◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(4)

 

 これから五歳児と一緒だと思うことにする。
 御園准将が隊長室に戻るなり、ふっと呟いたひと言だった。
 ようやっと御園准将室にお客様が揃った。
 時間は既に二十時。空は群青の星空。なのにまだアクアマリンにひっそりと闇に輝く海が窓辺に見える。
「心優。お母様にお茶を差し上げて」
「はい、准将」
 心優はやっと腰を落ち着かすことができたゴリ母さんに微笑む。
「お母様、何がお好みですか」
「いいえ、なにも……」
 来るなり盛大な迷惑をかけてしまったことを気に病んでいる様子だった。
 雅臣と双子も一緒だったが、いつもはきっと頼もしいゴリ母さんだろうに、そんな様子なので彼等もしゅんとしている。
 そんなお猿ファミリーを見かねたのか、准将席で様子を窺っていた御園准将が引き出しを開けた。
「雅臣。双子君をつれて、カフェテリアで食事でもしてきなさい。これ、食券。ご馳走するから」
 准将が買い置きをしているプリペイドカードを差し出した。
「いいえ。自分が食べさせます」
「いいから。うちの人が変に『まとめ買い』なんてして余っているの」
「ですがそれなら換金……」
「めんどうくさいの、使ってきて」
 ようやっと『いただきます』と准将からそれを受け取った。
 しかし双子もあのおおらさかをなくして、元気がなかった。彼等も食事どころではなくなったのかもしれない。
「ちゃんと食べないと、この島では深夜までやっているお店はほとんどないわよ。しっかり食べてきなさいよ。夜中になって『お腹すいた。外に何か売っていないかな』なんて浜松気分で宿を抜け出して、今度は島内で迷子なんて――あなた達ならやりそうで、もう……」
 准将のその予測、すでにリアルな予知のようで心優もありえそうと思ってしまった。
「基地の食事はおいしいわよ。横須賀と違って、アメリカ寄りのメニューだから叔父様にいろいろ教えてもらって、楽しんできなさい。しっかり食べなかったら許さないから」
 自分たちのために土下座までしてくれた将軍様。もう双子は御園准将がいうことには頭が上がらないようで『はい!』といい返事。
「有り難うございます。では、甥と食事に行って参ります」
「ゆっくりでいいわよ。お母様をお借りしますね、城戸大佐」
「母をよろしくお願い致します」
 息子と孫が出て行き、准将室は女三人だけになる。
「心優、紅茶をお願いね」
 ゴリ母さんがなにもいわないので、准将から飲み物の指示。心優も頷いて、二人分のお茶を準備する。
「お母様、あまり気になさらないでください」
 ゴリ母さんの目の前に、御園准将が腰をかける。向きあってもゴリ母さんは首を振ってうつむいたままだった。
 もっと元気で豪快で震え上がるほどの威圧感のお母さんだろうと構えていた心優だったが、かえって気の毒になるぐらい静かなお母さんだった。
「私が処分されるかもしれないと気にされているのですか」
「当然です。双子だけならまだしも、祖母である私が余計に騒ぎにしたようなものです」
「そんなに心配されても。私なんか、いつだって問題児ですからね。十三歳で入隊しましたが、訓練校で男の子と取っ組み合いの喧嘩をして謹慎になったこともありますし、大人になっても問題ばっかり起こしやがってと――先ほどの同期生である海野にも、夫の大佐にも『じゃじゃ馬』と言われ、そしてここの連隊長お兄様なんかも『甘ったれ嬢ちゃん』と言い続け、私が暴走しないよう常に意地悪なことばかりするぐらいですからね」
 自分から『問題児』といいのけたので、さすがのゴリ母さんもきょとんとしてしまっていた。
「葉月さん、あなたって……」
「すっごい問題児で、訓練校生だった当時に大佐だった父にも、中将だった祖父にもこっぴどく叱られる日々でしたね。それでも私なりに闘っている立ち向かっているものがあったのです。ある日、祖父に言われました。結果が良ければ規則違反も認められるなどと規則の意味をはき違えている者は、いつか自分以上に人を傷つける。なにかを倒したいなら、正当な姿で叩きつぶせ――と諭され、それからは男をやっつける時は喧嘩ではない方法を選ぶようにしました。そういう私がいまや准将です。双子ちゃん達がうっかり滑走路警備隊に捕まっちゃったぐらいのこと、なんでもありませんわよ」
 もう〜、葉月さんったら――と、心優までもが唖然としてしまった。もちろんゴリ母さんも呆気にとられていた。
「あはは! そりゃあ、あんな土下座どうってないてわけなんだね!」
「そういうことです。双子ちゃんがやらかしたくらいでは、隊長など務まりません。とんでもない悪ガキ相手ならいままで散々してきたのです」
