな報告を艦長室で聞かせてくれ。その後、不審者を確認する」
「イエッサー」
ミセス准将が『イエッサー』と言うなんて……。いまこの艦の長は海東司令になってしまった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
艦長室の艦長デスク。その椅子に、若白髪の男が当たり前のように座った。その両脇に、彼の秘書官と護衛官が控えた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
ふっと、見えたのは鉄の天井に、白い雲と青空の丸窓。
慣れてきた小部屋の……。
心優はハッとして起きあがる。でも、誰かに肩を押さえられて、すぐに寝かされた。
やっと気が確かになると、自分の小部屋、ベッドに横になっている。
「はじめてのくせに、無茶したな」
ベッドの横から男の声がして見上げると、そこに金髪の彼がいた。
「シド!」
「ちっちゃな傷だけどさ、深さがあったみたいだから甘く見ない方がいい。おまえ、熱だしているんだぞ」
嘘。心優はびっくりして額に手を当てた。
「身体が必死になって傷を治そうと熱くなっている段階だな。それにおまえさ、昨夜、奥さんと一緒で眠っていないだろう。痛み止めだって飲んだだけで辛くなるのに、頑張りすぎだ」
それでも心優は慌てて起きあがる。
「やだ。わたし……。艦長についていきたかったのに。わたししかいないのに! あんな狂暴な男のところに行くんだよ。危ないんだから!」
「わかったから。落ちつけって」
水色の目が心優を窘めるように険しく見据え、また彼の長い逞しい腕に肩を押されて、寝かされてしまう。
「やだ、行くんだってば! ハワード大尉がいなくなっちゃうから、わたしが、わたしじゃないと……! わたしが駄目なら、シドが側に付いていてあげてよ。なんでここにいるの。行かなくちゃ、行かなくちゃ!」
「大丈夫だって。警備隊長もいるし、いまは海東司令が連れてきた精鋭部隊の警護もついているから。おまえと俺が頑張るのは、司令の一団が帰ってからだ!」
諭されて、心優はやっと寝たままジタバタしていた身体をおとなしく鎮めた。
落ち着くと、シドの顔が目の前にあった。少し伸びた金髪。昨夜はあった不精ヒゲが手入れされてなくなっていて、今日は以前通りの凛々しい王子の顔に戻っている。
「シド……。会いたかったよ。いつから……この艦にいたの」
「いつからだろうな」
彼がちょっと申し訳なさそうに目線を逸らした。
「でも。ありがとう。あの時、ほんとに死ぬと思った。お父さん、ごめんね……って思っていた」
彼がそこでちょっと呆れた顔で少しだけ微笑む。
「なんだよ。おまえが死ぬ時に思い出す男って、パパってわけかよ。そりゃ、あの大佐も気の毒」
わ、やっぱり判っていて雅臣を避けていた! 心優はそう思うと、顔が熱くなる、耳まで熱くなった。
「ほ、ほんとに。いつから空母指令部の護衛をしていたの? フロリダからいつ帰ってきたの?」
「そういうの、全部極秘で動くのが秘密隊員。でも……。奥さんが、おまえには黒猫のことまで明かすほどに信頼して、専用護衛にしているってことも今回よくわかっちゃったしなあ……」
彼が伸びた金髪の前髪をかき上げながら、そっと心優の上から退いた。
ベッドの側にある椅子に腰をかけると、彼が冷えているタオルを心優の腕にそっと乗せる。温まったタオルと替えてくれる。看病をしてくれていた。
「わたし、倒れちゃったの?」
「怪我をしたのに休養ナシで徹夜したからだろ。俺の横で急に目眩を起こしたように倒れそうになったから、俺がここまで抱き上げて連れてきたんだよ。艦長も俺に心優を頼むって、海東司令と一緒に拘置所に行ったよ。ちょっと疲れただけだよ。ドクターもそのまま休ませた方がいいってさ」
「そうだったの……。ありがとう、シド……」
といって、心優はさっと青ざめる。ということは? シドが勇ましく心優を抱きしめるところを? 雅臣が見ちゃってる??
