◇・◇ お許しください、大佐殿 ◇・◇

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 EX2. ドーリーちゃん、よろしくね(5)

 

 お気に入りのコーヒーを飲み干すと、細川正義連隊長は『そろそろ行こう』と御園准将室を出て行こうとした。
 ついていくのは御園准将にお供の心優、そして雅臣。城戸の母までのチェンジ入室は許可できないとされ、准将室で待機することになった。
 工学科チェンジ室までの道をゆく中、いちばん後ろについてくる雅臣へと心優はときたま振り返る。
 非常に困惑した様子の表情のままだった。心優はそっと気配を殺して、准将の背から離れる。
「臣さん、大丈夫?」
「大丈夫なものか。なんで双子の才能を――なんて話になるんだよ。あのガキども、ちゃっかりチェンジに乗せてもらうようになって、しかも俺のデーターで動かすだって? 気絶するか酔うに決まっているだろ」
「だよね。エースソニックのデーターでしょう……。しかもコードミセスに勝っちゃたんだから、いまチェンジでは最強ってことだもんね……」
「これで連隊長がやっぱりなたいしたことなかったと感じたら、じゃあ、どうなるんだよ。俺の家族――」
 きっぱりと判断してくれたことを告げてくれるならそれで従ったのに。なんでこんなことになっているのかと雅臣は焦れているよう。
「でも、御園准将はもう気にしていたよ。双子ちゃん達を迎えてくれた時に、なにか思いついたみたいにニヤニヤ楽しそうだったもの」
「はあ〜、いい加減にしてくれ。なんだよー、もうすぐ心優と夏休みだと楽しみにしていたのに。どうしてこうなるんだよ」
 そして最後、雅臣がぽろっとこぼした。
「いつもそう。俺の家族は騒々しい。心優に会わせるのが不安だったのも、そういうことがあって……」
 びっくりしただろう。ほんとうにごめんな。なんて、こんな時に雅臣が謝るので心優も困ってしまう。
「心優。プライベートの話し合いなら後にしなさい」
 護衛としての勤めを忘れて彼女の背から離れてしまったことを諫められる。
 ふたり揃って『申し訳ありません』と頭を下げ、心優はもとの護衛に専念する。
 チェンジ室に到着すると、御園准将から前に出てドアを開ける認証を取る。次に雅臣が、最後に連隊長がと登録している生体認証をパスしてチェンジ室に入った。
 そこではもうチェンジの箱が油圧で動き始めているところ。二階のコントロールルームの窓には既に御園大佐の姿が見えた。
 二階に上がり、御園大佐と工学科科長室のメンバーとチェンジの動作操作を監視しているコントロールルームへ。
「いまちょうど、発進をしたところです」
 一行の到着を確認し、すでにヘッドセットを頭に装着している御園大佐が、やってきた全員にひとつずつヘッドセットを配った。
 心優ももらえたため、さっそく頭に装着する。
『すげえ! いまカタパルト行ったよな!』
『行った、行った。すげえ! これマジで雅臣叔父ちゃんの操縦?』
 さっそく双子がはしゃぐ声が聞こえてきた。だがすぐさま『うげーー』『うわーー』という叫び声が聞こえてきて、心優はハラハラしてくる。
 それは叔父の雅臣も同じ。
「空母から離艦して上昇旋回しているところで、操縦席が真横になっているんだろ」
 もうそれだけで目が回って吐くやつは吐くんだと、雅臣もハラハラして、御園大佐が見ているモニターへとたまらず歩み寄っていく。
「俺の、なんのデーターですか」
 御園大佐の横に並んでしまった雅臣が尋ねる。
「コードミセスと対決する前に、ティンクの癖を知りたいと、本物のティンクデーターと練習対戦しただろう。あれ」
「それでも、本気で操縦したやつですよ。あいつら、遠心力に耐えられるかどうか。3D映像も加わって視覚的にも惑わされて酔いやすくなっているでしょ、チェンジは――」
 エースだった自分には当たり前の操縦でも、双子は初体験のコックピットで身体を振りまわされる。プロともいえるエースが本気を出して操縦したデーターで動かされるコックピットを、いま素人の高校生が体験しているということらしい。