「いわれれば、そうだ! 悪ガキのやることにビビっていたら、ここまで務まるわけないよね!」
 なんだか砕けた口調になってしまったゴリ母さんに、心優は目が点になる。
 それに、ゴリ母さんが来る前から感じていた、御園准将がどこか尊敬の念をもってゴリ母さんの訪問を待ちかまえていたこと。どうも、既にふたりの間には『女同士の絆』があるように心優には見える。
「やっと、お母様らしくなっていただけましたね。ほっと致しました。初めてお会いした時も、そうして笑い飛ばして……、私のことも励ましてくださいました。ご子息があのようなことになって辛いのはお母様でしたのに……」
 さすがにゴリ母さんも、雅臣が事故に遭ってパイロットとして飛べなくなった出来事を思い出すのは辛いらしく、また暗い顔に戻ってしまった。
「雅臣さんも、子供時代はあのようにやんちゃだったのですか」
 准将の問いに、ゴリ母さんがやっとそれらしい微笑みを浮かべた。
「いえ。雅臣は聞き分けのよい子でした。手間がかからなくて。やんちゃで手を焼いたのは姉の方です」
 うわー、お義姉様のほうがやんちゃ? そりゃあ、あの双子のママだもんね――と、心優にまた不安が襲ってくる。
「そうでしたか。ですが確かに。雅臣さんが所属していた横須賀のマリンスワロー飛行隊は『悪ガキパイロット』という異名を持っています。そこの隊長だった橘大佐もそうでしたし、雷神にと引き抜いた鈴木英太少佐もスワローから引き取ったものの、それはもう手のつけようがない悪ガキで……。ですが雅臣さんはその悪ガキスワローの中では優等生といわれていましたね」
 だけれど、そこで御園准将はひと息ついて、言い直した。
「人当たりも良く愛嬌もある優等生なんですけれど――。でも戦闘機では、その悪ガキ達を凌駕する野性的なパワーを発揮します。あれは天性ですね。お母様とお父様から引き継がれたものだと、つくづく感じることが多かったです」
 お茶を入れながら聞いていた心優だったが、御園准将は心優がまだ見ぬ婚約者の母親を既に念頭に置いた上で、雅臣のゴリラDNA的フライトを実感していたのだと初めて知り驚いていた。
「有り難うございます。まさか息子が戦闘機パイロットになるとは思ってもいませんでした。また、エースなどという地位も得られるとは……。ですが、自分のやれること、やりたいことを見つけて生き生きしている雅臣を見ることができたのは、母親として喜ばしいことでした。それが……」
 事故に遭い、失い、絶望する息子を見る羽目になった。ゴリ母さんもそこは辛くて言葉にできないようだった。
「その雅臣がしばらくは向きあうことも辛かったようで秘書官として収まっていたところ、また、息子が密かに望んでいた空部隊の仕事に携われるようにしてくださって有り難うございました。御園准将には本当になにからなにまでお世話になりまして、頭が上がりません」
 その通りに、ゴリ母さんは頭を下げたままになってしまう。
「私ではありませんよ。お母様」
 御園准将はそういうと、紅茶葉が開くのを待っている心優を見た。
「園田です。園田が私のところに来て、雅臣が『戻りたい、戻れるかもしれない』という素振りを見せてくれていたことを教えてくれたからです」
「いえ、わたしは……。上司だった雅臣さんと話したことを伝えただけで。あとは」
 『小笠原の連絡船に乗っても、もう大丈夫だと思う』。そう呟いた雅臣のひと言をちょこっと漏らしただけのこと。後のことは、御園准将が素早く手配したから雅臣が戻ってこられたのだから。
「いいえ。心優が雅臣の気持ちに大事に大事に接したからこそ、彼から出てきたひとことでしょう。それを届けてくれたのよ。そうでなければ……。私と雅臣はまだ仲違いをしたまま。このまま後継者を得ることなく、まだまだ私は甲板から離れられなかったと思うの」
 准将がいつになく眼差しを伏せた。その顔はミセス准将ではなく、一人の女性先輩としての顔に見えた。
 その変化にゴリ母さんも気がついた。
「葉月さん。浜松まで息子を見舞いにきてくださって、病院を出られる時に話したことを覚えておりますか」
「はい。忘れておりません」
「なのに。葉月さんは……。険しい選択をしてくださったと思っております。気に病まないでください」
 あのミセス准将がいまにも泣きそうな顔で首を振り、ゴリ母さんの言葉を受け入れようとしなかった。
「お母様があのようにおっしゃってくださったので決断ができました。遠回りでしたがソニックは信じていたとおりのエースのまま、空に帰ってきてくれました」
 ゴリ母さんは、見舞いに来たミセス准将になんと言ったのだろう? とても気になった。
