◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(14)

 

 早々に海東司令は横須賀基地へ帰還。それを見送った後も、雅臣と心優は准将室へ戻っても帰宅せず。
「貴方達、帰りなさいよ。あちこちご挨拶回りしたみたいで疲れているのでしょう」
 明日からでいいから――と御園准将が呆れている。
「こんな一大事が起きているのに、では、明日からゆっくり検討しましょうなんて気持ちで帰れませんよ」
 御園准将が溜め息をつきながらデスクの皮椅子に座ると、雅臣も正面に向きあった。心優はその隣に控える。
「だから。ゆっくり検討するのよ。まだ時間はあるんだから」
「ですが……。どうされるつもりなのですか」
「うん、そうね」
 ミセス准将の目が、艦長の目になっている。海上の、ブリッジでクルーを束ねている時、またスクランブル発進でパイロットを空へ見送る時の『指揮をする』という時の目。
「高須賀さんからの報告を聞いてから、ずっと『最悪の想定』はしてる」
「最悪の……? ……それはつまり、撃ち合いの戦闘になるということですか」
「うーん。なんか、それだけはならないと思えるのよね。どうしてかしら」
 そこは妙に呑気な様子でミセス准将は首を傾げた。雅臣にとってはパイロットを護りたい気持ちがいっぱいいっぱいのようで、その呑気さに眉をひそめている。
「どうして、そうならないと感じられているのですか?」
「だから。私は『王子君』の汚名返上であると思うの。それさえ済めば大人しくなると思う。でも……。細川連隊長が言うように、二度と私とは対峙したくないから、私を失脚に追い込んで退いてもらう。そうすれば危険な目に遭わせなくて済む。自分の名誉も復活する――という狙いもあると思う」
 そこで雅臣も顎をさすりながら考え込む姿。一時して雅臣から言い出す。
「では。雷神と王子の真っ向勝負をすればいいということですか」
「口当たりよく言うと『競技をする』……かしらね」
「競技――。スポーツ対戦ですか。は、冗談でしょ? あそこは『ルールがあるけど、ルールなど守られない』場所ですよ」
「口当たり良く――と言ったでしょ。こっちだって、仕掛けられている以上、また射撃をされるぐらいの覚悟で行くわよ。だから……」
 『だから?』
 その後、御園准将が考えていることを告げられる。
 雅臣はそれに驚き、でも……。
「わかりました。では、その任命は准将から彼等に伝えていただけるのですね」
「もちろんよ」
「では。俺は彼等を護ることを考えます」
「そのつもりの訓練に切り替えて。エースコンバットは帰還するまで保留よ」
「かしこまりました」
 師弟の意志が揃ったようだった。雅臣も納得できたようで、心優はホッとする。
「貴方達はどうなの。婚姻届、ご家族と一緒に書いてきたのでしょう。今日にでも入籍するの?」
 息が詰まる話はここでお終い。やっとミセス准将がいつもの葉月さんの笑顔を見せてくれる。
 そして心優と雅臣もちょっと照れくさいまま顔を見合わせたが、雅臣から婚姻届を出して准将デスクに広げた。
「ほんとうだわ。ご両家のお父様も認めてくださったのね。ご家族もお喜びのことでしょう」
 あのミセス准将が優美な笑みで嬉しそうに見てくれる。
「明日、彼女と一緒に人事課に隣接している島役場出張所に提出する予定です」
「そう。雅臣、心優、おめでとう。私も嬉しいわ。そばにいる二人が結ばれて」
 二人揃って『ありがとうございます』と礼をする。
「明日、提出する時はでかける許可をするから、時間を教えてね」
「はい。俺が訓練から帰ってきた昼休みにしようと思っています」
「わかったわ。その時に心優も出せるように準備しておきます。それから……」
 准将が木彫りデスクの引き出しを開ける。取り出したものを心優の前に差し出してくれる。
「それが終わったら、心優、これを受け取ってね」
 それには部署と階級、そして英語名の他に、『城戸心優』と記されたネームプレートだった。
「隼人さん同様に、正式には城戸、雅臣と分ける時は園田ということも内々には周知してあるから」
 着々として準備をしてくれていた。留守の間に、心優は城戸心優になる準備を……。
「准将、ありがとうございます」
「名字が変わるって……、やっぱり結婚するってかんじね」
 御園准将がちょっと致しかたなさそうに微笑んだ。
 そっか。婿養子をとられて、ご自分は名字は変わらなかったからか――と心優は気がつく。
「でも、わたしも、いつか准将がおっしゃっていたように、婚姻届に書いた瞬間が『結婚する』という実感、本当にありました」
「心優も、結婚式は後だものね……。だからよ、きっと……。私も……命拾いしてすぐだったから、隼人さんがいま入籍したいと言ってくれて。それだけで嬉しかった」
 時々しかみせない女性の顔になっている。雅臣もそんな葉月さんに気がついたようで、見守る男のようにして微笑んでいる。
「俺、その時の隼人さんの気持ち、凄くわかります。一緒になりたいんですよ、一刻も早く」
「でも。帰還したら、きちんとしたお式は挙げなさい。私はね……。フランクの兄様やコリンズ大佐の企みでね……、空母艦で式をしたの」
 え!? 心優はそんなことできるの?? とびっくりした。雅臣は『そうでしたね』と知っている様子。
「あなた達もどう? いえば正義兄様、けっこう乗ってくれると思うわよ」
「いいいやいやいや、とんでもない!!! そんな俺達の為に、そんな!!」
「あ、そうだ。雅臣の靴をホワイトのピトー管にくっつけて、シュートブーツとかおもしろそう」