「城戸大佐が、すんげえ、複雑な顔していたなあ」
シドがそこで面白そうにニマニマしていた。
心優はまた慌てて起きあがる。
「だから! シドはいつからこの艦にいたの!」
「だから、寝ていろって。おまえ、意外と聞き分けねえのな」
また力強い腕にグッと押し返され、心優は枕に沈められる。
再び、シドの綺麗な顔が目の前に。しかも今度は鼻先に。
「あのさ……。俺、めっちゃ焦ったぜ。あの病室に、奥さんだけじゃない、おまえも一緒に向かっているって知って。絶対におまえ、あんなプロの男を見たらビビって動けなくなるって思っていたからさ」
でも、辿り着いたら心優は勇ましく男と戦闘中でさらに驚いたとシドは言う。
「おまえが勇気を出して奥さんを護ってくれていたから間に合った。でも、おまえにも限度があると思って、すげえ焦りながら鉄格子を開けてた。飛び降りようとした時には、おまえに銃口が向けられていて、もうダメだって思った……それほど……」
いつも上から目線で生意気なことしか言わない王子の目が、麗しい水色に揺れた。彼も必死になって助けてくれたんだと、心優も何も言えなくなる。
「おまえにしちゃ、上出来だったよ」
ほら、やっぱり。彼らしい上から目線の言い方。なのに彼の目は、心優を切なそうに見つめて泣きそうだった。
心優がドッキリとした時にはもう、シドが心優におおいかぶさって頬に触れている。
「シ、シドっ……」
んっ……。
覆い被さるシドがそのままベッドに上がってきてしまう。そうして真上から、心優のくちびるを塞いで、強引に吸っている。
「シ……ドッ……あ、うっ……」
腕で押しのけようとしたけれど、怪我をしているから力がはいらない。しかも彼の逞しい身体が思いっきりのっかっていて身動きも出来ない。
心優はされるがまま、くちびるを奪われて愛されていた。でも、違う。だめ。そうじゃない! 彼にちゃんと伝えなくちゃいけないことがある!
なのに、それを聞きたくないのか、言わせたくないのか、シドは唇を自由にしてくれない。そのまま心優が着ている紺の訓練着の襟元を開こうとしていた。
「やめて……!」
彼がふっと息継ぎで唇を離した隙に、心優はやっと叫べた。
「もしかして……さ、おまえの『ケジメつけたい男』って、城戸大佐?」
心優はそうだ――とはすぐに言えなかった。
「おまえが撃たれそうになった時、あの人すごい顔でミユのところに向かっていったな。あれ、自分があの傭兵にどんな攻撃されても構わないって顔だった。俺が助けた後も、怪我をしているお前を、すんげえ泣きそうな顔で抱きしめていたし。おまえも『ごめんなさい』とか可愛い顔しちゃって……。俺が小笠原で見ていたミユの顔じゃなかった……」
あれ? その時に気がついたの?? ふとそう感じた。
「通気口ていつもシドが警備しているの?」
「時々。トラップを見直したり、仕掛けを変えたりしていたからな」
あそこをうろうろされていたなら、雅臣との密かな睦み合いや触れあいを何度も目撃されていたはず――。でも、シドが気がついたのは、昨夜の戦闘後。
でもこれでわかった。シドは、心優と雅臣が警戒区域に入る頃に『陸に帰るまで職務に全うする』と誓い合って、あまり触れあわなくなった後に潜入してきたのだと――。
「もしかして……シド。広報の撮影が終わった頃にここに来たの?」
警戒区域入る頃だった。言い当ててしまったのか、シドが驚いた顔をした。
「まあ、その。広報撮影チームが帰る時に、小松から物資補給の護衛艦が来ただろ。広報部がそれに乗船して陸に帰るだろ。その時、入れ替わりで俺とフロリダの先輩隊員が紛れて乗り込んだ。それは最初から指示されていたことだよ。俺はフロリダで研修していることになっている。でも、本当はずっと日本にいたよ」
「そ、そうだったの?」