 雅臣の母親と直属の女性上司。ある意味、雅臣にとって公私ともにいちばんの身内とも言えるその女二人の間で、だいぶ前に交わされたなにかがあるようだった。
 心優には見えている。この二人はおそらく一度しか会ったことがなかっただろうに。その日、一瞬で女同士で通じた何かがあったのだと。
 だからゴリ母さんは葉月さんと呼んで彼女の立場を気遣い、御園准将は雅臣のお母様と母親の心情を思いやる。
 ゴリ母さんと初対面であって、これからはずっと身内となる心優だが、既に出来上がっている絆をみてしまいちょっと羨ましくなる。葉月さんは、こういうところがある。初対面の人とあっという間に絆が芽生えるなにかを持っている人。この人も天性だった。
 普通の平凡なボサ子にはそんな能力も天性もないから……。また心優は自信をなくしてしまう。
「それから、心優さん。ほんとうに有り難う。心から感謝しているよ」
 ちょっと落ち込んだ気持ちになっていた心優へと、ゴリ母さんが急に微笑みかけてきた。男前の顔つきで、お猿の愛嬌スマイル。ほんとうに雅臣にそっくりで、心優はそれだけでドキドキして頬が熱くなる。
「雅臣からも聞かされているけれど、心優さんがいなかったら自分は葉月さんのところへ帰ることもなかっただろうと――」
「いいえ。むしろ、いちばん辛く気にされていることに、土足で踏み込むようなことをして傷つけたことも事実なのです」
「いいや……、私もわかるよ。心優さんの勇気が……。さっき、滑走路に飛び出してしまった双子を追いかけようとした私を全力で、全身で、必死に止めてくれただろう。しかも心優さん自身が処分を受ける覚悟で双子を私達の代わりに追いかけようとしてくれた。雅臣のことを思ってのあの行動は忘れないよ」
「いえ、あの……。必死で……」
 初対面のお姑さんだったのに、生意気なことを叫んでいたような気がして、心優はいまなって恥ずかしくなってくる。
「お母様。私も園田に助けてもらったことがあって……。それで彼女を横須賀から引き抜きました。園田が来てくれたからこそ、城戸大佐を取り戻すことができました。彼女はいざというときに素晴らしい判断をし、瞬時に動くことができる『天性』が備わっています」
 それが『心優の天性』? 初めて言われ、しかもミセス准将に言われ、さらにお姑さんを前にそう言ってくれ、心優は感動で泣きそうになってしまった。
「そのような素晴らしい女性が、あの雅臣のお嫁さんになってくれると聞いて――。そうだね……、もう浜松で会わなくて良くなった気がします。もう充分、心優さんの良さを実感することができました」
 そんなゴリ母さんが、あの素敵なお猿スマイルで紅茶を持ってきた心優を見上げてくれる。
「心優さん。雅臣の実家はこのように騒々しい家族です。充分知ることが出来たと思います。貴重なお休みでしょう。もう雅臣とゆっくり過ごす時間として使ってもらってもいいんだよ。来年、結婚式を前にまた挨拶をする機会もあるでしょう」
 トレイに乗せたティーカップを置く前に、心優は呆然とする。
 もう浜松に来なくてもいいと言われたからだ。もちろん、まだ会わぬ雅臣の父に姉に挨拶するのは緊張する。しかしボスぽいお母さんが『充分わかった。家族に伝えておくから、結婚式前に会いましょう』と気遣ってくれていることもわかっている。
 だが、心優にも心優の事情がある。神妙な面持ちのまま、心優はカーペットの床に跪き、ソファーに座るゴリ母さんの前に、ティーカップを静かに置いた。
「有り難うございます。ですが、浜松には他の意味でも今回は訪ねたいことがあります」
 他の意味? ゴリ母さんだけでなく、ミセス准将も首を傾げている。そんなお母さん達に、心優はそっと告げる。
「雅臣さんは、亡くなった友人に会いたいと強く願っています。それをさせてあげたい、また艦に乗る前に。その気持ちの整理をしたいという雅臣さんに付き添いたく思っております」
 初めての報告に、ゴリ母さんも御園准将も非常に驚いた顔を揃えた。
「心優、それって……。雅臣と事故に遭った同級生のご実家を訪ねるという意味? 雅臣が言いだしたの?」
「はい、准将。きっと何年もそうしたかったんだと思います」
「健一郎君に……」
 その名を心優も初めて聞く。雅臣の親友で、雅臣を道連れに死のうとした男の名を。
 ふたりの女性が黙り込んでしまった。
 准将の前にティーカップを置くと、彼女が心優に言う。
「有り難う、心優。あなたも雅臣と双子ちゃんと一緒に食事をしてきなさい」
 すぐに返事はできなかった。どうして? わたしもお二人がなにを話すか聞きたいよ……。そう思っていたのに。そこのゴリ母さんと自分こそが、じっくり話し合うべき関係だろうに。まさかの人払いにされてしまう。