「やめてくださいよ! それって空母の任務期間を無事に終え、甲板を離れる隊員にする餞別の儀式でしょ!」
 面白がっていた准将だったが『それもそうね』と思い止まったようだった。
「でも、心優が空母艦で結婚式してくれたら、私も嬉しいなあ」
 彼女の目がきらっと光った。が!
「いえ、あの、わたし達は家族のこともあるので、横須賀か静岡県内でしようと思っているんです。御園ご夫妻が立会人をしてくださるのもそこでお願いしたいです」
「それはそれ。空母は、隊員達に祝ってもらうのよ。参加自由にしたら、ソニック大好き男達がこぞってやってくるわよ」
 うわー、そういう派手なことはやめてください――と雅臣が顔を真っ赤にして拒否をした。
 確かに、確かに! そんな恥ずかしい。絶対にそこでまた『キスをしろ』だのなんだの、悪戯大好きな海の男達になにか仕掛けられるに決まってる!!
「あー、そうだ。葉月さんに相談したいことがあったんですよ!」
 その気になりそうな葉月さんの気を逸らそうと、雅臣が必死になる。
「え、なに?」
 そんな咄嗟に出てきた言葉だろうに。でも気を逸らそうとしていると思っていた心優は、雅臣が言いだしたことに驚かされる。
「帰還後、島の何処かに家を建てたいと思っています。葉月さんも結婚する時にいまの家を建てられたんですよね。どうすればいいかと思って――」
 そうか。入籍にばかり気を取られていたけれど、それが終わったら今度は『わたし達のおうち』を探すんだ。臣さん、もうそこに向かってると心優は感激してしまう。
 すると御園准将がケロッと軽く言った。
「うちの土地、とかどう?」
 うちの土地? 心優と雅臣は首を傾げる。その土地どこにあるの、というか、御園の土地なんてあるの? と。
「私がいま住んでいるあたりの一帯の土地を買い上げたのよ。これからうちの不動産会社があそこに家を建てて、島民の若い世代とか隊員をターゲットに販売する予定なの」
 二人揃ってギョッとした。だから、これだから! 葉月さんは資産家のご令嬢なんだって!!
「うちみたいに、輸入住宅にする予定なのよ。義兄の部下になる男性がずっと不動産を担当してくれていて、彼の会社が管理しているから、心優と雅臣の計画や理想を聞かせてくれたら、ぜんぶうちで引き受けてもいいわよ。その人に会ってみる?」
 輸入住宅! その言葉に心優は一気に惹かれてしまった。
「あの、どんな輸入住宅なのですか。雅臣さんのご実家も輸入住宅ですごく素敵だったんです。わたしも、あんなゆったりした間取りの自宅がいいなって」
「あら、そうなの。うちも輸入で、彼の会社に建ててもらったの。海野もそうよ。なんだったら、うちの近くに建てたら? お互いの夫が留守になる時も、私も心優のお手伝いできると思うし……。私も、これから海人が独立したら独りになっちゃうかもしれないから、心優がいてくれたら安心だし……」
 それを聞いていた雅臣が急に真顔になる。
「俺が留守の間……。お願いしてもよろしいのですか」
「もちろんよ。こちらもお願いしたいくらいよ」
 雅臣が決した目をする。
「お願いします。是非、その方に会わせてください」
「わかったわ。伝えておく。ここのところずっと小笠原を拠点にしてお仕事をしているから、シドが住んでいる丘のマンションの義兄のところにいるわ。時間が取れたら教えるわね」
 どんな方なんだろう。御園のお商売を引き受けている男性なんて、あのミスターエドのように凄腕の社長さんだよね……とちょっと緊張していると。
「心優は一度会ったことがあるわね。セスナでここまで来る時に、エドともうひとり、金髪の男性がいたでしょう」
「ああ、あのとっても上品な方」
「エドの先輩でね、ジュールというの。シドのおじ様みたいな感じね。パイロットはシドのお母様だったでしょう」
「はい。フランク大尉とおなじ、綺麗なアクアマリンの瞳の方でした」
「いまは……。シドの父親がわりねきっと……。シドは彼に認められたくて頑張っているのよ。猫パパね」
 猫パパ――。そう聞いて、心優も雅臣もそれだけで固くなった。つまり、ミスターエドのように、表の顔は医師でボディーガードだけれど、裏の顔は黒猫諜報員。その人もそんな人、黒猫リーダーということらしい。
 でも。シドがいつもいう『おじき』のことだろうと気がついて、心優は急に会いたくなった。どこか刹那的な生き方をしている彼をなんとかしてくれるのではないかと。
「土地だけでも下見にいらっしゃいよ。海に近くて風も程よくて気持ちがいいわよ。ジュールが子供用の公園も造ると言っていたから、そのうちに子供が育てやすい環境に整えていくと思うのよ」
 それまますます好条件。心優は楽しみになってきた。
「葉月さん、ありがとうございます。その方にお会いした後、心優と見に行きますね」
「なんかうちのお商売押しつけちゃったみたい。でも、住みやすいと思うのよ」
 それはご自分がそこで家庭を築いてきたからなのだろう。その不動産社長も、御園家で試験モデルにしてきたのかもしれない。
 これで入籍して、家のことも考えて。任務のことはあるけれど、帰ってきたらうんと幸せなことがいっぱい起きそうだから、やっぱり頑張って還ってくる。
 心優は城戸心優のネームを前にして微笑んだ。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 長期休暇を終えて翌日。昨夜は疲れ切って雅臣も心優もぐっすり。でもぴったり抱き合って眠った。
 いよいよ、本日。心優は『城戸心優』になる

