◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX1. お待ちください、ベイビーちゃん(10)

 

 週明け、月曜日。
 マンデーブルーと言われるのだろうが、雅臣の場合は『海に行ける』と潮の香に心が踊ってしまう。
 今日も空母艦に向かう連絡船へと、桟橋で乗り込む。
「来るかね、葉月ちゃん」
「さあ、どうでしょうねえ」
 先に雷神のパイロットを乗せたクルーザーが出航する。
 指揮官はその後の船に乗船する。
 いつもは橘大佐と雅臣が指揮官として共に乗船するのだが、本日は付き添いの空軍管理官数名の他に、普段はいない男性が一人……。
「で、なんで澤村君がいるのかな」
 眼鏡の大佐殿が、紺の指揮官訓練着姿で何故かそこにいる。
 いつものにっこり眼鏡の笑顔を見せながら、彼も船に乗り込み橘大佐に告げる。
「そりゃあ、あいつが雅臣君の闘志に負けて、餌に飢えたウサギみたいにひょこひょこやってきちゃう姿を見に来たに決まっているでしょう」
 橘大佐が呆れながら、ガラス張り船室のシートに腰をかける。
「ほんっとに意地悪い旦那さんですよねえ、御園大佐は。そりゃあ、アイスドールの葉月ちゃんもムキになるはずだよ」
「そうです。僕は意地悪い夫なんですよ。今更でしょう」
「この夫にムキになる葉月ちゃんもたいがいだけれどな。なーんで澤村君だけには、あんな小さなかわいい女の子になっちゃうんだよ。俺がそうなりたかったのに、ずるいな」
「橘さんでは無理だね。俺みたいな意地悪なんかできないでしょう。好きになった女性には甘くなっちゃうんでしょう。だから、ずうっとモテモテだったんでしょう。今は奥さんだけにそうってことは、こうと決めたら一筋彼女にだけ甘くなる。葉月と上手くいっていたら、絶対にベタベタに甘やかしていたでしょう」
 妻『真凛』との現状にしても、もしも過去に想いが通じていたとしても、橘大佐の女の愛し方はその通りだったようで、珍しく彼が顔を赤らめていた。
 大の男を、飛行隊の大佐殿を、ここまでさせるからこそ、やはりこの眼鏡の大佐もただ者ではない。
「ほんとよく言うわ。ま、俺も澄ました彼女が雅臣の餌に食いついてきて、『私、負けないわよ!』とムキになるところ見たいですけれどね。しかも何事もなかったようにすうっと澄ました顔でやってくる、でも腹の中は囂々燃えているっていう顔ね」
「そうそう。そう言う時の葉月は面白い」
「しかし。来るかな〜。『感情的になっている私を意地悪く待ちかまえているに違いない』と予測して、もうしばらく来ないかもな。それこそ、ご主人が待ちくたびれた頃に来るんじゃないですかね」
「それもあるなあ。そっか。では、一度、俺が諦めた振りをして安心しきって来たところを楽しもうかなあ」
 ほんと意地悪いすねえと、奥さんを驚いた顔にさせるためにいつだって全力の御園大佐に、雅臣も苦笑いしか浮かばない。橘大佐がますます呆れたところで『出航します』と操縦士からの知らせ。
 桟橋のビットに繋いでいるロープを船員がほどく。
「待って、乗せてちょうだい」
 冷たい女性の声を聞き、船室にいる男達がハッとした顔になる。
 桟橋に、紺の指揮官訓練着を着込んだ栗毛の女性が立っていた。その後ろには、同じ訓練着姿の心優が付き添っている。
 長身のすらっとした女性が二人そこに立っていると、桟橋にいる作業員の誰もが彼女達へと視線を向けてしまう。そういう存在感。
 それは橘大佐も御園大佐も同様に。それを見た雅臣は『結局、彼女を面白がる前に、男性の方が先にびっくりさせられているじゃないか』と呆気にとられてしまう。
「御園准将、お疲れ様でございます」
 桟橋でロープを解いた若い船舶隊員がビシッと敬礼をする。
「ごめんなさい、駆け込み乗船ね」
「いいえ、間に合ったようでよろしかったです」
 桟橋から彼女が慣れたまま、すっとクルーザーへと乗り込み、船室へと入ってきた。
「あら、御園大佐まで……。本日は甲板でなにかご用なのかしらね」
 夫の性格などわかっているだろうに……。あのなに食わぬアイスドールの顔で、御園准将は夫を冷ややかに見下ろしている。