『なんか変な音が聞こえる』
『後ろからなんか来てる』
 雅臣が何が来たのか、モニターとデーターを見てインカムから双子に説明しようとしていたが、御園大佐が真顔で雅臣の口元を制した。
「なにか来ただろう。叔父さんのソニック機を撃墜しようと近づいてきた敵機だ」
 その途端に、また双子が『うわーーーー』と叫びまくっている。
「ティンクを振りきるために急降下をした時の……。本物の飛行なら、G8レベルですよ。チェンジだから重力はかからないけれど、軸を保つために小刻みに左右に揺れる調整操縦はするし時には一回転だってする。コックピットの傾斜も下向きになってかなりの角度……」
「そうだな。キャノピーに映る空の景色は高速に流れていくし、正面には海面が高速で迫ってくる。『ぶつかる』という焦りがジェットコースターの何倍もの恐怖に感じることだろう」
「ユキ、ナオ……」
「大丈夫。エチケット袋もたせているから、吐く時はそこに吐くよ。吐いたと言ったらその時点で終了だと約束している」
 そんな案ずるばかりの雅臣を、細川連隊長と御園准将は黙って静かに眺めているだけ。さすがアイスドールとアイスマシン。そういうところはご兄妹のように見えてしまう。
「なかなか激しそうだな。さすがソニックの操縦だ」
「通常ならば、この時点でほとんどのものがギブアップをします」
「双子の声が聞こえなくなったな……」
「あら、ほんと。意識が朦朧としてきたかですわね」
「そうか。やっぱりそうなるか……」
 彼等も結局のところ、一般人と同じ。特に感じることもなし――と連隊長はすこしがっかりしているようだった。
 いきなりエースソニックの操縦席で振りまわされるだなんて、いくら体格の良い双子でもムリだよと心優は思う。もうちょっと緩めのデーターでみてあげられなかったのかと。
『大佐さん、左上の雲の上になにかいるみたいです。でも叔父さん気がついていないのかな』
 静かだった双子だが兄の雅幸の声が聞こえてきた。
『ほんとだ。ちっちゃいけどなんか俺達にひっついてきてる』
 続いて、雅直の声も――。
 准将と連隊長が驚いたように顔をあげる。双子は意識はしっかりしているし、気絶もしていない。
 御園大佐も途端に真顔になった。インカムのマイクを口元に近づける。
「どうした。雲の間になにかみつけたのか」
『影がある。な、ナオ見えるだろ』
『うん、すっごい小さな黒い点。あ、少しずつ降りてきている?』
『でも叔父さんは水平飛行のままで、気がついていないのかな』
 気絶などしていない平然とした声に、彼等の目の良さ。それに驚いたのは、パイロットだった雅臣と御園准将。特に雅臣は青ざめている。
「雅臣、いまのほんとうに見えていると思う?」
「思います。この時の対戦データーを覚えています。今の双子は操縦をしていないから気がつくことができただけだと思いますが、俺はまだこの時点ではティンクが雲に隠れて降下してきていることには気がついていません。確かに左上からティンクが攻めてきたのは覚えています」
 それを知り、あの御園准将がとてつもなく驚いた顔をした。
「いままで言わなかったし、気がついている先輩もいたとは思うけれど……。私は女だから雅臣達のようなダイナミックな上昇や急降下ができないでしょ。だから、雲を使って少しずつ降りることはよくしてきた」
「俺も最近、気がつきましたよ。だから准将は雲のない日はとてもやりにくかったことでしょうね」
「その通りよ。快晴日の訓練は最悪だったわね。隠してくれるもの、騙せるものがなにもない……。でも双子はエースソニックより早く、雲に隠れているティンクに気がついているってこと?」
 パイロットふたりの会話を聞いていた細川連隊長も、控えていた後ろからコントロールカウンターまで近づいてきた。
「いまの話、ほんとうなのか。だとしたら、双子は視力がいいのは元より、動体視力も勘も良いということか」
『大佐さん! どんどん近づいてきてる』
『叔父さん、まさか気がつかないでこのままやられたってこと?』
 双子はティンクがそっと近づいてくる危機感を募らせている。