駒沢少佐が率いる広報撮影クルーがこの艦を降りて、陸に帰った頃。御園准将が電波の遮断を不定期に開始した頃だった
「ああ、そうして『表向き』の行動もでっちあげて、本来はなにをしているかを伏せるんだよ。表向きは、俺はフロリダで研修中、日本にはいません――、でも本当は艦を秘密裏に警護するため、小松に暫く潜伏していたんだよ。そういう命令だったんでね」
「その間、シドはこの艦のどこにいたの」
「警備隊員に紛れて、ネームを伏せて、なるべく顔を見られないようにして、夜間の警備をしていたよ。人知れず使わせてもらう部屋を割り当てられていて、日中はその部屋からはあまりでない。シャワーもトイレも完備されている部屋でおとなしく待機。警備隊長と数名の警備隊員が俺達の潜入を知っていて、部屋に籠もっている間はサポートしてくれているんだ」
オホーツク区域での雅臣との大胆な睦み合いをみられていなくてホッとした。ずうっとこの艦に乗っていたわけではなかった。
「あの、助けてくれて……、ほんとうに、ありがとう。それに、シドに会いたかったのもほんとうだよ」
「そういう気休めいらねえよ。もうおまえはほんっとに俺のものにならないんだな」
この男はまだ、心優のことに望みを持っていてくれた。フロリダの研修に行ったのではなくて、本当は艦が小松沖に来るまで潜伏していて、そこで心優に会えると心待ちにしてくれていた?
ならば、いまこそ、はっきり言わなくてはいけない。
「ごめん、シド……。ケジメつけたよ。横須賀で抱えていた想い、彼に通じた……。終わったと思っていた恋、終わっていなかったの」
今度は心優の目が熱く揺らめく。涙が浮かぶ。
シドの腕に抱かれたら、どんなに楽だったか。そう思った夜もあった。そうすれば良かったと迷った時もあった。それでも、二度と雅臣に顔向けできないまま、あの恋が終わる方が嫌だった。もう一度、大佐殿に会いたかったから、それを貫いた。
やっとシドが心優の身体の上から起きあがる。そのまま静かにベッドを降りた。
「わかったよ。そんな前からあの大佐を想っていたなら、しかたない。あの人、おまえを護衛官にと抜擢してくれた横須賀の元上司だよな。しかもあの『ソニック』だろ。横須賀マリンスワローのエースだった男じゃん。年上の頼もしい上司がさ、男慣れしないおまえの面倒をみてくれていたなら、そりゃあ、惚れるよな」
自信過剰の王子が背を向けて、俯いている。
「シド……、でも、あの、」
彼の寂しそうな背中に手を伸ばして、そっと触れる。
なのに彼がくるっと振り向いて、またニンマリとした自信たっぷりの笑み。
「んな、わけないだろ!」
またそのまま心優に襲いかかるようにベッドに飛び乗って覆い被さり抱きついてきたので、心優は思わず『きゃあ』と叫んでしまった。
「俺の方が若いし、強いと思うな。俺、奪うのも、横取りすんのも気にしない質だからさ、これから毎日ミユと一緒でいつだってこうして――」
本気の眼差しで、シドが心優が着ている紺のジャケットを上へとめくったので、心優は思わず、足を折り曲げ思いっきり彼のお腹へと蹴りを入れていた。
でも強靱な彼には効き目ナシ。心優の足首を掴んで、不敵な微笑み。
「いいカラダしてそうだな。鍛えた女って、イケルからな」
足首を掴まれ、そのまま上へと持ち上げられる。心優の足がまだ着衣とはいえ思いっきり開かれた。
「や、やめてよ! 本気で大っ嫌いになるからね!!」
「一度でいいから俺を試してみろって。あのおじさんパイロットより、めちゃくちゃいい気持ちになると思うんだよ。俺、自信ある」
「若いとか若くないとか関係ないから!」
なのにシドは本当に心優の腰にあるベルトを外そうと手にかける。
「一回だけでいいから、抱かせろ。黙っていてやるからさ」
もう〜。ここをどこだと思っているのか。お猿も猛攻だったけれど、こっちのチャトラもなかなか強気!