 だが、朝一番。訓練が開始される前に、御園准将はもう動き出していた。
「失礼致します」
 朝一の准将室を訪ねてきたのは、鈴木少佐とクライトン少佐の二人だった。
 二人ともまだ凛々しいネクタイの夏服制服のまま。訓練に行く前に、上司に『准将室へ行け』と言われてやってきたようだった。
 それもそのはずで、御園准将も今日一番最初にやることとして、このパイロット二名を呼ぶと決めていた。
「おはよう、英太、フレディ」
 随分と砕けた呼び方だったけれど、雷神パイロットの二人は朝一番に呼ばれたことで既に気構えている。
 御園准将も皮椅子から立ち上がり、彼等を正面に向かう。
「あ、英太。またノーネクタイで出勤したでしょう」
 姉貴の顔で葉月さんが鈴木少佐の黒ネクタイを指さした。図星だったのか、鈴木少佐が頬を染めてぎゅっと首元まで締め直した。
「わかるんだから。いつもノーネクタイで出勤して、スナイダーの朝会で毎日注意されて、それからやっとネクタイ。或いはもう飛行服に着替えちゃうからしないでもいいかー。午後からきちんと締めるしー、なんて」
「い、いいじゃないですか、ここにくるのにきちんと締め……」
「スナイダーに怒られて、慌てて締めてきたんでしょ。フレディはいつもクールで素敵ね。『お兄さん』と並ぶとなおさらにわかっちゃうわよ、英太」
 ますます鈴木少佐が真っ赤になる。ついに親友のクライトン少佐がくすっと笑ってしまう。もう素直すぎてわかりやすくて心優まで笑いたくなるけど堪えた。
 何故なら。今から彼等に告げられることはとてつもなく過酷なことだったから。でもクールなクライトン少佐の表情まで崩させて、ミセス准将も彼等の構えを解こうとしている。
 それでも今から彼等が告げられることに、このほぐしは関係ないと心優は思ってしまう。つまり、告げる御園准将もこの重さから逃れたいという気持ちの表れ。
「訓練前、朝早くからご苦労様。今日は貴方達二人に伝えたいこと、聞いておきたいことがあり呼びました」
 准将の言葉に、二人が揃って敬礼をし凛々しい顔つきに。心優はただただ黙って、御園准将の後ろに控える。
「まずは、これを……」
 昨日同様に、御園准将はあのタブレットの画像を、彼等にも見せた。
「今日、午後の雷神ミーティングで周知する予定よ」
 やはり、雷神パイロットの二人も驚き息を引くような反応を見せた。
「尾翼に銃撃の痕、まさか機関砲で撃たれた?」
 クライトン少佐が青ざめる。
「この尾翼イラスト、菊と雲の……。岩国の空海だ。パイロットは!」
「無事よ。火災もなく着艦している」
 昨日と同じように准将が答えた。
「それで昨日、海東司令がいらしていたのですか」
 クライトン少佐は落ち着いている。でもフライト空海の尾翼画像を見る目は燃えているように心優には見えた。
「なんでこんなことが起きたんだよ!」
 鈴木少佐は相変わらずの悪ガキぶり。准将だろうがなんだろうが、いつもの遠慮無さで叫ぶ。
「この後すぐ、雷神キャプテンのスコーピオン、スナイダーを呼ぶつもりなの。その時にも報告するけれど、高須賀准将が東シナ海を巡航している時に、これまで認識されなかった機体番号のスホーイが侵犯も厭わず、挑発的なアタックをしてくるという報告が数日前に。高須賀准将も感じるところがあったのか、その機体のことを『王子』と呼ぶようになった」
 『王子?』――、パイロットの二人が眉をひそめ訝しむ。
「前回の航海で、貴方達が必死に追ってくれたバーティゴ事故を起こしたパイロットのことよ」
「あの、不審者を招き寄せたという司令総監の子息だった男のことですか」
「そう」
「なんでだよ! あんな事故を起こして、こっちの空母もすげえ危機にさらされたし、園田さんだって不審者と対戦して危なかったじゃねえかよ。こっちが護ってやって、葉月さんが丁寧親切に保護して海東司令が骨折って大事に国に帰したのに、この仕打ちかよ!」
「英太。いつも言っているでしょう。彼等は『悪』ではない。彼等も生きて行かねばならない立場と文化があると。だけれどそれが相容れぬのが国と国。そのせめぎあいの一線を『護る』のが、防衛……」
