◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(15)

 

「園田、これとこれと、これ。これも、これも。よろしくな」
 結婚しても全然変わらない人もいた。
 眼鏡の大佐だけ、何日経っても心優を旧姓で呼ぶ。

 珊瑚礁の海が夕の色に変わった頃。工学科科長室にお遣いがあってやってきたら、科長である御園大佐にごっそりとデーターディスクやらUSBメモリーやら資料を渡された。
「ミセス准将にどんだけ俺が苦労してかき集めたか言っておけ」
 すっごく不機嫌で、いつもは美味しい紅茶やカフェオレをご馳走してくれたり、ちょっとしたお話しをしてくれるのに。それを楽しみにしていたのに、今日は期待はずれ。
 入籍してから初めて、工学科を訪ねたので、今日は結婚のことについて色々と話せたらいいなあと思っていた心優だったが、背を向けてぷりぷりしている様子の大佐を見て諦めた。
「お手数をおかけしました。そのように准将にお伝えします」
 そうして退室しようとしたら、御園大佐を長年補佐してきた吉田大尉が溜め息をついた。
「科長、心優さんは結婚したのですよ。もう園田さんでは……」
「俺は旧姓で呼ぶ。吉田だってそうだろ。なにか、今日からラングラーさんと呼んだ方がいいか?」
 ラングラー中佐の奥様である小夜さんも、眼鏡の大佐の不機嫌さに手を焼いているようだった。
「失礼致しました」
 触らぬ神に祟りなし――。帰ろう、今日は帰ろう。心優はそっと工学科科長室を退室した。
 すぐそこの階段を下りていると、『園田さん』と吉田大尉が追いかけてきた。
「ごめんなさいね。なんだか最近、ずっとあんな感じなの……」
「そうでしたか。珍しいですね」
「あの、工学科の科長室では『園田さん』と呼ばせてもらってもいい? 毎日、城戸大佐も来るでしょう。混乱しちゃいそうだから」
「構いません。そのつもりで、呼び分けていたいだくようお願いしております」
 うちの部署ではどう呼ぶ? そんな問い合わせも多いこの頃。結婚したばかりで、なんだか心優の周辺はまだちょっと落ち着きがない。
「ところで。最近、そちらの准将室にうちの隼人さんが訪ねていた時、なにかあったりした?」
 あった――と、心優はすぐに思いついたけれど、『アグレッサー部隊を作る』というまだ極秘の情報を挟んでの喧嘩だったので安易に言えない。
「なにもなかったようですよ」
 ああ、心苦しいな。上官の情報を護るために、親切なこの大尉にまで嘘をつかなくちゃいけないなんて――と心優もやるせない。
 でも、こちらも心優の上官であるラングラー中佐の奥様。奥様もまったく感じてもいないということは、ラングラー中佐は完璧に妻に情報を伏せ隠し通しているということになる。
 ここで下っ端護衛官が心苦しさからふっと漏らしたりしたら大変なことになる。それくらいわかるようになってきた。
「そう……。……テッドも口が堅いのよね。だからって、彼の部下である貴女に聞けばわかるだなんて、失礼だったわよね。テッドが口外しないことは、部下も口外しない。そうあって然るべき躾をするのがあの人の仕事」
 こちらは秘書室長の立派な奥様だった。心優の立場も考慮してくれる。
「いいわよ。大佐のことだから。すぐにいつも通り奥さんをおちょくって楽しめる旦那さんに戻るわよ」
「きっとそうですよ」
 『結婚、おめでとう』、お祝いの言葉に心優も笑顔で礼をする。それよりも『城戸大佐ったら昨日もにやにやしていたわよ。幸せそうね』という吉田大尉のお知らせに、心優も照れてしまった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 工学科からの帰り道、高官棟へ帰るため三階にある連絡通路を渡る。そういえば、いつか、ここで夕日を見て離れてしまった雅臣のことを思っていたことがあると心優は思い出す。
 あの時はまさか、再会できて、また恋人に戻れて、結婚までできるなんて思わなかった。
 ラベンダー色とアクアブルーが映る夕の海。珊瑚礁の海が見える窓ガラスを前に、心優はまた左薬指の銀リングを見つめる。
 結婚してから数日、見るたびにうきうきしていたけれど。夕の海を前にするとふち違う気持ちになる。
 きっと、これからも。こんなふうに、幸せだったり、不安になったり、哀しくなったり。大佐殿を愛したからこそのたくさんの気持ちが心に入ってくるのだろう。
 なんでかな、今日はちょっと切ない……。
「心優」
 デジャブ――。あの時も、夕に凪ぐ海を見つめて遠い雅臣を想っていたあの日も、そこに『彼』が現れた。
「おっす、ひさしぶりだな」
 金髪のアクアマリンの目を持つ王子、白い夏服制服に黒ネクタイの『シド』がいた。
 双子と会った時以来……、休暇もあってずっとお互いに姿を見ていなかった。
 でも心優はシドを見て、ドキリとする。何故なら、彼が白いカラーの花を持っていたから。
 それは心優が雷神チームにどう祝ってもらったか知っているということ。そしてその花を持ってこなかったということ……。でもいま、自分で準備して持ってきたってこと?