「これから雅臣と一緒に働いていくために、お母様とお話ししておきたいことがあるの」
 彼の上司とその母親として――ということらしい。
 この准将室で心優は彼女の命には逆らえるはずもない。それに、城戸一家のために、土下座までしてくれた人。
「かしこまりました。カフェに行って参ります」
 一人の側近として従った。
 まさかのお母様との初対面が、仕事の姿を捨てきれない場でのものになってしまった。
 お洒落をして、きちんとした女らしいお嫁さんらしいご挨拶したかったな……。
 しかも。ゴリ母さん、葉月さんともっと話したそうにしている。わたしじゃなくて、葉月さんのほう。
 なかなか上手くいかないなあと心優はその素振りを隠して、准将室を後にした。

 その後、カフェで雅臣と双子が豪快な食事をしているのを見つけたが、もう既に人に囲まれていた。
 業務が終了して人もまばらなはずの夜のカフェテリアなのに。それだけの隊員達でさえも、お猿男子は惹きつけてしまう。
 基地ではみんな大好きソニックと、ソニックを初々しくしたようなそっくりな男の子が、これまた瓜二つでふたりもいれば目立つに決まっている。
 女の子達は『かわいい』と持て囃し、男性達は『そっくりだね』とお猿叔父さんとお猿甥っ子を取り巻いている始末。
 それを見て、心優はやっぱり……。一人になりたい気分になってしまい、そのままそっとカフェを後にした。
 准将室近くの休憩ブース。今度は暗がりのなか、一人でひっそりカップコーヒーを飲んで時間を潰した。

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 翌日の朝。雅臣もゴリ母さんも双子も揃って『就業時間開始に、准将室に集合』という指示を出されていた。
 海野准将と細川連隊長が下した判断を伝えるとのことだった。
 どのように対処されるのか、心優も緊張している。
 綺麗に掃除したばかりの朝の准将室は、今日も爽やかな風と太陽の光が降りそそぎ輝いている。
 そこへ雅臣が、宿から基地へとやってきた母親と双子を連れてくる。
 昨夜、官舎に帰ると雅臣はぐったりしていて口数少なかった。
 心優もなにを話していいかわからなくなり、淡々と家事をして寝る準備をした。
 ベッドでもふたりは無言で……。背を向け合って寝そべってしまう始末。
 だけれど。心優が少しまどろんできた頃。やっと雅臣が背中から抱きついてきた。でも、それだけ……。心優もそのまま応えずに眠ってしまったようだった。

 おはようございます。御園准将、園田中尉。
 昨日とは打って変わって、礼儀正しく凛々しい顔つきを整えた双子がゴリお祖母ちゃんと雅臣叔父さんと一緒に准将室にやってきた。
「あなたたち、よく眠れた? いまだとカエルの鳴き声がうるさいでしょう。島民は慣れているけれど」
「大丈夫でした」
「祖母ちゃんのいびきも聞こえませんでした」
 またやんちゃな双子に戻っているし、ゴリ母さんもしかめっ面で『いい加減なこと言うな』と威勢の良いものいいにもどっていた。
「さて。いまからこの基地の偉い人が『昨日のことをどうするか』という結論を伝えに来るので、大人しく待っているように」
 准将の冷たい目つきは、すでに業務に携わるものになっていた。もう未成年の男の子でも容赦しないということらしい。
 しかし双子も同じなのか。お祖母ちゃんとひと晩過ごす内になにか諭されたのか。叔父さん顔負けの男前フェイスでキリッとした表情で、落ち着いて頷いていた。彼等もどのような結果でも受け止め従うという覚悟のようだった。
「しかし残念ね。昨日のことがなければ、空母艦の訓練をみせてあげたかったのに」
「大丈夫です。俺達、そんな資格はいまはないと思いました」
「今日の結果でもうその機会もなくなるかもしれないけれど、もし大丈夫だった時はまたの機会によろしくお願いします」
 准将が初めて気の毒そうに双子を眺めた。
「パイロットの夢は諦めたの」
 双子が黙ってしまう。でもふたりで顔を見合わせ――。
「いままでも落ち着きないことをして、親に祖父母に叔父に迷惑をかけてきました」
「それが今回の結果だと受け入れるつもりです」
 これは……。心優は唸った。これはゴリ母さんが諭したんだな、ここまで納得させたんだと察した。やっぱりゴリ母さんは『ボス母さん』だったと心優は思う。
 あのやんちゃな双子をこうして上手く宥められる。だから雅臣が双子が暴走していると知って『祖母ちゃんに連絡する』と言ったのだと。
 逆に言えば、母親の手に余っているということにもなるのだけれど?