「俺、ここで上からティンクにロックオンされたんですよね。おそらく、あと十五秒ほどで撃墜アラームが鳴ると思います」
 そこでお試しはおしまい。それでも連隊長はもう、唸っていた。これで充分? 双子に何か感じてくれた? 心優は彼がなにを言い出すのかドキドキしている。
 考えあぐねている連隊長を見て、御園大佐が動く。
「神谷、いまのソニックのフライトデーターを停止させ、今年のパイロット候補生のフライトデーターに差し替え、ドッグファイト形式にしてくれ。どれでもいい」
「イエッサー」
 工学科の神谷中佐が指示どおりに操作をする。
 御園大佐がいつのまにか側に来ている細川連隊長に告げる。
「まだ操作も未熟な候補生のフライトデーターとの対戦形式に変えました」
「双子が候補生と対決できる状態というわけか」
「そうです、連隊長。津島、双子のフライトデーターをメモリーしておくように。ユキとナオと名付けておけ」
「イエッサー、科長」
 御園大佐がやろうとしていることに、雅臣とミセス准将がまた驚き、御園大佐に詰め寄った。
「なに考えているのよ! 一度も操縦桿など握ったこともない、普通の高校生なのよ! 候補生とはいえ、訓練をしてシミュレートしているんだから対戦になるわけないでしょ!」
「そうですよ、御園大佐! 操縦桿を動かせたとしても、あいつら加減がわからなくて墜落するに決まっています!」
 だが、御園大佐は妻と雅臣に詰め寄られても知らぬ顔。その横にいる細川連隊長も何も言わないし止めないし、彼の眼鏡の奥にある黒い目はもうモニターに釘付けで身を乗り出している。
『あれ、上に見えていた黒い点。なくなっちゃったな』
 データーがすり替えられたことを知らない双子だが、ティンクがいなくなったことには気がついた。そして彼等の後ろにはそのパイロット候補生のデーターが近づいてきている。
『うしろからなんか来た!』
『え、なんかコックピットが鳴っている!』
 コックピットが鳴っているのは、候補生のデーターが双子を捕らえてロックオンの範疇にまで迫ってきたから。そして。もう飛行機の形が見えているのに、叔父さんが気がつかずそのままだなんておかしい――と双子も騒ぎ始めている。
「科長。双子が無意識に操縦桿を握りました。危機感を持っているようです」
 コックピット内に備え付けられている室内カメラが双子をモニターに映し出す。津島大尉の報告どおりに、双子は揃って操縦桿を握っていた。
「よし。操縦桿のロックを解除しろ」
 勝手に操縦できないよう固定されていたロックが解除されれば、双子自身が操縦できるようになってしまう。彼等の操縦次第では、あっというまに墜落してしまうことに……。
 操縦桿を動かせばいいってものではない、スピード調整の操作さえ彼等は知らない。シミュレーションとはいえ、パイロットを目指したい双子がショックを受けないか心優は心配になってしまう。
 なのに御園大佐はまたにっこりおじさんの顔になって、ヘッドセットのマイクから双子に告げる。
「操縦桿が動かせるようになったよ。さあ、ゲームのはじまりだ。後ろの敵から逃れられるかな?」
 まるで子供に接する先生のような語り口で、御園大佐は双子を煽った。
『マジで! わ、ほんとうだなんか動く!』
『え、え、どうすればいいんだよ!』
「逃げたい方に逃げればいいんだ。自由にやってごらん」
 大佐はゲーム感覚の空気にして、双子の感性を見定めようとしている? 連隊長も御園准将も雅臣も、御園大佐の後ろから食い入るようにモニターを眺めているだけ。心優はその横でハラハラするばかり。
「科長、スピードが低下。そろそろ機首が落ちます」
「まだ切り替えたばかりで、惰性でスピードが残っている。そのまま行かせてやれ」
『真後ろに来た!』
『絶対、俺達、ロックオンされている!』
 そうロックオンされそうになっている。ロックオンをされるまえに、なんとか回避しないと!
「ユキ、ナオ。操縦桿を右だ、右……」
 雅臣も無意識にそう呟いている。声など届かないのに。
 なのに、本当に双子がその通りに、揃って操縦桿を右に倒している!