 そのシドが、リボンのついたカラーの花片手に、心優に近づいてきた。
「これ、俺から」
 結婚、おめでとうの花だと思ってもいいの? でもシドはそうは言ってくれない。
 それでも心優はシドがその花を持っているのは偶然でも偶然ではなくても、そうだろうと受け取ろうとする。
「ありがとう、シド」
 その花に触れて、引き寄せようとしたその手を、シドに掴まれた。心優は驚いて、彼を見上げてしまう。
 アクアマリンの瞳と目が合ってしまう。その目が、いつものシドじゃない。夕の海と同じ、どこか哀しげな色。
「俺は結婚しない」
 その意味さえも、心優はわかってしまう。でも、その気持ち受け入れられない。お願い、シド、シドにも幸せになってほしいよ。自分はこの人だけ、その人も自分だけになるとほんとうにほんとに幸せなんだよ。シドにもみつけてほしい!
 『ここじゃない!』と突き返したい。でもなんとかやんわりと微笑んで、いつもの冗談交じりでなにげなく返そうと心優は決して。
「なに言ってん……」
「わかってる。おまえはよそ見をする女じゃない」
 さらに手を握りしめられる。もう、シドの勇ましいその胸元まで引き寄せられそう……!
 しかもシドの眼差しがじっと怖いほどに心優を離さない。その鼻先が心優の目の前まで近づいてくる。このままでは、でも、いまの彼の目はそんな邪なものではない。彼のアクアマリンは不純物なしの生粋の輝石。
「俺に、生きる意味をくれよ、帰ってくる意味を」
 生きる意味、帰ってくる意味――。それも心優には通じた。『帰ってくる理由が欲しい』、『頼む、親父のロザリオ預かってくれよ』。そういう意味。それがいまは心優しかいないというシドの告白。
「俺は、おまえも、おまえの夫も護ってみせる。それで帰ってくる」
「シド……」
 それが彼からのお祝い。心優への想い? 心優はもう涙を浮かべてしまっていた。
「おまえの子供も、かわいがってやる」
 翳る眼差しで、でも強く言われる。
 そこでシドの手が離れる……。心優の手に、白いカラーの花が。
 それだけ言うと、彼ももう言葉にすることができないのか。そのまま心優の横を通りすがって行ってしまう。
 アメジストのような海に変わっていく遅い夕、シドの白いシャツにその色が染まる。
 妻になったけれど、でも、そんな男の気持ちを受け取って、心優はやっぱり泣かずにいられない。
 もちろん、シドの帰りを待っているよ。でも、お願い。いつか、あなただけのあなただけを見つめてくれる幸せを見つけて。
 心優のもうひとつの切実な願い。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 結婚生活、一ヶ月が経った頃。それは突然やってきた。
「心優にバディが必要――、と言いだしてね」
「どなたがですか」
「御園大佐が」
 心優はきょとんとした。
 バディってなに? 別に刑事でもないし特殊隊員でもないし……? 秘書室でバディなんて聞いたことない?
 またあの眼鏡の大佐がにっこり笑顔でなにを企んでいるのかと、心優は嫌な予感。
「そんなこと、いつおっしゃっていたのですか」
「一ヶ月前かしら。心優が入籍した頃よ。許可をくれたらめぼしい隊員をスカウトしてくるとか言ってね」
「きょ、許可されたのですか」
「その隊員を見てから決めると言っておいたの」
 そ、それで?? とてつもなく気が急く。どうしてそうなったのか、どこまで事が進んでるいるのか。それに御園准将秘書室の護衛官、ミセス准将の側近として女性二人、馴染んできた空気がある。そこに見ず知らずの隊員が入ってくるなんて……『嫌』!! それが心優の率直な気持ち。
「昨日ね、心優が護衛部の訓練に行っている間に、細川連隊長とテッドと一緒に面会したわ」
「れ、連隊長まで!」
「私のそばに配置する『男』だから、自分も見ておかなければ気が済まないと言ってね。それに隼人さんがスカウトをするためには連隊長の許可もいるものだから」
 要らないといいたい。でも、御園大佐の意図が知りたい。そしてミセス准将もほんとうはどう思っているのか。
「もうすぐその隊員が来るの。あとは心優と対面してもらおうと思ってね」
「その彼はもう転属されているのですか、承知したのですか」
「転属はまだ。でも、今回の連隊長との面会で概ね、決定したでしょうね。正義兄様はもうすっかりその気。その隊員本人も隼人さんが来ないかとスカウトに来た後は暫く迷ったみたいだけれど、あちらの上官にも説得されて、いまは頑張りますとやる気満々ね」
 いや、そんな男いらない! ただでさえ事情持ちの女性であるミセス准将のおそばにいるにはいろいろと気遣いが必要だし、事情を知るのにも口が堅い信頼がおける隊員でなくてはならないのに。
 でも。あの細川連隊長が許可したというのが、気になる。あの人が御園のタブーを目の前にする男を簡単に気に入るはずもない。いったい、どんな男?