「み、皆さんが帰ってきちゃうでしょ!」
「あ、それもそうだ。そろそろだな」
本気でハッとしたチャトラ君が、そこでパッと心優の足首を離し、サッとベッドから飛び降りた。
それもものすごい素早い切り替えで、あんなに猛攻撃だったのに、ケロッとした顔でやめてしまった。
心優はホッとしたものの、そういう子供っぽいところが、まったくあのシドのままで逆に唖然としてしまう。
でも、彼はさらにニヤニヤして心優を見下ろしている。
「――ということだから。諦めていないし」
「だから。他にもっと素敵な女の子がいっぱいいるでしょ」
「なんだっけ、日本語でもいうだろ。『別腹』って」
は? 別腹? どっちが別腹? ミユに断られて遊んだ女性が別腹? それとももう他の男のものになった女を一時でも食べちゃうのが別腹? 相変わらずの、王子っぷり!
「もう、ほんと。やめて。わたし、陸に帰ったら大佐と……」
一緒になるんだから。そう言いそうになって心優は口をつぐむ。まだ堂々と、自信を持って何故か言えない。陸に帰るまで、安心できないから。
「とにかくさ。おまえはまず休んで、体調を整えながら護衛をして航海をまっとうする。だろ。俺も今日からは表の顔で一緒に護衛するから、ミユもこれ以上指令部に迷惑がかからないよう乗船し続けるんだいいな」
急に真面目な中尉になってしまった。やっぱりからかわられただけなのかと心優は困惑する。
でも……。シドが側にいるのは確かに頼もしい。
「うん。わかった。……フランク中尉、横須賀に帰るまでよろしくお願いします」
「おう。夜がまた楽しみ」
またニンマリされて、ほんとこの王子油断ができない。
でも、再会できた。そして、ひとまずケジメについて報告できた。できたんだけど、あまり意味のない報告だったような気がしてやっぱりなんとなく、心優の気持ちがざわついている。
―◆・◆・◆・◆・◆―
昼まで自室で休ませてもらい、午後になって心優は艦長デスクへと戻ろうと小部屋を出る。
艦長室のデスク室へ行くと、艦長デスクには准将ではなく、夫の御園大佐が座っていた。
眼鏡の横顔で、ノートパソコンで何かを打ち込みながら、書類を眺めていて既に仕事に取り組んでいる。
「園田――!」
そこに静かに心優がいて、とても驚いた顔をしてる。
「大変な時に休息をいただきまして、申し訳ありませんでした。あの艦長はどちらに」
「海東司令に付き添って、調査団の現場検証に同行している。シドが護衛についている」
シドが護衛と聞いて、心優はホッとする。
「園田、礼を言いたかった。妻を護ってくれて有り難う」
御園大佐から立ち上がり、お辞儀をされたので心優はびっくりしてしまう。
「やめてください。職務を全うしたまでです。ハワード大尉だって、きっとそう言います」
御園大佐が申し訳なさそうに黒髪をかき上げる。
「まったく、その通りだったよ。アドルフも同じ事を言ってくれた」
妻が無事でよほどの安堵を得たのか、あの御園大佐が疲れた顔を見せて、艦長デスクに座った。
「暫く、俺がいることで葉月が乱れるかと思うけれど、そこは知らぬふりで放っておいてくれていいからな」
「……はい、そういたします」
わかっているんだな、この旦那さん。夫がいると彼女が妻の顔になってしまって、戸惑ったり、心を乱してしまうことを。