「そうですね、ホワイトのメンテナンス状況を確認しようと出向くことにしました。准将こそ、空母はお久しぶりではないですか」
「そうね。私も雷神の状況をたまにはこの目で見ておこうと思いましたのよ」
 夫も素直に来た妻に裏をかかれただろうに、こちらも何食わぬにっこり笑顔。対照的な夫妻の表情だった。
 そんな夫妻のやりとりに、船室にいる指揮官達はどう反応していいのか微笑を浮かべながらも、夫妻の間に下手に巻き込まれないよううつむいている者ばかりだった。
 ――改めて、出航します。
 操縦士の合図で、クルーザーが離岸する。
 晴れやかな夏の珊瑚礁の海へと、クルーザーが波を切る。
 その間も、船室にいる誰もが、ミセス准将の思わぬ乗船に沈黙をするばかり。
 だが、その空気を壊したのも、またミセス准将――。
「訓練開始前の乗船にギリギリに間に合って良かったわ。もう、連隊長に朝一で呼びつけられて、出掛ける時間が遅れてしまったのよ」
 そうして彼女が隣に楚々と座っている心優へと視線を送ると、心優も無言で頷いた。
 彼女が手元に持っているバインダーから数枚のプリントを雅臣と橘大佐に渡す。
 御園大佐は部外者扱いなのか、または『あなたがいるはずもないから最初から用意しなかった』とでもいいたげに無視されている。それでも御園大佐がめげずに、橘大佐の手元を覗き込んでいる。
 だがそこに記されていることを確認し、雅臣は息が止まるほど驚き、正面にいるミセス准将を見つめてしまう。
「准将、これは……」
「わざわざ連隊長が考えてくださった『新しい称号』よ。この週末休暇の間にここまで準備してくださったの」
 御園准将が誰よりも勝ったと確信した時に見せる微笑みを浮かべていた。
「す、すげえじゃねえか。葉月ちゃん!!」
 のこのこやってきた彼女を笑おうと言っていたくせに。もう橘大佐は御園准将がいまここに運んできた台風に自ら飲み込まれ興奮している。
 だが、雅臣もプリントを眺める手が震えていた。
「この称号を……。よろしいのですか。准将。これを得たパイロットはとても喜ぶと思いますけど……、でも、そんな……畏れ多いというか……」
「連隊長がたった二日でこれだけのことを決意してくれたということは、『正義兄様』も『復活して嬉しい。そして期待している』という現れなのでしょう」
 彼女があっという間に男共を吹き飛ばした今回の突風。
 ―― エースをラストステージで五回以上撃墜成功したパイロットには『ジャックナイフ』の称号を与える。
 『ジャックナイフ』と呼ばれたパイロットがいる。御園准将をパイロットとしてまたは指揮官として叩き上げた中将殿。そして細川正義連隊長の父親、細川良和氏がパイロットだった時のニックネーム、タックネームだった。
 鋭くスマートな飛行で狙撃を成功させる。だからジャックナイフ。その男と同じ称号を新たに設けるという、連隊長からの通達だった。
「では。1対9の演習で英太を撃墜状態に追い込めば、ジャックナイフの称号を得られるのですね」
「そうよ。エースに手は届かずとも、また雷神の彼等に火がつくでしょう。英太も心してかからないとね」
 そこで雅臣に、どっと冷や汗が滲んだ。正面にいるミセス准将が、不敵な笑みを雅臣に向けじっと見つめて離さない。
「どう、雅臣。望みが叶ったでしょう」
 貴方の望みを、週末休暇の間に『現実に』したわよ。それだけの力があると、実行力もあるとみせつけられる。
 しかも准将は、雅臣の今の心情を既に見抜いていて、あからさまに口にした。
「自分で自分の首を絞めるって気がつかなかったの?」
 パイロット全員を思って願い出たことだった。エース以外の称号を。それを叶えてくれた。でも……。
「大丈夫なの。雷神のパイロット全員を本気にさせて、敵に回したということなのよ。毎日、死ぬほど追いかけまさわれるのよ、雅臣と英太は……。楽しみね」
 喧嘩をふっかけた相手がこんな時に優美に微笑んだ。
 雅臣だけじゃない。そこにいる男達が冷気に固まりたじろいでいる。夫の御園大佐と、護衛の心優を除いて。
 臣さん、これから冷たい意地悪をされると思うけれど、思いっきり生意気やってもいいと思うよ。