 そう思うと、心優の中で妙な炎が燃えた。ここまでに御園大佐の目にとまり、細川連隊長にも気に入られ、御園准将もはね除けないで受け入れようとしているその男、どんな男か気になる!
「わかりました。お会いします」
「そう。では連れてきてもらうわね」
 何故か、御園准将がホッとしたように見えた。心優に断られたくないと思っていたかのように?
 だけれど心優は御園大佐とその青年がくるまでイライラ、ドキドキ。自分より我の強い男だったらどうしよう。年上で扱いにくい人だったらどうしよう。階級は……? ともかく、バディなんて言われるのも心外。そんな人要らない。御園准将はわたしだけがそばにいられるのだから、という自負。
 ――『工学科の御園です』
 ドアからノックの音。いつもどおりに心優が出向き、そのドアを開ける。
 開けると、相変わらずのにっこりとした胡散臭い眼鏡の御園大佐がいた。例の男は――、心優の視線が動く。
 御園大佐の後ろに控えている若い青年。緊張して直立不動になっている彼と心優の目線が合う。さらに心優はびっくりして彼を指さしてしまった!
「よ、よ、吉岡くん!?」
「そ、そ、園、いや、き、城戸中尉、お疲れ様です!」
 浜松基地で後輩だった男の子だった。
「え、あの、バディって……」
 まさか、彼が?? 心優は困惑した。
 また御園大佐がここでは眼鏡のにっこり笑顔でなにもかも見通している顔。だけれど、心優はこの事態になっていることがさっぱり理解できない。
「中に入ってゆっくり説明しようか」
 御園大佐に言われ、心優は我に返り、ドアを大きく開ける。
「どうぞ、お入りくださいませ」
 いつもの冷めた顔に整えて、ミセス准将の護衛官たる姿に戻す。その顔で、緊張している後輩を入室させた。
「御園准将、お連れいたしました」
「ご苦労様、澤村大佐」
 いつもの夫妻であっても、隊員の前では上官下官の姿を見せる二人。
「吉岡海曹もご苦労様。昨日はお疲れ様でした。寄宿舎の居心地はどう?」
「昨日はありがとうございました。はい、浜松でも寄宿舎暮らしなので慣れたものですから大丈夫です。海が綺麗で感動しております」
 わかる、わかる。私も珊瑚礁の海が見える寄宿舎は心の拠り所だったもん。うん、後輩もそう思ったかと、思わずにっこりしてしまいそうになってハッとする。
 そうじゃない! どーしてわたしのバディにと選ばれたのが、計ったようにして、浜松の後輩なの! まずはそこ!!
 だが、心優はそこで尚更に閃いて、気が付いてしまう。
 わたしの周辺で、吉岡君の存在が明らかになったのは……。
「ま、まさか……。臣……、城戸大佐が……!」
 思わずそう呟いたら、眼鏡の御園大佐が感心したようににっこり。
「おー、さすが妻だな。気がついたか」
「先月の帰省で、彼を城戸大佐に紹介したばかりですから」
 さらに思い出す。『いいと思った人はメモしておくことにした』。手帳に吉岡君の名前をメモっていたのは、こういう考えがあったから?? でも心優が鍛えることを教えた後輩を知ってすぐにあんなこと思いつく??
「ほら。俺と雅臣君は、チェンジのデーターを入力するために毎日会うだろう。その時に、良い隊員を見つけたと教えてもらったんだ。そうしたら、雅臣君が『若い男手があっても良いと思いませんか』という提案があってさ。それもそうだなと思って、動いたってわけ。会ってみて俺もいいなと思ったんで、即刻、浜松の石黒さんに掛け合って、教育部隊の宮間中佐を説得して……」
 スーパー爆撃を浜松に落としまくって一ヶ月、ついにゲットしたという話を聞かされる。御園大佐がやってきたら、意地でも引かない。欲しいものは大きな手土産を条件にかっさらっていく。きっとこの前石黒准将が『望む条件』を記したメモを参考にしたに違いない。それを見ていたのは雅臣自身。お土産にも困らなかったことだろうと心優にも予測ができてしまう。
 石黒准将と、心優の元上司、間宮中佐がたじたじになって説き伏せられたのが目に浮かぶ。心優はくらくらしてきた。
「それで。次回の航海に間に合うよう、俺がいまから叩き込んで、空母に乗せる予定だ」
 去年の心優と全くおなじ。新人の護衛官を育てるべく、その基礎は御園大佐がこれから叩き込むとのこと。この人なら絶対にやる!
「心優はどうなの」
 心配そうに聞く准将を見て、心優は戸惑う。その顔が『私は面会して良い隊員だと思った』という結論を出している顔だったから。あとは心優次第?