 目の前のモニター映像には、右に回避した双子二機の映像が。後ろにいた敵機をひらりとかわしたところ。
 それには、そこにいた上官がそろって『本当にやった』と仰天した顔に。
「ソニック、いままで何か教えたことがあるのか!」
 あの連隊長が、テレパシーのように通じあっている叔父と甥っ子と、シンクロするような双子の操縦を見るなり、雅臣に食らいついてきた。
 アイスマシンと言われている冷静な男が吼えたので、さすがのミセス准将も驚きで固まり言葉も出ない様子に……。
 雅臣が小刻みに頭を振る。
「いえ、そんなことは。ただ、ゲームセンターのコックピット型の操縦ゲームで叔父さんと一緒にやってみようと遊ばせたことは……」
「ゲームセンターだと! それだろ!」
「あの、連隊長……。遊びのゲーム操縦席ですよ。チェンジとはまったく別の代物……。それに一緒に遊んだのは双子が小学生の時ですし、回避ぐらいなら身に覚えがあってできたぐらいで偶然だと思います」
「いいや。遊びでも敵が来たらどうすればいいかという勘は同じだろ!? そういう予備知識でやってのけたってことだと思うんだ!?」
 あの連隊長が興奮しているし、困惑しているし彼らしからぬ物言いで、連隊長ではなくてみんなの兄貴というちょっとした素にもどってしまってるじゃない――? 心優もこんな連隊長は幻かと目を擦りたくなってきた。
 ゲームセンターでもシートが動いて楽しめるものはある。だが、それとこのシミュレートはまったくレベルが違う。それでも双子の危機感と感覚は合っているし、いま危機を回避しようとした本能の行動は『正解』を導いている。
「神谷、双子のヘッドマントディスプレイに『ナビゲーター』をつけてやれ。それから、ドッグファイト形式もここまでだ。次は『本物の、候補生シミュレーション』をさせてやれ」
「イエッサー」
 御園大佐だけが、目線を鋭くさせ静かに淡々と事を進める。
 連隊長も額に滲んだ汗を指先で拭うと、ひと息ついていつもの凍った顔に戻った。
「隼人。候補生の訓練をさせるってわけか」
「はい。もう充分でしょう。天性とかいうのは……。本物の初心者訓練をさせてみましょう」
「そうだな」
 それを聞いて、心優はもう震えていた。
 嘘。パイロットになれるから、パイロットの訓練をさせてみようと、トップの人達が認めてしまった?
 嘘。これじゃあ、あの子達も、これから臣さんみたいなパイロットになるってこと!?
 まさかと思っていたのに。それが本当になりそうで、心優は震えている。
 それは甥っ子になる双子が、大佐殿のようなパイロットになるかもしれないから? 夫のようなエースパイロットが親戚からまた誕生するかもしれないから?
「葉月。あの子達、いま高校二年生だと言っていたな。入隊をするとしたら再来年度か」
「はい。小笠原の訓練校設立までは間に合いません。このままでは、横須賀に取られてしまう可能性も高いかと……」
 またトップのふたりが話し始めたことにも、心優は驚きを隠せない。それは雅臣も同じだった。
「待ってください。連隊長、准将。双子はまだ身体検査などもパスしておりません」
「きっと大丈夫よ。あなたと体格も体質もそっくりみたいだし」
「そこでだめならだめで、基地には来ないだけだ。それならそれでいい。こちらも諦めがつく」
 銀縁眼鏡の連隊長まで、もうその気になっている。
「葉月、どうする」
「スカウトする組織でもお作りになられたらどうですか。いずれ小笠原の訓練校に入隊させる候補生が欲しいという名目で――」
「なるほど」
「そう思って。スカウトしたい候補生を岩国で一時預かりにしてもらえないかと、既に岩国の高須賀准将に協力してくださるようお願いしております」
「そうか――」
 御園准将がもう先へと仕事を進めていることも、ここで初めて知った心優は雅臣と顔を見合わせる。
 この人はもう、雷神など振り返らない。本当に橘大佐と雅臣に引き渡して、自分はもう先を歩き始めているのだと……。
「わかった。滑走路侵入の件は『不問』とする」
 ついに連隊長が、双子の処遇に結論を出した。
 双子になにかを感じたということに!!
 心優はもう力が抜けそう……。
「ただし、あの双子が入隊をしたら絶対に小笠原に確保しろ」
「もしかしたら、英太並みの問題児かもしれませんわよ。英太も『こう思ったらまっすぐ突っ込む』タイプでしたでしょう。自分の心のモヤをはらすために、艦長を襲う。『どこかの大佐にそそのかされて』でしたが、滑走路侵入飛行をしたこともありましたでしょう。あのようなこともありうるということですよ」
「ああ、そうだったな。ゾッとするほど惚れ惚れする飛行だった――。隼人にそそのかされたとはいえ、あれは度肝を抜いた。しかし、あれを見てしまったからこそ、あの問題児を……」
 当時を思い出したのか、連隊長が少しだけ迷いを見せたのだが――。
「かまわない。そうなったらそうなった時だ。それに扱いにくい候補生ならば、どこの訓練校も匙を投げるだろ。こっちで引き取ろうってもんだ。またバレットのように立派なパイロットにすることも可能だ。そうしたいから、将来性を傷つけない判断とした。不問とした俺もリスクを背負うことになるわけだから、無駄にしないでほしい」
「かしこまりました、連隊長。不問としてくださり、ありがとうございます」
 双子の才能を認めた連隊長が、もうスカウトする気になっている! でも心優はそれよりも、双子が昨日したことが許されることになってもうそれが嬉しくて……。
「城戸大佐、不問になりましたよ。良かったですね」
 心優はまず、双子にもゴリ母さんにもなんの処分もなくなったことを喜んだ。
 でも雅臣は浮かない顔をしている。叔父さんとしてなにか不安なのかもしれない?