 心優に言われた言葉を思い出す。こういう焦りをこれから何度も味わわされるのだろう。でも雅臣も願ったり叶ったりだ。
「やっと本気になってくれるのかと安心しました。いまのままではどうあっても英太の一人勝ち。これぐらいの餌をさっさと与えるべきでしたね」
 その餌を准将はいままで甘んじて与えていなかったのですよ――と言ってしまったことになる。内心では、敵わない尊敬している彼女に生意気をつきつけて雅臣はドキドキしている。
「そうね、ほんとうに遅かったと思っている」
 思った通り、正面にいるミセス准将の目が笑っていない。彼女が空母艦でスクランブルに立ち向かう時に空を見据えている目になっている。雅臣もここは逃げずに見つめ返すが、それが精一杯。
 だが途中から、彼女の目が変化したように見え、雅臣はふと首を傾げたくなる。
 ミセス准将からそこで目を逸らしてしまう。
「雅臣、今朝のブリーフィングの資料をみせて」
「かしこまりました」
 胸ポケットに入れていた今朝の雷神チームとのミーティングで行った本日のブリーフィング内容を手渡した。飛行するための本日の天候や訓練航路を確認したもの。
「なんか久しぶりね、これを見るの」
 天気図や、島周辺の航路を眺めると、彼女の目が生きてくる。
「本日も晴天ですね。ですが、午後はやっぱりスコールでしょうか」
 心優も航空のことをだいぶ学んで、自分の上司がなにを見てなにを思っているのが通じるようになってきているようだった。
「ほんと、南になると午後は雨。フロリダもそう、夏期はよくスコールが降って雨の中のフライトも当たり前だったわね」
「フロリダってそんな気候なんですか。いつか行ってみたいです」
「そうね。心優にはいつか私が育ったところを見せたいわね」
 親子のような姉妹のような女性同士で急に和やかになる。
 そうなると、それまでミセス准将を中心に渦巻いていた強烈な空気に気構えていた男達が、同じように微笑ましい顔になる。
 なるほど。俺の心優はそういう空気を周りに与えることができて、ミセス准将を引き立てているのかもしれない。初めてそう思えた。
 ガールズトークというべきか、そんな会話に夢中な彼女達に安心したのか、御園大佐が向かいの席からふっと雅臣の隣に移動してきた。
「ああいうの見ると、ホッとするんだよねえ。あれは園田だけが成せるものだな」
「そうですね。自分もいま実感していたところです」
「園田はわからないってふりして、実は頭の中で誰がなにを考えているか、もの凄いフル回転で予測している。知らぬ間に助けられている上に、園田自身が役に立っていたという自覚もないから思い上がりもするはずもない。彼女のことを何もしていないくせにと感じるだけで終わる残念な人間も多いことだろう」
 雅臣はドッキリして、いつも穏やかな笑顔で爽やかそうにしている眼鏡の大佐を見下ろした。ほんとうにこの人は食えない男。こちらも改めて実感した。夫になる俺が彼女に対していつも思っていること。ちゃんと見抜いていると。
「そりゃそうだよな。空手で相手のことを読まねばならぬ対峙を繰り返してきたんだから。慣れているわけだ」
 これまたそこまで彼は読んでいる。そして雅臣も今になってなるほどと唸ってしまう。
「自分もそういう彼女にだいぶ助けられてきたんですよ。ホッとするんです」
「俺もかな。この前の航行で、黙って淹れてくれた早朝のコーヒーはきっと忘れないよ」
 ん? なんのことだ――と雅臣は思ったが、御園大佐がそこで急に真顔で妻と心優をじっと物憂い眼差しで見つめていた。
 時々彼はこういう顔を一瞬だけ見せることがある。それが同じ男として時々気になるもの。そんな時の御園大佐は哀しい目をしているのに、そこに妻への愛を感じてしてしまう瞬間。雅臣も同じ男だから知ってしまった目のような気もしている。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 半年前まで、この栗毛の女性は毎日この甲板に君臨していた。
 潮風になびく柔らかな髪、表情を読ませない琥珀の目、つんとしたままの唇は滅多に微笑みを刻まない。
 でも。そこに風が吹く。甲板にはそぐわない女の匂いを漂わせ、でも女の顔ではない。
 ――ミセス准将が来た!