「吉岡海曹と二人だけにしていただけませんか」
 御園大佐とミセス准将が顔を見合わせた。
「わかった。准将室そばの休憩ブースで話しておいで」
「そうね。私と澤村はここで待っているわ」
 ありがとうございます。心優は礼をする。そしてすぐに後輩の目を捕まえる。
「行こうか」
 何故か、吉岡君がびくっと怯えた顔。それだけ心優が受け入れがたいというオーラを醸し出しているよう。
「はい。中尉」
 なんだかしょんぼりしている男の子を心優は従えて、准将室の外に出る。
 すぐそばの、自販機が並んでいる休憩ブースへと彼と入りふたりきりになる。
「あの、園田さん。やっぱり、だめですか」
「だめじゃないよ。他の男がくるよりよっぽど良かった」
 そこは安心した。きっと心優が知っている、鍛えた後輩、気心知れている青年だから、ここまでとんとん拍子に話が進んでしまったのだろう。
 あとは心優がどうするかということ。でも、いきなりすぎる……。雅臣の意図もわからない。
「御園大佐……。なんて言って、浜松にいた吉岡君に会いに来たの」
 まだ彼と目が合わせられず、心優は彼に背を向け、ただ目の前にある明るい昼間の珊瑚礁を見つめるだけ。
「どんなに凄腕といっても、准将も園田さんも女性だから。男手が欲しいと言われました」
「男手なんていらないよ」
「自分もそう思って、釈然としなくて最初は断りました」
 そこも。一年前の自分と同じでなんだか否定しきれない。ましてや、好く思っていた後輩のこと。彼も突然の申し出にどれだけ悩んで戸惑って苦しんだことか……。
「わたしがね、いきなりで困っているのは……。『女の世界を黙って見て、寄り添うことができるか』ということなの。空母に乗るとね、御園准将とは私生活もともになるのよ。いままではラングラー中佐が寄り添っていたということだけれど、それでも最終的には男と女、どうしても手が届かないところがあったんですって」
「自分もそう思いました。園田さんがいることで充分なのではと――」
 そうだよ。そのための女性護衛官として、ある意味強引に引き抜かれたのだから。それなのにいまになって男も必要ってなに??
「俺が決心したのは、園田さんにもアシストが必要だと言われたからです。それに……。俺だって、夢見ましたよ。雷神を目の前にアシストができる。高官の秘書官になれること、護衛官になれることは、事務官には夢であって目標です」
 それもそう……。心優なんて、恋を優先にして、恋を理由にして、右往左往して決断した。目標なんてなかった。ただ雅臣の力になれればと思ってばかりの毎日。彼の方がよっぽど軍人として正当な意志を持っている。
「わかった」
 心優はやっと後輩に振り返る。自分より背が高い、細身のでも逞しくなった後輩に。
「御園大佐にどこまで聞かされた?」
「はい? なんのことでしょう」
 心優ははっきり言う。
「御園のそばに就くことは、もうそこから逃げられないよ。御園がここまで在るのにはそれなりの理由がある。御園だけじゃない。高官達がどんな瀬戸際でギリギリの判断を迫られているか。家族にも言えないことが増えていくよ。抱えられる? 独りで。わたしだって夫の城戸大佐に言えないこと、いっぱい抱えているよ。それが秘書官だと夫も言う」
「御園と寄りそう覚悟ということですか」
 彼の目が妙に鋭く心優に返ってきたので、ドキリとした。初めて見る男の子ではない、男の目。
「正直いうと、俺はパイロット達を護る力になれるなら、僅かなお手伝いでも頑張りたいと思って決してきました。それだけです。……もちろん、園田さんのお手伝いもです」
「じゃあ、御園准将がどんな女性であっても、それを護れる? その覚悟があるかどうかだけ教えて」
 彼はまだ御園のタブーは知らないようで、不思議そうで訝しそうにしてる。でも心優はさらに一歩踏み込む勢いで念を押す。
「どんなことも、御園准将のために働ける? それだけ教えて!」
「できます。どんなことも。園田さんがそうしていることは、俺も一緒にします。その気持ちも」
 男の目のままだった。彼も、小笠原に面会に来る一ヶ月の間に考えてきたことだろう。
 それに。他にバディを組めと言われたら断然拒否。彼なら、信じられる。
「わかった。空母に乗ることも、かっこよくて楽しいだけじゃないからね。大きな艦が護られていると思ったら大間違いなんだからね」
「わかっています。前回の航海で、大陸国の戦闘機が空母近くに墜落したニュースは、御園艦長の空母だったとも知れています。そこでどうなったかなどは、俺のような一般事務員までには知らされません。でも……石黒連隊長に呼ばれて聞かされました。そこで大陸国との軋轢から生まれた事件があったこと、その内容は小笠原に転属してから聞けと言われました。さらに、次の航海ではもっと差し迫った接戦になるだろうと……。岩国の空海が機関砲で撃たれる程に切迫していることも。その艦に乗る覚悟で行けと言われました」
 そこまで知っていての覚悟かと心優は驚き……、でもそこで決した。
 後輩の彼に手を差し出す。
「よろしくね、吉岡君」
 彼が驚き、でも心優が微笑んでいなかったせいか、表情を引き締め手を握りかえしてきた。
「精進します。准将のため、園田先輩のために」
 その手ががっしりと組み合う。
「バディだからね。なんでも共にやってくよ」
「お願いします」
 そこでやっと心優は、微笑む。
「まさか、こんなに早く秘書室で後輩ができるなんて思わなかった。ずっと末っ子みたいな気持ちだったけれど、わたしも頑張らなくちゃね」
 あ、それから――と心優は彼に付け加える。
「秘書室とわたしの前では、心優でいいよ。秘書室ではだいたい准将はニックネームか、ファーストネームで呼ぶから」
 園田でも城戸でもない。そこでは心優と教えると彼も頷く。
「きっと吉岡君も、秘書室では、光太(こうた)、コータと呼ばれるよ。で、イタズラな大佐がいっぱいいるから気を付けて」
 イタズラな大佐ってひとりじゃないの?? と、彼がおののいた。
「まず、イタズラになちゃった大佐さんをひとり、なんとかしないとね」
「だ、誰のことですか。それ」
 お猿の大佐が、まさかの眼鏡の大佐的なことをしてくれて。心優の目線が鋭くなったのか、後輩が黙ってしまった。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 バディについて、心優が快く承諾したため、御園准将がホッと安心していた。
 後輩の吉岡光太が正式に転属してくるのは来週。彼は一度浜松に帰り、転属の準備をし引き継いで小笠原にやってくるとのこと。
 きっと心優が断っても、あの御園大佐があの手この手で説得しただろうから、きっとこうなるしかなかったのだろう。
 にしても!