「その一線を越えてるじゃないか!!!」
 大きな声に、心優は耳を塞いで、目も瞑ってしまう。そういう血の気多い青年の怒声。
 それでも御園准将は動じず、いつも通り冷ややかに受け止めている。涼しげな眼差しがそのまま弟分に注がれる。
「越えた一線を、向こうに押し返すの。私達の手で、バランスを取り返すの。でも押し返すには『押された以上の力が必要』。バランスが崩れた限り、こちらもリスクを負わねばならない。それも防衛を担う者の役割。そのために、国民に支えてもらっている」
「わかってる、そんなこと……。でも、リスクって……」
 鈴木少佐は先を問うたが、クライトン少佐が答える。
「それで。私と鈴木をお呼びになられたということですか」
「そう」
 同僚の言葉に、鈴木少佐もやっと悟った顔に。
 ミセス准将がひんやりした顔で彼等に告げる。
「貴方達二人に、最も前に出てもらいたいの」
 最も前――。どのパイロットよりも敵機に向かえという准将からの申し出。
「王子と正面対決をしようと思う。でもそれには今までのような『ご挨拶』というわけにはいかない。あちらが機関砲を使ってきた以上、二度目もあると思って接戦をしてもらう。圧倒的な実力であちらを押し返して欲しい」
 その指令に、鈴木少佐の目が燃えさかった。これまたわかりやすく……。
「もちろんだよ、あったりまえだろ!」
「ただ! それを望まぬ保守的な上層部もいると海東司令から聞かされている。つまり……、私と心中できるかという話」
 『私と心中』。それは彼女が昨日、雅臣に告げたことだった。
 上層部には僅かな被害も許さない、それならば退けという高官もいるらしい。そもそも『高須賀准将と御園准将が押し気味の航路を無理に押し通して、大陸国を刺激したからだ』とも言われているとのこと。
 帰り際、海東司令は言っていた。『ここが私達の正念場です。貴女と私と高須賀准将の指針が正しかったかどうか。失敗すれば、私達は失脚、貴女だけではなく私も更迭されることでしょう』と――。
 さらに海東司令はこうも言っていた。『それでも、大陸国の防空識別圏からのアラート傾向のデーターを採取できたのは、貴女が一貫してきた押し気味航路のおかげという評価はある。貴女と高須賀さんがそうしてくれたから、保守的な航路を取る艦長達が楽することができたのですから』。
 昨日雅臣は、御園准将から『バレットとスプリンターを行かせて欲しい。ただ彼等の運命は私と共になる。勝負に負ければ、私達は終わる。だから絶対に負けられない』と告げられた。
 『競技だ』とやんわりと表現されたことに不服だった雅臣も、ミセスの秘めたる闘志を見せられ御園准将に共鳴できていることに納得し、彼女の指針に従うことになった。
「上層部に反する指揮をすることもあるかもしれない。その時はあなた達に、いままでにないことを頼むかもしれない。それでも私に委ねて従ってくれるのか、それを今日は知りたい」
 二人のパイロットが、僚機同士の二人が顔を見合わせ、すぐに頷いた。
「自分はやります。そのための貴女の猟犬(ハウンド)。そうだろ、葉月さん」
「自分も同じです。貴女に見出して頂き、ここまできたのです。いまこそ上官の上等な猟犬(ハウンド)とならず、いつその本来の役割を果たせというのですか」
 二人の決意は既に固まっていた。どんな時も貴女の指示で飛んできた。最高のハウンドは俺達だとばかりに。
「英太。撃たれても?」
「いつだってその覚悟でファイターパイロットをしてきたんだ。当然だろ。俺のドッグタグはミセス准将のものだ」
「フレディ。帰還できなくても?」
「パイロットになった時からその覚悟です。家族も、妻も同じです」
 殉職も視野に入れろという、御園准将らしくない確認に、心優は涙が滲みそうになる。そういういままでにない過酷な対戦が待っているという空気がひしひしと伝わってくるから。