「大丈夫よ。きっと海野准将がなんとかしてくれるはずよ」
 准将が覚悟を決めた十七歳の子をみて、安心させようと微笑んだりしている。
 だが雅臣はひとり落ち着かないのか、母親と双子が座っているソファーの周りをうろうろとしていた。
 そんな中、准将室のドアからノックの音。
「おはようございます。皆様、お待ちでござい……ま、す……」
 ドアを開けた心優はギョッとする。そこに、細川連隊長が側近の水沢中佐と一緒に来たのはもちろんだったが、その後ろに眼鏡の大佐、御園大佐がにっこりと付き添っていたからだ。
 え、海野准将と一緒ではなく? どうして御園大佐が一緒? しかもなんだか楽しそうに微笑んでいて、怪しい空気をすでに朦々と垂れ流しているように心優には見えてしまうし……。
「おはよう、園田中尉。昨日はご苦労様だったな」
「恐れ入ります、細川連隊長」
 そんな心優を細川正義氏が気の毒そうに見下ろし、溜め息をひとつ。
「なんだか大変そうだな……」
 なにが大変なのか察してくれていたので、心優はちょっと頬を染めてしまう。結婚する前に、親戚になる夫の実家がこんなに騒々しいことになって、お嫁さんとして大変そうだな――と言われたのだ。
「では。邪魔をする。悪いが福留のコーヒーをご馳走になりたい」
「もちろんでございます。すでに福留少佐も連隊長が来られると知り、ご自分から一杯を差し上げたいと準備をしております」
 それを聞いただけで、あの冷徹な眼鏡の奥の切れ長の目がわずかに緩んだ。
「うん。頼む」
 もう、以前、福留さんを挟んでミセス准将と細川連隊長の間でこれまたひと揉めあったとか。ラングラー中佐に聞くと『珈琲の取り合いみたいなもんだった』なんて冗談で言い返されたが、まだ詳しいことは心優も知らない。
「連隊長、おはようございます。こちらまで、来てくださって有り難うございます」
 御園准将も昨夜の騒ぎのこともあり、今日は丁寧におしとやかな雰囲気で連隊長に挨拶をする程。
「福留のコーヒーがなければ、来るか。おまえの匂いで充満していてむせかえって困る」
 相変わらずの厳しい言い方。切れ長の目から放たれる恐ろしい目つきに、冷たい銀縁の眼鏡の男性がこれまた冷たく言い放ったので、そこにいた城戸一家がびっくりしたのかピキンと固まったのがわかるほど。
「もうしわけありません……。もう少し窓を開けますわね」
 准将の女の匂いが満ちているのは、この部屋の特徴。花と柑橘の不思議な香り……。
「そんなことはしなくていい。いつだったかおまえがいつもと違う匂いがしたが、あれはもうやめてくれ。准将室はこの匂いだけにしておけ。ったく、基地の中でここだけ匂いが違うとはどういうことだ」
「え、あの……」
 意地悪な言い方をするくせに、結局はその『匂い』をきちんと知っていて、なおかつ『これがおまえの匂い、それ以外はやめておけ』なんて、けっこう横暴な言い方をしつつも、気に入っているんじゃないかと心優は感じた。
 ほんとうに、女の匂い嗅ぎ取っておいて、素直じゃないんだから――と、同じ女として、もうちょっとその扱いなんとかならないのと思うことが、この連隊長には多いから困ってしまう。
 でもなんだかんだ言って。福留少佐のコーヒーも飲みたいし、葉月さんの部屋にちょっとした安らぎでも感じているんじゃないかと思うこの頃。この基地にいれば、細川氏にとっていちばんシビアな現場は連隊長室。そこを抜け出して、ここで妹分を苛めながらもちょっと違う空気を持っているミセス准将室がお気に入りなんじゃないかと最近は思ってしまう。
 ようやっと連隊長がソファーで待ちかまえている城戸一家へと目線を馳せた。
 この基地のトップであって隊長。その男の視線は、やんちゃな双子も凍り付いているほど。
「初めまして。城戸の母でございます」
 そんな中でもゴリ母さんは落ち着いていた。どーんとした体型に、シックな黒いスーツ姿。でも白金髪のどっしり母ちゃん。なのに連隊長は驚きもしないし、動じる素振りもない。
「城戸大佐のお母様でございますね。初めまして、小笠原総合基地にて連隊長をしております細川と申します。遠いところから急いで来てくださったとのこと、ご苦労様でございました」