「臣さんったら。なんでなの、なんでバディがわたしに必要? そんな頼りない護衛官に見えたの?」
 釈然としないまま、心優は日暮れが早くなったアメリカキャンプの道を歩き、日本人官舎を目指した。
 大好きなダイナーの前を通り『しばらく行っていない……。そうだ、吉岡君がきたら連れてきてあげよう』と思ってしまい、まったうっかりとばかりに我に返る。
 なんで、なんで、楽しみにしているのよー。後輩ができるって結局、自分もどこか楽しみにしているじゃん――と不本意な気持ちになってしまう。
 結婚したばかりの新妻に、若い男がそばに来るように手配してしまうお猿な旦那様。もうひっつかまえて問いつめなくちゃ!
 もうすぐキャンプのゲート、その警備口を出ると、日本人官舎が目の前。いつも近道でこちらを通る。
 そこで、心優は警備口に向かう長身の男性を見つけてしまう。立派な大佐の肩章を付けているのに、大きなエコバッグを肩にかけて、まるで主夫の風貌でゲートに向かう男性。
「臣さん」
 思わず、いつもどおりに呼んでしまう。
「お、珍しいな。秘書室の仕事終わったんだ」
 飛行部隊指揮官の時はキリッとしているのに、心優をみつけた大佐殿はもういつものお猿スマイル。
 そんな旦那さんを見ただけで、心優の心はほぐれてしまうから困ったもの。
 駆け寄って、二人一緒に、アメリカキャンプの警備ゲートで基地滞在のチェックアウトをした。
 夕暮れの官舎棟群、一気に日本の景色になった道を、夫と一緒に並んで歩く。
 大佐殿なのに、膨らんだエコバッグを担いで帰る姿……。
「いっぱい買ったんだね」
「うん、俺もこれから暫く残業になりそうだからさ。冷蔵庫に詰め込んでおこうと思って」
「どうして」
 夜間当直に夜間訓練以外は、日中の時間にみっちり訓練をするのが現場の男達の過ごし方。だから秘書官ではなくなり現場指揮官になった雅臣の帰りは早い。
「チェンジでも疑似演習を増やすんだ。出航までに。御園准将がたくさん資料を集めてくれたから、俺もそれを参考にして戦略を練っているところ」
「あ、そういえば。准将が、御園大佐にいっぱいデーターや資料を集めさせて、ずうっと黙々と閲覧していたけれど、」
「ああ、それ。一ヶ月間びっしり拾い集めてくれていたよ。敵わないよ。あれもこれも、どうしてどうやったらあんなに過去のフライトデーターを思いついて拾えるのかって」
「毎日見ているじゃない。訓練の」
「自分が指揮したもの以外もだよ。横須賀から岩国から浜松、千歳から三沢に小松に沖縄……。スクランブルも訓練も網羅していたよ。あれは葉月さんだけじゃないな。隼人さんもだろうし、ミラー大佐も、もしかするとコリンズ大佐もかき集めてくれたのかもな」
 空部隊の先輩達が、次回の接戦を見込んで『あれを参考に、これも参考に』とこの一ヶ月のあいだにあれこれ模索し検討していたということらしい。
「それを俺に……。バレットとスプリンターを動かす術を見つけておけとばかりに。本気で俺に引き継ぐんだなと感じた」
 上官の先輩達が、雅臣のサポートに回るようになった。そう聞いて、心優はまた不安な気持ちになる。どんどんどんどん、大佐殿の責務が大きくなってくる。
「あ、そうだ。今日、彼がそっちに行っただろ」
 あ、忘れていた! そうそう、まずはそこからだったじゃないと心優も姿勢を改める。
「そうだよ! なんなの、吉岡君が引き抜かれてきたなんてびっくりしたもん。あれ、臣さんの仕業でしょ!」
「あはは、そうだよ」
 あっけらかんと笑い飛ばされたので、心優は呆気にとられる。なんで新妻のそばにやすやすと若い男を望んだのかと!