「ありがとう。では、大陸国が今回のような対戦をしかけてきたら、あなた達を最前線に送ります。スナイダー……、スコーピオンのウィラードにはあなた達の援護をお願いするつもり。スコーピオンのスナイダーは、最前線のドッグファイトの役割より視野を広くして空戦を判断することに長けているからね。その分、あなた達は視野を狭くしてもいいぐらいのバックアップをしてもらうわ」
「スナイダー先輩なら、キャプテンなら安心です。俺と最後まで1対9を争ってきた先輩です」
 鈴木少佐も納得した。
「自分もキャプテンになら周囲を任せられます。では、自分たちは『王子』だけに集中すればいいということですね」
「そうよ。ただ、この通り。岩国のエースフライト空海がきちんと帰還できるような『撃ち方』ができる腕前よ。バーティゴに陥ったとはいえ、最後の脱出の時は咄嗟の判断で操縦桿を回避方向へ切ってから脱出してくれた。そういう瞬時の判断力も非常に優れていると思う」
「望むところだ。二度とこちらの国に入ってこないよう徹底的に追い返してやる」
「自分もです。こちらへの侵犯はいっさい許しません。それが家族を護ることだと思って飛んでいます」
 『よろしい』と、御園准将もその意志を受け取った。
 そこでやっとミセス准将は、ひと息ついて皮椅子に座った。
「引き受けてくれてありがとう。あとひとつ。貴方達に話があるの」
 そう言って、ミセス准将は木彫りの引きだしから、あの紙をデスクの上に出した。
 それも雅臣が既に聞かされていた話――。それをさらに今から彼等に。
「リスクばかりの話をしたけれど、貴方達には無事帰還した後、新しい部署への転属を検討してもらいたいの」
 新しい部署? また二人が揃って驚きの顔を揃えた。
 雷神を辞めさせられるという話だからだ。
「新しいって、葉月さん、俺達が任務で失敗したら、どこへ行くかという話ってことかよ」
「……それも致し方ないと自分は思っていますが……、どのような部署ですか」
 さらにミセス准将は、彼等にあのイラストを見せた。
「これ、海東司令が描いたの。『salamander(サラマンダー)』というの。知ってる?」
「salamander? サンショウウオ?」
「英太、貴方、私と一緒ね」
 准将は貴方と一緒かと苦笑い。逆にクライトン少佐はインテリジェンスなのかさらっと答える。
「火の中でも生きていられるという伝説のトカゲのことですよね」
「そう――」
 御園准将がやっと二人に告げる。
「二年後ぐらいに、小笠原の訓練校に『アグレッサー飛行部隊』を設立することになったの」
 アグレッサーを! やっと二人のパイロットがおののいた。
「任務に成功して帰還、雷神での職務を果たした二年後、貴方達二人には、このアグレッサーに来てもらおうと考えている」
 さらに二人のパイロットが衝撃を受けた顔になる。いや以上に、戸惑い困惑と言った方がいい。
「ア、アグレッサーて……いままでは、フロリダかシアトルの湾岸部隊にしてもらってたあれかよ、葉月さん?」
「本家本元にお願いしても日本に来てもらうにはスケジュール的に一年に一度か二度が精一杯。もっと国内で精度を上げたいと思っていたの。そうしたら、自前であったほうがいいでしょう」
「待ってください。雷神を辞めるということは、自分たちにはもう……」
 せっかくパイロット達が羨む雷神に配属され活躍してるのに、そこを辞めろと言うのかとクライトン少佐は戸惑っている。
「その雷神を凌駕する恐れるフライトを作るってことよ。フレディ、貴方にそのフライトの飛行隊長をしてもらおうと思っている」
 さらにクライトン少佐が驚愕の表情に固まった。
「は、葉月さん! ってことは、フレディがキャプテンになって! 雷神よりも強ええ部隊に配属してくれるってことかよ!」
「そうよ、英太。見て、この炎の中にいるトカゲを。海東司令が言っていたわ。雷神の雷(いかずち)もものともしない火蜥蜴と」
 雷神が来ても平気な顔をしている火の生き物、飛行部隊。その意味に、鈴木少佐が武者震いを起こしたのを心優は見る。
「俺に、そこに来て欲しいっていうのかよ。葉月さん」