「そうそう、操縦桿の動かし方はそれであっている。音声ガイドに従って、ナビゲーターの映像どおりに動かしてみようか」
 御園大佐は双子に簡単な操縦桿操作を既に教官の顔で教えている。
 双子は『ほんものみたいだ』と喜んで従ってもう楽しそうだった。
「それから、葉月。『アグレッサー』のことも、そろそろ準備を始めておけ」
「わかっております、連隊長」
「なんだか疲れた。俺はもうここで帰らせてもらう」
 あの細川連隊長がいつにない疲れた顔をして、コントロールルームを出て行った。
 連隊長が出て行ってすぐ、雅臣が御園准将に問いつめる。
「准将、アグレッサーって……。まさか……『アドバーサリー部隊』をこの基地で編成するつもりなのですか」
 『アグレッサー』に『アドバーサリー』? 連隊長から初めて聞かされた『指令』だった。心優はなんだか胸騒ぎがした。
「そうよ。まだ日本の『国際連合軍基地』ではどこも持っていないから、それなら小笠原の訓練校の特徴として作ってしまおうと連隊長と話していたの」
「アドバーサリーは、自国の概念以外の理論をもって、あらゆる敵を仮想して戦術を組むうえに、どうしてそんな操縦が同じ戦闘機でできるのだと思わせる程の相当な技術を持ったパイロットが必要となりますよ。いわば、戦術の職人ですよ。自分の性格や特徴を生かして飛ぶんじゃない。その敵の特性になりきって演じることもできるほどの、」
「そうね。でも、だいたい目星もつけているわ。そういうパイロットこそ、すぐ目につくもの。ただ、雷神のように広報で華々しいステージでの活躍もない。ただただ、その部隊でパイロットをコーチするために淡々と敵機をこなす。でも、全国のパイロットには悪魔のように恐れられる、尊敬される。雅臣、あなただって、行く末はアグレッサー部隊のパイロットになれたと思うわよ。あなた、小笠原に戻ってくる前に、岩国で名を伏せてのアグレッサーをしてくれたでしょう。ああいう『敵役』がこれからの雷神には必要なの。雷神と同じぐらいの、いいえ、以上の『アグレッサー』がこれからはね……」
 雅臣は先を行く彼女がどこへ向かっているのか知って絶句していた。
 そして、御園大佐は知っていたのか知らなかったのか。双子の指導をしながらも、肩越しにそっと妻を見ているその眼差しが冷たくなっている。怒っているようにも心優には見えた。
 初めて聞いたのか、あるいは彼女が訓練校での仕事をしようとしていると知ってしまったのか。また心優は違う胸騒ぎに渦巻かれる。
 昨日だけではなくて、今日も。いろいろ目の前で起きてしまって気絶しそう……。

 

 

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 

 まだシミュレーション機を満喫している双子は御園大佐に任せ、御園准将と雅臣と一緒に准将室へ戻った。
 戻ると、そこにはラングラー中佐を相手に、ノートパソコンのモニターに流れる映像を楽しそうに見ているゴリ母さんの笑顔。
「あ、准将。おかえりなさいませ。いいつけどおりに、お母様に城戸大佐が航海中に広報と作られた広報映像をご覧になっていただきました。それから、許可されている空母内での職務中の映像も見て頂きました」
 ゴリ母さんがソファーから立ち上がり、ミセス准将へと向かう。息子が働く姿を楽しそうに眺めていたのに、途端に不安そうな顔になる。双子がどうなり、連隊長がどう感じたのか。その結果が気になるのだろう。
「お母様。連隊長が不問としてくれました。よろしかったですわね」
「本当ですか! ああ、良かった……!」
 黙っていると凛々しいばかりのゴリ母さんの顔がほころぶ。
「え、ということは……。あの、連隊長さんは双子のシミュレーションを見て、なにか感じたというのですか」
 そこは御園准将もすぐには言いにくいようだった。准将自身もどこか信じられないものを見たというところか。
 だがそこは息子の雅臣が前に出た。
「とりあえずな。双子になにかあると感じてくれたようだよ。今回は、たまたまだ……」