 甲板要員達が戦闘機の整備をしながら戸惑う姿を見る。
 ――なにかあったのか。
 すっかり退こうとしていた雷神の隊長が知らせもなしに現れたために、雷神のパイロット達もざわめいていた。
 訓練前、ブリッジ入口のドア前に集合することになっている。橘大佐を筆頭に、その隣に雅臣がそして控えめにしてミセス准将が並ぶ。御園大佐は雷神パイロットの後ろに控えて見守っている。
 白い飛行服の彼等が整列している前で、いまは雷神の訓練責任者である橘大佐が真向い伝える。
「突然だが知らせがある。エースコンバットを再開させる。ただし今回のコンバットはエースを決定するものではなく、鈴木少佐がクリアをしていない1対9に挑んでもらうためのものである」
 雷神の男達が驚き、顔を見合わせている。だが、前もって知っている英太とフレディだけは動揺を見せず既に覚悟した落ち着きを見せている。
「鈴木のために、他の9機は敵機の役回りをしてもらうことになる。鈴木のステージアップのためだけの演習となるのではと思われるかもしれないが、今回のコンバット再開にはもう一つ目的がある」
 ついにそれが彼等に伝えられる。
「エース機、7号バレットを追い込み最終的撃墜に五回成功した者には『ジャックナイフ』の称号を与える。その前に鈴木がステージクリアをした場合は無効となる。ジャックナイフの称号を得られる者は一名。早い者勝ちだ。誰よりも先に、鈴木の前進を五回阻止出来た者に与えられる。これが細川連隊長が称号を与える為にお考えくださったルールだ」
 ジャックナイフの称号だと!? さすがに雷神のパイロット達が湧いた。
「そうだ。あの細川元中将がフロリダのパイロット達に言わしめたものだ。その後、引退後もパイロットならば知っている男のタックネームが称号となる。細川少将連隊長が、父上の許可を取った上でつくってくださったばかりだ」
 雷神のパイロットのざわめきに構わず、橘大佐が雅臣の背を押した。
「エース、バレットには城戸大佐がつく。9機の監督は……」
 橘大佐がミセス准将を見た。そこでやっと彼女が前に一歩出る。以前のように、この雷神を率いている長は私であると胸を張っていた時のように――。
 雅臣の隣に、彼女が並んだ。
「9機の監督は御園准将がつく」
 それにも英太とフレディ以外のパイロット達が戸惑いを見せる。
 どうして急にそんな『ソニック対ティンク』みたいな対戦ができあがったのだ――といいたげなパイロット達の顔。
 そこにコードミセスを挟んだ『パイロットの気持ちの対決』があったことをまだ彼等は知らない。
 エースソニックとエースバレット、そしてミセス准将の対決なのだ――、彼等はそれをもう悟っていた。
 そこに誰もの脳裏に浮かんだことだろう。『これは世代交代の前兆』なのだと。
 ミセス准将が甲板を去っていくかもしれない。その後継は、ソニック。いまからのその継承が始まるのだと察したパイロット達の表情もすぐに引き締まり、彼等も落ち着きを取り戻した。
「では、9機のリーダーは、キャプテンの1号機、スコーピオンにしてもらおう。いまから五分のチームミーティングとする。追い込み作戦にポジションなどを決めるといいだろう」
「イエッサー!」
 これから彼等9機がすべて、雅臣と英太の敵となる。
 9機の輪の中に、ミセス准将もすっと静かにはいっていく。
「バレットと雅臣も話し合っておけよ」
 橘大佐はあくまで中立の役割を買って出たようだった。
 9機のパイロットとミセス准将が密やかに作戦を打ち合わせている中、雅臣と英太は二人で向きあう。
「先輩、俺、本気でやるつもりだから」