「そう。監督になる指揮教官ももう打診しているの。平井さんよ。貴方達の最初の雷神キャプテン」
「平井さんが帰ってくるかもしれないってことかよ! しかも、す、すげえじゃん。フレディ! 飛行隊長就任だって!」
 すげえ! と鈴木少佐はますます盛り上がっていたが、クライトン少佐は海東司令が描いたイラストを見つめたまま神妙だった。
「ですが……。アグレッサーとなると、もう航海任務からは外れ、広報もなしということになりますね……」
「そうね……。真っ白な飛行服の雷神は、最前線で活躍し、広報では国民に讃えられる」
 『あ、そうなるのか』と鈴木少佐も気がついて、喜び勇んだ勢いを引っ込めてしまう。
「確かに、アグレッサー部隊に所属されると目に見えなくはなる。広報という輝かしいステージもなくなる。でも、日本に所属する連合軍パイロットには悪魔のように恐れられ崇められる。雷神というエースパイロット達からも恐れられるパイロット集団になるのよ」
 雷神の上になるんだということ。そこに二人の少佐は気がついたようだったが、雷神というステイタスを直ぐには捨てきれないようだった。
「海東司令がさらに言っていた。雷神が白い飛行服なら、サラマンダーの火蜥蜴部隊は濃紺の黒に近い飛行服にする。ワッペンは紺と相反するように真っ黄色の炎の中に、真っ青なサマランダー。炎の中でも平然としていられる男達にしたいそうよ」
 真っ白な華々しい雷神というパイロットから、暗転、仮想敵を担う真っ黒の飛行部隊になる。
「へえ、おもしろそうだな。それ」
 鈴木少佐は食指が動いたようだった。
「自分も魅力を感じます」
「だったら、任務で成果をあげ帰還する。帰還後は、雷神を卒業するまでに、フレディはジャックナイフの称号を、英太は1対9のエースコンバットを制覇すれば、アグレッサーにも泊がつくわね。考えておいて」
 二人が揃って頷く。
「今日からは、城戸大佐が徹底的に『仮想敵』をやってくれるそうよ。彼が小笠原に帰ってくる前に、名を伏せて岩国との訓練で指揮をしていたことは覚えているわね。パイロットの苦痛は知り尽くしているソニック先輩の手厳しさを……」
 二人が強く頷く。
「行きなさい。出航までに、どんな状況でもアタックでも切り抜ける腕を磨いておきなさい」
「イエス、マム!」
 さらに毅然とした敬礼をし、少佐二人がきりっとしたまま准将室を出て行った。
「次はスナイダーを呼んでくれる、心優」
「はい。スコーピオンのウィラード中佐ですね」
 准将が溜め息をつきつつ、椅子の背もたれに身体を預ける姿。
「午後は雅臣かな……。殺すほど手厳しくして欲しいとお願いしたい……」
 雅臣は『護る』と昨日告げていたが、その『護る』は訓練では『殺す』に迫って欲しいという意味。
 内線受話器を手に取った心優は静かに答える。
「城戸大佐はきっとそうします。彼等を護るために、恐ろしい仮想敵をしてくれるはずです」
 アグレッサーへと最終的な行き先を見つけた大佐殿の目が忘れられない。
「でも、雅臣には雷神の指揮官としてまだまだ経験してもらいたい。雷神を率いて、艦長としての経歴も積んで欲しい。アグレッサーができたら、そのアグレッサーに耐えうる雷神を指揮してもらうの。どうしてアグレッサーには勝てないのか、その必勝法をアドバイスする側としてまだ雷神にいて欲しい。逆に新人アグレッサー達に雷神だって侮れないと焦らせるようにしてほしい。彼がアグレッサーに来るのはそれからよ」
 夫になる大佐殿の行く道はまだ長い。心優はそう思いながら、動き出したミセス准将の補佐に集中する。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 ランチを御園准将と終えると、心優はそわそわ。
 デスクにおいている携帯電話が震えた。『陸に戻った。着替えたら、業務隊の人事部に向かう。○○分後』とのメッセージ。
「雅臣、帰ってきたの?」
「はい」
「いってらっしゃい」
 帰ってきたら城戸心優ね――。准将が笑って見送ってくれた。