「とんでもないことです。孫だけならともかく保護者であるべき私の粗相にて、多大なる迷惑をかけました。ほんとうにお詫びのしようがありません」
「だいたいのことは海野から報告を受けております。いまから、そのことについてお話し致しますので、どうぞおかけください」
 さすがに、外からの訪問者、ましてや一般市民には連隊長も丁寧に接する。
 水沢中佐が、緊張している双子の側に行き『君たちも座りなさい』と優しく促して、緊張をほぐそうとしている。そういうフォローはやっぱり主席側近様だなあと心優は尊敬してしまう。
「そちらがソニックの双子か。昨日、ランチが終わった頃に水沢から報告を受け、ソニックにそっくりな双子だと聞いて、もう見たくて見たくてたまらなかった。ほんとうにそっくりだ」
 あの連隊長が楽しそうににっこりと笑った。そのせいか双子もちょっと笑顔を浮かべることができたようだ。
「初めまして、連隊長さん。城戸雅臣の甥で、城戸雅幸です」
「弟の、雅直です。昨日は大変なご迷惑を何度もかけてしまいました」
 双子は挨拶をすると、ふたりで顔を見合わせ、揃っておもいっきり頭を下げた。
「ほんとうに、申し訳ありませんでした! どんな処分も受けます!」
 揃えたお詫びが准将室に響き渡る。
 そんな双子を、あの細川連隊長が微笑ましいとばかりににっこりとみつめていたので、逆に心優はゾッとしてしまう。
「そうだな。おじさんの考えた処分を受けてもらおうと思う。覚悟はできているだろうな。なんでも受けてくれるだろう?」
 うわー、やっぱりこの連隊長、ただで終わらせないつもりだと心優の心臓がどきどきしてくる。汗も滲み出てくる。
 雅臣も気がついたのか、彼はすでに青ざめていた。
 連隊長が考えた処分とはなに!?
「まあ、皆様、腰を落ち着けていただきたい。葉月、おまえも座れ。澤村、わかっているな」
「かしこまりました。連隊長」
 御園大佐がこれまたひと味違うにっこり眼鏡の微笑み。連隊長の微笑みは凍るものだが、こちらの大佐の微笑みは怪しさでいっぱい。
 連隊長と御園大佐が一緒に来るだなんて。いったい彼等はなにをしようとして来たのだろう? 

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

「では、昨日の騒動についての判断をさせていただきたいと思う」
 連隊長を正面に、城戸一家と御園准将と雅臣が並んで座った。御園大佐は連隊長の隣に控える形。心優は福留少佐といつものお茶入れのアシストで、ソファーの後ろで控えている。
「まず。御園准将の一存で、双子を特別に入場させた件について」
 彼女が特別扱いで入場させた為に、このような騒ぎが結果をして起きた。まずその根本からの判断を説明すると連隊長が告げる。
「本来ならば基地への入場については、既に家族証IDカードを所持していること。あるいは所属隊員本人から申請があり、隊員本人が警備まで迎えに行くことが規則である。その通例を破り、御園准将が『必要な手続きはすぐにする。責任は自分が持つ』として、警備の許可にて入場をさせたわけだが……」
 銀縁眼鏡の冷たい眼差しが、ミセス准将に注がれる。そこを罰するかどうかだった。
「訪れた者が未成年であったこと。ここを考慮したとする。未成年のみでこの基地に訪れてしまった経緯は、基地とは関係せず、隊員の家族の問題であることで、どうにもできなかったとする。さらに、未成年が訪ねてきてしまい、警備でも対処しかねていたのは事実。まずここで、未成年であったとしても通例どおりに完全に入場を拒否し『帰るように』と突き放した後、双子が土地勘もないこの島を途方もなく彷徨い事故でもあった場合は、基地の対処へと責任が向けられただろうことを踏まえ、警備でもどうにもできなかったところを、上層幹部である御園准将が自分が責任を持つとまず未成年の身柄を安全を考慮して保護したものとする」
 よって不問。という結果になった。
 それだけで城戸のお母様が『よかった』と漏らしたほどだった。そして双子も、涙もろい子達なのかふたりで手をとって『うー、よかった』と目を潤ませた。
 だが、連隊長はそれを見ても我関せず。その先を進める。
「一番の問題は、双子がまだ業務中である滑走路へと、警備隊の許可無く振りきり侵入したこと」