 なんだか雅臣も信じがたいようで、こちらは逆に不機嫌だった。
「でも良かった……! これで帰れるよ。雅臣、ほんとうに悪かったね、迷惑かけたよ。双子はもう連れて帰るから」
 ゴリ母さんが雅臣に駆け寄り、ぎゅっと手を握った。
「べ、別に。そんな急いで帰らなくてもいいよ……。せっかく宿も取ったし……」
「いいや。今回は帰るよ。許しをいただけたからと、ではとこの基地の中を大きな顔で歩けないよ。来るならまた改めて、今度は雅臣にちゃんと話を通して来るからね。双子にもそう言っておくから」
「あのさ、ユキとナオに聞いたんだけど。あいつら、どうやって旅費を捻出したのかって。まさか、ねえちゃんの財布とか家の金を持ち出したのだったら、叱らなきゃと思って……。でも、あいつら、小笠原に来たくて、去年からバイトをしていたんだってな」
「ああ、そうだよ。今年の夏休みに絶対に行こうと決めて、それを目標に貯めてきたみたいだ。でもそんな目標を言えば、バイトをする前から母さんに止められると思って黙って貯めてきたんだろ。いざ貯まって、さあ母さんの許可をもらって、叔父さんに報告して、基地に行こうと思ったら、真知子が大反対だ。だから勝手に飛び出した。基地について雅臣に会えばなんとかなるだろうと思ったんだろ」
 この基地に来たくて、ずっとバイトをしてきた? それを聞いて、心優はあの双子がどれほどの思いで、ここに来たかったのかを知る。
 それは初めて知った御園准将も同じようだった。
「そうでしたの。ユキ君もナオ君も、そんなに頑張って……。この基地に……それほどに……」
「祖母である私も母親である真知子も、双子の気持ちをもう少し丁寧に扱ってやるべきでした。たとえ、反対でも……」
 雅臣がそこでちょっと哀しそうな顔をする。
「姉ちゃん……。双子が海軍になるのは反対なんだ」
「そりゃ。弟がどれだけ大変な仕事をしているか知っているからだよ。天性だって? そんなものだけで、お国の境界線で人知れず命張る仕事が務まるわけないだろ。それに……、危険な仕事だってわかってるよ」
 確かにそうだ――と、雅臣も項垂れている。
「でも。どうだろうね。息子達がそうなりたいと本気なら、真知子もそこで手放す覚悟は出来ていると思うよ」
「わかった。今回は残念な訪問になったけれど……。今度は俺が招待するから、双子にそれまで大人しく待っていろと言うよ」
「そうしてくれるかい……。悪いね、雅臣。いつも、迷惑をかけて……」
 どうしてか、お母さんがしゅんとしてしまった。雅臣もそんな母が何を思っているかわかっているようで、言葉をかけられないまま困っている顔。
 うちはいつもこうだ。騒々しい――と言っていた雅臣。その騒々しさで、雅臣に迷惑をかけてばかりとでも言いたそうだった。
「ま、いいや。母さん、俺からも姉ちゃんに伝えておくよ」
「うん、そうしてくれ」
 雅臣が気の良い笑顔を見せると、ゴリ母さんもホッとしたようだった。
「ああ、そうだ。葉月さんにお土産を持ってきたのに、昨日の騒ぎで渡せなかったんですよ」
 ゴリ母さんがソファーに置いていた無地の紙袋を准将に差し出した。
「まあ、お気遣い有り難うございます」
「雅臣から聞いて、時間があったので横浜で買ってきたんです。それが大好物らしいですね」
 准将が袋の中から箱を取り出すと、『ショコラリボン』と書かれたチョコレートの箱が出てきた。
「ええ、これ、すごく大好きなんです! まあ、あのお店でいちばん大きな箱じゃないですか」
 横浜にある葉月さんが大ファンのチョコレート専門店のアソートボックスだった。
 准将も横浜に行けば必ず買ってくるもの。そして心優もご馳走になって大好きになったチョコレート。
 でも心優はそれを知って、ものすごくショック受ける。
 だって。だって。それ! わたしが浜松に行く時に、ゴリ母さんとお姉様へのお土産と考えていたのに!!
 臣さんだって、それを知っていたはずなのに! どうしてわたしがお土産にしようとしていたものを教えちゃったの??