 業務隊は隣の棟、一階にある。高官棟を出て、真っ青な夏空の下、心優はぴんくの百日紅がさざめく渡り廊下を急ぐ。
 人事部などがある業務隊。その隣に島役場の出張所が、ひとつの窓を受付にして設置されている。
 業務隊も大きな部署。基地のあらゆる運営に事務を総轄しているところ。事務官の数もはんぱじゃない。女性事務官が特に多い部署。
 賑わいと人目を避けられるところで心優は雅臣を待った。
 伝言通りの時間に、夏服制服に着替えた雅臣がやってきた。
「心優、お待たせ」
「お疲れ様、臣さん」
 彼が心優の頭を撫でてくれる。今日からプレッシャーのある訓練だっただろうに、いつものお猿の愛嬌あるスマイルに心優も笑顔になれる。
「では、行こうか」
「うん」
 雅臣の手には婚姻届け。家族の気持ちも乗せて。二人は一緒に通路を行く。
「お願いします」
 窓枠を覗き込むと、年配の出張所職員がやってきてくれる。
「ああ、城戸大佐じゃないの」
「はい。先日はありがとうございました」
「お、園田中尉もお疲れ様」
「お疲れ様です」
 隊員なら誰もが知っている役場職員のおじさん。カフェテリアでもよく隊員達と話している姿を見るほどだから、隊員のこともよく知っている。
「いよいよかな。待っていたよ」
 雅臣が婚姻届をもらいに来たことも、城戸大佐と園田中尉が結婚することも重々に承知の様子。軍の話題もよくご存じのはずだから。
 窓の中にあるカウンター、そこに婚姻届が開かれる。
 眼鏡の職員おじ様が、真顔で記入箇所捺印箇所を確認している。
 心優はドキドキ……。ほんとにこれで結婚? もう園田じゃなくなっちゃう……。
「はい、確かに受け取りました。ご結婚、おめでとうございます」
 眼鏡の職員おじ様のにっこり笑顔に、心優と雅臣は笑顔で向きあう。
「心優、……よろしくな」
「うん。奥さんになっちゃった……。ど、どうしよう……」
 涙が出てきてしまった。『やったね、臣さん!』と喜びいっぱい笑顔で……と思っていたのに。
 それもこれも、やっぱり大佐殿は過酷な使命を負っていると痛感したから。わたしは海に出て行く男の妻、空を護る男の妻。無事に還ってくることを信じるしかない妻になったのだから。
「わかっている、心優。心配をいっぱいかけると思う。でも、約束する。俺は還っ」
 