 いよいよどう対処されるか告げられる。
 何故かそこで連隊長が次の言葉を躊躇っていた。ふうとひと息漏らしても、言葉を発しない。
 それでも、皆、固唾を呑んで待っている。
「連隊長、どうぞ」
 そこへ福留少佐のコーヒーが目の前に置かれる。
「ありがとう、福留少佐」
 連隊長はそれに一度手を伸ばしたが、いや、いまはそうではないと思ったのか手を引っ込めた。そして、意を決したようにして目の前のミセス准将を見た。
「海野から聞いたのだが。御園は昨日、海野に土下座をしてまで懇願した際、『将来あるパイロット志望の少年がしたことは』と言ったそうだな」
「はい、さようでございます。双子の彼等は、叔父の城戸大佐のようなパイロットになりたい、基地が見たい、叔父がどのように活躍しているかその目でみたくて来てしまったのですから」
「誰が、将来あるパイロットと決めたのだ」
 いつもの威圧感ある切り返しに、あのミセス准将が言葉に詰まった。
「おまえがそう決めたのか、葉月」
「……少年が夢見るのはよくあることではございませんか」
「将来あると、ミセスは、そう感じたのかと聞いている」
 いつにない尋問めいた追求に、御園准将も戸惑っていた。
「雷神をリードしてきたおまえが、パイロットを束ねてきたおまえが、どう思ったのかと聞いているのだ」
 その聞き方を知り、心優もはっとする。連隊長も気がついている。『空部大隊長のおまえが気にしているのは何故か。なにか見つけたのか』と連隊長はそこをはっきりしろと問いつめているのだと――。
 連隊長が問いつめているその時になって、隣で静かに控えていた御園大佐も真顔になっていた。妻がなにを言い出すのか、彼も眼鏡の奥のホークアイをきらりと輝かせて窺っている。
「あると、感じております」
 ミセス准将の返答に、連隊長と御園大佐が視線を交わし頷きあう。そして雅臣は驚いていた。まさかうちの甥っ子が? ミセスの眼鏡に適ったのかと言いたそうだった。
「だから土下座もできたというわけだな。だから海野を通じ、不問になるようにして欲しいと懇願したというのだな」
「さようでございます」
「わかった」
 そう答えると連隊長は御園大佐に何かを促した。
「澤村、いいな」
「かしこまりました、連隊長」
 途端に、眼鏡の大佐がいつもの怪しいにっこり満面笑顔を双子に向けた。
「初めまして。おじさんは工学科というところの大佐です。ちなみに『澤村』は旧姓で、いまは『御園』です。そこの准将の夫でございます」
 澤村と呼ばれていた男性が、実はミセス准将の夫だったとやっと知ったゴリ母さんと双子が驚いた顔をした。そんな彼等に御園大佐は『お嬢様のところの婿養子でございます』とこともなげに、あの怪しい笑みで伝えた。
「准将と一緒にいる時、あるいは見分け易く聞き分け易くするために『澤村』と呼ばれることも多いです。ご承知を。今から、君たちを『チェンジ』というパイロットのシミュレーション機の見学に連れていきたいと思います」
 誰もが『え』と眉をひそめた。特にミセス准将が。
「お待ちください。連隊長、まだ昨日の滑走路侵入についての――」
「黙って聞いていろ」
 険しく返され、さすがのミセス准将が黙り込む。それだけの威厳を放つ冷たそうな連隊長を目の前に、誰もが触るまいとばかりに黙って静かにしていた。
 そんななかでも、御園大佐はにこにこ。双子達に、なにかの書類を二枚、それぞれに差し出した。
「このシミュレーション機の部屋には限られた者しか入れませんし、一般の方にも公開もしておりませんし、撮影の申し込みがあってもいまのところ広報が頑として断りを入れるほど『極秘』としています。なぜならば、そこに実際の戦闘機でフライトしたパイロットの操縦データーをコックピットから抜き出し、データ化したものをシミュレーションとして記憶させているからです。いわば、パイロットのデーターバンクだと思ってください」
 御園大佐がそのまま、双子のそれぞれにボールペンを差し出した。
「今日はこのシミュレーション機を体験して頂きます。まずは叔父さんソニックの操縦データーでも体感してみようか。コックピット並みのシートに座って、座席がその通りに回転するんだ。乗りたいだろう?」