 なのに雅臣はこともなげに言い放つ。
「俺から、奥さんに、結婚のプレゼントだよ」
 はあ!? 若い男をプレゼント!? ますますわからない!!
「なんで、後輩が、バディがプレゼントなのよ!」
 雅臣がにっこりしていた笑みを少し収め、微笑になる。深くなにかを考えている時の、指揮官の横顔。心優は上官に口答えしたような気持ちになり、勢いを鎮めた。
「俺の奥さんをそばで助けてくれる男になれると、浜松で会った時に直感したんだよ」
「わたしの、妻の、そばに来るんだよ。常に一緒になるんだよ。葉月さんのことだって、重い事情があるんだよ」
「わかるんだよ。あの男『心優と一緒だきっと』――と、わかったんだよ」
 お猿の直感? 心優は唖然とする。
「これでも、秘書室長もしてきたし、いまは雷神の指揮官だ。女のことはよくわからない。でも男のことはこれでもよく見えているつもりだ」
 懐かしい『秘書室長』に出会えた気になるほど。お腹にいちもつもって、冷徹になるときの雅臣を見た気がする。
 そのためなら、俺はどう思われようとこう選ぶ。そんなお猿の男らしい横顔。
「それに、隼人さんがまだ知らないから言えなかったけれど。葉月さんが校長室の秘書官を新たに集めようとしていることを心優から聞いたから、これから成長させるにはいい人材だとも思った。葉月さんには、心優から聞いて彼女が校長になることを俺が知っているとは明かせなかったけれど、『艦を下りた時の留守を護る男も必要では』と勧めたら、やっぱり思うところあるのか『話を進めて欲しい』と言ってくれたよ」
 ギョッとした。いつのまにか、臣さんが隼人さんも葉月さんも別々のコンタクトで動かしていたことに!
 でも……、だから、あんなにすんなり葉月さんは受け入れていたんだ。彼女の目線は『心優のバディ』よりも『校長室の秘書官になれるかどうか』。
「その時に集めるより、先を見据えていまから育てたほうがいいだろ。吉岡君とも直接話した。連隊長の面談が終わった後にね」
 そんなことまで手を回していて心優はさらにびっくりする。
 この大佐、もう葉月さんの周りをいちいち驚いて右往左往するソニックではなくなっている。
「俺からお願いしたんだよ。まず留守を護れる男になって欲しいということ、陸からパイロットを護れる男になって欲しいということ、女二人でどうしてもできないことは彼が護ること――」
「まさか。吉岡君……、ソニックからのお願い……だから……」
「あ、うん。『ソニックに託されたのなら、俺やります』と言ってくれたよ」
 ああ、もう……。それを手にとって、青年一人を動かしちゃったということらしい。
「もう〜、ソニック大好き技使いすぎだよ」
 大好きソニックで操っちゃうなんて。
 でも雅臣は嬉しそうに笑っている。
「心優がいなくなった後も、心優を追うように鍛えてきた男だろ。心優の精神を受け継いで。これ以上のバディはないだろ。俺も安心だよ」
 それに……と、雅臣が言いにくそうに一度口をつぐんだ。
「それに、なに?」
「心優、子供が出来ても働くつもりなんだろ」
 唐突な質問だったが、心優は『うん』と迷わず頷いていた。
「つわりがあっても、お腹が大きくなっても、護衛官ができるのか?」
 その言葉に、心優は彼の考えの深さを知る。だから……。女の自分では手が届かないところをサポートする男が必要ってこと?