でもそれって、旦那さんが胡散臭い笑顔で、いちいち意地悪をするからだよね? とも心優は思ってしまう。
「園田に聞きたかったんだけれどな」
「はい」
「早速、警備隊の数名から聴取をしたんだ」
仕事、素早いな――と思った。調査団も既にクルーから侵犯時の聴取を始めていることは心優も倒れる前に聞かされた段取りで知っていた。
こちらの大佐は不審者侵入から聴取を始めている。
「大佐は、不審者聴取が担当なのですか? 司令が御園大佐には違う視点からの聴取を頼んでいると仰っておりましたが……」
「いいや。まあ、園田には話してもいいかな。調査団には表向きの返答だけしかしないこともあるだろうから、顔見知りの親しいクルーからは『本音』を聞いて、それは調書に残さず、報告してほしいという司令からの指示だよ。俺が聴取のために来たというカモフラージュをするために『艦長代理』とかいう強引な指令を与えてくれたわけ」
なるほど……と、言いたくなったが、心優はまだ釈然としない。どうして夫の大佐をわざわざ司令は選んだのだろう? 御園大佐しか適任が思い浮かばなかったとか言っていたけれど、横須賀司令部にいれば、山ほど適任のエリート隊員がいるだろうに。
「それで。少し聴取をして知ったんだが、侵入してきた男はナイフを手にしていたんだって?」
「は、はい……」
ナイフ――。その一言で心優は嫌なことに思い当たった。傭兵がナイフを振りかざす。それって御園准将にとっては恐怖の象徴だったではないか?
「その時、葉月は動けたのか。園田を危険な目には遭わせないと、出発前にあいつとても力んでいたよ。娘のように思っているところがあるからな。その娘が、自分よりも侵入者の目の前にいて、ロッド片手に戦闘態勢に入って、うちのじゃじゃ馬はなにも行動を起こさなかったのか」
「一瞬の出来事でしたから、艦長が動ける動けないではなかったと思います。距離的にも、わたしが手前にいたので傭兵に向かうことになっただけです……」
そうではない――と心優は思いたい。まさか、あそこで御園艦長が『恐怖で動けなくなっていた』なんて思いたくない。あれほどの女将軍様が、そんなことはないと……、言いたいのに、心優の中に不安が渦巻く。
「俺が思い浮かぶ御園葉月は、そんな時こそ目を光らせて前に向かっていく、卑劣な男を叩きのめそうと瞬時に前に行ってしまう軍人だよ。それが、他の警備隊員も確かに園田が艦長を立派に護ったと説明してくれるが、では、艦長はどうしていたと聞くと、突入した時には既に園田が制圧をしていた後で、艦長はびっくりした顔で立ちつくしていた。さらにアドルフが盾になって護った後も、彼が『出て行ってはいけない』と抑え込んでいたから艦長は動けなかった――と言うことだったね」
「あの、艦長が動けなかったことについて、なにを仰りたいのですか」
眼鏡の大佐が、艦長デスクに座り直すと溜め息をつく。
その横顔のまま、静かに心優に告げた。
「悪い。園田。今夜が危ないと思う。怪我をして熱を出して辛いところ申し訳ないが、葉月がバランスを崩したら決して外に漏れないように俺と護って欲しいんだ。シドも知っているから、一緒に頼むつもりだ。橘さんには既に注意するよう頼んである」
今夜、また。駐車場で痙攣をおこしていたあの症状がでるかも?