 白い飛行服姿の英太も、今日はいつになく大人の顔で雅臣をまっすぐに見つめている。
 その眼差しに、雅臣は切り込む。
「英太、おまえ。9G追い込み、連続でもいけるよな」
 9Gの重力がかかるような飛行でもいけるか。その問いに英太が『え?』と戸惑う表情を見せた。しかも困ったようにそばにいなくなってしまった葉月さんへと振り返っている。
「当然っすよ。いけるに決まっているじゃないですか。まあ、予測8Gになると葉月さんがいつも止めちゃうんですけどね」
「俺は止めない」
「……生きて還るが雷神の最低条件のはずでしょ、先輩」
「9Gで還ってこれるだろ。俺なら還ってきた」
 英太が仰天し黙ってしまう……。いままで『それができたとしても深入りはするな。生きて還ってこられる範囲でやめておけ』と叩き込まれたのだろう。
 それは大事なことだ。そして英太はもうそれを理解している。横須賀で『俺なんかどうなってもいい』とヤケになって飛んでいた本当の悪ガキだった頃とはもう違う。だからこそ、今度こそ『限界に挑める』のだと雅臣は思う。
 葉月さんが命を大事にするパイロットに育ててくれた。なら、次を引き受ける俺がするのは『本物のエース』に仕上げること!
「あの人は知らない。でも俺は知っている。限界までのコックピットを知っている。そしておまえもそれができる男だ」
「先輩のハイレートクライム、滑走路極低からの鋭角上昇、新人の頃に真似したけれどもどうしてもできなかった。今の今まで滑走路のアスファルトの真上にいたのに、あっという間に空の彼方に機体が見えなくなる。鋭角どころか、直角上昇にも見えた。スピードも、身体の体力も耐久性も、技能も全くなかった。あると思っていたけど、なかった。でも今ならできる」
「そうだ。いまの英太は、『あの頃の俺』だ。俺の指揮はあの人の『守る』とは違う」
 英太も覚悟を決めたのか、ようやっといつもの生意気な笑みをみせた。
「つーことは、いままで止められていたところ、もっと思いっきりやちゃっていいってことなんすね、先輩」
「あの人に、スワローの俺達がいなければ『雷神』は成り立たなかった、これからも成り立たない――と思い知らせてやるんだ」
「いいっすね。やっぱり俺がエースだって見せつけてやりますよ」
 だが、悪ガキのその笑顔と眼差しが少しだけ翳った。
 彼女はいつかいなくなる。それを受け入れる時が来たのだと。悪ガキもようやっと決意をしたのだろう。
 そして本物のエースになることが、彼女への気持ちなのだろう。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 エースコンバット再開から、数日が経つ。

 『エースコンバット』は白熱しながらも、英太はラストステージをクリアできず、また雷神のパイロットからも『エース狙撃、ジャックナイフ』の称号を取得する者もなし。
 つまりは、雅臣とミセス准将の指揮も互角ということになる。

 今日も英太は雷神9機から逃げ切るだけで精一杯。残しているハードルあとひとつがクリアできずじまい、そして追いかける側の9機も誰も狙撃の称号は得られずじまい。
そりゃ、そう簡単に決着がつくわけないか。これは時間がかかるな――と、雅臣も気長にやっていく気持ちに切り替える。
 空母艦、ブリッジの指揮台で今日も英太のコックピットの様子と、ガンカメラで捕らえる空の映像と、そして彼のヘッドマウントディスプレイで今現在目の前に映し出されているデーターがモニター画面に表示されている。
 雅臣が見るモニター台から数メートル離れたところにも、9機を指揮するミセス准将が同じくモニターを何機分も表示させて指揮をしていた。