 心優はつい雅臣を睨んでしまう。でも雅臣はまったく気がつかず。
「雅臣。よく知っていたわね、私がここのお店のものが好きだって」
「いや。母がどうしても葉月さんにお土産を持っていきたい。どうせなら離島ではなかなか食べられないお菓子とかどうかと聞かれて、それがピンと思い浮かびまして……。いつも心優が……」
 と、雅臣がそこでやっと心優を見た。当然、心優は眉間にしわを寄せ睨んだまま。雅臣もそんな心優の怒りにやっと気がついたようだった。
「ええっと、心優が、いつも、准将と食べていると聞いていたので……」
 准将もそこで『ああ、なるほどね。心優が話していたから知っていたのね』と嬉しそうな顔。
「せっかくだから、一緒にいただきましょう。双子ちゃんにとんでもなく驚かされて、正義兄様じゃないけれどちょっと疲れちゃったわ」
 テッド、お茶をちょうだい――とミセス准将がいうと、ラングラー中佐もなごやかになった准将室にホッとしたのか笑顔で頷く。
「そうだわ。連隊長兄様にもお分けしましょう。兄様も甘いものはけっこうお好きだから……。心優、正義兄様のところにも届けてくれる?」
 心優もなんとか仕事の顔になろうと「かしこまりました」と笑顔を浮かべた。
 でも雅臣はもう冷や汗をかきっぱなしなのか、心優と目を合わせてくれない。
 もう! お猿はほんと女心をわかってくれない!
 心優は雅臣にはひそかにツンとして、准将がおやつを分ける時に愛用している花柄のペーパーを持ってきて、ミセス准将が『兄様にはこれとこれ』と選んだものを包んだ。
 それをトレイにのせ、いいつけどおりに准将室を出た。
 もう〜! どうしてわたしがこれをお土産にするって教えたものを、お母さんに教えちゃうのよ。お母さんがお土産に持って来ちゃうのよ! 
 ぷりぷりしながら心優は一階上にある連隊長室へ行くため、エレベーターの前に立った。上階へ行くボタンを押して待つ。
「み、心優」
 狼狽えているお猿の声が聞こえた。気になって追いかけてきてくれたみたい……。でも心優は振り返らない。
「ご、ごめんな。ほら、母さんがすっごい勢いで『葉月さんが好きなものを教えろ! いますぐ、時間ないんだよ! すぐ言え!』なんてこんな感じだったもんで。つい、ショコラリボンの……て」
「そう」
 心優は素っ気なく返答するだけ。
「心優が土産に持っていくものだって……ごめん、あとで気がついて……」
「いいよ。臣さんだって、慌てていたんだもんね。お母さんには弱いんだもんね」
 なんだか嫁姑って、そのお母さんが嫌いじゃなくても、息子のこういうところでイライラしてくるのかな――とも思った。
 でも。心優もなんだか違うと思えてきた。
「お母さんに実際に会って……。なんかチョコレートもらって喜ぶようなかんじじゃないって……わたしも思ってるよ……」
「なにいってるんだよ。母さんは、心優が持ってきたものならなんだって……」
「わたしは! ほんとうにお母さんに心から喜んでもらいたいんだって! なんでも喜んでくれるんじゃなくて……。それがチョコレートじゃないってわかっただけ!」
 振り向いて叫ぶと、雅臣の顔が強ばった。とっても気にしている申し訳なかったというお猿さんの、女の子を傷つけて困った顔。
 そこでエレベーターが来て、扉が開いた。
「連隊長室へ行って参ります。城戸大佐」
「うん……。わかった……」
 しゅんとした大佐殿が、心優が惚れ惚れしてしまう凛々しい大佐殿じゃなくて……。情けないお猿の男になっている。お猿は嫌いじゃない。でもそんな女の子に負けっぱなしの負け猿は嫌。
 エレベーターに乗った心優は扉を閉める前に、去ろうとしている雅臣に言う。
「臣さん、これで良かったのよ。わたし、突然、お母さんに会えて良かったと思ってる。本当のお母さんに会えなかったかもしれないと思うと、そっちのほうが嫌。だから……」
 お土産も新しいものを考えるよ。そう言ったところでエレベーターを閉めようとしたのに……。
「まて、まてよ、心優!」
 閉じかけたエレベーターの扉の隙間、そこにでっかい両手ががっと割り込んできた。
 え、そういうときはボタンを押せば……いいのに? ちょっと触れば挟まれ防止で扉だってさっと開き直るのに。
 でも心優の目には、お猿が力いっぱい怪力でエレベーターのドアを割り開いたかのような姿に見え、そんなお猿の逆襲に思わず後ずさっていた。
 お猿がエレベーター内に踏み込んできたところで、彼の後ろのドアがすーっと閉まる。そしてエレベータがふたりだけを乗せて動き出した。
「心優、昨日からずっと!」
 おおきなお猿が心優を奥へとじりじりと追いつめるかのように迫ってくる。
「お、臣さん、ちょ、わ、わかったから」
「昨日からずっと! 俺は、心優にどんだけ嫌な思いをさせたかと、ずっとずっと気になっていたんだよ!」
 連隊長へ持っていくチョコレートを乗せたトレイを大事に持っている心優を、お猿はついに奥の壁に追い込むと、心優の頬の側に大きな手を『バン!』と強く突く。
 きゃー、お猿がキレた!? いつだってどんなときだって、にっこり愛嬌で受け流すお猿が。こんな子供みたいな困り顔で切羽詰まった顔で迫ってくる!