 双子は一瞬、とても嬉しそうにしたが、でも……いま喜んでよい場面なのかどうかは弁えているようで、そっと怖い連隊長の表情を確かめていた。
「私がそうしろとこの大佐にお願いした。この大佐は、シミュレーション機の管理責任者だ。このおじさんについて、まずはコックピットがどのようなものか体験してきなさい」
「ですが……」
 双子がまだ結論が出ていないのにどうしてと戸惑う顔。
「子供は外に出るように。いまからは大人同士で話し合い、結論を後ほど報告する。澤村、さっさとサインをさせて連れて行け」
「イエッサー、少将」
 では――と、御園大佐が双子に書類を説明する。
「機密なので、外部に今日見たことは決して口外しないという誓約をしていただきたい。一枚目はどのようなことを守って欲しいかという項目」
 御園大佐が双子に渡した一枚目の書類の項目を、自分のボールペンで指し、説明するたびにそこにチェックを入れていく。
「どのようなものだったかを誰にも伝えない。SNSなどでも話題にしない。投稿しない。情報は外に決して漏らさない。そして、チェンジ室に入る時は撮影や録音できるものは持ち込まない。PC、スマホ、タブレット、デジカメ、ICレコーダー等、全て持ち込み禁止。火気厳禁、ライターなどの持ち込みも禁止――」
 この基地でも隊員が命じられている約束を、双子にも説明をしている。
「二枚目は、一枚目に提示されたものを約束するという誓約書。同意できるのであれば、サインを。それを確認次第、チェンジ室へ案内しよう」
 御園大佐の説明を飲み込めたのか。双子は互いを確認することなく、意志を揃えたようにして、迷わずにサインをした。
「連隊長、これでよろしいですよね」
 二枚の誓約書を回収した御園大佐が連隊長に見せた。
「いいだろう。では、澤村。連れていってくれ」
「かしこまりました。では、雅幸君に雅直君、大佐のおじさんについておいで」
 二人はそれでも喜ばず、神妙な面持ちで立ち上がり御園大佐についていく。准将室を出て行く時、双子がもうしわけなさそうに、または不安そうにお祖母ちゃんへと振り返った。
「行っておいで。せっかくのチャンスだろう。雅臣がどんな操縦をしていたのか、体験しておいで」
「うん。わかった」
 御園大佐もなにもかも承知の上のようで、ただただ余裕の笑顔で、息子と同世代の双子を連れ去ってしまう。
 子供がいなくなり、連隊長が誓約書を手にしてしばらく眺めていた。
「では、子供もいなくなった。大人の話をしよう」
 いまからだ。本当に葉月さんとゴリ母さんが責められるのはいまから? 心優の方がドキドキしている。それは雅臣も同じようでじっと何かを堪えている顔のまま。
「いまからあの双子がチェンジを体感し、本当にパイロットの素質を『連隊長の俺が』感じることができるかを試したいと思う。つまり、葉月が頭を下げてまで表沙汰にならぬよう守ろうとしたのが正当かどうか、その結果次第で、今回の処分を決めたいと思う」
 え、まだ処分を決めかねている状態だった? 心優は絶句する。では、いまから、双子次第で決まるってこと?
「かしこまりました。では、双子に才能があるとわかったら……」
「葉月のただの勘だけでは信用できないってことだ。いいな。澤村が双子をチェンジに乗せる準備が終わったら、俺達もチェンジのコントロールルームで密かに見学をしようと思う。それでいいな、葉月」
 御園准将の目の色も変わった。この基地の魔除けだろう『天眼石』の目を見つめている。
「承知致しました。連隊長の判断に従います」
「では、後ほど行こうか。それまでまずトメさんのコーヒーを味わうとしよう。先日はひとくちしか楽しめなかった」
 福留少佐には、ちょっと素敵な優しい目元になる細川連隊長。少佐も心優と控えているところで、丁寧にお辞儀を返すだけだったが、いつも連隊長に所望されて嬉しそうだった。
「うん。うまいな」
 ご機嫌な顔をする瞬間。窓から入ってくる風に、花と柑橘の香りに、お気に入りのコーヒー。結局、細川連隊長は気分が良さそうだった。

 

 

 

 

Update/2016.6.28
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