心優は震える。あの時のミセス准将はとても痛々しかった。それに症状も激しく現れていて、ひと晩、寄宿舎の心優の部屋にいなくてはならないほどだった。
そうか。だからこの人が来たんだ。海東司令も、その為にこの旦那さんを無理矢理に任命して連れてきたんだ――。やっとわかった。
「了解しました。わたしも気を配ります」
「やはり、園田を護衛につけて正解だったよ」
少尉まで叩き上げてくれた恩師の笑顔に、心優もやっと笑顔になれた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
午後になり、また甲板が騒がしくなる。ついに不審者四名が、精鋭部隊の警備で艦上輸送機に連行されていく。
これから基地へと向かい、彼等も取り調べを受けるのか、あるいは元の大陸国に連行されるかになるのだろう。
護送の輸送機が飛び立った三十分後に、今度は海東司令を乗せるためのもう一機の艦上輸送機が空母に着艦する。
甲板には、ストレッチャーに固定されたハワード大尉と大陸国のパイロットも運び出されていた。
御園准将がハワード大尉の側にずっと付いている。
「アドルフ、小笠原で会いましょうね。ソフィアとアリッサに心配かけないよう、大人しくしているのよ」
「艦長……。最後までご一緒できなくて残念です……」
「貴方、私を護ったのよ。これ以上の活躍はないし、使命を果たしているわ……。お願い、また私の准将室で一緒に元気に仕事をして……」
ひとときの別れを前に、ハワード大尉がそっと目を閉じ泣いていた。
「無事のご帰還、お待ちしております。約束ですよ、艦長」
肩から包帯を巻いている患者服のままの大尉が、ミセスの側に控えている心優をみた。
「ミユ、艦長を頼んだぞ。シドも頼んだからな」
そこに並んでいた心優とシドはしっかりと頷く。
とうとうハワード大尉が輸送機へと搬送されてしまう。
その後は、精鋭部隊の警護をつけている大陸国総司令の子息。彼も御園准将を見て名残惜しそうな顔をしていた。
「艦長、有り難うございました」
「お元気で。お父様とフィアンセのために生きるのよ」
「はい……。ですが、また国境でお会いしましょう」
そこまで元気に言い返せるようになったパイロットを見て、御園准将もおかしそうに微笑んだ。
「もうこっちに来ないで。近寄らないで」
「そちらも、近寄らないでください。酷い目に遭いました」
「それは、あの紅い朝のせいよ……。空が私達を見てあのようにしたのよ。空には勝てない。そうでしょう」
「そうでした……。俺も貴女も、空には敵わない。思い通りにならない」
「また国境で会いましょう」
「いつか、また、空で」
それが、ギリギリの空域で遭遇してしまった国籍が異なるパイロット同士の別れだった。
最後、御園准将の前に海東司令が立った。
「それでは、私は帰るよ。現場も確認したし、空母クルーからの生の声も一応聞けた。後は調査団に託す。彼等の迎えは一週間後。それまで頼んだよ、御園准将」
「海東司令、こちらまで来てくださいまして、有り難うございました。お気をつけておかえりください」
御園准将が敬礼をすると、後ろに控えていた御園大佐、橘大佐、そして雅臣も敬礼を揃えていた。
海東司令も大佐達に敬礼を見せる。最後に、心優を見た。でもそれだけ。それでも心優には司令の言葉が伝わってくる。
―― 夜が危ない。特に今夜。知らぬ者には知られないよう細心の注意を払うように。
密かに御園大佐に託したこと。それを無言で司令は心優にも託してくれたような気がした眼差し。心優は敬礼をしたまま、黒曜石の目を見つめ返すだけだった。
―◆・◆・◆・◆・◆―
さて。この艦に入ってはいけない異国人はいなくなった。
ほっと一息、静かな夜を迎えられそうだった。
護送や司令の見送りで、指令部も今日は大忙しでバタバタしていた。心優も雅臣と話す間もない。
「なあ、ミユ。この書類はなんだっけ」
しかも、ちょっと邪魔なヤツが増えた。