「心優……、俺みたいな男だけれど……」
 そんな泣きそうな顔の大佐殿が、ふっと身をかがめたかと思うと、また……職場なのに心優のくちびるにキスをする。
 しかも今回はちゅっとしたかわいいキスじゃなくて……。熱い蜜を絡め取るように吸われるキス……。
 熱い舌先が力強く心優の口の中に入り込んできて愛してくれる。
「あっ……んっっ」
 思わず、心優はかんじた声を漏らしてしまう。それに、もう、トレイを落としそう。落として、臣さんの背中に抱きつきたいよ。
 大丈夫、うんと愛してるよ。どんなことがあっても、ただただあなたが好きなんだって! そうしてわたしも、臣さんの熱い唇を吸ってあげたい。
 でもエレベーターはすぐに一階上についてしまう。そこで雅臣が惜しそうにして離れた。
「昨夜は我慢したけど。やっぱ、いつもどおり心優を触りまくって寝る!」
 昨夜、背中を向けて寝ていたの。なんか遠慮していたんだと初めて知る。
「わたし、大丈夫だよ。ゴリ母さんのこと、素敵なかっこいいお母さんだって思ったよ」
「うん、ありがとうな……」
そして心優も伝える。
「お、臣さんのこと。大好き、愛してるよ」
 いつもの、お猿兄さんの顔に戻った雅臣が心優の鼻先に、自分の鼻先をきゅっとくっつけてきた。
「心優、俺のミユ……。おまえに泣かれたら、辛いんだ」
 彼の汗ばんだ皮膚が熱い。お猿の体温に、彼の汗の匂いに、心優は思わずきゅんとなって泣きたくなってきた。
「連隊長に渡してこなくちゃな」
 落としそうになっていたトレイを、雅臣が大きな手で支えてくれる。
「い、行ってきます」
「うん、じゃあ……。俺は雷神室にもどるな」
 こっくり頷きながらエレベーターを出ると、雅臣はそのまま下へ行くと閉まるボタンを押した。
 でも閉まっていく扉の隙間から、ずっと心優を見つめてくれている。
 扉が全部閉まって、エレベーターが下りてしまい、そこで心優はひとりになる。
「もう、ずるいよ。お猿のかわいい顔、ずるいよ、もう」
 それがまた最後にかっこいい大佐になるんだもん。ほんと、ずるい。
 カラダの芯が熱くつきんつきん疼いている。
 きっと、今夜はお猿だけじゃなくて。わたしも飛びついちゃいそう。ずっと、不安だったから……。
 そこで一人、心優は溜め息をつく……。
「でもお土産、どうしよう」
 かわいいお嫁さんのご挨拶も、お母さんと向きあっていままでを話し合うのも。これだって決めていたお土産も。すべてだめになってしまった。
 でもきっと。それはゴリ母さんも一緒なんだろうなと思えてきた。
 『心優さんが来る頃には、髪も黒く染めようと思っていたのに』
 あの言葉。ゴリ母さんも心優と一緒に、『いいお姑さん』として取り繕う準備をしていたんだって。
 心優も同じ。いいお嫁さんとして取り繕うとしていたんじゃないかって――。
「あ、そうだ」
 そんなゴリ母さんとハーレーダビッドソンが映っていた画像を思い出して、心優はふと閃く。

 

 

 

 

Update/2016.6.30
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