 あちらの指揮は淡々としている。彼女は無線のインカムヘッドセットを頭につけているが、口元を静かに動かしてマイクに呟くだけで、声を荒げることはまずない。
 なのに、1機に対して9機での追い込み。静かなアイスドールの指揮は容赦ない。冷たい横顔は表情を読ませないし、声で動かす9機の戦闘機は手抜かりなくエース機を無惨に撃墜していく。
 だが、空母前で『とどめの狙撃』を五回成功も難しいものにしている。
『五時の方向に2機見える。後方1機――』
「低空、海上に2機控えている。バレットが全力で逃げ切って空母目の前に来た時に、一気に追い込みをかける編隊ってことらしいな」
『スプリンターは、いまどこに』
 英太が常に意識しているのは、親友で通常ならば僚機になる6号機スプリンター。
「わからない。こちらでも確認できていない」
 レーダーで9機がどこに散らばっているかはわかるが、どの点が6号機スプリンターなのかわからない。
『ミセスのことだ。追い込み隊で海上低空に温存させているかもな。俺が気になるライバルの体力は絶対に使わせずに、最後だけ全力で畳みかける役。相変わらず、えげつないよ。スプリンターだってそんな勝負はしたくないと思うのに……』
「そうだな……」
 雅臣はたった一人で指揮しているモニターから、護衛の心優にラングラー中佐、そして橘大佐までそばに置いて囲まれている彼女の指揮カウンターへとちらりと視線を向ける。
 英太がいうとおり『えげつない』。彼等が『今度こそ真剣勝負で決着をつけよう』と男同士で誓って挑んでいるというのに。英太にだけ体力をとことん使わせ、本当に体力を使い切って決着をつけたいはずのフレディは最後の切り札に残しておき、追いかけっこには参加させない。最後、空母前まで息も絶え絶えやってきた英太がロックオンを挑む時、そんな時にどこからともなくスプリンターをあてがって、狙撃させる。
 そうすれば、スプリンターは9機の援護を受けた上で、易々と狙撃ができる。その狙撃も本日でそろそろ3回目、あと2回で称号を得られる5回。その称号を与えたいが為に、ミセス准将が指示しているのだろうか。
 ――あの人だってわかるはずだ。そのやり方が、パイロットのプライドを傷つけるということを。なのに、どうしていつものような演習的な作戦を押しつけているのか。これは彼等のプライドをかけたパイロットのためのコンバット。好きなようにさせてやればいいのに。と、雅臣も口惜しくは感じている。
 だが、そう思わせるのが『ティンク』の思惑にも思える。姑息な手段をみせつけて、こちらを精神的に苛立たせる作戦なのかとも感じている。
 となると、そろそろ正攻法でやってきそうな気がする。『フレディ、2回目までは演習でそうであるように勝利を優先にしなさい。どんな作戦でも狡賢い姑息なやり方だと言われても2回まで我慢するのよ。あとの3回、貴方の好きにさせてあげる。その時に勝負をかけなさい。そこまでの土俵は貴方のために私が作り上げてみせるから』。何故か、雅臣の頭の中に、そう指示をするミセス准将の声が聞こえる。そうあの人なら、こんな作戦を立てそうだ。
 ということは……だ。
「バレット。いまおまえの周辺をマークしている近しい機体は気にするな。それよりも『いま俺はここを攻められたくない』というポイントがあるなら、そこに注意を集中させ……」
 ――集中させろ。と言い終わる前、『来た! 絶対にアイツ!!』、雅臣のインカムヘッドホンに英太の叫びが突然届いた。
 急上昇で英太の真横に切り込んできた。雅臣のモニターにも、6号機の機体番号を確認する。
 ―― コードミセスのような動きできた!