「もう、中尉。触らないでください。それ、わたしがやりますから」
「えー、俺も手伝いたいよ。いちおう秘書官なんだけどな」
「それなら、指令部のラングラー中佐のお手伝いをどうぞ。中佐が忙しそうにしていらっしゃいますから。今回の騒動で、手続きに手配に奔走されていますよ」
「えー、テッドの手伝いかよ」
あの鬼中佐のことを、ケロッと呼び捨てにしたので、心優はギョッとしてしまう。
「ちょっと、シド。いつからラングラー中佐と顔見知りか知らないけれど、ここでは中尉と中佐なんだから弁えなさいよっ」
「あー、ミユだって、俺より下官のくせに、呼び捨てにしただろ」
このガキ王子め……。心優は事務作業もろくにしようとしないシドを睨んだ。
「シドって……。小笠原の細川連隊長の秘書室で、本当に秘書官としてお仕事していたの?」
彼がムッとした顔になる。
「してたに決まってんだろっ。あのおっかない細川のオジサンが小言を言い始めると、めちゃくちゃねちっこくて死にそうになるんだからな。表向きの職務だって、俺は完璧なんだからな」
「……だったら、これ、今日の艦内全体業務のブリーフィングを艦長が就寝するまでに提出して」
心優は一枚の書類を差し出す。
「データーにして、艦長宛のアドレスに送信してくださいね、中尉」
「わかったよ、ふう、艦の事務は勝手が違うなー」
御園艦長はいま入浴中だった。その間に、護衛の二人は艦長室業務をこなす。
「なあ、俺専用のデスク、いつ出来るんだよ」
応接ソファーでノートパソコンを与えて臨時デスクにしたのに、シドは不満たらたら。
ほんとに子供ぽくってイライラしてくる。あの機敏で凛々しい傭兵王子はどこにいった?
「我慢してよ。明日には出来るって言っているでしょ!」
「もう腹減ったよ。俺達、いつ食事出来るんだよー。もう二十時だぞ」
「だから。艦長が落ち着くまで待ってよ。艦長は昨夜は一睡もされていないんだから、今夜は早くおやすみになってもらって、わたし達が艦長室を交代で夜間は護衛するって決めたでしょ!」
「はいはい、はあ、もう、ミユもなんでイライラしてんだよ。アレの前なのか」
もう頭に血が上りそうになった。金髪王子め、一緒に仕事はできない間柄だと悟った!
「あはは。どっちが上官かわからないな」
いつのまにか、雅臣が指令室から艦長室へ入ってきていた。
「た、大佐……」
いまのシドとの気兼ねないやり取りを見られたと知り、心優は硬直してしまう。
シドも途端に白けた眼差しになって、雅臣を目の前にすると黙り込んでしまう。その時の不機嫌な顔。
「フランク中尉、お久しぶりです。今日からは同じ指令部ですね。初めて一緒になりますが、よろしくお願いします」
大佐なのに、雅臣はシドがフランク一族の養子のせいか、ご子息に接するような丁寧さだった。
雅臣はどこまで、シドの事情を知っているのだろう?
「こちらこそ、よろしくお願いします。城戸大佐」
それでもこちらは、艦長も目の前の上官。シドもそこは大人の顔で、きちんと立ち上がって敬礼をした。
雅臣が、そんなシドをじっと見つめている。お猿さんの愛嬌ある笑みを静かに見せてそのまま。
心優はドキドキしてくる。シドとのこと、雅臣にはなにも話していない。でも、小笠原ではとても親しかった男の一人。心優に恋を引き寄せそうになった男。
「昨夜、会ったよね。侵入された病室で。艦長のベッドルームでは会えなかった」
思わぬことを言い出した雅臣の言葉に、心優もシドも揃って目を丸くしてしまう。
「小笠原から海東司令が急遽連れてきた――は嘘だよな。本当はもうだいぶ前からこの艦に乗っていた。昨日までは人知れずの任務をこなし、今日からは司令の指示で表の顔で御園艦長に付き添うことになった、だろ?」
まったくその通りを雅臣が言い当ててしまう。艦長から既に聞いている? でも艦長は今日は司令に付きっきりで、雅臣とはゆっくりと話す間もなかったはず。それならば、何故?