 それは女が働き続けるには大事なこと。そして不可欠。そこには男でなくとも、自分が動けない時に、准将を護る万全の体勢が必要ということになる。そして心優も、ひとりでなんでもできない、ということだった。
「そ、そこまで、考えていなかった……」
 子供はまだ。任務を終えてから――だったから。そして、妊娠する自分なんてまだイメージできていなかった。漠然とした近くても遠い将来、そんな感覚。
「彼なら、心優も准将も任せられる気がした。御園大佐も、細川連隊長も、そしてラングラー中佐もそう感じてくれたのだろう。間違いない、彼しかいない」
 妻のためでもあって、女性上官のためでもあって、自分たちの部隊のためでもある。そういう大佐殿の見通しがここまでしてくれた。
「心優だって、いつまでも秘書官でいちばん下の女の子ってわけにいかないだろ。俺は心優にも指導の素質があると浜松で感じたんだ。吉岡を、立派な護衛官に育てろよ」
 そこで心優は初めて……。男とか女とか一緒にいるとか、夫が手配したとか、くだらない基準で見ていたことに気がついてしまう。
 臣さんは、やっぱり、見る目も厳しい大佐殿。心優の元上司。
「城戸大佐、ありがとうございます」
「なんだよ。そんな改まって」
「彼を立派な護衛官に育てます。御園校長を護る男にしてみせます」
「そして、ミセス城戸の最高のバディになるようにな」
 自分が海に出ている間、信頼して仕事ができるパートナーをみつけてくれたんだ。心優はやっと感謝の気持ちが湧いてきた。
 自分たちの住まう階段に辿り着いて、上の階まで一緒にあがる。
 玄関の鍵を開けて中にはいると、もう薄暗い夕暮れ。これもまた懐かしいな……と心優はそっと微笑んだ。
 大きな荷物なのに、軽々と運んでいた雅臣が、その荷物を降ろした。お互いの革靴を脱いで……と、思ったその瞬間。雅臣に両肩を強く掴まれ、ドンと壁に押しつけられる。
「お、臣さん?」
 にっこり笑うお猿が、そんままなにも言わずに、心優のくちびるにキスを押しつけてくる。
「んっ、ん……?」
 熱い男の唇にすべてを吸われ、心優は息苦しいままに喘いだ。もうお猿の手が、心優の制服のシャツをめくっている。
 ボタンを外されて、汗ばんだ胸を柔らかく掴まれてる。
「は、お、臣……」
 いつまでも続くキスから開放してもらえず、そして柔らかに揉まれる胸の先も擦られ、心優はもう足から力が抜けそうになる。
 でも。そう。結婚して一ヶ月、いつもこんなかんじ。お猿はふたりきりになると、こうして心優を欲しがる。ただいまと帰ってきても、すぐに抱きしめられて『メシより風呂より先に新妻』とばかりに素肌されてしまう。
 今日も……。玄関のドアを閉めてしまえば、彼はもう大佐殿ではない。心優を熱烈に愛してくれるお猿な夫になる。今日も、すぐに。
「や、やだ……」
 やっとキスから開放されて、触られまくっている身体を見下ろすと、ネクタイはほどかれていないのに、シャツの袷だけ開かれ、ブラジャーをずらされ、ふるふると震えている乳房が丸出しになっているエッチな姿になっている。
「すげえ、いやらしいな」
 心優の胸の谷間に、黒ネクタイをひらりと降ろされる。自分がどれだけ恥ずかしい姿にされているかそう思っただけで……。
「なんだ、心優だって、感じているじゃないか」
 ベビーピンクの胸先がつんと勃ってしまったのを気がつかれてしまう。妻の身体のあれこれは見逃さない、それも新婚夫の執念。
「もうー、毎日、毎日!」
「言っただろ。まだまだやりたいこと、試したいこといっぱいあるって。あ、そうだ。冬服になったら、裸ジャケットしような」
 いつかやってくれとお願いされた時は、まだ部下だった心優。あの時は『セクハラだ』と避けたけれど、もう避けられそうにない?
「今日もうまそうだな。いただきます」
「んっ……あ、あん!」
 突きだした胸先にお猿の熱い舌がねっとり絡まり、その後はたっぷりの唾液ごとジュッと吸われた。
「も、もう、ここじゃあ……」
 玄関で靴も脱がぬ間にお猿に言い様に襲われて、抵抗する間もなく、でも心優も溺れていく。
 タイトスカートの下のショーツにも彼の大きな手が潜ってごそごそと蠢いている。もうそのショーツがぐしょぐしょになっている。
 革靴を履いたままでは脱げないだろうと、心優からそっと裸足になろうとしたら……。
「じゃあ、あっちでじっくり愛しあおうか」
 今日もまずはベッドとばかりに、靴を履かされたまま……。いつかのように大佐殿が心優を軽々とその腕に抱き上げる。
「俺にとってもドーリーちゃんだからな」
「え、」
 俺の妻はかわいいドーリー。雅臣にまでそう言われ、心優は真っ赤になって抱き上げてくれている彼の首に抱きついた。
「母さんにさきに言われて、ほんとはちょっと悔しかった」
「え? 臣さんもそう思っていたの?」
 聞いても雅臣は、それ以上は言いたくないのかにっこり笑っただけ。でも抱きついて、すぐ目の前にある心優のくちびるに、そっと優しいキスをしてくれた。
 俺の妻は、かわいいドーリーちゃん。
 今夜も、綺麗な躰を俺に見せて。
 そう囁かれ……。心優はまた靴を履かされたまま、ベッドルームに連れられていく。夕闇に紛れて……、そのまま。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 小笠原の秋は春のよう。
 その日、心優は飛行場にいた。
「あれだな」
 雅臣と一緒に、その飛行機の前まで行く。
 ラフなポロシャツ姿の大佐殿は今日はサングラスをかけて。そんな心優も、初めてサングラスを買ってかけてきた。
 お互いに今日はラフなプライベートの服装にして、その飛行機に乗り込む。
「よし、行こうか」
「ドキドキする」
「え、俺の操縦が怖いってことか?」
「まさか! 元戦闘機パイロットじゃない。じゃなくて……、空の上が……」
 プロペラのそばにある操縦席のドアを雅臣が開ける。彼は躊躇なくそこに乗り込んでしまう。
 心優は隣の席に座るために、向こう側に回った。
「離陸する時間が決まっているから早くしろよ」
「うん」
 その決まりも知っていたので、心優は腹をくくって隣の席に座った。
 軽飛行機には、どちらの席にも操縦ハンドルがついている。操縦者はどちらに座ってもいい。雅臣は自動車と同じように、右側を選んだので、心優は左に。
「よし、行こう」
「はい」
 プロペラの軽飛行機は、御園家所有のもの。今日は気晴らしに空のお散歩でもしておいで――と貸してくれた。
 また御園家配下の会社で飛行クラブを作っているとのことで、軽飛行機の免許を持っている隊員達に貸し出しているとのことだった。
 雅臣も乗れるよう手続きをしてくれ、今日は二人で、フライトデート。
 耳宛が大きなヘッドセットをして、ベルトを締める。
「行くぞ」
 紺のポロシャツ姿に、サングラスの凛々しい男が、軽飛行機のプロペラを回し始める。
 滑走路へと位置に着くと、いよいよ。プロペラ機が滑走路を走り始める。
 プロペラが回る大きな音、そして、軽やかに滑走路を往く飛行機。
 軽い、すごく軽い! 戦闘機とか、T-4とかと違う!