結婚、おめでとう! 城戸大佐、心優ちゃん!!
 
 涙うるうる、大きなお猿さんが優しく諭してくれていたのに。心優と雅臣の後ろにあった業務隊のドアがバンと開いて、そこから何人もの男達が飛び出してきた。

「先輩、園田さん、結婚、おめでとう!」
 すぐ目の前に飛び出してきたのは、まだ白い飛行服姿の鈴木少佐。
 彼の手には、真っ白なカラーの花が一本。それを差し出してくれている。
「英太、園田さんじゃないだろ。もうミセス城戸だ」
 クールなクライトン少佐も白い飛行服のまま、鈴木少佐の隣に並んだ。
「城戸大佐、ご結婚、おめでとうございます」
 雅臣にはクライントン少佐から白いカラーの花が……。
 でもお猿さんは、しんみり入籍を済ませて、新妻と二人……というところをドカンと空気を壊されたまま茫然としている。
「あははー、この基地で入籍なんてするからだよ! 俺が放っておくと思ったのかこのやろ!」
 橘大佐が、鈴木少佐とクライトン少佐の後ろから大笑い。彼も白いカラーの花を手にしている。
「ま、また、先輩の仕業ですか!」
「ったりめーだろ。今日入籍、いまから入籍と聞いて、お祝いナシで終わるわけないだろ。雷神、一同引き連れてきたぜー。もうな、今日、この時間に業務隊に隠れて待たせて欲しいって手も打ってたんだよ。おまえがシャワーを浴びているうちに、俺達着替えないでサッと大移動な」
「そ、そういえば……。誰もいなかった。みんな、今日はメシ行くの早ええ……て」
「雅臣は騙しやすいからな、大成功!」
 悪ガキ先輩はただではすまない。この前も、今日も! 心優はただただ唖然とするばかり。
 城戸大佐、ミセス城戸、おめでとうございます――。
 キャプテンのスコーピオンを始めに、ゴリラにマックス、ミッキーにジャンボ、ドラゴンフライに……と、雷神のパイロット達が交互に、雅臣と心優に白いカラーの花を渡してくれる。
「あ、ありがとうな。みんな」
「ありがとうございます」
 雅臣はやっぱり涙ぐんじゃって、心優は早速『ミセス城戸』と呼ばれてちょっと照れくさい。
「葉月ちゃんも来いよ、澤村君も」
 白い飛行服軍団の後ろに、その二人が静かに立っていた。
「心優、雅臣、おめでとう」
「園田、雅臣君、おめでとう」
 御園夫妻が最後に、それぞれ、白いカラーの花を差し出してくれる。
 二人の手にいっぱいの白い花。賑やかにされちゃったけれど、それでも雅臣も心優も嬉しくて感激して笑顔になる。
「橘大佐、雷神のみんな、御園准将、御園大佐、ありがとうございます」
「ありがとうございます、皆様」
 二人で本当の結婚式のように、参列者みたいになってくれた上司に同僚に後輩にお礼をする。
「やっぱりね、こうなると思った」
 役場職員のおじ様もにんまり。
「昨日から橘大佐がうろうろしていたからねえ」
 そうだったんだと心優と雅臣はちょっと苦笑い。だがだんだん嫌な予感。
「俺達が証人になってやるからさ! 雅臣、いまやれよ」
「は? な、なにをですか」
「指輪交換だよ!」
「えー、静かに二人きりで……」
 指輪、指輪、リング、リング、エンゲージリング、マリッジリング――と、雷神のパイロット達が大騒ぎ。そのせいで、業務隊の隊長も女の子達も『え、城戸大佐と園田さんの指輪交換?』と出てきてしまう。
「もうーわかったって! くっそ!! 明日の訓練、全機撃破してやるっ」
 破れかぶれで雅臣がスラックスのポケットからリングのケースを出した。
 今回の帰省で注文していたものを二人で取りに行った。それを雅臣が『明日、入籍した後、静かなところで二人でランチをしよう。その時に……』と言っていたのに。
 でも心優は思い出す。胸元にそっと手を当てる。このブラックオパールのペンダントをもらった時も、海の男達が祝福してくれた。
 それに彼等は、これから雅臣と一緒に最前線に行く男達――。
「大佐、お願いします」
 心優からにっこり左手を出した。
 その気になった新妻を見て、雅臣も腹をくくったのか、ケースから指輪を取り出した。
 銀色の、なんの飾り気もないリング。
「心優、」
 彼が左手を取り、薬指に銀のリングを通そうとする。
「さっき言いそびれたけれど。絶対におまえのところに還ってくる。心優に会いたいから」
 熱い涙がこぼれた……。
 今度は心優から。大佐殿の大きな手を持ち、彼の長い薬指に。
「待っています。大佐殿。海の上でも、わたしはここにいます」
 そう告げながら、心優は彼の指に銀のリングをはめた。
 おめでとう!! 雷神の男達がまた爆発したように叫んだので、ついに業務隊からも沢山の隊員が出てきてしまう。
 なのに仕掛けた橘大佐は泣いているし。御園准将と御園大佐は、いつになくお二人で寄り添って、こちらを見守ってくれるように穏やかに微笑んでくれている。

「また、大騒ぎになっちゃったね」
「諦めよう。きっとずっとこんなだ」

 でも雅臣も結局は嬉しそう。
 そうだね。こうして海の男達と賑やかにすごしていければいいね。
 それがわたし達、城戸家の幸せになるような気がする。

 その日の午後、心優は会う人会う人に『城戸中尉、おめでとう』、『ミセス城戸、おめでとう』と言われるように。
 わたしも、ミセスになっちゃった。
 銀の指輪を目の前にするたびに、心優は微笑む。

 

 

 

 

Update/2016.11.14
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