「シド=フランク中尉が、どうして養子なのか。それは誰もが知りたいところ。でも誰も知らない」
素性を探られることを気にするシドが、ここでは上官でも雅臣を睨んだ。
「人の素性などどうでもいいでしょう。フランク大将が自分を養子にしてくださった時点で、自分の素性は確かなものだという証明です」
心優は彼が『御園黒猫部隊』に若い頃から所属しているナタリーという母親の息子だと知っている。きっと裏世界で育ってきたシドだから、表世界で生きるために養子にしたのだと思っている。
なのに雅臣が、久しぶりに秘書室長の険しい顔になった。
「こちらも御園と関係が深い上官と共にあったが為に、本当に御園にどこまでついていっていいか――というのは、秘書官の『危機管理』として必要だったので、粗方はこっそり調べたりしたもんだよ」
「俺のことを、調べた?」
雅臣が上官だと言うことを、シドにはもう関係なくなっている。心優はハラハラしてくる……。
「そう。ロイ=フランク大将が養子を取り、その養子がフロリダの特別訓練校に入校。優秀な戦闘員として卒業。まるでそう育てたいが為に引き取ったかのような経歴。いったい何のために養子を取ったのだろう? みんなそう思っている。大将は『幼い頃から知っている。素質があるから我が家の名で活躍してもらうことにした』とか言っているようだけれど? 御園准将と長沼准将は提携はしているけれど、いつだってギブアンドテイクでバランスを取ってきた。それ以外は腹の探り合い。こっちも御園准将のやろうとしていることに、言われるまま巻き込まれないような危機管理ってことだよ。フランク大将が養子をもらった。その養子が急に小笠原の細川連隊長室に配属された。フランクと細川とくれば、御園の匂いがする。それぐらいは嗅ぎ取れるよ。でも、やっぱり君の素性までは辿り着けなかった。でもやっぱり君は、御園艦長の艦に乗っていた。その水色の目を見てわかった。艦長が信頼して艦に乗せた若い傭兵、水色の目の男とくれば一人しか思い浮かばない。あの手懐けるのが大変そうなお坊ちゃんかなってね、『チャトラ』君」
シドが呆気にとられている。そして心優も。臣さんったら、やっぱり秘書官で、これからこの艦の長になる人だった。
「横須賀の長沼准将も予測していたよ。あれは、フランク一派がこれから使おうとしている傭兵候補生だってね。素性が知れぬのなら、一派の裏方を担っている男達の匂いがする。そうあのミスターエドのような匂い。そこから調達してきたのだろうと秘書室でも予測していた。案の定、昨夜は艦長のベッドルームというプライベートの強い空間に、ミスターエドと一緒にセットでそこにいた。もう間違いない。エドの仲間だと確信した。君の素性は、御園家の影にある」
すべて言い当てられてしまい、あのシドが黙り込んでしまう。
「昨夜の強靱な制圧、素晴らしかったよ。そして、有り難う。園田を助けてくれて……」
雅臣は神妙な眼差しでシドに礼を述べているが、頭を下げたりはしなかった。そこは大佐の威厳を譲らない姿。
シドも、負けず嫌いの気迫を漲らせて、雅臣を大佐としてみようとしていない。
そうして、シャーマナイトの目とアクアマリンの目、彼等の視線がぶつかり合っている。
そんな緊迫する男の視線を投げかけたまま、雅臣から言い放った。
「心優はこれから俺の女房になる女だから、感謝している」
女房になる女!? それまでなんとなく遠回しに言ってくれていたけれど、こんなにはっきり言ってくれたのは初めて!?
でもシドも負けていなかった。
「結婚しても女は女。ベッドに寝かせて奪うことはできますよね、大佐」
わー、こっちも負けていなかった!
今度は違う目眩がしてきた。
Update/2015.8.18