 風が入ってくる。海の匂いもする。
 ついにプロペラ機がふわっと浮いた。
 隣にいる雅臣がハンドルを持って、いま乗っている飛行機を上昇をさせる姿が、かっこいい!
「うわあ! すっごい臣さん! 素敵!!」
 戦闘機はすごい覚悟と気構えと緊張があった。だから今回も空の上は息苦しいものだと思っていた。
 でも、こんな空もあるんだ!
 ぐんぐんと離れていく地上、でも、真下はあの蒼い珊瑚礁、白い雲、青空、遠くに見える緑の島々。潮の匂いに、なんといっても風!
 ある程度の高度で、水平飛行になる。
「なんだよ。すごく緊張していたくせに」
「だって。この前のT-4はすっごい迫力あって。空の上って……、なんとなく脆いんだなって」
 そう。空の上では人は脆い。危うくて、儚く吸い込まれてしまいそうな敵わぬ世界。
「そうだな。ファイターパイロットだとなおさら。でも、こういう空の楽しみ方もいいもんだ。しかも、心優と一緒」
「こんなゆっくり見られる珊瑚礁も素敵」
 素晴らしい見晴らしだった。これを知ってしまったら、やっぱりまた空に行きたくなる。
「心優もそっちのフライトコントローラーを握ってみろよ」
 どちらの席にも操縦桿と計器。免許あるインストラクターが横に乗って、高度が保たれている上空なら操縦させてくれるというものがリゾート地でよくある。それをしようと雅臣が勧めてくる。
「いいの?」
「俺の操縦席と連動しているんだ。心優がうまくいかないところは俺が動かすよ」
 目標は、あそこだ。
 雅臣が指さしたその先に見える地上。それがなんであるかわかって、心優も頷き、操縦桿ハンドルを握った。
「ゆっくり右だ」
 動かすと、ふっと機体が傾いた。
「そう、今度はゆっくり押して……。機首がさがる。下がったら、さらに旋回だ」
 言われたとおりにすると、本当に機体が動いて、心優はドキドキしてきた。
「いま、心優が動かして飛んでいるんだ」
 サングラスの雅臣がにっこり笑って、操縦桿ハンドルから手を離したので、心優はびっくり飛び上がりそうになる。
「ええ、怖いよ、臣さん! ほら、ほら、下に向いて落ちていくよ!!」
「大丈夫だって――」
 彼もすぐに操縦桿ハンドルを握り、巧みな旋回は彼がやってくれる。でも心優が握っているハンドルもその通りに動いた。
 すごい連動感、連帯感。こんな素敵な飛び方もあるんだね! こうして一緒にハンドルを握って、飛行機を動かせるなんて思わなかった。
「ほら。心優、見えてきた」
 旋回して、目的の上空に。珊瑚礁の海から、海岸線、そして、白と青の家が並ぶその向こうに、まだ均したばかりの土色の場所。
 心優の黒髪に潮風が吹く。
「あそこにわたしたちの家が建つんだね」
「航海から帰ってきて、春には完成だ」
 空色の街。あそこにわたしたちは家庭を築く。
「わたし、庭にぴんくの百日紅を植える。それと沼津の薔薇をわけてもらうんだ」
「お、いいな」
 一緒に握る操縦桿がまたくっと傾く。今度はまた珊瑚礁の海の上。基地と空母艦も見える。
 だから、きっと。帰ってくる。
「帰ってきたら、また飛ぼう」
「うん、臣さん……」
 愛してる。賑やかな、おうちにしようね。
 操縦桿を握ったまま、ふたりでそっとキスをした。
 飛行日和の、潮風キス。ずっと一緒の操縦桿。このままどこまでも。

 

◆ ドーリーちゃん、よろしくね 完 ◆

 

 

 

 

Update/2016.11.18
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