 やっぱりあの人の考えそうなこと、当たっていた! そして英太も雅臣の指示がなくともきちんと構えていた。
『息切れ切れの急上昇をしてきたばかりだろう! 今度は急降下させてやる!』
 きっとフレディの6号機はハイレートクライムで急上昇をしてきたに違いない。あちらもそれだけの体力で英太に奇襲をかけてきた。だが英太も考えている。上がってきたばかりなら、今度は急降下させてやる! バレット機の片翼が下方へと傾くと、そのままひらっと珊瑚礁の海へと墜落するようにしてどんどん高度を下げ落ちていく。
「いいぞ、バレット。海面まで叩きつけてやれ」
『イエッサー! ……アイツに海面に叩きつけられそうになったことがある。ずうっと忘れていない、あの時の屈辱!』
 その時もミセス准将とスプリンターのコンビで追い込まれ辛酸を舐めさせられたという英太の記憶。
 雅臣のモニターにうつるガンカメラの映像は、海面がぐんぐんぐんぐん近づいていくる映像。そしてヘッドマントディスプレイの高度計と高度移動スピードを示す水平スケールがものすごい速さで、低空高度値を打ち出して下がっていく。
 訓練中の下限高度というのが決められている。これより低い高度では訓練時は飛んではいけないというもの。だが、今日はそれがない。コンバットのために、海上まで追い込みOKのエリアへの飛行を許可してる。
 そのエリアで、バレットとスプリンターが海面に突っ込んでいく鳥のように急降下をしている。
 当然、垂直並の降下をしている彼等にはいまの時点で8Gはかかっているはず。
 しかし雅臣はまだだと手に汗を握る。高度計、速度、機体の角度。英太の荒い息づかい。そしてコックピットに移りすぎていく高速の『青』と『海』。足下からゾクゾクとした何かが駆け上がってくる!
 俺、飛んでる。いま、本当にコックピットにいる。あの時の俺が見ていたものそのものがここにある!
 あの人が『指揮をしていても、空を飛べる』と言ってくれた意味が、本当の意味がここでようやっとカラダで感じている!
 だが目の前のモニターの映像は海面のみ、高度計も操縦桿を切らねば上昇もできないポイントに来ている。
 もう9Gぐらいは彼等の胸を押しつぶしているはず。でもどちらも操縦桿を動かさず、そして追うスプリンターも急降下の操縦で手一杯なのかロックオンもできず。
 ――あがれ、そっちからあがってしまえ! そっちももう苦しいだろう!?
 いつもはミセス准将が『そのへんにしなさい』と彼等の安全を考慮してストップをかけるところ。雅臣もいままではそうしてきた。
 雅臣は離れているカウンターにいる彼女へと目線を流す。すると、彼女もこちらを見ている。
 ――はやく英太を上昇させてやりなさいよ。
 ――そっちこそ。いつもなら『あなた達の為』とか言って、止めに入っているだろ。
 彼女がいつにない歯軋りをして頬を引きつらせているのが、あからさまにわかってしまった。彼女があんなにムキになっている! そして雅臣も『畜生。こんなときに貴女は怖いもの知らずのティンクに戻って一線を越えようとする』と睨み返してしまう。
「おいおい! 海面にぶつかるぞ! 俺に指揮を返してもらう!」
 雷神の訓練責任者である橘大佐に、雅臣もミセス准将も通信手段を切断されてしまう。
「7号バレット、6号スプリンター! 今の対戦はそこまでだ。高度をあげて、上昇しろ! 勝負つかずだ!」
 海面ギリギリまでの急降下、どちらも譲らない限界を超える操縦を即座にやめ、素直に海面で旋回し上昇をしてきた。
 彼等が通常飛行に戻った時点で、橘大佐が通信を再開させてくれる。
『キャプテン、ダメだった。ギリギリまで頑張ったけれど……。アイツを振り切れなかった……。やっぱ互角ってヤツかな……』
「悪い。エンブレムの大佐が中止をかけてしまった」
『ミセスからは、止めなかったってことっすよね?』
「そうだな。あっちも同じ事考えていたようだな。今日はいつもの限界を超えてもいいってな……」
 英太の溜め息が聞こえてきた。そっか、あの人も限界を超える覚悟だったのかと。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 訓練時間が終わり、空母艦から陸へ戻る時間になる。
 連絡船の乗り口へと、パイロットと共に向かう。
「あの、城戸大佐」
 指揮をしていたブリッジ管制室をでた通路で、ミセスの護衛をしているはずの心優が、雅臣の目の前にやってきた。
 エースコンバットの演習中、心優は一度も雅臣とは目を合わそうとしなかった。彼女もミセスのそばにいる以上、誰よりもミセスの表情を見つめ読みとり、彼女のことを第一に考えるようになっていると雅臣もわかっていた。
 その心優が護衛中だというのに……。
「准将からのお願いです。レモネードを買ってきて欲しいと」
 は? なんで俺が? それってそちらの秘書官の仕事では? 雅臣は眉をひそめる。
 だが心優も困った顔をしている。しかもミセス准将が遠くから『買ってこないと承知しないわよ、雅臣』という目でじいっとこちらを見据えている。
 つまり、雅臣にそれをさせる意味があるとわかった。
「承知いたしました。確か、ブリッジ下、甲板レベル2の官制員クルーの寝室エリアの自販機にありましたよね」
「お手数おかけします。連絡船が出航するまでにどうしても飲みたいとのことです」
「よほどにお気に入りなのですね。そのレモネードは……」
 これが飲みたくて、彼女が遠い自販機めざして姿を消すというのもよく聞く話。そのせいで、このメーカーの自販機があちこちに置かれるようになったとか。なんつう我が侭を――と思いながら、心優が差し出してくれた小銭を受け取った。
「有り難うございます。お待ちしております」
 心優がホッとした様子で、ミセス准将のそばへと戻っていった。
 はあ、女王様のお遣いか。雅臣は溜め息をついて、ブリッジ階下への階段へ向かう。
「雅臣、先に乗船口に行ってるからな」
 橘大佐の掛け声にも『先に行っていてください』と告げる。
 管制室から甲板より下の階へと向かう。陸で言えば地下にあたるところ。まったくもう、陸まで我慢できないのか、あの人は。しかも付き添いの秘書官がいるのに……。いや、心優には常にミセスのそばにいて欲しいし、ラングラー中佐に言えばきっと彼も『なにをいっているのですか。陸まで我慢してください』ときちんと言い返しそうだ。
「だからって、なんで俺??」
 対等な日々が続いて勝負がつかない当て付けか? と思いながら、レモネードをゲットして皆より遅れて雅臣はこれまた甲板レベルさらに階下へ。海面に近いフロアにある連絡船乗船口に辿り着く。
 だが、そこで待っていたのはいつも共に行動をしている橘大佐ではなく、優美な空気をまとっている女性が二人、青い空と海を背に待っている。
「ありがとう、雅臣。ごめんなさいね、付き添いではない大佐に買いに行かせてしまって」
 ミセス准将と心優の二人だった。
 待機している連絡船は一隻になっていて、その向こうの海上には二隻の連絡船がすでに出発してしまったところ。
「橘さんには先に帰ってもらったわ。私が雅臣に我が侭のお遣いをさせたから、私が待っていて連れて帰るってね」
「はあ……、そうでしたか。あ、これ、どうぞ。冷たいうちに」
 冷えた缶ジュースを雅臣は彼女に差し出す。
「ありがとう。今日みたいな暑い日には欲しくなってしまうの」
 もう甲板でのミセス准将の顔ではなくなっていた。雅臣が時々出会う、お姉様の顔だったからなんだか逆に落ち着きがなくなってしまう。
 なに考えているんだ。でも雅臣はこの状況になって気がついた。『わざと俺に少し離れた場所に買い物に行かせて、他の者は先に帰して、人払いをしたんだ』と――。
 つまり、雅臣と対面して話したいなにかがあるということ。
「さあ、帰りましょう」
 心優が先に船室へと乗り込み、ミセス准将の前を気遣っている。ミセスが船室に入ってから、雅臣も後をついていく。

 

 

 

 

Update/2016.6.2
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